2026年2月1日日曜日

 ユーチューブ勉強、『今までと同じ時間ではない』

 回復力の話です。

 椅子から落ちて、わきの下を強打して、今年の冬もけがをした話をしましたが、確かに体の動きは依然とははっきりと違うのです。自覚はしていました。

 一昨年から半年ほどトレーニングルームに通って、体が締まった、体重が減った、見た目も変わったと大喜びしていた時から、ひざ痛を起こして一年間ひざをかばっている間に、体重は元に戻り、そして、動きにも、記憶力にも、なぜか不安を感じるようになっていたのです。

 そこで見たのが、『今までと同じ時間ではない』というユーチューブでした。相変わらず、パッと目についたのを勝手に解釈してどの動画だったかは覚えていないのですが、『歳をとると、疲労の回復に今まで以上の時間がかかるのだ』という内容で『その時間を取らなければならない』というものでした。

 今までの私だったら、一笑に付していたでしょう。この時もすぐには気づきませんでした。「忙しい、忙しい」と言いながら、今まで通りの日程をこなそうとしていて、時々パンクしそうになったり、ごまかしてやめたり、一日休んだり、物忘れに悩んだり、と、何か『昔と違う』という違和感を感じてはいたのです。

 しばらくして、『そうかもしれない』と思ったのです。最近の上記の現象もそうですが、もっと前に感じていたことは、『おしっこの出方が違う』ということでした。若いころのおしっこって勢いよくパッとたくさん出るのです。今は頻尿です。それも昔、田舎のおばあさんたちに聞いたような、「小便を垂れる」という言葉通りの時間経過です。

 確かに体が変わっていっているのです。今回のわきの下の打撲がなかなか治らないので、『圧迫骨折の治療』の動画も見てしまいましたが、温存治療というのでしたか、そのまま固定して痛みを抑えながら時間の経過とともに治していくという治療でも3か月はかかると言っていました。幸い、私のは痛みも塗るロキソニンで抑えられそうですし、くしゃみをすると痛いとか、50肩と連動していて、どちらの痛みかわからないといった具合で、大したことはなさそうですが、時間はかかるのかもしれません。ちなみに昨年のひざ痛はやっと普通に近くまで回復したようです。一年ですね。

 そういう事で、もっとゆっくり自分にできることを考えて、生きる方法を学ばなければなりません。やっとまともに高齢化を自覚しました。

2026年1月25日日曜日

 ユーチューブ勉強、石原結實 × 石原新菜 / 東洋医学 断食の専門医

 16時間断食、寒いとやっぱりお腹が空くのです。よくわかりました。まだ二か月は経っていませんが、体重は1キロ減のまま。便秘も相変わらずです。さて、どうしましょうか。

 時々、決まりを破ってしまうことがあるので、少しづつ決まりを替えています。

 まず、16時間と決めないで、13時間から16時間の間にしました。娘は「12時間でいいという人もいるよ」と言っていましたが、私は夕食を食べる時間がまちまちで、16時間に決めるには毎日計算しなければなりません。計算は苦手です。

 そういうわけで、夕ご飯を何時に食べても、朝は抜いて、昼12時に食べる。現実には、朝起きたら、お茶やコーヒー牛乳を飲んで、12時まで朝飯前の仕事をしています。間食は相変わらずしています。主にせんべい。ナッツがいいと言われるとナッツ。作ったよと言われるとシチューとか。結局、昼と夜の間に、なんでもよく食べるということです。それで、娘と一緒に食べる夕ご飯は、娘の時間に合わせて、不規則になるというわけです。

 そんな試行錯誤の毎日の中で、『石原結實 × 石原新菜 / 東洋医学 断食の専門医』という動画チャンネルが浮上しました。お二人はとても有名な方たちで、私は、過去に何回かお二人の動画を見たことがありました。

 石原新菜先生の動画は、ご自分の実体験から体温を上げる重要性、腹巻の重要さを語った講演会の動画でしたし、その以前に見た石原結實先生の動画は、たぶん断食の動画だったと思います。で、今回見たのは石原結實先生の動画で、ある人が断食をしたり、玄米食にしたら、血圧も下がって、長生きできているという内容のやはり、講演会の動画でした。

