2023年8月22日火曜日

 本、半村 良『うわさ帖』

 この本を買ったのは、多分、あまりにきれいな装丁のせいだろうと思います。これを読んで調べるまで、あまり読書家ではない私はこの作家さんを知りませんでした。ちなみに装丁は滝田ゆうさんでした。毎日新聞に連載されていた随筆を集めたもので、売れだした40代の作家の忙しい毎日と生い立ちなどが懐かしく平和に書かれています。中でも、『雨あがり』という人情物で直木賞をとったらしく、山本周五郎が好きというくだりは感動モノです。私も大好きだったのです。

 やがて、この人のウキペディアを調べてみると、昔有名になった『戦国自衛隊』シリーズを書いた人だとわかるのですが、私は映画のポスターで見ただけなのであまり興味はわきませんでした。

 そしてウキペディアを最後まで読んでいくと、『本当かな』と疑いたくなるような記述に進んでいくのです。

 確かに、あまり家庭的ではなかったようです。六歳ころにお父さんを亡くし、弟と母と三人母子家庭で育ったせいか、はたまた、山本周五郎をまねたのか、奥さんに母と子供たちを任せ、仕事部屋を借りて仕事をどんどん取り始めるのです。

 高校を出て、それこそバーテンダーを皮切りに30何種かの職業を経験したと書いてあるので、書くネタも多かったのでしょう。成長の過程の交友などの他に、その仕事部屋での日常がこの随筆集にはたくさん出てきます。

 で、件の『本当かな』ですが、ウキペディアには次のように出ていました。

『1980年、『妖星伝』完結編の第七巻の発売について、講談社と事件となり、発売延期。講談社から発売予定だった全集「半村良独演会」も発売が延期となった。

1984年、北海道苫小牧市に転居、1987年に東京浅草に戻る[1]。

1988年、人情物とSFとを融合させた作品『岬一郎の抵抗』で日本SF大賞を受賞した。1994年には雑誌連載が中断し未完だった『虚空王の秘宝』を完結させて刊行、1995年には単行本刊行が中断していた『妖星伝』を完結させる。しかし他にも、『太陽の世界』など未完に終わった長編・シリーズが多数ある。

1999年、栃木県鹿沼市に移住する[3]。

2001年、群馬県前橋市から、家族の住む東京・調布に戻る[3]。

2002年3月4日、肺炎のため死去した。68歳没。同年、第二十回日本冒険小説協会大賞特別賞を受賞。

2005年、戦後の焼け跡・闇市時代を描いた著書『晴れた空』が祥伝社より、戦後60年特別出版として、再刊された。』

『角川春樹によれば、角川書店で編集局長をしていた頃、既に「伝奇ロマン」のジャンルで成功を収めており、1974年に書き下ろし文庫『平家伝説』の執筆を初版10万部の印税保証付きで依頼したことから付き合いを初め、『戦国自衛隊』の頃までは良好な関係を続けていたが、次第に酒と女に溺れ、出版各社から金を前借するようになり、1975年に直木賞を受賞してからは、さらに増長し、未完に終わった『太陽の世界』の執筆に半村側が、1冊1千万円の印税保証を提案したことが決定打となり、関係が悪化したという[5]。』

『馬主として、自身のペンネームをもじって命名したハーフェンダールという馬を持っていた事もある。』

 つまり、『飲む打つ買う』のすべてを経験してしまったようです。確かに、自分の経験と空想を作品の糧にしていたのですから、経験は大事だったと思うのですが、こんなにたくさん賞をもらっているのにと、少し残念です。みんなが幸せに終われる生き方だって選択できたでしょうにと思えるからです。

 私は悪い噂はあまり信じないようにしているのですが、特にロシアのプロパガンダに接しているとなおさらです。

 でも、お酒の話とバーの話はよく出てきますし、競馬の話も出てきます。女性の話は特に出てきませんが、家庭を切り離していたことや晩年、何度か遠くに引っ越していること、最後、家族のもとに戻って亡くなったということを考えると本当らしく思えます。こういう人は結婚すべきではなかったと私は思います。それとも、ケアラーがいて良かったねというべきでしょうか。

2023年8月20日日曜日

 小さな世界

 90歳を越えた姑が、ある日ぽつんと言ったことがありました。「長生きするのもいいけれど、お友達がみんな亡くなってしまってね」と。

 彼女はわりかた社交的な方で、何かのお集りとか、同好会、法事でさえよく出席していたので、その連絡が来ないだけでも淋しかったのかもしれません。そうして、晩年はかえって人を避けて趣味の絵を描くことに没頭していました。絵を描くことが人を避ける言い訳のようになっていた感がありました。

 この歳になるとわかる気もするのです。一人前に思われていろいろ期待されても辛いのです。かといって生きている以上、一人前に扱われないことはもっと辛い。

 そしたら、自分だけの世界をもって、領界線を引いて、入って来るなと言い、自分は時々出ていけたら大満足ではないですか。これを世間では『わがまま』というのでしょう。ばあやに育てられたというお嬢様だった姑はわがままな人でした。

 私も、この歳になると、一人前にあてにされて、歯車の中で動くことを期待されるのはだんだん辛くなってきます。かといって、誰からも連絡がないと淋しくなって、連絡を取って安否だけでも聞きたくなります。用もないのに、何かを期待していると思われても相手に迷惑だろうし、と、ここ一年ほど、旧知の人に連絡を取ることはしないようにしています。

