2023年12月24日日曜日

 一生懸命する五つの柱のはなし、工藤夕貴さんの場合

 『厚切りジェイソンさん一生懸命する五つの柱』というタイトルで、以前に、ピン芸人、投資家、IT会社役員、IT技術者、後は何だったか、アメリカにマンションを所有していて貸しているという話もあったと思いますし、よき家庭人のようでもありました。それで、「そのどれがジェイソンさんの仕事?」と聞かれて、「これらすべてが自分だ」と答えたのです。

 あまりのみごとな収益性に、私は自分の『一生懸命する五つの柱』のはなしはできませんでしたが、今回、同じように何本もの柱をもって生きているという工藤夕貴さんの話を『徹子の部屋』で見てまたまた大感心してしまいました。

 五十代になったということでしたが、お父さんの井沢八郎さんが私たちより少し上の世代でしょうか。昔、アイドルとして活躍していた時代の愛くるしい姿はよく覚えていました。

 その彼女がアメリカに行って、ハリウッドで俳優になったという話は聞いていました。ここまで日本でキャリアを積んでいたのにどうしてと思っていましたが、経歴を見ると日本でもアメリカでもたくさん主演賞をとっていたようです。派手ではないけれど、着実に実力をつけていたのでしょう。

 その彼女が三十代で日本に帰ってきて、またキャリアを積み上げていくのですが、その過程で何本もの柱を建てて生きているさまが語られていました。

 まず、お父さんの井沢八郎さんの『ああ、上野駅』を歌い次ぐという形で演歌歌手になり、俳優業も続け、富士宮で、無肥料無農薬の農場を持ち、再婚もし、近くにカフェを開き、後は何をしているのでしょう。すべて自分、自分のやりたいことを一生懸命しているという様子でした。

 私も負けずに自分の生きる柱を数えてみましたが、やっぱり五本ぐらいはあります。最近は野菜も育てて、リフォームDIYもして、忙しいですが、やはりあまり収益性はないので大きな声で自慢できるほどのものではありません。でも、きっと私のように収益性の無い、大きな声で自慢できるほどのものでもない、『一生懸命する五つの柱』をもって生きている人は多いのではないでしょうか。

2023年12月17日日曜日

 近頃のユーチューブ 身体に悪い食事の話

 ユーチューブウオッチャーになってしまった私は、まるで立ち話で知識を獲得するように興味シンシンで次から次へとユーチューブサーフィンを繰り返しています。

 最初はウクライナが気になってどうなったかどうなったかとニュースを探していたのですが、最近はイスラエル、中国の話題が多く、ウクライナのニュースはあまり出てきません。

 もちろん、整体ストレッチ、畑、ダイエットの話題は以前から見ていましたが、このところ、身体に悪い食事の話が頻繁に出てくるようになりました。一度その話題を見ると、特化して出てくるようになるようです。中でも多いのが、人工的な食品の話です。

 昔から人工甘味料、ショートニング、保存料、化学調味料、遺伝子組み換えなど、アレルギー家族を抱かえていると、知識としては知っていて、旅行に行った際、お土産屋さんの店先で、一生懸命チェックしていたら、お店の人に、「そういうものを気にしていたら、食べるものが無くなりますよ」と嫌な顔をされた覚えがありますし、娘には「お店の前で、大きな声で言わないでよ」と注意されたこともありました。

 最近のユーチューブの知識では、加工肉というのが出てきました。ウィンナ、ハム、ベーコンなどのようです。いろいろ入っているので注意品目にはしていたのですが、おいしいのですよね。特に魚嫌いの多い我が家では消滅させることは難しくて、時々冷蔵庫に入っています。

 次に気になったのが、パンの話です。普通の食パンでもショートニングが入っている話は有名でしたが、柔らかくするためとか、保存をよくするためとか製パン屋さんはそれなりに工夫をしているようです。我が家でも、時々買ってきます。それで主食ができてしまうとなったら、便利ですし、調理パンや菓子パンならばおかずも一緒にとれてしまいます。私はパン焼き器を使って時々食パンを焼くのですが、私しか食べません。恩知らずどもが。

 最近気になったのは、コンビニで売られているお弁当のトレイの話です。電子レンジでチンすると生殖器に悪さをするよくない物質が染み出すようです。この話はわりかた知られているようで、トレイごとチンしてはいけないと言われたことがありますし、コンビニの店員さんでも、あまりチンはお勧めしない人もいます。でも、便利なのでついつい買ってしまうこともあります。もうやめます。

 そういえば、昔、お坊さんの奥さんが、ご主人は「あまり調理をしない、素のままの食材が好きです」と話していられましたが、それが一番なのかもしれません。大根おろし、魚の煮物、果物、手作りみそとはいきませんが、みそ汁。

 私は外食をするとてきめんに体重が増えます。娘の話では塩分が多いので水分を取りたくなるせいだろうということで一部納得していたのですが、それだけではないような気がしていました。たくさん食べたはずなのにお腹が空くのは、胃が拡張して、脳が「まだ入る、まだいっぱいじゃない」と指令を出しているのか、とにかく、脳の満腹中枢が馬鹿になっている感じがします。近頃のユーチューブの知識では、食物繊維をとると脳が適正に働くということでしたので、今は「食物繊維、食物繊維」とキョロキョロしながら食べものを見回しています。

2023年12月9日土曜日

 今になって分かる事

 生きてゆく、生活って面倒なものだと思います。風呂に入らなければ臭くなるし、食べなければ生きられない。食べるのはお腹が空くから自然に無意識のうちにでもできてしまうし、衣類も暑さ寒さに追い立てられて、いつの間にか準備をして着替えています。

 昔、姑に聞いた『衣食住』です。住は何とか長期計画で建てて、DIYをしながら持ちこたえますが、私はお掃除が苦手でした。お風呂もお掃除のようなものです。あまり得意な人はいないと思いますが。

 姑でさえ、大掃除は暮れに一回、大がかりにやって、後は朝、掃除機をかける程度でした。実家に至っては共働きでしたから、大掃除は暮れの31日、ほおかぶりで作業服姿の父を先頭にして、笹竹を使ったすす払いから始めました。古い家の話です。このお掃除は学校でもやらされました。朝の掃除、帰りの掃除、学期ごとの大掃除。お掃除は時間と時期でするものと、洗脳されていたような気がします。

 でも今、夫も亡くなり、暇もでき、こまめに運動をしていると、結構埃が気になります。人がそんなにいないのだから、綿埃なんかできなくってもいいと思うのですが、一週間するともう大きくなっているのです。そこで掃除機。

 あとはDIYでカーテンを取り換えたりすると、サッシの窓枠に積年の土埃が溜まり、積年の垢は拭いても落ちません。この際と思って、窓ガラスを拭くと、雑巾が真っ黒になりました。

 今、まさに暮れの12月です。掃除の苦手な私は例年、暮れの大掃除はしませんが、さすがに緊張はしているのです。それで、気が付いたところはすかさず掃除しているのです。

 そしてこれでいいのだと確信しました。

 気の付いたところはすぐ掃除する。気が付いた事はすぐに実行する。例えば、海苔の乾燥剤がたくさん余っていたっけ、あれは捨てるか、そうだ、衣装ダンスに入れて乾燥剤として使おうと夜思ったら、朝を待たずに入れて回る。それで、余った乾燥剤はすっきり片付きます。DIYでカーテンを取り換えた時も、カーテンの洗濯、窓枠掃除、窓拭き、網戸拭きと一か所ごとですが、まとめてやりました。外の窓掃除は一気にまとめて暖かい日にやりますが、これで内側だけはオーケー。

 で、何に気が付いたかというと、掃除は時間と時期に左右されずに、気が付いた時、不快に思った時にやればいい、これも、お腹が空いたときに食べるのと、暑さ寒さで服を脱ぎ着するのと同じなのだと今更ながら気付いたのです。

2023年12月8日金曜日

 徹子の部屋〈湯原昌幸 荒木由美子〉結婚40年!夫からの“感謝のサプライズ”で妻が号泣


 TVerで『徹子の部屋』を時々拝見して、お元気そうな懐かしいスター達の現在をのぞき見するのですが、このお二人は昔はそんなに知らなかったのです。でも、見てみたいと思ったのは、おきれいな荒木由美子さんが、結婚して芸能界を引退、湯原さんのお母さんの壮絶な介護を二十年間して、今また芸能界に復帰したという話が有名だったからです。

 もう、76歳と63歳になられたそうです。

 介護の時のお互いを思いやる行動の数々も立派だなあと思ったのですが、一番感動したのは、『黒柳が「でも介護を初めて20年。86歳でお母さまは亡くなったんですけど、お母さまはどんな様子でしたか」と尋ねると、荒木は「最期はもう本当に認知症だったのかと思うほど、酸素もこうやってやってるんですけど、“おばあちゃん、何やってもいいよ”って言ったら、あたしのおでこをなでて、頬をなでて、“ありがとう、ありがとうね、由美ちゃん。これから先は由美ちゃんに悪いことは一つもないよ”って言って、眠るように亡くなりました」と述べた。』というくだりでした。

 「いつも守られていると思う」と言っていましたが、確かにそうだろうと納得しました。

 今は息子さんも結婚して独立し、初めて二人だけになったというのですが、普通ならこの歳では老人夫婦のなれ合いになってしまって、静かな老後という感じなのですが、そうしないために、年に30くらいのイベントを考えて実行すると言っていました。つまり二人でするイベントなわけで、それまでできなかった旅行とかでしょうか。

 見ていて、また地頭(ぢあたま)のいい人を見つけたと思いました。自分の頭で考えて伝え、自分の頭で考えて人生を生きてゆく。お二人のこれからに幸多かれと願ってしまいました。

 ついでと言っては失礼でしたが、湯原昌幸さんの楽曲をユーチューブで探して聞いてしまいました。『雨のバラード』が有名みたいですが、『冬桜』も素敵でした。私のユーチューブ歌コレクションにまた一人加わりました。三人目です。

2023年12月7日木曜日

 温活一週間

 石原新菜さんの『温活』のすすめの動画を見たのは、マッサージをし過ぎて、『咳をすると胸が痛くなる』、『風邪気味で咳がよく出る』ようになる前だったと思います。いつかやろうと思っていたのですが、安静にしていて少し痛みも咳も楽になったと思った頃に始めました。

 彼女のおススメは「腹巻、全身浴、身体を温める食べもの」だったと思いますが、これを私流にアレンジしました。

 まず『腹巻』は面倒なので、『長めの上着の重ね着』にしました。

 『全身浴』はできるだけ毎日入るようにして、その他に『カイロ』を一日一、二か所張ることにしました。私の車アルトは運転席のシートにヒーターが入るのでそれも活用すると、結構暖かく過ごせます。

 『身体を温める食べもの』は『ショウガ紅茶』とか、あまりなじみのないものだったので(娘がガリを買ってきてくれましたが)、『冬の野菜をたくさん食べること』『食物繊維のあるものを食べて便秘を治す事』に専念しました。

 石原新菜先生はお医者さんで自分の体調が悪くなった時に、同じお医者さんのお父さんに相談して、『温活』をすすめられ、体調を改善したと言われていましたが、そのお父さんというのが石原結實先生でした。その時『私この方の名前に聞き覚えがある』と思いました。調べてみると、やっぱり昔読んだ本を書いた方でした。その本は『断食』の本で、ちょっとだけ試してすぐに諦めた記憶がありました。

 一週間経ってみると、咳が少なくなって、胸の痛みも消えたせいか、ずいぶんと体の動きが楽なような気がします。今年は暖冬のせいもあるでしょうが、暖かいです。

 考えてみれば、わが家はアレルギー家族なので、石油ストーブやガスストーブはいつの間にか室内から消えて、暖房は電気だけになっていました。夫がいるときは室内温度を気にしてこまめに付けたり切ったりしていましたが、亡くなってからは、天井裏の生き物を気にして足温器とか電気カーペット、電気毛布以外はつけないようにしていました。さすがに厳冬の昨年2022年は寝室を小さいほうの部屋に移しました。

 DIYに目覚めた今年はガラス戸の前にビニールのカーテンを取り付けたり、プラダンというものを張ったり、いろいろ、動画で学んだことを実行しています。

 そういえば、認知症や癌などの成人病は身体の炎症からおこるんだそうですか。そう説明する動画を見て、早速『抗炎症効果のある食べ物』を調べました。玉ねぎ、ブロッコリー、リンゴ、オメガ3(EPA、DHA)、鮭、スパイス、緑茶、コーヒー、アブラナ科の野菜、しょうが、鶏むね肉、アーモンド、キノコ、マイタケ、オリーブオイル、エゴマオイル。重複していますが、身近なものはこんなところです。これは身体を温める食品と似ています。

 歳をとると、学ぶことはますます増えてきます。

2023年12月3日日曜日

 悪いことばかり考えてしまう。

 昔、この言葉を何度か聞いた覚えがあります。言っていたのはお年寄りか病気がちの人だったと思います。

 なんでこの言葉を思い出したかというと、一週間前から、咳をしただけでも胸が痛くって、何もできなかったのです。マッサージのやりすぎだと思い当たる節があったので、この一週間、一切の運動を止めて、病人のように安静にしていたのです。おかげさまで、くしゃみをするとまだ痛みはありますが、他の動きには支障がないので、今日からまた運動計画の始まりです。

 ただでさえ、対人恐怖症等とうつっぽいことばかり言っている私なので、安静にしている間、頭に浮かんでくることがまさに『悪いことばかり考えてしまう』そのものだったのです。でも『小人閑居して不善をなす』の悪いことではありませんでした。

 昔、若いころに他の人がこれを言うのを聞いたときは、死のことかなと心の中で思っていたのですが、私の場合はそうではありませんでした。

 私の場合は、今までの人生の中でのいろんな罪悪のようなものが胸に去来して、脳をチクチクと刺すのです。後悔と言えば後悔かも知れませんが、自分にはどうしようもなかった。例えば、みんながやりたいと言っていたことを、私一人が「やりたくない」と言って、その計画が取りやめになった学生時代のこと。引っ込み思案でそれこそ自己中の私にはみんなと一緒に何かをするという選択肢は今でもないと思うのですが、今でも、皆さんのがっかりした顔が思い浮かぶのです。

 あとは、意図せずに押し倒してけがをさせてしまった時のこと。あのケガ、大丈夫だったかしらと何度も思い出すのです。

 閑だと確かに『悪いことばかり考えてしまう』。後悔は悪いことではありませんが、何もすることがないと、頻繁に出てきてこころを苛むのです。

 人間はやっぱり、今を一生懸命、心も体も動かして生きていないと、萎んでしまうのかなと思いました。

2023年11月25日土曜日

 リアルコロナ後の世界

 『金持ちはますます金持ちに、貧乏人はますます貧乏に、これがコロナ後の世界だったようです』と以前(2021年頃)に書いたことがありました。

  今(2023年も終わりに)、コロナの規制から解放されて、皆さん自由に動き回れるようになってみると、どうでしょうか。

 2022年下旬から23年上旬の冬は寒かった。コロナで人間の活動が停滞して、地球温暖化が抑えられて冷え込んだのかと思いました。でも、ウクライナ戦争はすでにおこっていたのですから、大気汚染がそんなに減ったとも思えません。夏には山火事も頻発していましたし。

 そして経済活動が再開された今年(2023年)の夏は二酸化炭素の排出が爆増して、最悪の暑さで、夏の終わりがなかなか見えず、皆さん体調を崩す方が多かったように思います。かく言う私も。

 しかし、アレルギー家族のわが家は、それでも昨年に比べて随分と楽でした。それが第一のニュースです。つまり、世の中の消毒が随分と緩和されたのです。家族にとって前年の消毒は大変につらいもののようでした。暑くて、私は体調を崩しましたが、みんなが乗り越えられたのはありがたいと思いました。

 この消毒、ゼロコロナ政策で町中を消毒される中国ではわが家は生きていけなかっただろうなと思いました。

 戦争や金融緩和の影響が出て、物価が当然のように上昇し、救済金が何度も出ていますが、それでもわが家では、この消毒の減少がリアルコロナ後の世界です。

2023年11月19日日曜日

 減量計画、一年後、二年後、初めて見えてきました

 この頃、ダイエット整体師の藤田さんの動画をよく見てまねしています。なにせ、123キロから61キロになったというビフォーアフターの写真を見るだけでも感動してしまいます。

 かく言う私も最大は90キロほどで、60代で、胆石の除去手術をした後は62キロになりました。リバウンドを繰り返しながら、一時、74キロまで行った体重でしたが、ここ二年ほどをかけてやっと70キロから69キロの坂を行ったり来たりしています。『やっとここまで』という感じです。

 ここ二年の間に何があったか、それは中尾ミエさんの言葉です。彼女は歌手だけじゃないんです。私たちにとってはオピニオンリーダーのようなものです。スポーツウーマンで水泳もします。この間舞台で空中ブランコをしながら歌うという役をこなしたそうです。

 で、なんて言っていたかというと、「運動は続けないとだめよ」と言っていたのです。

 それからは、真面目に運動計画を立てました。やったりやらなかったりというのではなく、また、週何回というのではなく、少しずつでも毎日やるという計画です。中には筋トレもあります。ユーチューブ運動は必ず二種類。理由をつけては少しでもウオーキング、例えばごみ捨てとか、買い物とか。それと、私独自の運動が少しずつですが4種類、それとマッサージ機。このほかに家事や農作業を入れると忙しいです。記録をしていて、例えば筋トレは二年目を迎えました。

 前述のように体重はそんなに減らないのですが、確かに脂肪は減っているようで、今まで着られなかった服が着られるようになりました。どなたかが言っていましたが、見かけが変わればいいのだそうです。体重はそんなに減らなくても、お腹がへこんで顎の下の肉がすっきりすれば、見た目はずいぶん変わります。ついでに顔の皮下脂肪も減って、年相応のしわ顔になりました。

 食べ物は相変わらず、違う種類の食べ物を少しずつ腸のために食べています。食物繊維を多くとるとお腹が空かなくなるというユーチューブのアドバイスも心から信じていますし、今後は温活というのもやってみようと思います。

2023年11月18日土曜日

 戦争について

 ウクライナの戦場について、私はウクライナを心配しながら見ていますが、これは、ウクライナのボグダンさんの言う通りです。あの方、若いのに、しっかりした意見を言います。

 つまり、これは、『善と悪との戦いだ』と言ったのです。本当にその通りだと思いました。ウクライナはロシアの領土、そのすべてがロシアから奪われたものだと考えてしまったプーチンさんが、何を犠牲にしても取り戻すと思ってしまったことから始まったのです。

 昔ソ連の領土、ソ連の工場と言っても、今は人々が一生懸命、操業し、維持しているのですから、それらは維持している人たちのものです。ちなみにウクライナは、チェルノブイリという負の遺産も犠牲を出しながら維持しているのです。豊かな地下資源や穀倉地帯だけではありません。この地下資源という意味では次はカザフスタンを狙うだろうと言われています。

