2017年12月29日金曜日

『田部井純子 人生のしまい方』 

  という題名の番組を見ました。田部井さんと言えば女性でエベレストに初登頂した人として有名です。山なんかに全く興味のない私が何でこんなに気にしているかというと、あのとき、インタビュー記事を読んで、山に行くにはそれなりの準備を何年もして、お金を集めて、それから決行するのだということを知ったからです。人生ってそんなものだと教えられたのです。何かやろうと思ったら、計画をたてて準備をして決行。あのとき、私も初めて夢を実行に移すことが出来ました。それ以来、人生のお手本として、ずっと注目して来ました。
 エベレスト登頂は快挙でしたが、その後の人生は?とか、家庭は?とか、性格は?とか。最初から山には興味がなかったので、その他の山の偉業には目が行きませんでしたし、著作を読んだ訳でもありませんが、その名前が出るたびに、ちらちらと見ていました。
 ガンを発症して、治療を続けながら、東日本大震災後の東北の高校生達を元気づけようと毎年富士山に一緒に登っているという話は聞いていました。今回、映像で、その様子を見ることが出来ました。1000人の計画で、およそ半分まで達成し、亡くなったようです。
 その強さは、私には全くないもので、ただただ参りました。

2017年12月21日木曜日

欲張り

 刑事フォイルが何度も再放送されて、ポール・ミルナー役のアンソニー・ハウエルも大ブレイクしているようです。
 改めてフォイルの魅力って何だろうなと考えてしまいました。人として『頭がいい』という一言に尽きる気がしますが、必要なこと、必要でないことが整理できて、相手によって、きちんと使い分けられる。その冷静沈着さと切り替えの早さですよね、目につくのは。仕事のできる大人なんです。小人は、頭の中にあることをみんな一緒くたにして、言い訳と共に相手に押し付けてしまう。これでは仕事にならない。つまり集中力ということでしょうか。
 でも、普通の人は小人です。みんなあれもしたい、これもしたいと欲張りなんです。それらがみんな頭の中に渦巻いていて、何でもかんでもしゃべってしまうのです。決められないのです。
 亡くなった女優の大原麗子さんは、これも亡くなった俳優の渡瀬恒彦さんと結婚していた時期がありましたよね。その時、女優を辞めて家庭に入ってほしいと言われたのだそうです。でも、どうしても役者としての欲があって、離婚してしまった。歳が行って、病を得て、一人になった時、渡瀬さんに会いたいと無理を言って弟さんを困らせたそうです。
 結局、選んだ道で成功したのですから、間違いではなかったかもしれないのですが、愛も家庭も欲しかったのです。
 小人の私は家庭も子供も、仕事も夢も、みんなほしいと思っていて、何一つ満足にはできなかった気がします。
 このところ、一生の仕事とは、みんなどうやって見つけるのだろうと考えていましたら、屋根修理を頼んだ屋根屋さんが、「近所の屋根屋にアルバイトに行って、そこで見様見真似で覚えて、そのまま屋根屋になってしまった」と言っていました。『イタリアの小さな村』でも、腰痛持ちの大工さんが、やっぱり近所の大工さんを手伝っていてそれが仕事になったと言っていました。親の仕事を手伝っていて、そのまま後を継ぐケースもあるでしょうし、こういうインターンのようなことをしてから一生の仕事を得るという人の話をよく聞きます。私のように大学を出て、求人募集を見て、フロント係のような仕事について、結局何も身につかなかったのを顧みると、それが正当なのかなとこの頃思いました。
 まあ、これからでも遅くない、私には何ができるのだろう。

2017年12月15日金曜日

否定的に言う癖

 前に、『一言が抑えられるようになり』と書きました。抑えられなかった若いころは、押して知るべしです。
 私の対人恐怖症は、あの頃のpost-traumatic stress disorder ((略 PTSD))心理的外傷後ストレス障害の一種ではないかとこの頃思います。この言葉はもともとは軍人さんが戦場での経験が忘れられなくって起こる心理的障害のようです。それに比べたら、私のなんか耳垢にもなりませんが、それでも、歳を重ねるにつれ、埃のように心の中に積もってくるのです。
 最初はどんなところから始まったのかと考えました。子供のころです。テストの点数を考えるとき、できなかったと考えていれば、100点を取った時の喜びは大きくなり、悪い点を取った時の落ち込みは少なくなる。気の小さい私は落ち込みを少なくするためにいつも否定的に考えていたのです。テストって子供のころは日常茶飯事でしたから、沁みついてしまったのでしょうね。
 それがいいこともありました。子供たちの点数にも反映されて、一切文句は言いませんでした。でも、それが無関心となっていたことも否めません。夫に対してもです。
 つまりいつも自分に集中していて、誰かと気持ちを共有するということがなかったような気がします。自分の気持ちに反することがあると、パッと否定的な感情が出てきたように思います。だから、身近にいた家族や友人は被害を感じたことと思います。やがてその反応も感じで分かるようになり、怖くって、人にものを言えなくなり、対人恐怖症ぽくなったような気がします。
 それに気が付いて直すようになったのは、わずかながらも年金をもらうようになって、時間とお金にゆとりができてきてからです。
 広島カープを応援するようになり、若い選手たちを見ていると、みんな一様に「きっと出来る、やる」と言うのです。最初は『できなかった時の落ち込みが来るのではないか』と他人事ながら心配していたのです。でも、この頃は、ファンが、「元気を貰った」というのはこういうところなんじゃないかと思うようになりました。私も選手の皆さんに引きずられるように運動を続けられていますから。
 もう一つは日記のようなブログを書いているせいもあると思います。日記を書きなさいと子供のころに言われますが、生活の資を稼がなければならない忙しい毎日の中でいつの間にか忘れてしまうのです。それと同時に自分の心を見直すこともなくなり、自分流を押し通すようになってしまったのです。
 この歳になってやっと、少しずつ、否定的な一言が抑えられるようになり、人と話ができるようになりました。まだまだ自己中心的な癖は治りませんが、いつかは物事のいい面を見て、肯定的なことを言えるようになりたいと思います。例えば広島の緒方監督が、来年の開幕投手について、「全員に期待している」と言ったように、みんなに勇気を与えられるような。

2017年12月8日金曜日

私には何ができたのだろう。

 『山女日記』を一度だけ見ました。湊かなえさん作の漫画をドラマ化したもののようです。それは山岳ガイドになった女性が、山岳ツアーを引率して山に登り、その都度都度でドラマがあるという設定のようでした。
 「山の仲間は家族と同じ」というセリフにも感動しましたが、それよりも、気になったのは山岳ガイドという職業でした。いわゆる、好きなことを仕事にした女性の話ですよね。
 私、来年70歳になるのです。私、職業として、何にもなれなかった女性です。大学時代の友人には、職業を選んで全うした女性もたくさんいました。その引け目が同窓会に行けない、行かない理由かもしれません。
 今でも考えるのです。私には何ができたのだろうかと。
 山女は無理です。運動神経が悪かった。体形が肥満だったせいもあって、一度も山と言われる山に行ったことはありませんでした。
 専攻の英語、生半可で使い物にならなかった。突き進んで極めるよりは、できないことが恥ずかしくって、逃げました。
 文章、好きで、小説も何度か試みましたが、のめりこむ事はできませんでした。忙しさを理由にしましたね。
 スポーツ選手はあこがれますが、自分を鍛える根性はなかったと思います。体型を整えることさえできなかったのです。
 要は根性なしと甘えが肥満の私という人間のすべてだったような気がします。
 でも、未来も少なくなったこの歳になると切実に考えるのです。私には何ができたのだろうかと。この先何ができるのだろうかと。
 少なくとも、人にやさしくできるように心がけようと思います。ヨガやピラティス等を毎日続けるようになって一年、呼吸が深くなったせいなのか、怒りを覚えることが少なくなった気がします。
一言が抑えられるようになり、その分、人の心を穏やかに受け止めることができるようになった気がします。
 これを続けて行けば、私にもできることが見つかっていくような気がします。やっぱり、体と心は表裏一体で、両方が健全でなければいけなかったのですね。この歳になってわかりました。

2017年12月1日金曜日

私のあの帽子は


 急に寒くなった今年、急いで冬物を出したのですが、どうしても冬の帽子が出てきません。何度も同じ箱をひっくりかえしては「ない、ない」を繰り返していました。
 何度目かに洋服ダンスの中を探していた時、真黒な帽子が目に留まりました。それは何年も前、私がニットの生地で着やすいロングの喪服を作ったときに余り布で作ったものでした。その帽子はニット生地だったせいもあって、実によくフィットしました。
 『無いならこれでもいいか』と出してきて洗いましたが、黒は家族に評判が悪かったのです。そこで、これと同じようなものを作ればいいと考えて、暇な私はまたリフォームで忙しい日々を送ることを考え付いたのです。
 早速、前回の型紙を探しましたが、見当たりません。これもあちこち探した後に、諦めて、黒の帽子から測ったり写したりしながら型紙を作りました。布は? 小さくて着れない昔のスカートが何着かありました。と考えて、引っ張り出してきたのが4枚。それと二重になっている厚手のエリマキ、これで五個はできると裁断に取り掛かりました。
 帽子はカーブが多いので、縫うのは大変でした。ま、そこはいい頃加減の私ですから、適当に押っ付けました。
 接着心を入れたので、出来栄えはなかなかでしたが、アイロンづけのこの接着心の着きが悪いのです。これは失敗。洗濯ができない。でも考えると、夏の帽子なんかほとんど洗えませんから、一冬、二冬持てばいいかと考えました。余った布でリバーシブルのを一個作りましたから、全部で六つ。元となった黒い帽子も入れると七つ。並べてみると、実に壮観な眺めです。思わず写真を撮ってしまいました。
 それでも頭は一つしかないんですから、どうしようと考えてしまいました。よくよく考えて、色の違う三つくらいを出しておいて、あとはまた洋服ダンスの中に入れておこうと思いました。
 それにしても、私のあの冬の帽子、どこに行ったんでしょう。

2017年11月24日金曜日

歩く人、完  このところ、気にしているせいもあってか、例の歩く人を良く見かけます。  季節もよくなってきたせいか、相変わらず元気に歩いています。  そんな中、うれしい発見をしました。  その一、夏にはサンダルを履いていたのですが、今は靴を履いています。  その二、秋の雨の後には傘を持っていました。  その三、お店にも寄っているようです。目立つ格好ですが、不潔ではありません。きっと誰か、心を砕いていてくれる人がいるのでしょうね。なんとなく安心です。  それを見て、この頃は「ラッキー」、「彼女は今日も元気に歩いてる。私も頑張らなくっちゃ」と思えるようになりました。


2017年11月17日金曜日

詐欺じゃないの?

 ある日、突然に警察から電話がかかってきました。市内で、オレオレ詐欺の電話があちこちにかかってきているので、注意してくださいというものでした。
 『私は絶対に大丈夫』と思いながらも、丁寧にお礼を言いました。だって、幸いにもうちにはテーマになるような息子はいないのです。それに加えて、食料品が20パーセント値上がりしたといわれる昨今、家計を引き締め、工夫をしなければならない緊張感があるのです。だからオレオレ詐欺なんかに電話で付き合っている暇はないのです。
 と思っていた数日後、夫が丁寧に受け答えしている電話が気になって聞き耳を立てていましたら、うちの内情を次々にしゃべっているのです。いい加減この辺で切れるかなと思っていても一向に切れる様子もなく、ついには、家には家族三人が常時いるというところまで話し、これで切るかなと思いきや、まだ切れないので、しびれを切らし、私が「うちの内情を探らないでください」と言って切りました。これがオレオレ詐欺の下準備ですよね。夫一人なら簡単に騙されていたかもしれません。
 それともう一つ気になるのは、テレビコマーシャルの多さです。我が家のように老人が二人、日がなテレビの前で過ごしていると、好きなサスペンスを見ているのに、いつの間にかコマーシャルを見ているのです。これも無料で見られるためには仕方がないと、その時はトイレに立ったり、洗い物をしたり、運動をしたりとそれなりに対処しているのですが、それにしても多いです。
 分析してみると、主に、老人向けの足腰や目のサプリメントの宣伝と、主婦向けの美容、化粧品、まだ若い人には腹筋マシーンやらのトレーニング器具、さらには万人向けの便秘薬。
 かくゆう私も、目のサプリメントを買ってしまいました。私の場合は、気休めと思って飲んでいるので、さほど気にはなりませんが、いいと思って、あれもこれもと買ってしまう人がいたら、これって詐欺にはならないんでしょうか。ましてや、安全性なんて誰も保証していないサプリメントです。
 どこかで歯止めが欲しい気がします。
 実は、昔々、通信販売のサプリを買って、大失敗したことがあるので、あれは詐欺だったと、私はある程度は用心しているのです。みんなもそうしているのでしょうか。

2017年11月10日金曜日

トランプさんのこと

 トランプ大統領が夫人同伴で来日されまして、いろんなテレビ報道がありました。その前に来日されたイバンカ大統領補佐官とともにあまりに華やかすぎて、まぶしいせいか、あまり見ませんでした。
 この方、昔から有名だったのですよね。トランプタワーの主でしたし、一時、日本がバブルの時に、日本企業がトランプタワーを買ったというニュースもありました。そのころ、何度目かの離婚もして、きっとあの頃がどん底だったのでしょうね。
 そこから不死鳥のようによみがえったのです。大統領にまでなりましたから。
 並大抵の道のりではなかったと思います。我が家などほとんど利益の出なかった会社を来年たたもうとしているのですから。この苦労を、自分でしてみると、トランプさんの才能というか、しぶとさというか、貪欲さというか、もともと、商売人としての資質があったのだということはわかる気がします。
 トランプさんを支持して、好景気を甘受できた町の人々はもちろん、更に不景気になって職を失ってしまった白人労働者の多い町の人々もその支持を変えないので、支持率のパーセンテージは変わらないとという取材がありました。
 『確かにね』と思います。大統領就任式の聴衆の数の少なさが報道されましたが、支持を送った貧しい人々はワシントンにまではいけない人々なのです。就任式を見に行けるのは小金持ちだけです。
 そして、歴代の大統領が、自由や人権や民主主義という言葉を多用するのに対して、トランプさんは経済、雇用、環境より復活というような現実的な言葉を多用するのだそうです。どん底から這い上がって、現在を得た、その過程をアメリカという国でやろうとしているのだとみんな思うのでしょう。「これが成功するかどうかで、評価が分かれるだろう、ここ一、二年が勝負だ」と識者はコメントしていました。
 成功の陰には当然のように黒い噂も漂うよその国の大統領のことですから、私はコメントする立場にはないと思うのですが、七十を過ぎてのこのバイタリティはどこからでてくるのでしょう。まさに人生100年時代です。そのことだけは見習いたいと思います。
 そういえば、この頃、私のブログにあんなに来ていたロシアからのトラフィックが、ほとんど来なくなりました。やっぱりロシア疑惑はあったのですよね。コンピューター会社の人が証言していましたもの。

