2018年11月29日木曜日

人間力

 先日、体操の白井健三氏の密着レポートを放送していました。若いわりにしっかりしているといつも思っていましたが、ああ、こうして成長してきたんだなと分かりました。
 その中で、「日体大に入って、人間力を身に着けることができました。」と言っていましたが、私が感心していたのはこの人間力なんだと思いました。
 その密着は、高校を卒業して日体大の寮に入ったところから始まっていました。日体大の寮って、四人部屋で、各学年一人ずついるみたいです。料理も自分たちでするのか、入寮のお祝いにみんなで鍋を囲み、お赤飯を食べているところでした。
 そんな中で、まだ新入生で、技術も完成されていない健三選手に、先輩方が、見ていてくれて、アドバイスを一言二言くれるのです。もちろん監督コーチもいるのでしょう、女子の選手のニュースでは監督がクローズアップされていましたから。
 で、健三君は自分が四年生になった時は、後輩たちにアドバイスを書いて渡していました。後輩の一人が冊子にできるほどの量の紙類を見せていました。
 これが人間力、人を思いやれる力なのだとしっかりわからせられました。
 で、いつものように自分に置き換えてみるのですが、私には無理といつものように思います。若いころの私は、本当に性格が悪かったのです。たとえ表に出なくっても、自分にはわかります。そうすると、人に好かれませんから、人の言ったことがいちいち自分に向けられた矢のように感じて、恐怖心になり、いつも一人で好きなことだけしていました。
 デモです。この歳になって、十分な考える時間ができて、わずかな年金でもなんとか食べていけるとなったら、人と競争したり、ねたんだりしなくてもよくなったら、自分の立ち位置がわかるようになりました。相変わらず、臆病で引きこもりっぽいですが、人の気持ちが思いやれるようになったと思うのです。この歳になってやっと少しずつ人間力がついてきたということでしょう。
 思えば、白井君が4年で体得したことを、私は50年かかって学んだのです。もう遅いかもしれませんが、それでも、学べてよかったと思います。自分自身が楽に息ができるような気がします。
 

2018年11月21日水曜日

野球は失敗のスポーツ

 広島カープは負けてしまいました。さみしい日々です。
 留学していた息子が帰ってきた、家出していた息子が帰ってきたと言われていた黒田さんも新井さんも引退してしまって、私が苦しい生活の慰めとして夢中で応援していた人たちは、もう監督とかコーチとかの年代になってしまいました。
 表題の言葉はどなたか解説者の方が言っていたのです。「失敗した」「次は成功するぞ」と悔し涙を反骨心に変えて頑張るのだそうです。この間負けた侍ジャパンの稲葉監督も「次につながる」と言っていました。諦めないのですね。
 でも、普通は失敗したら諦めてしまうのです。「もうダメ」という言葉は私が一番使う言葉ではないかと思います。
 若いころからスポーツなんかしたこともなかった私は、いつも安全圏ばかりを狙ってきました。やらなくていいことは極力しない。一番苦手なことは英語でチョアと呼ばれる毎日しなければならない決まりきった雑用でした。つまり毎日同じことをすることが怠け者には苦手なのです。
 失敗して翌年頑張ったのは、どうしても東京に行きたかった大学受験だけだったような気がします。
 でも、考えてみればスポーツってみんな失敗の連続なんでしょうね。半分以上は失敗なんです。それを克服するために頑張って毎日練習をするのでしょう。
 考えるに、私は人の目を気にするタイプだったような気もします。失敗したら人がどう思うかが気になって何にもできなかったのです。ある程度、自分が何がしたいかを知り、自分に集中し、新井さんのように人に笑われても気にしないような図太さが必要だったのでしょうね。でも、新井さんは図太くっても人の気持ちを思いやる繊細さを持ち合わせています。失敗の中で学んだのでしょうか。
 いまさらスポーツはできませんが、広島カープを応援することで少しでも諦めない気持ちを学んで、これからもヨガとストレッチ、毎日続けて行きたいと思います。それから苦手な家事もして、家族に喜ばれるとともに、自分自身のすっきりした体型にも寄与していきたいと思います。これがモチベーションと言われるものでしょうか。
 目標とか、夢とか、モチベーションとか、今思うと、そんなものが大切だったような気がします。

