2019年8月31日土曜日

腸内フローラ六ヶ月後、タンパク質多め,糖質少なめ

 再び思い直して挑んだ6ヶ月目、8月です。
 年寄りにはタンパク質が必要と聞いていたのですが、これ、むやみに多くするとすぐに体重に出て来ます。だから、ついついとってしまいがちな糖質を半分にして見ようと思った訳です。甘いものは一日一個に。
 一週間目、婿は出張に行きました。十日間,娘の家と自分の家を一日、一、二回往復して、孫達のおもりをしながら泊まり、両方の家をなんとか回るようにする役目です。疲れに加えてストレスもたまって、糖質半分なんて全く無理。しっかり食べてしまいましたが、15時間くらいの間歇的断食がある程度できた事で、なんとか現状維持。これは成功と考えたいです。
 二週間目、やっと婿が帰って来て、ほとんど限界だった私も家に帰れ、安堵感と暑さのストレス、盆休み、体重はどんとアップしてしまいました。
 しかし、ここから勝負と考えました。まるで自力Vを無くした我が広島カープみたいです。その負けた試合で、巨人の菅野投手が久々の勝ち投手に成り、そのニュースで言っていましたが、調子のでない中でグルテンフリーの食事に切り替えたら、調子が戻って来たのだそうです。このグルテンフリーはちょっと素人には難しすぎますが、糖質半分とか、気持ち少なめとかだったら出来ない事はありません。タンパク質のお惣菜をたくさん作って冷凍しておきました。タンパク質多め、糖質少なめです。
 三週間目、「さあ、がんばるぞ』と始めたのですが、一、二キロ上がった体重を元に戻すのは大変です。上がる時はすぐに上がるのに。で、やっと68キロ台。こういう時は血圧も容赦なく上がります。そうそう、血圧を下げる為にも痩せたいんでしたっけ。
 四週間目、忙しい夏休みも最期、気合いをいれて、孫たちのオモリ、庭の草取り、伸びた枝の伐採、植物の植え替え、やる事は山積でした。
 そうそう、たわわになったと喜んでいたブドウはある朝、鳥がケンカしながら食べていました。あわててネットを張ったのですが、やっと色づいたと思った辺りは全滅、青いのだけが残ったのですが、こんどは月末の曇天長雨で色もつきません。果樹はむずかしいですね。
 で、中々言いづらかった結論は、やっと68キロ台。一キロオーバーでした。

2019年8月22日木曜日

上の家

 山から流れてくる小川に沿って建てられている実家の敷地は、一軒一軒段になっているのですが、その上の家が取り壊されると、先日弟が言っていました。
 土蔵がいくつも建っている、一時栄華を極めたお宅で、そういう家は地元では評判がいいとは限りませんが、私が知っている範囲では、そのあたりでは珍しく有名私大を出たお父さんは村の教育長をしていました。
 ご夫婦は美男美女で、お母さんは近隣の商業都市の没落した名家の出で、村長さんをしていた親御さんが家格を上げたいためにもらったのだという評判でした。
 だから、三人の子供たちももちろん、田舎に似合わず、垢抜けした美男美女でした。まわりの評判を知ってか知らずか、長男は跡を継がず地元を出て働く道を選び、長女と次女はお母さんの実家のつてで件の商業都市に縁付いたようです。
 一人残されたお母さんが亡くなった後、商売がうまくいかなくなった次女の一家がその大きな古い家を相続したようでしたが、三人の男の子たちはやはりそれぞれに道を見つけて出て行ってしまい、彼女だけがひとり残されてしまいました。
 彼女は弟と同級生で、小さいころはよく遊びました。美人で明るくって育ちのいい人だったという記憶しかありません。
 その彼女も息子さんのところで同居するといい、古い家があっては売れないので壊して土地だけにして、売るのだということでした。
 母が言っていましたが、その家の初代は、天秤棒に息子と荷物を入れ、奥さんと二人、親せきを頼ってやってきたやくざだったということです。それで親せきのやっていた賭場に出入りし、そこで金貸しをして、農家の土地をカタに取り、土蔵を何個も立てるほど稼いだのだということです。その天秤棒に入れられていた息子がやがて村長になり、孫が教育長になり、栄華を極めたのですが、村では用心される存在だったのです。
 こんな映画になるような物語を残して、その周りにびっしりと土蔵と塀を巡らせた大きな古い家はなくなってしまうのです。