2017年11月3日金曜日

古すぎる毛糸

 こんな衣類の出し入れの季節は特にですが、私は材料を見つけるとすぐにリフォームをしています。衣類はほとんど買いませんので、もう趣味を通り越して生活の一部になっています。だから、ミシンはいつでも始動できる状態になっています。
 以前、フローリングのカーペットを木製床材に張り替えた話はしましたっけ。最初の三か所は夫と二人でして、あとの二か所は一人でしました。コツを覚えると一人でもできるのです。
 そんな私が二の足を踏むのが毛糸です。市販のニット製品はミシンでも直せるものがあるのですが、問題は、母が手編みで編んでくれたセーターやカーディガンの数々。
 手編みって難しいのです。最初に直したものは袖が長すぎたので、短くしたんですが、短くなりすぎました。そこはリフォーム屋の私のいい加減な性格がしっかりと現れてしまいますが、さすがにもう一度直す気にはなれずに短いまま着ています。及ばざるは過ぎたるより勝れりと言いますよね。。
 母は新しい毛糸をたくさん残して逝ってしまいました。手編みをしている上の娘がもらう予定ですが、なかなか持っていきません。管理も大変です。かといって、私は新しい毛糸で何かを編もうとは思いません。昔、リフォームばかりする私を見て母が言いました。「古いのを直したって、新しくはみえないよ、オーつまらない」と。洋裁和裁、正式に両方習った母と違って、私はまっとうに習ったわけでもなく、出来上がりがいつも希望通りにならないことを身に染みて知っていますから、ある程度形になっているものを直すほうが気が楽なのです。お金もかからないし。
 そんな私が、ここ一週間、手編みをしています。半分だけできました。手編みは時間がかかるので、せっかちな私はそれもあってできないのです。
 その毛糸は昔々、二十年も前に、娘がアメリカで古着のセーターを買って、持ち帰ってきたものです。デザインも平編みだけで、いかにも止め方も知らない素人が編んだと思える編みっぱなしのようなもので、色も茶色、素朴といえば素朴、汚いといえば汚いセーターでした。さすがに娘は着なくなって、私に回ってきたのですが、私には袖が長すぎたのです。それで、いつか編むときもあるかと思ってほどいたのです。その過程で、黄色い藁の穂くずのようなものがたくさん出てきました。きっとアメリカの農家の人の作業着になっていたのかなと思いました。洗うと、茶色が落ちて、ベージュになりました。泥染めか、汚れか。でも、この毛糸は縮まないのです。
 あれから十年、タンスの奥で眠っていたのです。で、いよいよ身の回りの整理を少しずつしていかなければならなくなって、引っ張り出してきて編み始めたのです。
 編み始めると、その毛糸にはごみがたくさん絡んでいることがわかりました。黒くなった穂くずのようなもの、黒い太い毛、白い太い毛、それらをみんな取ると、糸が細くなってしまいます。で、また想像しました。きっと、ネパールのような寒いところで、編み方もろくに知らない女性が、家族に着せるために必死で糸を縒って編んだんだろうと。毛糸も羊ではないかもしれない。犬の毛でセーターを編む人の話を聞いたことがあったので、犬かもしれない、まっすぐな太い毛が混じっているので、ヤギか他の動物もしれない。それを羊の毛と縒り合わせたのかもしれないと。そう考えると、ごみを拾いながらも編まないわけにはいかなくなったのです。私が上に着ればいいだけですから。
 下手な私が編んでいくと、いろいろな間違いをしでかします。目数が多すぎて広くなりすぎて、ほどいて編みなおしたり、途中で、目数が足りないと気付いて、一目増やしたら、下のほうで、一目つながるところのないループが浮いていて、慌てて、毛糸を少し切って縛ったり、元のような平編みではなく、縄のような模様を入れたら、厚手になりすぎたり、ごみを取りすぎて毛糸が細くなったり、その都度、解決策を考えたり、なんとか折り合いをつけて、想像したような形に向かって進んでいく、まさに人生のようなものですね。これが新しい毛糸だったら、間違った落ち込み方も激しくって、完成した時の喜びは半減されるのではないでしょうか。つまり、こんな古いひどい毛糸を、なんとか着られるものに作り上げたという達成の喜びのほうが大きいと思うのです。

2017年10月28日土曜日

お母さん

 この頃、『煽り運転』とか、『政治家の不穏当な行動』とか、『子供の自殺』とか、『暴力』とか、まるでサスペンスドラマのような事件が報道されるようになって、ニュースを見るのも嫌になり、チャンネルを回してしまいます。
 俳優の武田鉄矢さんが27日に放送されたフジテレビ系金曜プレミアム『坂上忍と大激論! ニッポンの危機 もう他人事ではない! あなたの生活を崩壊させる!? 教育危機』(後7:00)に出演されて、立派な講演をされていたのをちょっとだけ拝見させていただきました。夫の見ていたテレビに、足を止めさせられたといった感じです。
 武田さんは確か教育学を先行したのだと思いますが、まさに尾木ママのような講演でした。内容は、意訳ですが、『子供は教師の心を見て育つ』ということで、アル中の先生の話をして笑いを取りながらお話しされていました。多分、先生役をした経験から、他でもこういった講演を頼まれるのでしょうね。確か、武田さんが有名になってから、武田さんのお母さんも講演を頼まれてしていたと聞いたことがあります。
 で、私はというと、実はあの有名なドラマはほとんど見たことがないのです。私が知っているのはあの、最初に有名になった『母に捧げるバラード』です。何か私も笑いながらもたくさんのことを武田さんのお母さんに教えてもらったという感じでした。今回、ちょっと歌詞を調べてみましたが、最後のところに一番感動した詩がありました。
 『死ぬ気で働いてみろ、テツヤ。働いて、働いて、働きぬいて、遊びたいとか、休みたいとか、そんなこと、おまえ、いっぺんでも思うてみろ、そんなときゃ、テツヤ、死ね。それが、それが人間ぞ。それが男ぞ。お前も故郷を捨てて、花の都に行く限りは、輝く日本の星となって帰って来い。行って来い、どこへでも。』
 この歳になるとわかりますが、確かに『人のために働き続ける』、それが人間なんです。中島みゆきさんの『地上の星』を思い出しました。
 でも、ここには、『いつかはお前も世の中の傘になれよと教えてくれたあなたの真実』というニュアンスは含まれていません。これも感動したフレーズでした。あれは森進一さんの歌った川内康範さんの『おふくろさん』の詩でしたね。で、これも調べてみました。一部ですが、 
 『雨の降る日は傘になり、お前もいつかは世の中の傘になれよと教えてくれた、ーーーーー
 花の命は短いが花の心のいさぎよさ、強く生きよと教えてくれたーーーー 
 雪が降る日はぬくもりを、お前もいつかは世の中に愛をともせと教えてくれたーーーー』
 川内さんは確か小説も書いていたと記憶しています。みんなお母さんの教えの通りに生きてきたように思います。  
    先日、衆議院選挙の後に、お隣のおじさまとおしゃべりをしましたが、「世の中、みんな、自分中心になっている、政治家も経営者も」と嘆かれていました。特に鉄鋼や自動車の不正がニュースになっていたので、「自分は電力関係の仕事だったから、社会的責任というのを徹底して教えられた」と。 
 そこまで、大きなことは思いませんが、せめても、世の中の傘になれるように、愛を持って人に接していきたいと思わせてくれる、詩の数々でした。

2017年10月20日金曜日

この頃の私のダイエット

 やることがいっぱいあって、忙しいと書きましたが、生活に密着したものはやるしかないものですが、今、目玉としてやっているものは食事も運動も含めたダイエットです。健康、もう、これしかないという感じです。コマーシャルみたいですが。
 万年ダイエッターの私ですが、これでも毎日ダイエットのことを考えていろいろやっていると、自分に合う合わないがあるということがだいぶわかってきます。例えば、糖質制限は『元気がなくなるな』とか、昔みたいにカロリーを制限すれば痩せるけれども、どこかに足りない栄養が出てくる、あまりお金をかけたくないので、サプリは目にいいというやつしか飲みませんので、『これはもうできないかな』とか。
 それで、食事は食べ順ダイエットがいいかなとこの頃は少し気を使っています。もちろん、ドカ食いはなかなか治らないのですが、私が食べると、夫も食べてしまって、血糖値が上がってしまうので、これは責任問題でもあります。でも、おなかがすくのでよく食べているほうです。
 運動はやっています。最初は広島カープを応援しながらのゴロゴロ足上げ体操からスタートして、公民館の講座に参加、ウオーキングやヨガの基本を教わりました。だんだん講座に行く時間が無くなってきて、暇なときに自分たちでウオーキングに行くようになり、私はケーブルテレビのヨガ講座を見つけて、もっぱらケーブルテレビストレッチです。
 この頃は夫は自主的にウオーキングに一人で行くようになり、二人では歩きません。というのも、私は歩くと腰が痛くなるのです。身長に比べて私は体重が重いのです。だから、腰痛のためにも体重を減らしたいのですが、結構注意しているつもりなのに減らないのです。
 ケーブルテレビストレッチの前に講師の皆さんが「続けていると、体が変わってくるのがわかります。」とおっしゃるので、信じて、もう昨年の冬から真面目に一年です。体重も腰痛もほとんど変わりませんが、確かに筋肉は付きました。おなかも以前より硬くなりましたし、何より、動くのが楽です。これで、軽くなりさえすればです。
 私はもともと運動は苦手で、たった30分のケーブルテレビストレッチでも、怠けたくなります。最初は逃げてた時もありました。『これは無理だ』と自分で制限をつけてしまうこともありました。でも、この頃、無理と思ってもやってみるとできるのです。自分でもびっくりです。これって、筋肉がついたからですよね。
 でも、運動をすればするほど、おなかもすいて食べてしまうのです。それで、この頃は食べ順がやりやすいように、品数を増やしました。少しずつおなか一杯にするように一品の量は少なめ。
 それとオメガ3がいいというので、この間亜麻仁油を買ってきて時々かけています。油じゃなくっても青魚でもいいというので、鯖缶が安くなると大量に買いこんでいます。
 さてさて、ここから一年、着いた筋肉を逃さないように、おなか一杯食べて、オメガ3でメンテナンスしていこうと思いますが、体重は減ってくれるでしょうか。

2017年10月13日金曜日

忙しいとチャレンジを忘れてしまう

 貧乏暇なしといいますけれど、雑用に忙殺されていると、『あ、一日が終わってしまった、これとこれは明日だな。』という生活になってしまいます。特に忘れっぽくなってきたこの頃は、やるべき事を思いついたときにメモしておくようにしています。そうしないと必要な買い物さえ忘れてしまいます。
 こうして、二つある私の机の上にはメモ用紙がいっぱいです。家でやる仕事、一日30分三回の体操の時間割、家にある食材と照らし合わせた三食の献立、衣料品の整理や手直しの予定、買い物のリスト、出かける予定。果ては見たいテレビの放送時間まで。
 最初の頃はB6番のバインダーに同じサイズの不用紙を重ねて日めくりカレンダーよろしく毎日の予定表を作っていたのです。それが、いつの間にか持ち歩きする買い物リストが別になり、一日では終わらない衣料品の手直しも別になり、今は三種類。メインの毎日の予定もB6番では足りなくなりましたが、バインダーはA5番の用紙を受け入れてくれません。
 この忙しさは、でも生きている証拠ですよね。この間、娘の一家が泊りがけで来たときは、一週間前から布団を出して日に干し、三食分の料理の献立と買い物をし、掃除をし、帰った後はさすがに動く気がしませんでした。いまだに布団が半分出しっぱなしです。
 そのうえ、不出来だった庭のブドウがそれでも五分の一ほどはジャムにできそうで、半分ほど取りました。あとは伸びた柘植の木の年に一度の剪定。夏の間、大きく茂って日よけになり、さらには小さなトマトを食べさせてくくれたトマトの片付け、これらもリストに入れて、天気との兼ね合い、外出との兼ね合い、ごみの収集日との兼ね合いを頭に入れて、行動を起こさなくてはなりません。
 確かにみんな生きている証拠で、楽しくってやりがいはありますし、やらなければ生活できないのですが、この先、どうやって生きようかとか、本を読もうかとか、未来への展望を考える時間というか、ゆとりというかが全く持てないのです。
 という嘆き節ばかりでしたが、ちょっと欲張りすぎてもいるんですよね。メインになる目標を決めれば、その達成で、他の雑用は最小限でいい事になるのですが、そうはいかないのが、70年近く生きてきたものの宿命のようです。大事なことがいっぱいあるのです。母の作ってくれた着物も大事、なんとか活用しなければと思うし、私たち夫婦の健康も大事、運動しなければ、食事も大切にしなければ。年金生活のやりくりも大事、無駄を省いて、その中でも家族が楽しく過ごせるようにしなくっては。
 そう思うと、これを乗り切って、さらなる目標に挑むためには卓越した頭脳の躍動が必要です。そして、だから、年をとってからの十年は早いということでしょうか。