 ロシアだって、広い国土に無尽蔵の地下資源があるのに、どうしてそんなに欲しいのでしょうか。日本や周りの島々に探査ブイを投げ込んで資源を探している中国と同じです。自分のところにまだまだいくらでもあるのに、人のものに手を出すのは悪です。

 独裁者というより、やくざ国家です。ロシアの人たちもわかっていても言えないのです。相手はやくざですから。でも、私たちはやくざ国家に負けたくはありません。負けたら大変なことになると思うから、心配しながら応援しているのです。

 一方、イスラエルとハマスの戦争は、長い歴史があって、私たちにはどうしようもできないもののように思えてくるのです。とっさんTVのとっさんは「まず、テロは糾弾しなければいけない」と言いますが、私には何かひいてしまうものがあります。それは宗教が絡んでいるからです。『宗教は詐欺だ』と思っている私は『宗教に洗脳された人たちはどうしようもない』という気持ちがあるのです。

 確かに昔は宗教は人々を団結させて良くも悪くも仲間で行動するための精神的支柱になっていました。しかし、今でもそれは必要なのでしょうか。確か、パールバックの『大地』の中で、ある女性学者さんが言っていたように記憶しているのですが、熱心なキリスト教徒の両親を評して、「両親の時代はそうだったけれども、今は違う。私たちは神はいないと知っているから」というくだりです。これがバック女史の意見だと思ったことを覚えています。それから、イスラム教の被り物に体を張って抵抗している女性たちも、そうじゃないかと思います。

 私に言わせてもらえば、宗教は『壮大な想像の産物』なのです。信じたければ信じてもいいですけれども、そのために人を傷つけるのは本末転倒です。そもそも宗教とは人々の幸福を願って作られたもののはずです。

 『一度、仲間意識を離れて、人間を一人一人として考えてみませんか』と言いたいですし、自己中の私には他の言葉は思い当りません。

2023年11月7日火曜日

 ミニマリスト、発見する

 さすがにこの物価高の中で、何かを発見しない人はいないと思います。

 例えば私は、二年くらい前によく食べていた、わかめとひじきのスナックが、久しぶりにお店に並んだら、148円になっていたのを発見して、物価が1・5倍になったということを発見したのです。2年前は98円でした。当然消費税も連動して上がっているのです。

 野菜も高いです。加えて円安で、輸入品もそこそこ値上がりしています。そこで自衛の手段として、自然農法の野菜を育て始めたのです。近所の賀来千香子さん並みのスタイルの奥さまが楽しそうにやっていて、時々おすそ分けを頂くのです。それで、狭い我が家なら尚空のことできるかもと思ってしまったのです。

 防虫剤はユーチューブで教えてもらったようにお酢を3倍に薄めてシューシューやりました。でも、今年はカメムシの大発生で、毎日毎日ナスに群がるカメムシとみらめっこをして、『もう来年はやめよう』と弱音を吐いた話はしましたっけ。

 オクラは根こぶ線虫というのが悪さをして、なりません。やがて、米ぬかがいいと聞いて、貰ってきて撒きました。胡瓜もナスもオクラも口に入っただけましという感じでした。

 それで、今はブロッコリー類を三本、苗で買ってきて、植えています。今お店で見るとブロッコリー高いです。その隣には種から育てた白菜と小カブを植えています。キャベツは昔苗でもらって植えて、ほとんど虫に食べられた経験があったので避けたのです。

 ある日、ユーチューブにブロッコリーの虫の話があったので、私も急いで見に行ったのです。ブロッコリーにも白菜にも小カブにもふんがたくさんついていて、青虫が大きく育っていました。上をモンシロチョウとモンキチョウがひらひらと飛んでいました。青虫はお酢では効かないみたいです。

 寒さが増せば大丈夫かもしれないと、性懲りもなく、また小カブを蒔きましたが、考えてみると、私が蒔いたり植えたりしている野菜は、お店ではとても高いのです。これだけ栽培が難しいから高いのだと改めて発見しました。

 その一方、私が端を捨てたサツマイモが芽を出して広がっています。サツマイモの葉っぱっておいしいのだとユーチューブにありましたので、マネして食べてみました。美味しかったです。また発見です。これには虫は付きません。捨てた種からカボチャも自然に生えて1個なりました。場所を取りますが、おいしかったです。

 それで発見したのです。お店で高い高いとため息とともに見ていたおいしそうな野菜は、農家さんが大事に育てた商品なのです。私などがまねのできる代物ではないのです。それらは少し高くっても買うとして、買わなくても食べられる野菜もあるのです。例えば、サツマイモの葉っぱ、三つ葉、ミョウガ、細いニラ、小ねぎ、アスパラガス、しそ、春になればしょぼいですがイチゴもなります。贅沢を言わずに、わが家の庭に出てきてくれた野菜を工夫して食べればいいのです。

 商品の野菜は高くって当たり前、これが大発見でした。スイカなんてケーキと同じなのです。

2023年11月1日水曜日

 格言、『今できないことに捕らわれていると、できることまでその機会を失う』

 11月に入ってしまいましたが、これ、例の格言カレンダーの10月の格言でした。剝がしに行って、『なるほど』とうなずいていたわけです。

 これはまさに私のための言葉なのだと思うわけです。格言とはみんなそう思うのでしょうが。

 私の例でいうと、まさに私のダイエットと同じなのです。『今月は1キロ瘦せたい、痩せるぞ』と思うのですが、あっという間に月末になったら、全く変わっていない。

 運動もそこそこして、食事もそこそこ健康食にして、どうしてお隣の奥さまみたいに、賀来千香子さん並のスタイルににならないのでしょう。

 未来を見る、予定を立てる。実行する。それでいいはずなのに、0・1キロくらいしか減らないのです。つまり誤差の範囲内です。

 でも、さすがにダイエットに関しては長年やっているので、「今できることをする」という姿勢は学びました。月に0・1キロずつでも減らせば、一年で1キロくらいは減っていきます。今できる運動、今できる食事の工夫。日記の記録を見ると、恥ずかしながらリバウンドした年から、この二年で、2、3キロくらいは減ってくれました。減った分しわになりましたが。

 全く計画倒れというのもありました。件の日記を見ると、『週に一冊本を読む』と書いてありました。他のことに頭が行っていて、集中できなかったせいでしょう。格言の『今できないことに捕らわれていると』ということは、よけいな妄想ということでしょうか。『あの方たち結婚すればいいのに』と余計なお世話をしたくってうずうずしている、まさに今できないことにとらわれている。こんな妄想に時間を費やしているから、月に一冊の本も読めなかったのです。

 さあ、こころを入れ替えて、自分の今を楽しみながら、現実の努力をしていきましょう。

2023年10月26日木曜日

 くず鉄屋さん

  以前にも書いたことがあるんですが、亡夫はコレクターでなんでもかんでも家へもってきて、わが家は倉庫と化していたのですが、亡くなってから三年、整理はまだまだ続いていて、その中には鉄製品も結構ありました。一番先に捨てたのが、江戸時代の釘、バケツに3、4杯ありました。これは小さいので、燃えないゴミで出せましたが、それらを入れておく大きいロッカーは市の粗大ごみ引き取りを頼むと、一個800円ほどとられます。なので小さめのロッカーは何とか我が家の軽自動車に押し込んでゴミ焼却場に持って行ったのですが、それでも重いと500円くらい取られます。

 そんなある日、田んぼの真ん中に、鉄などの金属を買い取りますという看板を見つけて、そこへ持って行きました。最初は1000円弱になって大喜びした話をしたと思います。そこにいた日本語の上手な中国人のきれいなお姉さんの話もしたと思います。

 今回、減築するために片付けていた際に出た鉄くず類もそこに持って行かなくてはと思っていたのですが、なんとなく気乗りがしませんでした。もうあのきれいなお姉さんは辞めちゃって、別の女性が二人で、片言の日本語で応対をしていました。それが全く不愛想なのです。多分親子だと思いますが、似た顔で似た態度です。多分オーナーの一族なのでしょう。

 それでも持って行かないと片付かないので、意を決して出発しました。今回は縁の下に放り込んであった金属も引っ張り出してきて、一緒に持って行きました。

 途中まで行くと、同じような屑鉄屋さんの看板が見えました。違うお店に行くのはちょっと怖かったのですが、あの不愛想さに比べればどこも同じです。それに近いからガソリン代がお得です。

 すぐに見つけて中に入ったのですが、受付に誰もいません。離れたところで作業をしている人たちに声をかけたのですが、振り向いてもかかわってはくれません。多分中国系の人たちで言葉がわからないのだと思います。やがてトイレと思わしき場所から出てきた男性が、持って行った金属を見て計ってくれて値段を算定してくれました。手も洗わずに缶入りのお茶も出してくれました。でも彼はそれこそ片言の日本語でしたが、人の好さが見て取れて、本当にこっちに来てよかったと思いました。日本語が上手、下手の問題じゃないです。人柄の良さは誰が見てもわかるものです。また持ってこようと思いました。

 ユーチューブで見ていると、中国経済の破綻が言われていて、職がない若者が多いと連日ニュースになっています。確かに私が持ち込むようになったこの一年でも、鉄くず屋さんは雨後の筍のようにあちこちにできています。受付のおじさんは日本語は下手ですが、数字はしっかりした経理のできる人の書き方でした。ドラマによく出てくるようなトラブルに巻き込まれないで、有意義な仕事なのですから楽しく働いてほしいと願ってしまいました。

2023年10月14日土曜日

 歳をとると時間の流れが速い

  そんな話を昔何度か聞いたことがありました。『そおかなあ、時間の流れなんて、みんな同じはずなのに』と、一応科学的な若者は思っていました。

 でも、その若者は『早く大人になりたい、なんでこんなに時間が経たないんだろう』とも思っていました。大人びた服を着て、ぼんやりした未来がやってくるのを心待ちにしながら、毎日鏡を見ていたような気がします。

 今になってみると、『もっとやることがあっただろうに』と思うのですが、その頃は好奇心はあっても、いざ踏み出す勇気がなかったのです。親の庇護に甘えてぬくぬくとしているほうが楽ですし、好奇心もさほどでもなかったのかもしれません。

  確かに、歳をとってみると、どんどん時間が流れ去ります。この間正月だと思っていたのに、四月、五月はあっという間に暑い八月になり、九月も暑いなどと言っていると突然、衣替えのシーズンになってしまいました。また正月です。

 ウクライナの侵攻ももう一年半です。

 それで、考えたのです。なんでこんなに速いのかなと。

 思うに、この歳になれば、なんでも自分で決めて実行しなければなりません。好奇心が微弱でも、勇気があまりなくってもやらなければならないことはやらなければならないのです。そうすると、やることがいっぱいあるのです。

 先日のドアのDIYも、とうとうそのままにしておけなくって、ドアを外すことから始めてしまったのです。ネットで散々どれにしようかと悩んで、色違いの同じものを注文して、十日してやっと届いて、一昨日娘と二人で付けました。減築も入れると、この間半月から一か月、あっという間に過ぎてしまいました。過ぎてみれば速いです。

 年の功と言いますが、歳をとると、知識が豊富になり、やり方がわかり、やることが多くなるのです。夢中になっている分、時間の流れが速く、あっという間に過ぎてしまうのでしょう。例えば、芸能生活五十年とかおっしゃるベテランは、「あっという間でした」とよく言われますが、『好き』とか『楽しい』とか思って夢中でやっていると、時間のことなど考えることもないのでしょう。

 この『夢中』ということが、時の流れを早くしているのではないでしょうか。退屈している人は、きっと時の流れが遅いですよ。

2023年10月10日火曜日

 近頃のユーチューブ、狭くなった世界

 私と娘が減築で大騒ぎをしていた間にも、世界はどんどん変わっていきました。

 ウクライナは多くの犠牲を出しながら、少しずつ取られたものを取り返しています。毎日ユーチューブを見ながら、『どこまで行ったか』と戦況図を睨み、専門家の解説を聞きながら、どうなるのだろうと案じ、どうしてこんなことをするのだろうと憤っています。

 思えば、ウクライナ侵攻が始まる前は、世界中がグレタさんやアル・ゴア元アメリカ副大統領とともに『地球の温暖化をどう止めるか』と地球規模で心配し、努力していたのに、コロナが始まったら、地球規模で消毒やワクチンに苦しめられ、自粛させられ、おかげで温暖化が止まったかのように見えたのに、すべてをぶち壊すようにロシアが砲撃を始めてしまったのです。

 そして、昨日今日、ハマスがイスラエルに攻撃を仕掛け、イスラエルが戦争宣言をしたようです。何百人もの人が亡くなったようです。

 アフガンの地震の報道もありました。現時点で死者は2445人だそうです。

 日本でも鳥島近海で、火山噴火らしき海底爆発があり、津波が押し寄せたとニュースになりました。

 私たちには手も足も出せませんが、まるで地球が終末に向かっているように見えます。

 これでプーチンさんが核の脅しを続け、間違って誰かが発射してしまったら、人類は滅亡ですね。

 意図しなくても、中国の野天堀の石炭鉱山で、放射能汚染が発生して、多くの人が犠牲になっているというのに、わざわざまき散らさなくってもいいと誰もが思っているのに、プーチンさんは自分一人だけ豪華な宮殿のシェルターで生き残ってどうしようというのでしょう。みんな死んでしまうのに。

 ユーチューブ社会では、多くの人の目と知識をもって、まるでその場にいるように世界の出来事を感じることができます。『できるだけ偏見を持たずに自分の心の立ち位置を決めていかないと』と思います。

2023年10月9日月曜日

 物置減築、ついでにドア交換

 ずっと何とかしなくてはと思っていたんです。つぶすか減築するか。でないと、塀との間の雑草に手が届かないのです。詰まりに詰まった夫の荷物を少しずつ捨てていき、できるものは活用し、何とか半分以下に減らして、どうしようかと娘に言ったら、自分でやるというのです。

 まあ、壊してもいい物置だから、失敗してもいいと思ってゴーサインを出しました。ついでに壊れかけたドアは私がやろうと、二人で減築を始めたのです。

 最初にドアをはずしてしまって、それから代わりのドアを探し始めました。ガラス窓のついたのにしたかったのですが、今どきのドアはみな本体プラス枠なのです。うちのは枠はついたまま、はずせません。そこで一回目の挫折。結局同じ型のドア本体だけをネットで見つけて注文しました。

 注文して来るまでの間に、周りを囲ってあるトタン板のくぎをはずして内側に新しく敷いたブロックまで移動させて縮めました。重いのなんの。それでもまっすぐに移動できずに釘を打ってしまってから、斜めになっているのを発見。さてどうするか。釘をはずしてもう一度やるか、そのまま、収まりの悪い板を外すか。

 さあ、娘の判断です。

 結局、まるっきりそのままにして、あちこち釘で補強して完成ということにしました。

 ドアはまだ来ませんが、まず、減築は出来上がりました。DIY大好きな娘の能力と自信に頭が下がりました。

2023年9月23日土曜日

 好きなことを仕事にする

 これは片岡鶴太郎さんの弟さんが書かれた本の題名だそうです。コメント欄には『みんなそうしたいんだよ。それで食べていければね』という辛口コメントも載っていました。

  なんでこのことを思い出したかというと、松村雄基さんが『徹子の部屋』に出ていたのを見たからです。

 今年還暦を迎えられたそうですから、私より15くらい若い。彼が活躍していたころは私は忙しくって、ドラマどころではありませんでした。

 ところが最近、彼がその忙しい生活の中で、おばあさんの介護をしていたことが知れ渡り、まさにヤングケアラーだったとして有名になりました。それで私も「へえー」と耳をそばだてる様になったのです。

 その彼が、『徹子の部屋』に出ているとニュースで知って、Tverで見たわけです。

 おばあさんに育てられたこと、おばさん家族と一緒に交代で10年間自宅介護をして、後の10年は施設にお願いしたと言っていました。その時代は、育ててくれた家族への介護は当然だと思っていたと言っていました。

 で、なんでこのことが表題と関係するのかというと、おばあさんは詩吟と剣舞を教えていたということでしたので、松村さんも当然その薫陶を受けていたのです。つまり、ウキペディアにはそうは書かれていませんが、芸能が脳にも体にも染みついた家庭に育っていたのです。つまり、嫌いじゃなかったのです。

 それが、どんどん拡大していきました。俳優、歌手、詩吟と剣舞はもちろん、書家として総理大臣賞を受けたという作品群は、素人目にも素晴らしいものでした。やがて茶道を学ぶようになり、シャンソンに出会い、コンサートにも出ます。

 そこで、片岡鶴太郎さんが『徹子の部屋』に出たときのことを思い出したのです。鶴太郎さんは離婚して一人になり、好きなことをきわめているわけです。お笑いタレント、俳優、ヨガ、絵、書、サンシン、等など。習い始めたという沖縄のサンシンはみごとな演奏でした。

 二人とも、独身で、食事は基本、手造り、決して豪華な食事ではありませんでしたが、体調に配慮したこだわりのある食事でした。そしてここから表題に戻るわけです。

『好きなことを仕事にする』

 健康診断の結果

 もう来る頃だと思うと、「どうするか」と不安が増します。というのも、血圧が高くって200くらいで何度計っても下がりませんでした。駐車場が遠くって坂を上っていったので、そのせいだとは思いましたが、もう下がらないのは、どうしようもない、挙句の果てには待機していたお医者さんに、技師さんが続けてもいいものかアドバイスを貰いに行きました。あの時は、『もう検診には来ない』と思いました。

 隣のおじ様が、「どこが悪いと言われても、痛くもないのにどうしようもないから、検診には行かない」と言っていましたが、私も再度『その通り』と相槌を打ちたい思いでした。

 それでも、何とかすべて終えて、一か月後の結果の送付を待っていたのですが、その間、娘に『血圧が高いから、相談するように』というアドバイスの手紙が来ました。聞くと、150くらいだったというのですが、私には来ませんでした。娘には、もう一つ「糖尿の相談もするように」という手紙も来ました。心配して待っていると

「お医者さんが直接来るのじゃないの」と娘が冗談を言いました。

 そして一か月後、待ちに待った診断結果が来ました。私が悪かったのは血圧だけで、他は、よくはないけどまあまあ。血圧の影響か、心電図が左心室肥大気味と書かれていました。メタボで、動脈硬化もありそうで、要再検査でしたが、今再検査したって同じ事ですから、ここはやり過ごして、来年の検査までにはメタボを治すしかありません。益々しっかりユーチューブ運動をしようと決心しました。

2023年9月17日日曜日

 近頃のユーチューブ、ユーチューブ社会

 私のように、引きこもりとは言わないまでも、引っ込み思案の人間は、または、老齢化で社会に出る機会がほとんどなくなった人は、テレビを見て過ごすか、散歩に出るか、庭いじりをするか、老人会に行くか、そんなところでしょうか。

