2023年6月26日月曜日

 本、地球の歩き方 アイルランド

 『地球の歩き方』を出版していたダイヤモンド・ビッグ社が倒産したというニュースは入院の前に聞きました。それだからと言って、『地球の歩き方 アイルランド』を入院中に読もうと思って持って行ったわけではありません。こういう旅行本って、旅行に行く時でもなければ読まないですし、たっぷり時間があって旅行した気分になれていいかなと思ったわけです。

 この本、実際、1996年の改定第三版です。いつか行きたいと思って買ったのでしょうが、行く暇もなく、読む必要性もないままに、27年が経ってしまったのです。今この時に読まなくっていつ読むというのでしょう。

 というわけで、手術が終わって、次の日、まだトイレくらいにしか行けないあたりから、少しずつ読み始め、退院の前の日には読み終わりました。

 私は曲がりなりにも英文科でしたから、当然アイルランドのことは結構知っているつもりでした。が、実際は何にも知らないんだということにいちいち気づかされました。でも入院中は手元にコンピューターがないから、その都度調べられない。

 その最初が『クロムウェル』。名前だけはよく覚えていました。読み進むと『ピューリタン革命』で残虐行為をした指揮官のようでした。今までそんなに悪い人だと思っていなかったのですが、今、ウクライナの戦争を見ていると、残虐な行為をする人はいるのだとわかります。そこで『クロムウェル』をウキペディアで調べてみると、

 『オリバー・クロムウェル(英語: Oliver Cromwell、1599年4月25日 - 1658年9月3日[1])は、イングランドの政治家、軍人、イングランド共和国初代護国卿(Lord Protector)。

清教徒革命(イングランド内戦)では鉄騎隊を指揮してエッジヒルの戦いやマーストン・ムーアの戦いで活躍し、ニューモデル軍(新模範軍)の副司令官となる。ネイズビーの戦いで国王チャールズ1世をスコットランドに追い、議会派を勝利に導いた。護国卿時代には独裁体制を敷いた。』という書き出しで、アイルランドの話などどこにも出てきません。読み進んでみると、国王軍と議会軍で戦ったイングランド内戦の後、内部抗争の第二次イングランド戦争を経てチャールズ一世を処刑して、『共和国の指導者となったクロムウェルは、続けて平等派も弾圧し始め、中産市民の権益を擁護する姿勢を取るようになる。重商主義に基づいた政策を示し、同時に貴族や教会から没収した土地の再分配を行った。』といいことも書いてありました。

 その後アイルランドが出てくるのです。『アイルランド併合とスコットランド侵攻

カトリックのアイルランドやスコットランドは1649年から1651年にかけて反議会派の拠点であった。クロムウェルはアイルランド遠征軍司令官兼アイルランド総督に任ぜられて侵攻を始め、1649年8月にダブリンに上陸、続いてドロヘダ、ウェックスフォードを攻め、ドロヘダ攻城戦・ウェックスフォードの略奪(英語版)などの戦闘を始め各地で住民の虐殺を行う(クロムウェルのアイルランド侵略)。アイルランドはクロムウェルの征服により、以後はイングランドの植民地的性格が強い土地となる。』まるでロシアの侵略のようなことをしていたのですね。この後スコットランドにも攻め入っていくのです。

 内政的には『軍政監を廃止。議会によって国王への就任を2度にわたって望まれるが、これを拒否して護国卿の地位のまま統治にあたった。同年にユダヤ人の追放を解除し、これによって1290年7月18日のエドワード1世による追放布告(英語版)以来350年ぶりにユダヤ人が帰還した。』等いいこともしているようです。

 しかし、死後には王政が復古し、墓を暴かれて首をさらされるなど、評価は分かれるようです。彼自身も大変な人生だったでしょうが、9人の子をなした奥さんも大変だったでしょう。

 ノーベル賞作家のイェイツ等の文学者のことも調べたかったのですが、また今度にしましょう。ただ、私が英文科にしてはあまりに何も知らな過ぎたという現実はよくわかりました。

2023年6月20日火曜日

 手術!

 コロナ罹患後の味覚障害は有名ですが、私と娘はコロナの半年後に唾液腺の腫れでお医者に行きました。抗生物質を処方していただいて、娘は治ったらしいのですが、私はまだしこりが残っていて、お医者さんに大病院を紹介していただき、検査を受けました。

 若いお医者さんは、しこりは何でもなさそうだけれども、昔手術して取った耳下腺腫瘍のところが再発しているようだから、CTを録ろう、次には針を刺して取って検査をしてみようと言われ、40年前は良性腫瘍と言われたのだから、これで終わりだと元気をつけて、説明を受けにいったら、「今は良性腫瘍だけれども悪性に代わる可能性がある腫瘍です。その下にも何かありそうなので、そちらを穿刺検査してみて、MRIもやってみましょう」と言われました。

