2019年11月29日金曜日

腸内フローラ九ヶ月後、甘いもの一日一個

 1週目、変化無し。
 この間も嘆きましたが、タンパク質多めにすると甘いものが食べたくなってしまい、『たんぱく質多め、糖質少なめ』の目標が守れないのです。どうしたらと悩んでいたら、あるコマーシャルに目が行きました。
 たんぱく質と糖質を同時に取ると、老化が早まるというコマーシャルでした。これ、私にもはたと思い当たることがあったのです。最近、顔にシミが増えたのです。甘いもののせいだとすぐに思うほど甘いものを食べていたのです。本当に、『貧乏人のくせに贅沢な』と思うくらい食べていたのです。
 そのコマーシャルではパンケーキの写真が載っていました。卵と粉、砂糖と蜂蜜、こんがり焼けた美味しそうな色。つまり、焦げてしまうのだそうです。この写真が私のシミに重なりました。それ以上は読みませんでしたが、やっぱり甘いものは一日一個、なんならゼロでもいいと再度決心をした次第です。
 2週目、変化無し。忙しかったのです。開き直ってしまいました。反省。
 3週目、変化無し。一日一個、なかなかできません。秋ですね。
 4週目、恐ろしい動脈硬化の話を読みました。歳をとるとお肉を食べなきゃいけないとテレビコマーシャルでやっているので、ついつい従ってしまいますよね。でも、同じタンパク質でも青魚を多くしなければ、中性脂肪やコレステロールが溜まって動脈硬化、高血圧になってしまうのだそうです。私の足イタの原因はまさにこれ動脈硬化のような気がします。もちろん、糖分や甘いもの、塩分のせいもあるのですが。以前から血液がサラサラになると言われている玉ねぎ食べましょう。
 そういえば、いつの頃からか、この減量計画の原則を忘れてしまっていました。色々な物を食べて腸内フローラ(花畑)を生き生きとさせる。便秘対策でした。今週は、今までのスローガンを思い出して実行したのです。1キロ減、68キロ台。ばんざい。

2019年11月21日木曜日

山の中

 以前、昔から当然あるものと思っていた実家の上の家が取り壊される話をしましたが、時々実家に帰ると、思わぬ話を聞きます。
 昔から親しんできた人たちが亡くなった話や、ボケ加減になってしまった話。同級生が不倫の末に離婚して亡くなって、残された両親の面倒を見に、妹夫婦が帰ってきたといったニュース。弟の同級生が大動脈剥離になって、一命は取り留めたものの、反応が無くなってしまった話。
 昔の村は狭い世界なだけに、生々しくわかってしまうのでしょう。
 そんな中で、思い出す人たちがいます。実際にはその人達の顔もろくろく知らないし、話をしたこともないのです。名前は覚えていない、記憶の闇の中です。
 〇〇さんというその人を見たのは私が子供の頃です。その人は田植えの手伝いの人たちに混じっていたのだと思います。あるいは茶摘みだったかもしれません。とにかく今思うと、わずかなお礼で働いていたのだと思います。だから、「〇〇さんが入院した」と民生委員をしていた義妹が言った時、思い出したのはひっつめに髪の毛をまとめた化粧気もない細面の、若くも老いてもいないその頃の顔でした。
 その人は山の奥に住んでいるんだと聞かされていましたが、どこだかは知りませんでした。のちに、老いた両親の運転手をして、あちこち周っていた時、新しい道路が山の方にできたから行ってみようと、山の端を登って行った時、さらに奥に入っていく細い道を見つけて、母が「この道は内〇〇さんの家に行く道だ」と言ったのです。本当に、山を登りきったところからさらに奥に登っていく道でした。
 『なんでそんな所に』と誰でも思うようなそれこそ誰も行かない山の中の一軒家のようでした。
 昔、祖母が、「あの人たちは馴れ合いだから」と言っていたのを思い出しました。馴れ合いという言葉の意味がわからなくて、やがて、駆け落ちものという意味だとわかったのはだいぶ後になってからのような気がします。そういう目で見ると、時々、リュックを背負って、山の方に歩いていくもう一人の〇〇さんと呼ばれた男の人を思い出すと、奥さんには似つかわしくないようなイケメンだと子供心にも思ったような気がします。 
 二人がどこから落ちてきて、どうしてそんな山奥に住み着いたのか、電気もない山の中で子供もなく、たった二人だけで、どんな会話をして息をしていたのか、噂にもならなかったところを見ると、誰も知らなかったのでしょう。時代を考えてみると、戦後の入植者だったのかもしれません。
 やがて、旦那さんも亡くなり、後に残された奥さんが一人で住んでいたようですが、入院してその後、施設に収容されたようです。
 そして、二人のいた山奥は自然に帰っていくのでしょう。そこに二人が寄り添ってつましく、誰にも邪魔されずに生きていたなんて、やがて、誰にもわからなくなってしまうでしょう。これも物語になりそうな本当の話です。

