2025年9月25日木曜日

 『やらないんじゃない、できないんだ』に心を突かれたわけ

 ユーチューブのこの表題を見たとき、何か、真実を含んでいると感じて、忘れられない言葉になって、結局中身は見なかったのですが、直近に見た不幸なニュースを結び付けてブログを書きましたが、後からもずっと心に引っかかっていて、あぶくのように浮かんできていました。

 『何かもっと身近なものに関係しているような』、そう考えたとき、自分にも関係しているとわかりました。

 私は何年にもわたって、ダイエットを心掛けよう、痩せようととしてきました。今は年齢のせいもあって70キロですが、若いころは食欲のコントロールができずに、ずっと80キロ台でした。

 今はわかります。この間も書きましたが、高血糖と低血糖のはざまで食欲は自分ではコントロールができないのです。『あの頃、人前でも意地汚く食べていたなあ』と、今でも自己嫌悪に陥ります。そうだったんです、『やらないんじゃない、できないんだ』だったのです。

 それと、今切実に思うのは、知識の増加です。

 子供のころにも思いました。歴史の勉強をしながら、『歴史はどんどん続いていくのだから、今勉強していることよりずっとずっと多くなる。どうしよう』。

 歴史は好きな勉強でしたので、そんなに切実ではありませんでしたが、科学的なこと、技術的なことは致命的です。もともと好きではないので、基礎を試験用に詰め込むことでいっぱいいっぱいでした。

 例えば、大学に入った時はコピー機さえ使えませんでした。タイプライターはそこで覚え、ワープロや一太郎といった計算ソフトは勤め先で覚えました。でも、今そんな名前を憶えている人たちも少ないと思います。今はウインドウズやクローム、どれがどれかさえ分からなくって、あてがわれたものだけを使っています。

 あの兵庫の県民局長さんも、小説を書くような人だから、公用パソコンが県のサーバーに保存されて誰もが閲覧可能なんて知らなかったんだろうと思います。悪いす人ですが、技術の進歩に知識が追いついていなかったのだろうと気の毒にさえ思う事があります。

 そして私のユーチューブです。カメラはどんどん進歩していきます。今のカメラは手振れなんてしません。自分を撮ったり、反対側を撮ったりできるみたいです。編集ももっと簡単にできるのではないでしょうか。私はまだ、音声を後から入れたりできないでいます。これはまだ実験していないからかもしれませんが、私が実験を始めるころには、もう次の進歩が始まっているような気がして、戦々恐々としています。

 これも『やらないんじゃない、できないんだ』の部類に入るのではないかと思います。やろうという気はあるんですよ。でも、何から手を付けていいか、基礎知識さえないんです。

 そうそう、この頃はAIも参加しているようです。

2025年9月21日日曜日

 孤独の道 思索の道

 昔、『雲水』という言葉を聞いたような気がしますが、これをヤフー検索してみますと、 『「雲水とは」のAI回答

 雲水とは、主に禅宗における修行僧の呼称です。

「雲水」という言葉は、「行雲流水(こううんりゅうすい)」という四字熟語に由来しており、雲が特定の場所にとどまらず動き、水が絶えず流れるように、一箇所にとどまらず各地を巡りながら修行する僧侶を指します。

 雲水の主な特徴は以下の通りです。

修行の形態 師を求めて各地の寺院を訪ね、参禅し、師に仕えながら修行を行います。禅宗では、衣食住への執着を断ち、固定した人間関係を取り払う「無一物(一切の所有を断つ)」や「一所不住(一カ所に留まらない)」の精神が重んじられます。

 生活様式 簡素な服装に身を包み、必要最低限の物だけを持ち、現金や食料は所持しないのが基本です。そのため、行く先々で托鉢(たくはつ)を行い、人々からの布施によって生活を維持します。

