2021年7月29日木曜日

 韓国の話

 あまりに多くの反日のニュースに恐ろしくなって、思わずコメンテーターの反応意見を見てしまいます。「言わせておけよ」みたいなコメントに「なるほど」とうなずいて少し安心します。

 人に嫌われるということは恐ろしいことなんです。特に私のように対人恐怖症の人は。だから、余計に韓国のニュースを見てしまい、反対に台湾の蔡英文総統の善意とおおらかさに感激してしまいます。

 連日のオリンピック報道における反日の様子は、選手村の垂れ幕や放射能汚染の食べものの話など、あらゆる機会をとらえているようです。周りで嫌韓行動をしている日本の右翼も悪いと思いますが。

 開会式の韓国の放送では各国選手団のお国の事情をテロップで流したとして自国民からも非難があったようです。「オリンピックに政治は持ち込まない」というルールがあるようです。

 ここで、昨日でしたか、『<W寄稿>韓国人には確実に「残忍さのDNA」があるようだ=収監中の朴槿恵前大統領の近況 7/23(金) 17:56配信 WoW!Korea』という記事を見つけて読みまして、『なるほどな』と思いました。

 一度権力を握れば、前大統領の裁判だって思惑通りに判決を下し、正義の見せしめのように牢獄に入れる。『誰かを失墜させて苦痛に陥れるのに喜びを感じる残忍な人間性の持ち主が韓国人の中にひときわ多いという推論が可能となった。事情を寛大な気持ちで見てやる側と苦痛を与える側の内で選択すべき時、「苦悩せず(情け容赦なく)」苦痛を与える側へ大勢が形成されるのだ。』

 この頃、大統領選に絡んで『竹槍』の話が出てきますが、何の話だろうと思っていたのです。そのことについての言及もありました。『6・25(朝鮮戦争)時に一時的に共産勢力の統治下になるや否や、少し前まで互いに笑顔で向かい合っていた者が完全に冷淡になり、竹槍を持って人民裁判を開いていた。自分の上司を、あるいは自分の同僚を残忍に殺戮して殺した事件が発生した。共産主義者が抱く元々の特性に加え、このような韓国人の基本的な人間性を勘案すれば、なぜそのような悲劇が発生したのか理解するのに、容易に合点が行く。』

 『<W寄稿>『朝鮮策略』から140年、その時と比較して変わったものがあるのか=日中韓の今とは?』という記事に、『「サイレント・インベージョン:オーストラリアにおける中国の影響」という本を書いた「クライブ・ハミルトン」教授(オーストラリアのチャールズ・スタート大学)は、朝鮮日報とのインタビュー(7月20日付)で、当時の王、高宗は総理大臣たちを逆賊として処刑を命じ、『親露政権の高宗によって動員された行商人ら、数千人の群衆が金弘集などを処刑するために集まって来ており、日本軍は金弘集などを護衛した。兪吉濬、趙羲淵、張博は日本への亡命の途に就いたが、金弘集と鄭秉夏は日本軍の引き留めを振り払って、街路に出て捕まり、グァンファムン(光化門)の通りで悲惨な死を遂げた。』という、読むに堪えないような歴史が語られています。

 これって、北朝鮮の首領が叔父を逆賊として処刑した、あれに似ています。読むに堪えないとして捨てた『三国志』にもよく出てきたような気がします。つまり、権力を握れば、反対するものは抹殺しなければ安心できない。日本の戦国時代にもよくあった話です。つまり、残虐のDNAは誰にでもあるのです。

 人間の恐怖の表れのような気がしますが、平和な世の中では、人はゆとりと共に成長して、やがて、相手の気持ちを推し量るようになり、理解と寛容を持つようになるのだと思います。

 それができないのは、朝鮮半島が常に周りからの脅威におびえ続けているからだという気がします。つまり、地勢的な要因もあるのではないかと。日本は島国でよかったといつも思いますが、台湾もそうです。オーストラリアやニュージーランド等もそうでしょう。平和ボケしていると言われるときもありますが。

 中国や朝鮮半島はいつも緊張状態を保ち続けています。自分を守ることに精一杯なのです。だから、人の善意なんて信じられない、裏がないかと勘ぐってしまう。京畿道知事が、『竹島を足掛かりに日本が攻めこんでくる』というような秀吉を想定したような妄想を抱いているようですが、まさに、『攻撃は最大の防御』と思っているのでしょう。その精神状態を気の毒にも思いますが、やはり、先のコメントのように「言わせておけよ」と思うしかないような気がします。

