2015年1月29日木曜日


イタリアの小さな村

 こういうタイトルの番組があります。いつも同じような話ですが、好きで時々みています。
 構成はイタリアの小さな村に住む、たいていは二人の人物に焦点を当てて、その人のこれまでの人生、例えば戦争中の話とか、ドイツに出稼ぎに行っていたが、生まれ故郷の村に住みたくって妻と二人で帰ってきた人の話とか、ずっと村で羊飼いをしている人の話とか、村の大工の話とか、夫に先立たれて、一人で働いて,子供達を育て上げた女性の老後の生き様とか、一つ一つが一人一人の物語なのです。
 誰でも一つだけは物語が書けると良く言われますが、その物語の集合なのです。時々は飽きてしまう事もあります。でも、誰の人生にも学ぶべき事があるように、テレビに映った遠いイタリアの人々の人生にも学ぶ事はたくさんあります。
 例えば、子供達を独立させて、一人で生活しているおばあさん。太っていて私と同じ、毎日ヨタヨタと坂の下の畑に行って、野菜や野草を摘んで、食事を作り、誰にも迷惑をかけずに、神様に感謝しながら生きています。未来の自分をみているようです。
 独身の若い人たちも出てきます。みんな、しっかりと自分のやりたい事を持ち、未婚にしろ、バツイチにしろ、周りの人は、それぞれの生き方を尊重して何も言いません。今は日本もそうなってきていますが、見習わなければと思います。
 中でも、今、私が見習っている事は、イタリアのマンマの心意気です。どんなに急がしくっても、パスタを捏ね、外に出た子供達の分まで食事を作り,できるだけみんなで大きな食卓を囲んでいます。なんて大らかなんだろうと思いました。それらを見ていて、いつの頃からか、私も日曜日に娘達の家族の分も料理を作って、一緒に食べるようになりました。やり始めると、料理の腕の悪さに気づかされ、テレビの料理のアイディアなどが目に止まります。
 こうした生活は忙しいですが、きっと生きている楽しみなのです。近所に住む老人家庭をいつも気にかけている商店主の女性の話も出てきましたが、あのボランティアも、きっと生きていればこそできる満足感があるのかもしれません。
 こうして他の人の人生をかいま見せてもらって自分の人生に取り入れ、人は成長して行くような気がして、時々は見せてもらっています。

2015年1月22日木曜日


老いるという事

  正月を挟んで一ヶ月後、一月十一日。
 糖質は食べてしまいました。サツマイモを食べると便秘が治るのです。でも、少し胸焼けも経験しましたので、量は少しにしました。で、おかげさまで一キロ減です。これで満足です。月に一キロずつ減ってくれれば十分です。食べすぎたら翌日減らすようにして、このペースだけでも維持して、腰や膝への負担を減らして行けるようにしたいと思います。
 
 先日、近くに住む友人としばらくぶりにおしゃべりをする機会があって、そのとき初めてご主人が亡くなった事を聞きました。大動脈剥離と言っていましたが、救急車で行って、もう翌日には亡くなったようです。
 お話しした事はありませんでしたが、よく家の前などをお掃除していたお姿を拝見していたので、そんなに急に亡くなっていたなんて、信じられませんでした。
 そのとき、九十四歳まで生きた姑が言っていた言葉を思い出しました。『周りの人たちが、どんどん居なくなってしまうのよ。若い人たちも,懐かしい人たちも』。
 『ああ、それが老いるという事だな』とこの頃私も思います。
 もう、父も母も居なくなりました。叔父も、叔母も。
 ご近所でも、すぐ前の家に一人で住んでいた頼りになるおばあさんが消えるようにいなくなりました。その向こうの家の親切なおばあさんも九十歳で、亡くなりました。ごみ捨て場の近くに住んで、ごみ当番のとき、忙しくって手の回らなかった働き盛りだった私達の代わりにごみ置き場を掃除していてくれた,一人暮らしのおばあさんも、いつの間にか亡くなって、家も取り壊されて畑になってしまいました。いつもニコニコと話しかけてくれていた優しいおじさんは交通事故で。
 考えると、あの人もこの人も。
 これが、老いるという事なんだなあと思います。そして、老いるという事は、あの人はこんないい事をしてくれた、あんな優しい事をしてくれたと、人生の先達達の生の遺産をいっぱいポケットに詰め込む事なんだなあとも思います。
 私も負けずに、これからでも、人に優しく、徳を積みたいものだと思います。

