2014年5月30日金曜日


鉄分のはなし

 NHKの『ためしてガッテン』で、鉄分不足の番組をしていました。
 『鉄分不足によって引き起こされるものと言えば「貧血」・・・と思いきや、それだけではありませんでした。実は、肌荒れ、睡眠障害、うつ、疲労感などのさまざまな症状を招く“新型鉄不足”の存在が明らかになってきたのです。』と言われたら、見ないわけにはいきません。
 それというのも、最近、私にも、様々な症状が出ているからです。挙げてみると、『飛蚊症』『目の廻りの腫れぼったさ』『鼻の内部の切れ』『睡眠障害』『疲労感』『むずむず足症候群に似た症状』『高血圧』『咳、のどの違和感』など等。『頭の働きが緩慢になった』というのは除けておいても、次々に増えて来るのです。
 勿論、老化かもしれません。見えざる放射能の影響かもしれません。一年前の手術の影響も考えられます。PM2.5?、それとも花粉症?。黄砂はまだ来ていないし。コーヒー好きの兄嫁さんが飛蚊症で、高血圧で、風邪をひきやすいと言うから、『コーヒーのせい』など等、いろんな事を考えました。
 そこへ来て、体調不良の上の娘がお医者さんに行って、『鉄分不足だと言われた』と言っていたのを思い出しました。その時は鼻で笑っていたのですが、私もこれかも知れないと、ハタと思ってしまいました。
 詳細は、ガッテンのホームページに委ねますが、『鉄分が食べ物から体内に吸収されると、体の中のさまざまな場所で(貯蔵倉庫の)フェリチンに貯蔵されます。フェリチンの鉄が不足していると、肌が荒れていても新しい細胞になかなか入れ替わらなかったり、病原菌から体を守る免疫細胞の数が減ってしまったり、脳の働きに欠かせないセロトニンやドーパミンなどの神経伝達物質が不足してしまったりするのです。』というところだけ引用させて下さい。
 そう言えば、下の娘の『肌荒れ』が、ちっとも治らないのです。『神経伝達物質が不足』というところは、私の『頭の働きが緩慢になった』に対応するでしょうか。
 自分がフェリチン不足かどうかをチェックする簡易的な方法、「あっかんべー」をして、下のまぶたの裏が白っぽい場合はフェリチン不足の疑いがあるというので、みんなでやってみました。家族の中では、私が一番赤い方でした。きっと『まぶたの裏が白くなくても、疲れやすい、根気が続かない、うつが治らないといった症状が続く場合、フェリチン不足の可能性があります。』にあたるのかもしれません。
 ディレクターさんのコメントに『実は地球は鉄の塊。「水の惑星」ならぬ「鉄の惑星」だったのです。』というのがありました。だから、畑で栽培する野菜にも、海で摂れる魚にも鉄はたくさん入っていたのです。それが、キノコはビンの中で作られ、青物は養分を水に溶かしたハウスで作られます。水は浄水を飲み、家畜にも、魚にも人工飼料が与えられ、加工食品は全盛で、食べ物に自然から入る鉄は少なくなります。
 下の娘はキノコ大好き、青魚大嫌いなのです。彼女の治らない肌荒れはこれが原因かと思ってしまいました。それで、鉄の吸収を助けるというレモンをいくらとってもダメですね。
 対策として、鉄分入りの乳製品を少しだけ買いました。これで口内炎を起こした人を知っていますので、取り過ぎても胃に悪いようです。一、二日に一杯にします。鉄の吸収を妨げるというコーヒー紅茶、お茶も一日一杯。あとは蛋白質を多めにして、ビタミンCを取る。これで目の違和感が治れば万々歳です。

