2024年6月30日日曜日

 減量計画、5か月目、6月30日

  工事期間に入った四月後半は、朝7時に家を出発して、ウイークリーマンションに向かい、そこで朝ご飯を食べて、それから週に3,4回は一日二時間くらいトレーニングルームに通い、そこでお弁当を食べました。夕方、孫のおもりを手伝って、7時に帰って家でご飯。規則正しいようでも忙しいと間食も多くなり、食事時間はごちゃごちゃになりました。

 もちろんできるだけ『グルテンフリー』にして種類を多くするという原則だけは守るようにして。でも、ずっと便秘のコロコロうんちでした。四月最終日の体重は66,8キログラム。0.5キログラムオーバーでした。言い訳は「筋肉ついたし、見た目よくなったから」というもの。ちょうど衣類の出し入れの時期で、昔着られなかった服がぴったり入りました。着られていた服はだぶだぶの感じ。でもよく考えてみると、体調不良の二月にどっと痩せた結果だったかもしれません。

 工事完成の五月、心労がいっぺんに吹き飛びました。一安心ですが、最後に風邪をひきました。業者さんも、一か月の長丁場で、瘦せてしまいました。もう工事はしません。写真はユーチューブに載せて弟に見てもらいます。

 『グルテンフリー』を心掛けてはいたのですが、忙しいとなんでもござれになってしまい、風邪と便秘もあいまって徐々に67キログラム台。最後、意地で66キログラム台に戻し、最終日の体重はなんとか66,9キログラム。

 野菜育てに戻った六月。トレーニングのおかげで、動きは楽ですし、お腹も凹みました。

 週に3、4回はトレーニングにも孫のおもりにも行って大忙し。なので再度始めようと思っていた16時間断食は難しくなりました。量の制限はあまりしないで、『グルテンフリー』を中心に据えて、トレーニングのためにたんぱく質、カルシウム多め、甘いものはできるだけ手作り。朝は手作り米粉パン二枚。でも他のものもたくさんあります。昼のトレーニングの時はおにぎり弁当。おかずはタンパク質と野菜。夜はふつうにたくさん。相変わらず勧められた間食はいただきます。

 と、これで完璧と思っていたのですが、完璧だったのは栄養価のほうで、中旬にはしっかり67キロ台に定着してしまい、時には68キロ台にもなりました。筋肉量だよと言ってくれる人もいますが、さすがに反省しました。

 しかし、16時間断食にも戻れず、カロリー計算もできず、歯医者さんに通ったり、硬いものが手の骨にあたると痛い、多分これが骨密度の低下の症状だと思うのですが、そういうことを考えるとカルシュムのための牛乳、チーズ、ヨーグルトなどは外せなくなり、トレーニングのため、タンパク質は毎食一品、卵は必需品で毎日ゆでておいて二個以上食べています。『まるでアスリートだ』と野球選手やマラソン選手の記事を思い出しています。

 それで最終日は67,9キログラム。一か月で1キログラム増、五か月だと2,0キログラム減。目指したヘルスラボさんのように5か月でマイナス10キロとはなりませんでした。

 もう一つ、考え出した原因は、『夏になったから』というものです。毎年夏になると体重が増えるのですが、たぶん水分を多めにとるからだと思います。体内に水分がないとトレーニングの時や暑いときに汗が出なくなります。

 老婆心ながら、秋口になると、水分の取りすぎで体調不良になりますので要注意。

 『でも』、と言い訳させてください。急激に痩せると本当に顔がしわだらけになります。

2024年6月19日水曜日

 仕事と自己肯定感

 トレーニングでも、ランニングマシーンは苦手で、お勧めの運動メニューでは15分、20分と書いてあるのに、私は10分するのが限度です。忍耐力がないのです。特にただ走るだけ、歩くだけというのは我慢を強いられているようで辛いのです。

 これは今までした仕事にも言えました。事務の仕事、あまり仕事がなくって、暇でいい仕事なはずでしたが、飽きてしまって耐えられなくなって辞めました。そういう仕事は自分で探して、つまり仕事を作り出してしなければならなかったのかもしれませんが、そういう創造力もなく、与えられる仕事を待っていることに耐えられなかったのでしょう。

 これでは仕事になりません。

 自分の社会性の無さを、よく対人恐怖症だなどとうそぶいていますが、じゃあ、どんな仕事だったら皆さんのように長く続けられたのだろうかと考えると、なかなか思い当たりません。

 今、よく見ている刑事もののドラマの中の刑事さんはどうだろうかと考えても、チームワークを必要とする刑事さんが私に務まるかどうかは疑問です。学校の先生もしかり、チームワークの仕事です。医療ドラマは怖くって最初から見ません。一対一で切ったはったは最初から逃げ出したい気分です。多分毎日が後悔の連続でしょう。つまりは、責任を伴うような仕事からは逃げ出したいのです。

