2014年3月29日土曜日


80歳になっても脳は発達する

 ヘッドセットを取り出してから、真冬の寒さの時期に入ってしまい、また一ヶ月ほど延びてしまいそうです。でもその間、暖かい寝床で読める本を読もうと、なん冊かまた枕元に置きました。
 中でも、成田奈緒子先生(お医者さんだそうです)の『脳の進化で子どもが育つ』という本は、薄い本なので夕べ一晩で一気に読んでしまいました。
 そこで、体の衰えとは反対に、『80歳でも脳は進化する』という項を読んで、何となく、実感したんです。確かに『私は随分利口になったような気がする』と思ったのです。
 物忘れは多いのです。でも、考えたり、工夫したり、人とのバランスをとったりが、昔はあんなに下手で、閉じこもり気味だったのが、今は大分のびのびと出来るような気がします。
 という事を、友人たちに書き送りました。
 これは、昔から『年の功』とよくいわれているものでしょう。でも、昔はこの年の功の知恵が全く働かずに、よくあちこちで衝突しては、後悔ばかりしていました。
 夫の操縦も然りです。今は人に自慢するほどうまく操縦していますが、昔は、思い通りに動かそうと、気を揉み、けんかをし、それでもうまく行かずに、お互い病気になりそうでした。
 もう一つ、この歳になって悟った事は、『人生はもう、今だけで良い』という事です。年上の人たちが少しずつ亡くなり、人間関係は収縮して行くばかりです。先輩たちの期待に添う必要も、成果を誇示する必要もなくなり、今は肌の触れ合うほど近くにいる廻りの人たちと、張り合う事もなく、誠実に付き合う事だけが幸福であると、自分の立ち位置が分かるようになって来ました。大変な進歩だと思います。


家の設計図

 読み上げは手直しが難しいとネットの記事で読んで、とにかくナレーションに挑戦する事にして、更にナレーションの吹き込みの記事を読むと、マックミニには内臓マイクが無いと知って、電気屋さんで、その記事を持って行って、調べてもらって、何とかヘッドセットのマイクを買ってきました。そこまでしたら、もう、心が折れそうになってしまいました。
 しばらくヘッドセットを箱から出すのも面倒になってしまって放ってしまいました。もう先に進めないんじゃないかと思っていた時、いつの間にか、久しぶりに家の図面を描いていました。これと不動産探しは私の逃げ込むところなのです。何か、夢を見られるのですよね。こんな家に住んだら、どんな生活が出来るだろうかと、どんな楽しみが待っているだろうかと。
 結局、夢は夢で、決して現実にはならないですが、でも、考えました。今チャレンジしている動画を完成させたら、少しでもお金が入って来たら、一歩でも図面の家に近づけるのではないだろうかと。これもまた夢の一部なのかも知れませんが。
 亡くなられたやなせたかしさんが言っておられました。「諦めないで続けて行く事だ」と。「続けていたから今の自分があるんだ」と。確かにその通りでしょう。例え成功しなくっても、私は好きな事をしているのだから、この他に道は無いのです。
 そう考え直して、図面描きをやめて、ヘッドセットを箱から取り出しました。
 若い人達のように、「ネットで遊んでいます」とは言えません。『夢を叶える為に』もっと端的に言えば、「お金を稼ぐために」というモチベーションが無ければ、前に進めない弱さが私にはあるのです。