2015年1月16日金曜日


カープ女子

 今年(14年)はやったこの言葉。私は昔からカープ女子なのです。黒田投手がアメリカに行く前から。1対0で買ったとか負けたとか、そんな試合ばっかりの広島の選手達と黒田投手を応援して、楽しくストレスを発散して生きてこられた話は前にもしたでしょうか。
 8年前、ファンの皆様に応援されたり、悲しまれたりしながら、黒田投手が大リーグに挑戦したときには、興奮してアメリカの友人に、下手な英語で手紙を書いたりもしました。それ以来、放送が無いときはネットで見て応援していました。
 でも、いろんな野球記事やブログなどを見ているなかで、球団と同じように私たちもきっと帰ってくると思っていました。それが本当になったのです。
 黒田フィーバーと誰かが言っていましたが、そのニュースを見て、多くの方々が喜びのブログを書いていました。『来年こそは優勝』と喜ぶ人もいましたし、『たとえ来年結果が出なくっても、帰ってきてくれただけでいい』と涙の出るようなブログを書いている人もいました。
 皆さん、涙という言葉を多く書かれていましたが、私も涙を流しながら読んでいました。
 中に阪神ファンの方のブログがあって、『新井さんもそうだけど、どうしてみんな広島に帰るんだろう』というような指摘があって、やはり8年前の新井選手の涙の阪神移籍会見を思い出しました。黒田選手が涙ぐんだという移籍会見は見ませんでしたが、新井選手のは見ていたのです。『そんなに悲しいなら行かなきゃいいのに、球団も引き止めてあげればいいのに』と思ったものです。
 新井選手はやはり今年、阪神から大幅ダウンの提示を受け、自由契約になり、更にそれより低い年俸で広島に帰ってきました。出場機会を求めてと書いてありましたが、よほどの努力をしなければ、いくら実績があってもプロの世界では機会は奪えません。それでも『広島に』と思わせる何かがあるのでしょうね。
 よっぽど人徳のある誰かがいるんでしょうか。
 数年前、ユーティリティプレイヤーと言われた『キムタク』が,巨人に行き、引退後は巨人のコーチになって,広島戦のために帰ってきた広島市民球場の本塁ベース上で倒れて、脳溢血のために亡くなられましたが、あのときも何か気持ちのようなものが感じられて、泣けました。
 内田順三コーチは熱心な指導が買われて,ご高齢なのに、巨人と広島を行ったり来たりしていますが、彼なんでしょうか。オーナーなんでしょうか、社長なんでしょうか。新任の緒方監督なんでしょうか。
 来季は、マエケンも残ってくれるようです。そういう仲間意識なんでしょうか。
 私は黒田選手がいなくなれば、もうヤンキースもMLBも見ませんが、松井選手がFAになったときも、あの球団には何か冷たい気持ちが垣間見える気がしました。あのFA選手の争奪戦を見ているとアメリカの球団ってみんなそうなんでしょうか。

