2013年2月28日木曜日

本 読みたい本が出て来てしまいました 

 『生活の世界歴史』という本が十冊揃いでありましたので、さっそくアマゾンで値段を調べさせてもらいました。元の値段は1200円ですから、こういう全集ものはあまり高くないのだとは判っていても、何となく面白そうなので、きっと原価割れなんかにはなっていないだろうと期待していましたら、とんでもない、一冊四、五百円なのです。がっかりしてしまいましたが、一応ガレージセールのカテゴレーへ、美しい表紙も撮って載せて、アップしました。こんなに美しい表紙で、こんなに面白そうな表題で、且つ、こんなに安い値段だったら、すぐに買い手が付いてしまうだろうなと思うと、何となく一度も読んでいないで手元から無くなってしまうのがもったいなくなりました。
  先ず、生活から見た世界史というのが面白そうですよね。それが、一、古代オリエントの生活、二、黄土を開いた人びと、三、ポリスの市民生活、四、素顔のローマ人、五、インドの顔、六、中世の森の中で、七、イスラムの陰に、八、王権と貴族の宴、九、新大陸に生きる、これは猿谷要先生の執筆です。十、産業革命と民衆、という具合に、時空を超えて世界を旅するように人びとの生活が覗けるわけです。
  皆さんきっと面白いと思ったのでしょうね。夫が買った本は1975年の初版本でしたが、その後、1985年にも再発行されているのです。そして、新しいそっちの方は原価並みの値段が付いているのです。よく、初版本は高いと言われますが、そんな事はないようです。家のショップで売れた本を見ても、皆さんやっぱり新しい本を好まれるようです。だから、わが家の1975年版は同じにおもしろくっても、夫しか読んでなくって、あまり使用感がなくっても安くなってしまうのです。
  きっと、絶対買い手がすぐに付いて、私が例え読んでいても、引き渡さなければならないときが来ると、危機感を覚えて、一度アップした十巻を全部削除してしまいました。これなら安心して読めると思って、今寝室に二冊ぐらいを持って行って、読み始めています。
  『中世の森の中で』から読み始めていますが、確かに面白いです、ヨーロッパの童話になんであんなに森が出て来るか初めて理解しました。ヨーロッパの昔々は森が多かったのです。森に隔てられて村があり、その向こうには顔も知らない、言葉も判らない人びとが暮らしていたのです。そして、森がだんだんに切り開かれて行くと、人々は外敵を恐れて,村を城壁で取り囲むようになったのです。城壁の起源を初めて知りました。
  中世になると、暗黒の時代と言われますが、群雄割拠した粗暴な時代で、騙したり、殺したりは珍しくもない時代だったようです。なるほど、その暗黒の意味が分かりました。
  もうほとんど忘れかけている世界史の知識を総動員して照らし合わせて、理解するのですから、結構大変です。基礎知識のいる本のようですから、まだ好きなヨーロッパなら大丈夫ですが、これがインドや中国、古代オリエントとなるとどうでしょうか。不安を感じながらも、『これで世界が判る』と期待しています。