 韓国の自殺率は先進国で一番だと聞きましたが、みんなが正当性を主張して攻撃することが正しいと思っていると、苦しむ人が出てくるのは当然です。それでなくても世の中は厳しくてつらいのですから。

 もちろんそうでない人もいます。駅で落ちた人を助けようとして亡くなった韓国の若者のような人もいるのです。先日の鹿島スタジアムの韓国対ニュージーランド戦では地元の小学生たちが、友好都市の小学生のために大韓民国を一生懸命応援していたという泣かせる話も報道されていました。その試合で、握手を求めたニュージーランドの選手を無視したとして韓国10番の選手が有名になりました。大人たちは何をやっているのでしょうね。

 祈るしかない

 この頃、車でアメイジンググレイスの歌を聞いています。作詞者はその昔、奴隷貿易にかかわってしまったイギリスの商船主だと聞いています。

 反省というのも自分を苛み、恐ろしいことですが、私はこの頃、ひきつけられるように中国やロシア、朝鮮のニュースを見てしまいます。平和ボケの日本にいてさえ、誰かが強い個性で引っ張ろうとすると反発を感じるのに、あまりの個人の独裁に、恐ろしさを感じます。

 習近平氏も、プーチン氏も、自分で憲法を改正して長期政権を可能にしてしまいました。三代続く北朝鮮のキム政権もそうですが、誰かに譲って、悠々自適に老後をとはいかないようです。韓国のように、退任後牢獄という事態になりかねないからです。文在寅氏もできることなら自分があと一期大統領をやりたいでしょうね。

 独裁者たちもつらいでしょうが、反対勢力の暗殺や拘束、事実の隠蔽、隣国への侵攻など、必死に生活しながら黙って見ているしかない庶民もつらいです。

 近年、子供を持たない選択をする人が増えて、少子化になっていますが、本当はこんなつらい状況をいやしてくれるのが子供たちの成長なんでしょうと思います。でも、こんなつらい状況を子供たちが味わうことになるのも想像するとつらいのでしょう。

 本当に祈るしかできないんです。生まれてしまったみんなが楽しい人生を送れますように。

 本 『二宮尊徳先生の生涯と教え』そば処「報徳庵」のしおり

 これは本当に薄くて粗末なしおりです。今市の杉並木の中の蕎麦屋さんでもらってきたのだと思います。夫は一時二宮尊徳にも凝っていて、結構集めていました。そのうちの薄いホチキス止めの、本とも言えない本です。

 最初に、尊徳先生が晩年を今市に住み、近隣の農村の復興に尽力していたと書かれています。

 どういう形態で尽力していたのかなとお金に苦労した俗物の私は思ってしまいます。この人は実務経済学者だから、経済的には妻子を養えるほどきちんとしていたのだろうと思いますが、今でいうコンサルタントのような仕事をしていたのでしょうか。

 安政三年(1856)に70歳で亡くなり、市内の如来寺に葬られましたが明治30年二宮神社が創建されたそうです。今市市内には「二宮堀」「二宮林」「報徳役所跡」「報徳仕法農家」「沢蔵司稲荷」「二宮神社」等などが保存されているようです。

 次の略年譜を見ると、十代で両親を亡くし、一家離散の状態からの出発だったようです。二十歳で家の再興を決意し、二十四歳で成功させたようです。三十一歳で結婚するも三十三歳で離婚、三十四歳で再婚。三十二歳の時に、初めて、経済復興の仕事を引き受け、成功し、三十五歳の時に栃木県(下野国)での更に大きな仕事を引き受けて、家財を売却して下野桜町に転居してきたようです。有名な二宮町の『桜町陣屋』でしょうか。

