2012年12月29日土曜日

売れない本 その2

  頂き物の本はさすがに気が引けて,なかなかショップにアップできません。が、それでも昔に頂いた本は出すことにしています。せっかく出版されたのですから、ホコリをかぶって朽ち果てるより、少しでも読んでいただけた方がいいに決まっています。勿論、アップしたからと言って、買っていただけるとは限りませんが、カラー写真になって、表紙を見ていただけるだけでもうれしいことです。
  その中でも、どうしても売れない本を、整理をしていた本棚の中にまた見つけてしまいました。
 その本、仮題で「葉っぱに書いた物語」とでもしておきましょうか。
  著者とは、私がアルバイトに行っていた公共機関で知り合ったのです。知り合いと言っても、廊下ですれ違うと「お早うございます」「お疲れさまでした」と言う朝晩の挨拶をする程度の間柄でした。彼は、多分東大出で,生真面目な研究者タイプの小柄な老先生でした。
  ある日、優秀な同僚が、元々同じ専門を研究していたこともあって、先生に誘われて、何かを見せてもらいに行きました。私もたまたま居合わせたので、誘われて見に行きました。研究室は密室だったせいもあって、中に入ると、異様な臭いがしました。やがて、それが研究室のせいではないと分かるのにそんなに時間はかかりませんでした。私は絶えきれない思いがして、見せてもらうとすぐに失礼しました。礼儀正しい同僚は残って、先生と話を続けていました。
  それから何年か過ぎて、久しぶりにアルバイトに行った時、知り合いだった図書館司書の女性に先生が亡くなったと聞きました。そこでこの本をいただきました。
  この本は先生の息子さんから「誰か、知り合いで失礼でなく、貰って頂ける人に差し上げてほしい」と言われて預かったのだそうです。私は知り合いとは言いがたかったのですが、断るのは勿論失礼なので「喜んでいただきます」と頂きました。
  そのあと、司書さんが説明をしてくれましたが、先生は何か、とても大変な病気をしていたのだそうです。奥さんとも離婚して、一人でその病気と闘っていたらしいのですが、風呂に入るとめまいか何かがするようで、ずっとお風呂にも入れなかったようです。『ああ、それで』と思いました。司書さんも臭いには気付いていたのか、ことさらにそのことを強調していました。
  きっと、その本を貰うまで、誰も先生の病気と臭いの関連には気が回らなかったことでしょう。自分一人で耐えていて、言い訳もできないでいた先生は分かってもらいたくてこの本を書いたのでしょうか。
  『いつかは読まなくっちゃ』と思いながら、もう10年にもなってしまいました。いつかは尻にムチを当てて、読まなくてはならない本です。

2012年12月21日金曜日

売れない本 

 値段のつかない本というのもあります。出品が無くって値段の探りようがないというのではないのです。あっても、ほとんど一円の値段しかついていないものです。
  そういうものは出さないことにして、古ければ捨て、まだ読めるか、おもしろそうなら、目立つところにおいて、暇なときに読もうと思いました。
  一番ダメだったのは岩波文庫でした。安かったから、必要もないのに買ってしまって、夫のも私のもそれなりにあるのですが、同じ理由でみんなが持っているということです。それと、劣化が早いのです。紙質が悪いせいか,どんどん日に焼けて真っ黒になってしまいます。笑ってしまいますが、棚の上の方にあると、題名も読めません。
  読んでないのですから捨てるにも惜しくって、今回もそのままになってしまいそうです。もっと更に暇になったときの楽しみに取っておきましょう。
  名作もダメです。新しいバージョンが次から次に出て来るからです。例えば,『ドクトルジバゴ』。映画を見て感動して買ったのですが、あれから何冊も出ています。
  聖書とか、辞書のたぐいも同じ理由で,古物はいらなくなってしまいます。今はネットが辞書の代わりをしますから、更に求められないようです。それでも家にある辞書は,使わなくっても捨てられないですね。
  時代遅れになってしまった本もダメです。例えば『ノストラダムスの大予言』、21世紀は来てしまいました。
  そうすると、私の本は、五分の一ほども商品にならないのです。それでもここ数日で19㎆に到達しました。写真の画質を高くしたこともあるかもしれませんが、まだまだあと81㎆残っています。大まかに計算して、5ヶ月で20㎆とすると、あと20ヶ月、一年と8ヶ月かかる計算になりますが、ここに来て仕事が速くなりました。あと一年くらいで100㎆、並べ終えたいと思います。
  それほど商品が出て来るかと心配する必要はありません。夫の書斎はまだほとんど手つかずです。
  その捨てられないもの部屋がこの間、とてもうれしいことをしてくれました。詩吟の会の発表会に楽譜のカバー用の模造紙が欲しいということになって、「確か、あの部屋に模造紙があったような気がするから見つけて来てあげる」と請け合ったのです。模造紙はあったのですが、枚数が取れません。『さて困った』と周りを見回すと、昔のカレンダーが山のように取ってある中に、ちょうどいい柄のカレンダーがありました。それはバブルの頃のカレンダーだったので豪華なのです。「お宅のゴミの山は宝の山だね」と皆さんに褒められて、気分良く発表会を終えました。

