2019年12月26日木曜日

腸内フローラ十ヶ月後、今までのスローガンを読み返しながら
 1週目、先週、最初にやったのは変形の間接的断食でした。つまり、朝食の時間はその日の用事によって、なかなか決まった時間という訳にはいかないので、諦め加減になっていたのですが、朝はその日によって変えるとして、一日の最後の食事は4時前にすることにしたのです。つまり、四時過ぎには食べないことにしました。それと、月一プール、一日三十分以上のウオーキング、これを一気にやって、1キロ減に成功したのです。さて、今週はと期待していたのですが、残念ながら戻ってしまいました。
 原因は思い当たらないのですが、強いて言えば、魚より肉のタンパク質が多かったことと、便秘がちだったことでしょうか。
 2週目、またもや婿の出張で、孫のお守りの一週間のお泊まり。その間体重は測れませんでした。食べる時間もまちまち、自分なりに気を付けて、運動したり、芋を食べたり。それで結果は、変化なく過ごせました。
 3週目、ちょっと忙しかったのです。それで変化なし。今回の主犯は夫です。でも、もう言うのをやめました。失敗は誰にでもあることですから。これも「練れた」ということでしょうか。
 4週目、変化なし。言い訳をすれば、「暮れで忙しかった」です。でも、忙しさに対応して体が動いていたということには感激でした。「もっと軽ければ、もっと楽に動けるだろうに」とは思いましたが。
 その間に、私は昔から早食いなのですが、ある時、のどもとを大きな食べ物が通るのに気がついて唖然としました。忙しいから、さらに早食いになって、丸いまま飲み込もうとしていたのです。
 その時、ダウン症のお子さんを持つお母さんが言っていたのを思い出ししました。「どんどん太ってしまう。多分、筋肉が弱くって、あまり噛めないんだと思う。それに加えて、やっぱり筋肉が弱いから運動もあまりできない。それで、いつも便秘。」
 まさに、私と同じだと思いました。来月のテーマはこれですね。「よく噛むこと」

開き直りができるようになりました。

 練れたということでしょうか老いたということでしょうか
 ある日、イオンに水汲みに行った時のことです。二台あるうちの二台とも空いていたので、両方とも使って汲んでいたら、そこに来た、おばさんが、まあ、私から見るとお姉さんですが、険しい顔をして「二台とも使っているんですか」と咎めるように言い放ったのです。
 空いていたから使ったのにと思いましたが、すぐに「あらごめんなさい、こちらどうぞ」と、終わった方を開けました。
 こう言う事態は二度目でしたが、昔はグズグズと後々まで思い出して、引き摺っていたものでした。今回は「まあいいや」と思えました。「若いんだなあ」と思ったり、「きっと、言ったことを後で後悔するだろうな」と思いやったり、心が大きくなったと言うことでしょうか、歳を重ねて成長したと言うことでしょうか。
 もう一つは、「お若いですね」と言われた時に、その言い方が、あまりに空々しかったので、言った人に「いくつに見えますか」と逆襲してしまいました。言った人は返事に窮して、「60代ですか」と言いました。流石に、その通りとは言わないで、「71歳になりました」と答えました。大して変わりないとがっかりしたそぶりは見せませんでした。
 これは心が練れたと言うことか、老成したと言うことか。

2019年12月13日金曜日

前のおばさん

 色々、老化を感じるせいか、亡くなった人のことが気になり出しました。
 我が家の前の家は、今流行りの引き取り手のない空家です。もう10年にもなりますが、崩れることもなく、形を保っています。そこにハクビシンが住んでいるらしいという話はしましたが、誰もいないその家は、寒くて寂しいらしく、夜な夜な餌を探しながら、ついでに暖かい屋根裏も物色しているようで、我が家にも二、三度入り込みました。今や追い出し用の棒は二、三本常備です。
 そこには、私たちが越してきた頃からおばさんが一人で住んでいました。しっかりしたおばさんで、至らない私を悪げなく、また、悪げを感じさせずに、付き合ってくれていました。
 実の娘、息子がいるのに、そんなに行き来せず、自分で働いて、自活していました。娘さんは結婚して遠くにいるようでしたが、息子さんは県内にいて、鳶職をしていたようです。そして、不肖の息子だったのでしょう、結婚して子供もいたのに、若い女性と駆け落ちし、さらには交通事故を起こして、彼女は死に、自分は大怪我をして働けなくなり、おばさんを頼って、前の家に住み着きました。
 おばさんから、愚痴や非難の言葉は聞いたことがありません。勿論、私などには言わないでしょうが。ただひたすら、創価学会のお題目を唱えて太鼓を鳴らす音がよく聞こえてきました。あれが、自分を整える行動だったのでしょう。
 やがて、おばさんも歳をとり、自転車に体を預けながら買い物に行く姿が目立つようになりました。息子さんは時々びっこを引きながら出てきて、花を摘んでいる姿が見かけられました。亡くなった恋人にあげるのかなと思いました。
 おばさんはここで亡くなることはなく、多分、娘さんに引き取られたのでしょう、いつの間にか、息子さんが一人で住んでいました。そして、息子さんはここで倒れて、救急車で運ばれて亡くなったそうです。今、小さくて古い家だけが残っているのです。
 昔、貸家だったこの古い家をおばさんは貯金をはたいて買ったようです。買ったほうがお得だったか、借りていたら、解体も大家さんの責任だったでしょうと思いますが、息子さんのために暮らせる家があったことは良かったかなと思います。きっとおばさんもそう思っていたことでしょう。
 やがて、私たちも、こうした思い出の一片になってしまうのでしょう。

2019年12月6日金曜日

便乗値上げ
 消費税が二パーセント上がって、お財布がどんどん寂しくなっていくなあと感じていた頃、買うものが、二パーセント以上に高くなっていることに気づきました。少しずつ少しずつ、本体もみんな値上がりしているのです。
 郵便局の振込料、台風被害のせいかもしれない野菜、インスタントのうどん、88円から98円になりました。プラス10パーセントの消費税です。海苔は以前から10枚入りが7枚入りになっています。
 そんな中、われらが自治体では、ゴミの有料化が宣言され、一枚5円くらいだったゴミ袋が同じくらいのサイズで30円になり、あまりの非情さに皆さん嘆くこと大でした。
 でも、これ、だんだんと政策の意図がわかってきて、納得できるようになりました。
 つまり、分別すれば、無料で出せるものが多くなったのです。今まではオムツも草も一袋に入れてゴミとして出していたのですが、オムツは別袋に入れて、書いて出せば無料、庭木は以前から丸って出せば無料だったのですが、ちょっと大きな草やトウモロコシの茎なども庭木に混ぜて紐でくくれば無料、以前からあった、無料の紙や缶、瓶、布などの資源ごみの他に、プラスチックゴミの日が新設されて、プラマークのついているものは有り合わせの袋に入れて、その日に出せばこれも無料です。そして、このプラごみの多いこと。せんべいやお菓子の袋にはほとんどこのプラマークがついているのです。今まであったトレイや卵ケースやペットボトルの他に、一袋がすぐにできてしまうほど多いのです。というわけで、分別すれば、有料のごみ袋は週に15円の小袋一枚で足りるようになりました。
 お年寄りが、スーパーで、くるりポイをして困るとテレビでやっていましたが、つまり、トレイを持ち帰りたくなくって、袋に入れ替えて、トレイを捨てていくということです。確かに分別が面倒なのです。分別しなければ袋代が高くなりますし、今度はコンビニのほうで頭を使って、トレイ無しの商品も置くようにしないといけないでしょうね。
 さてさて、こういう状況の中、家計の節約はどうやってしましょうか。

2019年11月29日金曜日

腸内フローラ九ヶ月後、甘いもの一日一個

 1週目、変化無し。
 この間も嘆きましたが、タンパク質多めにすると甘いものが食べたくなってしまい、『たんぱく質多め、糖質少なめ』の目標が守れないのです。どうしたらと悩んでいたら、あるコマーシャルに目が行きました。
 たんぱく質と糖質を同時に取ると、老化が早まるというコマーシャルでした。これ、私にもはたと思い当たることがあったのです。最近、顔にシミが増えたのです。甘いもののせいだとすぐに思うほど甘いものを食べていたのです。本当に、『貧乏人のくせに贅沢な』と思うくらい食べていたのです。
 そのコマーシャルではパンケーキの写真が載っていました。卵と粉、砂糖と蜂蜜、こんがり焼けた美味しそうな色。つまり、焦げてしまうのだそうです。この写真が私のシミに重なりました。それ以上は読みませんでしたが、やっぱり甘いものは一日一個、なんならゼロでもいいと再度決心をした次第です。
 2週目、変化無し。忙しかったのです。開き直ってしまいました。反省。
 3週目、変化無し。一日一個、なかなかできません。秋ですね。
 4週目、恐ろしい動脈硬化の話を読みました。歳をとるとお肉を食べなきゃいけないとテレビコマーシャルでやっているので、ついつい従ってしまいますよね。でも、同じタンパク質でも青魚を多くしなければ、中性脂肪やコレステロールが溜まって動脈硬化、高血圧になってしまうのだそうです。私の足イタの原因はまさにこれ動脈硬化のような気がします。もちろん、糖分や甘いもの、塩分のせいもあるのですが。以前から血液がサラサラになると言われている玉ねぎ食べましょう。
 そういえば、いつの頃からか、この減量計画の原則を忘れてしまっていました。色々な物を食べて腸内フローラ(花畑)を生き生きとさせる。便秘対策でした。今週は、今までのスローガンを思い出して実行したのです。1キロ減、68キロ台。ばんざい。

2019年11月21日木曜日

山の中

 以前、昔から当然あるものと思っていた実家の上の家が取り壊される話をしましたが、時々実家に帰ると、思わぬ話を聞きます。
 昔から親しんできた人たちが亡くなった話や、ボケ加減になってしまった話。同級生が不倫の末に離婚して亡くなって、残された両親の面倒を見に、妹夫婦が帰ってきたといったニュース。弟の同級生が大動脈剥離になって、一命は取り留めたものの、反応が無くなってしまった話。
 昔の村は狭い世界なだけに、生々しくわかってしまうのでしょう。
 そんな中で、思い出す人たちがいます。実際にはその人達の顔もろくろく知らないし、話をしたこともないのです。名前は覚えていない、記憶の闇の中です。
 〇〇さんというその人を見たのは私が子供の頃です。その人は田植えの手伝いの人たちに混じっていたのだと思います。あるいは茶摘みだったかもしれません。とにかく今思うと、わずかなお礼で働いていたのだと思います。だから、「〇〇さんが入院した」と民生委員をしていた義妹が言った時、思い出したのはひっつめに髪の毛をまとめた化粧気もない細面の、若くも老いてもいないその頃の顔でした。
 その人は山の奥に住んでいるんだと聞かされていましたが、どこだかは知りませんでした。のちに、老いた両親の運転手をして、あちこち周っていた時、新しい道路が山の方にできたから行ってみようと、山の端を登って行った時、さらに奥に入っていく細い道を見つけて、母が「この道は内〇〇さんの家に行く道だ」と言ったのです。本当に、山を登りきったところからさらに奥に登っていく道でした。
 『なんでそんな所に』と誰でも思うようなそれこそ誰も行かない山の中の一軒家のようでした。
 昔、祖母が、「あの人たちは馴れ合いだから」と言っていたのを思い出しました。馴れ合いという言葉の意味がわからなくて、やがて、駆け落ちものという意味だとわかったのはだいぶ後になってからのような気がします。そういう目で見ると、時々、リュックを背負って、山の方に歩いていくもう一人の〇〇さんと呼ばれた男の人を思い出すと、奥さんには似つかわしくないようなイケメンだと子供心にも思ったような気がします。 
 二人がどこから落ちてきて、どうしてそんな山奥に住み着いたのか、電気もない山の中で子供もなく、たった二人だけで、どんな会話をして息をしていたのか、噂にもならなかったところを見ると、誰も知らなかったのでしょう。時代を考えてみると、戦後の入植者だったのかもしれません。
 やがて、旦那さんも亡くなり、後に残された奥さんが一人で住んでいたようですが、入院してその後、施設に収容されたようです。
 そして、二人のいた山奥は自然に帰っていくのでしょう。そこに二人が寄り添ってつましく、誰にも邪魔されずに生きていたなんて、やがて、誰にもわからなくなってしまうでしょう。これも物語になりそうな本当の話です。

2019年11月14日木曜日

グレタさんの事

 アスペルガーだと公表しているようです。「一つのことしか見えないから、こんなに強く運動ができるのだ」と。
 今、発達障害の研究が進んで、多岐にわたっていて、私もその中の一つだとは思うのですが、あまり勉強しようと思わない怠け者の私は、アスペルガーではなさそうです。『逃げ腰症』でしょうか。
 でもです、我が家に化学物質過敏症の人がいると、かわいそうで必死になってしまいます。
 石油系の製品、例えば、灯油、(ガソリンは大丈夫なのですから、精製時に、抜かれるものが原因だと思うのですが)、アスファルトのタール、防虫剤、除菌剤、(畳もダメ)。今のゴキブリとりは神経を遮断すると聞いたことがありますが、まさに昆虫並みに苦しむ人がいるのです。昔、化学物質過敏症の人の話を読んだことがありましたが、我が家でそんなことが起こるとは夢にも思いませんでした。人生は予測不能ですね。
 グレタさんを批判する大人が多くいるようですが、誰が何と言おうと、「グレタさんがんばれ」です。近くでデモがあったら、71歳になったおばあさんでも参加しますよ。

