2019年1月30日水曜日

便秘は?体重は?

 あちら立てればこちらが立たずです。体重を減らそうと節食すれば便秘になるし、便秘を治そうと思えば食べ過ぎてしまうし。
 まあ、今は寒いし、カロリーを減らすと風邪を引き込みそうですから、それなりに食べていますし、体重は現状維持です。70キロでそれだけは維持しようと気をつけています。
 運動をしているせいか、体型は少しずつ変わっています。つまり、しまって来ているということです。今は、皮下脂肪の下に固い筋肉があるのが感じられるようになりました。
 服が緩くなるという現象もまれにですが出て来ました。まるっきり直すのではなくって、合わせをダブルにするという手もあるなとこの頃考えています。
 このまま努力していれば、きっと結果は『後からついて』来ます。
 これ、大坂なおみ選手の言葉です。「優勝すれば世界ランク一位になりますね。」と言われて、「それは後からついて来る事です。」と答えていました。
 そうなんです。今出来る事をするだけです。

2019年1月23日水曜日

国民ボランティア賞

 尾畠春夫さんがスーパーボランティアと言われ、その活躍が流行語大賞にノミネートされたと話題になりました。今は野宿の旅をしながら世界の子供達の幸福を思う旗を立てながら、歩いているようです。まるで神様みたいにみんな感動しているのです。無感動な私でさえ。
 だから、みんな何かをしてあげたいのですが、何も出来ないから、他に何にも見つからないから、せめて流行語大賞でもと思ったのではないかと思いました。
 政府には国民栄誉賞というのがあって、長島さんや松井さんや王さんや有名なスポーツ選手がいっぱい貰っています。国民に感動を与えたからというのがその理由ですが、何かうさん臭い、政権が有名人を褒めることによって票を稼いでいるようにしか見えないのは私だけでしょうか。
 ノーベル賞には学術賞の他に、平和賞があって、平和賞だけノルウェーだかで別に授賞式が行われるのですよね。この間、なんでかなと考えたことがありました。学術賞の場合、功なり名を遂げた学者さん達が盛装して参加するのです。でも、平和賞の方は余裕のある人たちとは限りません。この間は性被害者の支援活動をしているアフリカのお医者さんでした。尾畑さんではありませんが、ボランティア活動をしていたら、お金の余裕なんか生まれません。賞金が出るとはいえ、ノルウェーまでいくのさえ大変です。だから別にしているんじゃないかなと思ってしまいました。
 だから、金持ち組の国民栄誉賞とは別に、国民ボランティア賞があってもいいのではないかなと思ったのです。
 この間、村木厚子さんがNHKの番組に出ていましたが、今、定年退職して、性産業に落ちかねない少女たちを救うボランティア活動をしていると言っていました。あの厚生労働省の冤罪事件で無罪を勝ち取って有名になった官僚の方です。
 加計問題で有名になり、毀誉褒貶相半ばする前川喜平さんも退官後、『週に1回、厚木市と福島市で自主夜間中学校の講師として活動している』そうです。在職中、出会い系バーに行ったこと等で、政権からとことん敵視されていましたが、性産業に落ちてしまった女性を助けていたようです。
 折しも巷では、ミルクを買うことの出来なかった母親が生後一ヶ月の赤ん坊を衰弱死させてしまったというニュースが流れていました。以前『この国は恐ろしい国』という本を読みましたが、思い出してしまいました。
 結局、面倒なことだし、世間体もあるし、お金もかかるし、そんなことを考えると手を出したくはないけれども、誰かが手を差し伸べなくては助からないことはたくさんあるのでしょう。活動をする皆さんは勇気と愛情があるのです。
 国民ボランティア賞の候補者は大なり小なりいくらでも上がってきます。これは、感謝を示したい私たち市井のものの気持ちです。

2019年1月16日水曜日

サピエンス全史の話

 読んだわけではありません、NHKで2019年のお正月に見たのです。実際は2017年の作品の再放送だったようです。世界中でベストセラーなのだそうです。
 イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏が書いた本で、続編に『ホモディアス』というのがあるとそれも再放送されました。
 世界中の人が共感しているというのですから、こう考えている人は多かったのでしょう。
 私から見ると、人類滅亡の預言書といった感じでした。
 中でも、自分と引き比べて、なるほどなと思えたのが、ネアンデルタール人とホモサピエンスの違いでした。ホモサピエンスは虚構を作り出す能力、それを共有する能力があったのだそうです。宗教、貨幣経済、法律などです。ネアンデルタール人は体も大きく、強健だったにもかかわらず滅んでしまったのは、きっと結束ができなかったのでしょう。昔読んだ、ハリーポッターに出てきた巨人族を思わせます。作者のローリングさんは知っていたのでしょうか。
 で、その前に、やはりテレビ勉強で見た、「ネアンデルタール人は滅んでいない」といった趣旨の番組を思い出しました。ネアンデルタール人の遺伝子はまだ人類の中に残っているのだそうです。
 で、私、ネアンデルタール人の遺伝子を多めに持っているのじゃないかしらと思ったのです。サスペンスやドラマは好きだけれど、宗教、経済は言うに及ばず、法律などは大学で憲法の単位を落としたくらい苦手でした。今でもそうですが、社会に適応するのは苦手です。ムムムです。
 ホモディアスのほうの番組では、「これから、人間は神になる」というテーマのようでした。 
 以前、『これからの人は得意分野を持たないといけないから、勉強することがたくさんあって大変だろう」と書いたことがありましたが、私にも、その予兆は感じられていたのだなと思いました。
 つまり、遺伝子の書き換えやロボット技術の発達で、人間は不都合なものをどんどん取り去っていつか永遠の命を獲得するだろうというのです。しかもそれは頭脳とお金のある一部の人間だけで、そのほかの取り残された集団とは別れるだろう。この二極化は過去の進化のように長い年月をかけるということはなく、極めて近い将来に起こるだろうというのでした。
 確かに、もうすでに初期段階と思える貧富の二極化は目に見えてきています。ヨーロッパのどこかの国の人が言っていたように、国の富をみんなで分けるというようにはならないものでしょうか。欲望というのも空想の産物なのでしょうか。確かにこれは私が歳をとって、弱者になったから思うのかもしれませんが。
 これをNHKがお正月に再放送したということに何か、恐怖めいたものを感じます。

