2025年8月20日水曜日

 ストレス

 今までコンピューターで、不安定ながら自由に仕事をしていた娘が、先行きに不安を感じたのか、一念発起して、副業を始めました。雇用の不安なアメリカではほとんどの人が副業をしていると、ニューヨーク在住の服飾関係に勤務するユーチューバーが語っていました。

 日本でも江戸時代なんかには、例えば、表向き呉服屋で、裏で高利貸し、儲けたお金で土地を買って農業、大家と総合商社のような家もあったと、歴史家の夫が話していましたが、それを何とか渡世というのだと聞いていましたが、上の空で聞いていたので、もしかしたら『農間商(い)渡世』というのだったかもしれません。

 そうゆうわけで、体を動かす肉体労働に就いたのですが、まあ大変、足が痛いと、靴は十足以上買ったでしょうか。私もおこぼれの靴を一足もらいました。

 そうして一年が過ぎ、最初は靴や服でストレスをごまかせていたものが、だんだんごまかしきれなくなって、私と口喧嘩をするようになりました。私が言い返すと、「お母さんもさんざんお父さんと喧嘩していたじゃない」と言います。そうかなと最初は思いましたが、同じことは上の娘にも言われたことがありました。

 『そうだったかもしれない』と今は思います。夫婦ってきっとお互いにストレスだったんだなあと今はわかります。私だけではなく好き勝手をしていたように見える夫もまた、好き勝手がストレスのはけ口だったような気がします。

 知り合いにご主人をなくしてひどく落ち込んでいた女性がいますが、きっと本当に仲良しだったのだろうと思いました。慰める言葉もないので、「どっちが先に行った方がいいかだよね」とか意味の分からない話をしました。

 私が内臓の手術をした時、わが家の夫も『こりゃ大変』と、それ以来自分の飲む薬の管理を自分で始めました。配偶者の死というのはお互いに独立する機会なのかもしれません。

 で、今はもう私にストレスはないかというと、そんなこともないと思います。相変わらず対人恐怖症で、人とはあいさつ程度の関係ですし、ちょっと何か余計なことをしたり言ったりすると、あとでひどく後悔します。想像力が逞しいと落ち込みが余計増幅するんだなどと自己弁明をしています。

 では今はどうやって平静を保っているのだろうと考えると、ユーチューブですね。ユーチューブサーフィンしながら、まるで近所隣の愚痴を聞いたり、内情を探ったり、一緒に不正を憤ったり、新しい知識を得たりと、兵庫からウクライナまで興味ある所にはどこにでも行けます。でもパレスチナはだめです。宗教戦争は手を差し伸べることもできません。

 そしてストレスの発散は、誰にとも言えない、かってなブログです。聴いてもらってもいい、聞かなくてくれてもいい、勝手な妄想と打ち捨ててくれるのが一番いい。でも、見てくれた人が一人でもいるとなんとなく安心する。ただ、私の勝手な妄想がその人のストレスにならないことを祈るばかりです。