仕事と勉強

 以前から私は対人恐怖症だと書いてきましたが、この頃の言葉で言えばADHDというんでしょうか。つまり他人とのコミュニケーションがうまく取れない人のことのようです。
 でも、こういう人ってたくさんいるのではないでしょうか。先日、テレビで『自分もそうだ』と言っている学者さんがいましたが、脳が全部働いている人はいないのですから、どこかに落ち度があってしかるべきで、それが個性だと思うのですが。こういう人でも生きやすい世の中が欲しいですね。
 先日、弟と話をしたときに、「昔は家で味噌を作っていた。土間で、機械で豆をすりつぶしていた。覚えているか」と聞かれて、記憶の底を探ったのですが、その様子、そう言われればそうだったかもしれないという程度にしか覚えていないのです。
 そういえば、私はあまり家の手伝いをしない子で、そのせいか、子供のころのことを何も覚えていないような気がします。弟が母の手伝いをしているときに、私は、寝そべって本を読んでいたような気がします。だから、何も記憶に残らなかったのでしょう。言うことを聞かない子供に母も何も期待しなかったのでしょう。
 この子供の頃の仕事の経験が無いという事は、その後の人生でとても困った事になると、この歳になって思います。つまり、どんな事をして人生を送って行ったらいいのか、どんな仕事ができるのか手がかりが無いのです。
 学校の勉強は一生懸命したんです。本も嫌わずに読みました。でも、方向性がまるっきりつかめない勉強だった気がします。つかむ能力が無かった事もあるのでしょうが。
 今、この歳になって、必要に迫られて、衣類のリフォームをしていますが、学校の勉強と平行して、いろいろな実業の、つまり、料理とか掃除とか、それこそ、家の修理,実家は農家だったので、食べ物の育て方なんかも,興味を持ってやっておくべきだったなあと後悔しています。
 今更ながら、仕事と学業は表裏一体でしないと生きて行く道につながらないような気がします。

2019年10月31日木曜日

腸内フローラ八ヶ月後、一日三十分以上ウオーキング

 十月はまた婿の出張に伴う娘宅の手伝いから始まりました。孫のお守りはそれなりに楽しいのですが、ボケ気味の夫を一人にしておくのも気がかりです。でも、まずは私がしっかりしなくてはです。 ウオーキングは夫と一緒に15分、あとはそれぞれ暇を見つけて15分予定です。週一くらいで、買い物ウオーク1時間もしています。
 一週間目、婿の出張。私の役目を遂行するためには、自分の体が大事です。そのための体操や食事だったのですから、頑張りました。体操も最低限でウオーキングだけ、睡眠不足、便秘、途中で胃に違和感もありましたが、無事やり遂げました。おかげで、体重は現状をしっかり維持。キープ、キープです。これって、秋口で暑くなかったので、ストレスもかからず、体調管理がしやすかったのでしょう。
 家に帰って、二週間目がスタート。食べ物をしっかり買い込んで、家の野菜の手入れもし、また、体操も、食事づくりも再スタートです。
 しかし、消費税が上がり、物価も上がり、家計費がどんどん膨らみます。買うものはどうしても最低限のものになってしまいます。貧乏生活を経験したとはいえ、あの頃は親もいて、いっぱい援助してもらっていました。これが、親も貧しく、子も貧しくといったら、すがるところがありません。政治家がセレブだと、わからないでしょうね。
 体重は変わりなし。
 三週間目、台風19号が東日本を襲いました。色々吹き飛ばされましたが、高台のために水の被害はありませんでした。最大級の台風ということで、テレビも一日中注意報を流し、わが家も呼応して金曜日から雨戸を閉めたり、買いだめをしたり、おかげでわが家は大した被害もありませんでしたが、あとから、日本中の被害がどんどん出てきて、大変な三連休でした。
 体重は変わりなし。
 四週間目、即位の礼の休日も終わり、みんなとワイワイ食事をしていた付けが回ってきましたが、週末までに何とか解消。甘いものはなかなか控えられないのですが、たんぱく質多めにまた戻しました。たんぱく質大目にすると、甘いものが食べたくなるというのは言い訳でしょうか。とにかくたんぱく質大目にしたら、体重が減らなくなりました。でも、力が出てきて、頭も含めて、動きが速くなった気がします。ウオーキングも速くなりました。もう二か月ですが、二か月目くらいで少しずつ効果が表れてくるのですね。
 で、体重は変わりなし。
 五週間目、今月は五週目までありました。今週も体重は変わり無し。結局、最初の3から4ヶ月で三キロ減って、夏に二キロ戻り、あとはほとんど変わりなく69キロ台維持です。ここから意地を見せないとなんですが、衣替えで冬物を出して見ると、結構緩くなっている気がします。身体はしまった気がします。
 体重は減らないのですが、身体が締まり、頭の働きが良くなって動きが良くなったとしたら、タンパク質多めは正解なのではないかと思います。この頃はタンパク質も一食二種類以上、例えば、納豆と卵、魚とアゲ、肉とチーズという風にあるものですが組み合わせて少しずつ食べるようにしています。あとは糖質、つまり甘いものをどれだけ減らせるかです。

2019年10月25日金曜日

長崎の

 ある日、暇な時に、テレビでもみようかとチャンネルを変え続けていた時、たまたま目に留まったのが二ちゃんねんるでした。Eテレの『こころの時間』だったと思います。
 ここに、私の好きな『ブラウン神父』とは全く違いましたが、一目でキリスト教の神父だとわかるいで立ちと雰囲気の人がとつとつと話をして居ました。
 前にもこんなチャンネルサーフィンをしていて『こころの時間』を見たことがありましたが、その時もキリスト教の神父さんで大学の先生をしている人でした。
 今回のその人は、その時、お母さんの話をしていたのです。お父さんは早くに亡くなって、お母さんがドカタ仕事をしながら一人で育ててくれた様です。お母さんが帰ってくるとタールの匂いがしたと言っていました。
 ある時、お母さんと二人で、何か重いものを運んでいた様です。その時、彼は重さに耐え切れず、「疲れたからあとは明日にしよう」とお母さんに提案したようです。お母さんは「お前は神様のしもべになるのだから、やらなくていいよ」と言ったようです。お母さんを怒らせたと感じた彼が、聞くと、「疲れたとか、辛いとか言うと、周りの人に気をつかわせてしまう。そういう言葉は神様だけに言いなさい」と言われたようです。
 もう一つは、『みややん』という精神障害を抱えた天涯孤独の男性の話でした。彼を定期的に慰問していた神父さんがある時、疲れて怠けたくなってしまった。翌日にしてもらって行ったときに、「昨日はどうしても都合がつかなくってすみませんでした」というと、みややんは「いいですよ。私には都合はありませんから」と言ったそうです。『都合がある』とか『都合が悪い』とかいう言葉は、やはり、相手に忖度を要求している言葉なのでしょう。『都合』を無くして、言わなくしたら、生き易くなったと話したようです。
 ここで、『なるほどな』と思ったのです。
 これ、私がこんな老人になった今だからわかる事なのです。若い頃は私も泣き言ばかり言っていました。そうすると、そういう人は敬遠されますよね。遠ざかる人を感じて、私は対人恐怖症になって行ったのでしょう。
 同じように、自分の都合ばかり言っていたり、都合でばかり動いていたら、やっぱり、人とコミュニケーションの取れないADHDになってしまうでしょう。
 私もこの歳になって、やっとわかった気がします。今、私は体調の悪い娘の子育ての手伝いをしていますが、出来るだけ、「足が痛い」とは言わないようにしています。
 若い頃は、私にもなすべき何かがあって、『やらなければ』という思いが強かったのですが、今は出来るだけ『都合はつける』ようにしています。確かにそうすると、生きやすいような気がします。
 最後に長崎教会の司祭で、お名前が出たのですが、珍しいお名前で、忘れないだろうと思っていたら、見事に忘れてしまいました。それで、NHKのページを開いてみると、古巣馨さんという方のようでした。
 宗教・人生~「長崎の祈り―水がめを運ぶ人々に導かれて―」という表題のほかに『去年、250年にも及んだ禁教期の信仰を物語る12の資産が、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として世界文化遺産に登録された。カトリック長崎大司教区の司祭・古巣馨さん(64)は、五島列島・奈留島の出身。祖先は禁教期を生き抜いたキリシタンだ。激しい弾圧の下で多くの血が流された長崎で、人々はなぜ信仰を守り抜くことができたのか。この地に生きる司祭として、古巣さんは、自らに問い続けてきた。』という詳細まで手に入れることができました。
 確かに、番組の中で、「水瓶の水を飲ませてもらった」という表現もあったような気がしますが、そこのところはあまり覚えていません。

2019年10月14日月曜日

楽しい人生

 幸せの国というとブータンのことが思い浮かびます。そんなに豊かな国でもないのに『なぜそうなんだろう』と、記事を読んでみたことがありました。
 あるお母さんが『家族がみんな元気で、近くに住んでいて、いつでも会えること』が幸せだと言っていたのを覚えています。
 このところ、世界のニュースが簡単に見聞きできるせいか、いいことも悪いことも入ってきて、世界がとても幸せとは言えない状態にあると心配になることがあります。世界の指導者たちが自分たちの意思を通そうと、一歩も引くまいと必死になっているのがよくわかるからです。
 でもね、みんなを幸せにするのでなければ、やっぱり指導者ではないような気がします。短い人生なんですから、みんなが楽しく生きられるようにしてあげないと。
 以前、知的障碍者は、生きている価値がないと言って十何人も殺してしまった介護職員の裁判のニュースがありましたが、まず、『仕事を辞めればよかったのに』と、彼のために思いました。そして、『この歳になると、自分だって何物でもない、何十億分の一粒なんだと気が付きます。そうしたら、生き方は自分の能力の範囲で人の手助けをすることだけです。そして、土に返るのです。』
 誰かに楽しい思いをさせて、喜んでもらって、生きていけたら、幸せじゃないですか。あまりにも当たり前なこの事が幸せの国ブータンの真実だったんでしょう。今はちょっと違うみたいですが。

2019年10月9日水曜日

綿入りねんねこ半纏

 ミニマリストと名乗る男性をテレビで紹介していました。最低限のものしか持たない生活をしていて、それをブログやYouTubeで発信して高収入を得ているのだそうです。
 このものを捨てるという発想は終活でよく言われています。後に残る人の迷惑にならないようにと家事評論家の故吉沢久子さんも言っていました。
 弟も写真をほとんど捨てたと言っていました。
 でもです。昔、『思い出ぐさ』というものは人生を豊かにし、ものを書く際には鍵となると聞いた事があって、私はなかなか整理が出来ないのです。夫は私よりずっと執着心が強いのでなおさらです。何度も言いますが、我が家はがらくた倉庫の中で暮らしているようなものなのです。
 いろんなものを創造している方々は、書籍を始め、衣装等いろんなものを残して亡くなりますよね。寄付されて学芸員が整理している話をよく聞きます。
 まあ、私のは誰もいらないでしょうが。
 で、表題の『綿入りねんねこ半纏』です。今まで『いらないのに』と思いながら何としても捨てられなかったのです。母が最初の子を産んだときに作ってくれたものです。昔は孫のものは自分たちで準備するのではなく、全部実家でするものだという暗黙の了解があったようです。ぼんやりの私はそんな事さえ知りませんでした。
 二人目が生まれた時はもう一つ貰いました。それは捨てたのですが、一枚目は小さかったので室内の防寒着にも着られるかなと思ってずっととってあったのですが、もちろん孫達は使いません。今はダウンのコートが全盛で、洗う事も出来ない『綿入りねんねこ半纏』は誰も使わないのです。私が着てもいいのですが、アレルギーの人のいる我が家では防虫剤のにおいのするものはタブーです。
 でも、これ、嫌な事しか思い出さない脳の持ち主の私にとっては亡き両親と幼稚な自分との愛情の思い出の絆だったのです。
 でも、今回捨てました。一度にミニマリストにはなれませんが、終活は進めなければなりません。一つ一つ、いらないもの,使わないものから捨てて行こうと思います。

2019年10月4日金曜日

脳の発達

 足の裏のバランスで、右足の左側、つまり内側を使うように意識している話しはしましたが、車の運転の時、私はどうもいつもは外側を使っていたようです。意識して内側を使おうとすると、違和感があるのです。何か、脳が驚いているような、新鮮に感じて学んでいるような。これって、以前にも書いた何か違う動きが出来るようになると、脳の回線が動き始めるという事でしょうね。
 この感覚、もう一つの事でも感じました。最近机の向きを変えたのです。そうすると、今まで何十年も左手でマウスを操作していたのですが、向きによっては右手でも操作できるようになったのです。そうすると違和感がありました。つまり、左手で無意識のうちにやっていた操作が、右手だとちょっと意識して一瞬考えないと出来ないという事に気がつきました。左手での操作はまるっきりの回線通行、右手での操作は新しい道を造っての通行という事ですよね。
 私は昔から新しい事を学ぶ事が苦手でした。環境もほとんど変えませんし、人間関係も特に気を許した人以外は苦手です。でも、こういう風に環境を少しだけでも変える事で脳が発達してくれるかもしれません。つまり、環境を変えて、人は成長して来るのかもしれません。もちろん、私に出来るのはほんの少し変えるだけですが。