 その時、『私のやろうとしていることはこれなのかもしれない』と思いました。

 歳をとって、やはり体温は下がっていて、腹巻はしていませんが、温かくするように、衣類には気を配って重ね着しています。

 13〜16時間断食に挑戦していますが、まだ、便秘は解消できていません。三日に一度くらいです。だったら玄米食にしてみようかと思ったわけです。昔、玄米食を食べたときはおいしいと思いませんでした。それでずっと敬遠していたのですが、今回、一合だけ炊いて食べてみたら、本当においしかったのです。私の体が変わったのか、炊飯器の性能が良くなったのか、とにかくこれなら続けられそうです。

 そして、この『石原結實 × 石原新菜 / 東洋医学 断食の専門医』というチャンネルを登録しました。時々私の動画画面に出てきて、思い出させてほしいと思ったのです。行き詰った時、私は何をしたらいいのかを。

 口惜しー

 2024年、二月、胃痛による吐き気、下痢。2025年、2月27日、寒いのでストレッチをしたら、左ひざの多分、筋伸ばし。そして、2026年、1月21日、椅子から落ちて、右肋骨打撲。ついに今年もやってしまいました。『寒い時期は』と、あれだけ用心していたのにです。

 確かにこの頃、体の動きが衰えていたのは自覚はしていたのですが、でも、DIY趣味の私ですから、脚立にくらいは登れるだろうと、ある程度の自信は持っていたのです。確かに脚立には登れて、蛍光灯を外して、カバーの掃除もできました。

 そこで、「そういえば」と、使わない蛍光灯の器具一式が物置の棚の最上段にしまってあったのを思い出しました。それを廃棄しようと思ったのです。

 それもこれも、「今後蛍光灯は製造しない」というニュースが流れたからです。古くなった蛍光灯を新しいのに取り換えて、それがだめになったら、LEDに取り換えた方が良いというアドバイスめいたものもありました。『そうしよう』と、DIY趣味の私はすぐに反応したのです。

 食堂の蛍光灯が暗いから、新しいのに買い替え、他は手持ちで取り換え、使わない蛍光灯の器具一式は廃棄。すぐに行動計画ができて、順調に進んで行き、『使わない蛍光灯の器具一式廃棄』まで来たのですが、脚立の持ち運びが面倒だったので、棚の前に椅子を置きました。椅子の上に乗ったらぎりぎり届くので、持ち上げようとしたら、重い上に引っかかっていて引きずり下ろせない。きょろきょろと周りを見て、いつも踏み台として使っているお風呂の椅子があることを思い出して、件の椅子の上に載せました。そしてやっと引きずり下ろしたと思ったら、転がり落ちて、使わない蛍光灯の器具一式の上に右わきの下がかぶさってしまいました。思わず、「やってしまった、悔しー」です。その時、左足親指がなぜかぴくぴくと動きました。右を打ったのに、はっきりと『何故だ』と思いました。

 その時はそんなでもなかったのですが、日を追うごとに痛さが増しました。もちろんお医者には行きませんでしたが。

 「悔しー」はこれだけではありません。その第二弾。

 唯一買い替えたのは、一寸暗い食堂の蛍光管でした。「さあこれで終了」とばかり勢い込んで買いに行ったのです。店員さんに探してもらって、ついでに他のも捨ててもらいました。計六千円。家に帰って、もう無理なので、娘にその蛍光管を替えてもらいました。ところがです。明るさが前のとほとんど変わらないのです。「えー」と思って、その蛍光管の入っていた箱をよく見ると、『長寿命、16000時間』と書いてありました。「16000時間って」?計算苦手の私は電卓を取り出してきて計算しました。どうやったらいいのか、最初は16000時間割る365日でやって、「ナヌ、43年!、悔しー」と思って叫んでいたのですが、気が付いて、16000時間割る24時間わる365日でやって、18年と出て、やっと納得しましたが、わが家の20年くらいたった蛍光管と新品の蛍光管の明るさがほとんど変わらないという事実にはやっぱり、『悔しー』です。

2026年1月13日火曜日

 ピーター・バラカンさんと石井苗子さん

 高市総理が就任して間もなく、各党へのあいさつ回りをして、維新の事務所に行ったときのこと、そこに相変わらず、目立つ美しさの女性に、高市総理が、「苗子姉ちゃん」と言って涙目になったという動画が出て、私も「ええ」となりました。

 この人が石井苗子さんでした。この美しさ、私が楽しんでみていた、なんという番組だったか忘れていましたが、今、経歴を見ていて、多分『CBSドキュメント』だろうとわかりました。本当に美しい人で、あの後、俳優になったり、医学部に入ると受験勉強をしたり、とその後の噂だけは聞いていました。

