貧乏暇なしといいますけれど、雑用に忙殺されていると、『あ、一日が終わってしまった、これとこれは明日だな。』という生活になってしまいます。特に忘れっぽくなってきたこの頃は、やるべき事を思いついたときにメモしておくようにしています。そうしないと必要な買い物さえ忘れてしまいます。
こうして、二つある私の机の上にはメモ用紙がいっぱいです。家でやる仕事、一日30分三回の体操の時間割、家にある食材と照らし合わせた三食の献立、衣料品の整理や手直しの予定、買い物のリスト、出かける予定。果ては見たいテレビの放送時間まで。
最初の頃はB6番のバインダーに同じサイズの不用紙を重ねて日めくりカレンダーよろしく毎日の予定表を作っていたのです。それが、いつの間にか持ち歩きする買い物リストが別になり、一日では終わらない衣料品の手直しも別になり、今は三種類。メインの毎日の予定もB6番では足りなくなりましたが、バインダーはA5番の用紙を受け入れてくれません。
この忙しさは、でも生きている証拠ですよね。この間、娘の一家が泊りがけで来たときは、一週間前から布団を出して日に干し、三食分の料理の献立と買い物をし、掃除をし、帰った後はさすがに動く気がしませんでした。いまだに布団が半分出しっぱなしです。
そのうえ、不出来だった庭のブドウがそれでも五分の一ほどはジャムにできそうで、半分ほど取りました。あとは伸びた柘植の木の年に一度の剪定。夏の間、大きく茂って日よけになり、さらには小さなトマトを食べさせてくくれたトマトの片付け、これらもリストに入れて、天気との兼ね合い、外出との兼ね合い、ごみの収集日との兼ね合いを頭に入れて、行動を起こさなくてはなりません。
確かにみんな生きている証拠で、楽しくってやりがいはありますし、やらなければ生活できないのですが、この先、どうやって生きようかとか、本を読もうかとか、未来への展望を考える時間というか、ゆとりというかが全く持てないのです。
という嘆き節ばかりでしたが、ちょっと欲張りすぎてもいるんですよね。メインになる目標を決めれば、その達成で、他の雑用は最小限でいい事になるのですが、そうはいかないのが、70年近く生きてきたものの宿命のようです。大事なことがいっぱいあるのです。母の作ってくれた着物も大事、なんとか活用しなければと思うし、私たち夫婦の健康も大事、運動しなければ、食事も大切にしなければ。年金生活のやりくりも大事、無駄を省いて、その中でも家族が楽しく過ごせるようにしなくっては。
そう思うと、これを乗り切って、さらなる目標に挑むためには卓越した頭脳の躍動が必要です。そして、だから、年をとってからの十年は早いということでしょうか。