2023年6月13日火曜日

 ヤングケアラー

 私の人見知りな性格、うまく人と話が噛みあえない性格、思いやりが足りないのか、友人関係が重荷になる等の話を娘としていた時に、子供のころのことを思い出しました。

 二歳違いの弟がいて、母は一人農業で忙しく、父はサラリーマン、祖母は病気がち、祖父は政治家、こう見るとみんな活躍していたのですが、私たち姉弟をみる人はいたようないないような。田舎の家は大きいような小さいような。

 そんな中で鮮明に覚えていることがあります。小さいころの私は遊びに行くときはいつも弟を連れて行ってと母に言われていました。でも弟を連れて行くと、遊びの仲間に入れてもらえないのです。それで、プライドの高い私は、弟を連れて帰ってきてしまう。田舎の家は広いので、木登りでも土いじりでも、遊ぶことには事欠きません。で、ケンカしつつも私たちは仲の良い姉弟になりました。弟がはしかで寝ていた時は、私はずっと枕もとで遊んでいました。離れると弟は泣きべそをかいたのです。

 そこまで聞いた娘が「ヤングケアラーだったんだね」と言いました。今はやりの言葉です。子供が家族の中の身体弱者の面倒を見るという意味です。

 やがて弟はだんだんと社交的になり、スポーツも得意で、友達と遊びに行ってしまうようになりました。私は取り残されたように、もう、今更友達もできずに、内弁慶と呼ばれるようになりました。

 私の社会性、社交性の無さはあれが原因だったのではないかと思うことがあります。確かに、若いころは生きづらさがありましたが、今、年金暮らしで人と付き合うことも無くなって見ると、こういう生き方もありかなと思います。活躍はできないけれども、煩わしくなくてのんびり生きられるのです。

 何よりも、そういうのんびりした姉を持った弟は、免許が取れるようになるとすぐに50ccバイクの免許を取り、遠くの高校で、帰りが遅くなる姉を毎日駅まで迎えに来てくれました。のんびりで世間知らずの姉は「ありがとう」の一言もなかったと思います。

 結局、近くにいれば、誰もがケアラーになるような気がします。身体的弱者とは限らずに、お互い様なのです。