2017年10月6日金曜日

私が初めて着た着物

 最近着るもののリフォームをしていると話しましたが、その材料の中でも気にかかるのは、着物です。昔は嫁に来るときに着物専用のタンスが嫁入り道具の中にありました。いわゆる三点セットで、洋服ダンス、和ダンス、三面鏡です。我が家の娘の場合は経済的な理由から身一つで出しましたが、田舎で、そのころ経済的にお金の回っていた私の両親は見栄もあったのか、一通りの嫁入り道具をそろえてくれました。その和ダンスに中身がないというのは恥と考えてか、めいっぱい入れてくれました。姑もまたその時代の育ちで、裕福な家から来たために、お嫁さんの道具にうるさかったのです。
 そういうわけで、私の和ダンスには着物がいっぱい。着方もわからず、手入れの方法とて、うろ覚えなくせに、持ち腐れもいいとこです。ほとんどは仕立ててもらったのですが、中に一つ、高校生の頃に、母が太っていた私のために自分で仕立ててくれて,何回か着た着物と羽織のセットがありました。ウールの一重で、母の好きな紫地に絣の模様がはいっていました。色合いは柔らかなのですが、ウールですから結構ゴワゴワしています。ほかにもウールの着物は引き出し一つ分、袖も通さずにありますが、他のは目に入らず、直すのなら、これと決めていて、先日ついに引っ張り出してきて、まず弱い水流の『ドライ』で洗いました。今はウールでも洗濯機で洗えますから楽です。
 それから、まず羽織の紐をとり、体に合わせてみました。一重ですが、お尻のあたりが二重になっていて、肩には滑りのいい裏地がついています。これなら温かいかもしれないと思いました。襟は折り返しになっているのですが、立てると温かくてちょうどいい高さです。それで、襟を立てた状態にして、前を爪式のスナップで止めるようにしました。
 袖は切って筒袖にしましたが、そのままでもよかったかもしれません。
 着物のほうは襟の下で切って、じんべえさんのようにひもを付けました。昔、『標準服』とか『上っ張り』と呼んでいたものかもしれません。袖は筒袖にしました。前は二重になりますし、肩当もついているので、温かいとは思いましたが、『いしきあて』は外して、一応防寒のためにお尻のあたりに縫い付けました。
 さて、切った残りが難題です。なにせ、一重のウールで、ごわごわしていますから、用途も決められてしまいます。二重にして、ショールのようにするか、裏をつけてちゃんちゃんこのようにするか。で、その折衷案として、貫頭衣の前あきを考えました。裏には娘たちの昔のセーラー服のひだスカートをほどいて使いました。あれはウールです。と、いうわけで出来上がったのですが、前見頃と後見頃がばさばさしていて、動きずらい。で、脇の下のほうを五センチほど重ねて縫いました。これで、着やすくて動きやすくなったのですが、前が開いてしまって気になる。そこで、また、爪式のスナップを一個つけて、一件落着、これが一番重宝かもしれません。

2017年9月29日金曜日

体に合わせて

 金持ちのお医者の奥さんが、「新しい服を買っても、もう一度洋裁店に行って体に合わせてもらわなきゃ着れないのよね」と言っていたのを、この頃なるほどと思いました。
 彼女が言っていたのはデザイナーブランドの高級服のことでしたが、私が言っているのは、我が家の衣料品のことです。我が家のようにみんなが規格外れの肥満で短身だとどこかを直さなければどこかを引きずって着ていることになります。夫の場合は胴回りに合わせて服を買うと、必ず袖を短くしなければなりませんし、袖丈に合わせて買うと脇にマチを入れなければ着られません。下の娘は緩いのが好きで、大きいのを買うのですが、袖がきついの、前あきじゃないと苦しいのと文句を言ってすべてを直します。
 私の場合は母の遺品の服のことです。
 母と私は体重も身長もほとんど同じで、違うところは運動の得意だった母のお尻が張っていて、洋ナシ型だったことと、私は胸が大きくて、寸胴型だったことです。
 だから、洋裁の得意な母が作った服も、買った服もほとんど着られたのですが、やっぱり、違うんですね。母の服はワンピースが多かったのです。だから、胸のあたりは合うのですが、お尻のあたりがだぶだぶ。幸いにも、今の時代、ワンピースはあまり着ません。それで、ズボンに合うように丈を短くしました。
 母の服はたいていがしわにならない素材です。それって、あまり普段着にはなりません。忙しくてアイロンがけなどほとんどしなかった母には、それが必要不可欠だったのでしょう。歳をとってきて、ズボンをはくようになると、Tシャツの上に着る化繊の上着を山のように買いました。Tシャツは古くなって処分してしまうのですが、「化繊の上着はいつまでももつ」と言って、かえって嘆いていました。目移りして新しいものを買いたかったのでしょう。これは直さなくても着られて、たくさんありますが、普段にはほとんどきません。母も、病院に行くときにいるんだと言っていましたから、病院に行かない私にはほとんど必要がなくって、よほどの時しか着ません。
 コート類もいくつかあって、ダウンの大きなものは普段に愛用させてもらっています。あとは毛のコートがいくつかあるのですが、今は洗濯の面倒な毛のコートは、自分のものも含めてほとんど着ません。デザインも昔のもので、ボタンをつけ足したり、長いコートは上下に切って、厚手のチョッキとスカートにしたりしました。
 スカート類は、昔と違って、ほとんど着なくなりましたので、だいぶチョッキに直しました。母の生前からいらないスカートをチョッキに作りなおして母にもあげました。
 なかなか直せないのが、母が晩年編んでいたセーターです。私は面倒な編み物をしないので、ほどいて直す気にはなれないのです。昔は編み直しと言って、体が大きくなるたびに何度もほどいて、編みなおしてもらっていましたが、今はそんなことしないのですよね。それでも、ちょっと大きくなってしまったものを縫いつめたり、袖を外してチョッキにしたり、なんとか、私の代で、消費しようと頭を働かせています。下の娘は洗濯の面倒なものは着ないと宣言していますし、上の娘は自分の楽しみで手編みをしていますので、これもたくさん抱えているのです。
 捨ててしまえば簡単なことですが、貧乏を経験した、かつ、今も貧乏な人間は捨てられないのです。おかげで、着るものはほとんど買わなくて済みます。買うのは靴と靴下くらいですね。昨日も娘が呼ぶので行ってみると、衣装ケースの中にしまっておいたのを忘れていた母のセーターが出てきました。ちょっとおしゃれな既製品のセーターで、自分の編んだものばかり着ていた母が、買ったものはあまり着ないで大事にとっておいたもののようでした。早速洗って防虫剤のにおいを落とし、今年の冬に備えました。
 これだけたくさんあるのだから、さすがにくたびれた奴は捨てようと思いました。
 そうそう、かばんも捨てられないのに、ついつい新しい、使いやすそうなものを買ってしまうのですよね。そこで思い切って使いやすいように直して使うことにしました。私の場合は、肩から斜にかけられれば両手が使えて、それだけでいいのです。まず、夫のかばんについていたベルトを二、三本集めまして、それから、ハトメを買ってきて、かばんの両端に丈夫な金具のついた穴をあけて、そこにベルトの金具をひっかけました。いま、一つ目を使いつぶして、二つ目です。これで、なんとかかばんも消費できそうです。

2017年9月23日土曜日

夫の喜寿

 誕生日が近づくと、夫は昔からソワソワする人でした。私は歳を取るということがあまりうれしくはないので、そんな気持ちがわかりません。それで、昔、誕生日が来ると、夫はよく友人と飲み歩いていました。こんな夫婦がよくこんなに長い間一緒にいたなと我ながら思います。
 さすがに歳を取って、飲み歩く友人もいなくなった夫は、誕生日が近づいてきても家でおとなしくしていて、娘たちが日曜日にケーキを買ってきてくれるまで待っています。
 そんな夫が、ある日、赤いちゃんちゃんこを着た父の写真を見ながら、言いました。「お父さんのあの写真はいつのだっけ。」
 その写真は私が嫁に来てからとったもので、喜寿の時でした。普通は60歳でとる写真のようで、儀式にうるさい姑は、多分60歳の時もそれを着せて、息子たちを参集させ、盛大にやったに違いありません。そのころ舅はまだ元気だったはずです。舅はどちらかというと、私と同じで、形式的なことに無頓着な性格のようでしたから、その時の写真はみたことがありません。
 それで、病気になって体が不自由になってから、あの時は78歳ころだったと記憶していますが、赤いちゃんちゃんこを着せて梅の花の下で、写真を撮ったのです。遺影にするつもりだったのかもしれませんが、実際遺影に使ったのは若いころの写真で、大きく引き伸ばした赤いちゃんちゃんこの写真は、多分我が家に飾ってあるだけです。
 「喜寿っていくつ」、「77かな」。そんな会話の後、「俺も今度は77じゃないか」。私は思わず夫の顔と写真の義父の顔を見比べました。体が不自由だったこともあり、義父の顔はいかにも老人でしたが、夫はまだ大抵のことはできる糖尿病患者です。で、言い訳のように言いました。「パパのほうが若いよ」。
 私は全く気付いていませんでしたが、忙しい他の誰も気付いていませんでした。
 で、娘たちと相談して、日光の温泉に日帰りし、長女たちに夕ご飯を持たせて、一件落着としました。

2017年9月16日土曜日

今日もマジックⅠのまま


 毎日、野球放送と天気とにらめっこです。野球ブログを書いている方々の気持ちがよくわかります。

2017年9月10日日曜日

コンピューターの変な表示

 このところ、私のコンピューターがおかしくなっていたのです。立ち上げるたびに変な表示が出て、ちょうど北朝鮮のミサイルの打ち上げで、Jアラートが発令されたり、そのあと核実験が実行されたりして、ロシアからのトラフィックも多くなっていたので、これはもう寿命かなと考えました。
 もう一台のマックミニと同じものを買えば、使い方もわかっているから楽だろうと考えて、ショップで値段を見たりしていました。今はマックミニでも、低機能の五万円くらいのがあるようでした。これなら前のよりも安いし、私には十分じゃないか、印刷機はどうせ使えないのだから、それに合ったものを買ったとしても六万円くらいと半分覚悟を決めました。
 考えてみれば、このコンピューターは娘のお古で、ウインドウズ10を入れてくれ、その前のマックミニが壊れた時にくれたものでした。セキュリティなど、娘が面倒を見てくれていたので、一応娘に相談したところ、その立ち上がりの不具合を治す方法を教えてくれ、まあ、それで使えるならと使っていました。
 一週間くらいした娘の休みの日に、「今、解体しているから使えないよ」というのです。聞いてみると、「電池が古くなっているらしい」というのです。ツールを駆使して調べたらしいのです。そのあと、電池を買ってきてくれて、交換してくれて、また前のように起動するようになりました。前より快適です。
 ドライブなどは変わってしまったので、入れ込んで使いこなすまでに試行錯誤はいりましたが、それは何とか自分でやっています。
 印刷機はまた娘のお古を誕生日祝い代わりにもらい、これで完璧です。
 新しいものって、知識がないとお金ばかりかかりますね。昔読んだ、「ビジネスマンの父より・・・・」を書いたキングスリー・ウオードはビジネスを始める前に将来目的とする業種で働いてみることを勧めています。基礎を学び、経験を積むためです。
 もうすぐ六十九歳にならんとする身には、そんな時間はありませんが、できるだけ目配りをして、学びながら、行きたいと思います。

2017年9月5日火曜日

歩く人、続


 随分と馬鹿なことを書いたと反省しています。大きなお世話だったんです。
 あの後、夫と散歩していましたら、ちょうど歩いてきた彼女に会いました。声をかけようかと思いましたが、かけられませんでした。
 いつもは車からしか見たことがなかったのですが、すれ違ってみると、彼女はよろよろしている私たちよりもしっかりと歩いていました。帽子をかぶり、マスクをして、わからないようにしていますが、彼女は多分私たちよりも若いのではないかと思いました。で、声をかけられなかったのです。
 翌日も散歩がてら近くのスーパーに買い物に行きました。二つ三つ選んでレジに行こうとすると、そこに彼女がいたのです。
 なんとなくほっとしました。買い物ができるんだと思いました。経済的にはもちろんですが、買い物ができるほど精神的にしっかりしているんだということです。
 身なりは確かに違和感があります。かまわない人というより、ホームレスの人のそれです。でも、夏なのに臭ったりはしませんでした。しっかりとケアできているのだと思いました。そうであれば、きっと必要になれば自分で助けを求めることができるのではないかと思いました。正直、希望的観測ですが、自分が余計なことをせずに済んでほっとしたのです。
 明日は我が身という言葉がありますが、私が彼女の立場だったら、そんな目でじろじろ見られたら、ひどく傷つくだろうと思います。話しかけるにしても、「よく歩いていますね」と自然に接するのが、正解だと思います。
 この歳になると、友人は重荷に感じてしまうので、多分話しかけることはないと思いますが。でも、秋めいて涼しくなってきたことがこんなにうれしいとは思いませんでした。

2017年9月2日土曜日

味噌団子

 生来洋食好きの私は、みそ汁はほとんど飲みませんでした。
 子供の頃は、親はもちろん、毎食つくって食べさせようとしましたが、具だけを食べていたような気がします。
 大人になっても、家族に食べさせなければならないので、時々は作りました。けれども、嫌いな人が作るみそ汁はおいしくないのです。ついには、作らなくっても誰も文句を言わなくなりました。
 大人になった娘達は、インスタントのみそ汁を飲んだり、時々は自分で作って、持って来てくれたりしましたが、いらないと断りました。
 その私がです、今は自分で作ってみそ汁を飲んでいるのです。血圧を考慮して、二日に一回程度ですが。それはテレビで放送した味噌団子のアイディアのおかげなのです。どなたが発案したのかは忘れましたが、まるでインスタントみそ汁のように手軽でおいしいのです。
 このアイディア、私も拡散させたいと思います。
 まず、味噌は米味噌、豆味噌、麦味噌の三種を合わせるのだそうです。お店に行ったら、三種合わさった味噌が売られていました。
 次に具、インスタントのワカメや、お湯をかけるだけで食べられる具材が何種類かあります。私はワカメの他に家にあった大袋入りの削り節、すりごま一袋を混ぜ込み、直径二センチくらいの団子を作りました。テレビでは三センチと言っていましたが、それは具材の種類と量によって違うのだと思います。それを小分けにして冷凍し、何回かに分けて冷蔵庫に移して解凍し、一つずつポンとお椀に入れてお湯をかけるのです。
 他の具はアイディア次第、油揚げを切って冷凍しておくと、いつでも入れられます。庭にあるニラも切って冷凍しておくとお湯をかけるだけで食べられます。庭の三つ葉も冷凍しておくと、便利です。

