2013年1月25日金曜日

正月に 

 やっぱり正月になると、皆さんネットを見て下さるようです。二日に駅伝を見終えてメールを開けてみると、またゼロショップからメールが来ていました。
  正直『今度は何だろう』と思いました。二件目の注文は来て送ったばかりです。時々、『有料のショップにしてはいかがですか』と言うメールが来るので、『それかな』と、恐る恐る下に繰って行きました。
  そうすると、下の方に、注文された本の名前が書かれた行が出て来るのです。出てきました。それを見てハッとしてしまいました。『困ったな』と言う感じです。それは昔の月刊の出版物のようなものでした。そういうものでしたから『レアな本』に属しました。アマゾンでも高い値段が付いていて、私もそれにならって、高い値段をつけて出していたのです。今まで売れたのにはない高い値段でした。
  『どうしよう』と例によって夫に相談しました。夫は『いい本だよ』といいました。それは判るのです。写真も豊富だし、中身は濃いのです。でも、昔々の雑誌は今のと違って、そんなに高級に見えないのです。チャチイのです。
  しかも、二冊あったのですが、今回取り出して見ていたら、一冊のページが外れてしまいました。それほど古いという事です。
  それで、『もしかしたら、この方はお年寄りで、表紙に乗っていた学校の卒業生なのかもしれない、それなら、その学校だけを撮った写真集がある』と思い出して、振込先を送るメールに、本の状態を書いて、『こういう立派な写真集もあるのですが、高い値段なので、よろしくご検討ください』と書きました。
  後で、『馬鹿な事をした』と後悔しました。『こんなものを高く売りつけて』と言われたくない為に、いい子ぶって、あたふたし、更に、『もう一冊買ってくれ』と言っているようなものです。
  プロフェッショナルな古本屋さんになっていないという事です。買う買わないはお客さんの判断なのです。私がとやかく言う事ではないのです。今回だったら、本の状態を詳しく書いて、『それでも良かったら』と書くべきだったのでしょう。
  それで、振り込みがあったら、『そのあまり大きくはない雑誌の他に、店でメインに売っている夫の著作の一冊を『宣伝とサービス』の為に同封しようとか』、素直に、『あとで後悔しない為に、三分の一ぐらいに値引きしてお返ししますとか』、どうしたらいいだろうと、眠れない夜に、むっくり起き出して、発売元のホームページで調べたところ、これらの本は『友の会の会員』に配布されたもののようでした。従って、わが家の年代物はレア本ですが、発売元では古いものはコピーサービスで対応しているようです。この一文を見つけて、ある程度ホッとして、急いで本の説明に付け加えました。
  高い値段を付けても後悔、低い値段をつけても後悔,古本やさんとは結構大変な仕事です。この頃、50MBにしたい為に一冊一冊を急いで入れているので、値段調べがいい加減になっているきらいもあるのです。反省して他の書店の値段も調べてみようかという気持ちになりました。

2013年1月18日金曜日

多喜二ブーム 

 不況になって一時期、小林多喜二の『蟹工船』がまた読まれ出したと騒がれていましたが、今でもそうでしょうか。
  実は、昔々に買って、多分古本屋さんで買って、読まずに飾りっぱなしだった本を、ショップにアップしたのを機に読もうと思って、枕元に置いておいたのを、この冬休みに終に読み切ったのです。
  『おりん口伝』と『続おりん口伝』です。前者は第八回田村とし子賞、また、百合子・多喜二賞をとったとも書かれていました。読み始めると結構重い感じで、癒し系に慣れていた私にはなかなか前に進めませんでしたが、中頃まで読み進めると、先が気になるようになりました。読み終わった今は、久しぶりに、まだ本の世界にいるような感じで秋田弁を口走りながら暮らしています。
  話し言葉が秋田弁なのです。きっと東京育ちの人や若い人には古典のようで辞書がいるでしょうね。私は関東の北の端、茨城も、栃木寄りの田舎で育って、まわりがみんな、あれに近い言葉をしゃべっていたので、分かったのです。しかも全編それで貫かれていて見事です。
  昔、藤沢周平さんの『山伏記』というのを読んだことがありますが、最初は山形弁で書かれていたのに、最後の頃は編集者と読者の要望に負けたかのように標準語になっていて興ざめした覚えがあります。
  著者は、松田解子さんという方で、十年くらい前に亡くなったようです。おりんさんは離れ瞽女ではなく、秋田の三菱荒川鉱山で働いていた夫に嫁ぎ、夫亡き後、仲間の応援を得ながら、必死に働き、二人の子供を育てている鉱山働きのおりんさんでした。私はもしかしたら、『離れ瞽女おりん』の原作本と間違えてこの本を買ったのかもしれません。昔のことで覚えていませんが。
  松田さんは荒川鉱山出身と書いてありまして、これはお母さんがモデルであると言われているようです。
  話は明治時代です。その時代の、劣悪な鉱山の労働環境、足尾銅山で有名な環境被害がここにもあります。足尾だけかと思っていましたよね。でも、あちこちにあったのでしょうね。わが家の近くの日立にも、有名なお化け煙突がありました。私達はそれが煙害をもたらすから、お化けと呼ばれるほど高く造られたなんて夢にも知りませんでした。観光名所だと思っていましたから。
  地底の労働は過酷で、鉱夫は最後はみんなヨロケと呼ばれる、いわゆる『塵肺』で、若くして病気になったり、亡くなったりします。それも正規雇用ではないので、景気の動向によっては人員整理の対象になって辞めさせられ、長屋も出なければならなくなります。そして戦争にでもなれば、また多くの人員募集がかかるのです。それでも人が集まったのは、多分、それでも他より仕事があったのでしょう。
  これはおりんさんの物語ですが、それだけではない、その当時の鉱山の生活と社会の動きが実感として判るように描写されています。
  私の学生時代は70年安保の時代でしたが、私がこれを買った当時、これを読んでいたら、どう変わっていたでしょうか。やっぱり、のほほんと育った私は、連帯なんか、理解できなかったでしょうね。
  今になって、これだけの歳を重ねて、自分の不幸も人の不幸も、社会の様も少しは見聞きし、寄る辺ない恐ろしさも少しは理解できるようになって初めて、『同情』という、人と同じ気持ちになれたような気がするのです。おりんさんの気持ちもがんばりも『自分もした』という思いがあるからわかるような気がするのです。
  今の時代と同じです。ここを逃げ出しても、他に行っても仕事は無い。試練は、辛いけど、自分という井戸を深くして、きれいな水が湧くようにしてくれるような気がします。  古本ですが、出会えてうれしい本でしたので、ちょっとだけ値下げしました。誰かにも読んでもらいたいような気がしたのです。

