2021年10月28日木曜日

 株価は上がっているのになぜ困窮している人がいるのでしょう

 以前、「金持ちはますます金持ちに、貧乏人はますます貧乏に」というブログを書きました。これがコロナ後の世界じゃないかと推量したのですが、経済に疎い人間としては金持ちはますます金持ちになっていくというのはやっぱり不思議ですよね。

 それで考えたのです。金融緩和政策を政府はしていたのですよね。金融緩和って、お金をたくさん印刷することじゃないかと。調べてみると「中央銀行(日銀など)が、政策金利を引き下げたり、資金の供給量を増やすこと」と書いてありました。

 ゼロ金利というのは見ても聞いてもわかるのですが、資金の供給量を増やすことというのはお札をたくさん刷って、配ることですよね。資金などというあいまいな言葉を使わないで、お金の供給量をと言ってくれればわかりやすいのに、なんの資金と言いたくなります。どこに配ったんでしょう。それらはみんな余剰資金として株に投資されているということでしょうか。

 我が家でも、みんなと同じに10万円の給付金を頂いたのです。車を買う資金にためておいたはずですが、ガソリンの値上がりであっという間になくなってしまいました。使って貰うための給付金だったなどと識者は言いますが、使う前にあっという間になくなってしまいました。

 で、今度の総選挙です。私たちの選挙区では前職が二人だけ立候補しています。選択の余地はないので、棄権しても同じだなと思っていました。でも、確か、ベイシックインカムを公約に掲げている政党があったなと思い出しました。維新の会です。比例で維新の会に投票すれば私の意思は表明できるのではないかと思いました。北関東ブロックに誰か出ているかもしれないと思って、投票に行ってみることにしました。年金生活者は、基礎年金がそれに代わるということですから、あまりメリットはないようですが、ベイシックインカムがあれば、若い人たちが、安心して暮らしを立てていけるのではないかと思います。お札を印刷するくらいですから、財源はないとは言えないでしょう。

 お金に困ったことのない人たちは、今日の食べ物に使うお金がどんなに大事かわからないのです。ベイシックインカムで支払うお金は、確実に消費に回るのです。株や貯蓄に回ることは絶対にありません。狙い通りではないでしょうか。

2021年10月20日水曜日

 本 棟梁の知恵袋、森谷春夫、講談社、昭和56年第6刷、実用書

 あまり読んだ形跡はありませんが、これは夫の古い本です。

 著者は岩手県生まれの大工さんで、上京し、従軍し、中国大陸で、日本在来工法の良さを実感し、戦後、東京で工務店の社長さんとして多くの住宅を作られた方のようです。今、生きていれば、百歳を超えているでしょうか。

 ですから、欧米のテレビドラマの家を羨ましがっている私にはちょっと違和感があります。例えば、「二間続きの和室を作っておくと便利」などと言われても、家のアレルギー家族が抗菌畳に反応してしまうことを考えれば、絶対にダメです。

 社長さんが長年にわたって蓄積した知識と技は、敬服に値するものです。でも、それを40年後の令和3年に読むと、やはり違和感があるのです。特に素人が読むとです。

 知識とか技術とかはこういうものかもしれません。常に変化しているのです。  例えばカメラ、私たちの時代のカメラはもう誰も使えません。フィルムさえ売っていないでしょう。あれからデジカメになり、携帯やスマホで簡単に撮れる時代になりました。昔は一枚の写真も貴重でした。現像代も高かったし。今はメモリーに保存しておくと現像しなくても見れるのです。

 タイプライターもそうです。昔は大学の必修科目になっているところもありました。和文タイプは会社の書類にはなくてはならず、時間をかけて漢字を探しながら、ミスしたところは修正液を使いながら、書類作成をしたものです。それがワープロになり、今はコンピューターで何枚でも印刷できます。

 夫のカメラはもう捨てましたし、私のタイプライターはとっくの昔に捨てました。

 実用書って、難しいですね。いつまで実用に耐えられるのでしょう。

2021年10月12日火曜日

 弟への手紙

 先日、お米を持ってきてくれた弟が、「足が冷えて、つって、朝、痛くって死にたくなる。俺は義兄貴の歳までは生きられないだろうな。あと五年かな」と、勝気な彼には珍しく弱気なことを言っていました。

 弟には、心臓や糖尿などの持病の他に、脊椎管狭窄症という病気があって、過去に何度か手術をしました。それでも治らなくって、足を引きずり加減に歩きます。

 それ以来、ずっと心に引っかかって、足の痛い私が、どんなマッサージを毎日しているか、手紙を書いて送ろうか、どんな手紙にしようかと数日考えました。

 でも多分、弟は反発して決してやらないだろうなとわかります。

 二歳違いの二人姉弟の私たちは、年上だから、ひとり息子だからと、常に覇権争いをしていました。寄ると触るとケンカしているのに、いつもそばに寄りたがる、仲のいい姉弟だったと思います。

 性格も顔も全く似ていなくって、弟はスポーツ万能で、全国大会にも出場しましたが、私は食っちゃ寝タイプの何もしない人でした。

 だから、余計、私のアドバイスなんか鼻で笑って聞かないだろうとわかるのです。手紙は即ごみ箱行きでしょう。

 書こうか書くまいか、悩んでいると、だんだんわかってきたことがありました。それは、上から目線のアドバイスなんか、誰にとっても迷惑なだけだということです。ましてや、スポーツ素人の私の付け焼刃の知識など誰も信用しないし、心配の押し付けも反発を招くだけでしょう。

 この歳になって、相手の感情を思いやることを自学したわけです。

 それでも、なんとか、少しは伝えたいと思って、いただき物のお礼のハガキを書きました。そこに、『私も足先がしびれることがありますが、風呂に入った時や、寝る前にマッサージをするといいみたいです。マッサージの仕方はユーチューブの整体やさんにたくさん出ています』と書きました。

 少しでも役に立つといいのですが、実際やっている私でも治ったわけではありません。少し軽減しているかなという感じです。きっと死ぬまで続ける作業なのでしょう。

2021年10月8日金曜日

 鈴木誠也選手の話

 何年か前、鈴木誠也選手が横浜スタジアムでケガをしたことがありました。飛んできたボールを追いかけて壁際で足が溝のようになったところで踏ん張ったらしくガクッと来たようです。詳しいケガの様子はわかりませんが、そこから休場して手術を受けたように記憶しています。

 あの後、インタビューで、「このケガが無かったら、自分は終わっていただろう」と言っていましたが、どういうことなんだろうとずっと思っていました。

 でも、自分で、ちょっとした足の踏み外しから膝が痛くなり、歩くのも大変になり、ユーチューブの整体屋さんを見ながら、毎日復調に努めていると、『ああ、このことか』と分かった気がしました。

 つまり、体が強く、練習熱心で、若く、怖いもの知らずだった鈴木誠也選手はがむしゃらだったのでしょう。けがをしたことで、落ち着いて自分や自分の身体を見つめる機会を得たのだろうと思いました。

 私が膝の痛さと向き合って、マッサージする術をマネしながら、これからの人生、こうして体のケアを続けていくことにしようと思っているように。

 この人、本当に頭のいい選手だと思います。私がこの歳で自学したことを、もう二十代で学習してしまっているのですから。

  大活躍とはいきませんでしたが、東京オリンピックで、稲葉監督が四番をはずさなかった理由がよくわかります。他の誰にも務まらなかったのです。つまり、おかげで、他のみんなが重圧を感じることなくのびのびと大活躍できたのです。