2015年4月30日木曜日


英国ミステリー噂話、ミス・レモンのPauline Moran

 なぜ英語にしたかというと、ポリーン・モランと言われてもなかなかこの字が出てこなくって、それに、ポアロ以外ではほとんど見かけない、それでいて、存在感のある美人なんですよね。どういう人だろうと思ってしまいました。
 例えば、『ヒッコリー・ロードの殺人』に出て来るミス・レモンの姉フローレンス役のサラ・バデルさんなんかは他の作品でも見かけた事はあるんですが、ミス・レモンは、これだけです。
 だから、英語のウキペディアでも説明は短いんです。
 1947年生まれという事は私より一つ上、67歳ですか。ランカッシャーのブラックプール生まれと書いてあります。英国の真ん中より上の海ぞいの町、いいところですね。
 彼女は国立若者劇場とか、王立アカデミーの演劇科とかで学んで、女優になったようです。1965年から1970年までは女性バンドでバスギターを担当していたようです。その後、1987年からプロの星占い師にもなったようです。興味のある事にみんな挑戦して行ったみたい。
 主に舞台女優さんだったようで、映画とかテレビとかへの露出が少なかったのでしょう。それでも、テレビシリーズのクレオパトラ、ウイメン・イン・ブラック、ザ・グッド・ソルジャーなどに出ているそうです。
 このウイメン・イン・ブラックには、オックスフォードミステリーでドクター・ホブソンを演じているクレア・ホールマンも出ていたようです。

2015年4月23日木曜日


英国ミステリー噂話、初代バーナビー警部のジョン・ネトルズ

 ちょっと遅くなりましたが、この人の噂を書かない訳にはいきません。私が英国ミステリーオタクになったのは、やっぱりこれを見たからです。全部が好きというのではありません。80話もあるうちには『ちょっと』と思うものも結構ありました。でも、やっぱり、美しく整えられたイギリスの田舎を見せつけられると、『まあ、いいか』と思ってしまうのです。
 ジョン・ネトルズは1943年10月11日、コーンウオール生まれ。生まれた時から波瀾万丈で、母は第二次世界大戦時にイギリスに働きに来ていたアイルランド人の看護婦で、どういう訳か、生まれてすぐに彼は大工のエリック・ネトルズと妻イージーに貰われて行きます。頭が良かったのでしょう、グラマースクールからサザンプトン大学で歴史と哲学を学び、そこで、演劇を志します。
 俳優のキャリアについてはウキペディアにたくさん書いてありますが、中でも一躍彼を有名にしたのは『バーゲラック』という1981年に始まったジャージー島を舞台にした犯罪ドラマのようです。1991年に終わるまで87話を数えたようです。
 その後、シェイクスピア劇にも出演し、いよいよ、1995年、『ミッドサマーマーダーズ』でバーナビー警部を演じる訳です。これで、世界的にも有名になりますが、2009年二月、あと2シーズンで交代が宣言され、2011年2月の引退劇までに81話を演じたようです。
 見た目は若いですけれども、バーナビー警部になった歳は52歳頃で、2011年に引退した時は68歳くらいでしたか、途中、何度も息切れをしながら走っているのを見ましたから、年を取ってからの刑事役は大変だなあと思いました。
 私生活についてはあまり書いてないのですが、最初の奥さんはジョイスという名前で、これ、バーナビーの奥さんと同じじゃないですかね。それと、キャスティング・ディレクターという項目に、確か、ジョイス・ネットルズという名前があったような気がしますが、結婚したのは1966年で、1970年に娘を儲け、その頃から俳優になったようですから彼女の影響だったのかもしれません。1979年には離婚していますから、ミッドサマーが始まった時は離婚してしばらく経っていたという事でしょう。でも、この人が前妻かもしれません。二度目の結婚は1995年、まさにバーナビーと同じスタートです。彼らは今ウエールズの片田舎に住んでいるようです。
 地図で見ると、生まれたところが南の端のコーンウオールで、その隣のデボンというところに現在住み、大学はそのまた隣のサザンプトン、最初の刑事物の舞台がその南のジャージー島、彼はその辺りに関する本も書いているようです。
 2014年からはまた新しい役にも挑戦して活躍しているようです。