2014年3月22日土曜日


動画アップへの道

 家にある本で、ショップに並べていいものは、だいたい出し切りました。あとは、三つのショップの特徴に沿って本を並べ替えたり、セットのものを一冊ずつにしたり、値段を調べ直したり、関連商品のお知らせを入れて行ったりという、お店の管理と、誰も見てくれないけれども楽しいブログの執筆と更新があるだけです。勿論これを一日二時間くらいずつ、毎日して行かないと、検索エンジンに怠け心を見透かされてしまうという事は、今年の夏に経験済みです。
 でも、売れないにしても売る為に並べる本が底を突くということは、何となく寂しく不安な思いがします。まだ、コレクターっぽい夫が隠れて集めた花瓶とか、絵とか、書とか、硯とか、得度した夫が買った仏具とか、『使わないでしまってあるものはあるんだけど』とか考えない事もありませんが、これらはカテゴリーが違ってしまうから、また、別の頭を使わなければならないだろうと思います。
 それよりは、やっぱり原点回帰です。人間は誰でも自己表現したいのです。私のような対人恐怖症気味の人間でも。
 そうして、頭はまた、次のターゲットと定めた動画に戻るのです。
 先ず、描いた紙芝居の絵をスキャナーで取りました。そしたら大変、縦方向と横方向があるのです。好き勝手にやっていて、規制を全く考えていませんでした。どうしましょう。
 ナレーションも私がするつもりでいましたが、「ナレーションは必要ないのだ」と娘が言います。どうした事でしょう。娘がアップした動画は自動音声でいれたのだそうです。だから、吹き込みの仕方は知らないというのです。こうなったら自分で調べるしかありません。やっぱり、あとは娘におまかせなんて、うまい事が出来るはずがないのです。
 でも、と考えました。打込んだ原稿を自動音声で入れられるなら、英語の紙芝居も出来るかもしれません。そうするとアメリカの友人にも見せられます。やってみる価値はありそうです。
 そうこうしているうちに、ヤフーの無料ショップの申込がひと月延びて年明けになってしまいました。準備が間に合わなかったのでしょうね。私の動画と同じです。なかなか予定通りには行かないのです。これで、十二月は動画にかかり切りになれそうです。
 加えて、娘の仕事が忙しくなって、余り、当てに出来なくなりましたので、全く、手探りで、一人でやってみようと思います。と言うと、娘に怒られそうですが。
 先ず、縦横バラバラな紙芝居の絵を、フォトスタジオを使って同じ方向に直しました。それをアイムービーにドラッグする所まで、アイムービーの説明書を印刷して読みながらやりました。さて、その次は。

2014年3月21日金曜日


妄想

 一人暮らしの知人が、博士号を授与されたと言うお知らせをくれました。彼はもう、いくつか博士号を持っているはずです。そんなにいくつも取れるものかしらと気になっていた私は、彼の事とは別に、自分のある秘密を思い出しました。
 それは、ついこの間、気がついたのです。それまでは、人には言いませんでしたが、『私はあそこと、あそこに土地を買って持っているはずだ、あれはどうしたんだろう』と、ずっと思っていたのです。
 一つ目は田舎で小川のながれる林の中の土地でした。もう一つは神社の境内の中の小さな貸家のような古い家で、すぐにそこを知人に買ってもらって、やはり川のほとりにモダンな建て売り住宅を買ったはずでした。
 田舎の緑の木漏れ陽があふれる林の中は、土地でしたから、そのままになっているとずっと思っていましたが、場所が特定できないのが不思議でした。
 モダンな建て売り住宅は、売った記憶もないのに、今そこに住んでいないのはどうしてだろうと不思議でした。四十年が経つ間に、少しずつではありましたが、あれは夢だったのだろうかと少しは思いました。それでも、最近になって、暇ができて、物事を冷静に考えられるようになるまでは、全否定するにはあまりにリアルでした。
 最初の林の中を買ったときは、結婚して、病気の舅と個性の強い姑と同居し、毎日泣いて暮らしていた頃でした。ある日、心配した夫が近くの建て売り住宅を見せてくれて、『ここを買って別居しようかと考えてもいたんだが、お父さんがいるからね』と言った頃だったと思います。
 その頃長女を妊娠していたのかもしれません。私が買ったと思っていたのはその建て売り住宅ではなくて、光あふれる希望の土地でした。その後、次女を妊娠し、家を飛び出した私は、夫が近くに建てた家に別居しましたが、まだ、私の土地は所有している気分でした。
 二つ目の建て売り住宅は、仕事を始めた私がストレスに耐えかねて、うつ状態になり、どこかに引っ越したいと思っていた頃だったと思います。
 どちらも二十代の終わりの頃でした。あれは妄想だったのでしょう。まるっきり現実と区別がつかなくって、ずっと現実だと思っていたのです。それにしては実体がないと不思議だったのです。ストレスがかかりすぎると、人間はどこかに希望の逃げ道を造ろうとするのでしょう。もしこれが起こらなかったら、うつか過労死かで死んでしまうのかもしれません。フィクションではよく見ていましたが、私にも起こったのですから、誰にでも起こりうる事なのでしょう。
 あとで知ったところによると、名誉博士号ならいくつでも貰えるらしいのですが、知人の、他人にはどうでもいいお知らせのおかげで、私は自分の妄想の事実を、はっきりと事実として認識することができました。本当にあの頃は、廻りを見る事もせずに、ただがむしゃらに夢中で生きていた気がします。廻りに多大な迷惑もかけたような思いもあります。今は少しでも廻りに気を配りながら生きて行けるのは、わずかでも入る年金のおかげだと思います。心にもゆとりができるのです。それに頼りながらも甘えないで、人として誰かのお役に立って、少しでも社会参加しながら、働いて行きたいと思います。