2013年2月23日土曜日

読んでしまいました 

 最初はそれはそれは大変で、何度も諦めて、何日も放り投げておいたのです。でも、何とか最初の導入の部分、周りの紹介等の部分を通り過ぎると、その後には、いよいよ主人公一人一人の気持ちの部分が入って来て、読んでいる方も気持ちが入れやすくなってきました。それでも、主人公が若い時には若いなりに、考えも浅くって面白くないのです。作者は人の成長に合わせて、考えも成長させるのです。それが半ばを過ぎる頃にやっと判ってきました。
  それと、物語を展開させる手法です。先ず、思わせぶりな言葉やそぶりを描写するのです。読んでいる方は『何の事だろう』とあれやこれやと自分でも考えてしまいます。それが、なかなか当たらないのです、だから意外な成り行きに、『なあるほど』と思わせられてしまうのです。
  最後のクライマックスは大活劇になって、胸のすくような思いもします。そして、主人公の報復、全く想像もできませんでした。『さすがピューリッツア賞受賞作だ』と思わせられてしまいます。
  ここまで来て、『ああ、ハウランド家の人びとのことか』と判ったのではないでしょうか。まさに、作者のシャーリー・アン・グロウはこんな書き方をしているのです。
  主人公の祖父はいつも『自分が本当にやりたいと思う事をやればいいんだよ』と主人公に言います。私もそう思います。私はそれしか出来ませんから。でも、最後に、それしか出来ないでそうする事がどんなに人に影響を与えてしまうかが判るのです。それでも、人間はやっぱりそれ以外では生きられないのです。
  後は、翻訳の事です。今回、翻訳者は猿谷要さんという有名な歴史学者でした。専門はアメリカ南部史です。それで、この白人と黒人の複雑にからみ合う物語の翻訳に抜擢されたのです。実は私、この先生の授業を受けた事があるんです。『アメリカ南部史』なんて興味がありますよね。でも、今では全く何を聞いたのか覚えていません。つまり、先生は学者さんだったのです。いろんな知識があって、この部分にはこれも付け加えなければならない、これも話しておかなければならないと思う事が多かったんだと思います。決して一つのストーリイとしての南部史にはならなかったような気がします。だから、私のような単純な頭には残らなかったのだと思います。
  その先生の真面目な学者らしさが、この小説の翻訳の最初の部分を見ると判ります。言葉一つ一つを正確に訳そうとしているのです。それがイメージとしてまとまらないのです。だから読み進むのにあんなに苦労したんじゃないかなと思いました。それが、最後の頃は大分いい加減に崩れて来て、『この言葉はどう繋がっているのよ』と思うような表現がありますが、それでも主人公の様子が見えるのです。
  私如きがこんな事を言うのはおこがましいのですが、私も時々訳をやってみて、『これだけ辞書通りにやっているのに日本語で通じないというのはどういう事よ』と腹を立てている、まさにそれと同じ事だと思ったのです。翻訳は、きっと、自分でイメージして、そのイメージを表現する日本語を使わなければいけないのでしょうね。まさにシェルダンの超訳です。
  そういうわけで、『読んでしまった』ので、これもちょっとだけ値下げしておきました。

2013年2月15日金曜日

十日が過ぎました 

 『レア本だ』とばかり、高い値段をつけてしまって、それを注文してくれてしまったお客様がいて、夜も眠れないほど頭を悩ませてしまった三件目が、何ごともなく終わりそうな気配です。
  振り込みはとうとう来ませんでした。来たらどうしようと暇があるとそればかり考えていたのです。
  一週間が経ち、普通はそれで、キャンセルになるらしいのですが、メールだけでも来るかもしれないと、後少し待っていました。でも、十日が過ぎて、やっと肩が軽くなった気がしました。
  顔を見る事のないやり取りで、もっと説明したいとか、言い訳したいとかいう思いもあるのですが、これが、対面の人間関係だったら、もっと気持ちが重く、後々まで尾を引いていただろうなと思います。どこの誰だか判らない、そういう関係で済ませられるのは、精神衛生上も、楽なほうです。
  『すぐに、値下げをしたら、悪いなあ』と思っていましたが、また新しい人がその値段を信じて来てしまってはまずいので、いろいろと理由を書いて、『値下げを断行しました』と書きました。
  やはり、お客さんが納得する値段にしておかなければならないのです。それでないと、お客さんに不服が出るのはもちろんですが、こちらも自責の念に苛まれるのです。今回のように、売れそうな本も、「ちょっと待って下さい」とぐずぐずして売り損なってしまうのです。チャンスは出会い頭にしかないのです。今度こそ、一呼吸で売れるように準備しておきましょう。
  そういうわけで、ついでにいくつかの値下げも『断行』しました。
  そうして、年明けから一層用心深く、本を探して、値段を決め、ショップにアップする作業を続けています。この作業はこの頃楽しみさえ感じるようになりました。いくら社会を避けている私でも、こうして値段を調べて、同じ本が売られていると思うと、うれしいのです。『こんな値段で売っていいんだ』とか、『こんな本はないだろう』と思っていた本があったりすると、何か、自分も社会に肯定されているような、参加しているような気持ちになるのです。それで、ますます、夫の本棚から持って来る数が多くなって、いよいよ50㎆を超しました。