2015年4月17日金曜日


英国ミステリー噂話、神出鬼没のナンシー・キャロル

 彼女は私達より若いので、あまり知られていないんじゃないかと思います。この頃、『ブラウン神父』を見ているので、ちょっと存在感のあるレディ・フィリシア・モンターギュ役の女優さんが気になっていて、さっさと流れて行ってしまうキャストの字幕を追ってやっと掴まえたのがこの名前でした。
 その後、『ウイッチャーの事件簿』の3話と4話を見たら、彼女が大家さん、シャーロット・パイパー役で出ていて、全く違うイメージの役でしたが、気がつきました。
 レディ・フィリシアは元はどんな出自かわからないのですが、多分中央で活躍する地位も身分もある金持ち老人の夫を掴まえて結婚し、浮気も自由自在にする頭のいい華やかな女性です。反対にミセス・パイパーは夫に先立たれ、兄から相続した家の部屋を貸しながら生計を立て、クリミア戦争で看護婦をしていた経験をボランティアに役立てているという設定で、いつも黒っぽい服を着て働いている、地味なそれでいてしっかりした女性の役です。次が待ち遠しいのですが。
 その他にもウキペディアによると、『バーナビー警部』にも、2005年と2010年に出ているようなのですが、バーナビー警部はほとんど見たと思うのですが、全く気がつきませんでした。
 まだ若いせいか、といっても、1974年生まれの40歳くらいですが、それとも、地味な舞台が多いせいか、私生活も波瀾万丈という事も無く、平穏のようで、あまり書いてありません。
 彼女はロンドンアカデミーの音楽演劇科を1998年に卒業しました。24歳ですから、どこか回り道もしたのでしょうか。
 夫はジョー・ストーンーファーリング、シェイクスピア俳優で、出会いもシェイクスピア関係だったようです。二人の子供がいる。劇的と言ったら、2003年、出会ってから9日で婚約したという事でしょうか。他はあまり書いてありませんでした。
 余談で恐縮ですが、『ブラウン神父』の作者、ギルバート・ケイス・チェスタトン(英: Gilbert Keith Chesterton、1874年5月29日 - 1936年6月14日)という方は大変有名な方のようで、日本語で書かれたウキペディアがあります。ミステリー以外でも、論客、批評家として一時代を築いた方のようで、読んでみたいですね。

