2016年1月28日木曜日


英国ミステリー噂話、フォイルの事、BSとCSの違い

 『刑事フォイル』が惜しまれつつ終わった』と番宣で言っていましたが、このところ、ちょっと驚いている事があります。私のブログに100くらいのページビューがあったのです。今でも毎日2、3個は来ています。
 みんな、『刑事フォイルのマイケル・キッチン』です。
 で、何が原因かと考えてみましたら、あの頃、NHKのBS3で、毎週日曜日に『刑事フォイル』の放送が始まったのです。あの頃からどんどん増えて行きまして、一刻に八件とかいうのもありました。
 NHKのBSって、みんな見てるんですね。
 私はケーブルテレビで一足先に見ていて、人に無理強いをしない、趣味もあって、一人でも静かに生きて行ける、それでいて、人にも優しく、穏やかに接する事ができる、理想的な人間性に『見習わなくては』と感動して、これは役者さんの人柄でもあるなあと思って、マイケル・キッチンと作者のアンソニー・ホロヴィッツを調べたのですが、それはずっと前の事でした。
 改めてBSとCS(ケーブルテレビ)の影響力の違いに驚きました。
 ところで、ちょっとした発見です。最後の字幕にキャスティング・ディレクターという職業が割と大きく表示されるのですが、ジョイス・ネットルズと言う方です。この方、初代バーナビー警部を演じた、ジョン・ネトルズの前の奥さんですよね。多分。初代バーナビー警部の時にもそうでしたし、アンソニー・ホロヴィッツはバーナビー警部の脚本も書いていたみたいですから。みんな、コネというか、チームというか、いわゆる、人脈を持って仕事をしているみたいですね。
 対人恐怖症の私には、なかなか考えられない、できない事のように思われますが。

2016年1月21日木曜日


英国ミステリー噂話、バーナビー警部の原作者、キャロライン・グレアム

 同じくバナーナビー警部に触発されて、原作者のキャロライン・グレアムの事を調べてみました。ウキペディアにも、ウイングフィールドのようには書いてありません。生きている人と死んでしまった人では書いていい事の違いがあるのでしょう。それとも、大きな仕事は『バーナビー警部』だけという感じだからでしょうか。
 1931年7月17日生まれの84歳だそうです。ナニートンというイギリスのど真ん中あたりの小さな町生まれだそうですが、その郊外あたりでジョージ・エリオットも生まれたらしいですよ。
 大学はオープンユニバーシティと書いてありましたが、通信教育のようです。それからバーミンガム大学で劇作の学位を受けたようです。MAと書いてありましたから、修士号でしょうか。
 最初(1982)に出版された本は『ファイアーダンス』というロマンス小説だそうです。その後、テレビのバーナビー警部シリーズで有名になりましたが、彼女が書いたのは7作品だったようです。
 最初に書いた、1987年とも88年とも書いてありましたが、『バッジャーズドリフトの殺人』以来書いた最初の5作品がテレビシリーズのベースになったようです。後6作品ですから、書いてしまいますが、1989年の『うつろな男の死』、1992年の『装われた死』、1994年の『血文字』、1996年の『実り多き死』、1999年の『安全な場所』、そして2004年の『機械の中の幽霊』です。60代から70代にかけてでしょうか。
 その後も活躍はしているようですし、若い頃は賞も貰っているようです。
 やはり、私的な事は書かれていませんでした。

2016年1月14日木曜日


英国ミステリー噂話、トロイ、バーナビー警部の最初の相棒

 バナーナビー警部が出て来たところで、やっぱりお気に入りのトロイの事を書いておこうと思います。つまり、ずっと前に調べたのですが、あまり書いてなかったので、止めておいたのです。
 デモなんです。バナーナビー警部の中で誰が好もしいかを投票するAXNの人気投票では、バーナビーの次がギャビン・トロイなんです。ちょっとおっちょこちょいで気がよくってかわいいというのが理由のようです。これって、『相棒』でどの相棒がと投票したら、きっと一番は寺脇康文と出るだろう(私の私見ですが)のと同じではないかと思います。つまり、最初の相棒とうまく行ったからドラマが有名になった訳ですから。
 それで、トロイ役のダニエル・ケーシーがどんな役者さんなのかを調べてみました。
 1972年6月1日、ストックトンーオンーティーズというイギリス北東部の町生まれ、現在43歳、一度離婚をしているみたいです。
 お父さんのルークさんはジャーナリストでテレビの司会者のようです。誰かさんに似た環境みたいですね。大学で文学士を得て卒業、それから役者になったようです。
 もちろん、バーナビー警部で有名になり、それからいろいろな役をしているようです。なじみのあるのではジョージ・ジェントリーに出ていたそうです。
 昔、アガサ・クリスディの作品に若いチンピラ役みたいので出ていたような気がします。本当に若い頃でしょう。
 別れた奥さんとの間に息子がいるそうです。
 これからですね、頑張ってください。