2014年3月16日日曜日


三ヶ月ぶりに注文が来ました

 小さな文庫本でしたが、思わず叫んで、家族に知らせてしまいました。一安心です。
 何が原因だったのでしょう。ブログのアクセス数を見ると、入院していた四月と、退院して家で養生していた五月はアクセスが減って行き、多分、四月の中頃から公開しなくなったのだと思いますが、六月はアクセス数ゼロでした。
 七月も、エッセイは少しずつ書いていたのですが、ブログにアップはしませんで、『ショップへのアクセスが減って行く』と嘆いていました。
 ショップの本棚はほとんどいっぱいでしたが、それでも本を見つけると、ショップには少しずつ入れてはいました。そのせいか、七月も八月も、ブログの方にも月に、二、三個のアクセスがありました。
 八月、大きな本が一つ売れて、その後ショップへはアクセスは殆ど無くなってしまいました。それで、自分で検索をしてみても引っかからないことを発見し、『何とかしてくれ』と慌ててゼロショップに泣きを入れたのです。その時は、セロショップが六月に何かの攻撃を受けて、システムが壊れたというニュースがあったので、そのせいかと思ったのです。ゼロショップのせいだとばかり思っていたのです。
 そこで教わったのは、頻繁に手入れをする事でした。前にも書いたように、ほとんど本を入れ終わっていたので、手を抜いていたのです。半信半疑で教わった『関連のある書籍』を探し出しては『関連書籍』の項に数字で入れて行きました。そんな事を続けていたら、制限以上に本を入れてしまって、ゼロショップモールへの出店が消えてしまいました。一週間待たないと直らないようで、慌ててFC2という別の無料のショッピングモールに『メイプル』というショップを登録して、本を少しずつ移しました。まるで泥縄です。
 FC2に登録するとすぐに、知らない所から電話がありました。その会社は、有料でアクセス数をあげる手伝いをしてくれる会社のようでした。ちょっとだけ教えてくれましたが、器械で商品すべてに一気にアクセスをかけるようです。そうすると頻繁にアクセスされる事によって、検索の上位に上がって来るらしいのです。友人も言っていましたが、そういう仕事をしている会社があるらしいのです。それを聞いて、それなら細々とでも自分でやってみようと思いました。お金をかけるほど売れないですし、細々とやるのがちょうどいいのです。
 コンピューターに詳しい友人が、『ブログには検索エンジンの回って来る率が高いので、ブログにリンクを張って、まめに更新するといい』と教えてくれましたので、九月中旬頃から。書きためていたものをまた順々にアップし始めました。本当に、ブログを読んでくれる方など数えるほどしかいなかったのです。それでも、今思うと、外国のスパイかと思われるようなトラフィックが来ているだけで違うようです。トラフィックとはもしかしたら、検索エンジンの事なのではないでしょうか。それならそうと言ってくれれば、素人でも分かるのにと思います。
 十月一日に、ゼロショップモールへの出店が表示されるようになって、再スタートを切りました。昨年の今頃はゼロショップのエブリカラーショップをいっぱいにするために必死になって毎日たくさんの本をアップして並べていましたが、そんなに必死になる事はないんですね。糠どこみたいに毎日少しずつでいいみたいです。実は私は、これが苦手で、糠どこは何度やっても続いた試しがありません。でもショップだけはそうはいきません。毎日少しずついじり回さなければ、ネットの闇に葬られてしまうようです。
 そうして、三ヶ月、やっと検索されるようになったのでしょう。実は昨年も、本格的に本を入れ始めたのは九月からで、本格的にお客様が来るようになったのは十二月の末、やっぱり三ヶ月。対策を始めて、三ヶ月しないと、検索エンジンに認めてもらえないという事でしょう。
 季節的なもの、ブログの停止、ゼロショップ側の問題、制限までいれ終わってしまった事などのどれが原因かと考えても、分かりませんが、ブログの再開と、自己検索とサイトの手入れ、複数サイトのリンクなどの対策をとった事が回復に繋がったのかと思います。さて、十二月にはヤフーにもリンクできますし,動画にももしかしたらリンク出来るかもしれません。楽しみです。