 別称 「雲衲(うんのう)」や「行脚僧(あんぎゃそう)」とも呼ばれます。

 修行内容 禅寺では、早朝から夜まで坐禅、読経、食事(行鉢)、労働(作務)など、そのすべてが修行とされます。

 雲水は、中国、朝鮮、日本に共通する修行僧の伝統的な呼び名です。』

 今はAIが回答するんですね。

 で何をしゃべりたいのかというと、この間ユーチューブを見ていたら、夫を亡くした人が『私には結婚は向いていなかった』と述べている動画を見つけたのです。いつものように表題だけ見て中身は見なかったのですが、これって、みんなが思うことですよね。仲が良く「一人になったらどうやって生きて行けば」という人もいますが、半数の人はそう思っているのではないでしょうか。特に『昭和の価値観』が色濃い、団塊の世代の我々は今、生死とか別れとかを経験する年代になって、『ああ、そうだったのか』と思うことが多いのではないでしょうか。歳をとって、加山雄三さんのように卒婚とか、上沼恵美子さんのように夫原病で別居とかできる人は、お金持ちだけです。

 私の場合でも結婚生活というのは紆余曲折だらけです。今一人になって考える時間がたくさんできると、私も同じことを考えます。この孤独の時間が、私には雲水の思索の旅に似ているように思えるのです。

 夫は得度をしていて、本当に宗教心があったかどうかはわかりませんが、死に装束は墨染の衣でした。夫の母は大変信心深い人だったので、多分その影響があって、そういう状態でいることが心安らかで、自然体の立ち位置だったのかもしれません。

 もうこの段階で、無神論者の私には、まるっきり理解できないことでした。それでもあのいでたちで、夫は両親のいる世界に向かったと安心しているのです。何度も書いてしまいますが、夫がその衣を着て納棺されたとき、遠くで雷が鳴ったのです。宗教心がない私でも、その遠雷は姑が息子を呼ぶ声だと思いました。私は宗教心はないのですが、そういう人の意志のようなものはそこここに存在すると思っています。だから厄介なのです。つまり、生きていても死んでいても人の意志を身近に妄想してしまうのです。だから、いつも、後悔とか、恐怖とかありもしない妄想にさいなまれて、対人恐怖症だなどとうそぶいているのです。でも宗教心があるわけではないのです。

 夫が亡くなって、コロナで人と会うことが極端に少なくなった時、何か解放感を感じました。『私には結婚は向いていなかった』というユーチューブの表題を見たとき、私と同じだとほっとしました。定年退職と同じでしょうか。

 今、私は雲水と同じ思索の道をたどっていると思っています。一人でいると考えることが多いのです。修行僧は孤独の旅の中でいったい何を学ぶのでしょう。善意、やさしさ、自立の難しさ、人との関係性、孤独の旅は多くの思索を積ませてくれるのでしょう。

2025年9月19日金曜日

 秋の菜園

 スイートトマトの片付けから話を始めなければなりません。暑い中、鉢植えだからと、本当に朝晩水をやり続けたのです。涼しくなればと待っていたのですが、結局、最後は小粒一個しかなっていない状態になって、切ったのです。もう少しなんとかしようがなかったのかと思います。まあ、それで気持ちを切り替えられて、秋の種まきに入れたのですが。

 昨年の経験を踏まえて、種は少しにしました。どうせうまくはできないのですが、できすぎても困るのです。本当に、一個二個三個くらいできれば十分なのです。

 わが家の菜園は、『どうせ草取りをするなら、同じことだから何かなるものを植えて草取りをしながら育てていこう』と思ったのが最初でしたが、昨年の夏は、ナスやオクラ、セニョーラなども植えまして、鶏糞を肥料に使ったこともあり、虫との格闘に終始しました。

 今年の夏は、異常な暑さのせいもありましたが、化学肥料にし、虫の寄ってこなさそうなものを植えたこともあり、薄めたお酢の噴霧だけでなんとか持ちこたえました。去年いたカメムシはほとんど見かけませんでした。

 というわけで、収穫は小さいトマトと、スイカ一個、カボチャ一個、冬瓜四個くらいでしたが、春の収穫の小さい玉ねぎ、小さいニンニク、小さい人参、細い大根なども入れると結構楽しめました。近所の先達の話では「大きくするには土づくりが大事」ということで、やわらかめの残渣は穴を掘ってどんどん埋めていきます。その時に石灰と米ぬかを混ぜて発酵してくれることを心から願いました。生ごみや草などは以前から埋めて肥料にしていたのですが、今回からは買ってきた石灰ともらってきた米ぬかもサービスして地力を回復してもらいます。