2019年9月26日木曜日

腸内フローラ七ヶ月後、足の裏のバランス

 暑くて忙しい八月をなんとか生き延びて、九月。右足の内側、左足の外側を使うように意識し出したのですが、その初日でトラブル発生でした。
 初日の夕ご飯の終わり頃に、噛むと右の頬を噛んでしまうのです。気をつけているつもりでも噛んでしまう。痛い。舌で探ってみると噛んだあとがいくつもありました。
 そういえば、とまた思いました。このところ、ものを食べていて、ちゃんと噛めていないと思う事が何回かありました。噛み合わせが悪かったのです。これだと思いました。噛み合わせも骨盤と関係しているのでしょう。足の裏のバランスを正す事で、噛み合わせが前と違って来て、右の頬を噛んでしまったのでしょう。これはこの初日だけでした。
 一週間目、夏休み中にいけなかった週一プールにも行き出しましたが、暑さの夏についた不摂生の習慣はなかなか抜けなくって、甘いもの食べてしまいます。ということで、体重は69キロにアップ、これがリバウンドでしょうか。反省して再出発です。
 二週間目もおおむね変化なし。足の痛いのもほとんど変化なし。
 と、このカン、例の『ガッテン』で、足のお医者さんの話をしていました。アメリカでは『足病医』という職業が実際にあるのだそうです。「足病医で腰痛まで治ったわ」と話す人が出ていました。
 で、私の足にもいいアドバイスはないかと、野球を見ながらちらちらとみていましたら、足の血管にも梗塞が起こるということです。やっぱり私の高血圧はここからきているのかもしれないと思えました。血行が悪くなると、しびれなどの支障が出てくるようです。最悪、足の切断にまで行くみたいでした。
 自分でできる対策としては、一日三十分のウオーキング、『口の悪い彼女』が言っていたのと同じでした。これで、足切断と言われていた人が歩けるようになったと様子が映されていました。
 『これはやらなければならない』と、同じように足取りの悪くなった夫を誘って、15分くらいずつのウオーキングを涼しくなった朝晩一日2回始めました。これで、週一プールは月一プールになりそうですが、何かと用事をつけて毎日30分のほうが実用的です。でも、歩けているということは足も少しは良くなっているのかもしれません。
 三週間目、なんとか現状維持でした。時々便秘が起こるので、昔、食べるとよく出ていた、大好きなトウモロコシを時々、買ってきて食べていました。昔はいくら食べても平気だったのに、この頃は口内炎が出てきます。虫食いもない市販のトウモロコシは、母が作ってくれたものとは違うようです。農薬のせいでしょうか。また紅あずまも出回ってきました。そちらにシフトです。
 ところで、増税前のなんとかで、冷蔵庫を買い換えました。冷蔵庫って、一番電気料がかかるのだそうです。それで、一段小ぶりで、省エネのものにしたわけです。と、今まで入っていたものが入らないことこの上ないのですが、無駄なものもいっぱい入っていたのです。使い残しのブランデーとか、乾物の麩とか。使い残しの調味料もいっぱいでした。
 四週間目もなんとか現状維持でした。六十九キロ台。先は長いです。最初はあんなにスイスイと減っていたのになんででしょうか。減量の為に、毎日工夫してこれだけのことをしているのに。
 で、四週間目も新しいことを始めました。ダンベルとボール投げ、1日十六回以上ずつ。しばらくぶりに写真に写った自分を見たら、あまりにも猫背だったのです。ボール投げは瞬発力をつけたいためもあります。壁相手ですが。
 毎日これだけのことをしているのですから、この体重増は、たんぱく質摂取増のおかげで、脂肪より重いと言われる筋肉が増えたんだと思いたいですね。

2019年9月18日水曜日

美智子様

 この度、乳がんの手術をされて、順調に御回復とのこと、人事ながら、安心しています。
 思えば、私が十代の頃に皇太子妃になられて、憧憬の念を持って、ずっと、見つめてきたような気がします。
 乗り越えられるご苦労の一つ一つに胸を痛めたり、なでおろしたり。いつも私たちと言うか、私の人生のお手本になっていただいていた感じです。
 この『共に生きてきた』という感覚、雅子さまとは違うのです。長い六〇年の歴史の為せる技でしょうか。
 先般の譲位で、やっと肩の荷を下ろされて、ただただ、お元気に長生きして頂きたいと願うのみです。

2019年9月12日木曜日

口の悪い人

 週一プールに行った時のことです。着替室にいたのは私とその女性だけでした。私の水着はけっこうピチピチで水泳選手のように着るのに苦労するタイプの物でした。苦労して何とか着終えたのをちょっと恥ずかしく思って
 「痩せなくっちゃダメですね。」と声を掛けたのです。
 「毎日三十分歩けば痩せるわよ」と彼女は言いました。
 「今、暑いから」とやりたくない私。
 「そんな怠け者じゃダメよ」と彼女。見ると確かに彼女の身体は年齢のわりにはしまって居ました。
 「暑かったら、朝の涼しい時にやればいいのよ」と彼女。
 「私も毎日ヨガはやっているんですよ」と私。
 「私も週三回やっているわよ。どこでやっているの」と彼女。
 「テレビのヨガ番組で」と私。
 「そんなんじゃダメよ。お金を掛けなきゃ。お金を払っているから勿体無いから頑張ってやるんだから。」と彼女。
 「お金ないから、」と私。
 「お金はあるわよ。」と彼女。
 「いかにお金を使わずにやるかも呆け防止になるんじゃないですか」と私。
 してやったりと思ったのですが、彼女は次の手を見つけていました。
 「あなたのその頭、自分でやったの。刈り上げになっているから。」と、ちょっと上から目線でした。
 「そうです。暑いから。」
 そこで私はタオルが見つからずに右往左往。なんのことはない、直ぐ前のベンチの上にありました。
 「ぼけの始まりね」と彼女。
 その言葉をあとにして、這々の体でプールへと向かいました。
 後で、ああいう物言いは誰かに似ているなと思いました。野村沙知代さんですよね。口が悪くて皆に避けられていた。それでもどこか憎めないところがあって、野村監督には愛されていた。
 「お金はあるわよ」と言いきれるほど、一生懸命頭をつかって生きて来たのでしょう。
 ヨガだけでなく、歩くのもやって見るかと思わせられました。

2019年9月5日木曜日

足の裏のバランス

 このところ、歩くときに違和感を感じてはいたんです。何かふらふら歩いているような気がしていて、暑いからかな、栄養が足りないのかなとか、老いかなとか。
 私は五十年来の水虫持ちで、今は、足の裏は退治できたのですが、爪水虫がどうにも退治できなくって躍起になっています。もちろんお医者さんには行きません。
 マッサージしたり、ヘルストロンにかかったり、薬を塗ったり。この水虫、左足の親指、二の指、四の指だけです。小指は治りましたし、三の指には移りませんでした。小指が治ったのは整体屋さんでかかった電磁治療器のおかげだと思って、今、時間を見つけてはヘルストロン通いをしている訳です。
 こうして日がな年中足指を眺めています。と、ここに来て、右の足首が痛くなった話しはしましたが、左の親指も不快な感覚のないような痛みとも言えない痛みが起こるようになりました。糖尿病の壊疽かと戦々恐々でしたが、測ってみると血糖値は低いのです。血圧が高いので『動脈硬化による血行不良』とも思いました。
 ある日、マッサージをしていて巻き爪が深くなっている事に気づきます。『そういえば、去年の夏,親指の所でしまるサンダルを履いていて、痛かったな』と思い出しました。あの血行不良で、深爪と水虫で出来た巻き爪が更に進行してしまったんだと思いました。
 更にマッサージを続けて行くと、その親指裏の皮膚が、固くなっているのに気がつきました。いくらマッサージをしても硬化は治りません。右の指を見ると、硬化はほとんどないくらいです。足裏も同じです。左足裏は右側が固いのです。右足裏は特別固くはありません。
 そこでハタと思いました。私は左足の内側を過剰に使っているのではないかと。それにつられて、右足は外側に力が入るので、右足首の内側が痛くなったのではないかと。つまり、右脚がO脚気味で左脚がX脚気味。そういう姿で歩いていた晩年の母の姿が思い浮かびました。
 最初疑った『動脈硬化による血行不良』もあるとして、骨盤の問題でもあるんじゃないかと思えて来たのです。更に考えてみれば、家族に指摘されていた『左肩の下がり』も骨盤の問題なのでしょう。
 で、意識して、右足の内側、左足の外側を使うようにしました。足痛、指痛が治る事を期待しつつ。

2019年8月31日土曜日

腸内フローラ六ヶ月後、タンパク質多め,糖質少なめ

 再び思い直して挑んだ6ヶ月目、8月です。
 年寄りにはタンパク質が必要と聞いていたのですが、これ、むやみに多くするとすぐに体重に出て来ます。だから、ついついとってしまいがちな糖質を半分にして見ようと思った訳です。甘いものは一日一個に。
 一週間目、婿は出張に行きました。十日間,娘の家と自分の家を一日、一、二回往復して、孫達のおもりをしながら泊まり、両方の家をなんとか回るようにする役目です。疲れに加えてストレスもたまって、糖質半分なんて全く無理。しっかり食べてしまいましたが、15時間くらいの間歇的断食がある程度できた事で、なんとか現状維持。これは成功と考えたいです。
 二週間目、やっと婿が帰って来て、ほとんど限界だった私も家に帰れ、安堵感と暑さのストレス、盆休み、体重はどんとアップしてしまいました。
 しかし、ここから勝負と考えました。まるで自力Vを無くした我が広島カープみたいです。その負けた試合で、巨人の菅野投手が久々の勝ち投手に成り、そのニュースで言っていましたが、調子のでない中でグルテンフリーの食事に切り替えたら、調子が戻って来たのだそうです。このグルテンフリーはちょっと素人には難しすぎますが、糖質半分とか、気持ち少なめとかだったら出来ない事はありません。タンパク質のお惣菜をたくさん作って冷凍しておきました。タンパク質多め、糖質少なめです。
 三週間目、「さあ、がんばるぞ』と始めたのですが、一、二キロ上がった体重を元に戻すのは大変です。上がる時はすぐに上がるのに。で、やっと68キロ台。こういう時は血圧も容赦なく上がります。そうそう、血圧を下げる為にも痩せたいんでしたっけ。
 四週間目、忙しい夏休みも最期、気合いをいれて、孫たちのオモリ、庭の草取り、伸びた枝の伐採、植物の植え替え、やる事は山積でした。
 そうそう、たわわになったと喜んでいたブドウはある朝、鳥がケンカしながら食べていました。あわててネットを張ったのですが、やっと色づいたと思った辺りは全滅、青いのだけが残ったのですが、こんどは月末の曇天長雨で色もつきません。果樹はむずかしいですね。
 で、中々言いづらかった結論は、やっと68キロ台。一キロオーバーでした。

2019年8月22日木曜日

上の家

 山から流れてくる小川に沿って建てられている実家の敷地は、一軒一軒段になっているのですが、その上の家が取り壊されると、先日弟が言っていました。
 土蔵がいくつも建っている、一時栄華を極めたお宅で、そういう家は地元では評判がいいとは限りませんが、私が知っている範囲では、そのあたりでは珍しく有名私大を出たお父さんは村の教育長をしていました。
 ご夫婦は美男美女で、お母さんは近隣の商業都市の没落した名家の出で、村長さんをしていた親御さんが家格を上げたいためにもらったのだという評判でした。
 だから、三人の子供たちももちろん、田舎に似合わず、垢抜けした美男美女でした。まわりの評判を知ってか知らずか、長男は跡を継がず地元を出て働く道を選び、長女と次女はお母さんの実家のつてで件の商業都市に縁付いたようです。
 一人残されたお母さんが亡くなった後、商売がうまくいかなくなった次女の一家がその大きな古い家を相続したようでしたが、三人の男の子たちはやはりそれぞれに道を見つけて出て行ってしまい、彼女だけがひとり残されてしまいました。
 彼女は弟と同級生で、小さいころはよく遊びました。美人で明るくって育ちのいい人だったという記憶しかありません。
 その彼女も息子さんのところで同居するといい、古い家があっては売れないので壊して土地だけにして、売るのだということでした。
 母が言っていましたが、その家の初代は、天秤棒に息子と荷物を入れ、奥さんと二人、親せきを頼ってやってきたやくざだったということです。それで親せきのやっていた賭場に出入りし、そこで金貸しをして、農家の土地をカタに取り、土蔵を何個も立てるほど稼いだのだということです。その天秤棒に入れられていた息子がやがて村長になり、孫が教育長になり、栄華を極めたのですが、村では用心される存在だったのです。
 こんな映画になるような物語を残して、その周りにびっしりと土蔵と塀を巡らせた大きな古い家はなくなってしまうのです。

2019年8月15日木曜日

サツマイモの葉のお浸し

 家では、血糖値にいいといわれている桑の葉、その他、柿の葉、三つ葉やセリ、厚生省に止められているコンフリーまで、天ぷらの材料にしています。他によく使うのは、シソ、小葱、ニラ、アスパラガスなど、つまり、手近で手に入るものはできるだけ料理に組み込むようにしています。料理法や味などを覚えておくことも自己防衛です。
 そんな中、旅行番組で台湾へ行ったタレントさんが、地元の食堂に行き、地元の料理を食べるという場面を見ることがありました。その中に、この『サツマイモの葉のお浸し』があったのです。
 そういえば、昔、農家だった実家では収穫したサツマイモの弦を干していました。家畜のえさにするのだと言っていたと思います。
 家畜の餌になるくらいですから、『食べられるんだ』とあの時思ったことを思い出しました。
 で、この時もまた『食べられるんだ』と思いました。それで、便秘対策で食べていた『紅あずま』の端っこを切って、空いている狭い土地に沈めてみました。その芽が三個出てきたのです。そこは狭い土地で、とてもサツマイモを育てられる場所ではありませんが、葉っぱを収穫することはできそうでした。
 実際、どんな料理だったか忘れてしまいましたが、とにかく『お浸し』、『炒め物』にもなるかもしれません。うまくいけば、芋も一つや三つくらいは収穫できるかも知れません。楽しみです。弟に言わせれば、こうして未来に思考がつながっていくので、老人が菜園をしたり、花壇を作ったりすることはいいことなんだそうです。
 で、いよいよツタがのびて来て、葉も茂り、食べてみましたが、あまり味は無いようです。調味料で食べるのでしょうか。しょっぱくするとか、辛くするとか。収穫量はそんなに多くないので、我が家では緑のものの一種として料理に加えています。つまり、一日30品目の一種です。一日30品目を摂るのはなかなか大変ですから、一種でも手近にある事は有り難いです。