 『ええ、良性なら今でなくてもいいのじゃない』と思いましたが、そこは74歳の年の功、「ありがとうございます」と受けてしまいました。

 あとで考えましたが、お医者さんってファイターなんですよね。いつも病気と闘っているのです。だから、見つかった以上、止まっているわけにはいかないようです。ありがたいのか迷惑なのか。

 でも、そう言われて見ると、足が冷たくって血圧が高い、背中が凝るなども、みんな、体の中に腫瘍があるせいかもしれないと、だんだん病気の気分になってきてしまいます。

 でも手術っていやなんですよね。私はこの耳下腺腫瘍の手術を二回していまして、胆石の開腹手術を一回していますが、みんな痛くてしんどいのです。特に60代で受けた開腹手術は若いときに受けた手術とは気概が違いました。

 同じ年代の団塊の世代の人たちが次々に亡くなられる中で、コロナは生き延びたものの、いつ死んでもおかしくない歳です。

 心が揺れていた時、以前に読んだ婦人公論のある記事を思い出しました。『90歳ひとり暮らし、都営住宅で生活費月10万のシンプルな生活とは?BTSの音楽を聞き、夜は晩酌』。ツイッターで『現在20万人以上のフォロワーがいる大崎博子さん。その暮らしぶりは、老後のお手本にしたいアイデアに溢れています』。本にもなったそうです。その中に『実は70代で、胃がんの手術を受けています』という記述があったのです。70代で手術って、珍しくもないのだと励まされました。

 手術前

 で、『なんでその気になったか』というと、『これだけ検査をして、良性だから一年後というと、また同じつらい検査をしなければならない』と思ったのです。あとは前回の時もどんどん大きくなって行ってしまった経験から、『一年後にはもっと大きくなる、小さいうちに取った方が予後もいいかもしれない』、『入院しても一週間だろう』等など。そう言えば、知人も80代で心臓の手術をしたと言っていたっけ。

 やがて手術入院が近づいてくると、なんか本当に病気のような気になってきて、手術をしたら、もっと身体も軽快になるだろうかと考えたり、一週間ゆっくりできる、きっと何もすることがないから、運動をする時間もたっぷりとれるだろうと甘いことを考えたり、楽しみにもなってきました。

 手術後

 手術はそれなりに大変でしたが、コロナ以来の面会謝絶で、看護師さんたちが真夜中も親身に面倒を見てくれました。日に日に、尿管カテーテルをはずしたり、きついストッキングを脱いだり、点滴をはずしたりと身軽になっていきます。

 そうすると、新しく新築移転してきたこの病院は設備もよく、病室のある六階は眺めがいいのです。身軽になると、特別明るくって、眺めのいいデイルームにも散歩に行けます。先生の診察も毎日あり、『こりゃあ極楽だわ』と、のんびりしようと思っていた矢先、「明日退院」と言われてしまいました。手術から四日目のこと、入院期間は五日でした。まあ、元気になったんだから仕方ないです。

2023年6月13日火曜日

 ヤングケアラー

 私の人見知りな性格、うまく人と話が噛みあえない性格、思いやりが足りないのか、友人関係が重荷になる等の話を娘としていた時に、子供のころのことを思い出しました。

 二歳違いの弟がいて、母は一人農業で忙しく、父はサラリーマン、祖母は病気がち、祖父は政治家、こう見るとみんな活躍していたのですが、私たち姉弟をみる人はいたようないないような。田舎の家は大きいような小さいような。

 そんな中で鮮明に覚えていることがあります。小さいころの私は遊びに行くときはいつも弟を連れて行ってと母に言われていました。でも弟を連れて行くと、遊びの仲間に入れてもらえないのです。それで、プライドの高い私は、弟を連れて帰ってきてしまう。田舎の家は広いので、木登りでも土いじりでも、遊ぶことには事欠きません。で、ケンカしつつも私たちは仲の良い姉弟になりました。弟がはしかで寝ていた時は、私はずっと枕もとで遊んでいました。離れると弟は泣きべそをかいたのです。

 そこまで聞いた娘が「ヤングケアラーだったんだね」と言いました。今はやりの言葉です。子供が家族の中の身体弱者の面倒を見るという意味です。

 やがて弟はだんだんと社交的になり、スポーツも得意で、友達と遊びに行ってしまうようになりました。私は取り残されたように、もう、今更友達もできずに、内弁慶と呼ばれるようになりました。

 私の社会性、社交性の無さはあれが原因だったのではないかと思うことがあります。確かに、若いころは生きづらさがありましたが、今、年金暮らしで人と付き合うことも無くなって見ると、こういう生き方もありかなと思います。活躍はできないけれども、煩わしくなくてのんびり生きられるのです。

 何よりも、そういうのんびりした姉を持った弟は、免許が取れるようになるとすぐに50ccバイクの免許を取り、遠くの高校で、帰りが遅くなる姉を毎日駅まで迎えに来てくれました。のんびりで世間知らずの姉は「ありがとう」の一言もなかったと思います。

 結局、近くにいれば、誰もがケアラーになるような気がします。身体的弱者とは限らずに、お互い様なのです。