2017年10月28日土曜日

お母さん

 この頃、『煽り運転』とか、『政治家の不穏当な行動』とか、『子供の自殺』とか、『暴力』とか、まるでサスペンスドラマのような事件が報道されるようになって、ニュースを見るのも嫌になり、チャンネルを回してしまいます。
 俳優の武田鉄矢さんが27日に放送されたフジテレビ系金曜プレミアム『坂上忍と大激論! ニッポンの危機 もう他人事ではない! あなたの生活を崩壊させる!? 教育危機』(後7:00)に出演されて、立派な講演をされていたのをちょっとだけ拝見させていただきました。夫の見ていたテレビに、足を止めさせられたといった感じです。
 武田さんは確か教育学を先行したのだと思いますが、まさに尾木ママのような講演でした。内容は、意訳ですが、『子供は教師の心を見て育つ』ということで、アル中の先生の話をして笑いを取りながらお話しされていました。多分、先生役をした経験から、他でもこういった講演を頼まれるのでしょうね。確か、武田さんが有名になってから、武田さんのお母さんも講演を頼まれてしていたと聞いたことがあります。
 で、私はというと、実はあの有名なドラマはほとんど見たことがないのです。私が知っているのはあの、最初に有名になった『母に捧げるバラード』です。何か私も笑いながらもたくさんのことを武田さんのお母さんに教えてもらったという感じでした。今回、ちょっと歌詞を調べてみましたが、最後のところに一番感動した詩がありました。
 『死ぬ気で働いてみろ、テツヤ。働いて、働いて、働きぬいて、遊びたいとか、休みたいとか、そんなこと、おまえ、いっぺんでも思うてみろ、そんなときゃ、テツヤ、死ね。それが、それが人間ぞ。それが男ぞ。お前も故郷を捨てて、花の都に行く限りは、輝く日本の星となって帰って来い。行って来い、どこへでも。』
 この歳になるとわかりますが、確かに『人のために働き続ける』、それが人間なんです。中島みゆきさんの『地上の星』を思い出しました。
 でも、ここには、『いつかはお前も世の中の傘になれよと教えてくれたあなたの真実』というニュアンスは含まれていません。これも感動したフレーズでした。あれは森進一さんの歌った川内康範さんの『おふくろさん』の詩でしたね。で、これも調べてみました。一部ですが、 
 『雨の降る日は傘になり、お前もいつかは世の中の傘になれよと教えてくれた、ーーーーー
 花の命は短いが花の心のいさぎよさ、強く生きよと教えてくれたーーーー 
 雪が降る日はぬくもりを、お前もいつかは世の中に愛をともせと教えてくれたーーーー』
 川内さんは確か小説も書いていたと記憶しています。みんなお母さんの教えの通りに生きてきたように思います。  
    先日、衆議院選挙の後に、お隣のおじさまとおしゃべりをしましたが、「世の中、みんな、自分中心になっている、政治家も経営者も」と嘆かれていました。特に鉄鋼や自動車の不正がニュースになっていたので、「自分は電力関係の仕事だったから、社会的責任というのを徹底して教えられた」と。 
 そこまで、大きなことは思いませんが、せめても、世の中の傘になれるように、愛を持って人に接していきたいと思わせてくれる、詩の数々でした。