 では、『科捜研の女』などで有名な監察医さんなら、相手が相手だから痛いと恨まれることもないからできるかも知れないですが、これは後でうなされるかもしれません。それに、科学的な勉強は苦手な部類でした。

 対人恐怖症などと言っていますが、本当は人間が苦手なのかもしれません。動物も苦手です。今は必要に迫られてやっていますが、運動も苦手。

 今、趣味としてやっているのは、洋服のリフォーム、家のDIY、ブログ書き、ドラマ鑑賞、必要に迫られて、野菜育て。こう見てみると、私は何か、一人でもできる職人さんになったほうがよかったのかもしれません。でも、仕事のできる職人さんはやっぱり、他の職種の職人さんとのネットワークの中で働いているようです。

 一人でできて、生活できる職業なんてあるのでしょうか。つまりは、人と関わらなければ、お金にならないのです。

 そんな中で、自己肯定感を持てることが大事なのではとこの頃思います。つまり、自分のやっていることが大事なことで、人のために役に立っていて、ちょっとの後悔や不協和音もみな忘れさせてくれる、それ以上に充足感を持たせてくれる、それが自分に可能な分野の仕事だったら、そこが妥協点ということでしょうか。この間の東日本大震災で、助けてくれた消防士さんのようになりたいと言っていた子がいましたが、そこにやる価値を見つけたということでしょう。

 今頃わかっても何の役にも立たないことかもしれません。もっと若い時に考えるべきだったのでしょうが、わからなかったより、いいことは確かです。

2024年6月9日日曜日

 骨密度

 このところ、手のひらの薬指のところが、車のハンドルにあたって痛いのです。以前にもそういうことはあったのですが、いつの間にか直っていました。

 でも、今回はトレーニングでマシンを使うので、その握りが原因ではないかと思えて、握るときに何かクッションのようなものを当ててやろうと思っていた矢先、トレーニング施設に骨密度と血管年齢を測る、メグミルクの宣伝隊が来ていました。

 骨密度は、昔測ったことがありましたが、ほとんど平均値でしたので、今度も当然何ともないと自信をもって測ってもらいました。ところがびっくり、五段階で下から二番目のⅮでした。あと少しでスカスカというところでしょうか。

 計測してくれた指導員さんいわく、「骨がスカスカになると、転ぶのが一番怖いですから、転ばないようにしてください。腰でも打つようなことがあると、歩けなくなるケースもありますから。」

 『そういえば、この間、孫と縄跳びをしていて、転んだっけ、あの時ヒヤッとしたなあ』と場面が蘇りました。

 私が一生懸命トレーニングをして、食事にも気を付けているといいましたので、メグミルクは勧められませんでしたが、いろいろなことが思い当たりました。

 前回、骨密度が気になったのは、50代のころでした。そのころ、忙しく仕事をしていて、ちょっと立ち上がろうとすると足の裏が痛かったのです。立ち上がりだけでしたが、たぶん、これが骨密度の減少のせいだろうと思って、少し暇になった頃合いを見て、プールに通い始めました。そしてすぐに痛みはなくなって、骨密度のことはすっかり忘れていたのです。

 でも、今回、手のひらの痛みだけではなく、足の違和感もあったと思い出しました。昨年の冬、足が冷えて、電気毛布のほかにカイロも入れていました。『血圧が高いせいでいろいろ不調が出てくるのかな』と思っていたのですが、『骨密度が低いせいで、血液の流れが少なくなっていたのかなあ』と思えてきました。

 同じ70代後半ののトレーニングのお仲間が、「私もⅮだった」と言っていましたが、彼女は膝が痛いから、トレーニングやプール歩きをしているそうなのです。そうなると、私も怠けてはいられません。確かに運動をした後は、180くらいあった血圧は150から160くらいまで下がります。つまり、運動で血液を押し出す力が強くなって、血管が拡張されるということでしょうか。足の冷えはまだありますが、努力の結果としてこの頃、皮下脂肪が薄くなって、骨がごつごつしてきました。と、同時にしわとたるみがどっと目立ってきました。

 加藤茶さんの奥様の加藤綾菜さんがスタイルを保つために「この歳(30代後半)になって食事の制限をするとしわが増えるのでしない」と言っていました。つまり運動だけということでしょうか。私もこれ、実感でわかりますが、更に私の歳になると、運動だけでも、皮下脂肪が落ちるとすぐに皮膚がしわになります。でも、来年の冬はつらい足の冷えはもう御免ですから、頑張ろうと思います。タンパク質もカルシウムもできる限りとるようにして。