2014年5月28日水曜日


物語を作る力

 再び、「生活の世界歴史」の話です。一年経ってもまだ読んでいるんです。世界史の基礎知識がないと本当に難しいのです。その中でも、簡単にページが進んで行く巻と、なかなかイメージが繋がらなくって、後戻りしながら読まなければならない巻がありました。
 基礎知識がない事に変わりはないのですが、なぜだろうと思いますよね。これが、筆力というものかと思いました。
 筆力という言葉は、昔から聞きますが、小説家の読者を虜にする力だと思います。『一気に読んでしまった』とか、『読んだあとも余韻が残る』とかいう現象を起こす力の事だと思いますが、じゃあ、どうしたら、そんな筆力は着くのでしょうか。
 昔は集中力だと思っていました。『私には集中力がないから、ダメだ』と思っていました。でも書いているのは、高名な学者さんですから、集中力はあるだろうと思います。
 今回は、空想力、というのもあるだろうと思いました。読む側にも、時代と場所の基礎知識から出て来る空想力が必要だと思いますが、書く側にも、説明しようとしている事象を、物語を作るように描き込んでゆく空想力が求められるのではないかと思いました。
 知識をつなげるだけでは、引き込まれないのです。
 ちょっと余談ですが、今、世の中が世界的に不安定になっていて、片隅に生きている私たちも不安を感じる毎日ですが、この『生活の世界歴史』を読んでいると、何時の世にも、不安定や不安はつきものだったのだと分かります。政治の表舞台に立てば、殺されたり、投獄されたりは当たり前の話で、最近世界を震撼させた、北朝鮮の粛正などよくあった話なのだと分かります。そう言えば、あの殺伐とした日本の戦国時代の有り様もこんなものだったのかと思いました。
 そんな中で、庶民はどう生きるのか、生きたのか、余り参考になる話も見当たらないのですが、『政治は嫌い』と言って離婚したロシア大統領夫人のような生き方になるのでしょうか。

2014年5月15日木曜日


メイプルショップに初注文

 これも一大ニュースなのです。一軒目のエブリカラーショップは、芸術、建築、歴史、文学と大項目で、本の量も大量にあるものが中心です。二軒目のメイプルショップは、そこからあぶれてしまったもの、つまり、まとめてもそんなに量のないものが、少しずつ多項目に渡って並べられています。ショップの限度の大きさも、本の量もエブリカラーショップの半分です。
 そこに初注文が来たんです。九月にエブリカラーショップに本を入れ過ぎて、限度を超えてしまってパンクしてしまって、慌てて十月に開いたものです。メインはノンフィクション、ハウツウ本、外国関係の本、旅の本、雑誌、等などで、目立つものも少ないので、余り期待はしていなかったのです。
 それが翌年三月の事です。開店してから五ヶ月目ですね。私が年に一度の『国宝建造物を巡る旅』に参加しているとき、何となく胸騒ぎがしていたのです。『もしかしたら』と気になっていました。
 案の定、帰って来てコンピューターを開けたら、注文が来ていたのです。またまた、『超能力かしら』と驚きましたが、それがメイプルショップのものだったので、更にビックリでした。
 四日間の旅の二日目ぐらいにメールが着いていたので、理由を書いて、遅れたお詫びをし、振込先のお知らせをしました。
 その返信の第一行に『お帰りなさい』と書かれていたのです。感激してしまいました。『世の中にはこんなふうに心のゆとりを示すような対応の出来る人もいるんだ』と思って、わが身を省みて、いつも戦々恐々としている自分が恥ずかしくなりました。
 本は、数学のノーベル賞と言われるフィールズ賞を受賞した広中平祐博士が、十数人の子どもを育てたお母さんの事を書いたドキュメントでした。家のショップの本は余り読まれていない本が多いのですが、その本は私が拝読してしまった中古本で、私は感想文を本の説明に長々と書いていました。私としては、感動を共有できる事がうれしかったのです。