 わが家は、テレビ大好きの夫が亡くなって以来、テレビを解約して、ミニマルな生活にしてあるので、テレビは娘の家に行った時くらいしか見ません。そこで見ていても、『あ、今聞こえなかった、見逃した』と思う時は、ついつい『止めて、少し戻って』と思ってしまいます。流しっぱなしのテレビと違って、コンピューターはいうことを聞いてくれるのです。

 それほどユーチューブに慣れてしまいました。こうなるともうユーチューブは私の友人、しいては社会と言っても過言ではありません。

 朝起きてのストレッチの指導のお兄さんたち、そして、ウクライナのニュースや解説のとっさんや近藤さん、コメンテーターや司会の彼や彼女。信頼している人たちはたくさんいます。反対に信頼できないと思った人たちは、次から見なくなりますので、これも人間関係と同じです。それについてのコメントも時々読みますので、人間関係は更に広がります。

 ギャオが無料でなくなってから、ドラマを見る機会がティーバーだけになり、俄然少なくなってから、また、植木鉢野菜を始めてから、野菜作りのやよいさんやひろちゃんやかわちゃんなどのユーチューブもときどき訪ねて教えを乞うています。 

 それと、夜長になってきましたので、歌もまた聞き出しました。以前にも書いた木下あきらさんや中井あきらさん。何度聞いても素晴らしいと思って飽きません。その反対に、昔散々聞いた、有名な歌手さんのユーチューブは聞きたいと思いません。『散々聞いたからもういいや』という気持ちがどこかにあるのでしょうか。それしか見せなかったテレビの功罪でしょうか。今は自分で選べるのです。オードリー・タンさんの言っていた『理想の未来は選べる社会』という言葉を思い出します。

 音楽と言えば、最近、面白いユーチューブに出会いました。主役は上川ジョージさんです。彼は日本人のストリートミュージシャンで、最初のユーチューブではオーストラリアのメルボルンで、ギターの箱を開けて投げ銭を貰いながら、CDを売り、一人オーケストラで歌い、観客が踊り出すという動画でした。歌も上手ですが、英語も上手です。ちょっと見出すと、彼の動画が何度も一覧に出てくるので、何度か見ていると、だんだん興味がわいて来てしまいます。で、ネット検索してみたのですが、彼はまだウキペディアには乗っていませんでした。でも、あちこちに書いてあることをみると、

『音楽と演奏スタイル

ジョージカミカワはブルース、カントリーブルース等から強い影響を受け、独自のスタイルでオリジナル曲や古いブルースのカバー曲を演奏し、ソウルフルに歌う。そしてスライドギターを得意とし、ボトルネック奏法や膝の上に置いて演奏するラップスティール・ギター(lap steel guitar)も演奏する。

それと同時にリズミックなブルースハープ、左足はストンプボックス(キックドラムの役割をする楽器)、右足はドラムペダル(タンバリン、スネアドラム、シンバルを使い分ける)を演奏し、一人の人間が演奏してるとは思えない、一人5役の重厚なブルーズのワンマンバンド(one man band)のサウンドを奏でる。』加えてハーモニカも歌も上手です。

 『バスカー(大道芸人)』というらしいです。津軽三味線奏者と組んだり、和太鼓奏者と組んだり、オーディション番組でも何度か優勝しているらしいです。どこかに書いてあったのですが、もともとバンド活動はしていたらしいのですが、一度就職して、向かないと辞めて、ワーキングホリデイで行ったオーストラリアで、バスキングを見て、これをやってみようと思ったらしいです。バスキング歴20年というから、やはり、ロストジェネレーションの世代でしょうか。ちなみにオーストラリアのメルボルンというのは大道芸で有名らしいです。

 中に、「ただでコンサートが見られるよ、見ていってよ」という呼びかけがありましたが、本当にユーチューブのおかげで、私のようなミニマリストでも、好き嫌いを言いながら、ただで、楽しい、素晴らしい、コンサートが見られます。

 考えてみると、ユーチューバーってある意味『バスカー(大道芸人)』ですよね。

 最後にもう一つ、近頃見ているユーチューブは、経済の話です。『高橋洋一チャンネル』『上念司チャンネル』。私は全くの経済音痴ですが、時々出てくるウクライナの話に引かれてみていると、『経済のわかる人って、頭が違うんだな』とつくづく思います。

2023年9月12日火曜日

 敬老の日

 中秋の名月、昼間のように明るかったスーパームーンも終わって、更に久しぶりに来た台風13号も過ぎ去って、まだまだ暑い9月の半ば、回覧板が回ってきました。 いつもと同じ、何ということもないことが書いてあると思っていたのに読んでみて、意気消沈してしまいました。

 今度の土曜日、子供会と父母会が敬老の意を表して、老人宅にお菓子を届けると書いてあったのです。

 敬老の日なんて、全く忘れていましたし、『自分と何の関係があるの』という感じでいたのです。見かけは確かに老人らしく、買い物に行っても、観光地に行っても優しくしてもらって、うれしいときもありますが、そんな時でも、『え、老人だったんだ』と、むしろ驚いて、見えない自分の外見を想像してしまいます。

 『自学』だ、『自己実現だ』と夢中になっていると、歳を忘れています。自分ではまだ20代の気分で邁進しているのです。それは、あちこち痛くて泣きごとも言いますが、身体的なことと、こころの中は別物です。

 有名な松田妙子さんという女性が、「自分の年齢を20歳若く考えなさい」と言っていた講演を聞いたことがありました。「20歳若ければ、その経験と体力でどんなことができるか。いっぱいやり様がある」ということでした。今の私ならば、もうすぐ75歳ですから55歳です。それでも嫌ですね。松田さんは社会的に活躍した方でしたから、『やり様』に重点をおいていたのでしょう。でも、私は『自学』に重点を置いているので、『学ぶ年代』の気分なのです。

 そういう老人の心に、敬老なんて、こころを萎えさせる言葉は驚きであり、悲しみです。若い人たちにはわからないでしょうね。子供さんたちのしつけのためと思っているのでしょうが、それは車いすや杖にすがった人たちに対して教えていくべきです。

 今は長生きの時代ですから、敬老の年代をもっと上げてもいいのではないでしょうか。100歳以上とか。

2023年9月8日金曜日

 再度の自然農法

 『失敗は勉強』と誰かが言っていました。その方、失敗ばかりしている方だったのであまり信用していなかったのですが、この言葉だけは本当だとこの度は思いました。

 今年、すべてが高騰しました。円安と減産も関連してガソリンが高騰しました。電気量には補助が付いています。鳥インフルエンザで卵は倍の値段です。肥料の高騰のせいか国内産の野菜も果物も高騰しています。

 となると、わが家の野菜を充実させるしか手立てがありません。

 というわけで、今年は久しぶりに野菜の種を買いました。種はダイソーで買ったのです。あそこだと百円で二袋、中身が少ないのはかえって好都合です。ナスとミニトマトです。あまりよくみないで、ナスとミニトマトと思って買って、これが大失敗。ミニトマトは本当にミニトマトで、大きくならず、観賞用みたいでした。ナスは大きくなったのですが、カメムシがたくさんついて実はほとんどなりませんでした。

 これに、肥料をやらなければと、有機肥料二種類と酸性を緩和する消石灰を買うと、もう、野菜は買った方が安くなります。さすがに殺虫剤は買わずに、お酢を三倍に薄めてシューシューやっていましたが、それくらいではカメムシはいなくなりません。ついには「来年はもうやらない」と弱音を吐いてしまいました。

 そこでまた、ユーチューブを見ていくと、『やよいのやさい』さんは自然農法を実践しているらしく、雑草の中から大きなキャベツを収穫していました。『虫さんは雑草の方を食べてくれる』という言葉に大感激してしまいました。私も昔キャベツを植えたことがありましたが、ほとんど虫に食べられてしまったのです。

 土は不耕起で、草を刈って米ぬかやもみ殻やもみ殻燻炭を蒔いて防草シートを掛けて日光消毒しておくと、ふかふかの畑になるのだそうです。で、私も、終わったキュウリの鉢にビニール袋をかけ、暑い中、一、二週間放置しておきましたら、本当にさらさらふかふかの土になったのです。そういうわけで、わが家の植木鉢にはビニール袋がいっぱいかぶさっています。そこに少し石灰を入れてアルカリに調整して苗を植える予定で、今、白菜の苗を育てています。

 確かに、『失敗は勉強』でした。

 残暑

 「お盆を過ぎたら、残暑お見舞いと書くんだよ」と誰かに聞いたような気がしていましたが、今調べてみたら、立秋(8月8日頃)を過ぎたらと書いてありました。昔、祖母が「お盆を過ぎたから朝晩が涼しくなった」と言っているのを聞いて、「本当だ」と何度も思ったことを覚えています。つまりその頃になれば、徐々に涼しさの戻りは感じられるものなのですが、今年は!

 今日、9月8日、台風が来て、やっと最高気温が30度以下になりました。

 地球温暖化によってシベリアの凍土が解けているというのはよく聞きますし、氷河が溶けだしているというのもよく聞きます。原因は人類が吐き出す二酸化炭素のせいのようです。昔は二酸化炭素は植物が吸って酸素にしてくれると習ったような気がしますが、今はそれでは間に合わない量の二酸化炭素のようです。そして、今年の暑さを体感したら誰でも地球の終わりを想像してしまわないでしょうか。

 そんな中、先日、テレビで見たのですが、若い東大生が『空気中から二酸化炭素を取り除く装置』を開発して、事業化したようです。『その二酸化炭素どうするの』と思いましたら、そこから『軽油』を作るのだそうです。それで飛行機を飛ばせるか、今、実験中だそうです。これって誰でも考えられる循環ですよね。大昔の地層から原油を掘り出して、生成して軽油やガソリンを作り出すのも循環の一部ですが、燃やして排出された空気から二酸化炭素、軽油というのも、考えれば誰にでも思いつく循環の一部だと思えます。誰にでも思いつくと思うのですが、誰もアタックしなかったのでしょうか。

 昔、人間の普段の活動の中から電気を生み出す研究をしていた人がいましたが、あれは成功したのでしょうか。電気は大きな蓄電器が無いと貯めておけないからかえってコスト高になってしまい、実用化されなかったのでしょうか。その後、太陽光発電システムが出てきて、それは既存の電気のネットワークにつなげることによって発展しました。

 人力で電気をというのを実践している方の話も聞いたことがあります。その方は一人暮らしで、既存の電気を使わない生活をしていて、ベランダに自転車と蓄電器を置いてあるのだそうです。電気が足らないなと思った時は運動がてら自転車をこぐ。これ、いいですね。

 でも、私たちにはこの知識がないから、セットで売ってくれないとどうにも設置できません。でも、太陽光発電システムをつけるよりずっと簡単なことですので、ぜひ、どなたかこれを事業化して普及させてほしいものです。

 つまり、アイディアにアタックして開発して事業化して普及させなければ、誰でもいいと思っていることが埋もれてしまうのです。その意味ではこの東大生は優秀なばかりでなく、アタックする勇気も未来の人々のために自分の時間と知識を投入する義侠心もいっぱい持ち合わせた方だと思いました。だって、自分の青春を他のことに使うことだっていくらでもできるのですから。

2023年9月1日金曜日

 地頭(ぢあたま)の話

 今年の甲子園で、決勝戦を戦った慶応の優勝を、ほぼ全国の人が関心を持って視ていたのではないかと思います。それは甲子園のヒーローで、プロでも活躍して、そして悪名高き薬物犯罪で、逮捕歴まである、よくも悪しくも有名な清原和博氏の次男がスタメンではないにしろベンチ入りしていたからです。親子二代の優勝はあるか、親子の絆は取り戻せたのかなどなど、人々の関心を総ざらいしていたからです。

 一度バラバラに壊れた家族が、こころを一つにして支えあい、優勝までこぎつけた。むしろ勝児君は薬物依存の後遺症に苦しむお父さんを応援するために優勝まで戦ってきたように皆が感じたんじゃないでしょうか。単位が取れなくて留年までして。

 そして、この再生劇の裏で、一家を支えてきた亜希さんは本当に頭のいいひとだと思いました。こういう人を地頭のいい人と言うんだろうなと思いました。

 このところ、『地頭』という言葉を時々聞くようになりました。今まではなんとなく、『本当に頭のいい人』という風に思っていました。『学歴とは関係なく、世の中をよく知って生きている人』と言う感じでした。もちろん学歴の立派な人で地頭のいい人もいます。そういう人は本当に自分が何をしたいかを知っていて、それに合う方向をきちんと選んで自分の道を築いている人です。地頭の悪い人は学歴主義の世の中に洗脳されて、良い大学に入っても何をしたらいいかわからない人だと思います。つまり、地頭のいい人と言うのは自分で考えて行動する人のことだと思います。そういう点で、亜希さんは立派ですね。人の本質を見抜いているのです。

 見聞きしている限り、清原和博氏は決して悪い人ではありませんでした。有名な人ですから、みんなが知っています。巨人に入りたかったのに、西武に行くことになってしまって、日本一をかけた西武―巨人戦で、もうすぐ優勝が見えてきたという時に、守っていたベース上で涙を流した話は有名です。純粋で喜怒哀楽が激しい、わかりやすい人のようです。

 薬物依存が報じられて、入院している間に、子供たちを連れて自宅を出て離婚となったようですが、その時弁護士さんと相談して、自宅の豪華マンションに養育費のための抵当権を設定して、それが売れたときに、子供たちの学費と生活費が確保されたそうです。

 やがて、清原逮捕となった時には、子供たちに、もうこれ以上、下には行かないのだから、後は上を向いて生きて行こうと話したそうです。

 子供たちを育て、デカ弁を作って応援し、自分の仕事もし、確かに嘆いている暇はなかったでしょう。養育費が清原がバット一本で稼いだお金の一部だったせいもあると思いますが、父親の悪口は聞かせずに、双方の弁護士さんのすすめで、五年後に息子たちを父親に会わせたそうです。長男が高校生の頃でしょうか。「ごめんな」と嗚咽する父親の背中を長男がさすりながら、「大丈夫だよ」といったと清原氏が回想しています。

 そうして家族の再生となるわけです。ここまで聞いたら、誰だって勝児君を応援してしまいますよね。

 次男の勝児君は「お母さんより立派な人を見たことがない」と言っているそうです。清原氏は「自分が優勝した時よりずっとうれしい」といったと書かれています。清原氏も甘えちゃいられないと思ったでしょうね。自分で考えて言ったり行動したりするこの地頭のいい家族の中で、しっかりした父親にならなければと思ったと思います。

 でも、考えてみると、この『地頭のいい人間』って誰にでもなれると思えてくるのです。人の言葉や世間の常識や評価に惑わされずに、自分で考え、一番いいと思える道を手探りで進んでいくことだとしたら、心がけ次第では、世間の常識に洗脳されて、『頭まっくろ』の私でも少しずつ変わっていけるのではないでしょうか。がんばらなくっちゃです。

2023年8月22日火曜日

 本、半村 良『うわさ帖』

 この本を買ったのは、多分、あまりにきれいな装丁のせいだろうと思います。これを読んで調べるまで、あまり読書家ではない私はこの作家さんを知りませんでした。ちなみに装丁は滝田ゆうさんでした。毎日新聞に連載されていた随筆を集めたもので、売れだした40代の作家の忙しい毎日と生い立ちなどが懐かしく平和に書かれています。中でも、『雨あがり』という人情物で直木賞をとったらしく、山本周五郎が好きというくだりは感動モノです。私も大好きだったのです。

 やがて、この人のウキペディアを調べてみると、昔有名になった『戦国自衛隊』シリーズを書いた人だとわかるのですが、私は映画のポスターで見ただけなのであまり興味はわきませんでした。

 そしてウキペディアを最後まで読んでいくと、『本当かな』と疑いたくなるような記述に進んでいくのです。

 確かに、あまり家庭的ではなかったようです。六歳ころにお父さんを亡くし、弟と母と三人母子家庭で育ったせいか、はたまた、山本周五郎をまねたのか、奥さんに母と子供たちを任せ、仕事部屋を借りて仕事をどんどん取り始めるのです。

 高校を出て、それこそバーテンダーを皮切りに30何種かの職業を経験したと書いてあるので、書くネタも多かったのでしょう。成長の過程の交友などの他に、その仕事部屋での日常がこの随筆集にはたくさん出てきます。

 で、件の『本当かな』ですが、ウキペディアには次のように出ていました。

『1980年、『妖星伝』完結編の第七巻の発売について、講談社と事件となり、発売延期。講談社から発売予定だった全集「半村良独演会」も発売が延期となった。

1984年、北海道苫小牧市に転居、1987年に東京浅草に戻る[1]。

1988年、人情物とSFとを融合させた作品『岬一郎の抵抗』で日本SF大賞を受賞した。1994年には雑誌連載が中断し未完だった『虚空王の秘宝』を完結させて刊行、1995年には単行本刊行が中断していた『妖星伝』を完結させる。しかし他にも、『太陽の世界』など未完に終わった長編・シリーズが多数ある。

1999年、栃木県鹿沼市に移住する[3]。

2001年、群馬県前橋市から、家族の住む東京・調布に戻る[3]。

2002年3月4日、肺炎のため死去した。68歳没。同年、第二十回日本冒険小説協会大賞特別賞を受賞。

2005年、戦後の焼け跡・闇市時代を描いた著書『晴れた空』が祥伝社より、戦後60年特別出版として、再刊された。』

『角川春樹によれば、角川書店で編集局長をしていた頃、既に「伝奇ロマン」のジャンルで成功を収めており、1974年に書き下ろし文庫『平家伝説』の執筆を初版10万部の印税保証付きで依頼したことから付き合いを初め、『戦国自衛隊』の頃までは良好な関係を続けていたが、次第に酒と女に溺れ、出版各社から金を前借するようになり、1975年に直木賞を受賞してからは、さらに増長し、未完に終わった『太陽の世界』の執筆に半村側が、1冊1千万円の印税保証を提案したことが決定打となり、関係が悪化したという[5]。』

『馬主として、自身のペンネームをもじって命名したハーフェンダールという馬を持っていた事もある。』

 つまり、『飲む打つ買う』のすべてを経験してしまったようです。確かに、自分の経験と空想を作品の糧にしていたのですから、経験は大事だったと思うのですが、こんなにたくさん賞をもらっているのにと、少し残念です。みんなが幸せに終われる生き方だって選択できたでしょうにと思えるからです。

 私は悪い噂はあまり信じないようにしているのですが、特にロシアのプロパガンダに接しているとなおさらです。

 でも、お酒の話とバーの話はよく出てきますし、競馬の話も出てきます。女性の話は特に出てきませんが、家庭を切り離していたことや晩年、何度か遠くに引っ越していること、最後、家族のもとに戻って亡くなったということを考えると本当らしく思えます。こういう人は結婚すべきではなかったと私は思います。それとも、ケアラーがいて良かったねというべきでしょうか。

