2020年4月23日木曜日

自学ノート 

 『自らテーマを見つけて学ぶ「自学」を小3~中3までの7年間、人知れず続けた少年の記録。昨年の「子どもノンフィクション文学賞」大賞作を基に描くドキュメンタリー。』
 NНKの番組で、何かの拍子に一部見たような気がしたのですが、内容を把握しないまま、ただちょっと私に似てるような気がしてずっと気になっていたのです。それで、ネットで調べて、いつか見ようとお気に入りに入れておいたのです。それを今回見てみました。
 その中で、詳しく内容を説明し、私見を書いておられる『思泳雑記』というブログ『2019.12.15 Sunday「自学ノート」に励まされてーNHKスペシャル『ボクの自学ノート~7年間の小さな大冒険~』ー』を拝読させていただきました。
 この自学ノートの説明もよくわかり、梅田明日佳君のあり様もお母さんの心情もよくわかり、きっと自分で番組を見るより深く心に響いた気がしました。
 それに加えて、70代のこのブログの書き手が、このブログを自身の「自学ノート」として書いていられるということに、やっぱりああ、同じだと思ったのです。
 この方は、実際にいろいろ勉強されて自学ブログを書いていられるようですが、そんな暇は幸いにもないと豪語する勉強嫌いの私は、自分と摩擦のあるものに触発されるように、「真実とは」と大上段に構えて、生意気にも憂さ晴らしをしている感じです。それでも、図々しくも表現することによって、『わかった』と思えることは多々あります。
 この歳になると、自学も大ぴらにできますし、その時間もゆとりもあるのです。しかし、件の少年は周りの意見に左右されがちな年代に自分の心の声に従って、興味のある問題の本質を見極めようと自学を続けてきたのです。『ああ、私もそうすればよかったな、そうすべきだったな』と、人生も終盤に差し掛かったものとしてはうらやましく思います。どうせ私も『オタク』っぽかったのだから。
 そうは言っても、人生は誰にとっても、幾つになってもこれからです。しがらみや優柔不断さを断ち切って、心の赴くままに真実を見極め、苦手な『人とのかかわり』を見据えていきたいと思います。

2020年4月17日金曜日

つながりたいのかな

 コロナで身の回りがせわしなく、忙しくなってくると、ブログのネタもなかなかキャッチできません。結果、書くことは短いエピソードになってしまいます。
 コロナ注意報にもかかわらず、二日に一遍くらいス-パーに水を貰いに行くのですが、そこである出来事に遭遇しました。
 前に汲んでいる人がいたので、後ろに並びましたら、向こう側にも並んだ人がいました。いっぱい買い物をしたらしく、カートは箱で山になっていました。
 幸い、私側の前の人が終わったので、そのまま、そこで汲み始めましたら、山盛りのカートの人が、私の隣に近づいてきて、耳のそばで言ったのです。
 「おばさん、私より、先だっけ。」
 私はびっくりしましたが、確信があったので、「そうよ」と言いました。
 やがて、隣も空いて、その人も汲み始めましたが、その人は一本だけ汲んで、その帰り際に、「年寄りは遠慮がないから」と聞こえよがしに言っていきました。
 『なんだろうね』と思いましたが、こういうことって、後々まで気になるのですよね。
 最初に思ったことは、『なんて礼儀知らずな』でしたが、だんだん、『あの人はこんな嫌味なことを言いながらでも人とつながりたいのかな』と思い始めました。『誰にも相手にされないのかな』、『私なんて、できるだけ人と関わらないようにしているのに』。
 二日ほどして、それでもなお心に残っていて、『そういえば』とまた考え始めました。『あの時、彼女は一本しか汲なかった。確かに彼女は後から来たのだけれど、もしかしたら、彼女はたくさんのボトルを持ってきていて、ある本数を汲んで、後ろに並びなおしたのかもしれない。ボトルは見えなかったけれども、あのたくさんの段ボール箱にそれが入っていたのかもしれない』と思えてきました。『ちょっとどこかに行っていたのかもしれない』
 彼女を悪者にせずに、これで私も納得しました。
 でも、黙っていればいいだけなのに、きっと損な役回りをしているのだろうなと思ってしまいました。 

2020年4月11日土曜日

人は死ぬために

 本当はこんなことは書いてはいけないのかもしれないのですが、歳を取ってくると自然に出てくる考えですよね。
 特に、あの強靭なアメリカで、いとも簡単に何千人もの人が死んでいくと聞くと、そういえば、私の人生でもいいことばかりはなくって、夢に描いたことはほとんど叶わず、(これ、私の意気地なさと欲張りのせいがほとんどなんですが)、あとは家族の役に立ちながら、死ぬのを待つだけという感じです。
 どうせ死ぬなら、家族の役に立ちたいと、今更ながら思ったのです。そして、長崎の牧師さんが訪ねた男性のように、自分の都合は言わないことにしたのです。

2020年4月3日金曜日

筋肉と脳の関係

 相変わらず、自己中の私見ですが、足は第二の心臓、腸は脳の一部といわれますが、筋肉と脳にも関係がありそうに思えてきました。
 週一、二のテレビヨガから初めて毎日ヨガになり、もう六年目を迎えた話は何度もしていますが、本当に体が変わってきた感じがします。
 「きっと、体が変わっていきますよ」という言葉を眉唾で聞きながらやっていたのですが、結局、最低でも5年はやらないと実感できないということですね。
 ポーズが全部できるようになったということではなく、できるポーズが多くなり、できる深度というか、精度が高くなりました。
 例えば、「スキのポーズ」は足先が頭の上方につくわけではないのですが、要求された回数だけひっくり返ることができ、以前にも書いた「春風のシークエンス」が型通りできるようになりました。もちろん、できないものもあります。例えば、「鶴のポーズ」はあと5年かかってもできるかどうか。さらに、上級者向けのシークエンスは後10年かかってもできるかどうか。
 それは考えないことにして、今一番欲しいのは、骨盤と肩の柔らかさです。これをもう少し何とかしないと、足を組むポーズや背中で上下の手を結ぶといったポーズが相変わらず中途半端にしかできません。これはあと5年やればできそうな気がします。
 で、何が変わったかというと、やはり、筋肉がついたということだと思います。ひっくり返るためには、体幹の筋肉がつかなければできませんから、腕や足の筋肉とともに、腹筋や背筋も、見えませんがついてきているのだと思います。
 おなかを触ってみると凹んだような気がしますが、腹囲はあまり変わりません、これ、腹筋、背筋が太くなったのだと思います。体重は同じです。体形は変わっても筋肉が増えると重くなります。つまり洋服は確かにゆるくなっている感じがするのですが、脂肪より重いといわれる筋肉のせいでそんなに変わりません。
 で、それが脳とどう関係してくるのかというと、動きが雑ではなくなったような気がするのです。以前、筋肉がないときは、いつも乱暴な動きしかできないような気がして、自分で恐怖感を持っていたのですが、今は体がスムーズに動けることで、雑な思考もなくなって、気持ちが柔らかくなった気がします。
 これって、いつもスポーツ選手に感じていたことでした。皆さんとても繊細に考え、話し、行動しているなと思っていたのです。つまり、体が細かく動けることによって、頭、つまり脳も細かく働けるようになるような気がします。
 今回、これを実感して、やはり、スポーツは若いころからすべきだったと思いました。