戦争について
ウクライナの戦場について、私はウクライナを心配しながら見ていますが、これは、ウクライナのボグダンさんの言う通りです。あの方、若いのに、しっかりした意見を言います。
つまり、これは、『善と悪との戦いだ』と言ったのです。本当にその通りだと思いました。ウクライナはロシアの領土、そのすべてがロシアから奪われたものだと考えてしまったプーチンさんが、何を犠牲にしても取り戻すと思ってしまったことから始まったのです。
昔ソ連の領土、ソ連の工場と言っても、今は人々が一生懸命、操業し、維持しているのですから、それらは維持している人たちのものです。ちなみにウクライナは、チェルノブイリという負の遺産も犠牲を出しながら維持しているのです。豊かな地下資源や穀倉地帯だけではありません。この地下資源という意味では次はカザフスタンを狙うだろうと言われています。
ロシアだって、広い国土に無尽蔵の地下資源があるのに、どうしてそんなに欲しいのでしょうか。日本や周りの島々に探査ブイを投げ込んで資源を探している中国と同じです。自分のところにまだまだいくらでもあるのに、人のものに手を出すのは悪です。
独裁者というより、やくざ国家です。ロシアの人たちもわかっていても言えないのです。相手はやくざですから。でも、私たちはやくざ国家に負けたくはありません。負けたら大変なことになると思うから、心配しながら応援しているのです。
一方、イスラエルとハマスの戦争は、長い歴史があって、私たちにはどうしようもできないもののように思えてくるのです。とっさんTVのとっさんは「まず、テロは糾弾しなければいけない」と言いますが、私には何かひいてしまうものがあります。それは宗教が絡んでいるからです。『宗教は詐欺だ』と思っている私は『宗教に洗脳された人たちはどうしようもない』という気持ちがあるのです。
確かに昔は宗教は人々を団結させて良くも悪くも仲間で行動するための精神的支柱になっていました。しかし、今でもそれは必要なのでしょうか。確か、パールバックの『大地』の中で、ある女性学者さんが言っていたように記憶しているのですが、熱心なキリスト教徒の両親を評して、「両親の時代はそうだったけれども、今は違う。私たちは神はいないと知っているから」というくだりです。これがバック女史の意見だと思ったことを覚えています。それから、イスラム教の被り物に体を張って抵抗している女性たちも、そうじゃないかと思います。
私に言わせてもらえば、宗教は『壮大な想像の産物』なのです。信じたければ信じてもいいですけれども、そのために人を傷つけるのは本末転倒です。そもそも宗教とは人々の幸福を願って作られたもののはずです。
『一度、仲間意識を離れて、人間を一人一人として考えてみませんか』と言いたいですし、自己中の私には他の言葉は思い当りません。