『やらないんじゃない、できないんだ』に心を突かれたわけ
ユーチューブのこの表題を見たとき、何か、真実を含んでいると感じて、忘れられない言葉になって、結局中身は見なかったのですが、直近に見た不幸なニュースを結び付けてブログを書きましたが、後からもずっと心に引っかかっていて、あぶくのように浮かんできていました。
『何かもっと身近なものに関係しているような』、そう考えたとき、自分にも関係しているとわかりました。
私は何年にもわたって、ダイエットを心掛けよう、痩せようととしてきました。今は年齢のせいもあって70キロですが、若いころは食欲のコントロールができずに、ずっと80キロ台でした。
今はわかります。この間も書きましたが、高血糖と低血糖のはざまで食欲は自分ではコントロールができないのです。『あの頃、人前でも意地汚く食べていたなあ』と、今でも自己嫌悪に陥ります。そうだったんです、『やらないんじゃない、できないんだ』だったのです。
それと、今切実に思うのは、知識の増加です。
子供のころにも思いました。歴史の勉強をしながら、『歴史はどんどん続いていくのだから、今勉強していることよりずっとずっと多くなる。どうしよう』。
歴史は好きな勉強でしたので、そんなに切実ではありませんでしたが、科学的なこと、技術的なことは致命的です。もともと好きではないので、基礎を試験用に詰め込むことでいっぱいいっぱいでした。
例えば、大学に入った時はコピー機さえ使えませんでした。タイプライターはそこで覚え、ワープロや一太郎といった計算ソフトは勤め先で覚えました。でも、今そんな名前を憶えている人たちも少ないと思います。今はウインドウズやクローム、どれがどれかさえ分からなくって、あてがわれたものだけを使っています。
あの兵庫の県民局長さんも、小説を書くような人だから、公用パソコンが県のサーバーに保存されて誰もが閲覧可能なんて知らなかったんだろうと思います。悪いす人ですが、技術の進歩に知識が追いついていなかったのだろうと気の毒にさえ思う事があります。
そして私のユーチューブです。カメラはどんどん進歩していきます。今のカメラは手振れなんてしません。自分を撮ったり、反対側を撮ったりできるみたいです。編集ももっと簡単にできるのではないでしょうか。私はまだ、音声を後から入れたりできないでいます。これはまだ実験していないからかもしれませんが、私が実験を始めるころには、もう次の進歩が始まっているような気がして、戦々恐々としています。
これも『やらないんじゃない、できないんだ』の部類に入るのではないかと思います。やろうという気はあるんですよ。でも、何から手を付けていいか、基礎知識さえないんです。
そうそう、この頃はAIも参加しているようです。