2018年11月15日木曜日

難民問題

 欧州に難民が流れ着く姿は、よくテレビで写されています。何年か前はシリアから、トルコやギリシャに来ていたようですが、そこを封鎖されたらしく、イタリア、フランスが悲鳴を上げだし、この間はモロッコ経由でスペインに来る、でも、モロッコ側で難民をバスに乗せて、砂漠の中に戻し、置き去りにしてくるというニュースもありました。
 みんながなんとかならないかと頭をひねっているらしく、あるお金持ちは無人島を一つ買って、そこに住まわせたらどうだろうかと提案したみたいでしたが、それも間に合わないのでしょうね。
 私も砂漠に置き去りにされた人たちの話を聞いて考えました。あの広いサハラ砂漠をなんとかできないのだろうかと。
 中央アジアのゴビ砂漠では、今、太陽光発電所が建設されていて、余った電力を近隣の諸国に輸出する計画まで立てられているとテレビで見たと思います。その太陽光パネルの下では強すぎない太陽光を利用して農業がおこなわれているのだそうです。電力があれば、水をくみ上げることができるのでしょう。
 どうして、豊かで技術力もあるヨーロッパ諸国はサハラ砂漠の緑化を考えないのでしょう。そこに人が住める環境ができればアフリカの人たちが難民にならなくて済む、豊かな生活を送れるに違いないのに。

2018年11月8日木曜日

台風被害

 この間二度日本列島を縦断した台風。関東地方も南風が吹き荒れて、我が家でさえ、塩害と思える現象で、葉っぱが茶色に縮んでいます。
 まあ、強風だけで、塩害だけでよかったと思っていて、半月くらいたったころ、裏の狭く細長い敷地の草取りは大丈夫かと、散歩がてらの買い物に行くときにちらちらと裏を見やったら、何かトタンのようなものが転がっているのが目に入りました。草除けに下に敷いてあったトタンがめくれ上がったのだろうと最初は思って、そのまま買い物に行ってしまいました。そのまま忘れていて、一週間後くらいにやっと見に行ってみたら、なんとそのトタンは屋根から落ちたもののようでした。
 「本当にうちのかしら」と言いながら、慌てて二階の娘の部屋から見てみると、平屋のほうのぐしが無くなっていました。
 幸いその日は娘の休業日だったので、二人で直すことにしました。築四十年ともなると、下の木材が老朽化して釘が効かなくなっていたのです。吹き飛んだ木材を新しいのに取り換えて、その上に下から運んできたトタン板をかぶせて、釘を打ち付けました。
 リフォーム好きの我が家には、半端な木材とか、釘とか工具とかがある程度はそろっているのです。やる気と体力さえあれば、まあ、なんとかなりそうだと、二人とも思ったのです。
 で、69歳の私が主に屋根の上を歩き回って、釘打ちをして直しましたが、この時ほど、この二年半のヨガ体操を誇りに思ったことはありません。この筋肉と安定感が無かったら、とても屋根の上で二時間ほどの作業はできませんでした。
 翌日から体、主に足腰ですが、痛くなってよたよたしていますが、ちょっとやり残しがある気がするので、次回の娘の休業日には、もう一度屋根に上って釘打ちとペンキ塗りをしてこようと思っています。これも二人いないとできないですよね。仲間に感謝です。

2018年11月1日木曜日

『何があっても大丈夫』

 この言葉、私の座右の銘になってしまいました。
 前にも書いたと思いますが、櫻井よしこさんの本のタイトルです。戦中戦後の厳しい時代をほとんど一人で子供を守りながら生きぬいたお母さんの言葉だそうです。きっと不安がる子供たちをなだめながら、自分自身にも言い聞かせて、心の平安を保っていたのだと思います。
 『言葉をいただく』ということを時々聞きますが、私は、まさにこの言葉を頂いたと思っています。
 年金生活になって、世間の変動に左右されることは少なくなりましたが、人間はいつも不安なものです。だからいつも自分に言い聞かせています。『何があっても大丈夫』