 まさか維新の会の国会議員になっていようとは思いもしませんでした。で、その後がどういう経緯なのか気になって、ネットで略歴を調べてしまいました。

『略歴

東京都台東区浅草生まれ(現住所は神奈川県川崎市多摩区南生田)[7][8]。福山市立東中学校[9]、山手学院高等学校を経て[10]、アメリカ・ワシントン州立大学から上智大学に編入し、同大学卒。

父親の関係する会社で秘書として働いた後、同時通訳者に転職[11]。水産庁の外郭団体での通訳を担当した後、1988年に『CBSドキュメント』(TBS系)[12]でキャスターデビューを果たす。

MITSUKO名義による女優デビュー

1997年聖路加看護大学看護学部に入学し、2002年に卒業。

同年、東京大学大学院医学系研究科健康科学・看護学専攻修士課程に進学、のち博士課程に進み、2008年に「健康診査受診勧奨のためのキャンペーン介入研究」で博士(保健学)を取得(甲24228、博医第3171号)[13][14]。同大学医学部客員研究員[15]。看護師、保健師、ヘルスケアカウンセラーの資格をもつ[15]。2005年から、東京都内の病院の心療内科にてヘルスケアカウンセラーとして研修・活動を続けている[15][16]。

2011年より、大橋靖雄が立ち上げた東日本大震災復興のための医療支援ボランティアプロジェクト「きぼうときずな」 に携わる[17]。

2016年6月9日、第24回参議院議員通常選挙に出馬する意向を表明[18]。同年7月の参院選において、おおさか維新の会公認で参議院比例区から立候補し党内順位3位で初当選』

 すごい人生ですね。と思わずつぶやいてしまいました。

 『CBSドキュメント』のメインキャスターはピーターバラカンさんでした。その後もバラカンさんの他の番組への出演も見たことはありましたが、私の苦手な音楽関係でしたので、続けてみることはありませんでした。

 それがこの間、TVerで偶然にもピーターバラカンさんの番組を見つけて、この会合は奇遇だなと思って、ピーターバラカンさんの略歴も検索してしまいました。

『ピーター・バラカン

Peter Barakan

生誕 1951年8月20日(74歳)

イギリス ロンドン[1]

出身校 ロンドン大学東洋アフリカ研究学院

職業 ブロードキャスター(キャスター)。音楽番組司会者、ラジオDJ、音楽フェスティバルの企画・開催、NHKの国際放送の日本文化紹介番組『Japanology Plus』のキャスターおよびリポーターなど。

1951年、ロンドンでユダヤ系ポーランド人の父と、イギリス人とミャンマー人を両親に持つ母の間に生まれる[1](弟のマイケルについては#家族も参照)。大学卒業までロンドン在住[1]。1962年、デビューしたビートルズに強い影響を受ける。11歳から学校でラテン語と古典ギリシア語を学び、高校まで語学に関心を持ち続ける。日本語学科があるイギリスの4大学のうち、男子寮への入寮義務がなかったロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)を選択する。

音楽業界へ

『BARAKAN BEAT』などテレビ・ラジオの音楽番組のパーソナリティを数多く務めている。

また、米国CBSの報道番組を紹介するTBS『CBSドキュメント』において、1988年の番組開始から2014年まで司会を務めた。音楽を中心に仕事をしてきたバラカンにとって、このCBSドキュメントは初めて音楽が関係しない番組だった。そこでプロデューサーと協議して「ブロードキャスター」という肩書きを名乗ることにしたという[9]。』

 昔 『CBSドキュメント』を楽しんでいた私と二人のキャスターが、30年以上の時を隔てて、再会というのではないけれど、お二人の現在に遭遇できたことは奇跡に近いのではないですか。

 『衆議院解散しますよ。濱田さんご準備を!』

 これは中島由美子チャンネルの動画の表題です。この方、本当に頭のいい方で、語彙も豊富です。過日の『恩送り』という言葉も私は初めて聞いて、こういう言葉もあるんだと感心したものでした。つまり、今は拘置所にいる立花孝志氏が、兵庫選挙区で参議院選挙に立候補したとき、兵庫県のために損得度外視で尽力してくれた立花さんのために、『今度は恩返しですよ』と皆さんに叫んだ動画につけられていたタイトルです。でもN国党は全員落選してしまいました。

 その時、濱田氏をはじめとするN国党は次の衆議院選挙では関西の比例区で6人立てて一議席でも取りたいと希望を語っていたのです。その後の立花氏の兵庫県警の逮捕拘束、N国党の解体。NHKのお取りつぶしは高市総理のおかげで見えてきたのに、お金も使ってこんなに尽力してきた党の存在はかき消されようとしています。