2014年3月13日木曜日


絵を描く事

 ネットショップの管理と準備をしながら、家事をしながら、健康管理をしながら、絵を書く事はなかなか時間の配分がうまく行かなくって、紙芝居の絵が、一応出来上がったのが、十一月中旬になってしまいました。
 その過程で気がついたのです。
 私の姑は個性の強い、芸術家肌の完璧主義の人で、実際身近に芸術家が多かったのですが、その上に、お嬢様でわがままに育った人でした。だから、出来る事ならすべてを自分のコントロールの下に置きたい性格で、息子たちの家庭の一挙手一投足に口出ししては、どこに行ってもトラブルを起こしていました。
 その姑が、舅の死後、本格的に絵を描くようになりました。舅の生前にも私たちに舅の面倒を頼んだり、舅を一人留守番させたりしては絵の教室に参加していましたから、元々好きだったのでしょう。
 舅が亡くなって一人になると、寂しくもあるようで、何をしてくれ、かにをしてくれと、近くに住む夫へのお呼出は頻繁でした。私は子育てに、仕事に、夫の手伝いにと忙しい毎日を送っていましたから、少しは子育てでも手伝って貰いたい等と甘い期待も抱いていたのです。
 とんでもありません。近くなので、娘たちが遊びに行くと、すぐに送って来てくれてしまいました。『絵を描いていて忙しいから』という理由で、お呼出以外の訪問は断られました。姑の晩年、近くに帰って来て面倒を見てくれた義兄に対しても同じです。
 姑の絵は九十五歳で亡くなるまで続けられ、かなり上手になっていました。
 そうなんです。絵を描いていると、それに没頭していられて、息子たちの家庭に接触しない分、関係は悪化しないのです。接触は展覧会に来てもらうときと、手伝ってほしい時だけですから。
 今になれば、私も分かりますが、歳を取れば、廻りの親しい人たちもどんどんこの世から消えてしまって、自分に愛情と注意を向けてくれる人たちがいなくなりますから、何か没頭する事を持っていなかったら、寂しさも一入でしょう。
 絵を描く事は、姑が考え出した自己管理法ではなかったかと、今は思います。誰でもそうだと思いますが、自分の気質に悩まない人はいないと思うのです。姑とて、『あんなに意地悪を言って』、と私たちが恨むほど,言いたい放題を言って、人を傷つけ、人に拒否されて、それでも抑える事の出来ない気質に悩まなかったはずはありません。私もその気があって、時々反省と後悔に悩まされますから。
 二度とかかわり合いになりたくないと思いますが、そんなわがままな私とよく似ている分、いろいろと考えさせてくれる存在でした。私もそう思われているのでしょうね。
 さて、これからナレーションを入れて、娘に登録の仕方を教わって、動画を完成させます。これが私にとっての自己管理法、自己発散法になるのかもしれません。『あなたは娘たちばかりでしあわせよ』と姑はよく言っていました。

2014年3月6日木曜日


商品が検索の上位に来る方法を教えてくれるそうです

 三つ目のネットショップの申込をヤフーにして、最初のメールに、『次は商品が検索の上位に来る方法をお教えします』というような内容が書かれていたので、ついつい期待してしまいました。
 読んでみると、先ず第一にヤフーの集客力を挙げていました。お客様が主にヤフーショッピングモール内で検索をするのだそうです。そうして注文するのだそうです。目的の商品の検索のときに、他の商品の宣伝も混ぜて下さるようで、そうすると、検索率が上がるのでしょうか。素人にはいまいち仕組みが分かりませんが。
 三通目のメールは成功しているショップオーナーへのインタビュー記事でした。
 これはちょっとだけ頷ける所がありました。彼のショップオーナーは『複数サイト戦略』を取っているのだそうです。つまり、自社ショップサイト、他のモール、ヤフーのモールにも数店、専門化したショップを同時進行で運営しているのだそうです。
 つまり、リンクを縦横に張り巡らしているという事ではないでしょうか。これは、私が最近気づいた事と同じではないでしょうか。違いますかね。
 彼のショップは時代にマッチした最新の商品を大々的に取り扱っている本物の商いをしているので、私の『所蔵本売り』とは違いますけれども、『リンクを縦横に張る』のがいいというのは一緒だと、妙に納得しました。
 やっぱり、自分のネットショップとブログをリンクさせる事は検索を上位に持って来るために必要なのではないかと思いました。
 十一月に入って、様々な努力と試行錯誤の末、アクセス数は少しずつ戻ってきましたが、注文メールはこの約三ヶ月ほど全く来ていません。さて、どうなりますことやら。