 発案者はお肌がすべすべになったと言っていましたが、そこまで行かなくっても、食事の中に一品が増えます。私はそれで満足です。

2017年8月26日土曜日

歩く人

 お盆は終わりました。あまり宗教心のない私は、お盆もお祭りも見ないふりして暮らしています。もちろん、人とも関係なくて心安らかに過ごせます。
 それでも、こんなことを考えてしまうのは、お盆という季節のせいなのでしょうか。
 あの人を見ているのは、私だけではないと思うのです。その人は、この時期なのに、コートを着て歩いています。いくつかのビニール袋とバッグを持って、帽子もかぶって、マスクもして、少し長めのスカートをはいて。
 最初に見たのは街の中だったのですが、その後、冬の時期に、街から少し離れた住宅街のほうから、朝早い時間に歩いてくるところを見て、『寒いのに、どうして歩いているのだろう、家にいられないのかな』と思ったことを覚えています。身ぎれいにしているから、ホームレスだとは思わなかったのです。
 その時は冬だったので違和感はなかったのですが、今の時期になるとその恰好は目立ちます。どうも、朝、住宅街のほうから来て、街の中で、日中を過ごし、夕方、また住宅街のほうに帰って行くみたいです。何度か考えました。市役所に言ってみようか、とか、警察に相談してみようかとか。でも、同じ道を通っているのだから、認知症ではないみたいです。意思をもって歩いているように見えました。もしホームレスになってしまっていたら、私なら声をかけて欲しくないのではないかと思ったりしました。
 二、三日前に帰って行くところを見かけました。ずっと歩いているとすると、一日、10キロ位歩いているのでしょうか。夕方と言ってもまだ暑さも残る中、帰って行く姿はさすがに疲れているようで、立ち止まり、そして、誰かを待っているように振り向いていました。
 車でなかったら、誰かを載せていなかったら、さすがの私も、声をかけていたかもしれません。
 『行き倒れ』という言葉が浮かびました。昔、近所で行き倒れの人がいたみたいで、見に行った子供たちが、「俺にかまうな」と叫んでいたと言っていました。もう一つは、水上勉氏の『離れごぜおりん』の映画の最後、だれにも頼ることのできなくなっためくらのおりんが海辺の高台の松林で亡くなったことが暗に示される場面です。『赤い腰巻が木に引っかかっていた』という。私も、誰にも知られることなく死んでしまうのが理想ですが、人は構わずにはおれないんですよね。
 今、この辺りはお祭りで、にぎやかです。見かけているのが、私だけでなかったとしたら、お巡りさんもいるし、声をかけてくれたかもしれません。
 私も、今度見かけたら、時間を見つけて、車を止めて、声をかけてみようと思います。『何か、私にできることはありますか』、そんな言葉が適当でしょうか。『ない』と言われたら、それでいいのですが、日本は福祉の国で、セイフティネットはあるはずです。みんなそのために税金を払っているのですから。
 でも、やっぱり、私だったら、行き倒れになるまで、してほしくないおせっかいかもしれませんが、その時の状況によってはしてほしいかもしれません。

2017年8月18日金曜日

間違いの許される世界

 長嶋さんが、「野球は人生そのものです」と言われた話は有名ですが、私も野球が大好きで、ほとんど毎日見ています。 先夜はプロ初先発の二十歳の投手が四回八失点で降板しました。それこそ大恥をかいてしまったわけです。そこからどう立ち直るか、まさに人生と同じですね。
 人生でも、いろんな人が、いろんな間違いをします。どう立ち直ったらいいのでしょうねえ。
 私などは、間違いを犯すのが怖くって、行動を極力控えています。人と接しなければ、間違いの起こる確率は少ないのです。つまらない、味気ない生活になるでしょうが、疑心暗鬼や後悔の念に苛まれるよりましと思っているのです。
 でも、年金暮らしの年寄ならまだしも、若い人たちにそんなことはできないし、引きこもりになられても大変です。
 野球なら、努力して倍返しをすることによって、立ち直っていくのでしょうか。ぼろクソにたたかれた選手が、別人かと思えるほどに名手になっていることもあります。それでも負けた記憶は消えないので自らつぶれてしまうのでしょうか。水曜日の藤浪選手や木曜日の福井選手、私もそうですが、メンタルトレーニングって必要なのかもしれません。この歳になって考えます。
 どちらにしろ、現実の世界と違って、ハードでもゲームの世界はいいですね。夢も、失望も、成功も、人を傷つけることなく体験できます。
 現実の世界で、どちらかというと活動派の夫は、忘却の名人です。言質を取られるのが嫌だから、手紙は書かないと言っていました。まさに、『この世の中は恥だらけ』です。忘れることで、前に進めることもあるんでしょうね。でも、時々、唸っているのは思い出すからなんじゃないでしょうか。

2017年8月12日土曜日

記憶力

 やっぱり忘れるんですよね。人の名前なんか、出てこないのは日常茶飯事ですし、この間は「よる」という漢字を忘れてしまいました。まあ、漢字はコンピューターで書いているから、忘れやすいと自分を慰めているのですが、名前が出てこないのは困りものです。全く話が通じない。加えて、内弁慶であまりよその人と話す機会がないので、たまに会って、話すとなると、言葉がスムースに出てこないのです。
 夫が独り言を言っていて、大丈夫かなとか、家族で話していましたが、考えてみれば、独り言でも話していれば、イメージトレーニングで、いざとなったときに話しやすいのかもしれません。
 そんな時、HSAM(完全記憶脳)の人がいるというテレビ番組を見ました。世界に60人ほど発見されているのだそうですか。過去の何年何月何日、自分はどこにいて何をしていたか、日記を見るまでもなく答えられるのです。私など、悪い思い出だけ残っていて、いつもトラウマに苛まれているのとは違って、そんなに辛そうでもありませんでした。ネットで調べてみると、『世界で最も不幸な能力』とか書いてありましたけど。考えてみるとそうかもしれません。
 他にも、カメラアイとか、サヴァン症候群とか、不思議な記憶脳はあるらしいのです。ネットには『どうやって記憶するか』とか、『どんな栄養をとったら記憶力にいいか』とかいうコマーシャルがいっぱい出ていましたけれど、あるがままが一番いいと思ってしまいました。たとえ、時々物忘れに悩んだとしてもです。

2017年8月5日土曜日

この世の中は恥ばかり

 『恥を忍んで生きる』という言葉を昔から聞いていました。
 戦後生き残った兵隊さんたち、武士の世界、隠棲した随筆家たち。
 皆さん、私みたいに対人恐怖症ぽかったわけではないと思いますが、やっぱり人間って、その気があるんですよね。自意識というか、悪く言えば、自意識過剰。よく言えば内省的。
 そうすると、死ぬこともそんなに嫌じゃなくなってきます。それこそ『恥も外聞も』すべてが消え去ってくれると思うと、すっきりして落ち着くかなと思えてきます。これが救われるという感覚かもしれません。
 人間って、歳とってそんな気持ちになって、やがて死に対する恐怖も薄らいでいくのかなと、この歳になるとわかる感情かもしれません。

2017年7月29日土曜日

心に残るドキュメンタリー

 昔むかし、一度見たんです。その時は山の中の畑を借りて、自給自足の自然農業をしているお父さんと5人の子供の話でした。実はあまりよくは覚えていなかったんです。でも、最後のところ、十歳の双子の女の子たちに、「生きるとはこういうことだ」と鳥をつぶしてみんなで食べるということを教えるお父さんといやいやながらもなんとか実行する子供たちの姿は、衝撃的でよく覚えています。
 だって、肉好きの私は何の痛みもなしに、国産だアメリカ産だと選り好みをしながら、おいしい、いまいちだと批評も入れて食べているのです。農業関係の勉強をしていた知り合いの女性は、牛のトサツを見て以来、菜食をするようになったと言っていました。それほど過酷な体験を十歳のしかも娘たちに「これが生きるということだ」とお父さんは教えたのです。
 あれから何年たったでしょう。今回『その後』も含めた再放送を見つけて飛びついて見たのです。
 やっと事情が分かりました。一番上の息子が、今でいう化学物質過敏症だったのです。苦しむ長男を見ていられずに、お父さんとお母さんは田舎の畑を借りて無農薬の食べ物を作って食べさせようと思ったのです。それで、長男と次男を連れて、山の中に移り住んできたのです。そこで、長女と双子の二女、三女が生まれたんだと思います。けれども、双子が二、三歳の時に、お母さんは出て行ってしまいます。それで、お父さんと五人の子供の先に書いたような自給自足生活が始まったのです。
 子供達には成長に合わせた仕事が割り当てられていて、人手が足りないときは学校を休ませて農作業を手伝わさせます。今の社会では児童虐待と言われかねないような暮らしですが、そうしないと暮らしていけない。子供たちは割り当てられた仕事をきちんとこなして行ける、忍耐力も備わった立派なお子さんたちでした。お父さんの教育の賜物だったのでしょう。
 それから十何年かが過ぎ、子供たちは、近くに住むもの、遠くに住むもの、それぞれの道を探し当てて独立し、やがてお父さんは病に倒れます。子供たちが帰ってきて、交代で看病をしますが、最後にお父さんは、出て行ったお母さんに会いたいと言うのです。
 長男は、ひどく怒って、自分はお母さんに会うことを拒否します。複雑な思いだったようです。この壮絶とも見える暮らしを始めるきっかけを作ったのは自分だったし、一番上ですから、下の兄妹たちの面倒を見ながら、学校にも行かずに苦労したようです。
 あれ以来一度も会うことのなかったお母さんは来てくれました。
 なぜお父さんは、お母さんに会いたいと言ったのか、みんなの憶測が飛び交いました。私も考えました。お父さんはやり遂げたことを見てもらいたかったのでしょう。一番わかってくれるであろうお母さんに報告して死にたかったのでしょう。その気持ちを思うと、もう涙ボロボロでした。でも、「もう限界だったのよ」というお母さんの気持ちもよくわかりました。
 お父さんの死とともに、子供たちはそれぞれの道を歩みだし、ご長男は子供たちの教育のために、街に住み始めたと言っていました。

2017年7月22日土曜日

年上女房
 私の生まれた村で、むかしむかし聞いたような気がするんです。『一つ年上の女房は、金のわらじを履いて探せ』。
 他では聞いたことがないし、私も年頃には年上の男性しか意識していませんでした。子供のころに、そんな金言を聞いていたのになぜなんだろうと今になって思います。
 それというのも、オールド『カープ女子』の私は、時々、選手の皆さんの結婚のニュースを目にしたり耳にしたりしますが、年上女房が多いのです。梵選手や黒田選手もそうらしいですし、最近では薮田投手が一つ年上の大学の先輩と結婚、今年は大活躍です。他では、今江選手が家族でテレビに出ていましたが、年上の美人でした。一般にスポーツ選手には年上女房が多いようです。
 では、私の身の回りではと見まわしてみると、ほとんどが年下女房です。『なぜかな』ですよね。
 最初は、『源氏物語のせいかな』と思いました。あそこに光源氏が幼い紫の上を理想の女性に育て上げて、やがて妻にするという図式があって、みんなそれに影響されて、年下女房を選ぶのかしらと思ったわけです。
 でも、今、若い人たちが結婚しない、できない状況を見ると、経済的な要因も大いにあるなと思いました。私たち団塊の時代は、普通の男性が経済的な足場を固めるのにそれなりの時間がかかるわけです。ある程度固まると次々に結婚して、それが30代前半ころ、反対に女性は、高校大学を出て、一、二年後には適齢期、仕事は一生やるものと思っていた人はよほど自覚のあった人でした。それで結婚すると二十台前半。私などまるでその図式の中でした。今はこの図式が崩れてしまったと考えると、若い人たちは図式のない社会に放り出されているということでしょうか。
 で、また年上女房に話を戻しますと、スポーツ選手たちは、若いうちに足場ができるのです。だから、結婚相手を求めるのですが、彼ら自身が、スポーツという社会の中で戦ってきているので、世間知らずの紫の上では同士として物足りない、頼りにならない。ある程度、社会で戦ってきた女性と話が合うことではないでしょうか。
 今の時代、戦っている男性と、同じように戦って、世間を知った女性は年齢を重ねてから結婚する可能性も大いにあると思います。出生率の改善にはなりませんが、年齢に関係なく、個人の幸せにつながっていくのであればそれでいいのです。

2017年7月15日土曜日

悟りの境地

 同窓会の通知に、「歳を取ったら今だけを一生懸命生きたい」と生意気なことを書いて、参加を断ったのは、本音は対人恐怖症のせいで、今さら後悔を感じたくないと思う気持ちからなのですが、そのあと、また考えてしまうのですよね。
 『皆さんに悪いことをしてしまったかしら、皆さん、本当に私なんかに会いたいのかしら』
 気持ちって厄介なものですね。これって、忖度ですよね、今話題の。
 以前、経済活動を考えなければ、人間はおおらかに、皆さんに親切にして生きていけると書きましたが、これって、良寛さんの実践した悟りの境地に似ているのではないかと考えました。
 今だけでいいんです。周りはすべて家族と考えて、できることをし、将来の豊さなんか求めない。信頼があるから、達成感もあるだろうし、幸福感もあり、明日の不安もない。
 ただ凡人の私は、明日の不安を抱えて、節約しながら、もがいていますけれども。