2012年12月14日金曜日

私の本

  このところ、夫の本と交互に自分の古本もショップに打込み始めました。前にもお話ししたように、夫の本は、新刊か、頂き物か、写真の全集ものが多いのです。
  ところが私の本と来たら、教科書か、古本屋さんで買ったか、ハウツウ本かと言う感じです。それもほとんど大学時代に買って読まずに積んでおいたものです。いや、読んだ本は、7、8年前、夫が古本を売ったときに古本やさんに一緒に持って行ってもらいました。だから、残っているのは書き込みのある教科書か、買ってもまだ読んでいない古本か、ことあるごとに見たいハウツウ本かになってしまうわけです。
  『まあ、ガレージセールのところを満たすだけでもいいだろう』と思って、アマゾンで値段を調べてみると、これが驚きでした。結構高いものがあったのです。一番高かったのは何だと思いますか。『定本版綴方教室』でした。これ、小学校の頃に映画かなにかで見て『ぜひ読みたい』とずっと探していたのです。それが、学生の頃、古本屋で見つけて買って、それ以来手元にあるのです。1963年の新装版と書いてありましたから、私が15歳の頃の出版で、買ったのは22歳頃ではないでしょうか。その頃から既に、いかにも古本らしくなっていました。
 内容は吉永小百合さんの『キューポラのある町』のようだったと思います。もう一つ『綴り方兄妹』という映画もあったのですが、そちらの本はついに見つかりませんでした。
  で、アマゾンには、同じものが三冊出ていたのですが、三冊とも5000円の値段がついていました。信じられませんでしたが、一応同じ値段にしておきました。いつか見直すときもあるだろうと思います。
  もう一つ、やはり古本屋さんで買ったぼろぼろの本,こんなぼろぼろだと、皆さん写真は載せないのですね。でも私は載せました。ぼろぼろ具合を説明するより楽です。『ハウランド家の人びと』という本でした。打込むときに始めて知ったのですが、ピューリツア賞を受賞していたのです。若い頃の私は『何代に渡る物語』というのが好きだったので、いつか読もうと思ってしまい込んであったのです。それが3000円の値段がついていましたが、さすがにちょっと後ろめたくって、それでも2500円の値段を付けました。
  ちょっと怪しかったのは、弟の名前の書かれた『弁証法的史的唯物論の終焉 人類普遍の理想社会はどのような社会か (1970年)』という本でした。一人しか出品していなかったのです。その方が3000円の値段を付けていたのですが、『こういう本、誰が読むんだろう』と思いました。弟も読んでいなさそうでしたから、経年劣化以外は新しいのですが、多分授業で買わされた本ではないかと思って、眉唾ながら2500円にしました。
  古本屋さんで買った古い本が良い値を付けているのに対し、ダメなのは、『読むのが辛いノンフィクション』とまだ出ている『ハウツウ本』。
  文学全集の中の一冊はまだなんとか値段がついていました。私のは大学時代に買ったのですから、1970年代頃の出版です。重いし、大きいし、字が細かいので、まだ読んでなくても、これから先も読むことはないだろうと思って、調べてみると、ピンからキリまでいろいろな値段がついていました。で、それに惑わされないように、私は原価を着けました。1970年代の原価ですから、今の値段に比べると3分の1か、4分のⅠくらいです。
  一つ、再版された教科書があって、それは3000円以上の値段がついていましたが、私の本には900円の値段が書いてありました。同じものなら、ちょっとは古くても、充分『お得だ』と思います。
  そう言うわけで、ホコリを拭き取りながら、何年も掃除していなかった私の本箱がきれいになって行くのは、例え売れるわけではないにしても、うれしいものです。ここでやっと16㎆に到達です。

2012年12月8日土曜日

吉行あぐりさんの本 

 最近図書館で借りて読んだのです。題名は『吉行あぐり 102歳の言葉』(石寒太著)です。
  勿論ご両親もですが、三人の子供さんのうち、お二人は先に亡くなったのです。それでも打ちのめされることもなく、愚痴を言うわけでもなく、淡々と強く生きて来られたのにはどんなコツがあったのだろうと思いますよね。
  その一つは、仕事のようでした。『美容師は天職』と思って、97歳まで続けて来られたのです。その間、三十代で夫に先立たれ、借金だけでなく、愛人まで残されたようです。四十代で再婚し、90歳で二度目の夫を見送って、また吉行の性に戻ったと言います。私から見れば充分波瀾万丈で、その間、ずっと働いて来られたわけですから、『よくぞ、よくぞ』と思わないわけにはいかないような一生だったろうと思いましたが、私のように「大変だった」なんておくびにも出さないのです。
 『こだわらない、忘れる』というもコツのようです。お客商売でしたから、『対人恐怖症だ』なんて言っていられなかったと思います。そのコツはこだわらない、忘れてしまうということなんでしょうね。
  そう言えば、この間、バレリーナの森下洋子さんのロングインタビューを聞きました。彼女もバレーは天職と思って大事にしていると言っていました。とにかく踊りたくって練習したくってたまらないのだそうです。そうすると、他のことは些細なことに思えるようです。
  もう一つは、夫が当てにできなかったから、自立したんでしょうね。信仰心もなく、誰にも頼らないように自分を律して来たのでしょう。再婚はそれなりに幸せだったようですが、余り、多くを語りません。語らない人のようです。
  子供たちとも、同じマンションの別の部屋に暮らしていると言っていました。家族が全員B型で、『ゴーイング、マイウエイ』の性格のようです。私もそうですから、親子、夫婦であっても余り干渉しないというのは何となく分かるような気がします。そうするとストレスも余り溜まらないのだそうです。でも、そうしたくってもなかなかそうも行かないのです。やはり達人の至った境地なのでしょう。