2023年8月20日日曜日

 小さな世界

 90歳を越えた姑が、ある日ぽつんと言ったことがありました。「長生きするのもいいけれど、お友達がみんな亡くなってしまってね」と。

 彼女はわりかた社交的な方で、何かのお集りとか、同好会、法事でさえよく出席していたので、その連絡が来ないだけでも淋しかったのかもしれません。そうして、晩年はかえって人を避けて趣味の絵を描くことに没頭していました。絵を描くことが人を避ける言い訳のようになっていた感がありました。

 この歳になるとわかる気もするのです。一人前に思われていろいろ期待されても辛いのです。かといって生きている以上、一人前に扱われないことはもっと辛い。

 そしたら、自分だけの世界をもって、領界線を引いて、入って来るなと言い、自分は時々出ていけたら大満足ではないですか。これを世間では『わがまま』というのでしょう。ばあやに育てられたというお嬢様だった姑はわがままな人でした。

 私も、この歳になると、一人前にあてにされて、歯車の中で動くことを期待されるのはだんだん辛くなってきます。かといって、誰からも連絡がないと淋しくなって、連絡を取って安否だけでも聞きたくなります。用もないのに、何かを期待していると思われても相手に迷惑だろうし、と、ここ一年ほど、旧知の人に連絡を取ることはしないようにしています。

 これでいいのかもしれません。お互いに知らないうちに亡くなっていたなんてことになるのでしょう。

 歳をとるとみんな小さな世界に生きるようになってくるのでしょう。

 このところ、半村良さんの『うわさ帖』という随筆集を読んでいますが、まだ40代頃の作品のようで、お酒を飲んで交友を広めて仕事にもつなげている様子が生き生きと描かれています。これを見ると、私には若いころでもこういうことはできないだろうなと思います。はじめから小さな世界に生きていたような気がします。つまり、わがままが通る世界に。できる限り外の世界に出ようとはしなかった気がします。

 今、このわがままが世間的にも許される年代になって、何かほっとする思いがあります。『私の世界で生きていていいんだ。いよいよ自分の世界に没頭できる』『何かをしたい、絵が描きたい』ということもありませんが、何かストレスもなく、楽に息ができるような気がするのです。

 私には元々引きこもりとかオタクっぽい気質があったのでしょう。好きなことをして好きなことを見て、時々、言いたいことを日記風に書いて、「これが、自学と自己実現だ」と叫んでいる。

 本当に幸せです。これで使い切れないお金があったら、もっと幸せかというとそんなことはないと思います。きっと、自分だけ恵まれていることに罪悪感を感じて、大きな世界に出て行かなければと思うでしょう。『王様と乞食』に例えれば、私には王様は務まりません。年金生活者でミニマリストの乞食の気楽さが一番のような気がします。

2023年8月8日火曜日

 一期一会

 この言葉は昔から知っていました。茶道の人の言葉だったようにも思っていましたが、この歳になると、また違った意味を持ってきます。

 つまり、周りで亡くなる人が出てくるのです。先日年下のいとこが亡くなりました。何年か前、母の法事で会ったのが最後です。私はああいう席が嫌いで、それでも弟の手前、いやいやながら出ていたのです。あの時、癌で長く闘病した叔父のことを指して、「お父さんの娘だから」と言っていたようすが思い出されます。彼女は一人っ子で、とてもかわいがられていて、いつも堂々としていました。仲が良かったわけではありませんが、私より一回り以上も若いのになんでかなあとため息しか出ませんでした。あっという間の癌死だったようです。

 それから、この頃、あの人はどうしているだろうと気になることがあります。昔よくしてもらって、長電話も頻繁にくれていたのですが、夫が亡くなって以来徐々に電話が来なくなりました。どちらかと言えば放送局タイプの人で、楽しいけれど迷惑なところもありました。

 年をとってきて、連絡をする人もなくなると余計気になるものです。でも、気になってもこちらから旧交を温めようとは思いません。ミニマリストには交際費の余裕はないのです。ユーチューブの中で体操の先生とか、ニュースの専門家とか、畑の先達の話を聞いているのがせいぜいです。

 そしてこれがメインポイントですが、今、毎日会う周りの人々に、できる限りのよい印象を、つまりハートウオーミングな思いをしてもらうことが一番なのではないかと思いました。毎日が一期一会だと思って。きっとこれが本当の意味なのだと思います。

2023年8月1日火曜日

 本、『私の嫁いびり』「覚えてほしい、わが家のホームマネージメント」西川 勢津子

 昭和58年、第14刷。ということは、私は結婚して、子供もできていました。姑さんとはうまくいかず、核家族で独立したころでしょう。藁をもすがる時期だったので、きっと読んだとは思いますが、ほとんど覚えていません。

 『西川 勢津子(にしかわ せつこ、1922年9月13日 - )は、日本の家事評論家。筆名・山田のぶ、東山花子、桑井いね。

 奈良県出身。日本女子大学校卒。掃除、洗濯、料理、家族関係まで多岐にわたる家事評論で活躍。1961年西武百貨店池袋店の家庭用品コンサルタントとなる。桑井いねの筆名で書いた『おばあさんの知恵袋』がロングセラーとなった。洗濯科学協会理事』

 私の若いころ、家事評論家というのは吉沢久子さんか、西川勢津子さんかという感じだったと思います。このお二人しか覚えていません。

 吉沢久子さんのは雑誌などで読んでいたのか、家に本はありません。西川勢津子さんのは、『おばあさんの知恵袋』の題名は知っていたのですが、買ったのはこの一冊だけだったようです。

 西川勢津子さんは今読むとまさに自己実現された方だと思います。あの頃、どんな思いで読んでいたのか、全く覚えていませんが、結果が明らかになった今読むと、私の生活とは全くかけ離れていると思います。これって実用本の宿命でしょうか。確か、『棟梁の知恵袋』の時もそんなことを書いたような気がします。

 学者さんのように、研究して、調べて、自分がこれと思ったものを書いているのです。ご主人の転勤で回った外国にまで視野を広げて、特にお掃除関係が、まるで科学者のように実験して、良いものを推奨しているのです。

 しかし、この年月の間にわが家はアレルギー家族になってしまって、漂白剤を使うとか、次亜塩素酸で消毒するとかは全くNGになってしまいました。

 でも、西川勢津子さんの輝かしい自己実現だけは称賛に値すると確信しています。

 私もこの歳になると、『口から先に出せないもの』があるということもわきまえるようになってきましたが、やっぱり、言わせてもらえば、生活のレベルが違うのです。何せ、私はミニマリストですから、この本は私にはフィットしませんでした。

2023年7月29日土曜日

 自学 自己実現、よき祖先とは

 同じくとっさんTVに、『オードリー・タンさんに対する質問とその答え』というのが出ていました。オードリー・タンさんは台湾のデジタル相でLGBT『《lesbian, gay, bisexual, transgender》性的マイノリティーのうち、レスビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダーの総称』で、私にとっては自学の先達の一人です。何せ、息子の登校拒否に付き合ったお母さんが、自学のための学校を開いてしまったくらいです。

 とっさんTVの中で、紹介されたのは、ある僧侶がした「未来では、自分たちも祖先と言われる立場になるのですが、よき祖先とはどんなものでしょうか」という質問に対して、「未来世代により多くの選択肢を残すこと」と答えたようです。

 彼こそまさに台湾の多様性と自己実現のシンボルだと思うのです。

 この頃、この自己実現という言葉が好きになって、ちょこちょこ考えていますが、goo辞書で引くと『《self-realization》自己が本来もっている真の絶対的な自我を完全に実現すること。』『 転じて、自分の目的、理想の実現に向けて努力し、成し遂げること』

 まさに、自学を貫いて、IT大臣になり、LGBTの自分を世間に認めさせた過程は自己実現の過程そのものであると思うのです。そして、より多くの選択肢とは、より多くの自己実現の可能性ということもできるのではないでしょうか。

 先日読んだジェイソンさん。アメリカのIT会社の役員であり、日本のピン芸人、家庭人であり、投資家、などなど、いろんな顔を持つ彼は、そのすべてが自分という人間だと言っていたようです。彼も飛び級をするくらい頭がよく、興味を持ったことにとことん挑戦して実現していったようです。

 これって、これからの教育改革の指針になりませんか。上から決めるのではなく、下から多様に考えて変化させていく。まるで、ロシアの戦術とウクライナの戦術の違いのようです。

 もちろん、これがすべて成功するとは限りません。今の私は、まさに自学をしながら自己実現を目指して、つまり好きなことをして頑張っていますが、ほとんどお金にはなりません。でも、こころから、自分がしたいと思ったことをしていると、身体が自然に動いて、労働が苦になりません。これが生きるということだとさえ思います。自学ばんざい!

2023年7月25日火曜日

 近頃のユーチューブ、とっさんTV

 TVというのが英語なので、今までずっと「とっさんズTV」だと思っていました。日本語の題名は「とっさんTV」です。

 コメントを書かれている視聴者さんと同じで、私も毎朝この「とっさんTV」を見てから出かけます。ウクライナはどうなっているかしらと気になって、とっさんの国際政治の分析を聞いて、「ああそうか」とちょっと安心して、車で乗り出すのです。

 大東文化大学大学院で、国際政治を勉強した方だから、当然ながら、腑に落ちる説明をしてくださるのです。

 そのとっさんが先日、「どうしても」聞いてほしいという動画を出しました。何事だろうと開けてみたのです。そしたら、いつものTシャツ姿ではなく、改まった背広姿で、ユーチューブの盾を抱いて、「視聴者が10万人を突破した」と涙ながらにお礼の報告をしているのです。涙もろいのは前にも何回か見ていたし、言葉がまるっきり政治家のそれなので、『この人政治家になれるわ』と前にも思ったのですが、その経歴の説明を聞いて納得しました。

 この人はいわゆるロストジェネレーションの人たちと同じなのです。年齢はわかりませんが、多分、その年代だと思います。

 名古屋出身で、大東文化大学の政治学科に入学、もともとそういう方面の勉強がしたかったのでしょう。弁が立つのも、政治を志す人がよく入るという弁論部にいたのかもしれません。でも、この年代の人たちはなかなか職に就けなかったのです。アルバイトや契約社員をしながらお金を貯めて28歳で大学院で国際政治を勉強、ジャーナリストになろうとあちこち原稿を送ったけれどご縁がなかった。

 この頃、結婚、起業してみたけど、収入は二か月で一万円にしかならなかった。妻が背中をさすってくれたそうです。また泣いたのでしょう。なんとか獲得した長期の仕事が、コロナで流され、やっとアマゾンの配送の仕事を見つけ、しかし、それもコロナでダメになってしまう。その時、奥様が言われたそうです。「『今は動くな』という暗示かも知れないよ」と。この言葉、私も知り合いに言った覚えがあります。この頃、私の周りにも仕事を無くした人や仕事が減った人がたくさんいました。

 それで、『何かをしなくては』と思い、始めたのがユーチューブだったそうです。はじめは政治の話は怖くてできなかったと言っていました。が、ウクライナ戦争がはじまり、まさに専門の分野をテーマにできるようになり、まさに突き進む勇気と自己実現で、精進したようです。そして10万人突破。苦節20年でしょうか。うちの娘もロストジェネレーションの年代ですから、ましてや彼は男の人ですから、涙の訳もよくわかります。

 がんばれ、とっさん。説明もよくわかるし、努力のあともあるし、頭もいいし、人柄もいいし、自己実現が政治家なら、きっといつかいい政治家になれますよ。

2023年7月16日日曜日

 専制国家

 私たち、団塊の世代の学生時代はデモをする友人たちが目立っていて、私は我ながら『なぜ私はいかないのだろう』と思っていました。その頃もベトナム戦争があって、ベ平連のデモなんかもありました。結構悲惨と言われていましたが、それでも行く気にはならずに目を背けていた感じです。

 でも、今ウクライナの戦争をネットで追いかけるように見ていると、日本があのような侵攻をされたら、『私も戦う』と本気で考えています。何が違うのでしょう。

 一つには年齢のせいだと思います。老人はいつどこで死んでも同じですから。

 二つ目は、ウクライナの兵隊さんたちも言っていましたが、未来を生きる子供達の為です。あんな人権をないがしろにする国家に未来を蹂躙されたくはないと思います。

 私が学生だった頃、デモに参加する人たちは、マルクスレーニン主義を信奉している人たちがほとんどでした。その共産主義の国家はソビエト連邦と中華人民共和国でした。そのいずれも今は、富を分配するなんてことをしていません。一部の人たちが大金持ちになり、資本主義国家と何も変わらないし、その上、専制国家です。ロシアの場合は選挙はしても、意のままに不正をしますから、民主主義国家ではありません。

 資本主義の弊害も言われていますが、それでも、民意を尊重して、人権を大事にしてくれる国家のほうが、専制的にあれをしろ、これをしろと言われるより、いいに決まっています。家庭内を考えても、威張っているお母さんは嫌われます。嫌われているのに意のままにしようとするのです。

 今、私は自学によってこういう内情を知り得ました。学生時代の私は何も知らなかったし、知る努力もせずに、与えられた学業に追いまくられていました。自分が考えないおバカだったのか、追いまくる教育システムが悪かったのか、今となってはわかりませんが、子供たちの教育システムにも、台湾のオードリー・タンさんのお母さんが開いたような自学を重んじる教育もあるんだよと教えてくれるような多様なシステムが欲しいです。私のようにとろい子供には特にそうしてくれたら、ありがたかったかなあと思います。そしたら、興味の全く感じられない物理のために、時間を取り、不正までして単位を取らなくってもよかったはずです。

 それは一時不評を買った学業を遅らせるゆとり教育とは違うものと思います。自分の興味を自由に追いかけさせる教育です。

 私の子供時代の教育システムを考えたとき、戦後日本がまだ貧しかったあの時代は、日本も専制的だったのだろうと思います。今は違うかもしれません。

2023年7月8日土曜日

 梅雨

 ボケっと生きているというか、人生を受け身で生きているというか、そうゆうもんかと受け止めて生きている私でも、この頃の気候の変化には、『何かが違う』と思うことが多々あります。

 確かに昔と違って情報も多いのです。世界中から気候変動の情報が流れてきますし、太陽フレアのニュースも、衛星打ち上げや宇宙空間を飛ぶミサイルの話も、みんな気候に影響を与えているだろうなと思えてしまいます。

 でもそれとは別に、体感で感じることもあります。それは気温です。私は田舎で育ったのですが、子供のころの最高気温は『暑いなあ』と思う時でも 三十三度くらいでした。でも今はゆうに体温を超える温度になることもあります。山の北側から、山の南側に嫁いできたせいかしらと思っていましたが、あちこちで最高記録を更新と言っているので、そればかりでもなさそうです。

 梅雨になって、ある時、気づいたこともありました。なんで夏休みは7月の下旬からなのか。そう言えば昔、梅雨明けが遅くって7月の下旬頃になったことがありました。夏休みに入ってすぐに猛暑になったので、梅雨って気温の調整をしてくれていたんだと気が付いたのです。この頃は梅雨明けが早くって、北回帰線に上ってきた太陽の直撃を受けることも多くなった気がします。

 また、昔は、カビが出やすい梅雨の季節を想像していましたが、この頃は意外とからっとした晴れの日も多い梅雨の季節という感じです。時々布団が干せるのはありがたいのですが、梅雨前線の偏りも見られ、大雨になりがちです。

 環境汚染のせいで、自分たちの未来を心配するグレタさんたちの運動も、気候がこんなにも変動してくると、無視するわけにはいきません。

 さらに、今年はラニーニャとエルニーニョが同時に起こったそうですからどんなことになりますか。

2023年7月6日木曜日

 消石灰の悲喜劇

 私のずぼらな性格が悲劇を生みました。

 消石灰は確かに虫を追い払いました。カメムシに液を吸われてしんなり首を垂れていたナスも生き返り、アブラムシも姿を消したようです。

 そこまではよかったのです。それくらい、消石灰って強力なのです。何せ、益虫のはずのミミズが苦しんで出てきます。

 それで、新しく植え替えや種蒔きの土壌改良にも使おうと欲を出して、二回までは手袋をしてやっていたのですが、三回目、外出から帰ってきてそのまますぐに、完全防備の話なんかすっかり忘れていて、素手で、マスクもせずに消石灰を蒔いてしまいました。

 腕はすぐに洗ったのですが、夜になって、あちこちかゆくなりました。最初は蚊にやられたのかなと思いましたが、その兆候はなく、面で赤くなっていました。そこで遅まきながら気づいたのです、『やってしまった』と。

 その夜、食欲もあまりなく、『そういえば、少し舞い上がったのを吸ってしまったかもしれない』と。『目も花粉じゃないかも』

 私のようなぼけた人は、痛い目にあってみないとわからないのです。いつもそう思います。

 次回からは完全防備です。葉っぱや土に残っている白い粉も要注意です。消石灰は便利ですけど、これからは使い方にも注意しましょう。

 そういえば、ひろちゃんはいつも完全防備でした。78歳になられた新しい動画では、新しい倉庫の基礎のコンサート打設を自分でしていました。その知識と技術にも感心しましたが、ずっと動き通しで完成させる体力にも脱帽です。私もボケっとなんかしていられません。

2023年7月1日土曜日

 近頃のユーチューブ、ひろちゃん農園

 『やよいのやさい』と違って、こちらはお孫さんが撮っているのかしらと思うくらい、軽い会話がポンポン飛び交います。ひろちゃんは77歳だそうですが、お元気で、広い畑を長靴を履いて飛び回っています。

 で、なぜ、チャンネル登録をするようになったかというと、梅雨に入り、気温も上昇した我が家の鉢植え菜園にも胡瓜と豆がなり出したころ、ダンゴムシが根元を食いちぎり、ナスの葉っぱにはハダニかアブラムシのような小さな虫がびっしりつき、葉がしなしなにやわらかくなっていました。すわ、水不足かと水をたっぷりやり、三倍に薄めたお酢をシュウシュウかけましたが、なかなか治りません。

 そこで見つけたのがひろちゃん農園のユーチューブ。ひろちゃんは消石灰を根元にかけると虫よけになるとアドバイスしています。

 早速ホームセンターに行きました。見ると、消石灰、苦土石灰、貝殻(有機)石灰など種類が豊富で、不遜な私は正直迷いました。でも、ここは素直に消石灰を買って来て、完全防備で根元に撒きました。後でもう一度ひろちゃん農園を見てみると、消石灰が一番pHが高いのだそうです。つまり土壌をアルカリにするのです。これが虫よけに適しているようで、確かにミミズが逃げ出していきました。

 アブラムシにもいいようで、スイカやカボチャなど地を這うものには頭からかけるといいようで、他の方法でアブラムシ退治をしたはずのピーマンにアブラムシが付いているのを発見したひろちゃんが、心外の様子で畑中のピーマンに頭から消石灰を振りかけて回っている場面があり、「結果は後でご報告します」と言っていました。

 もちろん、大丈夫だったようです。それを見て、私も雨が止んだら、もう一度完全防備をして消石灰を振りかけて回ろうと思いました。ナスは特に虫に弱そうです。というか、昔は、土壌改良のために、畑にはいつも白い石灰を蒔いていたような気がします。