 白菜と大根の話はしましたが、ここ二、三日でキャベツと玉ねぎの種を蒔きました。今着々と整備している鉢や畑に植え替える育苗です。10月になったら越冬させる豆類を蒔くつもりです。エンドウ豆とソラマメです。

 『そんなに植えるところがあるのかい』と自分でも自問自答していますが、今はびこっている紅あずまが10月には掘れるのです。昨年はあんなに水をやり、肥料も入れ、一面にはびこらせていたのに、取れたのは細いのが1,2本でした。あまりのショックで、ユーチューブに助けを求めたら、サツマイモというのは厳しい環境で、肥料もやらずに育てるのだそうです。あまり場所を取らせずに、つる返しと言って蔓の先は地面につけずに折り返すようです。で、これを実践しましたが、果たして結果はどうなりますか。とにかく、そのあとに豆を植えます。白菜も暮れには収穫予想なので、そのあとに植えることも可能です。

 皮算用とは楽しいものです。

2025年9月18日木曜日

 菜園、夏の総括

 初心者なので、夏の暑さのせいにはできないと思いますが、種取りしたスイカもメロンもほとんど育ちませんでした。種取りがだめだったのかと思ってメロンの種は捨てました。

 スイカは一本だけ育って、ジャングル状態になりましたが、一個だけ、見つけて早い段階で花合わせをしたのが、ジャングルの中で順調に育っていました。時々覗いて、野菜コーナーのよりは小さめでしたが、それでも虫にもやられず、いじけもせずに育って、45日目、YTに書いてあったころに、お客が来るというので採ってきて、大事に大事にテーブルの上に置いたのです。置いたか置かないかというその時に、パリンパリンと八方に割れてしまいました。水分が多いとこうなるのだそうです。収穫前に楊枝を蔓のところに刺しておくとよいというアドバイスもYTで見ていたのですが、後のまつりでした。のちにお店で見たところでは1280円くらいの値段のものと同じサイズでしたし、粉々に割れた片々はとてもおいしかったです。大反省。それ一つだけであとはなりませんでした。

 市販の種を蒔いたスイートトマトは鉢植えで4鉢ほど。何個か食べましたが、そんなに多くはなりませんでした。

 代わりに、その辺に捨てたカボチャと冬瓜の種が芽を出して大きくなり、場所を占拠しています。カボチャも一個収穫できて、少し早く摂りすぎて、甘くはなかったのですが、カボチャコロッケにしました。カボチャもその一個だけでした。冬瓜は4個なって、一つ目は娘のところ、二つ目は家で、三つめはお隣に貰ってもらって、4個目はさあ、どうしましょうか。

 今は端っこを植えた紅あずまの茎がはびこっていて、その間に大根と白菜を巻きました。一回目は芽が出ませんで、一週間後に二回目を蒔いて、やっと芽が出てきて、秋の畑の始まりになりました。

2025年9月16日火曜日

 入眠に必要なもの

 昔は、夜、本を読もうとして手に持つと、いつの間にか寝ていて、翌日になって一行も読んでいないことが分かったりしていました。

 夫はよくテレビをつけたまま寝ていましたが、この頃私もユーチューブを見ている間にいつの間にか寝てしまっていて、気が付くと二、三時間寝た後の真夜中だったりします。画面の明かりに気が付かないほどよく眠れているのはいいのですし、見たい動画を見ているのですから、精神的には大満足ですが、これは電気代がかかります。ミニマリストはこんなことをしてはいけないのです。

 それで、夜寝るときはやはり本がいいのではないかと睡眠薬代わりになる本を探してみました。最初から本に行くのは無理だと思って、見たい動画なり、ドラマなりを見てからいざ本を取り出すことにしました。

 そしたらちょうどこのタイミングで、TBSのワイドショーで入眠についての特集がありました。それによると、MCさんたちは6~7時間睡眠という方たちが多く、講師さんから、「人それぞれだけど、それより短い人は他の時間にまとめてとるようにした方がよい」とアドバイスがありました。また、入眠方法には「つまらない本を読む」という意見がありました。面白い本だと更に眠れなくなるからだそうです。また、アメリカ軍の方法で、力を入れてから脱力するということを繰り返して、体をリラックスさせるという方法があると紹介されて、これは講師の方に褒められました。ほかに森や自然をイメージできる音楽を聴くというのもありました。