2013年1月11日金曜日

ここで注文が来たら 

 その他にも、夫の書斎には大型の単行本や雑誌等もありまして、大型本で書棚を一つ占領していました。その書棚の整理をしながら、値段を確かめたり、写真を撮ってアップしたりしていると、本当に夢中になってしまって、『こんな最中に注文が来たら面倒だな』等と不遜な事を思ったりしていました。
  幸い、それらの大型本も何とかクリスマス前に片が付いて、40MBも突破して、『後は、来年』と思っていたその朝に、注文メールが入っていました。
  これがショップ開設以来二件目です。やっぱり『うれしいー』と言って、夫に報告しに行きました。今回は残念ながら夫の著作ではなかったのですが、でも、所蔵本で、値段の判らない本でした。もう一冊同じような題名の本があったので、それと同じ値段にしておいたのです。
  最初は『本当にこれでいいのかしら』と思いました。もう一冊の方は出版社の出した単行本で、装丁もしっかりしていましたが、注文された本は財団が出版したせいか、報告書のような装丁だったのです。よっぽど『これでいいんですか』と聞こうと思いましたが、写真が豊富できれいでしたから、『これでいいのかもしれない』と思い返して、振込先を送りました。
  それこそ、速攻で振り込んでくれて、私も翌朝速攻で準備をして郵便局に持って行きました。年内に届くだろうかと思いながら。
  その翌日、注文主さんから、届いたと言うメールが入っていました。実は『長年、探していた本だった』という事でした。『他ではもっと高く売っていたのに、こんなに安く売って頂いて』と書いてありましたので、夫にそういいましたら、『いいさ、いいさ』と言いました。
  本当にそうです。こんなに喜んで頂けるなら、長年夫の書斎に埋もれていたあの本は幸せです。やっと自分のいるべき場所を見つけたでしょう。これが、きっと古本屋さんの醍醐味です。
  今までは、『アマゾンに載っていない本は、値段も判らないし、売れない』と思っていましたが、『アマゾンに載っていない本を探している人もいるんだ』と判りました。
  年が明けて商品アップをスタートしたら、その辺も考慮に入れて商品を選んで行こうと思いました。

2013年1月5日土曜日

いよいよ夫の書斎 

 前にも書きましたが、夫の本は全集ものが多いのです。哲学の全集は、以前古本屋さんに来てもらって売った時に、二束三文で持っていって貰いましたが、美術全集、建築全集、絵巻集成の類いは、いっぱい残っているのです。今回それらを調べてみると、出版年月日が結婚した前後と重なっているのです。それを見て、『ムムム』と思いました。独身貴族のままで、結婚後も買い続けていたとわかってしまいました。しかも、見た跡のあるのは最初の巻くらいです。
  あとは書道をしていた義母のために買ったらしい書道の全集がよく見られていた程度という事は、義母だけは真面目にその全集で練習していたということでしょう。
  増大する本の山に、ダメと言ったのは毎月届く文庫本を買い続けていた時でした。本当に、小さな文庫本が五、六冊毎月届いて、三千いくらかを払い続けていたのです。しかも全く読みもしないで、並ぶところもなくなった棚に押し込むか積んどくか。しかも、その時は会社もうまくいかず、借金がどんどん嵩んでいるときでした。いい顔しいで断れない夫に、『絶対に駄目』と言いました。その後、こういう経験は何度かしましたが、今思えば、あれが最初だったのです。
  犬も喰わない話をしてしまいましたが、この全集もの、結構安いのです。で、美術全集は諦めました。建築の全集や絵巻物の全集は一冊一万円近いものでしたが、これは巻によって値段が違いました。値の上がっているものもあり、下がっているものもありです。それで、全巻揃っているものは、全巻で写真を撮ってショップに並べました。絵巻物は二冊ほど抜けていたので、その内出て来るかも知れませんが、一冊ずつ値段を付けて並べました。
  これらは大型本に属して、スキャナーの画面をはみ出すのですが、あの時代、こういう大型の豪華本が多く出版されたような気がします。バブルに向かっていた良き時代だったからかも知れません。
  これで、30MB突破です。