2024年6月3日月曜日

 共鳴

 ネット古本屋の事件もストレスでしたが、古屋の住居工事も結構ストレスでした。特に社会に接することの少ない対人恐怖症の私は、毎日緊張して、ある程度興奮状態で、次々にすべきことを考えながら、活動していました。

 なんとか一か月、最後に風邪をひきましたが、持ちこたえられたのは、一緒にウイークリイマンションで過ごし、ご飯も作ってくれた娘がいたことですし、工事中の時間をつぶすために行き始めたトレーニングルーム、そこでの同年代の人たちとの他愛のない触れ合い、孫たちのお守などのおかげだったと思います。

 そして何よりも心を解き放ってくれたのは、不遜な言い方かもしれませんが、ウクライナで戦っている人たちがいて、私は何もできないが、心から応援しているんだと思うことでした。

 朝はとっさんTVを見て、慰められ、夜は、戦況図を見て、落ち込み、世界はなぜもっと応援できないのだろうと憤りました。宗教戦争と違って、善と悪がはっきりしているのにです。

 これって、心が共鳴するということじゃないかと思います。ドラマを見て留飲を下げたり、涙を流したりすることと同じです。昔英文科で、確か「カタルシス」というのだと聞いたような気がします。

 これが本当にストレスを和らげてくれました。つまり人間には正しいことに共鳴したり、正しいことをしたいという欲求があって、それができているときは心穏やかでいられるのかもしれません。つまり、自己肯定感ですね。

 特に日本人にはそういう遺伝子があると、これはユーチューブ勉強で見ました。本当かどうかはわかりませんが。

2024年6月2日日曜日

 一生懸命する五つの柱のはなし、夫に教わったこと

 私の五つの柱のうちの一つは、ネット古本屋です。これはお金もかかわってくるので、私が社会に接している唯一つの窓です。なので過去にも摩擦は何件かありました。でも、今までは相手方の寛容さと私方の無神経さであまり大きなトラブルにもならずに10年以上やってきてしまいました。

 ところが今回、大問題が起こったのです。「あげた本なので取り下げてほしい」というおしかりのメールが入ったのです。確かに亡夫がいただいた本でした。

 「でもね」と反発心も起きます。

 コレクターの夫が集めたわが家の本は二部屋、三部屋がいっぱいになって物置にまで入っていました。それを捨てたり、古本屋さんに持って行ってもらったり、それでも捨てられなかった夫が残した本で、二部屋分を占領していました。そこに昔英文科の私のもう使わない本。昔ものの私たちは、本は読まなくなってもなかなか捨てられなかったのです。

 それでネットで売り始めたのです。

 社会生活をしていると、どこにでも、トラブルはあるものです。工事期間中でもあり、さすがに慌てました。

 そこで、思い出したのです。昔、交通事故を起こしたときに夫に言われたこと。「起きてしまったことは仕方がない、そのあとどう対処するかが大事。落ち着いて誠実に対処することだ」。不遜な私が40年以上の結婚生活で、夫に教わった数少ないことの一つです。

 それで、取り下げて、『研究書だったので、どなたかのお役に立つかもしれない』と思って売りに出してしまったことへのお詫びとともに「お返ししたい」とメールを送りました。

 実質的にメールの返事はなかったのですが、奥書に書いてあった住所に発送しました。しかし、すぐに宛先不明で返ってきてしまいました。

 「取り下げて、廃棄してほしい」ということだったのだなと、住所を教えてくれなかったことなどを考えると、わかりました。

 出戻りは望まれなかったようでした。でも、夫の言に従って、じたばたとできるだけのことをしたことは、自己満足ですが、『誠実に対処できた』と思えてほっとしています。

 社会って、そういう摩擦の繰り返しのような気がして、いつもびくびくして生きている感じです。

2024年5月20日月曜日

 東北の人

 西村京太郎さんが、1981年に第34回日本推理作家協会賞(長編部門)を受賞したという『終着駅殺人事件』をTverでみました。十津川警部シリーズです。それで西村さん自身が東北の人なのかなと思って調べてみましたら、十津川警部と同じで東京の人でした。

 そのドラマでは、亀井刑事が青森の出身という設定になっていて、東北の人の特徴を代弁していました。情に厚くって、約束は守る、助け合う、ちょっと人恋しいなどなど。

 私も最近、この『東北の人』の話を聞いたことを思い出したのです。

 場所は、工事期間中に通っていたトレーニングルームでした。前にも書きましたが、ごみ焼却炉の熱を利用したプールとお風呂があって、以前はデイケアセンターだったところがトレーニングルームに変更されたという公立の福祉施設なので、お年寄りがたくさん通ってきていて、バスの便もあり、皆さん、お風呂やプールを利用したり、トレーニングルームを利用したり、休憩室でテレビを見たり、囲碁をしたり、講座に参加したり、時間のある人はお弁当を食べたり、昼寝をしたり、ゴールデンウイーク中はお子さん連れも何組かいましたが普段はそんなに込み合ってもいません。

