2016年1月7日木曜日


英国ミステリー噂話、コナン・ドイルの事件簿のイアン・リチャードソン

 今やシャーロック・ホームズは何回もドラマになり、皆さん誰のシャーロックが好きとか、好みまで出て来たように思いますが、実は私はあまり好きではなかったのです。だから今まで、あんなにシャーロックが出ているのに噂話をしようとは思いませんでした。ただ一つ見ていたのはNHKでやっていた『シャーロック・ホームズの冒険』ジェレミー・ブレッド主演でした。それも、ちょっとイマイチだったのです。
 でもこの『シャーロック・ホームズ誕生秘史』を見て、ちょっと傾いた感じです。ホームズのモデルと言われるベル教授を演じるイアン・リチャードソン、どこかで見た顔だなと思いましたが、大変有名な俳優さんのようで、日本語の簡単なウキペディアもありました。シャーロック・ホームズ役もした事があると書いてありましたが、その辺りで見たのでしょうか。確かに私のイメージとしてはジェレミーよりイアンの方が合っている気がします。
 しかし、残念な事に2007年に亡くなっているのです。そのせいか、このシリーズは2001年までに作られた五話だけのようです。確かにね、第二話に、オックスフォードミステリー、ルイス警部でドクター・ホブソン役のクレア・ホールマンが霊媒役で出ているのに気づいたのですが、あまりに若かったので、この作品は古いんだなと思いました。
 前置きが長くなってしまいましたが、イアン・リチャードソンは1989年大英帝国勲章の第三位を授与されている、1934年4月7日エジンバラ生まれのスコットランドの俳優で2007年2月9日、72歳で就寝中に亡くなったようです。特に病気はなく、翌週にはいわゆる、ミッドサマー・マーダーズ(バーナビー警部)の『チョコレートボックスの死』にホルム卿役で出演予定だったのだそうです。
 『野望の階段』と言う1990年のBBC作品が有名だそうですし、すばらしいと書いてあったブログもありましたが、残念ながらまだ見ていません。ララTVで再放送したと書いてありましたのでいつかまたやってくれるかなと期待しています。
 彼の両親の職業は書いてありませんでしたが、14歳のとき、二都物語で初めてステージに立ち、才能を励まされてこの道に入ったようです。陸軍に入った時も、アナウンサーとかドラマディレクターとかをしていたようです。その後、グラスゴーの演劇大学に入り、バーミンガム・レパートリ劇場を経てロイヤル・シェークスピア劇団の創立メンバーになったようです。(1960−1975)
 多くの舞台での活躍がウキペディアに書かれていますが、シェイクスピア劇に多く出演し、やがて、アメリカのブロードウエイでも活躍し、マイ・フェアレディではヒギンズ役でトニー賞にもノミネートされたようです。
 テレビや映画での活躍もウキペディアにたくさん書かれていますが、私的な事はほとんど書かれていません。息子さんのマイルズも俳優さんだと言う事はちらっと垣間見えました。それで、息子さんのウキペディアを見てみましたら、彼もシェイクスピア俳優で、父のイアンと母のマルーシャ・フランクは二人ともロイヤル・シェークスピア劇団の創立メンバーだったという事が判明、(母方の祖母はダンサーで評論家だったようです。)よって、息子はロンドン、ストラットフォード・アポン・エイボン、ニューヨークで育ったと書いてありました。父の行ったところに家族で着いて行ったのでしょう。2009年、マイルズは父の遺灰を新装なったストラットフォード・アポン・エイボンのロイヤル・シェークスピア劇場に設置したと書かれてありました。
 失礼、最後に書いてありました。こちらには2008年、未亡人と息子が設置とあります。なお、息子さんは二人です。多くの俳優仲間に惜しまれたと書いてありました。
 昨日、『コナン・ドイルの事件簿』の最終話、第五話を初めて見ました。泣けました。シャーロック・ホームズ関連で泣けるなんて初めてじゃないですか。