2015年4月10日金曜日


英国ミステリー噂話、フロスト警部、デビット・ジェイソン

 本当の名前は サー・デイビット・ジョン・ホワイト。1940年2月2日、イギリス南東部のミドルセックスのエドモントン生まれ。
 コメディでも演劇でもたくさんの賞を得て、2006年の50人のスター達のトップに選ばれた事もある、まさに名優です。私もそう思います。
 父親アーサー・ホワイトはビリングズゲイト魚市場のポーターをしていて、ウエールズ生まれの母親オルエン・ジョーンズは清掃人であったようです。彼女はこの年、双子を生み、もう一人は出産の時に亡くなったようです。
 7歳上のお兄さんが俳優になっていたので、彼もそうしようと思ったけれども、父が反対して、彼はおよそ6年くらい電気技師の勉強をしてから役者の道に入ったようです。
 最初はコメディから入って、間の取り方がうまいので、子供番組、声優、などなど、徐々に芸域を広げて、俳優として大成して行ったらしいのですが、作品群は英文のウキペディアを見れば表になっています。
 私達が知っているのは、フロスト警部だけですが、他のもみたい気がします。
 日本名『フロスト警部』は1992年から2010年まで続いたそうですが、2006年には前述のトップにも選ばれたのですが、2008年にはこれまで16年続いたフロスト役を引退すると言ったそうです。それで、2008年に三作が放映された後、2010年に二部構成のファイナルができたようです。やっぱり歳を取って来ると、刑事役は、特に主役級だと大変でしょうね。でも、その後も多方面で活躍はしているようです。
 私生活では18年の長い間、結婚はしなかったウエールズ人女優のパートナーがいたようです。彼女が1995年に乳がんで亡くなるまで面倒を見て、死後、不治の病の子供達のための支援財団を作ったようです。
 2001年には、61歳で、41歳のガールフレンドとの間に女の子を授かり、二人は2005年に結婚したそうです。この悠長さは何でしょうね。まあ、なにか事情があったのかもしれませんが。
 その後もいろいろ活躍して、2013年には、ヘリコプターパイロットの免許取得、73歳くらいじゃないですか。同じ年、『デビッド・ジェイスン、わが人生』という自叙伝を出し、『今年のベストブック』に紹介されたようです。まさに、『百歳まで生きるなら、ここから出発』ですね。
 そう言えば、昔、コロンボがイギリスに行ったという設定の時、バリバリのスコットランドヤードの警部の役で出ていたのを見た事があったと思ったのですが、最近見たら、どうも違う俳優さんのようでした。

2015年4月3日金曜日


本当のイギリス

 『生活の世界歴史』、やっと十巻目にたどり着きました。『イギリス産業革命』です。シェイクスピアとエリザベス一世時代の事以外はイギリス史にほとんど基礎知識の無い私でも、十八、十九世紀の話なので、なんとか着いて行けます。どちらかというと、繁栄したビクトリア女王の時代の頃のようです。
 『英国ミステリー』で言うと、シャーロックホームズの時代でしょうか。植民地をたくさん抱えて、インドとかアフリカとかがストーリーの端々に出てくる頃だと思います。『ウイッチャーの事件簿』というのにはクリミア戦争の話題が出てきましたから、この頃の話だとわかります。
 アガサ・クリスティは二十世紀に入ってからです。G・K・チェスタトンが『ブラウン神父』を書いたのもほとんど20世紀に入ってからのようです。でも、少しはその頃の生活がわかるでしょうか。
 で、どんな事が書かれてあったかというと、朝早くから夕方遅くまで働き続ける労働者、労働環境の未整備、工業都市の生活環境の不備、江戸時代の長屋にも似た住居環境ですが、イギリスは日本よりずっと寒いようで、入浴などもままならなかったようです。あの時代のロンドンのテムズ川の汚濁は有名ですが、そこから飲み水を採っていたようです。中国並みのスモッグも有名です。
 私の住んでいる霞ヶ浦湖畔でも、今は処理されているとはいえ汚水は霞ヶ浦に流されますし、飲み水もそこから採取されます。何となく、どの国も通って来た道をイギリスも通って来たんだなあと思ってしまいました。
 大地主の貴族、新興貴族のジェントリー、お金を儲けた商工業者、牧師、ホームズに出て来る貧富の格差の激しい社会が垣間見えます。そうして、時々革命を起こしながら近代化、平等化して行くようです。
 イギリスの場合、時代的に、早かったため、植民地からの収益があって、労働者の生活も少しずつ良くなったと書いてありましたが、ますます膨らんで行く資本家に対し、都市に流入する貧しい労働者という、発達しすぎる資本主義を見ながら、マルクス、エンゲルスの『共産党宣言』はここで生まれるのです。
 無知な私はマルクスはロシア人だとばかり思っていましたが、ドイツ生まれでイギリスで貧困のうちに死んだようです。この二人のウキペヂアを読むと、またそこにこの時代が見えてきますが。晩年はエンゲルスが生活の援助もしたと書いてありました。
 いつの時代も、生活のために戦い、疲れて、やがて消えて行く人々はたくさんいるのです。私だけじゃないんです。いつの日か、人を虐げなくても誰もが幸せに生きて行ける時が来るのでしょうか。