2017年7月8日土曜日

英国ミステリー噂話 みんな亡くなってしまう

 日本でもそうですが、慣れ親しんだ俳優さんたちがやっぱり歳を重ねてしまうのですね。『永遠に』なんていかないのです。
 私が『主任警部モース』を見たころ、主演のジョン・ソーは亡くなっていました。その後、ミス・マープルの二代目?を演じたジュラルディン・マクイーワンの死が報じられ、最近は『主任警部モース』の作者のコリン・デクスター氏が亡くなったようです。よくカメオ出演していた、背の小さなおじさんです。
 やっぱり、歳を重ねるということを切実に感じられてしまいます。特に私のようなテレビミステリーおたくには。皆さん元気でいてほしいですね。『ジェシカおばさん』のアンジェラ・ランズベリーさんは百歳を超えて賞を取ったと聞きましたし、『フロスト警部』のデイヴィッド・ジェイソンは辞めてから、70歳を過ぎて軽飛行機の免許を取ったと聞きました。でも、フロスト警部の作者、R・D・ウイングフィールドはとっくに亡くなっているんですよね。
 この間、『ニュートリックス』の第10シリーズが放送されたのを見ましたが、優秀な退職刑事役の一人は代わっていて、もう一人の変人刑事役も代わりそうな気配のストーリーでした。主題歌を歌っているデニス・ウオーターマンもすっかり歳をとった感じです。刑事役って、走れなければ務まらないみたいなところがありますからね。でも寂しいですね。せっかく役者さんも慣れて円熟してきたのに。
 あとは第二シリーズまでしか見ていない私は、楽しみに間のシリーズが放送されるのを待つとしましょう。
 昔、姑が言っていましたが、「長生きすると、知り合いがみんないなくなってしまって寂しい」と。でも、幸い人見知りの私は、テレビがお友達ですから、再放送されている限り、いつまでも身近にいてくれている気がして、そういうところは幸せなのかもしれません。

2017年7月2日日曜日

一歩一歩、六年目へ

 『目標を定めるときは、遠い目標と近い目標を決めておくといい』昔昔、若かった頃、夫が言った言葉です。
 夫は、『豚もおだてりゃ木に登る』タイプの人で、用心深い私の苦言は絶対に聞かない。失敗の繰り返しで、それこそ何度も別れたいと思いながら、しがらみもいっぱいあって、確執を繰り返しながらも、今日に至ったのですが、まさに夫の言葉通り、『結婚は、努力と我慢』でした。
 でも、年も離れていたせいか、時々、適切なアドバイスもくれたのです。冒頭の一句がそれですし、今思い出せるものでは、『事故を起こしたときは、その後どう対処するかが大事』というもので、まさに、四月十日の車の事故の時にも頭に浮かびました。
 でも、自分の失敗の時はそうはいかなくって、パニック状態で、ほとんど私が尻拭いをしたのです。今思えば、夫婦は助け合って当然なのですが、病気も含めて、本当に頼りにならない夫だと思いました。
 年金生活になれて、今は落ち着いて、お互い自分の好きなことをしていますが、そうすると先の言葉を思い出したのです。
 大きな目標、『車を買う』は事故のおかげで一年前倒しで実現しました。来年四月は『会社の閉鎖』です。それから、『中古住宅を買う』は、その後の景気変動を睨みながら、最も適切な中古住宅を見つけようと思います。2019年には空き家問題が深刻になるとテレビで言っていましたから。
 眼前の小さな目標は、売り上げの落ちたネットショップの整備です。もう五年経ちましたので、価格をもう一度見直して、新しい商品もアップしようと思います。家にはまだまだ、終活をしなければならないものが山ほどあるのです。メルカリはやめて、慣れている自分のショップに並べようと思います。
 価格見直しをしてみましたが、五年間で随分と上がったり下がったりしていました。

2017年6月24日土曜日

英国ミステリー噂話 なぜ外国ミステリーが面白いのか。

 英国だけではなくって、この、アメリカの東海岸の話ですが、「警察署長 ジェシー・ストーン」も気に入って見ています。
 彼はいろんな問題を抱えています。まず、もともとはロスアンゼルスで、刑事をしていたのですが、アルコール依存で首になり、妻とも離婚して、東海岸の小さな町、パラダイスに警察署長として雇われたのです。町名がいいですよね。
 元プロ野球選手、怪我をして、それから刑事になり、飲酒、離婚、精神科医にかかっています。元妻をいまだに愛していると言いながら、相手の女性は次々に変わります。それでいて、人にも犬にもやさしく、悪には激烈に立ち向かい、壊滅させてしまうのです。一人でいるときは古い戦争映画などを見ている、それがジェシー・ストーンです。
 彼自身は極めてアメリカ的なのですが、東海岸の小さな町、パラダイスは、海に面していて、自然が多く、ジェシカおばさんの設定と同じような、それよりもっと浮世離れしていて、ジェシーの借りた家は携帯電話の圏外、四方を海に囲まれている島のような土地で、車は入らず、桟橋を歩いて家に入るのです。そしてたいていいつも雨が降っている。
 これ、主演のトム・セレックが製作総指揮もして、主演しているらしく、確かにストーリー展開は粗削りで追いかけるのが大変な時もありますが、彼にぴったりの設定という感じがします。まず、体が大きくって、確かに野球選手のような体型です。そして精神は勝負師のようです。
 と、このところ、気に入ってしまって、放送記念の原作本プレゼントにも応募してしまいました。
 そこで、はたと、「なぜ、日本のミステリーではなく、外国のミステリーなんだろう」と思いました。「日本のミステリーは犯人が役者さんでわかってしまうこともあるだろうな」と思われます。外国のミステリーは知らない役者さんが多いので、わかりずらいのです。特にこの「警察署長 ジェシー・ストーン」に出てくるローズ役の女優さんはほとんどノーメイクで、英国ミステリーに出てくる役者さんに似ています。

2017年6月17日土曜日

老いの時間

 この頃、夫が独り言を言うようになってしまって、ドキッとしてなるべく話しかけるようにしています。老いなんでしょうけれども、ドキですよね。
 この頃、夫はほとんど毎日テレビを見ていて、国内情勢や国際情勢にまさに翻弄されているようです。それがこの上なく面白いらしいのです。それを会う人みんなに話すので、人によっては辟易してしまいます。辟易しているのは毎日聞かされる私だけではないと思います。
 特に私は、もう残り少ない時間を好きな英国ミステリーと広島カープの応援、中古住宅ウオッチング、体操をしながら、仕事としてネットの本屋さん、野菜栽培、ブログ等をしながら、洋服の出し入れやリフォーム、料理掃除などの家事をこなして、更に、小さな家計を破たんさせないように管理して行かなければならない。女性は現場に密着しているのです。阿部さんのスキャンダルや米朝の綱引きなどにかかずらわってはいられないのです。
 でも、なんとなくわかるところもあるのです。ある時、ふっと英国ミステリーもない、野球もない、お客さんも来ない、庭仕事もない、何かやることを探さなければ何もないというとき、あと何年こうして生きていくのかなとか、何をしたらいいのかとか、やりかけで残して行っては悪いからとか、いつ訪れるともわからない死を思い、そして体の不安なども思い描かれてしまうと、老人って、少し鬱っぽくなるのですよね。
 人間って、きっといくつになっても夢中になるものがほしいのです。何かに夢中になっているときは心が埋まっているのです。不安の入り込む余地がなくなるのです。
 そうは思うのですが、あまりに独りよがりの話だと、反発したくなって、けんかしてしまうのも事実です。何か、もっと違う興味に誘導できればいいのですが。
 (これ、あとで血圧を測ってみて、ちょっと高いことに気が付きました。私も高かったのです。けんかをしたからではなく、高いからけんかをしたようです。精神状態がおかしいと思ったら、きっと体調も悪いのです。わが家は長野県に習って、減塩します。塩分半分。

2017年6月11日日曜日

中古住宅の値段

 私は経済には疎いし、計算も苦手で、最初からあきらめている感じがしますが、この年になるまで、世の中の動きを、(見るともなしにですが)見ていると、さすがに、(わかるということではないにしても)、感じることはあります。
 例えば、一番身近なことでは、ガソリンとトイレットペーパーの値段。円高になると下がるのです。逆に輸出にいいと大企業が喜ぶ円安になると、値段は上がります。そして企業がもうかれば、景気が良くなり、給料が上がるとみんな喜ぶのですが、物価も上がるのです。目減りし続ける年金生活者になって初めて知りました。こんなことが考えられるのも、必死に働く必要のない心のゆとりのせいだと感謝してはいますが。
 そこに来て、この間、日銀が紙幣を大量に発行しているということを知りました。デフレ(物価安)解消のためだそうです。つまり、インフレ状態にしているわけです。だから、お金はあっても、モノが高くなっていて買えないのです。お金の価値が下がっているのです。
 これって、一昔前のバブルの時と同じです。あの時、日本企業はトランプタワーを買ったのではなかったでしょうか。つまり、日本で不動産を買うより、外国で買った方が安かったのです。お金がだぶついていたのです。今の中国もそうですね。日本の不動産を買った方が安いと報道されていました。
 これって、中古住宅のウオッチングを続けている私の感じるところです。一時期、あれはデフレの時だったでしょうか、よさそうな中古住宅が結構出ていたのです。今はほとんど出ていません。たまに『これなら』と思うものは、10年特例という文字が付いています。ちょっとよさそうだと思う物はたぶん、不動産屋さんが先に買ってしまうのです。それで、少し直したり、時期を見計らって、高値を付けて売るのです。でも、これってバブルの崩壊の時が来ると、不動産屋さんの倒産になるんですよね。
 まあ、今のところわが家で中古住宅を買える見込みはありませんが、何かを欲しいと思って、ウオッチングを続けていると、それなりに、何かを感じ取れるような気がします。私の場合はたまたま中古住宅でしたが。

2017年6月3日土曜日

長寿の県は沖縄だったんですよね

 私が見たのは昔の番組の再放送だったのかもしれません。今は、減塩運動を徹底させた長野県が男女とも全国一だそうです。
 その番組では沖縄のある家庭の食生活が紹介されていました。
 『胃が丈夫で便通がいい』、これに尽きるようです。
 両県とも、多様な食生活という面では優れているようですが、今回、沖縄県の家庭の食事を見ていると、朝晩はその地方独特の野菜とか豆腐、豚肉、海藻と多彩なラインナップでした。でもお昼は、その家の九十歳のおばあちゃんも含めてみんなで、近くのファーストフード店に行くのだそうです。
 確かにあのラインナップを三食作るのは主婦にとっては大変です。特に、今は主婦だけをしている主婦なんていないですからね。みんな少しでも自分の才能を伸ばしたいと思って生きているのです。
 で、欧米型の食生活と書いてありましたが、そのせいもあって、最近では男性は全国三十位まで落ちたそうです。
 わが家も、この例です。私は、料理苦手で、和食はあまり好きではありません。年を取って時間ができた今でもファーストフードに頼りたいし、時々頼っています。そうすると夫も私も肥満になり、便秘がちになり、いくら今になって野菜や魚をたくさん食べても、なかなか治りません。
 まあ、今となっては、努力して少しずつ改善していくしかありませんが、食育は大事ですね。

2017年5月27日土曜日

会社を閉める

 今年は物入りの年のようです。
 年々夏が暑くなるので、大昔の塩ビの波板の差し掛けを、太陽光を少し防ぐ機能のあると人気のポリカーボネイトの波板に変えようと、今年の計画に入れていました。金利が安くて家がぼんぼん建ち、忙しそうに仕事をしている屋根屋さんに手が空いたらと頼んでおいたのです。
 そうこうしている間に、車をぶっつけてしまい、けがはなかったのですが、相手方を含めてみんなに迷惑をかけ、車も壊してしまいました。で、車を買い替えたのです。新しい小さい車は快適ですが、大きな出費でした。
 そうして今年は夫の会社の仕事がいよいよ無くなったのです。今までは、均等割りの税金分にしかならなかったのですが、継続の仕事があって、残余資産も残っていたので、そのまま続けてきたのですが、いよいよ閉めようかということになり、法務局に相談に行き、税務署に相談に行き、そうしたら、これがまあ、お金がかかるのです。赤字の会社なのに「どこからとる気よ」と聞きたくなります。
 税務署に行ったときは、知識もないせいで、今まで赤字で私たちが補填していたお金を放棄すると会社の収入になり、多額の税金がかかってくるのだと言われて、「すわ、破産」という言葉が頭をよぎりました。
 で、家に帰って必死にネットで調べました。破産を申請すると、裁判所に70万円、弁護士さんに50万円を最低でも支払わないといけないのだそうです。計120万円、「どこからだすのよ」ですよね。「これなら、税金で払ったほうが、世の中の役に立つかな」と思えてきました。
 で、少し落ち着いて、税務署でもらってきた書類を見たら、全く分からない。それで、税理士さんに頼もうと決心しました。会社ってすぐ立ち上げられるのに、経理はこんなに難しく、規則はころころ変わり、新しい器械と同じで常に挑戦し続けなければ、置いていかれてしまうのです。得意でないことはするべきじゃありませんね。
 いよいよ屋根屋さんが来てくれて、見積もりも出してもらい、仕事も始まりましたが、これは予想よりずっと安くできそうです。
 「案ずるより産むは安し」かもしれません。事故処理は保険屋さんに任せて、少しは穏やかな気持ちでいられますし、車はわが家にしては大きな出費でしたが、軽なので、今までよりも経費が掛かりませんし、登録済未使用車だったので、新しく、軽快です。
 屋根も、おかげさまで、涼しげに、新しくなりました。
 きっと会社の閉鎖も、ある程度の出費でうまくいくかもしれません。とにかく、やらなければ前に進まないし、終わりません。

2017年5月20日土曜日

高樹沙耶さんの自然主義

 高樹沙耶さんの刑が確定したみたいでしたが、実は私は彼女の生き方、それなりに関心を持ってちら見ていたのです。
 女優さんを辞めて、ハワイにわたり、素潜りの記録を出したことなどあたりまでは、あまり関心がありませんでしたが、そのあと女優さんに復帰して、『相棒』に、右京さんの肝の据わった元妻役で出ていまして、それが10年くらいで出なくなって、その後、伊豆のあたりで、自然農法みたいな生活をしていると紹介されました。それから南の島に行ったのですね。
 デーブ・スペクターさんが言っていましたが、外国には医療大麻が合法のところもあるのだそうで、日本に住むべきではなかったと私も思いました。自然主義を貫いて行ったら、やっぱり、自然のもので健康を保とうと思うのは、自然な考えだと思います。私は経験がありますが、収入が無くって医療費が払えなかったら、尚更そうです。
 十年くらいずつ生き方を変えていて、自分の赴く方にしか向けない、そういう人間もいるんですよね。じっくり何かに取り組むということが苦手な私にはわかるところもあるような気がします。ただ、私はそれを実行するには、度胸もなく、用心深くなってしまうのです。

2017年5月13日土曜日

やっぱりメルカリ?

