孤独の道 思索の道
昔、『雲水』という言葉を聞いたような気がしますが、これをヤフー検索してみますと、 『「雲水とは」のAI回答
雲水とは、主に禅宗における修行僧の呼称です。
「雲水」という言葉は、「行雲流水(こううんりゅうすい)」という四字熟語に由来しており、雲が特定の場所にとどまらず動き、水が絶えず流れるように、一箇所にとどまらず各地を巡りながら修行する僧侶を指します。
雲水の主な特徴は以下の通りです。
修行の形態 師を求めて各地の寺院を訪ね、参禅し、師に仕えながら修行を行います。禅宗では、衣食住への執着を断ち、固定した人間関係を取り払う「無一物(一切の所有を断つ)」や「一所不住(一カ所に留まらない)」の精神が重んじられます。
生活様式 簡素な服装に身を包み、必要最低限の物だけを持ち、現金や食料は所持しないのが基本です。そのため、行く先々で托鉢(たくはつ)を行い、人々からの布施によって生活を維持します。
別称 「雲衲(うんのう)」や「行脚僧(あんぎゃそう)」とも呼ばれます。
修行内容 禅寺では、早朝から夜まで坐禅、読経、食事(行鉢)、労働(作務)など、そのすべてが修行とされます。
雲水は、中国、朝鮮、日本に共通する修行僧の伝統的な呼び名です。』
今はAIが回答するんですね。
で何をしゃべりたいのかというと、この間ユーチューブを見ていたら、夫を亡くした人が『私には結婚は向いていなかった』と述べている動画を見つけたのです。いつものように表題だけ見て中身は見なかったのですが、これって、みんなが思うことですよね。仲が良く「一人になったらどうやって生きて行けば」という人もいますが、半数の人はそう思っているのではないでしょうか。特に『昭和の価値観』が色濃い、団塊の世代の我々は今、生死とか別れとかを経験する年代になって、『ああ、そうだったのか』と思うことが多いのではないでしょうか。歳をとって、加山雄三さんのように卒婚とか、上沼恵美子さんのように夫原病で別居とかできる人は、お金持ちだけです。
私の場合でも結婚生活というのは紆余曲折だらけです。今一人になって考える時間がたくさんできると、私も同じことを考えます。この孤独の時間が、私には雲水の思索の旅に似ているように思えるのです。
夫は得度をしていて、本当に宗教心があったかどうかはわかりませんが、死に装束は墨染の衣でした。夫の母は大変信心深い人だったので、多分その影響があって、そういう状態でいることが心安らかで、自然体の立ち位置だったのかもしれません。
もうこの段階で、無神論者の私には、まるっきり理解できないことでした。それでもあのいでたちで、夫は両親のいる世界に向かったと安心しているのです。何度も書いてしまいますが、夫がその衣を着て納棺されたとき、遠くで雷が鳴ったのです。宗教心がない私でも、その遠雷は姑が息子を呼ぶ声だと思いました。私は宗教心はないのですが、そういう人の意志のようなものはそこここに存在すると思っています。だから厄介なのです。つまり、生きていても死んでいても人の意志を身近に妄想してしまうのです。だから、いつも、後悔とか、恐怖とかありもしない妄想にさいなまれて、対人恐怖症だなどとうそぶいているのです。でも宗教心があるわけではないのです。
夫が亡くなって、コロナで人と会うことが極端に少なくなった時、何か解放感を感じました。『私には結婚は向いていなかった』というユーチューブの表題を見たとき、私と同じだとほっとしました。定年退職と同じでしょうか。
今、私は雲水と同じ思索の道をたどっていると思っています。一人でいると考えることが多いのです。修行僧は孤独の旅の中でいったい何を学ぶのでしょう。善意、やさしさ、自立の難しさ、人との関係性、孤独の旅は多くの思索を積ませてくれるのでしょう。