2018年10月24日水曜日

ソビエト抑留

 昔、ソビエト抑留を経験した人から本を頂いたことがあります。
 若い頃だったので、世間知らずの私は金も力もなかったけれども若さという武器を持って突っ張っていました。いわゆる偉そうにしていたのです。
 その方は、地域で河川の清掃などのボランティアをしていると聞いていました。でも、歳とって、何もすることがないんだろうくらいに思っていました。
 今考えると、大変不遜な話です。でも、夫のお仲間は、そういう有閑紳士淑女が多かったのです。
 その本を読んだ時、私は、「この本は私の宝物になりました」という趣旨のファンレターを書いて出しました。
 農家の、いわゆる次、三男だった彼は、志願して、戦争真っただ中の陸軍に入り、中国戦線にいたために、ソビエトに抑留されてしまいました。誰に聞いても厳しい経験だったと言われるソビエト抑留、どうやって生き抜いたかという経験が書かれていました。
 短く言えば、分けあって生き延びたのです。
 例えば、一人が仕事先で、食糧を少しでも貰ったら、独り占めにしないで、必ず仲間で分けたと書いてありました。みんながそうすると、少しずつでも体に食糧を入れられたのです。そうして生き延びたようです。
 なんとか帰国して家にたどり着いた彼は、長兄の亡くなった家の後を継ぎ、農業をしながら、仲間を集めて、社会貢献をしてきたようでした。
 今の世の中、なかなか人と分けるなんかしませんよね。権利意識が強くなってきているのです。
 この間、野生のクルミを取りに他人の敷地に入り込んだと訴えられた人の話がニュースになっていましたが、田舎育ちの私はびっくりしました。だって、私の時代の田舎では野生のキノコやワラビを取りに、他人の山に入るのを、誰も見とがめる人はいませんでした。それを誰かが訴えたのだそうです。まさに『木靴の樹』の世界です。木一本だって地主のものです。
 そういえば、私は一度熟して道に落ちていた梅を拾ってきたことがありました。道に落ちているものは拾ってもいいんだよと聞いたことがあったからです。でも、誰か見ていた人があったのでしょう、それ以後、その道に梅が落ちていることはありませんでした。この話をすると、若い人には「当たり前」だと言われますが、私は、寒気を感じました。豊かな時代になって、人はますます欲深になったような気がします。
 弟が言っていましたが、『金持ちはケチなんだよ、人に分けられる人は決して金持ちにはならない』そのとおりだと思います。
 私は、お祭りの寄付さえケチるような生活ですが、食べ物などはできるだけ分けようと思います。それがソビエト抑留を経験した彼の教えだと思っています。

2018年10月19日金曜日

『木靴の樹』

 (きぐつのき、L'Albero degli zoccoli)は、1978年製作のイタリア映画で、原作・監督はエルマンノ・オルミである。』『映画の題材は20世紀前半の農夫の生活である。イタリア・ネオレアリズモ(新写実主義)の流れをひいて貧しいものの暮らしに焦点を当て、いろいろな場面で本物の農夫や素人を起用した。カンヌ国際映画祭のパルムドールやセザール賞の最優秀外国映画賞をはじめ14の賞を受賞した。原作は東ロンバルディア方言を使用している。』

 この映画を見てしまいました。40年も前の映画だったんですね。どうりで、白黒だったし、Jコムオンデマンドで無料だったんです。それでも、どこかでこれがカンヌ国際映画祭のパルムドールを取ったと聞いて、見る価値があるのかなと思っていたのです。
 暗いし、はじめは状況がわからないし、でも、ロンバルディアの田舎の話だと説明がありました。ロンバルディアはミラノから船で三時間くらいで行けるところらしいと後でわかります。そこに4組だか、5組だかの家族が長屋のようなところに住んでいるのです。みんな小作人で、広い土地を持っている地主は大きな家に住んでいて、土地を耕させ、高額な小作料を取っていて、逃げ出せないようにしているのです。
 やがて、それぞれの家族の問題がゆっくりと説明されていき、ああ、これが寡婦家族とか、これがダメ家族とか、わかってくるのですが、夜の娯楽のために家族たちは一か所に集まって祈ったり、話したり、お茶を飲んだり、あまりに悠長で、途中で私は洗濯しに行ってしまいました。
 その中でも、メインのストーリーになるのは小さな子供のいる家族です。学校に行かせなさいと神父様に言われるのです。赤ん坊も生まれるのにと言いますが、それでも行かせる事になり、子供は毎日田舎道を学校に通います。
 ある日の帰り、木靴が割れてしまいます。そのまま縛って履いて帰ってくるのですが、足が傷ついてしまいます。父親は、赤ん坊を生んだばかりの母親には言うなよと言って、その夜、川岸の木を切って息子に木靴を作ってやります。これが大問題だとは、現代の私たちには思いもよりません。でも、ここは川岸の木一本も地主のものなのです。やがてばれて、家族は追い出されてしまうのです。「赤ん坊もいるのに死ねと言うのと同じだ」と憤りながらも、他の家族はどうすることもできずに、息をひそめて、少年が泣きながら馬車に乗り、去っていく家族の気配を感じ取っています。
 神父様、どうにもできなかったのかなと思ってしまいましたが。
 パワハラって、昔からあったんですね。
 今、サウジの皇太子のパワハラがジャーナリストの殺害にまで行ってしまった話が取りざたされていますが、お金と力を持っている人たちは何でもできる、自分の意に従わなければ、死ねということだってできると思ってしまうのですね。
 みんな、一度は貧乏を経験すべきですね。私が言うのもおかしなものですが。