2017年10月20日金曜日

この頃の私のダイエット

 やることがいっぱいあって、忙しいと書きましたが、生活に密着したものはやるしかないものですが、今、目玉としてやっているものは食事も運動も含めたダイエットです。健康、もう、これしかないという感じです。コマーシャルみたいですが。
 万年ダイエッターの私ですが、これでも毎日ダイエットのことを考えていろいろやっていると、自分に合う合わないがあるということがだいぶわかってきます。例えば、糖質制限は『元気がなくなるな』とか、昔みたいにカロリーを制限すれば痩せるけれども、どこかに足りない栄養が出てくる、あまりお金をかけたくないので、サプリは目にいいというやつしか飲みませんので、『これはもうできないかな』とか。
 それで、食事は食べ順ダイエットがいいかなとこの頃は少し気を使っています。もちろん、ドカ食いはなかなか治らないのですが、私が食べると、夫も食べてしまって、血糖値が上がってしまうので、これは責任問題でもあります。でも、おなかがすくのでよく食べているほうです。
 運動はやっています。最初は広島カープを応援しながらのゴロゴロ足上げ体操からスタートして、公民館の講座に参加、ウオーキングやヨガの基本を教わりました。だんだん講座に行く時間が無くなってきて、暇なときに自分たちでウオーキングに行くようになり、私はケーブルテレビのヨガ講座を見つけて、もっぱらケーブルテレビストレッチです。
 この頃は夫は自主的にウオーキングに一人で行くようになり、二人では歩きません。というのも、私は歩くと腰が痛くなるのです。身長に比べて私は体重が重いのです。だから、腰痛のためにも体重を減らしたいのですが、結構注意しているつもりなのに減らないのです。
 ケーブルテレビストレッチの前に講師の皆さんが「続けていると、体が変わってくるのがわかります。」とおっしゃるので、信じて、もう昨年の冬から真面目に一年です。体重も腰痛もほとんど変わりませんが、確かに筋肉は付きました。おなかも以前より硬くなりましたし、何より、動くのが楽です。これで、軽くなりさえすればです。
 私はもともと運動は苦手で、たった30分のケーブルテレビストレッチでも、怠けたくなります。最初は逃げてた時もありました。『これは無理だ』と自分で制限をつけてしまうこともありました。でも、この頃、無理と思ってもやってみるとできるのです。自分でもびっくりです。これって、筋肉がついたからですよね。
 でも、運動をすればするほど、おなかもすいて食べてしまうのです。それで、この頃は食べ順がやりやすいように、品数を増やしました。少しずつおなか一杯にするように一品の量は少なめ。
 それとオメガ3がいいというので、この間亜麻仁油を買ってきて時々かけています。油じゃなくっても青魚でもいいというので、鯖缶が安くなると大量に買いこんでいます。
 さてさて、ここから一年、着いた筋肉を逃さないように、おなか一杯食べて、オメガ3でメンテナンスしていこうと思いますが、体重は減ってくれるでしょうか。

2017年10月13日金曜日

忙しいとチャレンジを忘れてしまう

 貧乏暇なしといいますけれど、雑用に忙殺されていると、『あ、一日が終わってしまった、これとこれは明日だな。』という生活になってしまいます。特に忘れっぽくなってきたこの頃は、やるべき事を思いついたときにメモしておくようにしています。そうしないと必要な買い物さえ忘れてしまいます。
 こうして、二つある私の机の上にはメモ用紙がいっぱいです。家でやる仕事、一日30分三回の体操の時間割、家にある食材と照らし合わせた三食の献立、衣料品の整理や手直しの予定、買い物のリスト、出かける予定。果ては見たいテレビの放送時間まで。
 最初の頃はB6番のバインダーに同じサイズの不用紙を重ねて日めくりカレンダーよろしく毎日の予定表を作っていたのです。それが、いつの間にか持ち歩きする買い物リストが別になり、一日では終わらない衣料品の手直しも別になり、今は三種類。メインの毎日の予定もB6番では足りなくなりましたが、バインダーはA5番の用紙を受け入れてくれません。
 この忙しさは、でも生きている証拠ですよね。この間、娘の一家が泊りがけで来たときは、一週間前から布団を出して日に干し、三食分の料理の献立と買い物をし、掃除をし、帰った後はさすがに動く気がしませんでした。いまだに布団が半分出しっぱなしです。
 そのうえ、不出来だった庭のブドウがそれでも五分の一ほどはジャムにできそうで、半分ほど取りました。あとは伸びた柘植の木の年に一度の剪定。夏の間、大きく茂って日よけになり、さらには小さなトマトを食べさせてくくれたトマトの片付け、これらもリストに入れて、天気との兼ね合い、外出との兼ね合い、ごみの収集日との兼ね合いを頭に入れて、行動を起こさなくてはなりません。
 確かにみんな生きている証拠で、楽しくってやりがいはありますし、やらなければ生活できないのですが、この先、どうやって生きようかとか、本を読もうかとか、未来への展望を考える時間というか、ゆとりというかが全く持てないのです。
 という嘆き節ばかりでしたが、ちょっと欲張りすぎてもいるんですよね。メインになる目標を決めれば、その達成で、他の雑用は最小限でいい事になるのですが、そうはいかないのが、70年近く生きてきたものの宿命のようです。大事なことがいっぱいあるのです。母の作ってくれた着物も大事、なんとか活用しなければと思うし、私たち夫婦の健康も大事、運動しなければ、食事も大切にしなければ。年金生活のやりくりも大事、無駄を省いて、その中でも家族が楽しく過ごせるようにしなくっては。
 そう思うと、これを乗り切って、さらなる目標に挑むためには卓越した頭脳の躍動が必要です。そして、だから、年をとってからの十年は早いということでしょうか。