 これでいいのかもしれません。お互いに知らないうちに亡くなっていたなんてことになるのでしょう。

 歳をとるとみんな小さな世界に生きるようになってくるのでしょう。

 このところ、半村良さんの『うわさ帖』という随筆集を読んでいますが、まだ40代頃の作品のようで、お酒を飲んで交友を広めて仕事にもつなげている様子が生き生きと描かれています。これを見ると、私には若いころでもこういうことはできないだろうなと思います。はじめから小さな世界に生きていたような気がします。つまり、わがままが通る世界に。できる限り外の世界に出ようとはしなかった気がします。

 今、このわがままが世間的にも許される年代になって、何かほっとする思いがあります。『私の世界で生きていていいんだ。いよいよ自分の世界に没頭できる』『何かをしたい、絵が描きたい』ということもありませんが、何かストレスもなく、楽に息ができるような気がするのです。

 私には元々引きこもりとかオタクっぽい気質があったのでしょう。好きなことをして好きなことを見て、時々、言いたいことを日記風に書いて、「これが、自学と自己実現だ」と叫んでいる。

 本当に幸せです。これで使い切れないお金があったら、もっと幸せかというとそんなことはないと思います。きっと、自分だけ恵まれていることに罪悪感を感じて、大きな世界に出て行かなければと思うでしょう。『王様と乞食』に例えれば、私には王様は務まりません。年金生活者でミニマリストの乞食の気楽さが一番のような気がします。

2023年8月8日火曜日

 一期一会

 この言葉は昔から知っていました。茶道の人の言葉だったようにも思っていましたが、この歳になると、また違った意味を持ってきます。

 つまり、周りで亡くなる人が出てくるのです。先日年下のいとこが亡くなりました。何年か前、母の法事で会ったのが最後です。私はああいう席が嫌いで、それでも弟の手前、いやいやながら出ていたのです。あの時、癌で長く闘病した叔父のことを指して、「お父さんの娘だから」と言っていたようすが思い出されます。彼女は一人っ子で、とてもかわいがられていて、いつも堂々としていました。仲が良かったわけではありませんが、私より一回り以上も若いのになんでかなあとため息しか出ませんでした。あっという間の癌死だったようです。

 それから、この頃、あの人はどうしているだろうと気になることがあります。昔よくしてもらって、長電話も頻繁にくれていたのですが、夫が亡くなって以来徐々に電話が来なくなりました。どちらかと言えば放送局タイプの人で、楽しいけれど迷惑なところもありました。

 年をとってきて、連絡をする人もなくなると余計気になるものです。でも、気になってもこちらから旧交を温めようとは思いません。ミニマリストには交際費の余裕はないのです。ユーチューブの中で体操の先生とか、ニュースの専門家とか、畑の先達の話を聞いているのがせいぜいです。

 そしてこれがメインポイントですが、今、毎日会う周りの人々に、できる限りのよい印象を、つまりハートウオーミングな思いをしてもらうことが一番なのではないかと思いました。毎日が一期一会だと思って。きっとこれが本当の意味なのだと思います。

2023年8月1日火曜日

 本、『私の嫁いびり』「覚えてほしい、わが家のホームマネージメント」西川 勢津子

 昭和58年、第14刷。ということは、私は結婚して、子供もできていました。姑さんとはうまくいかず、核家族で独立したころでしょう。藁をもすがる時期だったので、きっと読んだとは思いますが、ほとんど覚えていません。

 『西川 勢津子(にしかわ せつこ、1922年9月13日 - )は、日本の家事評論家。筆名・山田のぶ、東山花子、桑井いね。

 奈良県出身。日本女子大学校卒。掃除、洗濯、料理、家族関係まで多岐にわたる家事評論で活躍。1961年西武百貨店池袋店の家庭用品コンサルタントとなる。桑井いねの筆名で書いた『おばあさんの知恵袋』がロングセラーとなった。洗濯科学協会理事』

 私の若いころ、家事評論家というのは吉沢久子さんか、西川勢津子さんかという感じだったと思います。このお二人しか覚えていません。

 吉沢久子さんのは雑誌などで読んでいたのか、家に本はありません。西川勢津子さんのは、『おばあさんの知恵袋』の題名は知っていたのですが、買ったのはこの一冊だけだったようです。

 西川勢津子さんは今読むとまさに自己実現された方だと思います。あの頃、どんな思いで読んでいたのか、全く覚えていませんが、結果が明らかになった今読むと、私の生活とは全くかけ離れていると思います。これって実用本の宿命でしょうか。確か、『棟梁の知恵袋』の時もそんなことを書いたような気がします。

 学者さんのように、研究して、調べて、自分がこれと思ったものを書いているのです。ご主人の転勤で回った外国にまで視野を広げて、特にお掃除関係が、まるで科学者のように実験して、良いものを推奨しているのです。

 しかし、この年月の間にわが家はアレルギー家族になってしまって、漂白剤を使うとか、次亜塩素酸で消毒するとかは全くNGになってしまいました。

 でも、西川勢津子さんの輝かしい自己実現だけは称賛に値すると確信しています。

 私もこの歳になると、『口から先に出せないもの』があるということもわきまえるようになってきましたが、やっぱり、言わせてもらえば、生活のレベルが違うのです。何せ、私はミニマリストですから、この本は私にはフィットしませんでした。