2015年1月14日水曜日


コンクリートの代わり

 こんな狭い敷地でも,毎年毎年草取りには苦労しています。狭い敷地なんだからコンクリートで覆ってしまえば手間いらずなんですが、建てた当初、そう言われたんですが、まだ排水もできていなかったので、これから土を掘り返す事もあるだろうと、土のままにしてありました。
 やがて排水もでき、増築もしたんですが、その頃はお金がありませんでした。家はどんどん古くなって行くので、またいつか立て替えるなり、しなくてはならないと思うと、わずかな蓄えを『今、修理には当てられない』という気持ちがいつもあります。
 わずかな貯金を小さな修理ではなく、根本的な大きな修理か、中古住宅でもいいので住み替えに使わなければならないのではないかと思っているのです。だから、草取り不要のコンクリートには使えないのです。
 で、床の張り替えで大量に出た、古ーペットを廃棄しないで残しておいたのです。弟が古カーペットを、広い敷地に申し訳程度に敷いていましたが、あれが草防止なのだとあとで知りました。それをお隣の駐車場でもしていました。
 それで、私も、大量に出たカーペットで、裏から横から、目一杯敷こうと思って、今朝、筋トレをしてウオーミングアップをして、敷き始めました。風に飛ばされないように所々に重い石や瓦を置きました。
 そう言う訳で、昼も食べずに三時間、もう止めたいと思うほど労働してしまいました。今夜から、また足腰が痛くなりそうです。
 でも、胆石の手術から一年半、完全に立ち直ったと思いました。ありがたい事です。手術後、痛みをこらえてやっていた草取りも、これで少しは楽になりそうです。

2015年1月7日水曜日


風呂床

 家の中でも水回りは一番最初に弱ってきます。台所、トイレ、風呂です。
 築37年のわが家でもご多分に漏れず、台所の床は張り替え、レンジも取り替え、バスタブと便器も取り替えました。あの頃は一体式のシステムバスではなく、タイルの床に据え付けのバスタブ、外付けのボイラーでした。ボイラーは給湯式だったのがすぐにだめになって、穴をあけた循環型にして、それが東日本大震災まで三十年近くもちました。今のは三台目ですが、その熱効率のいい事。長持ちしたからいいとは限りません。今は灯油も今までの半分以下で済みます。もちろんこれは、やはり大震災でだめになった太陽熱温水器を新しくしたせいもあるのです。両方とも性能が上がっているのです。
 太陽熱温水器が経済的であると思っているわけでは有りませんが、環境に優しいという事で納得しているのです。
 そのタイルの床はとても腕のいいと評判の職人さんが、貼ったもので、かつ私はお掃除苦手人間ですから、ごしごしなんて、週に一度もしませんで、バスタブを入れ替えてくれた職人さんにもほめられるくらい、きれいに保っていたのです。
 それも、大震災後、割れ目が入って、あの頃、保険金をもらった人も居たようですが、わが家では考えもしませんでした。多分、地震保険には入っていなかったような気もしますが、でも、とにかく、家は壊れるものとしか頭に無かったのです。
 娘がコーキング剤を塗りまして、それがあまり上手じゃなく、最近また穴があき始めました。さて、どうしようかと考えたのです。床張りのDIYで気を良くしていた私が、DIY好きの弟がしたように、上にもう一度タイルを貼るのはどうかと言い出しますと、娘が,ネットも参考にしてみたらと言います。それでネットを調べてみると、新しい材料が出てきて、それはクッション性もあってタイルの上にも貼れると書いてありました。
 で,また、DIYショップに行き、まずタイルのところで、相談しました。タイル担当の方が言うには、タイルの上に塗る接着剤は置いていないというのです。一旦もとのタイルを外してやり直すのだと言います。これではできません。そこで、ネットで見た、新しい材料のカタログを見せてもらいましたが、材料だけで三万円、現物は無くって、どう工事するのか見通しが立てられませんでした。
 さて、と、『弟に聞いてみよう』と一旦家に帰って、風呂床のコーティングをはがしてみましたら、割れ目がくっきりと出てきました。そこ一カ所だけ割れ目を埋めればなんとかなりそうです。そこで、埋める材料を買いにまたDIYショップに行き、今度はセメント売り場で事情を話し、おすすめのセメントと、目地剤を買ってきました。そのセメントはタイルの上にも塗れると書いてありましたから、弟が使ったのはこれだなと思いました。弟はこのセメントを塗ってその上に新しい大きなタイルを並べたようです。私にもできそうでしたが、私はほんの少し使って、割れ目を埋め、外れた小さなタイルをのせました。目地剤は使わないで返品して、九七七円なりで、以前よりきれいになりましたから、今はこれでいいと思います。
 いろいろ騒ぎ回ったおかげで、この次だめになったら、やる方法も見えてきました。結局、家って、こうして補修、補修を繰り返して住んで行くんだなと,またまたこの歳になってわかった気がします。