2022年1月27日木曜日

 みんな元気だね、気合を入れる

 ある日ネットにこんな記事がありました。『〈近く結婚へ〉コロナ拡大の中、2週間で5回不倫デート、厚労省の橋本岳副大臣と自見英子政務官が交際』。これだけ人目を惹く立場にいながら、『度胸がいいなあ』』とうなってしまいました。

 人の批判や目が怖くって頭を抱えてしまうような私には考えるだけで恐怖です。

 こんな時、思い出します。貴族の夫を捨て去って、何度も結婚し、父親の違う兄弟たちを何人も生んでくれたという、ベニシア・スタンリーさんのお母さんが子供たちに言ったという言葉。『引っ込み思案は損だよ』『チャンスを逃してしまう』

 彼女は晩年、最後のパートナーとアイルランドでホテルを経営していたみたいです。

 日本には『もときにまさるうらきなし ;』『【意味】、 本木に勝る末木なしとは、いくら取り替えてみても、結局は最初のものが一番よいというたとえ。特に、夫婦関係、男女関係』ということわざがあります。彼女の場合も十分に当てはまりそうですが、彼女はこれらの言葉を息子の嫁に言ったようなので、彼女自身は波乱万丈の人生に後悔をしていなかったのでしょう。

 かくいう私は、引っ込み思案の典型のような『時間つぶしの老後』を静かに幸せにおくっています。

 誰でもこんな時は、『これでいいのかな』と思うもののようです。ドラマを見ていると。

 私も思います。『引っ込み思案は損だよ』『チャンスを逃してしまう』というベニシアさんのお母さんの声が聞こえてくるようです。

 かといって、老人の私に何ができるのでしょう。考えてしまいます。この考えるという行為が『一歩前進』なのかもしれません。いいアイディアが浮かんだら、しぼんでしまいそうな自分となまけ心に気合をいれて、前に向かう。生きるってそういうことなのかなと、ひとりの時間に一人納得しています。

2022年1月15日土曜日

 この歳になると、人生は時間つぶし

 そんな言葉が漏れてきてしまうほど、必死に忙しく時間つぶしをしている感じです。時間割さえ決めてあります。筋トレをして、ごみ出しをして、歯磨きをして、ご飯を食べて、整体のユーチューブ、それから、外回りに行って、用事をして帰ってくると、縫物、掃除洗濯、料理、一日の終わりはネットを見て、ドラマを見ながらマッサージ機にかかり、風呂に入って本を読みながら寝る。このパターンが出来上がりつつあります。

 「もっと有意義に生きられなかったのかなあ」と、来し方を振り返っていると、『小学校で、経済の授業を取り入れるらしい』と聞きかじりました。

 「当然だよね。だって、どうやって生きていくのか、自分に何ができるのか、世の中にどんな仕事があるのか、全然わからないんだもの」と娘も言いました。

 また、入試の季節が巡ってきて、『韓国版大学入試共通試験 ことし唯一の満点獲得者は「仮面浪人女子」だった その徹底した勉強法とは?』という記事が目に入りました。もちろん中身は読んでいません。もう入試はたくさんです。

 入試の勉強って、一種のゲームのようなものだと思います。大人がこぞって、子供たちにゲームをさせているようなものです。少なくとも私は、自分が何になりたいのか、何ができるのか、全く考えることもなく、人と競争して、丸暗記して、大学に行ったような気がします。そして、結局、何にもなりませんでした。

 毎年、入試の季節が来ると思うのですよね。もっと子供たちのためになるシステムはないのか、本当に勉強をしたい人たちに機会を与えられるシステムはないのか、子供たちが迷いながら、自問自答しながら社会に参加するシステムはないのか。

 今、大学生が社会勉強をする機会って、アルバイトだけです。そうして、機会を与えられないまま、就職して、違っていたとなったら、あとは契約社員とか、フリーターになるしかない。自分の道は見つけられない。私のように。

 私が特別とろかったのだとは重々思うのです。なぜなら、同級生たちは先生になった人が多く、定年まで全うしたようですから。

 私のこの時間つぶしの老後は静かで、十分に幸せなのですが、それでも入試の季節になると、心穏やかでなくなるのは、私だけでしょうか。

2022年1月14日金曜日

 ミニマリスト、われらの時代

  今の70代の日本国民は、いわゆる団塊の世代です。親たちは戦中戦後を生き抜き、私たちは戦後のもののない時代に育って、親世代のおかげで確かに豊かさも感じさせてもらいました。

 それでも、われらの世代の人々は、絶対に節約の何たるかを知っている人たちだと私は思います。私がしまり屋でケチなのかなと思ってしまいますが、昔は主流だったのです。

 例えば、同年代の知り合いに、「靴下にツギを当てる」と言った人がいました。もうその頃でも、そういう手仕事をする人はほとんどいなかったのですが、昔からそうしていると、それが当たり前になってしまっていたのでしょう。ちなみに、戦中生まれの夫は、底が薄くなってくると底を上にして履いていました。二倍長持ちするはずです。

