2019年11月14日木曜日

仕事と勉強

 以前から私は対人恐怖症だと書いてきましたが、この頃の言葉で言えばADHDというんでしょうか。つまり他人とのコミュニケーションがうまく取れない人のことのようです。
 でも、こういう人ってたくさんいるのではないでしょうか。先日、テレビで『自分もそうだ』と言っている学者さんがいましたが、脳が全部働いている人はいないのですから、どこかに落ち度があってしかるべきで、それが個性だと思うのですが。こういう人でも生きやすい世の中が欲しいですね。
 先日、弟と話をしたときに、「昔は家で味噌を作っていた。土間で、機械で豆をすりつぶしていた。覚えているか」と聞かれて、記憶の底を探ったのですが、その様子、そう言われればそうだったかもしれないという程度にしか覚えていないのです。
 そういえば、私はあまり家の手伝いをしない子で、そのせいか、子供のころのことを何も覚えていないような気がします。弟が母の手伝いをしているときに、私は、寝そべって本を読んでいたような気がします。だから、何も記憶に残らなかったのでしょう。言うことを聞かない子供に母も何も期待しなかったのでしょう。
 この子供の頃の仕事の経験が無いという事は、その後の人生でとても困った事になると、この歳になって思います。つまり、どんな事をして人生を送って行ったらいいのか、どんな仕事ができるのか手がかりが無いのです。
 学校の勉強は一生懸命したんです。本も嫌わずに読みました。でも、方向性がまるっきりつかめない勉強だった気がします。つかむ能力が無かった事もあるのでしょうが。
 今、この歳になって、必要に迫られて、衣類のリフォームをしていますが、学校の勉強と平行して、いろいろな実業の、つまり、料理とか掃除とか、それこそ、家の修理,実家は農家だったので、食べ物の育て方なんかも,興味を持ってやっておくべきだったなあと後悔しています。
 今更ながら、仕事と学業は表裏一体でしないと生きて行く道につながらないような気がします。