2017年1月28日土曜日

田部井純子さんのこと

 田部井純子さんって,私の心の師であることは何度か書いたことがあります。もちろんお会いしたことはなく,テレビで拝聴したり,雑誌の記事を読んだりして,その人となりを伺い,生きて行く上での指針にさせて貰っていました。
 先日,その訃報が流れて,『ああ』と思いました。今までは盲追していたものを、『なぜ,どこが』と考えて,理解しなければならない時が来たのだなあと思いました。
 田部井さんの生きた姿勢を考える上で,少し,ヒントとなったことがありました。それは小池百合子東京都知事の姿勢と,それをテレビでコメントしていた田中京さんの話です。田中さんは確か,企業経営者などのメンタルトレーナーをしていると字幕ででていたような気がします。そのコメントが実に細かったので、全部は再生できませんが、とにかく,やることがすべて個人の感情を超えて,社会的な判断をしていて、大人の対応である、その上戦略をきちんとたてて実行していて,ということだったと思います。彼女は『マチュアー』だと叫んでいましたが,その通りだと思いました。
 それを見ていて,田部井さんも,周りに流されない人だったと思いました。これが大人ということでしょうか。
 例えば,エベレストに行く時,準備に時間がかかってしまった。既に結婚していたので,ご主人が,子供を産んでから行けと言われたそうです。そして不安なく,子供を産んでご主人に預けて出発したそうです。私なら,子供を理由にして,安易な道を選んでいただろうと思います。そこが目的を見失わない大人の生き方だったのでしょう。
 また,ご長男が手に負えない時期があったということも話されていましたが,子供は成長していくものだから,きっと大丈夫と考えていたと言っていました。やっぱり私なら,おろおろして,騒ぎ回って,無駄な工作をしていただろうと思います。
 そうなんです。自分に出来ることとできないことがあるんですね。人を支配することは出来ないんです。もちろん,ご長男のために最大限の配慮はされたと思いますが,冷静な判断だったと思います。
 もうひとつ、ガンの闘病をされたのですが,弱音はほとんど聞きませんでした。抗がん剤を打って,苦しい時期に山登りを楽しんでいたら,いつの間にかガンが消えてしまったと豪快におっしゃっていました。
 こういう対応,大人の判断は,やはり,山登りで体得されたのでしょうか。こういう冷静な判断力,実行力を持たなければ,危険な山は登れないのだろうと,いつも麓にいる私は思いました。一芸に秀でた人は,人生すべてに通じるのだと。
 でも,『そうじゃない』と思う部分もあります。そう思いたいけど,それもあったかもしれないけど,やっぱり,その下地があったのですよね。遺伝かもしれない,環境かもしれない,その素質があったからこそ、山にも挑戦できたのですよね。
 田部井さんの素質とは違うかもしれませんが,私のような凡人にも,何か有るはずです。そこを磨けばいいのです。田部井さんを見習いながら、少しでも大人になるために。

2017年1月22日日曜日

頭に浮かんだことはすぐに消える

 私の頭って、おばかにできているんですよね、きっと。何度もそう思いました。
 夜寝ていたり,テレビを見ていたりしていて,『あ,これはブログに書かなくっちゃ』と思ったことも,翌朝になると思い出せないのです。『私の頭,どうなっちゃっているんだろう』と,何度も思いました。考えてみると、歳を取ったこの頃のことではありません、昔からなんです。
 知識というのは,大脳皮質に入って,何度も何度も取り込まれたあとに,やがて髄質でしたか,そこまで到達して,記憶として定着されて、やっと思い出せるレベルになるのだということを,何かで知りまして,『ああ,これは受験勉強の話だ』と思ったのを覚えていますが,『これは,普通の話なんだ』とこの頃思うようになりました。
 それで,何か思いついたときにはすぐに書き付けるという,皆様方の経験を聞きまして,私も書くことにしていますが,たまにものぐさをして書き忘れると、さあ,大変。半日ぐらい大脳皮質を探り回っていますが,結局記憶の闇の中に消えてしまった物は見つかりません。『やっぱり,おばかだった』と思うことしきりです。
 歳をとって、何かかわったことがあるかというと,何か思いつくということ自体少なくなりましたが,時間があるせいか,着実に実行できているような気がします。
 若い頃は、気も散りやすかったのでしょうが,忙しくて,書き留めておいた物のほとんどを実行できませんでした。だから,今の『何者にもならなかった私』があるのでしょう。
 でも,これからだって,自分に集中して、思いついたこと、気づいたことを実行して行けば,私という者が少しでも出来上がるのだと信じて,やって行こうと思います。