2019年8月15日木曜日

サツマイモの葉のお浸し

 家では、血糖値にいいといわれている桑の葉、その他、柿の葉、三つ葉やセリ、厚生省に止められているコンフリーまで、天ぷらの材料にしています。他によく使うのは、シソ、小葱、ニラ、アスパラガスなど、つまり、手近で手に入るものはできるだけ料理に組み込むようにしています。料理法や味などを覚えておくことも自己防衛です。
 そんな中、旅行番組で台湾へ行ったタレントさんが、地元の食堂に行き、地元の料理を食べるという場面を見ることがありました。その中に、この『サツマイモの葉のお浸し』があったのです。
 そういえば、昔、農家だった実家では収穫したサツマイモの弦を干していました。家畜のえさにするのだと言っていたと思います。
 家畜の餌になるくらいですから、『食べられるんだ』とあの時思ったことを思い出しました。
 で、この時もまた『食べられるんだ』と思いました。それで、便秘対策で食べていた『紅あずま』の端っこを切って、空いている狭い土地に沈めてみました。その芽が三個出てきたのです。そこは狭い土地で、とてもサツマイモを育てられる場所ではありませんが、葉っぱを収穫することはできそうでした。
 実際、どんな料理だったか忘れてしまいましたが、とにかく『お浸し』、『炒め物』にもなるかもしれません。うまくいけば、芋も一つや三つくらいは収穫できるかも知れません。楽しみです。弟に言わせれば、こうして未来に思考がつながっていくので、老人が菜園をしたり、花壇を作ったりすることはいいことなんだそうです。
 で、いよいよツタがのびて来て、葉も茂り、食べてみましたが、あまり味は無いようです。調味料で食べるのでしょうか。しょっぱくするとか、辛くするとか。収穫量はそんなに多くないので、我が家では緑のものの一種として料理に加えています。つまり、一日30品目の一種です。一日30品目を摂るのはなかなか大変ですから、一種でも手近にある事は有り難いです。

2019年8月8日木曜日

明日は

 『初日の出 命の限り 明日ありて』、これ、友人の藤澤さんの賀状に書かれていました。彼女は80代ですが、70代の私も同じことをアメリカの80代の文通相手に賀状に書いて送っていました。
 私は『現実の世界では、いろいろ意に染まないことが多いけれども、忙しい明日のために、良い眠りを取りましょう』と書いたのです。
 老人でも、日々の生活の中で、悩ましいことは多々あります。それでも生きていれば、明日は予定もあって忙しいのです。
 そういうわけで、『みんな同じことを考えているんだなあ』と思ったわけです。

2019年8月2日金曜日

腸内フローラ五ヶ月後、67キロ台

 この頃、忙しさもあって、減量目標が変わりました。月に0・5キロですね。一キロだと、ちょっと疲れやすくなる気がします。
 特に八月に入ると、婿の長期出張があって更に忙しくなりました。
 七月前半は梅雨寒が戻ってきて、みんなが体調不良になりました。普段病気をしない私まで風邪と下痢。おかげで体重はマイナス0・5をクリアー、こんなことで喜んでいいのかなと思いました。
 中旬にはなんとか67キロ台に到達。これも喜んではいけない状態です。忙しい連休だというのに、口内炎やヘルペスもどきが現れて、顔中が痛かったのです。これ、流行の手足口病でしょうか。
 でも、お医者に行くほどの事でもありません。特別治療法も無いそうですから。下痢は治ったのですから、あとは快方に向かうだけ。健康保険料は皆さんに寄付しているつもりですから、お医者には行きません。
 と、娘家族の手伝いを辞めてちょっとゆっくり養生していると、また体重はアップ。私は、しごく健康なのです。
 そして婿の出張前の最後の一週間、顔の皮膚病は治りかけてはいるもののまだ治りません、痛い。でも、体調の悪いと言う娘に「ヘルプ」と言われれば,冷たく断る訳にもいきません。
 婿が出張する来月はもっと忙しくなるのだから、「67キロ台にもなった事だし、この辺で辞めておこうかな」という気持ちがだんだん大きくなりました。
 でもなのです。足が痛いのです。右足のかかとの上に、ヘルニアなのか、圧迫骨折なのか、少し出っ張りがあって、そこを圧しても痛いのですが、歩く時はもっと痛くて、少し引きずり気味です。時々、サポーターをしていますが、これって、体重を減らさないと治りませんよね。
 自然のサポーターと言われる筋肉をつける事と、加重を減らす事で、治らないかなと思って、また、『減量がんばるぞ』という気持ちになりました。