 とにかく、昼間一生懸命体を動かして働いていれば、布団に入ったとき自然に寝てしまうというのが一番健康的のようです。さあ、秋の種まきシーズンです。

2025年9月15日月曜日

 動画計画

 行動計画はたくさん立てておかないと、ある日何もなくなってしまったら、それは幸せだろうか不幸だろうか、などと、考えながら、次から次へと面白そうなことを、結構密な計画表に組み込んでいきます。

 ストレッチ計画から、週二くらいのごみ捨て時間割まで入っているのだから、例えば、ダンベル時間とか、マッサージ時間とか、そのほか、日常の風呂タイム、畑時間とか、縫い物時間、ウォーキングはことさら入れるところもなく、ごみ捨てウオークでごまかして等など。

 これだけ密だと、面倒なことはどんどん後回しになります。その一つがYTの動画アップです。やりたいと計画はしているのですが、いつでもいいと思うと、やらないで済ましてしまいます。

 今やりたいと思う計画は、近くの『計画された都市』の秘密です。そこにはいろんな秘密があって、時々発見しては『なるほどな』と感動しているのです。

 今、動画に何本かとってあるのは昔、農地だったそのあたり一帯に水を供給するために掘られた用水路の現在です。用なしになっても、今は遊歩道の隣の川のような形で残っていて、ある公園まで金アミをかぶせた状態で流れ込んでいます。その公園には水の出口があり、水は池に導かれ、アヒルやカメが暮らしています。それからどうなるのかとか、そこまではどうなっているのかと考えるとまだ未解明で、『いつの日か』となってしまうわけです。

 まあ、慌てないでやっていきましょう。発見があるのはワクワクして楽しいことです。

 血糖スパイク 私が太るわけ

 おなかが空いているときに、好きなものを、例えば、かつ丼とか、カレーとか、おいしいものを幸せに掻き込むと、消化しようとインシュリンがドット出て、血液の中の糖の量がどっと多くなり、高血糖になります。食べ終えて、インシュリンがそのまま出続けると、今度は取り込むものがなくなり、低血糖になります。『低血糖ですよ』と本人にわからせるサインは、眠気、貧血、イライラ、頭痛などなど。私の場合は、ぼんやりした頭で、ふらふらとせんべいに手が伸びるわけです。そうすると、コーヒー牛乳も飲みたくなり、デザートと称してバナナヨーグルトも作ってしまうわけです。

 つまり、食後の血糖スパイクと低血糖が食事活動を華やかに彩ってしまうわけです。

 これがなかなか断ち切れなくって、満腹感で『お腹いっぱい』とはいかなくって、インシュリンが出ている間は次から次へと食べ続けてしまうのです。

 ここで切り替えが必要なわけです。私の場合は庭仕事、縫い物、書き物、YT。これらがなかったら、インシュリンと相談しながら、一日中食べ続けることになるわけです。

 そういう意味でも時間にメリハリをつうまくいくときばかりはありません。ける仕事時間は貴重です。私は今、私時間割を毎日作成して一日を区切りながら生活しているわけですが、うまくいくときばかりはありません。油断をすると、食べ続ける一日になってしまいます。

 これが私の太る理由なのです。わかっているのに制御できない。つまり、私と、私の体は別物なのです。だからどんなに摂食を心掛けてもできない。これ、前にも、なぜ自分の意志で食欲がコントロールできないのかを考察して書いたような気がしますが、忘れていて、再度確認です。

2025年9月14日日曜日

 道場周作、旅人検視官

 この歳になっても、どこかへ行きたいという気持ちはあるのですが、実際にどこに行きたいとは思わなくなりました。もちろんミニマリストですから、費用の捻出は難しいし、旅の細々のわずらわしさ、人間関係など考えたら、体力的にも昨年までが限界と思われます。

 昨年は家の修理工事をし、その後、遠く富山の親戚に、多分最後と思われるご挨拶に行きました。これを済ませて、その後足を痛くしたこともあり、『もういいか』と心のどこかで思っている感じがあります。行きたくても歩けないです。日帰り温泉がせいぜいです。