2019年8月8日木曜日

明日は

 『初日の出 命の限り 明日ありて』、これ、友人の藤澤さんの賀状に書かれていました。彼女は80代ですが、70代の私も同じことをアメリカの80代の文通相手に賀状に書いて送っていました。
 私は『現実の世界では、いろいろ意に染まないことが多いけれども、忙しい明日のために、良い眠りを取りましょう』と書いたのです。
 老人でも、日々の生活の中で、悩ましいことは多々あります。それでも生きていれば、明日は予定もあって忙しいのです。
 そういうわけで、『みんな同じことを考えているんだなあ』と思ったわけです。

2019年8月2日金曜日

腸内フローラ五ヶ月後、67キロ台

 この頃、忙しさもあって、減量目標が変わりました。月に0・5キロですね。一キロだと、ちょっと疲れやすくなる気がします。
 特に八月に入ると、婿の長期出張があって更に忙しくなりました。
 七月前半は梅雨寒が戻ってきて、みんなが体調不良になりました。普段病気をしない私まで風邪と下痢。おかげで体重はマイナス0・5をクリアー、こんなことで喜んでいいのかなと思いました。
 中旬にはなんとか67キロ台に到達。これも喜んではいけない状態です。忙しい連休だというのに、口内炎やヘルペスもどきが現れて、顔中が痛かったのです。これ、流行の手足口病でしょうか。
 でも、お医者に行くほどの事でもありません。特別治療法も無いそうですから。下痢は治ったのですから、あとは快方に向かうだけ。健康保険料は皆さんに寄付しているつもりですから、お医者には行きません。
 と、娘家族の手伝いを辞めてちょっとゆっくり養生していると、また体重はアップ。私は、しごく健康なのです。
 そして婿の出張前の最後の一週間、顔の皮膚病は治りかけてはいるもののまだ治りません、痛い。でも、体調の悪いと言う娘に「ヘルプ」と言われれば,冷たく断る訳にもいきません。
 婿が出張する来月はもっと忙しくなるのだから、「67キロ台にもなった事だし、この辺で辞めておこうかな」という気持ちがだんだん大きくなりました。
 でもなのです。足が痛いのです。右足のかかとの上に、ヘルニアなのか、圧迫骨折なのか、少し出っ張りがあって、そこを圧しても痛いのですが、歩く時はもっと痛くて、少し引きずり気味です。時々、サポーターをしていますが、これって、体重を減らさないと治りませんよね。
 自然のサポーターと言われる筋肉をつける事と、加重を減らす事で、治らないかなと思って、また、『減量がんばるぞ』という気持ちになりました。

2019年7月23日火曜日

私が朝ドラを見なくなったわけ

 ドラマ好きの私は朝ドラが大好きだったのです。二、三年前までは毎朝、日課のように見ていました。
 その時間帯に、お隣のおじさまが出てきて畑仕事などをしていると、おじさまはどうして見ないのだろうと不思議に思ったものでした。戦前、イギリス人女性が日本に嫁いできて、一度も帰らなかったという『マッサン』などは感激して見ていたのです。
 それが、『まんぷく』もそろそろ終わりに差し掛かったころ、『本当の話』というのがネットに続々と出ました。日清食品の創業者の話なのだそうです。その方は百福さんという台湾の方で、そのころ台湾を支配していた日本に来て働いていた優秀な人だったようです。でも、彼には故郷に残してきた妻子がいたのです。彼は日本で、同じ台湾出身の女性と重婚して子供さんもいたみたいです。その頃、台湾の結婚制度は随分と緩やかだったようです。
 そして戦中戦後、二番目の奥さんは台湾に帰ってしまい、残った彼は、日本人の安藤さんという方と結婚して安藤百福さんになったわけで、その日本人の奥さんがドラマの『福ちゃん』だったわけです。
 そんなこと一言も言っていませんでしたよね。書下ろしのドラマだからと言われれば、そうかもしれないと思って見るのですが、モデルがいると言われれば、真実に近いだろうと身を入れて見てしまいますよね。何かひどく裏切られた感じがしたのです。
 『朝が来た』も実在のモデルがいましたが、彼女の場合は最初の設定からして、全く違っていましたし、明治のころで、時代感覚がまるっきり違っていましたから、なんとなく受け入れられたのですが、それでも、違和感はありました。
 いっそ、モデルがいるなんて言わないで、『おしん』のように歴史民俗を踏まえて最初から作り上げてくれれば、違和感なく楽しめたような気がします。

2019年7月15日月曜日

自然界のバランス

 このところ、時々流れる除草剤のコマーシャル、よその人はどんな思いで見ているのかなと思います。その除草剤は効き目が強くって、地表に撒くと地中の根の先端に至るまでみるみる枯らしていきます。つまり、根まで枯らすから雑草はもう生えないんだそうです。
 『自然農法』では『雑草にも存在意義がある』『根は地中に酸素を送り、葉は虫たちの家となり、動物の餌となる』と書いてあったのを見た後だっただけに余計恐ろしく感じました。
 そんな中、テレビのワールドニュースでイギリスとドイツの番組が同じことを言っていました。『種の減少』です。例えば人間の都合で一つの植物が減少すると、それを餌にしていた昆虫なり動物なりが減少する。そういう連鎖で、種が減少すると、やがて絶滅し、自然界のバランスが崩れるという感じだったと思います。
 自然界のバランスって、個人がいくら叫んでもどうにもならなく進んでいくのですよね。この間、どこかの国の少女が、「私たちの未来を奪わないでください」というキャンペーンを学校を休んで訴えているというニュースも見ました。そのしっかりした語り口に感動したのを覚えています。私も『これからを生きる人達は大変だなあ』と思っていたところでしたので。
 その一方で、住宅街で、増えすぎてしまったイノシシに人が襲われるというニュースもありました。人間がえさ場に入ってきたと思ったらしいと分析されていました。住宅街では発砲ができないので、ごみ捨て場がえさ場になってしまったようです。
 我が家の近くにもハクビシンが住んでいます。一度我が家の天井裏で子育てをしていたらしい一匹が天井裏から落ちてきて、捕まえて山に放しに行った話はしましたが、その後も年に一度くらいは天井裏に入ってきて、うち中でトントン天井をたたいて追い出しています。この間屋根の修理をした時には、屋根の通り道にフンが落ちて硬くなっていました。娘は何かの気配で窓を開けたら「目が合った。怖かった」と言っていました。
 このハクビシンの一族は隣の崩れかけた空き家に住んでいるのだそうです。畑の野菜や果物、土に埋めた生ごみなどを探して夜に出かけ、冬になると、暖房のきいた家の屋根裏などで子育てをするみたいです。これって、減少しているのは人間のほうでしょうか。
 生活圏が競合する動物は狩猟して、昔みたいに食べるしかないでしょう。ジビエ料理というのが盛んになってもいいのではないでしょうか。外国では盛んらしいのですが。
 どんなに考えても世界中の流れを把握することはできません。私たち個人レベルでできることは余り極端なことをしないということでしょうか。過度の農薬や過度の便利を求めずに適度な草取りでいいでしょう。そうそう、あの薬剤を使ったゴキブリ駆除のコマーシャルも怖いですよね。スリッパでたたいたり、トラップを仕掛けたり、その場しのぎでもいいのではないですか。余りきついときっと人間にも影響がでるんですよね。
 私事ですが、サプリだって副作用があるだろうと思っています。

2019年7月10日水曜日

アインシュタインの予言

 ブラックホールの撮影に成功したというニュースがしばらくメディアを賑わせていました。これって、アインシュタインが、計算して『ある』ということを予言したのですよね。
 アインシュタインというと相対性理論というので有名で、高校の時、倫理哲学の先生が、「そろそろ読んでもいいのではないか」とおっしゃったのですが、もちろん読んだことはありません。遠いところの人という感じです。
 昔、高校の英語のサイドリーダーでアインシュタインの文章に触れたことがありましたが、まるっきり意味の分からない文章でした。英語が母国語でないから仕方がないのかなと思っていましたが、もう一つフェミニズムの英語読本を読んだ時には、抜粋されているから意味が通じないのかなと思ったこともありました。その後、養老孟司さんの『バカの壁』を読んだ時に、『まるっきりわからない。これは誰かが聞きながらまとめたんじゃないか。聞いてるその人もわからなかったんじゃないか』と思いました。これって、私が『おバカ』なのでしょうか。
 私が理解できないというのは、別にして、その予言というのは『当たっていた』と証明されたのです。計算で予言ができるということにすごく驚いているのです。

2019年7月3日水曜日

腸内フローラ四ヶ月後、週一プール

 一週目、体重は変わりなく落ち着いています。でも相変わらず忙しくって、そういうときって、ストレスからか、心が邪悪になる感じがします。周りの人に意地悪になってしまうのです。本当はみんなにやさしくして、みんなに感謝され褒められていたいのですが。
 だから、ストレスの少ない生活をすることは大事です。つまり、常に自分に立ち返って、自分の心の状態を感じられる、ある程度の孤独です。つまり、今までの表題に無理に結び付ければ、いつもマインドフルネスでいられる心の状態です。気を付けましょう。
 そうそう、私はいつもマインドワンダリングで、二つ以上のことを一時にしようとしていると書きましたが、これって、『心ここにあらず』の状態を作り出すのです。そうすると、例えばヨガをしながら、夕食の献立を考えたりしていると、「あ、今のポーズちゃんとできていなかったんじゃないか」とか、過ぎてしまった時間ややれなかったことへの小さな後悔がポンポン出てくるのです。これってストレスになります。このストレスを作らないようにすることがマインドフルネスなのではないかと思います。でもその中でも出てくる『ひらめき』や『アイディア』はストレスにならないから、『マインドワンダリング』と違うのでしょうね。そうそう、『ひらめき』や『アイディア』は未来のことで、私が時々突然悲鳴を上げる『マインドワンダリング』は大抵、過去の後悔という違いがありますね。
 二週目、暑い日々をなんとかやり過ごして、いよいよ梅雨に入りまた寒い日が戻って来ました。体重はやっと67キロ台に落ちたかと思ったら、娘一家が大風邪を引き、ヘルプに行き、週末は婿の留守宅で子守りをしていると、また元に戻ってしまいました。加えて広島カープの不振で、ストレスが溜まりますよね。
 三週目、心機一転、また心を落ち着けて、運動も食事も再開です。ところで、この六月、週一回、プールウォーキングをしに行き始めました。理由は、足が痛いので、散歩がままならないせいです。それで、昔、骨密度が下がって足が痛くなった時、プールに行ったら治ったことを思い出して、今回もプールに頼ったのです。
 でも、今回の足の痛みは前回とは違います。左足指が冷えてトキドキ鈍痛、右足首が歩くと痛むのです。骨密度が下がった時のは歩き出しに、足裏に激痛が走ったのです。で、やっぱりネットで調べてみました。こういうのってお医者さんでもわかりませんよね。
 で、読んでいくと、どうも血行不良のようです。そういえば、このところ、最高血圧がちょっと高すぎたので何かあるとは思っていたのです。最低血圧は普通なのに。それで、『動脈硬化による血行不良』と自己診断しました。
 健康施設に十一時半ころに行き、プール歩きとジャグジーで四十五分ほど、それから風呂にはいって、12時半ころにはマッサージ機にかかります。ヘルストロンと、もう一つは家では買えないようなマッサージ機で30分ほど。何故この時間かというと、この時間になると、マッサージ機が空く確率が高いのです。週一回、一時間半ほどですが、心なしか、だいぶいいような気がしています。ここでまた67キロ台、ヤッターと思いました。
 四週目、娘一家がまた風邪と、加えて下痢。毎日子守りに行くはめになりました。また体重戻り。『無事これ名馬』とは言いますが、名馬でもストレスはたまります。
 まあ、お役に立てるのは生きているうちです。生活や仕事に忙しかったら出来なかった事ですが、今はこれが私に出来る事なのですから、しっかり栄養も取って、がんばりましょう。

2019年6月27日木曜日

嫌なこと、苦手なことをしていると

 このところ、意味が分からなくって、気にしているせいか、マインドフルネスのことが頭をよぎります。なかなか食事に集中なんかできませんし、体操に集中なんかできません。何せ、すぐに違うことを考えてしまう、マインドワンダリングが私の得技なのですから。
 ある日、いつものようにテレビのヨガ講座を見ながら、真似をしてやっていると、いろんなことが頭に浮かびました。忘れてしまうので、いいと思ったことはすぐに書き留めるようにしています。
 そこでハタと気が付いたのです。これって、茂木先生の『ひらめきラン』の状態じゃないかと。「いつものコースをいつものように走っているとひらめきが起こる」と茂木先生はおっしゃっていました。
 私もいつものように、いつもの体操を、もう3年間続けているので、この頃はだいぶ慣れた状態でしているのです。マインドフルネスから、マインドワンダリングの状態になって、ひらめきでしょうかね。この『ひらめき』というのは、心の中でずっと気になっていたことのアイディアが浮き出てくるようです。何か少しわかったような気になってきました。
 これって、寝ているときにアイディアが沸いて、枕元にメモ帳を置いておく人と同じじゃないでしょうか。
 話は違うかもしれませんが、私の体操、ヨガがメインですが、それだけでなく、時間が合えばテレビで放送される他のものも時々トライしています。でも、苦手なんですよね。決して好きでやっているわけではありません。
 ある日娘が言いました。「嫌なこと、苦手なことをして、それができるようになると、脳が活性化するのかもしれない」と。なるほどと思いました。私のヨガ、三年間の間に、ほんの少しですが、できることが増えてきました。それにつれて、確かに体の動きが早くなったような気がします。体の動きが早くなったということは頭の動きが早くなったということですよね。例えば、そんなに好きではありませんが、掃除が以前よりスムーズにできるようになりました。
 ムムム、四年目のヨガ、がんばります。