 このところ、ネットショップにお客さんがすっかり来なくなってしまったという話は前にもしましたが、これ、うちだけじゃないと思います。
 ネットのマーケット側も努力してくれているみたいですし、うちみたいな終活ならまだしも、ある程度収入を見込んでいるところは大変なはずです。
 これってやっぱりメルカリの影響ですよね。メルカリの快進撃で、店舗型のリユース店が大崩れしているというニュースも出ていました。だって悪いニュースも出るくらい大盛況なんですから。
 そうなんです。私もメルカリの立ち上げの話を最初に聞いた時、いい企画だと思いました。みんなの役に立つ。仕事とはみんなの役に立って何ぼだということをこの歳になって気づいた私ですけれども、一度気づくと、成功の気配というのを感じることができます。
 でも、私はスマホも持っていませんし、新しいことに挑戦することに面倒さを感じていまして、自分ではやろうとは思いませんでした。
 でも、この頃、感じたんです。仕事とは新しいことに挑戦しないとできないんだなということも。私は四十になってから事務職を始めました。職場には機械もたくさんあり、一つ一つ若い先輩に教わりながら覚えていきました。年を経るごとに、機械は次々に新しくなり、際限なく覚えていかなければならないことに嫌気がさしたことを思い出しました。お茶くみだけでは収まらなかったのです。
 それは今も同じです。世の中、新しい機械、新しい事業形態がどんどん出てくるということです。挑戦しないとおいて行かれてしまうのです。
 五年前に、ガイドブックを見ながら、古本のネットショップを始めた時も大変な挑戦でした。一年ぐらいして無料の枠をはみ出してしまい、支店を開いた時も、新しいマーケットなので挑戦でした。
 で、メルカリにもPC版ができたと聞いたし、まだ終活しなければならない、今度は本ではなく物がありますので、挑戦してみようかなと思っていた矢先に、いろいろな悪いニュースが飛び交いました。それに続けてアマゾンもです。
 ネットショップは私も買って失敗したこともありますので、気おくれはしますが、いつか、もう少し時間のゆとりができたら挑戦してみようかなと思います。

2017年5月5日金曜日

英国ミステリー噂話、ニュー•トリックスのデニス•ウオーターマン

 1948年生まれの69歳,英国の俳優兼歌手。代表作はスィーニーとか,マインダーとか,ニュー•トリックス。
 このスィーニーは警察もので、モース警部のジョン•ソーと組んでタフガイを演じていたようです。スピンオフの映画もあるそうです。50年以上も子役から,俳優、歌手、ナレーション・アーティストとして活躍した有名な人だったようです。
 面白いのは,三人の女性と10年ずつくらい次々に結婚して離婚。今は四人目の奥さんのようです。まさにニュー•トリックスで演じている不良刑事のようです。
 ウオーターマンは、ロンドンのクラパムで、ローズ・ジュリアナ(旧姓はソーンダース)とハリー・フランク・ウォーターマンの9人の子供たちの末っ子として生まれました。父はアマチュアのボクサーで子供達にボクシングを習わせ,兄はウエルター級のチャンピオンになったようです。
 彼は子役としてスタートして、いろいろな役に挑戦し,1970年代にはマインダーで主演するだけでなく,その主題歌,(I could be so good for you)を歌って,有名になりました。これもYouTubeで見ましたが,それほど面白くはありませんでした。その後アルバムも出したようです。
 そうして,活躍を続けて,四回も結婚し,二番目の奥さんとの間の娘,ハンナは女優になり,ニュー•トリックスで,ウオーターマンの娘役で出演したそうです。シングルマザーで子供を産む役で,美人でした。
 三番目の奥さんとは家庭内バイオレンスの問題を起こししたようです。そのせいか,四度目の結婚は、その後、十年以上を経てから,2011年でした。彼は艶福家で,ニュー•トリックスの上司役の女性とも噂があったようです。劇中でも、そんな会話が出てきて、笑わせます。ニュー•トリックスの主題歌は、(It's all right. It's ok. Doesn't matter—)という「大丈夫,気にしない、問題ない」という歌詞で,全部は覚えていませんが,まさに,彼の人生に重なるような、聞いてるだけで元気を貰えるような曲です。この曲を聞いてシリーズを見るようになったという人は私だけではなさそうです。
 そういえば,『すばらしい人生の始め方』という映画を見ましたが,このテーマでモーガン•フリーマンが二つくらい、マイケル•ダグラスが一つくらい主演しているのを見ました。
 歳をとってくると、こういう応援歌のような作品に心が癒されるというのは事実のような気がします。

2017年4月29日土曜日

英国ミステリー噂話、ニュートリックス

 この頃,英国ミステリーが少ないという話をしましたが,番組表をちらちら見ていましたら、これが出ていました。早速予定表に書き込んで,何回か見てみたのですが,いつも,最初の十分くらいで乗り切れなくて止めてしまっていました。
 ある時,忘れていて,テレビをつけたら,最後の十分くらいの所でした。そのままつけて、用事をしていたら,最後にテーマ音楽が流れたのです。思わずテレビに釘付けになってしまいました。番組もこのテーマ音楽が魅力的なのをわかっているらしく歌詞の翻訳までしていました。
 それ以来,何回か見て,この音楽をYouTubeで確保し,歌っているのは出演している俳優のデニス•ウオーターマンという人だと突き止めました。
 それで,ウキペディで調べてみたのです。日本語のもありましたが,ほんの少ししか書いてありません。英語の方もそんなに多くはないのですが,より詳しく書いてありました。今は,自動翻訳で日本語に訳してくれるのですね。それによりますと,彼は私と同じ歳でした。
 私が何回もかけ直して聞いていると,通りかかった娘が『お母さんはカントリー調が好きなのね』と言いました。私は演歌以外は歌わないので,自分がそんなものを好きとは思わなかったのですが,『確かに』です。私達はビートルズ世代だったのですが,私はビートルズもそんなに好きではありませんでした。でも,思い出してみると,ビートルズもカントリー調だったかもしれません。これはロック調でもあります。
 で,それ以来,少し辛抱してニュートリックスのストーリーに追いすがって行きまして,最後のこの歌を楽しんでいます。
 ニュートリックスの検索をしてみますと,私が見ているのは昔々の作品で,その昔,チャンネル銀河が英国ミステリーを流していた頃に、放送されていたようです。いまはシーズン十一くらいが出来ていて,十二がファイナルだそうです。
 どういうストーリーかというと,退職した優秀な刑事達が,未解決事件の再捜査のために集められて,それぞれの個性を生かしながら,難事件を解決して行くという感じでした。未解決事件ですから,見ている方にも難解な上に一時間ものなのでストーリー展開が速いんです。俳優さん達も皆ロートルなので,途中で新しい退職刑事たちに交代して新シーズンは二代目、三代目らしいです。
 そういうわけで、次回は主題歌を歌っているデニス•ウオーターマンにフォーカスしてみたいと思います。

2017年4月21日金曜日

柔軟剤

 この間、ヤフーニュースを見ていたら、『お願いですから、柔軟剤を使わないでください』という、化学物質過敏症の方の訴えが載っていました。『あの匂いを嗅ぐと、頭ががんがん痛くなるんです』という訴えだったと思います。
 そういえばと、思い出しました。母が施設に行っていた時、訪ねると、ものすごい匂いがしていたのです。洗濯物の匂いでした。決して悪い匂いではないのに、圧倒的な匂いだと不自然で落ち着かないのです。弟たちもそう思ったのでしょう。程なくして在宅介護に切り替えてくれました。
 柔軟剤って、昔は私も使っていました。今は自然派の洗剤を使っていますが、若いころは落ちのいい合成洗剤を使っていて、仕事をしていて暖房の効いたところにいるとパチパチ、パチパチと静電気がなるのです。ビビッと来るだけではなく、時には火花が散ることもあります。だからどうしても柔軟剤は必要だったのです。今、全く必要としていないのは、自然派の洗剤にしているせいでしょうか。
 その話を娘にしましたら、今の柔軟剤は昔の柔軟剤と違うのだということでした。もっと多くの薬剤が加えられているのだそうです。さもありなんです。私が使っていたのは三〇年も前のことですから。あれからだと、老人介護施設向けに抗菌剤なんかも入れられたかもしれません。
 それで思い出しましたが、昔の蚊取り線香と今の蚊取り線香は全くと言っていいほど違うのですよね。今は殺虫効果を強くするために薬剤も加えられているのではないでしょうか。まだ液体の電気蚊取りのほうが、匂いがしない分穏やかなような気がします。
 と,テレビを見ていましたら,アリエールのコマーシャルをしていました。『すべての菌に対応している』のだそうです。昔,洗剤で手に湿疹ができたことを思い出しました。私も過敏症なのでしょうか。

2017年4月16日日曜日

貯筋運動

 『私達にはまだ変われるチャンスがあります』と、ヨガの番組では励ましてもらっていますが、なかなか変わらないのが現実です。
 ヨガもストレッチもしているんですよ。でも変わったのはほんの少しだけ。筋肉がついて動きやすくなったかな、おなかのあたりが固くなってへこんだ感じがするというくらいで、体重も、ウエスト回りもほとんど変わらないのです。つまり、おなかが少しへこんだくらいではウエスト周りは変わらないのです。
 と、ここで投げてしまいたくなるのですよね。
 でも、と振り返ってみますと、ヨガとストレッチを毎日し出したのはこの一年ほどです。昨年の冬の間はテレビのヨガ講座はありませんでした。寒いと体も硬くなり、血圧も高くなり、怪我につながるのでしょう。で、今年の冬、というか、昨年の十一月ごろにはあきらめていたのですが、終わることなく、今年の三月を迎えてもまだやっていますから、あれよあれよという間に一年通して、よほどのことがない限り毎日ヨガをすることになってしまいました。
 しかもそれまでは、毎日あっても、きっと体が追い付かなかったのでしょうね、気持ちも後ろ向きになって、一日置き、週に二、三回でいいやと自分を甘やかしていました。今は毎日できているんです。これ、大変な進歩です。
 ストレッチは、主に、野球を見ながらやっていたのです。もう何年も前、寝転んで、足上げ運動をすることから始めました。最初はこの簡単な運動が大変に辛くて時間もかかったという話をしたことがありますが、これはどんどん改良されて、腕運動も入れて、ストレッチのワンパターンになりました。次のパターンはムービングストレッチという講座を受けに行って覚えた腕の運動、体幹の運動。もう一つはちょっと長いので覚えきれなくって、紙を見ながら、野球を見ながらします。この中にはダンベル運動も入っています。
 メインは簡単な貯筋運動。これも運動教室で覚えたもので、五分くらいでできてしまいます。この貯筋運動は一日一回やる基本で、やると五〇〇円が貯金できます。ほかの運動は一つ30分くらいで一〇〇円ずつ。ウオーキングや庭仕事、家事、運動器具も取り混ぜて、一日八〇〇円を貯金するようにしています。これが私のお小遣いです。
 お金がかかると頑張れます。ちょっとした待ち時間があると、すぐにどれかのパターンをやるようにして一〇〇円を稼ぎ出しています。

2017年4月7日金曜日

ユーチューバー

 このブログの最初の部分を読み返してみると、自分がネットショップを立ち上げるのにどんなに一生懸命やっていたかがわかって、いとおしくなります。ネットショップはおかげさまでうまい具合に立ち上がったのですよ。売り上げは不定期で、月にゼロ円から2、3万円、年に10万円くらいの収入にはなってきました。これもおかげさまです。
 でも、その後ですよね。あれから四年半、前にも書きましたが、いろいろやったんです。何か商品になるものはないかと。
 いま、ユーチューバーなるものが、職業として認められ始めたのだそうですか。有名なのはピコ太郎さん。実はその前に私もユーチューブに動画をアップしたのです。と言っても、どちらかというと漫画でしたが。大変な作業で、アップするまで一年半かかりました。
 でも、ピコ太郎さんのような動画ならば、集中してやれば、一週間ぐらいでできます。長くても一か月ですよね。と思って、何か動画にするいい材料はないかと考えました。皆さんが喜んでくれるもの、必要とされるものでないといけません。
 私にできるものといえば、毎日やっているストレッチ。インナーマッスルを鍛えれば、痩せるという訳ではないけれど,筋力がアップし,家事がおっくうでなくなります。ヨガには負けるけど,アラウンドセブンティでも出来ます。最初はモゴモゴやっていると20分ほどかかっていましたが,慣れたら,10分で終わってしまいます。後は歩いてくるなり,掃除機をかけるなり。慣れて筋力がつくと,週に二、三回だったのが,毎日出来るようになります。
 コマーシャルで,年齢が行っても生き生きと運動している方は,運動しているから筋力がついて動けるんです。サプリメントだけのせいではありません。といった感じ。
 でもね、考えたんです。寝てテレビを見ながら出来る体操ですから、慣れてきたら、私の動画を見る必要がないんです。私自身、野球やマラソンを見ながら、応援しながらやっているのですから。
 やっぱり、癒しになるような動画じゃないとダメなんですね。何度も再生されるような。
 と、娘に言ったら、「お母さん、顔を出さないでやってよね。ファンが押しかけて来ても困るから。」ということでした。

