本、神谷美恵子著作集第3巻、『こころの旅』 月報(9)
この本、美智子妃殿下の愛読書だと聞いて即、買ったものです。いつのころだったでしょう。妃殿下が療養生活を終えられたころだったと思います。私にだって人に言えないつらい時期はありました。結構言いまくっていましたが。
で、買ってみたのです。ところが、一ページで閉じてしまいました。いわゆる学者さんの本でした。血沸き肉躍るという文章ではありません。それ以来、40年くらいたってしまったでしょうか。つぶす時間に本を読み始めて、またこの本に行き当たったのです。
本の間から、この月報がはみ出ていました。普通は月報はあまり読まないのですが、なかなか気が進まない本体を前にして、ちょっと見てみたのです。
三人の方が、神谷先生の人となり、ご自分とのかかわりを書いていました。
高橋幸彦氏、「神谷美恵子先生と愛生園」。ここで『お』と思ったのです。愛生園って聞いたことのある名前でした。何年か前、隔離されていたハンセン病の患者さんたちが解放されて補償を受けられたという話があって、そのドキュメンタリーをテレビでも何度か放映していました。神谷先生はそこの精神科のお医者さんだったというのです。この高橋先生は神谷先生のお弟子さんで、同じく精神科のお医者さん、東京の大学に転任される神谷先生のあとを託された方のようでした。この文章の中でお二人のやり取りを見ていると、世の中にはこんな誠実な方たちがいるんだと、自分が恥ずかしくなります。そう感じるという事は、私にも誠実のかけらのようなものが少しは残っていたという事でしょうか。
二文目の『神谷先生を偲んで』の田中孝子さんは園の中で看護婦長さんをされていた方でした。前に読んだ『世界の奇談』でライ病に苦しむ患者さんたちの隔離政策の歴史を読んだばかりでしたので、身を投じて看護をしていた方がいたという事も驚きでした。まさに愛生園の看護の歴史を物語ってくれ、その中で神谷先生が、本を書いて印税が入ったから何かに役立ててと寄付をしてくれる様子を描写してくれていました。
三文目は玉川よ志子さんという方で、病気のご主人を看病しながら、神谷先生と文通を重ねた方のようでした。その縁は先生のご尊父とご主人のご尊父が内村鑑三先生の門下だったという事でしたから、あの時代のキリスト教の精神が色濃く感じられました。
氏も育ちも頭もよく、本の裏の経歴を見ただけでも「津田塾大卒、コロンビア大学留学、東京女子医専卒、東京大学医学部精神科、大阪大学医学部神経科勤務を経て、神戸女学院大学教授、長嶋愛生園精神科勤務、津田塾大学教授、医学博士」。
ウキペディアには、そうそうたる家族のメンバーも書いてありましたが、あの時代の波の中で自分を貫いた生き様は尊敬すると言う言葉しか思い浮かばない、激しいものだった気がします。
それはまた、『こころの旅』を読み終えたら、再考することにしたいと思います。先ずは読まなくっちゃ。