2019年6月18日火曜日

マインドフルネス

 この間、NHKの「美と健康の新常識」という番組をたまたま回したら、ダイエット関連の実験をしていたのです。
 被験者は二組に分かれて、片方は四個のチョコレートと感想を書くレポートだけを渡された組、もう片方は同じ四個のチョコレートとレポートと、音声ガイドでした。時間内にレポートだけの組はほとんどの人が四個食べてしまったのに、音声ガイド付きの人たちはほとんどが残しました。
 その音声ガイドがどんなものかというと、「まず匂いをかいでみましょう。形を見てみましょう。一口噛んで、歯ごたえを味わってみましょう。舌の上で転がして、解けるのを感じてみましょう。・・・」といった感じのもののようでした。つまりチョコレートに集中してみましょうという感じです。そうしていると、一つ目はおいしいと思って食べたチョコレートが二つ目三つ目になるともう十分と思えてくるそうです。
 これが『マインドフルネスのダイエット』だということです。要は『味わって食べるダイエット』ということでしょうか。ゲストのおひとりの先生が「僕はワインを飲むときにこれをやります」とおっしゃっていました。「まず色を鑑賞し、匂いを嗅いで、それから一口、口に含みゆっくりと味わう。そういう味わい方をすると飲み過ぎることがなく、悪酔いもしない」ということでした。
 私としてはここまででよかったのですが、そのあとはだんだん難しい説明になりました。
 どうもこれは座禅の無の境地と似たもののようです。禅宗のお坊さんでお医者さんという方が「マインドフルネス」の指導をしていましたが、「目を閉じて、呼吸に集中する」と言っていました。昔、やってみたことがありましたが、長くはできませんでした。
 人間は集中することが苦手です。たいてい、『マインドワンダリング』の状態で、いろんな雑念が頭の中を駆けめぐり、昔のことを思い出して私が叫び声をあげるようなことや、食べながら、何かをしながら、その先にすることを考えているというようなこと、(私はこれを自分の特技だと思っていたりもしたのですが)、だから、一つのことに集中するのは難しいと思っていたのです。こういう雑念には嫌なことも重荷になることも混じっていて、ストレスの原因になりやすいということでした。
 確かに心を一つのことに集中したなら、その中に楽しいことも見つけやすいかもしれません。
 これって、茂木先生の『ランニング』にも、イタリアの小さな村のあの元サッカー選手の『時間を忘れさせてくれること』にも通じるものかもしれません。
 まあ、とりあえず、今、私には食べているものに集中するというマインドフルネスが必要でしょう。何せ、いつもテレビを見ながら食べているのですから。これはいけません。夫も一緒に食べるので、かけないわけにもいきませんからバックグラウンドミュージックとでも考えましょう。
 『今が大事』、ということはこの歳になると、よくわかります。家族との時間を大切にしなければと思います。でも、食事の時、食べるものと同じくらい食べている時間も大切にしなければならないというのは初めて知りました。

2019年6月12日水曜日

夢中になれる事

 NHKの『駅ピアノ』という番組を時々見ます。NPO法人が駅にピアノを設置しているんです。置いてあるピアノを通りがかりの人たちが弾くんですが、皆さん上手です。インタビューもしている所を見ると、上手な人の演奏を選んでいるのでしょう。
 音楽一家に育ったとか、子供の頃から習ったという人たちもいますが、中には独学でという人もいます。本当に好きなら、きっと独学で勉強するのが正当なのだろうと思わせられます。
 ピアノを弾く理由は様々で、家にピアノが無いから、通勤時間が空いたから、旅行でたまたま来たら、ピアノが置いてあったのでとか。いつも通るたびに弾くという人も多かったような気がします。
 その中の一人が、「弾いていると心が空っぽになる」と言っていたのが、印象的でした。本当に上手で、時間も日常をも忘れて弾いているという感じでした。
 いつも見ている『イタリアの小さな村』でも、同じような事を聞きました。その小さな村で雑貨屋をしている男性は二十代でサッカー選手になり、モテモテだったけれども二十代後半には別の仕事に就き、その後、村に戻っておばあさんの雑貨屋を引き継いだと言っていました。その度に収入は減って行ったけれども、後悔は無いそうです。彼には仕事に対する信念があって、それは『時間を忘れさせてくれること』だそうです。それほど楽しく、夢中になれる事なのでしょう。そうかもしれないと思います。楽しくない仕事は辛いですから。
 例えば私の体操、12分間のシークエンスは長くって、私はいつも時計ばかり見てしまいます。いつか時間を忘れるように楽しくなれるのでしょうか。

2019年6月5日水曜日

金正恩氏と文在寅氏

 太陽政策、一個人としてなら,なんていい人なんだろうと思えるけれども、大統領としてだと、他の人たちにとばっちりが及んでいるという感じです。
 この頃、私が面白がってみるせいか、ヤフーのネット記事は韓国関連が多く出てきます。
 誰かがメディアで、『謝罪せよ』といったかと思うと、また誰かが同じメディアで、「話し合いをしよう」といい、数少ない知日派と言われる人が「韓国の政治家は日本批判が愛国心だと思っている」といい、それらを裏付けるように、政府が、「前政権の約束は知らない」といい、「慰安婦や徴用工の問題は司法の判断で政府は関わらない」といい、それなのに、「首脳会談をしよう」と言う。内部の人たちにも、相手批判をしていて首脳会談の準備をしろと言われても話のしようがないと嘆かれているらしい記事もありました。
 太陽政策で、金正恩氏と経済制裁の緩和を約束していて、その実行に躍起になっていると見透かされてしまっていますから、誰も本気で取り合わない。人権に配慮しないキム王朝はもうすぐに崩壊するだろうとみんなが思っているのに、王朝を擁護して国民の苦しみを長引かせるのには何か目的があるのでしょうか。
 政治の世界はよくわかりませんが、ご即位に祝電をくれたりしながら、いくら別の政権とは言っても、同じ舌の根で、歴史賠償を何度も求めるなんて、なんてわかりづらい人なんだろうと思います。今は動画で配信されてしまうので、一度言ってしまったことは修正が効かないんです。
 私も経済制裁がいいことだとは思いませんが、人権に配慮しない国は困るのです。下層老人の立場から見上げると、やっぱりみんなにやさしい国であってほしいのです。歴史の仕返しに走るのではなく、太陽政策はみんなに対してとって欲しいのです。

2019年5月30日木曜日

腸内フローラ三ヶ月後、食前キュウリ、食前緑茶紅茶コーヒー、海藻

   足の痛みが和らいだころに、一度だけ『ウオーキング、ランニング、ウオーキング』をやってみました。とても『瞑想』とか『ひらめき』とかには至りませんでしたが、ちょっとだけ『ときめき』に出会えたかなと思いました。でも、『動悸』だったかもしれません。楽しんでやれるかが継続のカギだそうです。
 一、二週目は、10連休の真っただ中で、家族が集まったりして、大忙しでした。これが幸せの形なのですから、文句は言えません。
 間歇的断食の励行はちょっとあやふやになりましたが、季節外れの紅アズマも手に入り、食前キュウリは出回り時で、食前緑茶、紅茶、それとコーヒーは牛乳少し入りですが、朝、お腹のすいたときに水分代わりに飲めるので、実行できています。きな粉ヨーグルトは家にある時だけ、どれか一つを食前に摂ればいいだけですから始めてみました。でも、ちょっと食べすぎたのか、体重は行ったり来たりでした。
 それと、この頃、物価が高くなって、我が家の家計はエンゲル係数がどんどん高くなっていきます。で、週一で、庭の新芽の天ぷらを作っています。庭のニラや、柿の葉、桑の葉、残り物の野菜に、タンパク質も,残り物の魚等と、衣に卵と納豆を混ぜ、うどんに乗せるのもよしです。これで、一日分くらいの食費が大分安くなります。
 三週目はみんなが風邪気味になり、元気な私は大忙しで、体重は再び行ったり来たりでした。これはいけないと心も体も引き締めると、体重はちょっとだけさがるのです。いつも緊張状態ではいられませんが、週も半ばですから、日常に戻って、運動や食事にまじめに取り組まなくってはと思います。あまり長い休みはいろいろな面で負担が大きいですね。
 四週の後半は30度以上の暑さになりました。五月の最後になり、また涼しくなりましたが、あわてて夏物を出したり、それはそれで忙しく、体重は行ったり来たり。今月は変化なしです。ちょっと反省。

2019年5月22日水曜日

吉沢久子さんが亡くなったそうです。

 『歳をとって、後に残る人のために身の回りの始末をしている』と終活を教えてくれたのは吉沢さんの『老い支度』でした。また、世間体より、相手の心を重んじるというのを教えてくれたのも吉沢さんの生き方の本でした。
 つまり、吉沢さんの旦那さんの古谷綱武さんのお母さんという人は外交官の奥さんで、長く外国に住んでいて、子供さん達もいましたが、ある日、画家だったか、芸術家と恋をして、全てを捨てて日本に帰って来てしまったのだそうです。その後、日本に帰って来た子供達はお父さんの仕送りを受けながら、長男の綱武さんが面倒を見る形で育ったようでした。
 そんな綱武さんの秘書になり、奥さんになったのが吉沢久子さんでした。後の、エッセイストで家事評論家、生活評論家です。
 やがて、みんな歳をとり、画家の旦那さんが亡くなるとき、『久子さんに老後を見てもらいなさい』とお母さんに言い残したのだそうです。
 お子さんも無く、身軽だったせいかもしれないと思いましたが、もちろんそれだけではなかったと思います。だって、綱武さんは、お母さんのせいでずいぶん苦労もしたでしょうから、それでも『久子さんに』というのには余程の信頼があったのだと思います。
 やがて、お母さんがやって来たとき、お母さんは庭の物置を見て、『私はここに住みたい』と言ったそうです。『プレハブの物置なんかに姑を住まわせて』と言われるのは承知の上で、吉沢さんは物置を改装してお母さんを住まわせたそうです。
 『自分の空間が欲しい』という気持ちがわかったと書いてあったと思います。他の人にはいろいろ言われたでしょうが、自分も歳をとってみるとわかります。誰にも煩わされない時間が心を安定させるのです。吉沢さんは自分が防波堤になって、お母さんの心の安定を守ったのでしょう。お母さんが駆け落ちしたという画家の旦那さんもやはり、心ある人だったのでしょう。
 吉澤さんも百歳を超えて亡くなったと思います。

2019年5月16日木曜日

食前キュウリ、緑茶コーヒー,おからヨーグルト、と海藻

 『この間テレビで』というと、『またか』と思われそうですが、令和のダイエットだそうです。でも食べる事なら、ランニングより簡単かと思います。
 実際はお医者さんが自分で実験したダイエット法で、『食べない』というダイエットが出来なかったので、食べるダイエットにしたのだそうです。
 やり方は簡単で、食前にキュウリ、緑茶コーヒー,おからヨーグルトの三品、どれかを食べると、お腹がある程度膨らんで、食べる量が減るのだそうです。もちろんそれぞれに理論的な栄養素の説明が有りましたが、忘れました。とにかくそれでいいなら簡単です。
 キュウリは今から出回るので、季節外れの紅アズマを探すより簡単です。新タマネギ等の野菜と一緒に酢かレモンとオリーブオイルで、サラダ。
 コーヒーは毎朝飲んでいるので、それに半分緑茶を足すのだそうです。牛乳は入れてもいいのかどうか、だから、緑茶とコーヒーを分けました。緑茶なら緑茶だけ、紅茶でもよし、コーヒー+少量牛乳はまたお茶の時にでも。 おからヨーグルトはちょっと変えさせてもらいます。バナナヨーグルトを時々食べているので、それにきな粉を入れて代用します。粉末おからは結構高いし、おいしくない。
 それと、海藻を食べると、脂肪を燃焼させる褐色細胞が増えるのでだそうです。これは他の番組で聞いたのですが。
 『食前』というのがポイントのようです。