 これは五十歳までかかったようです。

 このころ、天保の大飢饉が起こり、尊徳先生は加えて、烏山、下館、小田原の農村復興事業を進めていたそうです。

 五十六歳の時、幕府に召し出され、御普請役格に任命されたそうです。これは給料が出たのでしょうか。

 五十八歳の時、日光神領荒地起返しの見込調査を依頼されて、三年かかったそうです。

 五十九歳で相馬の農村復興に着手。

 六十七歳、日光神領の農村復興を命ぜられる。病を押して着任。視察をしている間に病が再発。

 六十八歳、嫡子弥太郎が見習いを命ぜられて助力したようです。

 六十九歳、今市の報徳役所が完成し、桜町から転居。

 七十歳(1856年)、二月御普請役に栄進したが、十月病状急変で永眠する。

1866年、幕府転覆。弥太郎(46歳)は磐城の国へ移転する。

1871年、弥太郎病死(51歳)。

 過日、カブールで亡くなった中村哲医師を思い出しました。農村復興って土木事業なんですね。

 次に『報徳道歌』が数首。常に自然を見つめ、戦い、感謝し、常に身近のものに心を配っていた張り詰めた神経が感じられました。

 次は報徳訓の注釈があります。これは夫が張ったものが我が家にもありますが、先日、私が『草取りの真実』で「気づいた」と思ったことがここに載っていました。『田畑山林は人民の勤耕にあり』『自然の恵みは、これを人間が耕すことによってより豊かになりますが、それを怠ると自然は荒廃して洪水などの災害を引き起こします。自然の恵みを豊かに引き出して暮らしに役立てるのは、人間の努力次第なのです。』

 尊徳先生はあくまでも前向きです。大飢饉の起こった時代に、苦労があっても、人生に絶望することなく、未来を見据えて、敬愛しあいながら生活するようにという教えがそこここにあります。

 次に尊徳先生語録。『夫れ我が教えは 書籍を尊ばず。ゆえに天地をもって経文となす。・・・・・・・かかる尊き天地の経文を外にして、書籍のうえに道を求むる学者輩の論説はとらざるなり。』『二宮翁夜話』というのが印象的でした。実務家だったのですね。

 でも、こんなに忙しい生活をしていて、よく道歌とか語録とか考えていられるなあと思いましたが、こういう農村復興事業というのは人をうなずかせることから始めなければならないから、こういう説得力のある哲学は必要だったのだろうと思いました。

 昔、報徳社という団体が北海道の歴史に入っていたのを見たことがありましたが、尊徳さんの教えを生かした運営をして成果を上げたようです。

2021年7月22日木曜日

 草取りの真実

 梅雨が明けて、またいつものように突然暑くなりました。雨が上がって暑くなると、当然のように草が大きく育ちます。

 我が家はほとんど敷地いっぱい建ててあるので、草の生える余地はそんなにはないのですが、それでも、昔の建物で、余地にコンクリートや砂利など敷いてありません。それに、シソやミョウガなどの生えている野草を収穫する心づもりもあって、土のままにしてあるので、どんなに狭くても草取りは大変です。今日はここ、明後日は裏、と少しずつ、時間を見つけては抜いています。

 前にも書いたかもしれませんが、私の実家は農家で、家の敷地は農作業のためもあって広くとっていました。それに敷地の中に畑もあり、竹林もあり、杉林もあり、洗い物のための池もありで、除草剤が普及するまで、母はそれこそ一年中草取りをしていました。それを見ていた私は、家は狭くていいと思ってしまいました。おかげでずっと狭い家に住んでいますが。

 母は怠け者の私に手伝えとは言いませんでした。草取りのノウハウを知らない私は鎌の使い方を知りません。だから、今も手で、大きくなった草を抜いたり、木ばさみでサクサクと上の方を撥ねるだけです。幸い、狭い我が家の敷地ではそれで何とか間に合います。

 それでも、ある日思いました。『こうやって、毎年草と格闘して、一生を終るのだな』と。これは家の掃除にも言えます。掃除機なる便利なものができていますが、埃はどんどんたまります。拭いたと思っても二、三日で、白い埃が気になります。掃除機をかけるほどではないと思っていると、一週間で綿埃があちこちに飛び出します。ワイパーで集めたり、ころころで吸い取ったり、雑巾で拭ったり。こうやって、一生、埃と戦って行くのが人生なのだと思えてきました。

 結局、謙虚に自然と共生して身の回りを整えて行かなければならないということですよね、生きるということは。人に任せることもできない、自分でやるしかない。これが生きて生活をするということの真実だと思えてきました。

 普通はもっと早くに、仕事を持ったり、したりする中で気づくべきことだったのでしょうが、何事にも遅い私はこの年になって気づきました。というか、若くて勢いのある時は、気にも留めずにしていたことが、足が痛くなって、体の動きも悪くなり、自然との闘いが毎日に大きなウエートを占めて来て気付いたのでしょう。でも、気付いたということは大事なことです。

 ミニマリスト宣言

 『71歳一人暮らしで1日 1000円生活。ケチでも楽しく豊かな暮らし方』という記事を読んで、『まあ、私と同じ人がいるわ』と、読んでみたのが始まりです。エッセイストの小笠原洋子さんという方の生活を紹介していました。