2014年5月9日金曜日


母の遺衣類

 母の衣類を、体形の似ている私が全部貰う事になりました。今は形身分けなんかしないんだそうです。それで、実家に行って衣類の整理を弟夫婦と三人でしましたが、本当に一日仕事でした。
 「何であんなに服を買ったんだろう」と弟は言いましたが、半分は捨てる事が出来なくって、取っておいた古い服で、虫さんがなめたあとが、何カ所も見えていました。母は戦争を生き抜いた世代だったのです。
 そういう服や下着類を処分に回しても、私が貰う服は大きな袋に四つほどもありました。「入れるところがあるのか」とまた弟が言いました。「私の服を整理して捨てるよ」と、私。
 私も捨てられないで取ってある古い服が箱に詰まったままになっていたのです。それらを整理して、今は母の服も何とかわが家に収まっています。
 休憩でお茶を飲みながら、「何であんなに服を買ったんだろう」と弟がまた、言いました。『そう言えば』と、昔母に聞いた母の思い出話を教えました。
 母の姉である、まだ、しっかりしている伯母は、昔からきれいな人でした。農家の主婦でありながら、肌も白く、太りもせず痩せもせず、いつもきれいでした。母に言わせると子どもの時からそうだったのだそうです。母の実家は大きな農家で、戦争前の、母たちが子どもの頃は、それなりに裕福だったそうです。六人もいた子どもたちにも、それぞれに新しい着物を買ってあげる事が出来たようで、そういう時、伯母はひときわ輝いて見えたのでしょう。負けず嫌いの母は自分の着物を着てみて、それがどうしても納得できなくって、姉と同じ着物がいいとだだをこねたのだそうです。そうして買ってもらっても、同じにはいかなかったと言っていました。その時でも、母の着物は伯母の二倍になるわけです。
 また、母は洋裁も和裁も出来ましたから、服を作ったり、着たりするのは楽しみでもあったのでしょう。おしゃれだったのです。
 ある雨の日、病院の待合室で、古いリュックサックに布の袋を持った、私と同じ六十代くらいの女性を見かけました。もしかしてと思いますよね。病院の待合室は、冷暖房完備です。その時、母が言っていた言葉を思い出しました。「歳を取って、みすぼらしい服を着ていたら、本当に惨めに見えてしまうんだよ。」 だから、せっせせっせと、歳を取ってからは編み物もして、私にも一生分のセーターを編んでくれました。一冬で着るセーターは一、二枚ですし、それは翌年も着られるのです。死ぬまでに全部着られるだろうかと思うくらいあります。
 『ああ、ああいうことか』と思ってその女性の方を見ると、もうそこには女性の姿はありませんでした。
 母の遺衣類を貰って、私は一生惨めな思いをしなくてすむのかもしれません。大事に管理して使って行かないといけないと思いました。

2014年5月1日木曜日


またまた、住所間違い

 前にも、住所間違いで届かなくってキャンセルになった事がありました。今回ショップを始めて以来の二度目を引き起こしてしまいました。レターパックの追跡機能を使う事になったのも二度目です。
 今回は最初の注文を戴いたときから、何となく予感がしたのです。あとで『私、超能力があるのかな』と思ったほどです。
 で、用心して、注意深く見ていると、前回と同じで、配送先に指定されていた住所と振込表に書かれていた振込人の住所が違っていました。『やっぱり』と思いました。それで、用心深く「どちらの住所に送ったらいいですか」とメールを送って回答を待ちました。「指定した住所に」というメールが来て、その通りに送りました。送ったつもりでいたのです。
 これで一件落着と思い、安心していましたら、「もっときちんとした仕事をしてくれなければ困る。追跡機能を使って、やっと探し当てた。」という厳しいお叱りのメールが来ました。
 「えーっ」でした。だってあれほど用心したのに間違ったはずはないと思いましたが、一応謝りました。「でも、どちらに送るか、メールで聞きましたので、私が間違えるはずはないんですが、」と言う口答えをしました。更に厳しいメールが来て、「二つの住所は別の市にあるのに、そこを見ないで、ありもしない住所に送ってしまったんです。」というものでした。
 またまた「えーっ」でした。でも、相手はお客さんですし、市の名前をよく見なかったのは私の責任ですから、謝りました。でも、やっぱり、口答えはしてしまいました。書かれていた郵便番号が同じだったのです。私は郵便番号が同じだから、同じ市内の、違う住所だと思い込んでしまったのです。
 また怒りの反撃が来て、キャンセルされた本が返されて来るかとしばらく身構えていましたが、来ませんでした。
 今の私なら、謝りながら、自分の正当性も主張できて、それなりに心を落ち着かせる事ができますけれども、若いときでは、すぐに喧嘩になってしまうか、立場が弱かったなら、黙って、唇を噛んで、ストレスを内に溜めるかしかなかっただろうと思います。江戸時代に理不尽な地主に、理不尽な事を言われて泣き寝入りしている貧しい家の若い娘の姿が思い浮かばれて、心が重くなりました。少しでも、入って来るお金があるという事は、立場を強くしてくれるのです。年金を整えてくれている世の中の皆さんに感謝です。