2017年4月1日土曜日

ブックリエ

 ミステリーチャンネルで、ブックリエという番組があります。番組と番組の合間に、短い時間流れるので、時々見るともなしに見てしまいますが、ちょっと心穏やかではなくなるのです。
 内容は、本の専門家、本大好き人間が、おすすめの本を紹介してくれるのです。
 私は、もう読みそうもない、目が悪いし、気力もなくなってしまって、読めそうもない、家じゅうの本をネットショップで売っているのです。今思うと終活のようなものですが、ガソリン代くらいにはなります。
 その私が、その番組を見ると、歳をとって、また、暇な時間がいっぱいできたら、本を読みたいなと思わせられるのです。今68歳ですから,充分歳をとって、それなりに空いた時間もあるというのに読まないのですから、読むはずなんかないのに、ねえ。
 それでも,「ある人が,南の島に移り住んで,世捨て人同様の暮らしをしているのに,そこで起こった殺人事件を見過ごしに出来なくて,調べ始めて行く」なんてストーリーを話し始められたら,ついつい見てみたくなりますよね。しかも彼は置いて来た妻子に仕送りをしているなんて言われたら,どういう生活をしているんだと思わずにいられません。
 もう一つは、歴史学者が書いた小説なんだそうです。「若い娘が仕立て屋で働いていて,いずれは自分も独立して店を持ちたいとがんばっていた。やがて恋人が出来,二人でフランスだかどこだかに旅行に行くと,突然戦争が始まって帰れなくなる。彼女はそこで仕立て屋の腕を生かして生き抜いて行く。それが,その時代,時代を細密に描写した歴史的背景の中で,描かれて行く」と言われると,やっぱり興味をそそられます。
 私のまた聞きでは,インパクトがあまりないかもしれませんが,ブックリエの専門家の話だと,ついつい乗ってしまいそうです。

2017年3月25日土曜日

バターを入れなくてもパンは焼ける

 『不透明な経済の下、庶民はあらゆる可能性を探求すべきである。』などと偉そうなことを言って、高いところからものを言っているわけではありません。
 ここ2,3年、バターの品薄が言われていて、お店に行っても売っていない時や、輸入されたバターが出ている時がありました。それでも、家で食パンを焼いていたので、せっせと買っていたのです。
 ある日、オリーブオイルがあまり使われずに残っていることを思い出して、オリーブオイルをバターの代わりに入れてみました。家で作る食パンはたいていフランスパンなので、バターの量はそんなに多くないのです。で、成功です。たいてい、何かを載せて食べるので、まったく違和感はありません。
 で、この間、どうせ量が少ないのなら、入れないで焼いたらどうだろうと、やってみたのです。ちゃんと膨らんで、形もほとんど変わりません。
 ちょっと違うかなと思ったのは、その柔らかさです。粘りが少なくって、手でちぎりやすいと感じました。これは大歓迎です。
 以来、わが家ではバターもオイルもなしに、フランスパンを焼いています。

2017年3月18日土曜日

ロシアからの便り2

 金正男氏が暗殺されたころのことです。また大量のロシアからの便りがありました。本当に、一回に10とか、15とか、一日に3回もありました。何回も言うようですが、私のブログをロシア人が見ているはずもなく、私のブログを読んだという数字は全く出ていないのです。
 アメリカの大統領選にも関係が疑われているんだから、ロシアって、本当にネットで情報を操作しているのかなと思ってしまいますよね。それらのいくつかが私のところを通って行っているのかなとちょっと怖いです。
 でも、ネットの線が、私のところにもつながっているくらいあっちこっち行っているとしたら、今回なんか、北朝鮮が、ロシア経由で情報を探し回っている、情報を送っているとも考えられます。
 それとも、アメリカか、中国か。
 何をしても、情報収集なんかに文句は言えませんけれども、紛らわしく、私のところを通って行かないでよと思ってしまいます。
 トラフィックという項目を調べてみたのですが、いまいちわからなくってそのままにしてしまってあります。これって、グーグルのブロガーだけなんでしょうか。

 そういえば、アメリカの大統領選で、ロシアから民主党に妨害があったというニュースあった日は、リトアニアからのトラフィックが日本と同じ数値で出ていました。その日、ロシアからのは全くありませんでした。わからないように少し方向を変えたのでしょうか。それでも同じ所から出て,同じルートを通っているみたいな感じです。

2017年3月11日土曜日

宇宙の未来を学ぶこと

 この間,NHKの『コズミックフロント』という番組を見ました。その時は、村山斉さんという学者さんが、宇宙の未来を見せてくれるという企画でした。
 普段、私はこのての番組は見ないのです。敬遠している訳ではないのですが,私の頭では理解できない部分が多くて興味がわかないのです。でも,その壮大なことはわかります。人間なんてちっぽけなものを遥か彼方に置いて行ってしまうのです。
 こんな意識が常に身近にあれば,人は争わなくってもいいだろうにといつも思います。
 今の時代の戦争を見ると,人を争わせる一番のものは経済のような気がします。みんな、わが子が困らないようにとたくさんの富を溜め込もうとしているのですよね。でも,子供がいなかったら,自分一代が安心して暮らせればそれでいいのです。
 誰もそうは言っていませんが,宇宙に未来がなかったら,みんな今を大事に,仲良く楽しく暮らして行こうと思うのではないでしょうか。
 それと、人生に否定的なことを言ってはいけないのでしょうが、いつも思うのはあの『マッチ売りの少女』です。マッチが売れず、おなかもすいて、寒い。マッチの炎で暖まりながら、天国に行ったおばあさんに導かれるように、幸せそうに死んでしまうのです。
 この不幸を打破するために戦おうとはしないのです。
 で、何が言いたいのか、自分でもわからなくなってきましたが、仲良く、助け合って暮らしていきたいものだということです。

2017年3月4日土曜日

英国ミステリーと私

  この頃円安のせいか,あまりいい英国ミステリーにお目にかかれないし,昔見たものの再放送ばかりだと嘆いていますが,それでもその再放送を心待ちにしています。
 ジャシカおばさんではありませんが,「どうしてなんでしょう」。
 まるで,ミステリーのような劇場型の政治も面白いのですが,現実の世界の俳優さん達は誰を信用していいのか,信頼が持てないような気がします。そこに行くと,ブラウン神父もマープルさんもポアロさんもジェシカさんも(ジェシカさんは英国生まれのアンジェラ•ランズベリーさんなのでお気に入りにいれています)、異次元ではありますが,心から信頼できる友人たちのようなのです。だから,一日に一度でも拝顔すると安心するのでしょうね、内容は何度も見ていて,ストーリーを追う必要はないので,朝ご飯の支度をしながら,夜の歯磨きのひとときとかにも、ずっとかけておいて,バックグラウンドミュージックのように見ています。
 モースやルイスやフロスト、バーナビーやウイッチャー等の警部方も,大好きな人物ですし,フォイルのようにちょっと癖の強い人物も信頼という点では友人です。シャーロックはちょっと癖がありすぎて時々敬遠していますが。
 そういう訳で,きっとこの英国ミステリーの世界は私が死ぬまで,浸っていたい世界なのだろうと思います。そういえば,私は音楽を聴くとか、音楽に癒されるとか,という習慣がないのです。多分,私はこの英国ミステリーに癒されているのでしょう。

2017年2月28日火曜日

大竹しのぶさんのファミリーヒストリー

 こういう企画は日本だけじゃなくって、英国にもあるらしいと、ルイス警部のケビン・ウエイトリーのウキペディアで思いましたが、その生き方を見せてくれている俳優さんだと、ああ、こういうご先祖がいて、こういう生き方をしてきたから、今のこの人につながっているんだなあと、イタリアの小さな村の人たちと同じように勉強になります。
 最初は見るともなしに見ていたのですが、すぐに引き込まれました。お母さんのお母さんの八重さん、しのぶさんは会ったことがないと言っていましたが、内村鑑三の門下生で、そこで知り合った男性と二人でアメリカに渡ったのだそうです。その時代、良いところのお嬢さんだったからそんな生き方ができたのでしょうが、考えようによってはお嬢さんのままでいてもよかったのです。
 アメリカで子供を産み、夫に死なれ、日本に帰ってきて、夫の家に子供を残し、再婚しますが、うまくいかず、夫のもとに子供を残して別れ、妻に先立たれた、内村門下の旧知の人と再再婚します。この人がしのぶさんのおじいさんです。
 最初、安定していた夫の収入も、彼がキリスト教の伝道師のような生活を始めると不安定になり、それでも二人は仲良く添い遂げたようです。同じ宗教者としての思いがあったのでしょうか。生き別れになった子供たちとは会わず、名乗らずじまいだったようですが、今を生きるのに必死な不安定な生活では仕方がなかったのでしょう。わかる気がします。
 しのぶさんのお母さんはえすてるさんというそうですが、聖書の中からとられた名前のようです。えすてるさんとしのぶさんのお父さんはその私塾に通っていて知り合ったようです。この時、お父さんには別れてきた妻と二人の息子がいたそうです。二人の息子に申し訳ないと思いながら、運命の出会いに従って結婚し、先生になって子供たちを育てていたのに、結核になってまた不安定な生活になってしまう。えすてるさんは一家を支えるためになんでもしたと言っていました。
 この情熱はどこから来ているのでしょうと思いますが、私は何よりも、浮き沈みの生活を生き抜いてきたのは私だけではなかったということにほっとしました。中流の安定した生活なんて長くは続かないのです。一生のうちにはみんなどこかで山を越えたり、谷を越えたりしていたのです。
 やがてゆっくりできる時が来て、しのぶさんの活躍を応援しながら、会えなかった二人の息子に詫びながら、お父さんは亡くなるのですが、私のように単純な家族関係しか持たない者には、この情熱と運命はやっぱり理解の及ばないもののように感じました。

2017年2月23日木曜日

『小さな村の物語 イタリア』の話,再び

 BS日テレのこのシリーズを、毎回ではないにしても楽しみにして時々みています。この間は散歩に出て野生のアスパラをとって来て,茹でて食べていました。こういうところにも,村育ちの私は共感するところがあるんですが,そればかりではありません。
 制作は日テレと書いてありますが,実際どこで作っているのでしょうか。毎回、二組くらいの,たいてい人生を半分以上生ききった人たちを主人公にして、その人たちの生きて来た歴史的背景とか,信条とかを,語らせたり,映像化したりして、なるほどと心情的に入って行きやすい構成になっています。
 例えば,あるとき,長年独身で暮らして来た鉄道マンが引退して村に帰って来て,認知症のお母さんの世話をするシングルマザーと再婚し、一緒に介護します。なんて物好きなと最初は思うのです。でも,鉄道マンのお父さんは長年この村で一人で暮らしていたのだそうです。やがて体調も悪くなるでしょう。そんな時,シングルマザーだった彼女が買物をしたり,話し相手になったりして,押し付けがましい訳でもなく,陰に日向に支えていてくれたのだそうです。なるほどと思わされます。
 また,昨日のアンコール放送は、養女を貰った夫婦の話。お父さんは貧しくて若くしてシチリアに出稼ぎに行って,それきり,母が亡くなるまで,帰ってこられなかったという話。養女をかわいくて仕方がない様子。
 もうひとつは,16歳と19歳でできちゃった結婚をした幼なじみ夫婦の話でした。25歳と33歳でレールの上に乗せられるように結婚した私達には想像もつかないようなお話です。さすがに周りは大騒ぎしたようでしたが,夫は言います。彼女と一緒にいたかったのでがんばったと。こういう時いつも思うのですが、学歴、関係ないですね。二人の子供に恵まれ,若かった夫は一生懸命働き,互いの両親の老後の面倒も見て,もうすぐ50年。おいしい料理を作る妻と,仕事を引退してから、畑を耕し,薪を作り,家庭を維持する夫は、毎日二人で散歩をし,まだまだ新婚のようでした。
 時々は若い人たちの話も出て来ます。そこに独身の人たちも出て来ます。まあ,そういう人たちを選んでいるのでしょうが,それぞれが信念を持って生きているのです。例えば,教師とか,ホテルのオーナー、シングルマザーでがんばっている人もいました。結婚はチャンスがあればという感じで,人生を楽しんでいます。独身の娘のいる身としては,考えさせられます。結婚は人生を生きる上で,メインじゃないということを。本人が選ぶことだということを。
 そういうわけで、この物語は人が生きている限り,永遠に続くのでしょうが,人の生き様を見せてもらえるというのは、自分が生きる上で勉強になることです。

2017年2月16日木曜日

ジビエって何?