2016年1月7日木曜日


英国ミステリー噂話、コナン・ドイルの事件簿のイアン・リチャードソン

 今やシャーロック・ホームズは何回もドラマになり、皆さん誰のシャーロックが好きとか、好みまで出て来たように思いますが、実は私はあまり好きではなかったのです。だから今まで、あんなにシャーロックが出ているのに噂話をしようとは思いませんでした。ただ一つ見ていたのはNHKでやっていた『シャーロック・ホームズの冒険』ジェレミー・ブレッド主演でした。それも、ちょっとイマイチだったのです。
 でもこの『シャーロック・ホームズ誕生秘史』を見て、ちょっと傾いた感じです。ホームズのモデルと言われるベル教授を演じるイアン・リチャードソン、どこかで見た顔だなと思いましたが、大変有名な俳優さんのようで、日本語の簡単なウキペディアもありました。シャーロック・ホームズ役もした事があると書いてありましたが、その辺りで見たのでしょうか。確かに私のイメージとしてはジェレミーよりイアンの方が合っている気がします。
 しかし、残念な事に2007年に亡くなっているのです。そのせいか、このシリーズは2001年までに作られた五話だけのようです。確かにね、第二話に、オックスフォードミステリー、ルイス警部でドクター・ホブソン役のクレア・ホールマンが霊媒役で出ているのに気づいたのですが、あまりに若かったので、この作品は古いんだなと思いました。
 前置きが長くなってしまいましたが、イアン・リチャードソンは1989年大英帝国勲章の第三位を授与されている、1934年4月7日エジンバラ生まれのスコットランドの俳優で2007年2月9日、72歳で就寝中に亡くなったようです。特に病気はなく、翌週にはいわゆる、ミッドサマー・マーダーズ(バーナビー警部)の『チョコレートボックスの死』にホルム卿役で出演予定だったのだそうです。
 『野望の階段』と言う1990年のBBC作品が有名だそうですし、すばらしいと書いてあったブログもありましたが、残念ながらまだ見ていません。ララTVで再放送したと書いてありましたのでいつかまたやってくれるかなと期待しています。
 彼の両親の職業は書いてありませんでしたが、14歳のとき、二都物語で初めてステージに立ち、才能を励まされてこの道に入ったようです。陸軍に入った時も、アナウンサーとかドラマディレクターとかをしていたようです。その後、グラスゴーの演劇大学に入り、バーミンガム・レパートリ劇場を経てロイヤル・シェークスピア劇団の創立メンバーになったようです。(1960−1975)
 多くの舞台での活躍がウキペディアに書かれていますが、シェイクスピア劇に多く出演し、やがて、アメリカのブロードウエイでも活躍し、マイ・フェアレディではヒギンズ役でトニー賞にもノミネートされたようです。
 テレビや映画での活躍もウキペディアにたくさん書かれていますが、私的な事はほとんど書かれていません。息子さんのマイルズも俳優さんだと言う事はちらっと垣間見えました。それで、息子さんのウキペディアを見てみましたら、彼もシェイクスピア俳優で、父のイアンと母のマルーシャ・フランクは二人ともロイヤル・シェークスピア劇団の創立メンバーだったという事が判明、(母方の祖母はダンサーで評論家だったようです。)よって、息子はロンドン、ストラットフォード・アポン・エイボン、ニューヨークで育ったと書いてありました。父の行ったところに家族で着いて行ったのでしょう。2009年、マイルズは父の遺灰を新装なったストラットフォード・アポン・エイボンのロイヤル・シェークスピア劇場に設置したと書かれてありました。
 失礼、最後に書いてありました。こちらには2008年、未亡人と息子が設置とあります。なお、息子さんは二人です。多くの俳優仲間に惜しまれたと書いてありました。
 昨日、『コナン・ドイルの事件簿』の最終話、第五話を初めて見ました。泣けました。シャーロック・ホームズ関連で泣けるなんて初めてじゃないですか。