2017年8月26日土曜日

歩く人

 お盆は終わりました。あまり宗教心のない私は、お盆もお祭りも見ないふりして暮らしています。もちろん、人とも関係なくて心安らかに過ごせます。
 それでも、こんなことを考えてしまうのは、お盆という季節のせいなのでしょうか。
 あの人を見ているのは、私だけではないと思うのです。その人は、この時期なのに、コートを着て歩いています。いくつかのビニール袋とバッグを持って、帽子もかぶって、マスクもして、少し長めのスカートをはいて。
 最初に見たのは街の中だったのですが、その後、冬の時期に、街から少し離れた住宅街のほうから、朝早い時間に歩いてくるところを見て、『寒いのに、どうして歩いているのだろう、家にいられないのかな』と思ったことを覚えています。身ぎれいにしているから、ホームレスだとは思わなかったのです。
 その時は冬だったので違和感はなかったのですが、今の時期になるとその恰好は目立ちます。どうも、朝、住宅街のほうから来て、街の中で、日中を過ごし、夕方、また住宅街のほうに帰って行くみたいです。何度か考えました。市役所に言ってみようか、とか、警察に相談してみようかとか。でも、同じ道を通っているのだから、認知症ではないみたいです。意思をもって歩いているように見えました。もしホームレスになってしまっていたら、私なら声をかけて欲しくないのではないかと思ったりしました。
 二、三日前に帰って行くところを見かけました。ずっと歩いているとすると、一日、10キロ位歩いているのでしょうか。夕方と言ってもまだ暑さも残る中、帰って行く姿はさすがに疲れているようで、立ち止まり、そして、誰かを待っているように振り向いていました。
 車でなかったら、誰かを載せていなかったら、さすがの私も、声をかけていたかもしれません。
 『行き倒れ』という言葉が浮かびました。昔、近所で行き倒れの人がいたみたいで、見に行った子供たちが、「俺にかまうな」と叫んでいたと言っていました。もう一つは、水上勉氏の『離れごぜおりん』の映画の最後、だれにも頼ることのできなくなっためくらのおりんが海辺の高台の松林で亡くなったことが暗に示される場面です。『赤い腰巻が木に引っかかっていた』という。私も、誰にも知られることなく死んでしまうのが理想ですが、人は構わずにはおれないんですよね。
 今、この辺りはお祭りで、にぎやかです。見かけているのが、私だけでなかったとしたら、お巡りさんもいるし、声をかけてくれたかもしれません。
 私も、今度見かけたら、時間を見つけて、車を止めて、声をかけてみようと思います。『何か、私にできることはありますか』、そんな言葉が適当でしょうか。『ない』と言われたら、それでいいのですが、日本は福祉の国で、セイフティネットはあるはずです。みんなそのために税金を払っているのですから。
 でも、やっぱり、私だったら、行き倒れになるまで、してほしくないおせっかいかもしれませんが、その時の状況によってはしてほしいかもしれません。

2017年8月18日金曜日

間違いの許される世界

 長嶋さんが、「野球は人生そのものです」と言われた話は有名ですが、私も野球が大好きで、ほとんど毎日見ています。 先夜はプロ初先発の二十歳の投手が四回八失点で降板しました。それこそ大恥をかいてしまったわけです。そこからどう立ち直るか、まさに人生と同じですね。
 人生でも、いろんな人が、いろんな間違いをします。どう立ち直ったらいいのでしょうねえ。
 私などは、間違いを犯すのが怖くって、行動を極力控えています。人と接しなければ、間違いの起こる確率は少ないのです。つまらない、味気ない生活になるでしょうが、疑心暗鬼や後悔の念に苛まれるよりましと思っているのです。
 でも、年金暮らしの年寄ならまだしも、若い人たちにそんなことはできないし、引きこもりになられても大変です。
 野球なら、努力して倍返しをすることによって、立ち直っていくのでしょうか。ぼろクソにたたかれた選手が、別人かと思えるほどに名手になっていることもあります。それでも負けた記憶は消えないので自らつぶれてしまうのでしょうか。水曜日の藤浪選手や木曜日の福井選手、私もそうですが、メンタルトレーニングって必要なのかもしれません。この歳になって考えます。
 どちらにしろ、現実の世界と違って、ハードでもゲームの世界はいいですね。夢も、失望も、成功も、人を傷つけることなく体験できます。
 現実の世界で、どちらかというと活動派の夫は、忘却の名人です。言質を取られるのが嫌だから、手紙は書かないと言っていました。まさに、『この世の中は恥だらけ』です。忘れることで、前に進めることもあるんでしょうね。でも、時々、唸っているのは思い出すからなんじゃないでしょうか。

2017年8月12日土曜日

記憶力

 やっぱり忘れるんですよね。人の名前なんか、出てこないのは日常茶飯事ですし、この間は「よる」という漢字を忘れてしまいました。まあ、漢字はコンピューターで書いているから、忘れやすいと自分を慰めているのですが、名前が出てこないのは困りものです。全く話が通じない。加えて、内弁慶であまりよその人と話す機会がないので、たまに会って、話すとなると、言葉がスムースに出てこないのです。
 夫が独り言を言っていて、大丈夫かなとか、家族で話していましたが、考えてみれば、独り言でも話していれば、イメージトレーニングで、いざとなったときに話しやすいのかもしれません。
 そんな時、HSAM(完全記憶脳)の人がいるというテレビ番組を見ました。世界に60人ほど発見されているのだそうですか。過去の何年何月何日、自分はどこにいて何をしていたか、日記を見るまでもなく答えられるのです。私など、悪い思い出だけ残っていて、いつもトラウマに苛まれているのとは違って、そんなに辛そうでもありませんでした。ネットで調べてみると、『世界で最も不幸な能力』とか書いてありましたけど。考えてみるとそうかもしれません。
 他にも、カメラアイとか、サヴァン症候群とか、不思議な記憶脳はあるらしいのです。ネットには『どうやって記憶するか』とか、『どんな栄養をとったら記憶力にいいか』とかいうコマーシャルがいっぱい出ていましたけれど、あるがままが一番いいと思ってしまいました。たとえ、時々物忘れに悩んだとしてもです。

2017年8月5日土曜日

この世の中は恥ばかり

 『恥を忍んで生きる』という言葉を昔から聞いていました。
 戦後生き残った兵隊さんたち、武士の世界、隠棲した随筆家たち。
 皆さん、私みたいに対人恐怖症ぽかったわけではないと思いますが、やっぱり人間って、その気があるんですよね。自意識というか、悪く言えば、自意識過剰。よく言えば内省的。
 そうすると、死ぬこともそんなに嫌じゃなくなってきます。それこそ『恥も外聞も』すべてが消え去ってくれると思うと、すっきりして落ち着くかなと思えてきます。これが救われるという感覚かもしれません。
 人間って、歳とってそんな気持ちになって、やがて死に対する恐怖も薄らいでいくのかなと、この歳になるとわかる感情かもしれません。