2019年5月8日水曜日

ときめきランと瞑想ラン

 時々見ているNHKの『ランxスマ』に脳科学者の茂木健一郎さんが出ていて、『ランニングと脳』というタイトルだったと思います。
 茂木さん自身、いつもランニング道具を携行していて、時間があれば一日10キロくらいを走るのだそうです。走っている様子を見せてくれましたが、慣れた道を準備運動もなしに走り出し、最初ゆっくり走ることが準備運動代わりと言っていました。
 これ、ずぼらな私は大賛成です。私なら、最初と最後をウオーキングにして、間に5分でも10分でも走れればいいかなとか考えてしまいました。
 茂木さんが普通走っている道は慣れた道なので、あまり考えることもなく、頭は空っぽになり、普段なかなか整理がつかないで考えあぐねていることに対する『ひらめき』がポンポンと出てきたりするのだそうです。これを『瞑想ラン』と呼んでいました。
 もう一つ、茂木さんがサイトにアップしているランニングは仕事などで遠くに行ったときに知らない土地でする『旅ラン』だそうです。知らない土地ですから、興味の向いたほうに『ワクワクドキドキ』しながら走っていくのだそうです。そうすると、五感が活性化され、『ワクワクドキドキ』の材料のドーパミンが放出され記憶に残るのだそうです。これを『ときめきラン』と呼んでいました。
 この二種類のランニングをしていると、頭がすっきりし、ひらめきも起こり、原稿が書きやすくなるということです。確かにランニングの後は原稿が書けると金哲彦さんも言っていました。
 かといって、70歳の私にランニングは無理でしょう。昨日50分のウオーキングをしたら、足が痛いのですから。でも、せっかくいいと言われているのですから、週に一、二度するウオーキングに5分か10分のランニングを足してみてもいいかなとか、心が動いたのは確かです。

2019年4月30日火曜日

腸内フローラ二ヶ月後、14時間から16時間の間歇的断食

 根が怠け者の事ですから、完璧に16時間という訳には参りませんでした。完璧な人間なら、とっくの昔に痩せていたでしょう。
 それに加えて、二週目に旅行がありました。いつも二十人くらいのほとんど同じメンバーで行く最後の旅行です。みんな歳をとってしまって、人数が減って行くのも悲しいし、潮時なのでしょう。
 旅行は高遠の桜を見るのがメインでした。ところがその日40何年かぶりの大雪になったのです。お城には入れず、バスの中から見ただけでしたが、高遠の桜は『高遠小彼岸桜』というピンクの花でその上に白い雪が積って、それが、町中いたるところにあるのです。二度と見られないような桜の風景になりました。翌日お城の桜の枝が雪の重みで割れたとテレビニュースでやっていました。
 で、四食、和食でしたので、30品目はゆうにクリアーしたのですが、カロリーオーバーでしたし、時間はオートファジーを誘導するような16時間程の間隔が空けられませんでした。体重は月初めに戻ってしまいましたし、便秘のせいもあって最後には口角炎が出てしまいました。次の日すぐにJAに紅アズマを買いに行きましたが、体重も便秘もなかなか改善しませんでした。
 三週間目、便秘が治りだして、体重も落ち始めたと喜んだころ、「お腹がへっこんだ気がする」と夫と確認しあいました。カギホック式のスカートをはいてみるとそんなでもないのですが、触った感じが平らになった感じなのです。
 四週間目、うっかりや高齢者の交通事故のニュースが相次ぎました。四月の終盤のこのころ、みんな、厳しい寒さを乗り切って、身も心も緩むような気がします。歳をとってくると余計にそう感じます。
 フィリピンとスリランカで宗教がらみのテロのニュースも続きましたが、そんなことして喜ぶ神様がいるのでしょうか。
 で、体重は何とかギリギリ、月初めより一キロ減です。『減るよ、減るよ』という思わせぶりな行ったり来たりの数値が続いた後、ある日突然ポンと減るのです。『サーこれを維持しなくては』と思います。何せ、ちょっと油断すると、行ったり来たりになってしまうのですから。  
 そういう訳で、相変わらず、紅アズマを食べない時は便秘が出てくるという日々でしたが、なんとか月に一キロという減量は達成できました。一キロなんて、直ぐ戻るよと娘に言われましたが,月に一キロずつ痩せれば、一年で12キロ減だよという励ましも貰いました。
 でもです、今まさに10連休の真っただ中です。

2019年4月23日火曜日

カミカゼドローン

 軍事攻撃用のドローンが開発されていると、この間ニュースで見ました。
 『ホモディアス』を書いたハラリさんが言ったようにこれからの世の中の変化は早くなっているようです。だって、写真撮影用のドローンが出て来たのがついこの間で、操縦が大変だと言って,事故を起こしたりしていたのですよね。
 軍事用の無人兵器は,昔、漫画で見た事があり、その時は人を感知すると攻撃をするというロボットでした。だから地上に人間はいなくなってしまうのです。いよいよ、そこに向かっているのかと戦慄を感じました。
 無人飛行機はお金もかかりますから、これを兵器にするのは大変でしょうが、小さいドローンなら弾丸感覚で使えるのでしょう。

2019年4月17日水曜日

英国ミステリー噂話、ニュートリックス、アマンダ・レッドマン

 一番若くて一番偉い、唯一の女性がサンドラ・プルマン役のアマンダ・レッドマンさんです。
 1957年生まれで、現在61歳というレッドマンさんの写真は私がニュートリックスの中で見ていたサンドラより痩せて、ちょっと違う感じがしました。レッドマンさんもシーズン10で2013年に辞めたと書いてありましたから、あの頃は50歳前後だったんです。
 レッドマンさんの人生もプルマン警視と同じようにお父さんは彼女が23歳のときに51歳で亡くなり、お母さんは87歳で2014年に亡くなったようです。年齢は違いますが、やっぱり当て書きと思えてしまいます。
 彼女はイギリスの南の端、サセックス州のブライトンで生まれたと書いてありました。ローレンスオリビエが建てたというブリストルオールドヴィック演劇学校で勉強したと書いてありました。
 女優をしていたおばさんがいたせいで、最初から演劇志望だったのでしょうか。お父さんの職業は書いてありませんでしたが、もしかしたらお父さんも演劇関係だったのかもしれないと推理してしまいます。プルマン警視は警察官として亡くなったお父さんを慕って警察官になったという設定ですから。
 そういえば、この間ニュートリックスの最初の部分を見ていたら、プルマン警視はサセックス大出身という事になっていました。当てがきですね。
 彼女の左側の火傷の痕、テレビで見ていて気になっていたのですが、赤ん坊の頃、スープをかぶってしまって、体表の75パーセントの火傷を負ったそうです。幸か不幸か、今はあそこだけが残ってしまったのだそうです。それを隠す事なく、堂々と見せているのは立派だなと思います。何事にもオープンな性格なんだろうなと思います。
 1984年に結婚して娘を一人授かって92年に離婚した旦那さんも俳優でそのお兄さんも俳優。他の道は考えられないくらい才能もあったのでしょう。見ていてもそんな感じがします。
 彼女も2012年に勲章をもらっているようです。ボラムさんと同じ、MBEのようです。これは演技だけではなく、社会的活動に対しても贈られたということです。

2019年4月12日金曜日

英国ミステリー噂話、ニュートリックス、アラン・アームストロング

 変人ブライアン・レイン役のアラン・アームストロングさんはずっと前に一度他のドラマで見た事があったのですが、その時はまともだったけれどもやはり個性の強い役だったような気がしました。顔からして、そうですし、本人も、人間の全ての相を演じたいと言ったようです。。
 この方、驚いた事に、ボラムさんと同じダーラム州の出身でアンフィールドプレインという人口三千人あまりの村だそうです。
 ニュートリックスの最初の設定と同じようにボラムさんが仕切っていたような気がして来ました。
 アランさんは舞台人でもあり、ロイヤルシェイクスピアカンパニーで9年を過ごしたと書いてありました。スウィーニー・トッドでオリバー賞ももらったと書いてありました。演劇に詳しくない私にはあまりわかりませんが、才能ある人のようです。
 最初に演劇に魅力を感じたのはグラマースクールの時で、その後、国立若者劇場のサマースクールに参加したが、田舎出という事と、北部なまりで違和感を感じたようでした。ロイヤルアカデミーオブドラマティックアーツのオーディションを受けて失敗、ニューカッスル大で美術を学んだが、二年で中退,その後、職業を転々とし、やっと再度演劇をやろうと、ケンブリッジ芸術劇場の助監督として働き始めます。そこの教育施設に行き、やっとラジオの役をこなすようになったようです。
  それから、映画にも出、テレビにも出、舞台にも出、それこそ人間の全ての相を演じたようです。
 ニュートリックスのシリーズの中で10シーズン目に卒業を宣言したようです。どうも台本にケチを付けたようで、ディレクターの怒りを買ったようでした。とにかく彼は売れっ子のようで、他にも仕事があって忙しかったのでしょう。
 私生活では、奥さんのスーさんとの間に三人の男の子がいて、一人は俳優,一人はミュージシャンになったようです。
 演劇の賞以外でも、二つの大学から名誉博士号を贈られたり、ふるさとの劇場に名前が付けられたりと、活躍に見合う名誉を得たようです。

2019年4月8日月曜日

英国ミステリー噂話、ニュートリックス、ジェームズ・ボラム

 このドラマ、本当に好きなんです。前回は主題歌に引かれて、歌っているデニス・ウオーターマンさんの事を調べましたが、今回シーズン4が再放送されたのに刺激されて、(オンデマンドで二回ずつ見てしまいました)、他の人たちも調べて書いてみようと思いました。
 最初にジャック・ハルフォード役のジェームズ・ボラムさん。ジャックは一番年長で、元々優秀で階級も高く、現在のボスのサンドラ・プルマンのボスだったという設定です。子供もなく、妻を交通事故で亡くし、庭に作った墓に話しかけながら暮らしている愛妻家です。
 実際のボラムさんは1935年生まれで現在83歳のようです。だから、ニュートリックスに出ていた頃は60代後半から、70代だったでしょう。それ以前にも活躍されていて、バーナビー警部の再放送を見ていたら、出ていたのを見つけました。英国の勲章も受けているようです。
 生きている人のニュースはあまり書いてないのですが、サンダーランドというところで生まれたと書いてありました。スコットランドから二つ下の東の海に面したダーラム州という所の都市のようです。
 グラマースクールの後は経理関係の勉強をし、その後、ロンドンの演劇学校に行ったようです。
 演劇は1960年代から、出演作品がたくさん書いてありました。2015年には舞台に出たという記載もありました。80歳くらいですかね。
 彼は歌も上手でした。シーズン4でジェリーと歌うシーンがあるのですが、歌手兼俳優のウオーターマンさんよりずっと上手でした。
 しかし何よりも驚いたのは奥さんのスーザン・ジェイムソンさんの事です。一緒にニュートリックスに出ていると書いてあったので、どんな役で出ているんだろうと思ったら、エスター役だったのです。あの同僚の変人ブライアン・レインのよく出来た奥さん役のです。まさにおしどり夫婦です。
 ウオーターマンさんを含めて、このドラマの配役は、ある程度当て書きみたいなところがあって、役者さんの実際の人柄、経歴みたいなものが役柄に反映されているんですね。だから、皆さんのびのび、いきいきと演じていて、存在感があって、それで見ている方も引きつけられるんだろうなと感じます。
 私は見ていないのですが、ハルフォード役はシーズン8くらいで降りたようです。これから再放送されるのが楽しみです。

2019年4月4日木曜日

腸内フローラ一ヶ月後、アミノ酸調味料フリー

 腸内のお花畑に花を咲かせるには何かしなければなりません。
 広島の菊池選手がグルテンフリーにしていると何かで読んだので、私もやってみようかと思いましたが、グルテンフリーというのは難しいです。だって、小麦はお米よりもバラエティがあるのです。パン、菓子、うどん、パスタ、ピザ、お好み焼き、天ぷら、団子、中国料理で行くと、餃子や饅頭。
 で、私はあきらめて、その代わりアミノ酸調味料フリーにしました。これはその製造過程で殺菌剤を使うと聞いた事があったからで、止めよう止めようと前から思っていたのですが、今回,腸内細菌を豊かにするという意図のもと、殺菌されては大変ですから、決行した訳です。
 やってみると何でも完全とは行きませんが、まず、外食はできるだけ止めました。お惣菜も出来合いのものではなく、基本の食材を使って、自分で作る事にしました。
 アミノ酸調味料が入っていないか、成分をチェックすると、使う調味料は限定されて来ますが、返って経済的かもしれません。テーブルの上には醤油、酢、オリーブオイルを置き、味付けはその他に塩、砂糖、酒等、基本的なものだけになりました。大好きなおせんべいの誘惑には負ける時もありますが。
 それと、食べる品目を多くして一日30品目くらいというのが結構難題でした。量を少なくして、品目を増やす工夫をしました。例えば、朝は自家製パン一枚と卵野菜、コーヒーに牛乳を入れていつも通りですが、これにイモ一切れを足したりとか。納豆を足したりとか、昼はフルーツグラノーラに11品目入っていると書いてあったので、これを半分の量と、果物ヨーグルト,ブラス芋とか。
 それで、一週間すると、便秘が治りました。
 二週間すると、体重が一キロ減りました。
 そこで突然また三日ほど便秘になり、体重も戻ってきたので、『ええ』と思って、もう一度食事を見直したら、毎日食べていた芋が無くなっていたのです。原因は「これだ」と思ってまた箱買いしてきまして、食べ始めたら、治り始めました。サツマイモで便秘が治るというのは本当だったのです。食べ過ぎるとお腹が痛くなりますから、量は注意です。紅アズマ等のホクホク系の方が利くみたいです。
 三週間目からはオートファジーのための16時間の間歇的断食を始めました。朝食八時、昼食十二時、夕食四時です。食事の質や量は変わりませんし、運動も変わりません。でも、食べたいときに食べていた身としては少し不安もありました。
 この間歇的断食、昔ある健康家が提唱していたのです。森田式だったかな。要は朝食抜きです。これだと夜、ちょっと遅く食べても昼までには16時間断食できます。この先生は経験から提唱していたのですが、裏付けが出来たようです。有名な医師の南雲氏や、友人でも実践している人がいますが、痩せていて健康そうです。
 そして四週間目、体重が一キロ減に戻りました。便秘は一日おきくらいになりました。
 さらに三日して一ヶ月後、サツマイモの季節も終わり、また便秘が戻って来ましたが、今度は牛蒡を買って来たりとか、工夫をします。
 一キロ減の為に結構大変な一ヶ月でした。