 これで、私の農作業もだんだん本格化して、野菜の肥料とペレット鶏糞、お酢の虫よけ、今度の消石灰とだんだん道具立てもそろってきました。しめて3000円也、これに植木鉢や支柱などもろもろ。買った方が安いかもと思いながら、六本採れたキュウリは柔らかくて甘くって、豆も柔らかくて美味しかった。年を取ると食べものが美味しくなくなるので、これはいいことかもしれません。

 でも、今ちょっと思ったんですけど、家の土壌が酸性で、虫も食べたくなるほど柔らかい植物が育つから、美味しかったのかもしれません。アルカリ性になって虫も近寄らなくなった野菜が美味しいのかは今からの実験です。

2023年6月26日月曜日

 本、地球の歩き方 アイルランド

 『地球の歩き方』を出版していたダイヤモンド・ビッグ社が倒産したというニュースは入院の前に聞きました。それだからと言って、『地球の歩き方 アイルランド』を入院中に読もうと思って持って行ったわけではありません。こういう旅行本って、旅行に行く時でもなければ読まないですし、たっぷり時間があって旅行した気分になれていいかなと思ったわけです。

 この本、実際、1996年の改定第三版です。いつか行きたいと思って買ったのでしょうが、行く暇もなく、読む必要性もないままに、27年が経ってしまったのです。今この時に読まなくっていつ読むというのでしょう。

 というわけで、手術が終わって、次の日、まだトイレくらいにしか行けないあたりから、少しずつ読み始め、退院の前の日には読み終わりました。

 私は曲がりなりにも英文科でしたから、当然アイルランドのことは結構知っているつもりでした。が、実際は何にも知らないんだということにいちいち気づかされました。でも入院中は手元にコンピューターがないから、その都度調べられない。

 その最初が『クロムウェル』。名前だけはよく覚えていました。読み進むと『ピューリタン革命』で残虐行為をした指揮官のようでした。今までそんなに悪い人だと思っていなかったのですが、今、ウクライナの戦争を見ていると、残虐な行為をする人はいるのだとわかります。そこで『クロムウェル』をウキペディアで調べてみると、

 『オリバー・クロムウェル(英語: Oliver Cromwell、1599年4月25日 - 1658年9月3日[1])は、イングランドの政治家、軍人、イングランド共和国初代護国卿(Lord Protector)。

清教徒革命(イングランド内戦)では鉄騎隊を指揮してエッジヒルの戦いやマーストン・ムーアの戦いで活躍し、ニューモデル軍(新模範軍)の副司令官となる。ネイズビーの戦いで国王チャールズ1世をスコットランドに追い、議会派を勝利に導いた。護国卿時代には独裁体制を敷いた。』という書き出しで、アイルランドの話などどこにも出てきません。読み進んでみると、国王軍と議会軍で戦ったイングランド内戦の後、内部抗争の第二次イングランド戦争を経てチャールズ一世を処刑して、『共和国の指導者となったクロムウェルは、続けて平等派も弾圧し始め、中産市民の権益を擁護する姿勢を取るようになる。重商主義に基づいた政策を示し、同時に貴族や教会から没収した土地の再分配を行った。』といいことも書いてありました。

 その後アイルランドが出てくるのです。『アイルランド併合とスコットランド侵攻

カトリックのアイルランドやスコットランドは1649年から1651年にかけて反議会派の拠点であった。クロムウェルはアイルランド遠征軍司令官兼アイルランド総督に任ぜられて侵攻を始め、1649年8月にダブリンに上陸、続いてドロヘダ、ウェックスフォードを攻め、ドロヘダ攻城戦・ウェックスフォードの略奪(英語版)などの戦闘を始め各地で住民の虐殺を行う(クロムウェルのアイルランド侵略)。アイルランドはクロムウェルの征服により、以後はイングランドの植民地的性格が強い土地となる。』まるでロシアの侵略のようなことをしていたのですね。この後スコットランドにも攻め入っていくのです。

 内政的には『軍政監を廃止。議会によって国王への就任を2度にわたって望まれるが、これを拒否して護国卿の地位のまま統治にあたった。同年にユダヤ人の追放を解除し、これによって1290年7月18日のエドワード1世による追放布告(英語版)以来350年ぶりにユダヤ人が帰還した。』等いいこともしているようです。

 しかし、死後には王政が復古し、墓を暴かれて首をさらされるなど、評価は分かれるようです。彼自身も大変な人生だったでしょうが、9人の子をなした奥さんも大変だったでしょう。

 ノーベル賞作家のイェイツ等の文学者のことも調べたかったのですが、また今度にしましょう。ただ、私が英文科にしてはあまりに何も知らな過ぎたという現実はよくわかりました。

2023年6月20日火曜日

 手術!

 コロナ罹患後の味覚障害は有名ですが、私と娘はコロナの半年後に唾液腺の腫れでお医者に行きました。抗生物質を処方していただいて、娘は治ったらしいのですが、私はまだしこりが残っていて、お医者さんに大病院を紹介していただき、検査を受けました。

 若いお医者さんは、しこりは何でもなさそうだけれども、昔手術して取った耳下腺腫瘍のところが再発しているようだから、CTを録ろう、次には針を刺して取って検査をしてみようと言われ、40年前は良性腫瘍と言われたのだから、これで終わりだと元気をつけて、説明を受けにいったら、「今は良性腫瘍だけれども悪性に代わる可能性がある腫瘍です。その下にも何かありそうなので、そちらを穿刺検査してみて、MRIもやってみましょう」と言われました。

 『ええ、良性なら今でなくてもいいのじゃない』と思いましたが、そこは74歳の年の功、「ありがとうございます」と受けてしまいました。

 あとで考えましたが、お医者さんってファイターなんですよね。いつも病気と闘っているのです。だから、見つかった以上、止まっているわけにはいかないようです。ありがたいのか迷惑なのか。

 でも、そう言われて見ると、足が冷たくって血圧が高い、背中が凝るなども、みんな、体の中に腫瘍があるせいかもしれないと、だんだん病気の気分になってきてしまいます。

 でも手術っていやなんですよね。私はこの耳下腺腫瘍の手術を二回していまして、胆石の開腹手術を一回していますが、みんな痛くてしんどいのです。特に60代で受けた開腹手術は若いときに受けた手術とは気概が違いました。

 同じ年代の団塊の世代の人たちが次々に亡くなられる中で、コロナは生き延びたものの、いつ死んでもおかしくない歳です。

 心が揺れていた時、以前に読んだ婦人公論のある記事を思い出しました。『90歳ひとり暮らし、都営住宅で生活費月10万のシンプルな生活とは?BTSの音楽を聞き、夜は晩酌』。ツイッターで『現在20万人以上のフォロワーがいる大崎博子さん。その暮らしぶりは、老後のお手本にしたいアイデアに溢れています』。本にもなったそうです。その中に『実は70代で、胃がんの手術を受けています』という記述があったのです。70代で手術って、珍しくもないのだと励まされました。

 手術前

 で、『なんでその気になったか』というと、『これだけ検査をして、良性だから一年後というと、また同じつらい検査をしなければならない』と思ったのです。あとは前回の時もどんどん大きくなって行ってしまった経験から、『一年後にはもっと大きくなる、小さいうちに取った方が予後もいいかもしれない』、『入院しても一週間だろう』等など。そう言えば、知人も80代で心臓の手術をしたと言っていたっけ。

 やがて手術入院が近づいてくると、なんか本当に病気のような気になってきて、手術をしたら、もっと身体も軽快になるだろうかと考えたり、一週間ゆっくりできる、きっと何もすることがないから、運動をする時間もたっぷりとれるだろうと甘いことを考えたり、楽しみにもなってきました。

 手術後

 手術はそれなりに大変でしたが、コロナ以来の面会謝絶で、看護師さんたちが真夜中も親身に面倒を見てくれました。日に日に、尿管カテーテルをはずしたり、きついストッキングを脱いだり、点滴をはずしたりと身軽になっていきます。

 そうすると、新しく新築移転してきたこの病院は設備もよく、病室のある六階は眺めがいいのです。身軽になると、特別明るくって、眺めのいいデイルームにも散歩に行けます。先生の診察も毎日あり、『こりゃあ極楽だわ』と、のんびりしようと思っていた矢先、「明日退院」と言われてしまいました。手術から四日目のこと、入院期間は五日でした。まあ、元気になったんだから仕方ないです。

2023年6月13日火曜日

 ヤングケアラー

 私の人見知りな性格、うまく人と話が噛みあえない性格、思いやりが足りないのか、友人関係が重荷になる等の話を娘としていた時に、子供のころのことを思い出しました。

 二歳違いの弟がいて、母は一人農業で忙しく、父はサラリーマン、祖母は病気がち、祖父は政治家、こう見るとみんな活躍していたのですが、私たち姉弟をみる人はいたようないないような。田舎の家は大きいような小さいような。

 そんな中で鮮明に覚えていることがあります。小さいころの私は遊びに行くときはいつも弟を連れて行ってと母に言われていました。でも弟を連れて行くと、遊びの仲間に入れてもらえないのです。それで、プライドの高い私は、弟を連れて帰ってきてしまう。田舎の家は広いので、木登りでも土いじりでも、遊ぶことには事欠きません。で、ケンカしつつも私たちは仲の良い姉弟になりました。弟がはしかで寝ていた時は、私はずっと枕もとで遊んでいました。離れると弟は泣きべそをかいたのです。

 そこまで聞いた娘が「ヤングケアラーだったんだね」と言いました。今はやりの言葉です。子供が家族の中の身体弱者の面倒を見るという意味です。

 やがて弟はだんだんと社交的になり、スポーツも得意で、友達と遊びに行ってしまうようになりました。私は取り残されたように、もう、今更友達もできずに、内弁慶と呼ばれるようになりました。

 私の社会性、社交性の無さはあれが原因だったのではないかと思うことがあります。確かに、若いころは生きづらさがありましたが、今、年金暮らしで人と付き合うことも無くなって見ると、こういう生き方もありかなと思います。活躍はできないけれども、煩わしくなくてのんびり生きられるのです。

 何よりも、そういうのんびりした姉を持った弟は、免許が取れるようになるとすぐに50ccバイクの免許を取り、遠くの高校で、帰りが遅くなる姉を毎日駅まで迎えに来てくれました。のんびりで世間知らずの姉は「ありがとう」の一言もなかったと思います。

 結局、近くにいれば、誰もがケアラーになるような気がします。身体的弱者とは限らずに、お互い様なのです。

2023年5月30日火曜日

 近頃のユーチューブ、本要約チャンネル

 GYAOの無料動画が無くなってしまってから、Tverで日本のドラマはたくさん見れて、中には好きなものもあるのですが、外国ドラマは全くと言っていいほど見られなくなってしまいました。なぜ外国ドラマが好きかって、よくも悪しくもエネルギーが違う感じがするんです。例えば子供たちへの愛情表現にしろ、力いっぱい抱きしめる。日本ではそういうのはなかなかないです。

 で、この頃、ウクライナに気を取られているので、本を手に取って読書というのも気持ちがせわしなくなっていてできない、ウクライナ関係のユーチューブを見ていると、その中に交じって、いろいろなユーチューブが出てくるのです。今までにも書いてきた、例えば、昭和の歌謡曲、料理、ジャムの作り方や身近な植物で作るお茶、漬物、農作業。

 その中にこの『本要約チャンネル』というのがありました。ちょっと長めの30分か40分で一冊の本をまとめて解説してくれるのです。最初に見たのが何だったか忘れてしまいましたが、確か栄養学のようなもの、それから、『副腎の働き』というものだったでしょうか。なかなか有益な情報だと思いました。

 それで、この頃覚えたチャンネル登録というものをしておきましたら、頻繁にこの『本要約チャンネル』が上がってきます。どちらかというと、実用書が多いようです。

 最近見たのは【ベストセラー】「ハーバードの研究員が教える脳が冴える33の習慣 」を世界一わかりやすく要約してみた【本要約】。その前に見たのが【ベストセラー】「シンプルで合理的な人生設計」を世界一わかりやすく要約してみた【本要約】。何か聞いていると、相反する内容が出ていたような気がしましたが、そこはそれ、『なるほどなあ』と感心して聴いていました。ちょっとでもモチベーションが上がる内容に行き当ればいいわけです。全部できるわけはないのですから。

 この歳になると、まじめじゃなくなってくるのですが、若い人のように、全部信じてやってみるという歳でもないし、そんな時間も気力もない。『こう考える人がいるんだなあ』と思い、人生のヒントを貰うというだけで充分のような気がします。

 中で一つ、ああ確かにそうだと思える記述がありました。『ありがとうと言える人はゆとりをもって、何事にも取り組める』といったような記事だったと思います。私もこの歳になって、たくさんありがとうを言うようになりましたし、確かにゆとりを感じます。でもこれは、この歳になってゆとりが出てきたから『ありがとう』と言えるようになったのかも知れないとも思います。

2023年5月19日金曜日

 近頃のユーチューブ、やさいのやよい

 これはユーチューブの表題です。いやいや、やよいのやさいでした。こういう風に毎回どっちだったかなと頭が揺れます。つかみはOKですね。

 で、いつも気になっているのですが、野草とか、ほうれん草の種の蒔き方とか、今、近々に必要としている情報でもないので、たいていはスルーして、ネットサーフィンを続けてしまうのですが、ある時、思わず止まって見てしまいました。

 その時のテーマは二年分の石鹸の作り方でした。

 アレルギー体質の我が家では普通の洗剤は使わずに、石鹸洗剤を使っています。特に私は、昔、親に大量に貰った化粧石鹸がありましたので、それで体も頭も洗い、少し小さくなったものはネットに入れて溶かして、洗濯にも使っています。これだと乾燥肌にもならず、静電気も起きず、と、私が何年か前に記事に書いたようなことを、やよいさんも動画の中で言っていましたので、これは私も作らねばならないと動画を見ながらメモしました。いつか、親のくれた化粧石鹸が無くなった時のために。

 その途中で、撮影している旦那さんらしき人の合いの手が入るのです。例えば、「その苛性ソーダは、今朝、私が買ってきたものです」とか、「二年前に作ったのがまだ残っていたよね」とか。この旦那さんは撮影が得意のようで、映像はとてもきれいです。

 いいですね。夫婦で助け合って自分たちの田舎の生活と日常の動画を作って記録に残しているなんて。そういえば、娘がおすすめの東欧の田舎の家庭料理の動画は息子さんが撮っているようでした。

 そこで思い出しました。私の動画、もう一年以上、更新していないんでしたっけ。去年の桜の動画がまだアップされていないのです。機械は苦手ですが、美しいと思った記録を、私も残しておかなければ。

2023年5月17日水曜日

 一生懸命する五つの柱

 『厚切りジェイソンさん、佐賀県の唐津東中高で講演 「複数の分野で自分磨いて」』という記事を見つけて、確か、あの人は、幼児番組に出ていたタレントさんで、投資家で、IT事業家でもあると聞いたことがあると思い出しました。

 記事は『米国出身の厚切りジェイソンさんはIT分野での活躍を目指し、「周囲に日本語ができる外国人がほとんどいなかった」と大学3年の時に日本語を猛勉強した。現在は日本のIT企業の役員を務めており、「ある程度のスキルをいくつか持ち、それをフル活用することで活躍できる可能性が広がる」と話した。』確かに複数の分野で活躍している人です。

 で、どんな人かと気になって、ウキペディアで調べてしまいました。

 飛び級をするほどの、とても優秀で勉強熱心な人だったみたいです。

 ソフトの開発のために一年間日本に来て、そのとき知りあった日本人女性とアメリカで結婚、その時日本語の勉強の意味もあって、お笑いに興味を持ったようです。

 お笑い芸人になりたいと思い、IT企業の日本法人に参加、『芸人を目指せるとして(知り合った)加藤にワタナベコメディスクールの土日コースを勧められ、2013年10月に19期生としてワタナベコメディスクール入学[4]。同スクール卒業後の2014年9月にワタナベエンターテインメント所属となりデビュー』。その後、2年連続でR-1ファイナリストとなったそうです。

 もちろん、お笑いに興味のない私は、全く知りませんでしたが。

 もっと衝撃だったのは、次の記述、『2021年現在では、テラスカイ本体のグローバルアライアンス事業部長[9]及び同社子会社の株式会社テラスカイベンチャーズの取締役[10]も務めており(テラスカイの株式を1万株超持つ株主でもある)[3]、社業とお笑い芸人とを両立させた活動を行っているが、社業において芸人仕事のため半休を取ったり取締役会を途中で抜けたりもしているという[4]。「“本業は何?”と問われるけど、本業という言葉自体が嫌い。これは人間=仕事という意味が込められてるんですよ。本業以外の事は出来ないでしょうか?という意味が込められている。」「僕は人間・ジェイソン。全てが本業。」[11]。お笑い芸人としてだけではなく、テラスカイ社員・IT専門家として、本名のジェイソン・デイヴィッド・ダニエルソン名義での講演も数多く行っている』

 最初に表題を読んだときは、『私も五つくらい興味のあることをしているよ』と思って、書き出してみたのですが、ウキペディアの次のくだりを読んだときは恥ずかしくなって、引っ込めました。

 『タレント活動で得る収入のほか、会社での役員報酬、シカゴに所有しているマンションの家賃収入もある[13]。また、初訪日した20歳のときは体重が140kgもあり、カロリーダイエットとジョギングに挑み約78kg減らし現体型に至った[14][15]。現在でもジョギングを日課とし、出張先でも時間を見つけて数kmの走り込みを行っている。2016年2月28日には「東京マラソン2016」の男子の部で出場し、4時間56分55秒で完走[16]。』

 なんでもとことんやる人のようです。怠け者、中途半端の私とは全く違うと感じました。でもね、細々ながら、私も真似してみようと思います。少しずつでも、興味を深め、長続きさせて、『これが私』と言い切れるようになりたいと思います。この歳になって、自由な時間があるのですから、やりたいことができないわけがない。ちょっと人前に出たりということは苦手ですけど。

 勇なきなり

 久しぶりにこの言葉を聞いたような気がして、しかも『なるほど』と感心して、『ほんとうにそうだわ』と納得したのです。

 少し時間が経ってみると、本当にこんな言葉だったかと自信が無くなり、調べてみるとそんな記述は見つかりませんでした。そんなニュアンスに感じ取ったのかなと思いなおしていますが、何のことかというと、芸人のたむけんさんが(私は全く知らない人なのですが)

50歳を機にアメリカ移住に挑戦する、したという話です。 

 『30年ほど芸人をやってきて、そら、芸人の世界を出る寂しさはあります。でもね、寂しさがあるからと言ってそのままやったらそのまま。もし次の何かを求めるんやったら。今の状況のまま新しいことも欲しがるのは虫が良すぎる。仲間と離れたり、収入を失ったりするリスクを背負わないと次のものは得られないと僕は思うんです』中西正男氏の記事。

 『コロナで3年間、考える時間があったことが大きい。お金を貯めて60歳になってから行くのと、50歳ではまったく違う。「動かないと、もうアカン」と思ったんです。』

 この辺りの記事で、『新しいことを始めるには勇気がいる』と書いてあったような気がしたのです。これ、とても納得したんです。私も、70代ですが、やりたいこと、やらなければならないことはたくさんあります。後、2、3年で、家を修理するか、それとも身の丈に合った中古住宅を探すか、断捨離はどこまでするか、決断しなければならないことは山ほどあるんです。どれも一歩踏み出すには『勇気』がいるんです。もちろんリスクもあります。で、たむけんさんの挑戦は参考になると思いました。

 でも、ちょっと後になって、考えたら、これは確か、『義を見てせざるは勇無きなり』という言葉でした。調べたら論語の言葉らしいです。『「目の前に困っている人を見かけたら、 見て見ぬふりをするのではなく、手を差し伸べることの出来る人こそが、勇気を持った 人である」という意味だ。』と書いてありました。

 私のは「義を見てせざるは」ではありませんが、生活の中で一歩進むのにも勇気の必要なことは多々あることを考えさせ、背中を押してくれるたむけんさんの挑戦でした。

2023年5月11日木曜日

 フォギイヘッドはコロナウイルスから?