 『いかにお金をかけずに心豊かに生きてゆくかを追求しているのです』とおっしゃる小笠原さん、私と違うところは、ひとりが好きで、生涯のほとんどを『ひとり』で生きてきたという逞しさと清廉さです。

 で、私と比べてみると、年金暮らしというのは同じです。

 小笠原さんは一日千円と言っているので、一か月にすると、3万円くらい、私は車の経費も含めて5万円くらいを取っています。結婚した娘が一家を連れて、週に一度は食事をしに来るので、ちょっと足りないです。私も交友費としてはこれだけです。

 小笠原さんはテレビも見るようで、通信費が一万円と言っていました。私はテレビは切ってしまいましたが、同じくらいです。

 小笠原さんはURの高齢者用賃貸住宅に住んで、家賃が五万五千円と言っていました。私は築四十二年の古家に住んで、固定資産税や保険料、維持費など月一万円くらいです。高齢者用住宅は便利で、定期的に安否確認をしてくれるみたいです。私の場合は下の娘が同居しているので、今のところその心配はいりません。月々の費用は安いですが、最後に責任解体費がかかるでしょうね。

 小笠原さんは、電気代とガス代で、月四千円くらいと言っていましたが、私の場合は水道代も含めて月、少ない時でも一万円くらい。今まで40アンペアで年に一、二度ブレーカーが落ちていたので、なかなか踏ん切りがつきませんでしたが、今度、30アンペアに変えてもらおうと思っています。

 これをまとめてみると、

小笠原さん、10万3千円。(水道代を二千円として入れて)。

私、9万円くらい。(足りない生活費1万円を入れて)

これに公的保険料が入りますが、私も72歳ですから、きっと同じくらいです。

 私は、一人暮らしではありませんが、なかなかのミニマリストであると、安心しました。

 小笠原さんの他にも、ミニマリストの記事がありまして、冷蔵庫と洗濯機を使わない家庭とか、おばあちゃんを見習って、残り物を出さない、地球にやさしい生活を心がけている家庭とか、みんなそれぞれに頑張っているみたいです。

 ところで、小笠原さんの記事に『空いた棚はそのまま開けておく』というのがありましたが、最初読んだときは気にも留めませんでした。でも先日、壊れぎみの古い冷房エアコンの撤去を量販店に頼みに行って、新しいクーラーを探している自分に気づいて、『ああ、このことか』と思いました。その冷房エアコン、実際にはあまり使いませんでした。『家が古いし、置き型で何かないかな』と思っていたのですが、あまりいいのが無くって、『今年は止めよう』と思いまして、はっと気が付いたのです。捨てたものの代わりに何かを買おうとしてしまうのですね、人間って。

 さて、私は次にどんな工夫をしましょうか。

 ワクチン接種の話、再び

 婿のお父さんが、打とうか打つまいか迷っていると聞いて、「ワクチンで死んでも、コロナで死んでも同じだから、私は打つわ」と大見得を切ったまではよかったのですが、予約が取れません。

 最初の週は「予約を締め切りました」という字幕が出てダメ、二週目は予約可能日に全部満杯の✕マーク、電話は全くつながりません。

 「私は高齢者なのに」とつぶやいても、まったく相手にされない状況です。

 キャンセル待ちをしようかと思いましたが、いつ来るかと緊張状態にいるのも苦手です。「いいや、ワクチンで副反応を起こす人もいるのだから、打たなくても」と、イソップ童話の「酸っぱい葡萄」の心境です。

 若い人たちの接種がどんどん始まっているので、予約のとれない高齢者の入り込む余地はありません。「まあいいや、みんなが感染しなければ、私に移すこともないだろうから」とか、「どこにも行かないし」とか。一番最後と覚悟しました。

 で、心穏やかに暮らしていたある日、娘のところにも接種券が届きました。で、予約の仕方を教えてやるとか言って、予約サイトを開いたら、七月の最終日に空きがありました。

 どうも、皆さん、オリンピック前に打ちたいと急いだみたいです。おかげで、私は七月、八月で打ち終わりそうです。まあ、うたない選択もありえたのですが、周りに迷惑をかけないようにするのが一番だろうと思います。