2013年2月8日金曜日

値段が変わっていました

  オープンから半年になるのを機に、最初にいれたイナックスブックレットの値段の見直しをしました。驚きです。
  『リカちゃんハウスの博覧会』、最初見た時、二万円からで最大三万円で出ていたのです。『家にもあればいいのに』と思っていたら、きれいなのが出て来たので狂喜乱舞して、その中間をとって、二万二千円くらいで出してあったのです。
  今回見たら、何と五千円のが二個も出ていました。『どうしよう』と思いますよね。一度出した値段を変えるのはなかなか難しいのです。それでも、『本の状態を照らし合わせて、なるべく中間の値段をとる』というのが、新米古本屋の私の寄って立つべき位置でしたから、急いで二万円に下げました。こういう『お問い合わせが一度も無い』というのは、値段も動かし易い気がします。
  もう一つ『トーネットの椅子』という、椅子屋さんの本は、最初一冊も出ていなかったので、八千円くらいにして出してあったのです。今回見たら、二万七千円で出ていました。『本当に売れるのかな』と眉唾でしたが、これも二万円に直しました。『技術で成功した人の本は珍しく貴重なのかも知れない』と思えたのです。
  あとは、まだ新品があると書かれていた本類は原価に戻しました。もし売り切れたときのために、少し高めにしてあったのですが、また見直せばいいのです。
  もう一つ、見直しのきっかけになったのは、イナックスアルバムの新しい本を見つけたからでした。『日本建築のレトリック』というその本の市場価格を調べてみると、驚いたことに、二千八百円のと、十一万二千円のと、二冊出ていました。これも『どうしよう』と思いますよね。何でも中間主義ですから、五万円くらいで出しておきました。これも、やっぱり眠れなくなりました。眠れない頭で考えてみると、十一万と出した方は、桁数を間違えたんじゃないかと思いました。そこで叉むっくり起き上がって、二千八百円と一万一千円の中間あたり、七千円くらいにし、更にもう一度、本の状態を照らし合わせて、五千六百円に直しました。
  本当に値段を付けるのは難しい。『安く売っていただいてありがとう』と言われるのは却ってすっきりしていいことなのかもしれません。
  まあ、それも、100MBに達したら、また見直しをして考えましょう。

2013年2月1日金曜日

ついに誰も来なくなった 

 商品の数が増えるに従って、ショップを覗いてくれるお客さんの数は格段に多くなりました。それに反比例するように、ブログのページビューは減り続けました。
  全世界に向けて公開されている、グーグルのブロガーだからなのでしょうか。英語で説明されている為に、システムが判らない部分も確かにあるのです。説明では『誰か他の人のリーダーになって下さい』と再三言われます。でも、知らない人のブログを見るのは何となく憚られるのです。興味のある内容のブログはサーチで探しても読むのですから、私のもサーチに引っかかるだけでいいのです。
  全世界規模だから、サーチに引っかかりづらいのではないかと、日本の小さな会社のブログに変えようかとも思いました。ヤフーはテーマ別にコミュニティーを作って興味のある人が探しやすいようなシステムを作っていたような気がします。でも、そこでも、やっぱり日が経てば、ビューアーは少なくなって行ったような気がします。
  そこで、考え方を変えました。ブロガーは野放しである代わりに制約が少ないのです。日記代わりにしている人もいると聞いた事もありました。私もそうしようと思いました。『ショップオーナーの成長日記』です。
  それにショップにまだ半分しか商品が並んでいない今、本を探して来て、値段を調べ、スキャナーで撮って、ネットにアップするという作業をしながら、たまに来る注文に全身全霊で答え、孫のお守りもし、夫の病院にも付き添い、家族の健康を考え、家政もするとなったら、『ブログは日記程度の方が却って楽かもしれない』と考え直したのです。
  いつの日か、百歳になった『ショップオーナーの成長日記』を読みたいと言ってくれる人の為に書き続けようと思います。