本、半村 良『うわさ帖』
この本を買ったのは、多分、あまりにきれいな装丁のせいだろうと思います。これを読んで調べるまで、あまり読書家ではない私はこの作家さんを知りませんでした。ちなみに装丁は滝田ゆうさんでした。毎日新聞に連載されていた随筆を集めたもので、売れだした40代の作家の忙しい毎日と生い立ちなどが懐かしく平和に書かれています。中でも、『雨あがり』という人情物で直木賞をとったらしく、山本周五郎が好きというくだりは感動モノです。私も大好きだったのです。
やがて、この人のウキペディアを調べてみると、昔有名になった『戦国自衛隊』シリーズを書いた人だとわかるのですが、私は映画のポスターで見ただけなのであまり興味はわきませんでした。
そしてウキペディアを最後まで読んでいくと、『本当かな』と疑いたくなるような記述に進んでいくのです。
確かに、あまり家庭的ではなかったようです。六歳ころにお父さんを亡くし、弟と母と三人母子家庭で育ったせいか、はたまた、山本周五郎をまねたのか、奥さんに母と子供たちを任せ、仕事部屋を借りて仕事をどんどん取り始めるのです。
高校を出て、それこそバーテンダーを皮切りに30何種かの職業を経験したと書いてあるので、書くネタも多かったのでしょう。成長の過程の交友などの他に、その仕事部屋での日常がこの随筆集にはたくさん出てきます。
で、件の『本当かな』ですが、ウキペディアには次のように出ていました。
『1980年、『妖星伝』完結編の第七巻の発売について、講談社と事件となり、発売延期。講談社から発売予定だった全集「半村良独演会」も発売が延期となった。
1984年、北海道苫小牧市に転居、1987年に東京浅草に戻る[1]。
1988年、人情物とSFとを融合させた作品『岬一郎の抵抗』で日本SF大賞を受賞した。1994年には雑誌連載が中断し未完だった『虚空王の秘宝』を完結させて刊行、1995年には単行本刊行が中断していた『妖星伝』を完結させる。しかし他にも、『太陽の世界』など未完に終わった長編・シリーズが多数ある。
1999年、栃木県鹿沼市に移住する[3]。
2001年、群馬県前橋市から、家族の住む東京・調布に戻る[3]。
2002年3月4日、肺炎のため死去した。68歳没。同年、第二十回日本冒険小説協会大賞特別賞を受賞。
2005年、戦後の焼け跡・闇市時代を描いた著書『晴れた空』が祥伝社より、戦後60年特別出版として、再刊された。』
『角川春樹によれば、角川書店で編集局長をしていた頃、既に「伝奇ロマン」のジャンルで成功を収めており、1974年に書き下ろし文庫『平家伝説』の執筆を初版10万部の印税保証付きで依頼したことから付き合いを初め、『戦国自衛隊』の頃までは良好な関係を続けていたが、次第に酒と女に溺れ、出版各社から金を前借するようになり、1975年に直木賞を受賞してからは、さらに増長し、未完に終わった『太陽の世界』の執筆に半村側が、1冊1千万円の印税保証を提案したことが決定打となり、関係が悪化したという[5]。』
『馬主として、自身のペンネームをもじって命名したハーフェンダールという馬を持っていた事もある。』
つまり、『飲む打つ買う』のすべてを経験してしまったようです。確かに、自分の経験と空想を作品の糧にしていたのですから、経験は大事だったと思うのですが、こんなにたくさん賞をもらっているのにと、少し残念です。みんなが幸せに終われる生き方だって選択できたでしょうにと思えるからです。
私は悪い噂はあまり信じないようにしているのですが、特にロシアのプロパガンダに接しているとなおさらです。
でも、お酒の話とバーの話はよく出てきますし、競馬の話も出てきます。女性の話は特に出てきませんが、家庭を切り離していたことや晩年、何度か遠くに引っ越していること、最後、家族のもとに戻って亡くなったということを考えると本当らしく思えます。こういう人は結婚すべきではなかったと私は思います。それとも、ケアラーがいて良かったねというべきでしょうか。