2012年12月14日金曜日

私の本

  このところ、夫の本と交互に自分の古本もショップに打込み始めました。前にもお話ししたように、夫の本は、新刊か、頂き物か、写真の全集ものが多いのです。
  ところが私の本と来たら、教科書か、古本屋さんで買ったか、ハウツウ本かと言う感じです。それもほとんど大学時代に買って読まずに積んでおいたものです。いや、読んだ本は、7、8年前、夫が古本を売ったときに古本やさんに一緒に持って行ってもらいました。だから、残っているのは書き込みのある教科書か、買ってもまだ読んでいない古本か、ことあるごとに見たいハウツウ本かになってしまうわけです。
  『まあ、ガレージセールのところを満たすだけでもいいだろう』と思って、アマゾンで値段を調べてみると、これが驚きでした。結構高いものがあったのです。一番高かったのは何だと思いますか。『定本版綴方教室』でした。これ、小学校の頃に映画かなにかで見て『ぜひ読みたい』とずっと探していたのです。それが、学生の頃、古本屋で見つけて買って、それ以来手元にあるのです。1963年の新装版と書いてありましたから、私が15歳の頃の出版で、買ったのは22歳頃ではないでしょうか。その頃から既に、いかにも古本らしくなっていました。
 内容は吉永小百合さんの『キューポラのある町』のようだったと思います。もう一つ『綴り方兄妹』という映画もあったのですが、そちらの本はついに見つかりませんでした。
  で、アマゾンには、同じものが三冊出ていたのですが、三冊とも5000円の値段がついていました。信じられませんでしたが、一応同じ値段にしておきました。いつか見直すときもあるだろうと思います。
  もう一つ、やはり古本屋さんで買ったぼろぼろの本,こんなぼろぼろだと、皆さん写真は載せないのですね。でも私は載せました。ぼろぼろ具合を説明するより楽です。『ハウランド家の人びと』という本でした。打込むときに始めて知ったのですが、ピューリツア賞を受賞していたのです。若い頃の私は『何代に渡る物語』というのが好きだったので、いつか読もうと思ってしまい込んであったのです。それが3000円の値段がついていましたが、さすがにちょっと後ろめたくって、それでも2500円の値段を付けました。
  ちょっと怪しかったのは、弟の名前の書かれた『弁証法的史的唯物論の終焉 人類普遍の理想社会はどのような社会か (1970年)』という本でした。一人しか出品していなかったのです。その方が3000円の値段を付けていたのですが、『こういう本、誰が読むんだろう』と思いました。弟も読んでいなさそうでしたから、経年劣化以外は新しいのですが、多分授業で買わされた本ではないかと思って、眉唾ながら2500円にしました。
  古本屋さんで買った古い本が良い値を付けているのに対し、ダメなのは、『読むのが辛いノンフィクション』とまだ出ている『ハウツウ本』。
  文学全集の中の一冊はまだなんとか値段がついていました。私のは大学時代に買ったのですから、1970年代頃の出版です。重いし、大きいし、字が細かいので、まだ読んでなくても、これから先も読むことはないだろうと思って、調べてみると、ピンからキリまでいろいろな値段がついていました。で、それに惑わされないように、私は原価を着けました。1970年代の原価ですから、今の値段に比べると3分の1か、4分のⅠくらいです。
  一つ、再版された教科書があって、それは3000円以上の値段がついていましたが、私の本には900円の値段が書いてありました。同じものなら、ちょっとは古くても、充分『お得だ』と思います。
  そう言うわけで、ホコリを拭き取りながら、何年も掃除していなかった私の本箱がきれいになって行くのは、例え売れるわけではないにしても、うれしいものです。ここでやっと16㎆に到達です。