 その頃、というのは、私の子育て時代のころですが、既製品と言われる衣類がどんどん出てきましたが、まだ布地を買ってスカートやブラウスを作る人はたくさんいて、いわゆる手仕事のできる世代でした。その頃の、新聞の投稿欄に、「パンツを手作りしている」という記事が載っていました。ご主人が「そろそろ、古くなってきたから、新しいのを作ってくれ」と言ったのだそうです。奥さんは新しい綿生地を買ってきて作ったと書いてありました。

 そこはそれ、なんにでもすぐに影響されてやってみてしまう私ですから、古いパンツをばらして、型紙を取り、いらなくなった浴衣地や古いTシャツで作ってみました。結果、夏は浴衣地や綿のもの、冬は伸びちじみのするニット生地のTシャツをリフォームしたものが着心地がいいとわかりました。市販のパンツよりずっと着心地がいいのです。

 で、新しい生地で作って、娘たちや姪にあげたのですが、即、返されてしまいました。

 今、困窮していて、紙おむつが買えないというシングルマザーの訴えがありましたが、私たちのころは、紙おむつを使わない世代でした。古い浴衣地を母が直したおむつとおむつカバーで、毎日洗濯して使いました。昔のやり方がよいとは思いませんが、今はものが豊富になり、使い捨ての時代ですから、節約の下地がないような気がします。だからミニマリストというと珍しがられるのです。

 でも、われらの世代、特に親の世代の人々が、今いうところのミニマリストだったわけでもありません。何せ、物のない時代ですから、手元にあるものは何でもとっておいた、捨てられない世代でもありました。手元にあれば、いつか使える、いつか役に立つと思っていたのです。そういう傾向は、私なんかにも大いにあります。どれを断捨離するか、選ぶのが大変です。

 近所の人が、親の家を片付けていて、「箱がたくさんあるから、なんだろうと思って開けてみると、空箱ばっかりだった」と閉口していました。いつか役に立つだろうと思っていて、あればそれなりに役には立っていたのでしょう。

 姑や母の衣類もそうです。いつか着る機会が来ると信じていたのでしょう。私にもその傾向があって、みんな直して掛けてあって、娘に「体は一つよ」と言われています。体もそうですが、時代差もあります。昔は何でも、夏は綿、冬は毛でしたが、いまは全く違います。夏には発汗性の化学繊維がありますし、冬には起毛させた温かい、洗濯も簡単な化学繊維が主流です。古い毛百パーセントのコートを直してあげても誰も喜ばないのです。それでもミニマリストを認じる私は直してきています。私は知っているのです。あの頃は高かったのですよ。

 私の世代の人たちは、結構みんな無意識のうちにミニマリストをしているような気がします。言い換えれば、節約家という事です。

 近所の同年代の人たちは、まあ、年金世代になって時間もできたからでしょうが、畑で野菜を作っている人がたくさんいます。草取りが大変だと思いますし、買った方が安いという指摘もありますが、自分が作ったという安心感は何物にも代えがたいようです。ミニマリストとしては自給できているという満足感もあるのでしょう。

2022年1月7日金曜日

 英国ミステリー噂話、またメジャークライム、作ってる人はどんな人。

 あまりに環境が自由で、同性愛あり、マイノリティーの優秀な警官たち、養子、アルコール依存、ギャング抗争、アメリカ社会のありとあらゆる現象を取り入れて物語が展開してゆく。俳優さんたちも役になり切って、体当たりで演じている。一体どんな人が総指揮をして作っているのだろうと思ってしまいました。

 ジェームズ・ダフという人らしいです。私が知っていることは、ワトソン予備警官役のフィリップ・P・キーンと同性婚をしているらしいという事だけです。

  さて、ウキペディアに行ってみましょう。と意気込んで調べたのですが、出ていませんでした。

 一つだけインタビュー記事があって、その中にこんな記述がありました。どうやら最初に有名になったテレビ脚本が『クローザー』だったようです。それから『メジャークライム』へとつながったようです。

 『ニューヨークで役者とアルバイトの合間に書いた芝居がウケて、ロンドン、ヨーロッパから全世界で興行に。映画の脚本を書くためにロサンゼルスに越して来て、居ついてしまいましたが、映画になるまでの時間は、氷河が溶けるのを待っている感じで…(笑)。初めて書いたテレビ用脚本がエミー賞候補にあがって、それ以来テレビです。企画の進行が抜群に早くて、物書きには魅力ですが、その分怖いし、挑戦ではありますね。』