 昨年九月に、三回のワクチン接種にもかかわらず、人並みに家族感染してから、また人並みに味覚障害も起こして、何を食べてもおいしくない日々が続きました。

 それが何か月も続いて、寒い冬に、私と娘は、唾液腺が腫れてお医者さんに行きました。娘は耳下腺、私は顎下腺だったので、娘は同じ原因じゃないと言いますが、絶対にそうです。コロナウイルスが住みついたのです。

 最近、ネット記事を見ていたら、ブレーンフォグというコロナ後遺症があるんだそうです。脳の中にウイルスが残ってしまうと、

 『新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が治癒した後にも、強い倦怠感、味覚・聴覚障害など様々な後遺症が出現することが知られていますが、最近では、認知後遺症が“脳の霧(Brain Fog)“と呼ばれて注目されています。“脳の霧”とは、最近の出来事を思い出せない、物事を表現する時に適切な言葉が出てこない、集中力が途切れるといった、認知機能関連症状のことで、このような症状が、COVID-19後遺症患者の約3分の1に認められたという報告もあります』ネットで調べてみるとこういう記述がありました。

 というと、私の『ものわすれ』はここから来ているのかしらと思ってしまいます。それだったら、『認知症かしら』と悩まなくてもいいわけです。

 同じくネット記事で見たのですが、認知症と診断されると、本人の口座は凍結されてしまって、夫でも引き出せないのだそうです。そのため介護にかかる費用を夫が全額出していても、いざ妻が亡くなった時に、遺産相続は普通に行われ、介護にかかわらなかった親族にも分けなければならなかったのだそうです。

 後から介護費用は遺産から引かれるのか、その辺のところはよくわからなかったのですが、でも、危機感を感じた私は、すぐに『介護費用の支払いを私の口座から支払うように娘に委託する』という文書を作って娘に渡してしまいました。

 さらに「あんたも書いときなさいよ」と娘に言うと、同じようにネットで調べた娘は「ひな形があるらしいから探すよ」と言っていました。つまり、それだけ一般的な出来事のようです。

2023年5月6日土曜日

 洗脳

  ウクライナも目が離せない情勢が続いていて、私もアップされる動画を待ちながら、合間に縫物をしたり、買い物をしたり、草取りをしたり、食事を作ったりと八面六臂の毎日です。5月になって温かくなってきたこともあり、疲れます。

 かといって、この生活習慣は変えられなくなってきています。

 先日、ボグダンさんのユーチューブを初めてみました。流ちょうな日本語でキーウから戦争報告をしてくださるこの方は、以前にも何度かニュースなどでお見掛けしていましたが、何をしている方なのか、なぜ日本語が上手なのか、全く知りませんでした。

 中の一本に、おじいさんが出ているのがあり、おじいさんはウクライナでは有名な学者さんだそうです。ボグダンさんはチェルノブイリの事故のあたりに近くで生まれ、阪神大震災の時は神戸にいたそうです。大学の時ウクライナに戻り、日本の商社に勤め、独立して輸入品の会社を運営していた時にこのウクライナ戦争が起こったようです。災難に積極的にかかわらなければならない運命だったのでしょうか。おじいさんは、「孫たちは二人とも積極的に行動していて、誇りに思う」と言っていました。

 この二人のお孫さん、ボグダンさんと弟のステファンさんがボランティア活動でハルキウに残っている人たちを迎えに行く様子を撮った動画がありました。年配でリーダー格のボランティアの方の乗った大きめの車が先に行き、ボグダンさんとステファンさんの車は後ろの座席を空けて、人が乗れるようにしてついていきます。戦時下とはいえ、故郷を離れて遠くに行きたいと思う人はそんなにはいません。年寄りは特にそうです。私も思いますが、どこで死んでも同じなわけですから。

 途中の休憩で、ステファンさんと先輩ボランティアの人が話をするシーンがありました。

若い大学生のステファンさんが一直線にロシア人を非難すると、先輩ボランティアの人がいうのです。「彼らは長きにわたってプーチンに洗脳されてきたんだよ。彼らは悪い人間たちでは無い」と。彼はこんな戦時下でも、普通の人の感覚を持ち続けているのだなあと感心しました。

 そうなんです、洗脳って本当に怖いのです。日本でも近くには宗教問題で洗脳が話題になりました。統一教会、その以前には、サリン事件を起こしたオウム真理教、私は宗教は詐欺だと思っていますから、生活の中に入り込んだ宗教行事もみんな洗脳だと思っています。葬式、法事、付き合い、生活の中の常識、できない人は閉じこもるしかないのです。今の私は自由に閉じこもっています。

 その他にも、コマーシャル、化粧品、サプリ、洗剤、等なども洗脳だと思います。化粧品をつけて、肌つやつやになったとしてもその時だけでしょう。化粧品が切れれば、また元に戻ってしまいます。その魔力を信じている人はまた買わなければなりません。でも、いったいいつまで。魔法はいつか消えます。

 世の中、ミニマリストたちは見破っています。でないと生きていけませんから。最もお金のないミニマリストには統一教会も近づかないでしょうけれども。

2023年4月30日日曜日

 ユーチューブ運動を楽しくやる方法

 一時膝が痛くって歩けなくなって以来、毎日体を動かして、ケアを怠らないようにしています。

 朝起き抜けに、少しあちこち動かして、そのあと筋トレをほんの少しします。そのあと、食事、次に食後三分体操、一分ずつの片足立ち。

 コンピューターを見出すと、合間を見つけて、ユーチューブ体操をします。同じものをするときもありますが、違うものを見つけて挑戦していくときもあります。

 これらをもう一年半ほど続けています。

 その結果はどうかというと、膝は治りましたし、更に正座ができるようになりました。

 何より驚いているのは、体重はそんなに変ったわけではないのに、肩や胸のあたりの脂肪が減って骨が触れるようになりました。これって毎日やったご褒美だろうと感激しています。本当に、運動大嫌いの私は、運動をこんなに続けられたことはなかったのです。

 あ、ヨガはやってましたけど。あの時も健康全般にすごく自信が出てきた感じはしていました。あの時、自信が付きすぎて、少し無理をしてしまったのです。それで、膝を壊してしまいました。

 今はヨガではなく、局所的なもの、最初は膝関係が主でした。その後、猫背を治したいがために腕肩関係。足首が固い、足指がつるなど、その時々に対応した動画を探します。中でも猫背、首凝り等に関した動画はほとんど毎日のように見てやっています。

 それは、たった三分で短いし、リズミカルでとっかりやすいのですが、毎日となるとやはり飽きて退屈になってきます。でも、さすがに一年半ともなると、運動嫌いの私はなおさら対策を考えないと続きません。で、やっているうちに思いついたのです、ちょっと自分らしさを入れたら、もうちょっとアドレナリンが出るのではないかと。で、ある動作の時は、呼吸法を入れ込みました。腕を押し出すときは、上に下に、自由自在に。子供が先生の言うことを聞かずに自分勝手に動いて楽しんでいるように、勝手にアレンジしています。ユーチューブですから怒られません。

 これは毎日見ながら続けている体操ですが、中には食後三分体操のようにすぐに覚えてしまうものもあります。『二週間で開脚ベター』のように期限付きのものもあります。期限内にはできそうもありませんが、今はこれに挑戦中です。

 結果が出てくると楽しくなるようです。この歳になって初めて知りました。

2023年4月22日土曜日

 近頃のユーチューブ、タイヘイトリオ タイヘイ夢路さん

 ある日、突然、ユーチューブにタイヘイ夢路さんの『浪速春秋』という歌が現れたんです。私の年代だったら、まだテレビでタイヘイトリオさんの漫才を見たことがある人は多いと思いますが、歌謡漫才です。で、聞いてみたのです。春団治さんのお姉さんのおあいさんの目線で歌われた、いわゆる浪曲歌謡でした。あの頃、浪曲歌謡は結構あったんです。

 他にもタイヘイトリオさんの漫才の動画があって、そこでは相方の糸路さんが「私らはテレビ久しぶりに出してもらうけど、あんたはいつも出ているから…」といったような嫌味を言っているところを見ると、夢路さんのこの歌はヒットして彼女は歌番組にも進出していたのでしょう。

 私がこの間書いた都はるみさんの『浪速恋しぐれ』は春団治さんの奥さんの目線で歌われていたのです。歌に歌われるようなそんなに有名な人でも、年代的にも距離的にも遠いとまるっきり知らない人なので、まず、この春団治とは誰ぞやとウキペディアで調べてみました。初代、二代、三代、四代とその前の零代もあるそうで、この何代目の人なのかと探検家よろしく探していきました。まず読んだのは二代目の記事。でも、この人の記事は家族関係が違いました。では零代か、初代か。零代は若死にしたそうですので、やっぱり、初代ということになりました。小説にも芝居にもなって、森繁久彌さんや藤田まことさん、藤山寛美さん等が演じたそうです。その中のエピソード、どこかで見たことがあると思っていましたが、NHKの朝ドラの「わろてんか」の中に出ていたものだそうです。

 で、私が興味を持ったのはタイヘイ夢路さんなのです。多分浪曲の修行をされたのではないかと思われるほどの声量と節回し。これも芸術の域です。歯が欠けている映像もあったのですが、声だけは何の変りもなく出ているのです。もう、多分お亡くなりになっているだろうと思いましたが、どんな生い立ちでどんな修行をされたのか、気になって調べてしまいました。

 名前を入れて調べてみると、『タイヘイ夢路さん(たいへい・ゆめじ=漫才師、本名辻本節子〈つじもと・せつこ〉)が7月31日、肝硬変で死去、88歳。葬儀は近親者で営んだ。』(2018年)という記事が目に飛び込んできました。『昭和30年代から40年代にかけて一世を風びした浪曲漫才「タイヘイトリオ」のタイヘイ夢路』というのもありました。私が小、中学生のころです。

 さらにウキペディアを見てみると、『一時満州で軍事浪曲で満州日出丸を名乗って売れていた浪曲師兼興行師京山愛朝の娘で、少女浪曲師として4歳から朝日博子の名前で舞台に立つ』と書いてありました。やっぱりだったのです。あの声は普通の人では出せるものではありません。

 さらに読んでいくと、まるでミステリーのネタバレのようになってしまってもいけないのですが、糸路さんはお姉さんだそうです。最初にドサ周りの巡業で知り合った夢路さんと洋児さんが夫婦浪曲漫才を始めたそうです。そこに糸路さんが加わってトリオになり、やがて事業に失敗した洋児さんが失踪。原児さんを加えて再出発したようです。

 やがて、糸路さんがソデに回りと書いてありましたが、ご主人と音楽活動をしていたようです。原児さんも司会業や歌手などに道を見つけ、夢路さんも歌手やバラエティ、俳優業もこなし、活躍していたようです。夢路さんが亡くなると糸路さんも同じ年の次の月に亡くなったようです。春団治さんも含めて、みんな生き切ったという感じでしょうか。

2023年4月10日月曜日

 いつの間にか使えるようになっている技術

 昔々、私がアルバイトをしていた頃のことです。私は40代だったから、30年も前の話です。

 自信はあったのですよ、それなりにできるだろうという。ワープロの使い方もコンピューターの使い方もそこの仕事先で教えてもらって、できるようになりました。でもなかなか難しいこともありました。それは、相手先の研究所などの名称が改編で一気に変わったのです。当然業務内容も変わりました。この変化についていけなかったのです。

 仕事って相手のあることですから、しかも興味のある事ならいいのですが、頭の悪い私には自分を変革させることができませんでした。そしていつの間にかやめていました。

 今の私なら、時間もたっぷりあるので、何とかついていけていたかもしれません。言い訳すると、40代の主婦は忙しいのです。

 その証拠に、私は今、コンピューターを使っていろんなことをしています。ブログもショップもユーチューブも、ニュースもドラマもコンピューターを駆使です。

 機械は相変わらず苦手ですが、使うことはできます。そして、これは今、小学生でもできるのです。知りたい、見たいと思ったら、それに引っ張られて自分を変革できるようになるようです。

 スマホまでしたいとは思いませんが、必要があれば、時間と心の余裕がある今なら、できる自信はあります。技術とか変革というのは時間と余裕と必要と、いろんな要素が絡まって、いつの間にか覚えていくもののように思えます。

2023年4月9日日曜日

 検診に行ってきました

 こんなに太っているのだから病気のはずがないなどと言い訳をしながら、本当は注射が怖くって、市の無料の検診を受けなくなってからもう十年になるでしょうか。私は太っているせいか、血液検査の注射がスムーズに入らなくって、それまで毎回苦労していたのです。

 しかし、この頃血圧が高いのを心配した娘が、どうしても、「無料で受けられるのは、この歳までだよ」と嘘とも本当ともわからない話をして強引に勧めたのです。

 『まあ最後ならいいか』と単純に乗せられて、『それまでに血圧と体重を減らしてやるぞ』と、これも単純に意気込んで、年度終わりに時期を設定して臨みました。

 で、体重は二、三キロ落ちたのですが、年度終わり近くになって、唾液腺が腫れたり、歯が折れたりしてお医者さんに行ったストレスか、一、二キロ減に戻ってしまったり、何としても血圧が下がらなかったり、色々抱えながらも検診に突入してしまいました。

 集団検診ではなく、病院で受けたのですが、心配していた注射もあっという間に終了して、今、新年度になって、結果が届けられました。総合判定はCでしたが、AとCが混在する、まあ、年相応のものと私は思いました。

 でも、忙しかった十年前に受けたころには気にもしていなかった結果ですが、この歳になってあちこち不安材料も出てきてから受けてみると、結果は結構気になるものです。

 まず、目を止めたのがLDLコレステロール値、以前は高かったのですが、今回は正常範囲内です。ここ一年半の毎日の運動が反映されたんだと娘に自慢しました。ところがこの下に、NON-HDLという気にも留めなかった項目があって、LDLと同じ説明がついていました。『別名「悪玉コレステロール」、肝臓からコレステロールを全身に運ぶ。増加すると動脈硬化を促進させ、心筋梗塞や脳梗塞を引き起こす』これがわずかに高くって、さらに中性脂肪も高くって、脂質の判定はC。『生活習慣の改善を要する』でした。

 次に気になったCは腎機能です。クレアチニン値はわずかに高かっただけですが、eGFR値が低すぎたのです。これはクレアチニンと年齢で計算して出されるそうで、『腎機能の低下発見の手掛かり』になると書いてありました。そう言えば、この頃おしっこが近くって、水分を控えめにしていたのです。コンピューターで調べてみると、これがいけないらしかったです。『水分はこまめに』と書いてありました。でも、糖代謝はAでしたから、糖尿病ではなさそうです。

 あとは思った通りの血圧、腕で測りましたから家で測るより低く出ましたが、Cで、わたし的には動脈硬化がおきていて、血液を送るのに心臓が苦労しているのだろうと思いました。動脈硬化の検査はなかったのです。

 Cは4つで、最後は身体測定。BMI、30.6、正常なら25以下のようです。腹囲も信じられないような大きさ。身長が若いころより二センチも低くなっていましたから、計算にはこの影響もあるだろうと負け惜しみを言いましたが、正常体重は60キロ以下のようです。

 さあ大変です。この四つのCを克服するには、今までの体操に加えて、塩分を抑えて、大好きなクリームケーキを我慢して、水をこまめに飲んで、野菜たっぷりのお焼きを毎日作って食べなければなりません。

 気合が入って、来年の健康診断が楽しみになってきました。

2023年4月8日土曜日

近頃のユーチューブ  中井昭 なかい あきら 1936 - 1984 高橋勝とコロラティーノのボーカル「思案橋ブルース」 1936年07月08日に誕生し、1984年02月19日に47歳で亡くなりました。

 以前、書いた記事の中に『中井昭とコロラティーノ、思案橋ブルースというのがありました。私がいくつのころだったか、全く思い出せないのですが、この曲は大ヒットで、ほとんど毎日のようにテレビの歌番組で流れていました。しかし、いつの間にか彼らは出なくなって、そして歌も聞けなくなってしまいました。彼らは、あの一曲だけだったようです。それをユーチューブで見つけたときは。うれしくって、思わずコメントも書いてしまいました。この歌をカバーで歌っている人もたくさんいましたが、全然違うのです。』と書きました。

 これが私が当時書いたコメントです。『キラリ感動 11 年前、私もやっと見つけました。心のどこかでずっと探していたのです。本当に突然消えてしまった感じだったのです。巡り会ったときは、もうとっくに亡くなっていたなんて。でもとにかくありがとうございます。』

 まさに『あれから11年』です。

 ユーチューブで、ニュースもドラマも料理も見るようになって、昔の、テレビ、身近な辞書、相談相手のような存在になって、一日中ユーチューブをサーフィンしていた時、見つけたのです。それは、中井昭さんの他の歌でした。それも一人の投稿主だけでなく、いくつかありました。その中の一つ、LP版からアップしていた方は、そこにかかれていた説明を記事として載せてくれていました。全部はコピーできませんが、その中の一行。

 『最高Bフラット(歌謡曲の女性歌手が出せる最高音)まで出るという高音の魅力と音域の広さは、日本歌謡界で随一でしょう。』

 まさに女性の声のような歌が多く投稿されていました。

 別の投稿主さんは『●中川レオさんという歌手が歌った曲です。●中川レオさんのシングルでは違う方の作詞・作曲となっていますが、中井あきらさんのLPでは、作詞・作曲がレオさんの表記になっています。』として、『中井あきら 「鴨ねぎ音頭」』というカバー曲を投稿してくれていました。ミニクラブに客がネギしょってやってくるという楽しげな歌です。

 コメント欄に「中井あきらさんに私が持っていたイメージがひっくり返りました」というのがありましたが、私も同じ意見です。でも、こうして亡くなった歌手の歌が復活して聴けるなんて、歌も不滅の芸術の域に入ったのでしょうか。楽しみです。