2017年10月6日金曜日

私が初めて着た着物

 最近着るもののリフォームをしていると話しましたが、その材料の中でも気にかかるのは、着物です。昔は嫁に来るときに着物専用のタンスが嫁入り道具の中にありました。いわゆる三点セットで、洋服ダンス、和ダンス、三面鏡です。我が家の娘の場合は経済的な理由から身一つで出しましたが、田舎で、そのころ経済的にお金の回っていた私の両親は見栄もあったのか、一通りの嫁入り道具をそろえてくれました。その和ダンスに中身がないというのは恥と考えてか、めいっぱい入れてくれました。姑もまたその時代の育ちで、裕福な家から来たために、お嫁さんの道具にうるさかったのです。
 そういうわけで、私の和ダンスには着物がいっぱい。着方もわからず、手入れの方法とて、うろ覚えなくせに、持ち腐れもいいとこです。ほとんどは仕立ててもらったのですが、中に一つ、高校生の頃に、母が太っていた私のために自分で仕立ててくれて,何回か着た着物と羽織のセットがありました。ウールの一重で、母の好きな紫地に絣の模様がはいっていました。色合いは柔らかなのですが、ウールですから結構ゴワゴワしています。ほかにもウールの着物は引き出し一つ分、袖も通さずにありますが、他のは目に入らず、直すのなら、これと決めていて、先日ついに引っ張り出してきて、まず弱い水流の『ドライ』で洗いました。今はウールでも洗濯機で洗えますから楽です。
 それから、まず羽織の紐をとり、体に合わせてみました。一重ですが、お尻のあたりが二重になっていて、肩には滑りのいい裏地がついています。これなら温かいかもしれないと思いました。襟は折り返しになっているのですが、立てると温かくてちょうどいい高さです。それで、襟を立てた状態にして、前を爪式のスナップで止めるようにしました。
 袖は切って筒袖にしましたが、そのままでもよかったかもしれません。
 着物のほうは襟の下で切って、じんべえさんのようにひもを付けました。昔、『標準服』とか『上っ張り』と呼んでいたものかもしれません。袖は筒袖にしました。前は二重になりますし、肩当もついているので、温かいとは思いましたが、『いしきあて』は外して、一応防寒のためにお尻のあたりに縫い付けました。
 さて、切った残りが難題です。なにせ、一重のウールで、ごわごわしていますから、用途も決められてしまいます。二重にして、ショールのようにするか、裏をつけてちゃんちゃんこのようにするか。で、その折衷案として、貫頭衣の前あきを考えました。裏には娘たちの昔のセーラー服のひだスカートをほどいて使いました。あれはウールです。と、いうわけで出来上がったのですが、前見頃と後見頃がばさばさしていて、動きずらい。で、脇の下のほうを五センチほど重ねて縫いました。これで、着やすくて動きやすくなったのですが、前が開いてしまって気になる。そこで、また、爪式のスナップを一個つけて、一件落着、これが一番重宝かもしれません。