 超自然農法

 自然農法のまね事をして大失敗した話はしましたが、でも、自宅でとれた野菜を食べたいですよね。

 で、考えたのです。何が食べられるか。まず、種をまいたやつはほとんどダメです。小さくしか育たないか、虫の穴だらけ。

 で、我が家の庭に何が育っているかというと、シソです。赤紫蘇、青じそ、雑草のごとく生えています。それで、クックパッド等のレシピを検索して見てみると、青じそのちょこっと漬け、とか、赤紫蘇の赤紫蘇梅干しご飯、その残りのゆでた赤紫蘇とシラスを炒めて作ったふりかけ。などなど、結構出てきます。

 で、結局、雑草でいいんですよね。元気に育ってきてくれるのですから。

 これまでにも、我が家では、三つ葉、セリなどもテンプラにしました。ニラや小葱も料理しましたが、この頃、彼らは細く硬くなってしまいました。急いで有機肥料を買ってきて撒きましたが、果たして秋までに回復してくれるかどうか。

 アスパラガスは、ポキポキ取っている間に、嫌がって出てこなくなってしまいました。回復するための休みが必要なのでしょう。

 で、その間に、今まで邪険にしていたミントと桑の葉をテンプラにしました。美味しかったです。桑の葉は茹でて胡麻和えでも美味しいです。

 キュウリやトマトは買ってきます。庭に植えても場所を取るだけで、ほとんど収穫はありません。ジャガイモや玉ねぎも買ってきます。捨てた芋から芋類は芽を出して、時々収穫しますが、思わぬ喜びです。カボチャも捨てた種から一、二個とれますが、場所を取ります。

 これからはミョウガが採れます。

 そうそう、イチゴは雑草なんですね。いくらでも増えて行って、ジャムを作った後は繁茂を抑えるのに苦労します。

 あとは種から育てた枇杷、枝切をしたら、今年はなりませんでした。イチジクも枝切りで今年はならず、ブドウだけは元気です。種をまくと柿もリンゴもどんどん生えてきます。でも、植えるところがありません。あまり大きくならないうちに処分しないとと思うのですが、せっかく生えてきたのにと思うと、年々延ばしてしまいます。

 これで十分です。野草と雑草だけで、料理法さえ手に入れれば美味しく食べられます。

 英国ミステリー噂話 『検視法廷』に出ているマット・バードックの話

 『検視法廷』では、クレア・グース演じるジェーン・ケネディの元彼の刑事デービー・ヒギンズを演じているんです。これは昔楽しんでみていたドラマでした。

 で、この頃『第一容疑者』を見始めた話はしましたが、その第二話で出てきた人がどこかで見たことがある役者さんだと思って、考えてみたら、刑事デービーの若いころだったのです。つまり、まだ髪の毛がふさふさしていたころです。

 この髪の毛がふさふさしていたころの顔は、どこかで見たことがあると、気になって、またウキペディアで調べてしまいました。

 それによると、彼は1992年にこの『第一容疑者』でデビューしたみたいです。同じ年に、『フロスト警部』でDCバーナードという役をやったと書いてありました。で、思い出しました。二話くらいに出ていたと思います。確かにこのふさふさした頭でした。

 フロスト警部ではたいてい、一話ごとか、二話くらいで新しい刑事が来るのですが、彼はえらいさんの甥とかいう設定だったと思います。いつもいい服を着ていて、お育ちがいいという感じでしたが、結構しっかりと活躍していて、最後に亡くなってしまう役でした。これだけ覚えているのですから、彼は存在感のある役者さんだったのでしょう。

 でも、他の出演作品を見てみると、2004年に『ニュートリックス』にDIトム・ウイルソンという役で出ていたらしいのですが、おぼろげにあれかなと思える程度にしかわかりませんし、2005年の『バーナビー警部』のハリー・ローズという役なんか、全く分かりません。見ていたはずなのですが。

 で、『検視法廷』は2015年から2016年だそうで、坊主頭になっていたのです。最近は、『ニューブラッド』という作品にでているらしいです。この『ニューブラッド』は一度、GYAОでも放送していましたが、残念ながら見ませんでした。今度放送されたら見てみます。

 それと、『検視法廷』で、検視官ジェーン・ケネディの母親役の太った女優さんが『ポルダーク』に出ていて気になっていたのですが、ビーティ・エドニーというロンドン生まれの女優さんだそうです。

 本 『地球の歩き方、ヨーロッパのいなか』ダイヤモンド社、“91~92版』

 若いころは、旅行に行きたくて、こういう本を何冊も買いあさりました。でも、現実には行けませんよね、お金もないし、生活もあるし。で、読まれることもなく積んであった、これは30年前の私の本です。