2023年4月1日土曜日

 近頃のユーチューブ やまと尼寺精進日記

 昔、テレビをよく見ていた時に、時々見ていました。ベニシアさんの番組のように、また、東京の奥の山の中で、長年住んだおばあちゃんがお礼に山に桜を植えて去っていくというドキュメンタリーと同じように、NHKのディレクターが時々行って撮影して放映していたようです。

 場所は奈良県音羽山観音寺、ここに、ご住職と慈瞳さんという眼鏡の副住職とまっちゃんというお手伝いさんがお寺を守っていました。山の上の景色も空気もいい、由緒ある祈願寺だから、檀家さんなどはいないのだそうですが、三人は、市や裾野に住む人々の協力や寄進を得ながら、精進料理の席を設けたり、宿泊を受け入れたりして、お寺を守り、山野草を取り、梅干しを大量に漬け、昔ながらの半自給の生活をしていたのです。

 ドキュメンタリーは4年くらい続いたようです。ファンもたくさんいたみたいで、最近偶然に見たユーチューブに、『『2020年3月に突然最終回になり、その後、6月ごろにまっちゃんのブログで、慈瞳さんとまっちゃんが山を下りたという報告が書かれていた。心配です』と書かれていて、私も心配になってあちこち調べてしまいました。

 ユーチューブには『やまと尼寺』のファンの方がたくさん投稿しています。そのあたりを見てみると、原因はやっぱりコロナじゃないかなと推察してしまいました。

 精進料理や宿泊は、コロナ下ではできなくなってしまったのでしょう。ご住職は本山で精進料理を習ったという方で、これはお寺の収入源でした。

 慈瞳さんはカウンセラーの資格を持ち、副住職の傍ら、学校や病院、ホスピスなどで仕事をしていました。コロナ下の医療従事者になってしまったそうです。これも収入源だったのでしょう。

 まっちゃんは美術学校を出た方で、お寺の案内板などにイラストを描いていました。

 単純に言うと、コロナで、収入が細り、三人はどうしようかと相談したのでしょう。

 その結果、住職さんが寺に残り、今までの職務を続け、慈瞳さんはカウンセラーとしての仕事に専念し、まっちゃんは本職の美術の世界に飛び込んで、個展を開いたり、ブログを書いたりし始めたようです。ご住職さんもお寺の公式チャンネルを開設しています。

 この変化の多い世の中、生きていくのはみんな大変です。でもきっと、今までの経験や絆を糧にして、三人三様に活躍していかれることをみんな祈っているみたいです。

2023年3月29日水曜日

 ものわすれ

 孫が『明太子パスタ』がどうしても食べたいというので、コンビニによって買ってあげたら、非常に食べづらそうな顔をして食べて、それでも最後はお皿まで舐めていたので、美味しいのだとはわかりましたが、よくよく考えてみれば、明太子だから辛かったのだろうと気が付きました。

 じゃあ、同じようなので辛くないのは何だっけと思ったのですが、出てこないのです。

 この頃よくこんなことがあります。そういう時はコンピューターをあけて調べるか、娘にそれとなく匂わせて、正解を引き出します。この間出て来なくってコンピューターで調べたのは竹中平蔵がありました。侍のような名前だったと思ったのですが出てこない。

 今回は、娘に二回匂わせて正解を得たのですが、すぐに忘れてしまいました。

 『これって認知症』とこわくなりました。

 『でも』と言い訳を探します。この頃毎日何時間もウクライナの戦況を見ているので、カタカナの名前はよく出てくるのです。例えば、バフムト、ヤヒドネ、アゾム製鉄所、コルシェンスキー通り、コンスタンチノフカ、名前もゼレンスキー、レズニコフ、ダニロフ、ザルジニー、マリャル、クレバ、クリチコ、シルスキーと出てきますし、ほかの名前も自分からは出て来なくっても、言われれば、どこ、誰とわかります。

 結局、毎日接していたり、聞いていたりしているものは頭の中に入って残っているのに、あまり聞いていない、接していないものは薄れていく、シナプスの接続が遠のいてしまっているということなのでしょう。

 で、どうやって思い出したか、少しづつシナプスをたどって繋げたのです。『明太子』、あれも『子』が付いた。魚の卵のことだった。『すじこ』『とび子』。『魚は何だっけ』、『鮭じゃない、あれはタラだった』。『たら子だ、たら子スパゲッティ』。

 私はタラもたら子もあまり食べないので、出てきづらかったのでしょう。結局、関心が向いたところはよく覚えているのに、関心が向かなくなったところはシナプスの回線が途切れがちになるということでしょうか。安心していいやら、不安視していいやら。

 英国ミステリー噂話 検視法廷


 『イギリス、デヴォン州の小さな港町に母と自分の子供との三人で暮らすバツイチ女、ジェーン・ケネディ(クレア・グース)は元弁護士で、現在は検視官として働いています。

 イギリスでの検視官は、遺体の死因をしっかりと特定し、それを法廷にて報告するという重要な役職です。

 そんな仕事に誇りを持つジェーンは街で起こる不可解な事件を納得いくまで徹底的に調べ上げ、捜査に一切妥協はしません。

 そんな性格からか、元恋人のデイヴィー(マット・バーロック)と衝突することもしばしばありますが、ジェーンと仲間たちは数々の難事件を解決していきます。』

 GYAOがもうすぐ終了というので、もう一度見たいと思うドラマが続々放映されていて、ウクライナの戦況をチェックしながらも、能天気な私は一つも見逃したくないと忙しく見続けています。

 その中の一つがこの『検視法廷』シーズン1と2です。

 日本では聞きなれない名前なので調べてみると、『死因審問(しいんしんもん、英: inquest)、検死審問、又は、検死法廷とは、アメリカ合衆国やイギリスなどのコモン・ロー諸国における司法制度で、人が死亡した場合(特に変死体・不自然死・異状死の場合)に、検死官(検視官・coroner)が、その死因等を調査・特定(検死)するために、自殺か他殺か事故死か等を判定する、原則として公開で行われる審問・法廷である。』とウキペディアにありました。

 『結構面白かったのにシーズン2にて打ち止めのようですよ、残念。

元恋人だったジェーンとディヴィー、絶対まだ思い合ってるよねぇ、と思ったんだけど、ディヴィーはアネットという奥さんがいるのでどうにもならず。 結局二人は何で別れてしまったのか...が最終話で描かれてました。』と私と同じ思いをしている方の記事で『これはこれで終わり』と知りました。

 なんでこんなに残念なのか、このデヴォン州『コーンウォール半島の中部に位置し、』の港町は本当にきれいで素朴なところなのです。山に囲まれた田舎出の私には、いい故郷を持ったなあという羨望があります。

 で、この美人検視官と仕事熱心な警部補、高校の同級生で、卒業パーティの夜に、友達の仕掛けた嫉妬の罠にはまり、お互いに誤解したまま別の人生に歩み出してしまったようです。

 「あなた以外の恋人など欲しくなかった」と横を向くジェーンとディヴィー、ドロドロにならなかったところがよかったのかもしれません。二回見てしまいました。

2023年3月21日火曜日

 芸のためなら 女房も泣かす

 亡夫の悪口を言ったついでにもう一つ。これは『歌:都はるみ・岡千秋、作詞:たかたかし、作曲:岡千秋、発売:2005-09-23 21:49:50』の『難波恋しぐれ』の出だしですが、思わずこの一説が頭に浮かんできた出来事がありました。

 遺品整理で、夫が『誰誰に貰った』と言っていた絵などはできるだけお返しするようにしていて、ある日、玄関を掃除していたら、そこにかけてあった絵を「あの人に貰った」と言っていたことを思い出して、「返さなきゃ」とすぐに電話しました。

 彼女は「覚えがないわ。あなたが怒るから言えなくって、私に貰ったって言って持って帰ったんじゃないの」というのです。そうかなと思って裏を返してみると、前にも見た名前が書いてありました。その名前は、他にももう一枚ありまして、きっと知り合いだったんだと気が付きました。

 『そういえば』と思い出しました。前に夫が誰誰に貰ったと言っていた絵を返す時に、当の本人は「覚えてないですけどね」と言いながら、嬉しそうに持って行きました。あれも、本当は自分で買ったのかもしれません。今となってはわかりませんが。

 で、彼女は、それよりも部屋に飾ってあった「阿修羅像の絵の方が好きだわ」というのです。「その絵は夫が気に入って、作者に借りていて、同じテーマでの水彩画を買ってあったことから、夫が亡くなる前に返したので、今は手元にない」というと、「水彩画でもいいわよ」というのです。形見分けという意味かなと思ったのですが、ちょっと知らん顔をしてしまいました。

 つまり、これは私が買ったのです。しかも、あまりいい思い出ではなく。

 つまり、昔、ある日、夫が珍しくお茶を飲みに行こうと誘うので、いそいそと付いて行ったのです。そこの喫茶店のオーナーは画商もしていたのか、阿修羅像の作者の方もいて、夫がその水彩画を買ったというのです。夫は私にお金を払ってくれと言いましたので、まだ世間知らずだった私はなけなしの4万円を支払いました。絵はきれいでしたし、夫も気にいっているようだったので、その後、恨みに思った事はありませんでしたが、ここに来ていろいろわかって来てみると、『欲のためなら 女房も騙す』人だったんだと分かってしまいました。

 今となれば、価値観の相違があったのだとわかります。夫は厳しい芸術家の家の4男、やりたいことをやるためにはあの手この手を使うことを覚えたのでしょう。方や私は田舎の農家の二人姉弟の姉、のほほんと堅実に育ち、後悔しやすい性格上、嘘などとは思いもつきませんでした。今思えば騙しやすかっただろうなとわかります。

 一人になって、静かに人生をいろいろ考えるようになると、『人生を舐めていたな』と反省します。『エイ、ヤ』と生きてきて後悔ばかり。『自分さえしっかりしていれば、どうとでもなる』と思っていました。しかし『相手のある世界』ではそうは行かないのです。『もっと慎重に、考えながら生きてきたら』と反省します。一生独身だったかもしれませんが。

 この間、ユーチューブの何かのコマーシャルでやっていましたので、正確かどうかはわかりませんが、『医者の自殺率は普通の人の三倍、その中で精神科医の自殺率は六倍』だそうです。きっとお医者さんは早くに現実を見てしまい、知ってしまうのだろうと納得してしまいました。

 で、あの絵ですが、今度彼女が欲しいと言ったら、もろもろの事は言わずに形見分けしようと思います。彼女には亡夫はもちろん私も本当にお世話になってしまったのですから。

 『芸のためなら 女房も泣かす

それがどうした 文句があるか

雨の横丁 法善寺

浪花しぐれか 寄席囃子

今日も呼んでる 今日も呼んでる

ど阿呆春団治』


2023年3月11日土曜日

 いいがかり

 ここひと月ほど、歯医者さんに通っています。折れてしまった被せた歯をもう一度再生してもらうためです。『もういいか』とも思ったのですが、ないと不自然で、落ち着きません。

 後二回で終るという先日、痛い思いをして診察室を出てきた私に、待合室の男性が一生懸命声をかけていました。でもこちらは、マスクをどこにしまったか探しまくっていて、上の空でした。上の空でも声は聞こえます。どうも「奥さん、太いね。相撲取りみたいだよ」とかなんとか言っているようでした。上の空が幸いして、返した言葉も適当なもので、「マスクどこへやったっけ。そうですね。それが私も悩みなんですよ」とかなんとか。

 やがてマスクも見つかって、受付での支払いを待っているときも、性懲りもせずに話しかけてきます。「どうやったらそんなに太くなれるの」。その男性を見ると、確かに痩せていました。「20年も外国にいると、みんな珍しい」とかなんとか言っていました。

「どちらに行っていたんですか」と私も反射的に聞きました。「アメリカ」。

 やがてその男性は診察室に入っていきました。足元は老人らしくふらついているようでした。それを見て、少し、見ず知らずなのに『失礼な』と思う気持ちがわきました。そばに奥さんらしい人が待っているようで、「本当にハラハラしてしまう」と言っていました。

 「アメリカだったら平気かもしれないけど、日本だとケンカになっちゃいそうですね」と、別に腹立ち紛れでもなく言ってしまいました。歳を聞くと、79歳だと言っていました。「私と大してかわらないんですね」と奥さんに同情しながら言いました。

 それから、運動談議になり、季節談議になり、私は種を蒔いていることを話しました。「弟が植物が成長するのを見ることは精神的にいいと言っていました」と言うと、奥さんは「花が咲いたらキレイですしね」と言い、私は「食べられるものだけです」と言って笑いました。

 男性は診察を終えるとすぐに出て行ってしまいました。「行かないんですか」と奥さんに聞くと、お金を払ってからとジェスチャーで示しました。

 あとで考えてみると、私もあんなだったなと思いました。男性は少し認知症気味だったのでしょう。そういう人は相手にされない分、人恋しいのです。ちょっかい出しても話をしたいのです。亡夫も人恋しい性格で、友人に会いたがり、私はいつも申し訳ない思いをしていました。病気になるまで、お酒も飲みましたから、私もいつもハラハラしていました。

 そうそう、この頃、近所の家の車が、夜になると必ず駐車場に帰ってきているのを見て悲しくなりました。我が家では夜になってもなかなか帰ってこず、駐車場がいつも空いていたことを思い出したのです。これが亡夫と私の覇権争いの人生だったと認識させられました。

2023年3月9日木曜日

 種蒔き

 寒い寒い冬でしたが、3月半ばになって、花粉の襲来とともに、やっと暖かくなってきました。もこもこの暖かい服がいらなくなったと思ったら、今度は花粉対策のつるつるの服を探し出さなければなりません。もうちょっと痩せれば着られるのにと思える服に決意は新たになるのですが、1キロくらい落ちたかと思えるころにはいつもその季節は終わっていて、また来年となるのです。

 そしてまたうずうずとわきでてくるのが、雑草と種蒔きの誘惑です。これだけ雑草が我が物顔に出てくるのだから当然種を蒔けば芽も出てくるはずです。

 そこで、植木鉢をひっくり返して、土を入れなおし、種蒔きを始めました。

 この諸物価値上がりの中、種は当然野菜です。ユーチューブにも、いろいろな野菜の栽培の様子が頻繁に上がってくるようになりましたが、なかなか同じようにはできません。

 先ずは、年を越して残っていた、小松菜、二十日大根、ときなしニンジンを撒きました。小松菜はすぐに出てきてくれました。あとはどうかなです。我が家のような植木鉢園芸では、種はどうしても残ってしまうのです。

 で、今年は百円ショップで、二袋で百円という種を買ってきました。それが、無謀にもミニトマトとナスです。種を蒔いて、よく見たら、このミニトマトはまさに植木鉢用の小ぶりのもののようです。昔の大きくなって鈴なりになるやつではありませんでした。昨年は高価なハイブリッドの苗を買って、幹ばかり大きくなって、収穫はほんの少しでしたので、今年は種にしたのですが、また不安になってしまいました。

 二袋目は何にしようかと物色して、結局ナスにしました。これも昔、苗を買って植えて、結局ほとんどならなかった経験から、それ以来植えなかったのですが、今年は挑戦です。

 さあ、身体を動かして、食べられるもの、食物繊維を供給してくれるものを育てましょう。

2023年2月20日月曜日

 近頃のユーチューブ 岡林信康、山谷ブルース

『今日の仕事はつらかった、あとは焼酎あおるだけ

どうせどうせ山谷のドヤ住まい、他にやる事ありゃしねえ

ひとり酒場で飲む酒に帰らぬ昔がなつかしい

泣いて、泣いてみたって何になる、今じゃ山谷がふるさとよ

工事終わればそれっきり、お払い箱の俺たちさ

いいさ、いいさ山谷の立ちんぼう、世間恨んで何になる

ーーーーーーーーーーーーーー』

この後も続きますが、私が昔聞いたことのあるのはこのあたりまでです。

この方、学生運動華やかなりしころの『フォークの神様』と言われた方です。でも、田舎出の学生だった私は、直接聞いたことはありません。周りの人が歌っているのを聞いただけです。

 これを聞いたとき、私は、小さいころ、農家だった家に奉公に来ていたお兄さんを思い出すのです。年季があけるとそのお兄さんは東京に働きに行ったようです。一度だけでしたが、帰ってきて挨拶に来ました。とび職をしている、東京は稼げると言って、親孝行をするつもりのようでした。でも、母は「あの子はよかろう様だから、お金なんかすぐに無くなってしまうだろう」と言っていました。

 なんとなく悲しい歌でした。

 この度、ユーチューブで初めて見た岡林信康さんは初老のスタイルのいい、ハンサムで、話術のうまいシンガーソングライターでした。歌も声もやわらかで悲壮感を感じさせないくらい、十分に楽しく場を盛り上げていました。

 『ひとは山谷を悪く言う、だけど俺たちいなくなりゃ

 ビルも、ビルも道路もできゃしねえ、だれも分かっちゃくれねえが』

 今回最後まで聞いてみて、働く私たちはみんな同じだよと思いました。たくさんのコメントの中に研究者だという方のがありまして、『自分も同じように働いています』と書いてありました。

2023年2月19日日曜日

 右足を失った兵士

  ウクライナに取材に行った大越健介さんが、インタビューをしていました。落ち着いた態度で、治ったら、軍の教官になって経験を伝えたいと言っていましたが、私はなんでこんなことになるんだろうと思いました。プーチンさんは早く嘘を嘘だと謝罪して、侵略を諦めるべきです。

 ウクライナの国立歴史博物館では、亡くなったロシア兵の遺品を展示する特別展が開かれていました。亡くなったロシア兵士の靴が大量に並べられ、展示された遺品の中に、手記や日記がありました。この手記は本当にきれいな字で整然と書かれ、どんなにか優秀な人だったのだろうと思われました。

 近頃のユーチューブ、秋庭豊とアローナイツ

 毎日、日課のようにユーチューブでウクライナのニュースを見ています。この頃、ウクライナの戦況が悪いので、どうなったかと気になって、コンピューターの前を離れられないのですが、そうするとさまざまにちりばめられたユーチューブのリストを見ることになります。

 歌あり、料理あり、整体ストレッチあり、テレビのニュース番組あり、絶景映像あり、新商品の広告あり、社会学から大学の講義まであります。

 時間もあることから、気になるのをちょっとずつ見ています。整体ストレッチ、痩せるレシピはもちろんですが、中に、昔の歌をアップしてくれている方々がいます。

 で、そこに、『中井昭とコロラティーノ、思案橋ブルース』というのがありました。私がいくつのころだったか、全く思い出せないのですが、この曲は大ヒットで、ほとんど毎日のようにテレビの歌番組で流れていました。しかし、いつの間にか彼らは出なくなって、そして歌も聞けなくなってしまいました。

 彼らは、あの一曲だけだったようです。それをユーチューブで見つけたときは。うれしくって、思わずコメントも書いてしまいました。この歌をカバーで歌っている人もたくさんいましたが、全然違うのです。

