2026年7月14日火曜日

 栃木の湯

 私はほとんど毎日車に乗っています。それもロングドライブではなく、あそこに買い物、ここに孫送り、歯医者さんとか、細かい用事ばかりで、そこに来て梅雨による気圧の変動、台風、暑さ寒さの変化、冷房の効きすぎ、睡眠不足、高血圧とか、いろんな要素が重なったのでしょう、腰が痛くなってしまって、昔の古傷の痛みも、例えば、ひざとか、肩とかいっぱい出てきてしまいました。ユーチューブ体操ももちろんしているのです、でもとても追いつかないくらい足腰肩が硬く、痛くなってしまいました。それでも用事は待ったなしです。

 車に乗りすぎると腰を痛めると聞いたことがあります。例えば長距離ドライブをする人はコルセットをしていると聞いたことがあります。これかと思いました。

 それで、ここに来て、月に一、二回娘の普通の日の休みに合わせて、栃木のお風呂に入りに行きます。隣県の栃木には温泉がいっぱいあって安いのです。運転をして付き合ってくれる娘は野菜を求めて「買い出しだ」と言っています。

 面倒くさがりの私はお風呂は好きな方ではなく、いつも『もう出ようか』『もう出ようか』と考えていますが、週日の空いているお風呂は、気持ちにゆとりを持たせ、誰かにちょっと声をかけてみたくなります。見渡せば、みんな同じ年代の人達のように見えます。

 前回、露天風呂で話をしたのは普通の体形の方でした。日傘の下に入りたいからと近づいて来られました。いつものように「茨城から二時間かけてやってきた」と自己紹介のような形で言いました。彼女は「軽トラックで荷物の運送をしていたので、茨城を通って千葉までよく行きました」と言いました。長年仕事をしてきて今は引退といった様子でした。

 そんな話からか、私はもうすぐ免許証の書き換えがあり、認知症の試験まであるのだといつものように不安と愚痴を漏らしたのです。

 「大丈夫ですよ」と彼女は言いました。「そんなに厳しくないから普通に答えていれば合格しますよ」。彼女の自信に満ちたアドバイスには長年の仕事の経験があったのでしょう。私は思わず、「私と同じ77歳くらいですか」と聞いてしまいました。「とんでもない、85歳です」と言われて、その体型といい、長年仕事をして来たという自信に満ちた話の仕方といい、あまりの立派さに面食らって、「私はそろそろ出る時間かな」とか言いながら、逃げるように出てきてしまいました。

 そうそう、運動の話もしていました。毎朝一番に近くを一周歩いて、それから野菜の水かけをし、温泉にはほとんど毎日のように来ている、市民(県民)だと優待があるのだと言っていました。

 今回、お話をしたのは、ちょっと小柄な方でした。更衣室で、私は飲み終えたコーヒーのパックを捨てようとキョロキョロしていたのです。その方は何も言わないのに気づいて、近くの見えづらいごみ箱を教えてくれました。世話好きさんのようでした。

 やがて着替えを始めた彼女は背中のあたりが引っかかっていて降りて来ないので助けを求めに来ました。そんなこんなで話し始め、彼女が戦後生まれであまり戦争の苦労をしなかったといっていたのを機に、「私も23年だから戦後生まれです」ということから話が進みました。彼女は22年生まれの一つ年上、私達はいわゆる、大人数世代の団塊の世代に属していたのです。

 育った環境も実家が農家だったこと、と同じようでした。その時彼女が言ったのです。「あの頃、よく『物貰い』が来たよね」。ちょっと私の地方と彼女の地方の呼び方の違いがあったせいか、最初は何のことかわかりませんでしたが、やがて、そういえば、と思い出しました。家の入口に週に一、二度くらいで食べ物をもらいに来る人たちが確かにいました。「うちのおじいさんがね、あの人たちは本当に困っているのだから、塩をつけたおにぎりではなく、味噌を付けたおにぎりを上げなさいと言ったというので、うちの母はいつも味噌をつけたおにぎりを上げるようにしていたと言っていたわ。」

 その時、私はとても感動していたのでしたが、うちではおにぎりなんか上げていたろうかと考えて、返事もできないまま、ただうなずいていました。そして彼女がもう一度その話をした時、「立派なおじいさんでしたね」と言いました。

 彼女は満足げに「味噌をつけたほうがおいしいでしょ」と言いました。

 この時も私は思い出せませんでした。今思えば、うちではお茶碗一杯くらいのお米をおこもさんの持ってくる袋に入れてあげていたような気がします。

 古い時代のこんな家庭教育の話、今、話す人も思い出す人もいないでしょうね。