 この間、ジビエ料理のコンテストがあったとテレビで放送していました。実は前にも何回か聞いたことはあって,わかっているつもりでしたが,とっさに思い出せなくって,夫に聞いてしまいました。
 そうなんです,野生動物を使った料理のことだったんです。
 これも立派な食べ物のはずなのに,日本ではあまり見向きもされないで来たんですよね。知り合いのアメリカの人の旦那さんは,アラスカに鹿討とか,サーモン釣りに行くそうです。獲物は自宅に持ち帰って,冬の食料にするそうです。アイダホなので、冬は凍って天然の冷蔵庫になるのだそうです。「これでいつお客さんがきても大丈夫」と言っていました。冬の厳しいところでは買物もままならなかったのでしょう。その旦那さんはアイダホ生まれのアイダホ育ちらしいです。
 私は、今は町暮らしですが,生まれは田舎の村でした。罠にかかったイノシシの肉というのを一度だけ食べたことがありました。あの頃は山に罠を仕掛ける猟師さんがまだ健在で,猟銃の許可を持った人もたくさんいました。今は弟によると,猟師さんも減り,イノシシが山を下りて,畑や民家にえさを探しに入り込むと言っていました。
 昔は今みたいではなく、店も商品も少なく,加えて収入も少なく,食べ物の全部を買ってまかなうという時代ではありませんでした。家で鶏やコイを飼っていましたし,ヤギを飼ってその乳を飲んでいたこともありました。野菜はもちろん自給自足でしたが,山に行って山菜や茸採り,果ては薬草とりまで楽しんでやっていました。友達につきあって,松葉さらいに行ったこともありました。友達と遊びたかったので,どうしても行きたかったのです。
 町育ちの娘は,他人の山に入って山菜採りや茸採りをするのをひどくいやがります。原則的にはそうかもしれませんが,山はみんなのものだったような気がします。
 そうして今は肉も野菜も買うものになってしまって,それなりに安定供給され,値段も下がりました。今はジビエと呼ばれている野生動物や天然物の魚が珍しく、高いものになってしまいました。山菜もそうですね。
 これは老人の提案ですが,山菜採りや茸採り,野草取りの同好会などが発達すると、食べられる自然のものの知識が次の世代にも伝わると思いますが、いかが。

2017年2月9日木曜日

ひとり

 90歳を超えた橋田壽賀子さんがインタビュー番組に出ていました。橋田ドラマをそんなに見ている訳でもないのに,ほとんどのドラマを知っているから,まさに私の時代の第一人者だったのです。
 その橋田さんが,『いざとなったら,スイスに行って安楽死を選ぶ』と言っているという記事も読んだことがありました。
 今回はそんな橋田さんが,日常を語るという構成でしたが,熱海にお住まいで,足取りも軽やかに,海辺のあたりを散歩しながら,自宅の下にある豪華なゲストハウスも見せてくれました。
 その中で,インタビュアーの国井さんと風吹さんが、「お一人でさみしくないですか」と質問していたときに,「全然,寂しくありません。かえって気楽です。一人っ子でしたし,ひとりで生きて来た時間が長かったので。」と答えていたと思います。
 私,橋田さんの自伝的ドラマというやつを,朝ドラでしたが,見たことがありまして,確かに一人っ子でした。でも,お母さんや身内の方も、それから,独り立ちしてからはお友達も,40歳で結婚したご主人もいたのですよね。でも,ものを書いていると,そういうつながりはお話のモデルにはなっても,日常では煩わしいのでしょうか。
 私はありとあらゆる身内に囲まれて,煩わしいと思う時もありますが,これで一人になったら,それも寂しいだろうなとも思います。その時が来てみないとわかりません。
 橋田さんは,ご主人が亡くなって,28年になるそうですが,寂しさを通り越したのでしょう。お墓も,一人だそうです。

2017年2月5日日曜日

筋力がついたということ

 おなかの手術をして三年半が過ぎて,62キロにまで下がった体重が72キロにまで戻ってしまって減らないと,何度も泣き言を言っていますが,このところ,ちょっと驚いているのです。それはおなかをさすった時,(おなかに傷がある上に,便秘がちなので無意識にさすってしまうのですが)、何か平らになっているような気がしたのです。その後も,ズボンが緩く感じるとか,ショーツのゴムが緩くなって,直したとか,以前,胸の辺りがきつかったフリースの上着が,ちょうどいいとか。同じ72キロなのに,サイズダウンしているのです。
 これって,トレーニングの賜物なのでしょうと思います。テレビのサプリメントのコマーシャルの中で皆さんが、歳をとっても運動を続けていたり,競技に出場したりしているのを見ながら,私も私なりの30分運動を一日3、4回続けているのです。主にテレビと一緒にやるヨガとか,美容ストレッチ等ですが,買物ウオークにも行きますし、庭掃除や家事も30分単位で続けてしています。
 それも,以前は続けられなかったのですが,今は確実にこなせるようになりました。筋力がついたからだろうと推察しています。これって,気合いだけでは続けられません。筋力がついたから,体を動かすのがおっくうではなくなっているのだと思います。
 若い頃でさえ私は家事がおっくうで、掃除機をかけるのが大仕事でした。親が私に家事を教えなかった等と不遜なことを考えていましたが,今思うと,太っている上に筋力がなくって,頭ではやらなくっちゃと思っているのに,体が動かなかったのです。
 これを続けて行けば,基礎代謝量が上がって,きっと体重も減って行くのではないかと期待しています。

2017年1月28日土曜日

田部井純子さんのこと

 田部井純子さんって,私の心の師であることは何度か書いたことがあります。もちろんお会いしたことはなく,テレビで拝聴したり,雑誌の記事を読んだりして,その人となりを伺い,生きて行く上での指針にさせて貰っていました。
 先日,その訃報が流れて,『ああ』と思いました。今までは盲追していたものを、『なぜ,どこが』と考えて,理解しなければならない時が来たのだなあと思いました。
 田部井さんの生きた姿勢を考える上で,少し,ヒントとなったことがありました。それは小池百合子東京都知事の姿勢と,それをテレビでコメントしていた田中京さんの話です。田中さんは確か,企業経営者などのメンタルトレーナーをしていると字幕ででていたような気がします。そのコメントが実に細かったので、全部は再生できませんが、とにかく,やることがすべて個人の感情を超えて,社会的な判断をしていて、大人の対応である、その上戦略をきちんとたてて実行していて,ということだったと思います。彼女は『マチュアー』だと叫んでいましたが,その通りだと思いました。
 それを見ていて,田部井さんも,周りに流されない人だったと思いました。これが大人ということでしょうか。
 例えば,エベレストに行く時,準備に時間がかかってしまった。既に結婚していたので,ご主人が,子供を産んでから行けと言われたそうです。そして不安なく,子供を産んでご主人に預けて出発したそうです。私なら,子供を理由にして,安易な道を選んでいただろうと思います。そこが目的を見失わない大人の生き方だったのでしょう。
 また,ご長男が手に負えない時期があったということも話されていましたが,子供は成長していくものだから,きっと大丈夫と考えていたと言っていました。やっぱり私なら,おろおろして,騒ぎ回って,無駄な工作をしていただろうと思います。
 そうなんです。自分に出来ることとできないことがあるんですね。人を支配することは出来ないんです。もちろん,ご長男のために最大限の配慮はされたと思いますが,冷静な判断だったと思います。
 もうひとつ、ガンの闘病をされたのですが,弱音はほとんど聞きませんでした。抗がん剤を打って,苦しい時期に山登りを楽しんでいたら,いつの間にかガンが消えてしまったと豪快におっしゃっていました。
 こういう対応,大人の判断は,やはり,山登りで体得されたのでしょうか。こういう冷静な判断力,実行力を持たなければ,危険な山は登れないのだろうと,いつも麓にいる私は思いました。一芸に秀でた人は,人生すべてに通じるのだと。
 でも,『そうじゃない』と思う部分もあります。そう思いたいけど,それもあったかもしれないけど,やっぱり,その下地があったのですよね。遺伝かもしれない,環境かもしれない,その素質があったからこそ、山にも挑戦できたのですよね。
 田部井さんの素質とは違うかもしれませんが,私のような凡人にも,何か有るはずです。そこを磨けばいいのです。田部井さんを見習いながら、少しでも大人になるために。

2017年1月22日日曜日

頭に浮かんだことはすぐに消える

 私の頭って、おばかにできているんですよね、きっと。何度もそう思いました。
 夜寝ていたり,テレビを見ていたりしていて,『あ,これはブログに書かなくっちゃ』と思ったことも,翌朝になると思い出せないのです。『私の頭,どうなっちゃっているんだろう』と,何度も思いました。考えてみると、歳を取ったこの頃のことではありません、昔からなんです。
 知識というのは,大脳皮質に入って,何度も何度も取り込まれたあとに,やがて髄質でしたか,そこまで到達して,記憶として定着されて、やっと思い出せるレベルになるのだということを,何かで知りまして,『ああ,これは受験勉強の話だ』と思ったのを覚えていますが,『これは,普通の話なんだ』とこの頃思うようになりました。
 それで,何か思いついたときにはすぐに書き付けるという,皆様方の経験を聞きまして,私も書くことにしていますが,たまにものぐさをして書き忘れると、さあ,大変。半日ぐらい大脳皮質を探り回っていますが,結局記憶の闇の中に消えてしまった物は見つかりません。『やっぱり,おばかだった』と思うことしきりです。
 歳をとって、何かかわったことがあるかというと,何か思いつくということ自体少なくなりましたが,時間があるせいか,着実に実行できているような気がします。
 若い頃は、気も散りやすかったのでしょうが,忙しくて,書き留めておいた物のほとんどを実行できませんでした。だから,今の『何者にもならなかった私』があるのでしょう。
 でも,これからだって,自分に集中して、思いついたこと、気づいたことを実行して行けば,私という者が少しでも出来上がるのだと信じて,やって行こうと思います。

2017年1月15日日曜日

メルカリ

 ネットが発達したことで,普通の人にも物を売るのにいろんな形の可能性が出来ました。
 ネットショップもその一つです。私のような普通の人が,幸いにも無料でショップを開けたのです。無料じゃない、大きなネット通販のサイトはたくさんあります。
 その他にオークションという方法もありますが,面倒くさそうで私は利用したことがありません。
 メルカリという名前をテレビ画面上で見たのは,今度が三度目です。一回目はコマーシャルで,個人間の商取引で、いらなくなった物を売りに出せば,それを見た欲しい人が買うというものでした。これはいいと思ったことを覚えています。使わない物ってたくさんありますからね。
 二回目は投資会社の社長が,メルカリを例に出していたのを見ました。世界展開をはかっていて,またお金を集めているのだそうです。私はその人がメルカリの社長だと思っていたのですが,三回目の今日,メルカリの紹介をしたのは,別な社長でした。
 若い頃に世界を旅行して,豊かな国では使える物まで捨てられて行く,もったいない,これをなんとかできないだろうかと思ったのが最初だそうです。それで,アプリを開発して起業したのだそうです。確かに社会に役立つ企業発想ですね。
 先の投資会社の社長が言っていましたが,このとき失敗したら,投資家が出資したお金は戻らないのだそうですね。幸いにも成功したので,きっと投資会社も投資家も大もうけしたのでしょう。
 やっていることは私のネットショップと同じです。もう使わない物の写真を撮り,値段を付けてサイトに載せるのです。そうすると,ちょうど必要としていて,探していた人が買うと申し込み,メルカリにお金を払い,メルカリは10パーセントの手数料を引いて代金を売り手に払い,売り手は買い手に商品を発送するという仕組みだそうです。ちょっと気になるのは,郵送料などはどういう仕組みになっているのだろうということです。
 でも幸いなことに、これは,スマートフォンにだけ対応するアプリのようで,スマホを持たない私には関係ないのです。私はただひたすら,私のネットショップの整理整頓をして,お客様に丁寧に対応すればいい。メルカリはライバルではありません。が,気になります。

2017年1月12日木曜日

ねたみの心の原因

 私ってなぜ仕事のできない人間なのかなと思うことがあります。いろんなことが気になってあれもこれもと欲張って集中できないのですよね、きっと。
 野球選手を見ているとその差が歴然とわかる気がします。彼らは一年中体を鍛えて練習しているのです。私はといえば、一年中「痩せたい」「痩せたい」と言いながら、一向に痩せられない。年金を貰っていて、ネットショップと家の周りの野菜づくり以上の仕事はしなくていいのですから、やる気になれば痩せるための運動でも食事制限でももっと時間を割いて取り組めるはずなのです。
 ところが、何年たっても同じ体重、同じ体形。「やる気があるのか」と叫びなくなります。
 これって何なんでしょうね。それでも人並みに、痩せている人をうらやましいと思ってしまうのですよ。テレビに出ている女優さんなんか、「あんなに痩せていて、よく活発に動けるな」とか、「具合い悪くないのかな」とか思いながら、あんなになってみたいと思っているのです。これって、ねたみです。
 結局、自分に集中していないからなんですよね。人のことを言う前に自分で努力しているかなんです。やるしかないんです。
 広島の広報さんのブログに、みんな喜んで帰ったと思っていた勝ち試合の後にトレーニングルームで音がする、誰かと思ってのぞいてみたら、その日打てなかった鈴木選手が素振りをしていたというのがありました。
 私も頑張りましょう。

2017年1月6日金曜日

為替と経済

 私のネットショップに十二月は注文が来ませんでした。注文がない月というのは四年以上やっていて、二、三度はありました。娘に言わせると、「もうめぼしいものは売れてしまったんだよ」ということでしたが。
 でもね、やっぱり私なりに原因を考えるのです。最初はどうしてだろうと思って、サイトを運営している会社にも「どうしてかしら」と相談したこともありました。そのうち、検索しても私のショップが出てこないことに気が付きました。運営者もわからなかったらしいのですが、値段の改定だけでも更新を細かく続けなければ、検索の上のほうには出てこなくなると友人が教えてくれました。そういえば、一応手持ちの本を入れ終わって、そのあと、胆石の手術などもあり、ブログを更新していなかったのです。このブログはショップとリンクしているので、ブログを更新すれば、ショップのほうも更新したと反応してくれるみたいです。原因はこれかなと思いました。10月は広島の優勝もあり、忙しくって更新していなかったのです。
 もう一つは為替です。一時、ものすごく円高の時があり(一ドル80円近くまで行きました)、そのころ、デフレと言われ、日本は不況であるといわれました。我々年金受給者にとっては、モノが安くなり、かつ政策で、年金額がさほど下がらなかったので、本当に楽に感じられた日々でした。でも、前にも書きましたが、その不況のころ、やっぱりショップにあまり注文は来ませんでした。
 その後、アベノミクスで、一ドル124円くらいまで上がって、今は一ドル117円と今日のニュースで言っていましたが、この間に、一ドル100円近くまで下がりました。この間に世の中に何が起こったか、正確なことはわかりませんが、一つだけ、1テンポ遅れで、トイレットペーパーの値段が6個入りで50円ほど安くなりました。一ドル124円と100円の差です。117円になった今はまた上がるでしょう。この1ドル100円というのが不況の時だとしたら、企業努力をほとんどしないわがショップは前回同様、また売れなくなったのだと思います。
 私が好きで見ている中古住宅も、一時、目を引くような売り物は出ませんでしたが、このところ、結構築浅住宅が混じるようになってきていました。これも一ドル100円の時の不況のせいでしょうか。
 今は新築住宅があちこちで建てられています。ゼロ金利で企業も個人もお金が借りやすくなっているのだそうです。かつ円安にも振れているので、景気指標も上がっているようです。加えて災害特需とオリンピック特需。
 こんな状況で、また円高に振れだしたら、バブルの再来になるのではないかという警鐘を鳴らす番組もありました。2020年オリンピックが終わったあたりにと言っていましたが、あのバブルの前に大借金をしてしまってやっと返済を果たしたわが家は気を引き締めています。