 濱田聡氏一人がユーチューブを上げて、衆議院選挙を睨んでいたのですが、次の衆議院議員選挙までは長いとしびれを切らしたのか、京都府知事選に出ると発表しました。その後の突然の解散情報だったのです。

 濱田聡氏は京都府知事選への思いを残していたのか、最初は府知事選を優先すると言っていましたが、多分皆さんに諭されたのでしょう、京都の小選挙区の一つで立候補したいと言いました。皆さんが言ったのは、まさにこの言葉だったのでしょう。『衆議院解散しますよ。濱田さんご準備を!』

 最初の目論見の比例区での6人出馬はもう無理とみんなわかっているのです。立花さんはいないし、お金はないし。でも濱田さんだけでもとみんな思っているのです。

 『がんばれ、濱田』です。

2025年12月20日土曜日

 一週間後

 16時間断食を思い立って早一週間が過ぎました。幸い寒くなって出し入れした縫い物の仕事が急増しまして、朝飯前の仕事には事欠きませんで、一週間、なんとか無事にやり遂げています。

 それで体調がどう変わったかというと、あまり自覚はありません。

 まず、体重は娘に「誤差の範囲よ」と言われるくらい、百グラムとか2百グラムの話です。次に便秘、相変わらずヤクルトを飲んだり紅あずまを食べて、何とか出そうとしています。そうすると以前は下痢になったりしていたのですが、一週間後には下痢は起きませんでした。まだ便秘気味に変わりはありませんが、まともな便に近づいている気がします。

 体調、足の痛みや肩の痛み、おなかの痛みなどは一朝一夕では取れませんが、何か、足の裁きが軽快になった気がします。このところ腰の痛みも出てきていたのですが、昨日歩いたら、足がスムーズに前に出ているなと感じました。これは腸内の荷物が少なくなって、骨盤の動きが良くなったのかなと勝手に想像してしまいました。

 これが続いて、血管のさびがとれるようになると足の痛みや肩の痛み、そして物忘れまで解消されるのかなと勝手に期待を広げてしまいました。

 いやいや、まだ、直接関係のあるお腹の段階ですが。

2025年12月15日月曜日

 自己破産

 「立花さんが逮捕されたって」と娘が叫んで、それが第一報でした。

 その時はすぐに釈放されるだろうと思っていて、他のユーチューバーさん達が騒ぐほど心配していませんでした。やがて、弁護士さんが付き、長引いて、NHK党が実質解党状態になり、それでも釈放されない、何かあるんだろうなと皆さんとは違うことを思っていました。

 その頃、高市政権の発足と軌を一にして反対派の動きが激しくなり、斎藤知事にもSPをつけたほうがいいのではないかと反対派の議員でさえ言い始めました。だから、兵庫県警は一度狙われたことのある立花さんに護衛を付けるくらいなら完全に保護してくれる気でいるのかなあと能天気なことを考えていました。

 やがて、NHK党は実質解党状態になり、その存在意義だった、視聴料の徴収制度に高市政権がメスを入れてくれました。きっと最後の一押しもしてくれるでしょう。「立花さんよかったね」です。正義は勝ったのです。

 でも、ここに来て、拘留状態のまま『自己破産』の話が出てきました。

 個人の借金が5億、党の借金が2億。『やっぱりあるだろうな』とは思っていました。いくら上手にコントロールができていると言っても、頼まれれば、そう状態になって最大限のことをしてしまう。お金のあるなしなんか頭になくなってしまうのです。

 わが家の夫にもそんなところがあって苦労しましたが、あの『ドクトルマンボー』シリーズの作者で精神科医でもある、北杜夫氏が正にそれで、「そう状態の時は次の作品の印税を担保にしてお金を借り、やりたいことにつぎ込んでしまう」と、亡くなられた後に奥様と娘さんが語っていたのを読んだことがありました。精神科医でもコントロールできなかったのです。

 だから私は『自己破産』に大賛成です。今までのしがらみをみんな脱ぎ捨てて、また一から正義のために邁進してください。立花さんにお金を貸した人達はどうせ返ってくるとは思っていなかったでしょうから、文句も出て来ないでしょうし、自己破産した人にこれから貸そうという人は共鳴して出してくれる人ばかりなはずです。身軽になって、また世の中の不正を暴いていけばいいのです。自己実現です。これからもずっとユーチューバーの皆さんと一緒に応援していきます。