 カバーで歌っている人の中に、秋庭豊とアローナイツさんもいました。わざとだと思うのですが、違う歌いかたをしていました。その頃、この方たちの歌も聞いていたと思います。名前は憶えていましたから。

 で、何を見ているかというと、このチームでボーカルをしていた木下あきらさんのソロステージのユーチューブです。私と同じ年の今はすっかり太ってしまって、昔の面影は全くないのですが、歌は心にしみるようになってきて、『研ナオコの「スッピンでしゃべります」

今一番ハマっている歌手・アローナイツ(木下あきら)さんの追っかけやってます

公開日:2022/12/22 06:00』というのを見たときは、私だけじゃなかったと思いました。

  昔の歌も、大量に出ていますが、この年齢と声にあったカバー曲が特に素晴らしいと思います。カバー曲って、自分に合った有名曲を選んで歌うわけですから、実力さえあれば、本家よりも上手に歌えるのではないかと思います。そこに今まで生きてきた経験が加味されればなおさらに。

 細かいことはわかりませんが、このチームは北海道の炭鉱から出発したようです。売れだしたころ、リーダーの秋庭豊さんが40代で亡くなり、チームの再編を迫られ、そして、今は木下さんが名前を背負いながらソロで活動しているようです。

 ドル円交換

 これがニュースであるのは私だけでしょうか。

 近頃の円安ドル高で、家に僅かばかりあるドルを売ってしまおうと考えたのです。それで、ゆうちょ銀行に持って行ったらもう外貨の交換業務はしていないと言われました。次に、そのドルを買った銀行ならばまだやっているかもしれないと、行ってみたのですが、そこでも同じ。もう2年前からやっていないと言われました。

 ではどこに行けば交換できるのか、職員の方もよくは知らないと言われました。

 家に帰ってネットで調べてみたら、今は外貨両替機という機械で交換するのだそうで、手数料もその方が安いのだそうです。その機械がどこにあるかは、確かに銀行の方も知らないようですが、銀行はもうからないから置いておかないのでしょう。空港にはあるらしいですし、あとは、外国人がきそうなところにはあるらしいです。

 そういうわけで、せっかくのドル高なのに儲け損ねてしまいました。

2023年2月18日土曜日

 捨て台詞

 もうすでに70を過ぎているのですが、自分の内側から見る自分は、しわしわの顔を見ることもないので、20代の感覚で闊歩しています。時々、おばあちゃんと言われてハッとすることもあるくらいです。

 確かに、歩くのも昔ほどスムーズじゃないし、動きもキレがあるとは言えませんが、『昔からこの程度のものよ』と思えば、そうかもしれないのです。

 先日、いつもの店に買い物に行って、せんべいのコーナーであれこれ見ていた時のことです。いつも買うせんべいがないので、どうしようか、買おうか買うまいか、買うとしたらどれにしようか、など迷いに迷って、せんべいの前をふさいでいたのでしょう、「どいてくれない」と言われました。「あ、すいません」と言って脇にどいた私の前に来た女性は、二、三個選んで、「待ってられない」と捨て台詞を残して行ってしまいました。

 最初に思ったことは、『勢いがあるなあ』ということでした。50代と見える女性は、あまり周りに忖度することもなく、言いたいことを言いながら、生活しているのでしょう。『私にもああいう時代があったなあ』と思いました。

 ここでどっと歳を感じました。まず、せんべいの選択に時間がかかったこと、次に後ろに彼女がいたことに気づかなかったこと、さほど怒りを感じなかったこと。自分にもああいう時代があったことを恥ずかしく感じたこと。

 歳をとるとはいろんなことが一歩引いて見えて来ることなのでしょうが、昔の自分も見えてきて、恥ずかしさと後悔に苛まれるということでもあります。

 これが私の対人恐怖症の原因でもあるのでしょう。そう言えば、どこかに、60歳を過ぎたら、一人で孤独に生きていくのがいいと書いてあった記事があったような気がします。

2023年1月29日日曜日

 格言、金言

 いわゆる自学をしながら、ずいぶん世の中のことが分かったような気になっていましたら、先日、ガンと頭をたたかれるような発見をしてしまいました。

 それは物置というか、作業部屋というか、そんな片隅の部屋にずっとかかったままになっていた古いカレンダーでした。それは格言が書かれたカレンダーだったので、片隅の部屋だったこともあり、5月のままになって放置されていたのです。

 で、五月は『言い訳をする心を捨てないと、何度でも同じ失敗を繰り返す』というもので、そこを通るたびに何度も目にしていました。ある日、『あれ、これは私が自学で学んだことと同じことだ』と気が付きました。私が『やせ我慢』の中に書いた『自分中心でいつも言い訳をしてその場で踏ん張れない『私』のことです。神父さんのお母さんだけではなく、昔の人は知っていたんだと思いました。

 釣られて、六月も見てみました。『他人のために役に立つ喜びの中に、人としての生きがいがある』。これは執事西園寺一の生き方です。私も娘や孫のために毎日ドライブをしていますが、このために自分自身を健康に保ち、生きがいになっていると思います。

 七月は『自分の都合だけを考えていると、他人の迷惑には気が付かない』。これは私が対人恐怖症気味になっている原因です。いつも自分中心で動いてしまうのです。そして後になって、迷惑をかけてしまったかなあと後悔ばかりしているのです。

 八月は夫婦の話なのでもうパス。

 九月は『忍耐とは自分を抑える事ではない、希望をもって耐えることである』。これも

老人には向いていないような気がしますが、あえて言えば、ウクライナの戦争が終わって、人々がこの寒さから解放されるように、私たちも今希望をもって耐えるということでしょうか。

 十月は『今できない事にとらわれていると、できることまでその機会を失う』。これも私のことです。いつも夢遊病者のように夢ばかり追いかけているのです。今できるチャンスがあってもしり込みして身体が動かない。スポーツ選手のように瞬発的にとは言いませんが、身体も頭ももっと動けるようにしておかないと、現実に生きていることにはならないと、この頃少しわかってきました。

 十一月、『自らを律する厳しさがないと、物事の判断が甘くなる』。これも自分中心で自分に甘い私のことです。ボケっとしているからです。

 十二月『金銭は人の心の器量のままにその真価を発揮する』これは私のことではありません。金銭には縁のないミニマリストなので。

痩せるには  『私の祖母はこれを食べてひと月で10キロやせました』

 ある日ネットを見ていたら、『ジーナ・ロロブリジータさん死去、95歳』という記事がありました。この方の映画は一つぐらいしか見ていないと思いますし、それも何だったか覚えてもいないのですが、写真を見たときのショックは忘れられなくって、名前だけはずっと憶えていたのです。つまり、この方、私の中での世界一の美女だったのです。

 その時以来、私は美しくなることを諦めたような気がします。つまり、太ってもなんとも思わなくなったのです。どうせかなわないから。

 それが、この歳になって、高血圧、足腰の痛み、弱さなどを経験してくると、やっぱり、『太っていちゃダメなんだ』という思いが強くなります。結構運動もしているのですが、ドカ食いが収まらず、よく食べて、ダイエットは失敗の連続です。

 これもある日、件の『私の祖母はこれを食べてひと月で10キロやせました』というネット動画を見つけまして、早速作ってみました。これは外国の人の動画で、調味料などあまりよくわかりません。でも、見ていると、どう見ても野菜たっぷり、粉少なめのお好み焼きです。

 見ていくと、他にも『私の祖母はこれを食べて10キロやせました』関連の同じような動画があって、野菜の種類が違うだけで、タンパク質として、卵二個を入れるところも同じようでした。で、これを作って冷凍しておいて、毎日食べています。これはたっぷり食べてもやせられるという触れ込みなのですが、そう毎日たっぷりも食べられません。

 動画を見ていると、痩せる動画って、結構あります。今までは痛いところ対策の運動や整体、ストレッチなどを見ていましたが、この頃食べものも見るようになりました。

 例えば、便秘対策の動画、お腹をもむヨガなどは何度もしましたが、ダメでした。この頃、オリーブオイルを小さじいっぱい食べるとか、朝晩水分を取るとか、この野菜たっぷりお焼きもそうですが、いろいろやって、やっとこのごろ毎日出るようになりました。

 他にも、果物を含めて、同じ食品は一日一回、大好きなせんべいも一日最大二枚。そうすると、いろんな食品が食べられます。いわゆる、自然に一日30食品が可能になる感じです。

 で、10キロ痩せられたかというと、私の場合はひと月1キロがせいぜいです。このおばあさんは元々の体重が多かったのでしょう。ひと月10キロはきっと一回だけですよ。

 そういえば、食物繊維とタンパク質を大目にとれば、空腹感が抑えられるという研究結果の動画もありました。つまり野菜たっぷり、卵二個、粉少しです。このおばあさんのレシピは理にかなっているみたいです。

2023年1月28日土曜日

 ミニマリスト、71歳・紫苑さんのこと

 『2020年3月から月5万円の年金のみで暮らす生活を始め、日々あれこれ工夫する様子をブログにアップしています。ひっそり更新していた記事を新聞社の方に見つけていただいたのがきっかけで、思いがけず本も出版できました。』という記事を見つけて読みました。

 記事からわかる状況を見ると、若くして離婚して二人の息子を育て、今は一人暮らしということでした。賃貸住宅ではお金がかかるので、築40年の戸建てを買って、貯金を使い果たし、それから月5万円で暮らす工夫を始めたようです。

 もともとの精神の強さは別にして、私とどこが違うのかなという興味津々で読んでいきました。

  『節約を始めるにあたり、無駄だと思われるものはすべてやめることにしました』は私と同じです。シャンプーや基礎化粧品などもやめたというのも同じです。代わりにオイルを使っているのも同じ。それで、『水道・光熱費に約1万円。固定資産税、健康保険、介護保険、NHK受信料といった特別出費積立費の月割が約1万円。そして、スマホやネットなどにかかる通信費が約1万円』『残った2万円のうち1万円を食費に充てて、安くて栄養価の高い食材を探そうと考えました』『残りはわずか1万円。その予算内で生活するためには、お金を使わずに楽しむ工夫が必要です。そこで、家にあるものをできるだけ再利用することにしました』

 私もこの服のリメイクやDIYやっています。この方も昔は浪費家だったと書いてありましたから、材料はたくさんあるのでしょう。私も幸い、捨てられない母の遺品などがたくさんあって古いですが材料には事欠きません。

 違いは何かというと、私は厚生年金が少し入っているので少し多めです。下の娘と二人暮らしなのですが、一人に換算すれば固定費は同じくらいでしょうか。でも、体調の悪い上の娘に代わって、孫の送り迎えをしているので、車は必需品で、彼らが週に一、二回食事に来るので食費も倍。値上がりしているガソリン代や維持費、やっぱり古い家の暖冷房費、すべてにわたって、夫の遺族年金がありがたく思えます。

 このすべてが値上がりしていて、私もわずかでも国や市の支援に感謝している時期に彼女はどんな対策をしているのだろうかと気になっていたら、新しい記事がありました。

 それには、食費は何とか為替の影響を受けない国内産のものなどにするようにして維持していると書いてありましたが、私と同じで、電気ガスなど、どうすればという感じでした。暖冷房は図書館などでシェアリングするといいと書いてありました。私も考えて、まだ実行していませんが、ウクライナの人たちと同じです。彼らも暖房を一か所に集まってシェアしていました。私たちも連帯したっていいのです。

 二つ目の記事にはご本人の写真がありました。とても若々しくてきれいで小さくて細い方でした。この方なら、私のようにドカ食いしないだろうし、お料理も繊細できれいに盛り付けしているのがうなづけました。

 頑張って痩せましょう。これも節約に通じるような気がします。

2023年1月21日土曜日

 ギャオが無くなる

 この表示が出たときは、一時パニックになりました。どうしようと思いました。

 確かに近所にも閉店しているお店はいっぱいあるのですから、永遠に続けてドラマを見せてくれると思っていたのは間違いなのでしょうが、それでも私はどこでドラマを見ればいいのかと、ドラマのない世界なんて考えられなかったのです。

 かといって、今更テレビには戻れません。途中で止められる、ネットのドラマはこの上なく便利ですし、時間に関係なく、自分で選んで見出すことができて、ドラマはいつも自分のそばにあるような感じでした。

 確かに不満もありました。皆さんレビューでも書いていましたが、はじめの方のシーズンだけ見せて、後のシーズンは有料で見てくださいみたいな感じがあって、ミニマリストの、つまり節約主義の私は最後まで見られないのです。まあ、それでも、ここまで見れたんだからいいやと思っていましたし、『重大犯罪課』は最後まで見せていただいて本当に感謝しています。私のような視聴者が多くって採算が取れなかったのでしょうね。かつ円安ですし。

 さて、これで閉店ですと言われて、しばし考えてしまいましたが、確か、図書館に視聴できるコーナーがあったから、避寒や避暑も兼ねて、時々通おうかと思いました。

 そんな計画を立てていた時、娘が、TVerとABEMAというのを教えてくれました。今まで通りにはいかないかもしれませんが、終わってしまったら、見てみようと思います。

2023年1月11日水曜日

 冬の体操

 こんなに一生懸命体操しているのに、足は痛いし、血圧は上がりっぱなしだし、大丈夫かしらと不安に思っていたのですが、ある日、娘にそのことを愚痴ると、運動部の経験のある娘が言いました。「ウォーミングアップとクールダウンをしてる?」と。

 確かに。このところ、ますます寒くなって、朝など氷点下です。電気代は上がる一方ですが、ウクライナの人たちのことを考えると文句は言えない。せめて節約しようといっぱい着込んではいるのですが、やっぱり寒いのです。

 そんな中、ルーティンだけはしなくっちゃと、いきなり体操を始めるから、固くなった筋肉が悲鳴をあげるのでしょう。また、寒いと血圧は上がるので、運動をすると、更に上がってしまうのでしょう。

 これが、ひざ痛と高血圧の原因ではないかと、そこで反省をして、まず寒さ対策として、体操は朝起きぬけの電気毛布でまだぬくぬくしている時間に。夜はお風呂に入った後、少しくらい。あとは簡単なマッサージくらいにしました。

 高血圧の対策としては、深呼吸をすると血圧が下がることから、体操の一つ一つに時間を取って、深呼吸を入れていくことにしました。今まで寒いことから急いで終わらそうと必死に体操をしていた気がします。有酸素運動にしていかないといけないのです。

 これで、一週間くらいですが、ひざ痛が収まっている感じがしますし、血圧は上がり下がりはありますが、低くなる時も出てきました。人生と同じで運動も常に修正が必要のようです。

 物語の時間

 ドラマはミステリー、この頃はウクライナのニュースばかり見ている私が、ある日、ウクライナのユーチューブニュースを『最新のはどれか』と漁っていた時に、ふと見つけたのです。

 「言葉の話せないホームレスが遺言状を書いて、公証役場に持って行ったら、信じられないことが起こった」という説明。『ホームレスだったら、遺言状に書くようなことはないだろうに』とミステリードラマばかり見ている私はすぐに思いました。何を残すつもりだったのだろうという欲の皮の突っ張った疑問に引かれてついつい開いてしまったのです。

 この男性は生まれつき言葉が話せなくって、両親にも捨てられ、養護施設で育ちました。ある程度の読み書きはできるようになりましたが、卒業するとなかなか職はなく、それでも真面目に働いて、自分で食べていくことができるようになりました。しかし、ある日、恋人と思っていた相手に騙されて、唯一持っていた家をだまし取られてしまい、40代でホームレスになってしまいました。それからも、一生懸命小銭をかき集めるような生活をしていましたが、ある日、絶望感を感じて、件の遺言書を書いて公証役場へ持って行ったということです。

 この遺言書には彼の生きてきた軌跡が事細かに書かれていたようです。

 こうして奇跡が起きるのです。公証人は同年代の女性でした。彼女は心を動かされて、口のきけない彼のために仕事を探してあげ、住むところを見つけてあげ、いろいろと手助けしてあげました。やがて二人は結婚し、40代半ばにして子供を授かったようです。

 名前が欧米風でしたので、アメリカの話でしょうか。物語は雑でしたが、ミステリーやウクライナばかり見ていた私は、人が本来持っているに違いないやさしさがこころを打つ物語に何かほっとしました。

 しばらくすると、また、そんな物語が目に留まりました。今度は『感動サプライズ』というチャンネルで「亡くなった親友の子を引き取って育てていた俺。過労で倒れてしまった俺を見舞いに来た同僚女性が、その子の名前を聞いて・・・」といういかにも嘘っぽい話です。この人たち、みんな施設で育ちました。天涯孤独の身から物語は出発していくのです。

 もう一つ、「仕事で立ち寄ったガソリンスタンドで妊婦さんを助けて」という話もありました。話を端折ると、偶然にもそれは施設で生き別れになった双子の兄弟の妻で、双子の彼を見た共同経営者は夫を殺したと白状したという落ちまでついていました。

 物語はありえないような奇跡と粗っぽさで構成されていますが、それでもこういう物語は心の浄化にあってほしいと願う要素でいっぱいです。

2023年1月7日土曜日

 民間人

 先日ガソリンを入れたとき、ものぐさをして、タオルを借りて窓を拭くことをしませんでした。ずっと晴れていたので、きれいに見えたのです。翌朝霜が降りてフロントガラスにこびりつきました。取ろうとして暖房をかけ、ゆるんだところをワイパーで拭いたのですが、筋が何本も残ってしまいました。晴れていたという事は埃がいっぱいついていたという事だと気付きました。昨日、まじめにいつも通り、タオルを借りて拭いていれば、こんな汚いフロントガラスにはならなかっただろうと痛く後悔しました。

 この一つ一つを手抜きしないで真面目にやっていくということが、生きるということ、生活するということなんだと、この頃切に思います。

 それでも人間は、なまけ心の他にも、興味に流されるとか、夢を見るとか、生活とはかけ離れた厄介な代物に時々突き動かされてしまいます。

 私も、このところ、毎日ウクライナの戦況をネットで調べています。最初は、どうなっただろうかと、気が気ではなくって、こころを傷めたり、憤たりしていましたが、この頃は「まるでゲームのような」とどなたかが指摘していましたが、そんな感覚で見ている自分に気が付きました。

 あんなに痛めつけられても、頑張っているウクライナに、平和が訪れてくれるようにとは心から願っているのですが、まだ先は長いだろうなといっぱしの識者のように、ため息をついています。

 でも、一人の民間人としては、プーチンさんの心が読めません。普通の人なら、『大変なことをしてしまった』と恐れおののくと思うのですが、『国手』となった人はそうは思わないのでしょうか。『自分がやらねば』と思っているのでしょうか。それとも、『罪』は誰かのところにうまいこと投げて、自分は『責任はない』と心軽くいられるのでしょうか。頭のいい方が、自分の語る論理を本当に信じているとも思えませんし、どこまで自分にも人にも嘘をつき通すのでしょう。

 生活をしている民間人にはわからないところです。彼はゲームをしているのでしょう。