 そこでよくお弁当を食べていた同年代くらいのおばあさん二人と話をしたら、二人とも東北の人だったのです。

 一人は山形の人で、山形で工場労働者として働いていたが、老年になり、息子がこちらで働いているのでこちらに来たと言っていました。でも、悩みがあって、「一日のうちの長い時間をここで過ごしているのだが、なかなか皆さんと打ち解けられない、言葉が違うからかな」と言っていました。確かにもごもごと話す感じでした。「山形はいいよ。雪は多いけど、雪下ろしなんかみんなで手伝って。」

 『ああ』と思って言いました。「茨城は東京に近いし、昔から話し方が喧嘩しているようだと言われるからね。」

 もう一人の人も嘆きました。「初めて来たとき、隣のうちの庭が草だらけだったのよ。それで入って草を取ってあげたら、そこのご主人が『人の家の屋敷に入って余計なことをしないでくれ』って言って怒鳴り込んできたのよ。」これもありそうなことだと思いました。それでいいました。「茨城は豊かなのよ。だからみんな、人に助けてもらわなくっても生きていける。威張っているのよ。人に頭なんか下げない。」その人は青森の人で、やはり次男がこちらで働いているのでこちらに来たけれど、長男が受け入れてくれるなら青森に帰りたそうに言っていました。

 みんな生まれ故郷を離れて生きていくのはさみしいのでしょうね。

2024年5月19日日曜日

 歴史に習う愚

 『歴史に習う』という言葉は良いことだとずっと思ってきました。これも洗脳でしょうか。

 でも、この頃気が付いたのです。習近平氏は毛沢東になろうとしているし、プーチン氏はエカテリーナの領土を取り戻し、スターリンになろうとしている。国の指導者として国民のための新しい道を模索しようとしていないのです。しかも教育で、自身の正当性、国の支配の歴史を教え、国民の頭を洗脳し、古き良き時代に引きずっていこうとしているのです。

 工事期間中も、ウクライナの戦争は気になって、毎日ユーチューブで戦況を追っていました。ちょうど弾薬が枯渇し、苦しい時期で、目を離すことができなかったし、何かに集中していると、現実のストレスが紛れました。

 プーチン氏のプロパガンダや反対派の抹殺行為を見ていると、まるで大戦時の日本のようだと時々思うのです。あの時、戦争に反対して拷問を受けた人々のことを歴史の教科書で学びましたが、あまり自分のこととして考えていませんでした。父は戦争に行き、苦労したようですが、終戦に近かったのが幸いしたようです。伯父はノモンハンで戦ったということで足に障害を負っていました。親戚の人は中将だったといい、尊敬されていました。それらを見ていると、むげに「戦争は・・・」というような意見を言うことははばかられました。

 今はまるっきりの外野の見方として、「侵略戦争は悪だ」と言えます。でも難しいですね。中には「移民も侵略戦争だ」と考える向きもあるのです。実際、ロシアやベラルーシは国境に大量の移民を配置して、隙あらば入り込ませようとしているようですし、今回も「ウクライナに住むロシア系の人々を守る」という侵攻理由でした。

 そういう目的で北方領土にもロシア人を移住させているのでしょうし、旧ソ連の国々にも移住させているのです。これはロシアだけではなく、イスラエルもやっているのです。「そんなことしなくっても、なん百年か後には、世界は溶けているか、一つになっているかなのでしょうに」と思いますが、どうしても自分の夢を遂げたい人がいるのでしょうね。

 昔、あるところで働き始めたとき、そこにある機械を使ってやっと書類づくりを覚えたと思ったら、新しい機械が入ってきてがっかりしたことがありました。またなんとか覚えたら、また新しい機械が入ってきたのです。同じことが社会でも言えました。やっと取引先の名前を覚えたら、大幅な改変があり、会社名から部署名まで全部変わって、どこだっけというようなこともありました。

 機械でも社会でもそうなんです。止まってはいないのです。ましてや昔に戻るわけがない。歴史は私たちが歩んできた道で、現実は歩んでいく新しい道です。習うことはあるかもしれませんが、現実を受け入れ新しく工夫して開拓していく気持ちはもっと大事なような気がします。

 で、私はどうしたかというと、まもなくその会社を辞めました。進取の精神に欠けていてついていけなかったのです。