2019年3月26日火曜日

自然農法

 『イタリアの小さな村』で、自然農法を営んでいるご夫婦の話をしていました。土の中に空気を送るようにすれば野菜は病気にもならないし、無農薬でも虫にも食べられない、その農法の本も書いたと言っていました。
 『本当?』と思ってしまいますよね。どうやって地中に空気を送り込むんだろうと最初に思いました。草も取らないし耕したりしないと言っていましたから。
 そういえば、ベニシアさんの庭で、ベニシアさんが草の中からニンジンを掘り出しているのを見たことがありましたが、あれが自然農法だったんだと今になって思います。
 ネットで調べてみると、日本にも実践している方たちはいるようで、沢山出ていました。
 ちょっと読んでみると、雑草取りはしないのだそうです。雑草は根を張って、土に空気を送り込み、それぞれのにおいや分泌物で虫を追いやったりするのだそうです。また、寄ってくる虫は害虫かもしれないけれども、ほかの害虫をやっつけてくれるかもしれない。
 その辺になると勉強不足であいまいですが、確かにこの冬の間、強い雑草の陰に隠れて、わが畑の豆の苗は温かく過ごせたような気がします。
 全く雑草を取らずに夏も過ごせるとは思いませんが、これらの記事を読んで、少しずつ多くの種類を密生させるという自然農法の最初の一歩をやってみたくなりました。どんな野菜を隣に植えるといいのですかね。
 これって、高価で美しい野菜の概念を変えるのだそうです。つまり、形は悪くても安価で無農薬でおいしい野菜ができるのだそうです。

2019年3月21日木曜日

オートファジー

 『がんを克服した医師がみずから実践している「素朴な食事術」を明かす』というネット記事に誘われて読んでしまいました。
 青木 厚さんというお医者さんが若くしてがんの手術を受けて再発を恐れながら、『なんとかしなくっては』と懸命に探した食事法のようです。
 『「①細胞の質の劣化を食い止める方法」と「②NK細胞の活性を上げる方法」をテーマに研究を重ねました。

 その中で、Autophagy(オートファジー)や”intermittent fasting(間歇的断食)”というキーワードに出合いました。

 オートファジーとは、簡単にいうと人体の古くなった細胞を新しく生まれ変わらせる仕組みのことです。細胞が新しく生まれ変われば、NK細胞の活性も高まります。つまり、オートファジーを誘導させることは、がんの再発を防ぐのに効果を発揮するのです。

 ちなみにオートファジーは2016年にノーベル生理学・医学賞を受賞した大隅良典栄誉教授の研究テーマで、今世界中で注目が集まっています。

 では、どうすればこのオートファジーを誘導することができるのでしょうか。そのために有効とされるのが、間歇的断食です。

 間歇的断食とは1日のうちに16時間程度はものを食べない時間、すなわち「空腹時間」をつくる食事法です。16時間というのがポイントで、16時間の空腹時間を作るとオートファジーが誘導されることが、昨今の研究でわかっています。』

 『これならできるかも』と、トンと膝を打ちました。何せほとんどすべての時間を自分の意のままに過ごせる年金生活者です。
 16時間というと、アナログ時計をイメージしながら考えました。夕方四時に夕食を食べて、翌朝八時に朝食を食べればいいわけです。これでいいなら簡単です。
 私たちは幸いにがんではありませんが、まごうことなき成人病で、今、目いっぱい花粉症です。風邪かなと思うくらい鼻水が出て、頭痛がし、くしゃみが出て、のどが渇き、それもこんな簡単なことで体調がよくなり治る期待が持てるなら、こんな幸せなことはありません。
 8時に朝食を食べて、9時半からヨガ、12時頃に食事、今日は1時から野球を見ながら体操、4時に夕食を食べて、7時からフィギアスケートを見ます。その合間を見つけて家事。毎日テレビに合わせて結構忙しいのですが、忙しいことが楽しいのです。

2019年3月14日木曜日

レビー小体

 夫の付き添いで行っていた大学病院の壁にこの病名が張り出されていましたから、私は名前だけは知っていたのです。その時の名前は『レビー小体型認知症』というものでした。「ま、認知症だから、まだいいや」と思って、あまり気にも留めませんでした。それをまた、あの『がってん』で見てしまったのです。今度の名前は『レビー小体病』だそうです。
 神経細胞にたまるゴミの事だそうです。
『神経細胞にレビー小体がたくさんたまるような状態になると、周りの神経細胞にも障害が出て、本来の働きができなくなってしまうんです。レビー小体は全身の神経にたまる可能性があり、自律神経の失調によりさまざまな症状が出てくることも。例えば、頭痛や立ちくらみ、また、長引く便秘や排尿障害、嗅覚障害など。さらに、大脳にたまれば幻視などを引き起こす「レビー小体型認知症」に、運動機能をつかさどる脳幹という部分にたまれば「パーキンソン病」になってしまうと考えられています。老化に伴って神経細胞の中にたまるとされ、東京都健康長寿医療センターの調査では、平均82歳の段階で3人に1人の割合で見つかっているとの報告も。』
 そりゃ、歳をとってくればゴミくらいたまりますよね。次の指摘も、70歳の私でも半分ぐらいは当てはまります。
 『「レビー小体型認知症」に特徴的な症状をまとめたので、気づくためのチェックポイントにしてください。
1、実際にはそこに居ない、人や動物、虫などがはっきり見える「幻視」の症状
2、手足が無意識にふるえたり、身体の動きが遅くなるといった症状
3、これまで当たり前のようにできていた「着替え」や「歯磨き」ができないときがある
4、一日中ボーッしている日があるなど、日によって体調が激しく変わる。
5、隣の部屋まで聞こえるような大きな寝言や殴る蹴るといった激しい寝相がある。』
 テレビに出ていた女性は若いときに、この幻視の症状が現れ、長い間苦しんだそうです。私と夫はこの幻視こそありませんが、あとは多かれ少なかれあります。私は白昼夢みたいなものを見ます。脳が昔の事に集中してしまって、「いやだ」と大声を出している事がよくあります。若い頃からありましたね。
 夫はこの頃、独り言が特に多くなりました。
 歳をとれば、みんなゴミがたまって来るのでしょう。でも、私達の場合はまだ大丈夫、めげずにがんばりましょう。

2019年3月7日木曜日

村上加奈子さん

 フィギアスケートの村上加奈子さんが競技を引退して、バラエティ番組に出るようになりました。そこで先輩のスケーター達が、「選手でいるより今の方がずっと向いてる」と口々に言っていました。『確かに美人だし、タレントさんの方が向いているだろう』と私も思いました。
 でも、それが理由ではなかったようです。あの有名な山田満知子コーチにも「あなたは向いていない」と言われたそうです。
 つまり闘争心がないという事のようです。本人も言っていましたが、一つジャンプが成功すると、「やった」と感動してその後の演技を忘れてしまうという事でした。つまり、感情が豊かで感動しやすい人柄という事でしょうか。
 ここで黒田選手の話に行ってしまうのですが、お父さんは元野球選手、お母さんは元オリンピック選手だったらしい黒田選手は両親からとても厳しく鍛錬させられたようでした。高校生のとき、何かうまく行かないで、友人と二人、「グランドをいいというまで走っていろ」と監督にいわれて、走っていたら監督が忘れて帰ってしまったそうです。心配した友人のお母さんが二人を連れて帰って風呂に入れ、夕ご飯を食べさせ、黒田選手のお母さんに電話をしたそうです。黒田選手のお母さんはお礼の言葉とともに、「食べ終わったら、博樹だけはグランドに戻して欲しい」と言ったそうです。 
 『闘争心って、そうやって培って行くんだろうな』と思った事を思い出します。そうやって培われた闘争心と努力と人より少し多めの才能と運が人生を成功に導いて行くのだろうなとは,今はわかるのですが。
 もう一つ、黒田選手とお母さんのエピソードを。お母さんはガンで割り方早くに亡くなったのですが、病院のベッドで,黒田選手がジャイアンツを一対0で完封したのを見届けて、『博樹にありがとうと伝えて欲しい』と言ったそうです。それはそれで幸せだったと思うのですが。
 結局、『すぐあきらめてしまう』性格で、何者にもなれなかった私が、終わりの時を意識するようになるこの歳で感じる生きるという事は『楽しく生きられればいい』なのです。
 『イタリアの小さな村』では、町で働いて定年を迎えた人たちが村に帰って来たり、牧場や農場をやりたいという若い人たちが協力して村の生活を成り立たせていたり,家族が昼ご飯に集まって来たり、みんな楽しく生きているのです。何者にもなれないけれども、この幸せなら私にも手が届くと思って、この頃、毎週日曜日に家族を招集して夕ご飯を作っています。
 一つの道での成功者にはなれなくっても、きっと、それぞれに幸せはあるんですよね、加奈子さん。

2019年2月27日水曜日

腸内フローラ

 この間、たまたま見た健康番組で,腸内フローラの話をしていました。フローラというのはお花畑の事なんだそうです。腸の中には善玉菌、悪玉菌、日和見菌等の細菌がお花畑のようにたくさん花を咲かせているのだそうです。その菌に栄養を与えて、大事に育てないと体に不調が起こってくるらしいです。
 例えば肥満、太りやすい人と食べても太らない人を、同じ食べ物で三日間実験していましたが、確かに体重の差が歴然と現れました。その差を引き起こす生活習慣は排便だったのです。食べても太らない人は毎日確実に排便があり、太りやすい人は三日に一度と言っていました。でも、そのせいで,つまり便がたまって体重が増える訳ではないようです。
 余分な栄養を体に取り込まないで排泄するという働きを持つ菌が働かない事が原因のようです。つまり、余分な栄養を取り込んでしまって太るのです。私もこの部類ですが、三日に一度でも便の量はさほど多くはないのです。なるほど、栄養になってしまっているから太るのですね。余すところなく栄養にしている訳です。
 夫もそうですから、これは私の食生活の招いた結果とも言えるかもしれません。
 どうしたらいいのでしょう。
 腸内に少しでも残っている希少な菌に栄養を与えて増やすしかないのでしょう。その為には食物繊維、発酵食品、とにかく,少量ずつでいいので、いろんな種類の食品を数多く摂ればいろんな種類の菌に対応する栄養が取れるのではないでしょうか。好きなもののどか食いはダメなのです。
 それと、緊張している時も便秘になりますよね。例えば旅行の時等。私は気が小さいので、緊張しがちです。努めてリラックスする時間を持つようにするといいかもしれません。百三歳のおばあちゃんは毎日昼食後昼寝をしていました。それが腸内菌を育てるのに有効なのだそうです。
 運動は毎日しているのですから、次の段階は、この腸内フローラを豊かにする事です。節食はなかなか出来ませんし、長続きもしませんから、料理に工夫をして、腸内の花畑を耕して、便秘を治してみましょう。太らない体になるかもしれません。

2019年2月19日火曜日

私の乗る列車ではない

 東急電鉄が提供する「THE ROYAL EXPRESS」を使用した豪華な観光列車が、2020年5~8月の間の約1カ月、赤字のJR北海道の線路を走るのだそうです。
 どこからどこまでか、しっかり聞いていなかったのですが、三万円だと聞いて、表題の言葉が私の脳裏に浮かんだのです。『私の乗る列車ではない』。
 若い頃は好奇心がありますから、『どこを走るのかな、いつか乗りたいな』と思ったような気がしますが、余分なお金が入るはずもない年金生活に成ると、出来る事と出来ない事が瞬時にわかるのです。
 夏の間に北海道まで旅行に行って、さらに一人三万円の豪華列車に乗れる人ってどんな人たちなんでしょうねと思います。どこからそんなお金が入って来るのか、想像してみてもわかりません。
 この歳に成ると、英国ミステリーばかり見ている夢見がちな年寄りでも、さすがに手元の現実が見えて来ます。
 あと、よくドラマに出てくる、居酒屋さんとか料理屋さんのシーン、あんなところで夕ご飯を食べられる人って、どのくらい収入があったらできるのでしょうか。想像もつきません。
 でも、いつか船旅には行きたいのですよ。100万円くらいで2ヶ月くらい。現実離れしているからこそ、よけい夢に見るのでしょう。だから無駄遣いしないでいるのでしょうね。

2019年2月14日木曜日

体の柔軟さと心の柔軟さ

 私、子供の時から運動は学校の授業でする以外した事がなかったのです。手伝いはしないし、外遊びもたまに近くの山にキノコや野草をとりに行く程度でした。それで満腹になるまで食べて,ゴロゴロとしながら本を読んでいたのですから太るのは当たり前でした。
 でも、だいぶ以前ですけど気がついた事があるのです。自分はすごく動きが悪い、体はもちろんですが、心が細やかに動かせない。人の気持ちがわからない。弟は同じように太っていましたが、運動は抜群でした。心も細やかで、『優しい、優しい』と言われていて母のお気に入りでした。
 性格的なものだろうと思っていましたが、この頃、広島の選手達を見ていると、みんな優しいし、話す事も気配りも超一流なのです。確かにプロはそうでないと生き残れないのですが、これは彼らが後から獲得したものではないかと思えて来たのです。
 『体の動きがいいと、頭の働きも良くなる』という仮説が立てられるのではないかと思えて来ました。私達の若い頃、運動選手は頭が悪いといわれていたような気がしますが、あれは間違いだったような気がして来ました。
 現に、この頃、歳をとって暇になった私は運動を仕出しましたが、体がゆっくりと動かせるようになり、その分みんなに優しく目配り気配りが出来るようになった気がします。
 何よりも、『言い訳』をしなくなりました。体調がいいせいもあるのですが、少しくらい腰が痛くても、『人に心配をかけないように、痛いと言わないでおこう』と思うようになりました。少しくらいの風邪や頭痛なら、寝て直そうと思いますし、それで頼まれた事が出来ないとは言わないようにしようと思います。
 さらにこの頃は人の気持ちを思いやる事がずいぶんと出来るようになった気がします。人の感情や思いの吐露を遮らないように、思いやるようにしようと思いますし、少しずつ同情が出来るようになって来たような気がします。
 歳をとってそう成ったのかもしれませんが、体の動きの良さが心の余裕を生んでいる、頭の血流が良くなって,考える事が出来ているというのも事実だと思います。

