2012年6月20日水曜日


チャレンジ ー 百歳まで生きるなら            

     人生六十三歳から

 イメージと言葉が結びつきづらくなって来て、『あれ、あれ、あれ』とか、『あの人何ていう名前だっけ』とか言う機会が多くなって来た今日この頃、不安に煽られて、ぼけ防止の為の体操講座に行ったときの事でした。講師の先生がくださった資料の中に、運動の仕方と並んで、ある統計が載っていました。
 百歳以上の方々が、年々増えて現在5万人いるんだそうです。私達団塊の世代の頃は50万人に達するそうです。ぎんさんのご長寿四姉妹が言っていました、「年寄りは長生きしたらいかん」。
 そうなんです、年金で細々とでも楽しく暮らして、老後は介護保険で見てもらおうなんて、百歳までとなったら大変な事です。本当にそんな生活できるんでしょうか。それも年々少なくなっている若い人達にオンブしての話でしょう。私の周りを見回しても、若い人達は少ない働き口を何とか見つけて、条件の悪い中でも必死に働いています。年金を頂けないと困りますが、『私、このままでいいのかしら』というのも正直な気持ちです。
 それに、そんなのんびりした生活、後40年も続けたら、本当に惚けてしまいます。
 でも、私にできる仕事なんてありませんよね。五十代の頃に、仕事を見つけようとしたときも全くありませんでした。その頃、娘も仕事を探していて、履歴書を百通出したと言っていました。大変な労力です。私も負けずに百通やって見ようかと思いましたが、結局、五、六通で諦めました。百通出しても駄目だったろうと思います。娘の就職試験を一緒に受けた事もあったのですよ。結局、娘は通りましたが、私は駄目でした。
 その内、母の骨折、夫の脳こうそく等、身内の入院が頻発して、仕事のことはすっかり頭の中から消えていました。たまに娘がアルバイトの話など探して来てくれても、「ママはもういいや、忙しいし。」と断り続けていました。
 でも、百歳まで生きるとしたら、なんとか、娘達のお荷物にならないように工夫しないといけません。それに百歳まで生きるとしたら、現在でも家族の中で一番元気な私が一人最後まで生きているのかもしれません。
 夫のリハビリもありましたが、そんな思いで二人であちこちの公民館の体操講座に行きまして、その中で、それぞれにあった体操を見つけました。夫はウオーキング。しばらく独りで行っていましたが、この頃はノルディックウオーキングも始めて、二人で参加させてもらう事になりました。私は歩くの苦手なんです。
 私はその他に夫には無理だと思われるパワーヨーガの教室に通い始めました。その前に三回ほど,年に数日開かれるパワーヨーガの公民館講座に参加させていただいて、これが一番合っていると最初のときに思いました。二回目にはお腹が出ていて胡座のかけない自分を発見してこれは駄目かもと思いました。それでも三回目参加させていただいたら、何とかなるのではないかと少し思いました。そして四回目、今度こそ続けるぞと先生にご挨拶しました。結局、腹筋背筋が弱いんですね。歩けないのも胡座のかけないのも、痩せないのも、背が縮むのも、背中が痛くなるのも。インナーマッスルが無いんだと誰かが言っていました。
 そこで、元同僚に会ったのです。十年前のお話でお互い名前も忘れていましたが、「あれー」という感じです。諸々の話をする中で、彼女はもう一人の元同僚と部屋を借りて仕事を始める事にしたというのです。「今年で還暦よ」と言っていました。もう一人の元同僚も確か私より若かったから、同じ歳くらいです。「私はもう六十三よ」と言いましたが、その時から私にも何かできそうな気が沸々とわいて来ました。
 昔、生涯学習財団の松田妙子さんのお話を聞いた事がありましたが、歳を取ってもお美しい松田さんは、「自分はいつも二十歳若いと考えることにしている」と言っていました。「四十代でこの経験と見識を持っていたらどれだけ強いか分からない」。確かに六十三年の経験と四十三歳の体力があれば、私にも何かできるかも知れないと思えて来たのです。