2019年11月14日木曜日

グレタさんの事

 アスペルガーだと公表しているようです。「一つのことしか見えないから、こんなに強く運動ができるのだ」と。
 今、発達障害の研究が進んで、多岐にわたっていて、私もその中の一つだとは思うのですが、あまり勉強しようと思わない怠け者の私は、アスペルガーではなさそうです。『逃げ腰症』でしょうか。
 でもです、我が家に化学物質過敏症の人がいると、かわいそうで必死になってしまいます。
 石油系の製品、例えば、灯油、(ガソリンは大丈夫なのですから、精製時に、抜かれるものが原因だと思うのですが)、アスファルトのタール、防虫剤、除菌剤、(畳もダメ)。今のゴキブリとりは神経を遮断すると聞いたことがありますが、まさに昆虫並みに苦しむ人がいるのです。昔、化学物質過敏症の人の話を読んだことがありましたが、我が家でそんなことが起こるとは夢にも思いませんでした。人生は予測不能ですね。
 グレタさんを批判する大人が多くいるようですが、誰が何と言おうと、「グレタさんがんばれ」です。近くでデモがあったら、71歳になったおばあさんでも参加しますよ。

仕事と勉強

 以前から私は対人恐怖症だと書いてきましたが、この頃の言葉で言えばADHDというんでしょうか。つまり他人とのコミュニケーションがうまく取れない人のことのようです。
 でも、こういう人ってたくさんいるのではないでしょうか。先日、テレビで『自分もそうだ』と言っている学者さんがいましたが、脳が全部働いている人はいないのですから、どこかに落ち度があってしかるべきで、それが個性だと思うのですが。こういう人でも生きやすい世の中が欲しいですね。
 先日、弟と話をしたときに、「昔は家で味噌を作っていた。土間で、機械で豆をすりつぶしていた。覚えているか」と聞かれて、記憶の底を探ったのですが、その様子、そう言われればそうだったかもしれないという程度にしか覚えていないのです。
 そういえば、私はあまり家の手伝いをしない子で、そのせいか、子供のころのことを何も覚えていないような気がします。弟が母の手伝いをしているときに、私は、寝そべって本を読んでいたような気がします。だから、何も記憶に残らなかったのでしょう。言うことを聞かない子供に母も何も期待しなかったのでしょう。
 この子供の頃の仕事の経験が無いという事は、その後の人生でとても困った事になると、この歳になって思います。つまり、どんな事をして人生を送って行ったらいいのか、どんな仕事ができるのか手がかりが無いのです。
 学校の勉強は一生懸命したんです。本も嫌わずに読みました。でも、方向性がまるっきりつかめない勉強だった気がします。つかむ能力が無かった事もあるのでしょうが。
 今、この歳になって、必要に迫られて、衣類のリフォームをしていますが、学校の勉強と平行して、いろいろな実業の、つまり、料理とか掃除とか、それこそ、家の修理,実家は農家だったので、食べ物の育て方なんかも,興味を持ってやっておくべきだったなあと後悔しています。
 今更ながら、仕事と学業は表裏一体でしないと生きて行く道につながらないような気がします。