2019年2月7日木曜日

パフォーマンス

 いよいよ始まりました、春のキャンプ。
 今まではネット頼りで窺っていた広島の選手達の動向もJスポーツのキャンプ便りでしっかり3時間ほど見る事が出来ます。
 最初は何と言っても、丸選手の代わりの長野選手の事ばかりでした。でも彼は隠れるのが上手みたいで、いつの間にか目立たなくなってしまいました。代わりにルーキー達や、常連さん達、アピール組等が画面に頻繁に現れるようになりました。それはそれで公平でいいのですが、話題性もないと面白くありません。
 丸選手の事も気になりますが、彼は元々関東の人ですし、東京出身の鈴木誠也選手が巨人に憧れていたように、子供の頃からのあこがれだったに違いありません。あこがれの球団からの大型契約を取って、浮かれる事なく、黙々と努力しているらしい丸選手には頭が下がります。
 トレードで楽天に行った福井選手の事も気になって、時々楽天のキャンプ便りも見るのですが、今のところ見かけません。
 で、何が言いたかったのかというと、選手達は今まで自主トレで、自分が弱いと思うところの強化や、キャンプに絶えられる体力作りを行って来ていて、ここで、さらに一年間のパフォーマンスに耐えられる技術を鍛錬しているようです。
 それで思ったのですが、このパフォーマンス、これだけ練習していても、いい時と悪い時があるのですよね。思い出すのは黒田選手がすごくいい投球をして勝ち投手になった後の次の試合は決して良くはないのです。前に勝ったのだから、今度もと見ている方は思うし、慢心して居るわけでもないのでしょうが。だから黒田選手は勝ちと負けがほとんど半々なのです。
 これは打者も同じで、田中選手は4たこの時もありますが、固めうちの時もあります。
 私も実は経験したのです。前に書いた『春風のシークエンスが出来ない』『冬の間はダメだろう』と思っていたのですが、この間、同じようなスキのポーズを何回もするシークエンスをした時は全部出来たのです。『体って,その時々で違うんだ』と思いました。便秘もあるでしょうし、血圧や呼吸の具合が悪い時もあるでしょうが、いい時だってある訳です。そんな時は私も勝ち投手に成れるのです。
 だから、選手の皆さんと同じで、いつも最高のパフォーマンスが出来るように整えておく事が大事なのでしょう。便秘、自然に直るようにしないとです。

2019年1月30日水曜日

便秘は?体重は?

 あちら立てればこちらが立たずです。体重を減らそうと節食すれば便秘になるし、便秘を治そうと思えば食べ過ぎてしまうし。
 まあ、今は寒いし、カロリーを減らすと風邪を引き込みそうですから、それなりに食べていますし、体重は現状維持です。70キロでそれだけは維持しようと気をつけています。
 運動をしているせいか、体型は少しずつ変わっています。つまり、しまって来ているということです。今は、皮下脂肪の下に固い筋肉があるのが感じられるようになりました。
 服が緩くなるという現象もまれにですが出て来ました。まるっきり直すのではなくって、合わせをダブルにするという手もあるなとこの頃考えています。
 このまま努力していれば、きっと結果は『後からついて』来ます。
 これ、大坂なおみ選手の言葉です。「優勝すれば世界ランク一位になりますね。」と言われて、「それは後からついて来る事です。」と答えていました。
 そうなんです。今出来る事をするだけです。

2019年1月23日水曜日

国民ボランティア賞

 尾畠春夫さんがスーパーボランティアと言われ、その活躍が流行語大賞にノミネートされたと話題になりました。今は野宿の旅をしながら世界の子供達の幸福を思う旗を立てながら、歩いているようです。まるで神様みたいにみんな感動しているのです。無感動な私でさえ。
 だから、みんな何かをしてあげたいのですが、何も出来ないから、他に何にも見つからないから、せめて流行語大賞でもと思ったのではないかと思いました。
 政府には国民栄誉賞というのがあって、長島さんや松井さんや王さんや有名なスポーツ選手がいっぱい貰っています。国民に感動を与えたからというのがその理由ですが、何かうさん臭い、政権が有名人を褒めることによって票を稼いでいるようにしか見えないのは私だけでしょうか。
 ノーベル賞には学術賞の他に、平和賞があって、平和賞だけノルウェーだかで別に授賞式が行われるのですよね。この間、なんでかなと考えたことがありました。学術賞の場合、功なり名を遂げた学者さん達が盛装して参加するのです。でも、平和賞の方は余裕のある人たちとは限りません。この間は性被害者の支援活動をしているアフリカのお医者さんでした。尾畑さんではありませんが、ボランティア活動をしていたら、お金の余裕なんか生まれません。賞金が出るとはいえ、ノルウェーまでいくのさえ大変です。だから別にしているんじゃないかなと思ってしまいました。
 だから、金持ち組の国民栄誉賞とは別に、国民ボランティア賞があってもいいのではないかなと思ったのです。
 この間、村木厚子さんがNHKの番組に出ていましたが、今、定年退職して、性産業に落ちかねない少女たちを救うボランティア活動をしていると言っていました。あの厚生労働省の冤罪事件で無罪を勝ち取って有名になった官僚の方です。
 加計問題で有名になり、毀誉褒貶相半ばする前川喜平さんも退官後、『週に1回、厚木市と福島市で自主夜間中学校の講師として活動している』そうです。在職中、出会い系バーに行ったこと等で、政権からとことん敵視されていましたが、性産業に落ちてしまった女性を助けていたようです。
 折しも巷では、ミルクを買うことの出来なかった母親が生後一ヶ月の赤ん坊を衰弱死させてしまったというニュースが流れていました。以前『この国は恐ろしい国』という本を読みましたが、思い出してしまいました。
 結局、面倒なことだし、世間体もあるし、お金もかかるし、そんなことを考えると手を出したくはないけれども、誰かが手を差し伸べなくては助からないことはたくさんあるのでしょう。活動をする皆さんは勇気と愛情があるのです。
 国民ボランティア賞の候補者は大なり小なりいくらでも上がってきます。これは、感謝を示したい私たち市井のものの気持ちです。

2019年1月16日水曜日

サピエンス全史の話

 読んだわけではありません、NHKで2019年のお正月に見たのです。実際は2017年の作品の再放送だったようです。世界中でベストセラーなのだそうです。
 イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏が書いた本で、続編に『ホモディアス』というのがあるとそれも再放送されました。
 世界中の人が共感しているというのですから、こう考えている人は多かったのでしょう。
 私から見ると、人類滅亡の預言書といった感じでした。
 中でも、自分と引き比べて、なるほどなと思えたのが、ネアンデルタール人とホモサピエンスの違いでした。ホモサピエンスは虚構を作り出す能力、それを共有する能力があったのだそうです。宗教、貨幣経済、法律などです。ネアンデルタール人は体も大きく、強健だったにもかかわらず滅んでしまったのは、きっと結束ができなかったのでしょう。昔読んだ、ハリーポッターに出てきた巨人族を思わせます。作者のローリングさんは知っていたのでしょうか。
 で、その前に、やはりテレビ勉強で見た、「ネアンデルタール人は滅んでいない」といった趣旨の番組を思い出しました。ネアンデルタール人の遺伝子はまだ人類の中に残っているのだそうです。
 で、私、ネアンデルタール人の遺伝子を多めに持っているのじゃないかしらと思ったのです。サスペンスやドラマは好きだけれど、宗教、経済は言うに及ばず、法律などは大学で憲法の単位を落としたくらい苦手でした。今でもそうですが、社会に適応するのは苦手です。ムムムです。
 ホモディアスのほうの番組では、「これから、人間は神になる」というテーマのようでした。 
 以前、『これからの人は得意分野を持たないといけないから、勉強することがたくさんあって大変だろう」と書いたことがありましたが、私にも、その予兆は感じられていたのだなと思いました。
 つまり、遺伝子の書き換えやロボット技術の発達で、人間は不都合なものをどんどん取り去っていつか永遠の命を獲得するだろうというのです。しかもそれは頭脳とお金のある一部の人間だけで、そのほかの取り残された集団とは別れるだろう。この二極化は過去の進化のように長い年月をかけるということはなく、極めて近い将来に起こるだろうというのでした。
 確かに、もうすでに初期段階と思える貧富の二極化は目に見えてきています。ヨーロッパのどこかの国の人が言っていたように、国の富をみんなで分けるというようにはならないものでしょうか。欲望というのも空想の産物なのでしょうか。確かにこれは私が歳をとって、弱者になったから思うのかもしれませんが。
 これをNHKがお正月に再放送したということに何か、恐怖めいたものを感じます。

2019年1月10日木曜日

洗濯のうそホント

 柔軟剤の時に一度書いたことがあるのですが、また書いてしまいます。
 私たちが子供のころは、洗濯板を使っていたのです。石鹸を使ってごしごしごしごし、時々腰を伸ばしながら洗っていたものでした。
 それが大変だったから洗濯機ができて、ごしごししなくなった代わりに、強い洗剤が出てきたのです。そのころ、その洗剤にかぶれて、十代のころの柔らかな手に赤いかゆいぼつぼつができた話は前にもしましたが、それでも便利だったので、使っていたのです。
 二十代、三十代のころは、湖沼河川の富栄養化の問題が起きました。合成洗剤のリンが問題だったらしく、石鹸洗剤が見直されました。それでも、今、合成洗剤と、石鹸洗剤の両方が出ていて、合成洗剤のほうががぜん多いのは、石鹸洗剤の落ちが悪いと思われているのと大抵のものは臭いがきついのと、いろいろ問題があるようです。
 デモです。家族にアレルギーの人がいて、合成洗剤を使えなくなって、しばらくしてみると、わかることもいろいろ出てきました。
 その一、若いころあんなに悩まされていた静電気があまり起きなくなっていたのです。あの静電気を抑えるために、さらに柔軟剤を買って使っていたのですから、愚の骨頂でした。
 その二、落ちが悪くっても何てことないと分かりました。要は水洗いだっていいのです。汚れているところは、ピンポイントでごしごししたり、漬け置き洗いをすればいいのです。臭いが抜けないところも二度洗えば臭わなくなります。これは無臭の弱い石鹸洗剤でもできます。
 その三、大事な服はドライクリーニングに出さないといけないと思っていました。昔はドライクリーニング代、高かったのです。特に皮を組み込んだセーターは普通の何倍もしました。でも、アレルギーの人のいる我が家ではドライクリーニングに出せないのです。だから、いつもの無臭の石鹸洗剤を少なめにして、洗濯機のドライ機能で弱めに洗ってしまいます。ほとんどなんともありません。この程度の劣化は許容範囲だと思います。だって、こんなに新しい便利なものが次々と出てくる時代、何年も毎年同じ服を着る時代ではないような気がします。ある程度劣化して使用寿命を終えてくれたら。それでいいわけです。背広もそうしました。体形が変わって着れなくなる前にぼろ布で出せたらそれでいいわけです。
 今や科学万能の時代、洗剤も柔軟剤もどんどん新しいものが出ているようです。どんどんどんどん強力になっているのでしょうね。アレルギーは超能力ではないけれど、その毒性を識別してくれるいいバロメーターだとこの頃思います。
 洗濯って、そんなに汚れていないものなら水洗いだけでもいいのかなとも思えてきました。それでも、規定の半分くらいの無臭の石鹸洗剤は入れてしまいますが。

2019年1月3日木曜日

時の流れ

 早いもので、忙しい、忙しいと言っている間に年が明けてしまいました。今こうして年が明けてしまうことがもったいないような気がしています。大事な時間なんです。でも、毎日スケジュールを立てて忙しく過ごしています。
 この間、日野原先生のドキュメンタリーを見ていましたら、先生が小学生に命の授業をしている場面がありました。
 「命って何だと思いますか」と聞くのです。私も『何だろう』と考えてしまいました。答えに窮した子供たちに先生が言うのです。「命って時間なんですね」。『ああ、そうだ、時間なんだ』と私も思いました。
 先生は、日航機ハイジャック事件の時、偶然にも乗り合わせていて、あの時助かった命をみんなのために使おうと思ったのだそうです。もともとクリスチャンだったせいもあって、それからあの大活躍です。百何歳かまで、いや死の床でさえ、頭しっかりと話していました。
 昔、ベストセラーになった鎌田実先生の『がんばらない』という本を読んでミーハーの私は感激して、『のんびりと生きればいいんだ』と妙に納得していましたが、これは真逆のようです。
  生きている時間の間、何をするか。充実させないといけないのです。
 と言って、二人の偉人の間を行ったり来たりしていても仕方ありません。両方のいいところを真似して、ゆったりと構えて、みんなの幸せになるようなことをしようと思いました。そうすると、せかせかして、人に何か悪いことをしてしまったかなと自己嫌悪に思うことも少なくなるような気がします。