本、『無の道を生きるー禅の辻説法』有馬頼底著 2008年集英社新書
これは夫の本です。夫は得度したくらいですから、仏教にあこがれを持っていたのでしょう。この著者の名前は何度か聞いたことがありますが、宗教って詐欺だと思っている私はきっと上の空で聞いていたのだと思います。
読み始めてみると、以前『色即是空』で書いた、『クワイ河に虹をかけた男』永瀬隆さんが言っていた『人間とは価値のないもの、その行動で初めて価値が生まれてくる』という考えに似ていると思いました。それと似たようなことが『第一章、禅ってなんやろ』に書いてあって、少し親近感を持って読み始めました。
第二章からは著者の生い立ちが書いてありました。
1933年生まれということは夫より七歳上、それで夫は親近感を持ってこの本を読んだのでしょう。しかもその生い立ちはまるで夫の尊敬する一休さんのよう。旧華族の出自でも、戦後の家庭崩壊で8歳で寺に預けられる。昔お寺はそういう施設のような役割もになっていたようで、昔のお坊さんには小僧として育ったという方が確かにいました。結構つらい小僧修行ののち、やがて、京都のお寺に入門し、そのままそこで出世していくのです。『臨済宗相国寺派七代管長(相国寺一三二世)に就任。相国寺、金閣寺(鹿苑寺)、銀閣寺(慈照寺)の三ヵ寺の住職を兼ねる』
この経歴を見たときに、私は違和感を感じたのです。『なんでこの有名な三ヵ寺の住職が同じ人なのか』。が、大徳寺の住職になった一休さんを尊敬していた夫は拍手喝采して益々親近感を持ったのではないでしょうか。本の中で、著者はその権限の役職にいたとき、自分で三ヵ寺の寺法を改正したと書いてあります。『まるで習近平さんやプーチンさんのような」と思いました。私は批判心が旺盛なので、ちょっと悪意がありすぎるかもしれません。書いてはありませんが、有名な金閣、銀閣の方が収入があって、本山の相国寺が疲弊してしまうのを防いだというようなことを夫から聞いたような気もします。
そのあとに、養護施設を運営していること、当時の六億円を集めて、美術館を建てたことなどが書いてありました。お寺の蔵の中に眠っている美術品を皆さんに見せたいという思いがあったそうです。確かにこの方は美術に思い入れがあるようで、ご自分が書かれる書も立派なものです。
同時に文化財保護に対しても強い意見があるようで、京都の街並みから茶の湯や能などの文化や西陣織などにまで深い造詣が語られています。当時京都市が行った古都保存協力税に反対して拝観拒否をした中心人物だったようです。夫もこの古都税に大反対をしていましたから、だんだんに著者と夫の接点が現れてきました。
この辺で、『まだ生きているのかしら』と思ってウキペディアを見てみました。まだご健在のようです。その中に『朝鮮民主主義人民共和国とも親しく往来している。在日本朝鮮人総聯合会の式典にも出席し、『故金正日総書記の指導のもとに発展を続ける朝鮮』を讃えた[7]。2016年11月に仏教界代表団として4度目の訪朝をしている。2017年12月24日に大阪府で開催された金正恩著作研究会(北朝鮮・チュチェ思想研究会)結成集会に参加した』という記事がありました。
この旅行を取り仕切ったのは、多分夫の知り合いです。夫は行きたそうに話していましたが、行かなかったのを見ると、旅行代金が相当高額だったのだろうと思われます。そのあとには次のような記事もありました。
『大阪国税局の税務調査により、2009年からの3年間で約2億円の所得の申告漏れを指摘され、修正申告した。所得内容は揮毫料で、使途は文化財購入で個人的消費はしておらず、お金もないと主張している。しかし、相国寺・金閣寺・銀閣寺の三つの宗教法人から受ける給与だけで年間所得は3000万円超だと報道された』
とにかく、地位も名誉もそしてお金もすべて手に入れた、現代版一休さんです。でも、こういう方にはお金を吸い取り紙のように吸い取る腰巾着が必ずついているものです。
最後につらい修行にもかかわらず、仏教が好きで離れられなくてここまで来たと話し、禅に関係する歴史や哲学の造詣を話します。禅は経験を通して学ぶ学問であり、有るのは今だけ、あとは無。確かに地獄極楽の話は一行もありませんでした。これ、自学に似てるなと感じます。自分で考えて学ぶ。