 かといって、旅番組も見たいとは思わないんです。あれって、私たちが行けないところを見せてくれるのですが、空撮なんかは異次元で面白いのですが、空港からどうやって行くかとか、どんな道を通るかなどは、教えていただいても仕方がないと思えるのです。そういうのは変化が激しいのです。

 そんな中でこの旅人検視官道場周作に出会ったわけです。私の大好きなサスペンスで、張り切ってみたのですが、最初はやっぱり観光地案内が多すぎて「なんかなー」という気持ちでした。二作、三作と重ねるうちに、だんだん慣れてきたのか、または私が「もう行けない」と思うせいか、少しずつ興味が湧いてきました。

 三作目だったか、最新作だったか忘れましたが、『熊野古道』は特によかったです。娘が一度行きたいと言いますが、遠いし、山だし、壮観だけど広大だし。そう思ってみると映る景色のすべてが愛おしくなってきて、旅をしている気分で見てしまいました。。

 演出もそういう年齢層を狙っているのだろうと思えるくらい懐かしい清水美沙さんがヒロインでした。もう一つのほうのヒロインも財前直見さんで、九州のお茶と鰹節の話でした。

 だいたいが内藤剛志さん演じる主人公の名前が道場周作、年寄りには覚えやすい料理の鉄人の道場六三郎さんと江戸時代の剣聖、千葉周作を合わせてつけているなとすぐに覚えてしまいます。次回作が楽しみです。

 ほかのコンピューターでは

 たまたまほかの人のコンピューターを借りたときに、いつも見ているウクライナや、兵庫県のニュースを見ようとしても、なかなか出てきませんでした。ウクライナでも、ロシア寄りの意見やどうやってロシアが勝つかと言った動画が、結構な割合で出てきます。

 兵庫県の問題でも知事の性格を誹謗する動画が一番最初に出てきて二番目も同じようなものでした。三番目はあのチダイ氏が知事の定例会見で、見識のある質問をしたという記事でした。出禁になっていた悪名高いチダイ氏がやっと出られた会見で、同じことをしつっこく何度も聞いていたというのは親知事派の動画では何度も流されていましたから、これらが嘘だとわかってしまうのです。何のメリットがあってこんな嘘の動画を何本も出すのでしょうか。

 何の目的があって、下の歩道橋で「斎藤やめろ」とマイクロフォンで叫び、それを定例会に出ている記者が「あの叫びをどうとらえるのか」と、敵対心満載で質問しているのでしょうか。シバキ隊もそうですが、幹事役の新聞社もどこからお金をもらって頼まれているのでしょうか。「現場の若い記者さんたちは優秀なんですよ」と皆さんおっしゃるのですが、その上で、お金をもらって方針を決定している人たちがいるのでしょう。

 増山さんに続いて、多田ひとみさんも見に行き、更に増山さんが二度目に見に行ったときは異常でした。近くにいた毎日新聞のOBらしき老人が同じ質問を何度もして付きまとってくると言っていました。大勢いた私服警官は危ないからと、増山さんを排除していました。

 いったい、そんな情熱がどこからきているのでしょう。彼らが正当化されたら全くの異常事態です。ロシアや北朝鮮や中国と同じです。

 ふくまろさんやポカいのちさんが本当の斎藤知事の姿を一生懸命伝えてくれていますが、政策を見ても無駄な支出をカットして学校の支援に予算を向ける英断を恐れもなくやっている。何を非難することがあるのかと思います。何もないから「斎藤やめろ」としか言えないのだと思いますが、若い難波文雄氏だけでも理解する側となってほしいと思います。

 チダイさんや菅野完さんは闇のお金をたくさん貰ってしまっていて、やるしかない、それが生きざまになっているのでしょう。

 若い人たちは、県民のために一生懸命な知事の決断を考えてほしいと思わずにはいられません。それが県民の未来のためだと誰にでもわかるはずですから。

 できれば、県議会の議員の皆さんにも党とか会派ではなく、個人として何が正しいかを感じて態度に表してほしいものだと思います。県民に選ばれて、県議になり、報酬も街中を闊歩して高級ホテルに宿泊できるほどいただいているそうじゃありませんか。それ以上利権のために動いたら、誰のための県会議員なのですか