 年齢も書いてありませんでしたが、『クローザー』は2005年に始まったようですからまだ若そうです。ちなみにフィリップ・P・キーンの記事を読んでみましたら、彼は1966年生まれだそうですから、そのくらいでしょうか。中に、『Phillipと夫のJames Duffはすでに20年間一緒になっており、2013年に結婚しました。DuffはThe Closer and Major Crimesの創設者です。』という記事がありました。

 結果として、若くて、いろんなことに関心があり、いろんなことを鋭敏に察知する能力がある人という事でしょうか。なんとなく、台湾の蔡英文総統を思い浮かべてしまいます。

 本、『無の道を生きるー禅の辻説法』有馬頼底著 2008年集英社新書

 これは夫の本です。夫は得度したくらいですから、仏教にあこがれを持っていたのでしょう。この著者の名前は何度か聞いたことがありますが、宗教って詐欺だと思っている私はきっと上の空で聞いていたのだと思います。

 読み始めてみると、以前『色即是空』で書いた、『クワイ河に虹をかけた男』永瀬隆さんが言っていた『人間とは価値のないもの、その行動で初めて価値が生まれてくる』という考えに似ていると思いました。それと似たようなことが『第一章、禅ってなんやろ』に書いてあって、少し親近感を持って読み始めました。

 第二章からは著者の生い立ちが書いてありました。

 1933年生まれということは夫より七歳上、それで夫は親近感を持ってこの本を読んだのでしょう。しかもその生い立ちはまるで夫の尊敬する一休さんのよう。旧華族の出自でも、戦後の家庭崩壊で8歳で寺に預けられる。昔お寺はそういう施設のような役割もになっていたようで、昔のお坊さんには小僧として育ったという方が確かにいました。結構つらい小僧修行ののち、やがて、京都のお寺に入門し、そのままそこで出世していくのです。『臨済宗相国寺派七代管長(相国寺一三二世)に就任。相国寺、金閣寺(鹿苑寺)、銀閣寺(慈照寺)の三ヵ寺の住職を兼ねる』

 この経歴を見たときに、私は違和感を感じたのです。『なんでこの有名な三ヵ寺の住職が同じ人なのか』。が、大徳寺の住職になった一休さんを尊敬していた夫は拍手喝采して益々親近感を持ったのではないでしょうか。本の中で、著者はその権限の役職にいたとき、自分で三ヵ寺の寺法を改正したと書いてあります。『まるで習近平さんやプーチンさんのような」と思いました。私は批判心が旺盛なので、ちょっと悪意がありすぎるかもしれません。書いてはありませんが、有名な金閣、銀閣の方が収入があって、本山の相国寺が疲弊してしまうのを防いだというようなことを夫から聞いたような気もします。

 そのあとに、養護施設を運営していること、当時の六億円を集めて、美術館を建てたことなどが書いてありました。お寺の蔵の中に眠っている美術品を皆さんに見せたいという思いがあったそうです。確かにこの方は美術に思い入れがあるようで、ご自分が書かれる書も立派なものです。

 同時に文化財保護に対しても強い意見があるようで、京都の街並みから茶の湯や能などの文化や西陣織などにまで深い造詣が語られています。当時京都市が行った古都保存協力税に反対して拝観拒否をした中心人物だったようです。夫もこの古都税に大反対をしていましたから、だんだんに著者と夫の接点が現れてきました。

 この辺で、『まだ生きているのかしら』と思ってウキペディアを見てみました。まだご健在のようです。その中に『朝鮮民主主義人民共和国とも親しく往来している。在日本朝鮮人総聯合会の式典にも出席し、『故金正日総書記の指導のもとに発展を続ける朝鮮』を讃えた[7]。2016年11月に仏教界代表団として4度目の訪朝をしている。2017年12月24日に大阪府で開催された金正恩著作研究会(北朝鮮・チュチェ思想研究会)結成集会に参加した』という記事がありました。

 この旅行を取り仕切ったのは、多分夫の知り合いです。夫は行きたそうに話していましたが、行かなかったのを見ると、旅行代金が相当高額だったのだろうと思われます。そのあとには次のような記事もありました。

 『大阪国税局の税務調査により、2009年からの3年間で約2億円の所得の申告漏れを指摘され、修正申告した。所得内容は揮毫料で、使途は文化財購入で個人的消費はしておらず、お金もないと主張している。しかし、相国寺・金閣寺・銀閣寺の三つの宗教法人から受ける給与だけで年間所得は3000万円超だと報道された』

 とにかく、地位も名誉もそしてお金もすべて手に入れた、現代版一休さんです。でも、こういう方にはお金を吸い取り紙のように吸い取る腰巾着が必ずついているものです。

  最後につらい修行にもかかわらず、仏教が好きで離れられなくてここまで来たと話し、禅に関係する歴史や哲学の造詣を話します。禅は経験を通して学ぶ学問であり、有るのは今だけ、あとは無。確かに地獄極楽の話は一行もありませんでした。これ、自学に似てるなと感じます。自分で考えて学ぶ。