 最初に出てきたのは、ヨーロッパは多民族であるということでした。国がポンポンポンとある感じですが、スペインのなかにもバスクあり、カタルーニャあり、その他にもスペインとフランスにまたがった自治州があるみたいです。イギリスだって、スコットランド、アイルランド、ウェールズ、言葉もそれぞれ違うらしいです。このウエールズの中でもコーンウオールのケルト人はフランスのブルターニュのケルト人と同族なんだそうです。海をわたって真向いのフランスに移住したのだそうです。で、EU諸国が『少数民族の人権にどうしてあんなにこだわるのか』が分かったような気がしました。自分たちの問題なんです。

 次に旅人はフランスのセザンヌの故郷を旅します。セザンヌって、どんな画家だったっけと忘れてしまった知識をコンピューターを使って思い出しました。あのタヒチに行ったのは誰だっけ、ゴーギャンでしたよね。ゴーギャンをモデルに小説を書いた人はイギリスの?。『モース』じゃなくって、『モーム』でした。サマセット・モーム。『月と六ペンス』、私は英文科だったのにすっかり忘れていました。で、あらためて、ゴーギャンをウキペディアで調べてみると、とんでもない人でした。この人なら、小説のモデルになっても不足はないという感じです。

 こういう風にして、旅人が自分の好きな作家や芸術家の原点を訪ねていくという構成でできていますから、知らない作家も出てきます。フランスで有名なジョルジュ・サンドという女流作家のところに、10年一緒に住んだ愛人としてショパンが出てきました。ショパンってクララさんという愛妻がいたんじゃなかったかしらと思って、またウキペディアを見てしまいました。クララさんはシューマンさんの奥さんでしたね。こうして知らないことが次から次へと出てきます。旅のだいご味でしょうか。

 次はイタリア、テレビで見ていた『イタリアの小さな村」と同じです。でも、芸術家はほとんどが宗教と関連していて、どこでもドーモと教会が出てきます。

 次はドイツ、最初に出てきたのは、ルードビッヒのノイシュバンシュタイン城でした。昔、なけなしのお金を叩いて、家族で貧乏旅行をしたときに行ったところです。あの時、熱に浮かされたように行っておいてよかったと思います。我が家のいい思い出ってあれしかありませんでしたから。確か、1989年のベルリンの壁崩壊の前だったと思います。この本の旅人たちも、その前後に旅しているようです。

 ところで、今地球温暖化のせいであちこちで水害が起こっています。ドイツ西部やベルギー等でも多数の死者が出たと報じていました。私たちもライン下りをしましたが、ライン川など、大河はほとんどが国際河川なんですね。何か国もの間を流れているのです。だから、損害も何か国にも及んでしまうのです。

 次のオーストリア・スイスも行きました。サウンドオブミュージックの街ザルツブルグとインスブルックです。スイスではインターラーケンからユングフラウヨッホにお馴染みの登山電車で登りました。でも本で、旅人は同じインターラーケンから、違う山を登っていました。私たちが行ったのは大きい所だけですが、チロル地方の村やハイジの村、ドナウくだりも紹介されていました。アンドレ・ジッドが住んで『田園交響楽』を書いた村の紹介があって、ストーリーも半分書いてありました。読もうか止めようか、悩みます。

 スペイン・ポルトガルのうち、私たちはスペインのサグラダファミリアだけを見に行きました。これは行かないと見れません。その後もサグラダファミリアの工事の様子はテレビで何度も紹介されて、正解でしたが、この本にはバルセロナは出てきません。面白そうな海岸の町や起伏にとんだピレネー山脈のなかの村が出てきます。でもちょっと、鬼才というか、変な芸術家が多いのは、ヨーロッパの端っこで、目立たなければ世に出られなかったからかもと思いました。

 イギリスは、言葉も何とか通じるので、私たちの貧乏旅行のメインでした。今英国ミステリーであちこち映し出されるので、だいぶ行った気にはなっていますし、ちょっと食傷気味でとばしました。

 オランダ・ベルギーは行きませんでした。あの頃は暗いイメージがあったのですが、読んでみると、歴史の重みやヨーロッパの中心という印象を受けました。いつか行きたいと思ってしまいました。

 番外編として、アイスランドの生活、ギリシャの島々、リヒテンシュタイン王国、アンドラ王国、アイルランドが紹介されていました。よだれが垂れます。

 ツアーなら歳をとっても行けるかも知れません。まずは足痛を治しましょう。