2019年1月10日木曜日

洗濯のうそホント

 柔軟剤の時に一度書いたことがあるのですが、また書いてしまいます。
 私たちが子供のころは、洗濯板を使っていたのです。石鹸を使ってごしごしごしごし、時々腰を伸ばしながら洗っていたものでした。
 それが大変だったから洗濯機ができて、ごしごししなくなった代わりに、強い洗剤が出てきたのです。そのころ、その洗剤にかぶれて、十代のころの柔らかな手に赤いかゆいぼつぼつができた話は前にもしましたが、それでも便利だったので、使っていたのです。
 二十代、三十代のころは、湖沼河川の富栄養化の問題が起きました。合成洗剤のリンが問題だったらしく、石鹸洗剤が見直されました。それでも、今、合成洗剤と、石鹸洗剤の両方が出ていて、合成洗剤のほうががぜん多いのは、石鹸洗剤の落ちが悪いと思われているのと大抵のものは臭いがきついのと、いろいろ問題があるようです。
 デモです。家族にアレルギーの人がいて、合成洗剤を使えなくなって、しばらくしてみると、わかることもいろいろ出てきました。
 その一、若いころあんなに悩まされていた静電気があまり起きなくなっていたのです。あの静電気を抑えるために、さらに柔軟剤を買って使っていたのですから、愚の骨頂でした。
 その二、落ちが悪くっても何てことないと分かりました。要は水洗いだっていいのです。汚れているところは、ピンポイントでごしごししたり、漬け置き洗いをすればいいのです。臭いが抜けないところも二度洗えば臭わなくなります。これは無臭の弱い石鹸洗剤でもできます。
 その三、大事な服はドライクリーニングに出さないといけないと思っていました。昔はドライクリーニング代、高かったのです。特に皮を組み込んだセーターは普通の何倍もしました。でも、アレルギーの人のいる我が家ではドライクリーニングに出せないのです。だから、いつもの無臭の石鹸洗剤を少なめにして、洗濯機のドライ機能で弱めに洗ってしまいます。ほとんどなんともありません。この程度の劣化は許容範囲だと思います。だって、こんなに新しい便利なものが次々と出てくる時代、何年も毎年同じ服を着る時代ではないような気がします。ある程度劣化して使用寿命を終えてくれたら。それでいいわけです。背広もそうしました。体形が変わって着れなくなる前にぼろ布で出せたらそれでいいわけです。
 今や科学万能の時代、洗剤も柔軟剤もどんどん新しいものが出ているようです。どんどんどんどん強力になっているのでしょうね。アレルギーは超能力ではないけれど、その毒性を識別してくれるいいバロメーターだとこの頃思います。
 洗濯って、そんなに汚れていないものなら水洗いだけでもいいのかなとも思えてきました。それでも、規定の半分くらいの無臭の石鹸洗剤は入れてしまいますが。

2019年1月3日木曜日

時の流れ

 早いもので、忙しい、忙しいと言っている間に年が明けてしまいました。今こうして年が明けてしまうことがもったいないような気がしています。大事な時間なんです。でも、毎日スケジュールを立てて忙しく過ごしています。
 この間、日野原先生のドキュメンタリーを見ていましたら、先生が小学生に命の授業をしている場面がありました。
 「命って何だと思いますか」と聞くのです。私も『何だろう』と考えてしまいました。答えに窮した子供たちに先生が言うのです。「命って時間なんですね」。『ああ、そうだ、時間なんだ』と私も思いました。
 先生は、日航機ハイジャック事件の時、偶然にも乗り合わせていて、あの時助かった命をみんなのために使おうと思ったのだそうです。もともとクリスチャンだったせいもあって、それからあの大活躍です。百何歳かまで、いや死の床でさえ、頭しっかりと話していました。
 昔、ベストセラーになった鎌田実先生の『がんばらない』という本を読んでミーハーの私は感激して、『のんびりと生きればいいんだ』と妙に納得していましたが、これは真逆のようです。
  生きている時間の間、何をするか。充実させないといけないのです。
 と言って、二人の偉人の間を行ったり来たりしていても仕方ありません。両方のいいところを真似して、ゆったりと構えて、みんなの幸せになるようなことをしようと思いました。そうすると、せかせかして、人に何か悪いことをしてしまったかなと自己嫌悪に思うことも少なくなるような気がします。