2017年1月15日日曜日

メルカリ

 ネットが発達したことで,普通の人にも物を売るのにいろんな形の可能性が出来ました。
 ネットショップもその一つです。私のような普通の人が,幸いにも無料でショップを開けたのです。無料じゃない、大きなネット通販のサイトはたくさんあります。
 その他にオークションという方法もありますが,面倒くさそうで私は利用したことがありません。
 メルカリという名前をテレビ画面上で見たのは,今度が三度目です。一回目はコマーシャルで,個人間の商取引で、いらなくなった物を売りに出せば,それを見た欲しい人が買うというものでした。これはいいと思ったことを覚えています。使わない物ってたくさんありますからね。
 二回目は投資会社の社長が,メルカリを例に出していたのを見ました。世界展開をはかっていて,またお金を集めているのだそうです。私はその人がメルカリの社長だと思っていたのですが,三回目の今日,メルカリの紹介をしたのは,別な社長でした。
 若い頃に世界を旅行して,豊かな国では使える物まで捨てられて行く,もったいない,これをなんとかできないだろうかと思ったのが最初だそうです。それで,アプリを開発して起業したのだそうです。確かに社会に役立つ企業発想ですね。
 先の投資会社の社長が言っていましたが,このとき失敗したら,投資家が出資したお金は戻らないのだそうですね。幸いにも成功したので,きっと投資会社も投資家も大もうけしたのでしょう。
 やっていることは私のネットショップと同じです。もう使わない物の写真を撮り,値段を付けてサイトに載せるのです。そうすると,ちょうど必要としていて,探していた人が買うと申し込み,メルカリにお金を払い,メルカリは10パーセントの手数料を引いて代金を売り手に払い,売り手は買い手に商品を発送するという仕組みだそうです。ちょっと気になるのは,郵送料などはどういう仕組みになっているのだろうということです。
 でも幸いなことに、これは,スマートフォンにだけ対応するアプリのようで,スマホを持たない私には関係ないのです。私はただひたすら,私のネットショップの整理整頓をして,お客様に丁寧に対応すればいい。メルカリはライバルではありません。が,気になります。

2017年1月12日木曜日

ねたみの心の原因

 私ってなぜ仕事のできない人間なのかなと思うことがあります。いろんなことが気になってあれもこれもと欲張って集中できないのですよね、きっと。
 野球選手を見ているとその差が歴然とわかる気がします。彼らは一年中体を鍛えて練習しているのです。私はといえば、一年中「痩せたい」「痩せたい」と言いながら、一向に痩せられない。年金を貰っていて、ネットショップと家の周りの野菜づくり以上の仕事はしなくていいのですから、やる気になれば痩せるための運動でも食事制限でももっと時間を割いて取り組めるはずなのです。
 ところが、何年たっても同じ体重、同じ体形。「やる気があるのか」と叫びなくなります。
 これって何なんでしょうね。それでも人並みに、痩せている人をうらやましいと思ってしまうのですよ。テレビに出ている女優さんなんか、「あんなに痩せていて、よく活発に動けるな」とか、「具合い悪くないのかな」とか思いながら、あんなになってみたいと思っているのです。これって、ねたみです。
 結局、自分に集中していないからなんですよね。人のことを言う前に自分で努力しているかなんです。やるしかないんです。
 広島の広報さんのブログに、みんな喜んで帰ったと思っていた勝ち試合の後にトレーニングルームで音がする、誰かと思ってのぞいてみたら、その日打てなかった鈴木選手が素振りをしていたというのがありました。
 私も頑張りましょう。

2017年1月6日金曜日

為替と経済

 私のネットショップに十二月は注文が来ませんでした。注文がない月というのは四年以上やっていて、二、三度はありました。娘に言わせると、「もうめぼしいものは売れてしまったんだよ」ということでしたが。
 でもね、やっぱり私なりに原因を考えるのです。最初はどうしてだろうと思って、サイトを運営している会社にも「どうしてかしら」と相談したこともありました。そのうち、検索しても私のショップが出てこないことに気が付きました。運営者もわからなかったらしいのですが、値段の改定だけでも更新を細かく続けなければ、検索の上のほうには出てこなくなると友人が教えてくれました。そういえば、一応手持ちの本を入れ終わって、そのあと、胆石の手術などもあり、ブログを更新していなかったのです。このブログはショップとリンクしているので、ブログを更新すれば、ショップのほうも更新したと反応してくれるみたいです。原因はこれかなと思いました。10月は広島の優勝もあり、忙しくって更新していなかったのです。
 もう一つは為替です。一時、ものすごく円高の時があり(一ドル80円近くまで行きました)、そのころ、デフレと言われ、日本は不況であるといわれました。我々年金受給者にとっては、モノが安くなり、かつ政策で、年金額がさほど下がらなかったので、本当に楽に感じられた日々でした。でも、前にも書きましたが、その不況のころ、やっぱりショップにあまり注文は来ませんでした。
 その後、アベノミクスで、一ドル124円くらいまで上がって、今は一ドル117円と今日のニュースで言っていましたが、この間に、一ドル100円近くまで下がりました。この間に世の中に何が起こったか、正確なことはわかりませんが、一つだけ、1テンポ遅れで、トイレットペーパーの値段が6個入りで50円ほど安くなりました。一ドル124円と100円の差です。117円になった今はまた上がるでしょう。この1ドル100円というのが不況の時だとしたら、企業努力をほとんどしないわがショップは前回同様、また売れなくなったのだと思います。
 私が好きで見ている中古住宅も、一時、目を引くような売り物は出ませんでしたが、このところ、結構築浅住宅が混じるようになってきていました。これも一ドル100円の時の不況のせいでしょうか。
 今は新築住宅があちこちで建てられています。ゼロ金利で企業も個人もお金が借りやすくなっているのだそうです。かつ円安にも振れているので、景気指標も上がっているようです。加えて災害特需とオリンピック特需。
 こんな状況で、また円高に振れだしたら、バブルの再来になるのではないかという警鐘を鳴らす番組もありました。2020年オリンピックが終わったあたりにと言っていましたが、あのバブルの前に大借金をしてしまってやっと返済を果たしたわが家は気を引き締めています。