2015年3月27日金曜日

英国ミステリー噂話、主任警部モース、ジョン・ソーの事

 ジョン・ソー は、1942年1月3日労働者階級の両親、ドロシーと長距離トラック運転手のジョンとの間に、マンチェスターのロングサイトで生まれました。島国イギリスの真ん中あたりです。亡くなったのは2002年2月21日。60歳だったようです。
 ソーには辛い幼児期がありました。母は彼が7才の時に彼らの元を去り、それから12年間彼女に会うことはできませんでした。彼の弟、レイモンド・スチュアートは1960年代半ばに、オーストラリアに移住してしまいました。
 ソーはロングサイトの近くのゴートンとバーネッジで育ち、ダーシー工業高等学校に通い、16才で王立アカデミーの演劇科(RADA)に入りました 。
 RADAを出たあと、彼は着実にキャリアーを積み重ねて、いろいろな役柄を演じますが、その中でも、1964年から1960年までの『レッドキャップ』、ミリタリーポリスドラマだそうです。1975から1978年までの『スウィーニー』、警部と部下の警察もの、1985年から1990年までの『ホームツーロースト』、離婚して独身を謳歌していた男が末息子を預けられてからのドタバタらしいです。それから1987から2000年までの有名な『主任警部モース』、1995年から2001年までの『カバナフQC』バリスターという法廷弁護士の役のようですが、これらで主役を演じて来たようです。
 中でもモースシリーズはそれこそ国民的人気になり、最後の3エピソードはイギリス人口の三分の一の人々に見られたという事で、1999年の最も人気のある俳優に選ばれ、他に二つの賞も獲得したようです。
 この他にもいろんな役をやり、アッテンボロウ作品にも出演したようです。亡くなった後の2006年、テレビ界の50人の偉大なスター達のナンバー3に選ばれたようです。サーの称号も受けました。
 個人的な生き方もちょっと泣かせるのです。最初の結婚は1964年、サリー・アレクサンダーという後に大学教授になった女性でした。四年後に離婚した後の1969年,シーラ・ハンコックという共演女優に一目惚れして告白したとき、彼女は不倫はしないと断ったそうです。彼女にはアレクサンダー・ロスという俳優の夫がいたのです。ロスが、1971年に癌で亡くなってから、1973年12月に二人は結婚して2002年にソーが60歳で同じ癌で亡くなるまで30年近く連れ添うのです。
 彼は三人の娘達を持ち、皆、女優になったようです。それらは彼の子と彼女の子、そして二人の間の子。ロスの子供もみんな名字はソーにしたようです。
 彼は生涯労働党の支持者だったようです。ちょっとモースと違うようです。けれどモースと同じようにヘビードリンカーで、タバコは12歳頃から吸っていたと言う事ですから、食道癌だったそうですが。
 9月に行われた葬儀には800人が参列し、チャールズ皇太子やブレア首相もいたそうです。残された妻のハンコックさんには『アローン アゲイン(また一人)』という本があるそうです。(ウキペディア参照)

2015年3月23日月曜日


新ブログ計画

 今期の年間プロジェクトをほとんどあきらめたところで、『ところで来期の年間プロジェクトはどうしようかな』と、欲張りにも考えはじめると、アイディアは次々に思いつくのです。そこは暇人ですから。
 でもいくつか考えて、半年やってだめなら捨てるというのも一つのやり方のような気がしてきました。だって、冬は寒くて、あまりコンピューターに触りたくないから、本を読む時間が取れる、反対に夏は外回りもたくさんやる事があるし、野球も始まる。まさに、読書の秋冬、耕作の春夏です。それにやりたいと思う事はたくさんあるのですから。
 そこで、今期、残り半年はダイエットだけにして、来期は前半後半に分けて計画を立てた方がいいと思いました。この移り気が今まで何もなし得なかった根底にあるのでしょうけど。
 一つ思いつきました。英国ミステリー役者総覧なんてどうでしょう。これも、趣味と実益に合っているのです。私は英国ミステリーが大好きなのですが、そこに出て来る役者さんにも興味が出てきて、ネットで調べたのです。でも日本語のページはあまりありません。仕方なく、英語のウキペディアなどを見ると、詳しく書いてあります。これを翻訳して皆さんにお知らせするブログを作ったらたらどうでしょう。
 これ、趣味として私も知りたいのです。実益としては忘れかけている英語の勉強にもなります。
 そう言えば、メイプルショップのあるFC2でもブログの提供を始めたと書いてありましたが。『調べなければ』と思う段階で面倒くさくなってきます。
 ちょっと見てみましたが、新しい登録をしたりして、結構大変です。何よりも、古いコンピューターは対応外のようです。英訳の労力はそれほどでなくても、新しいブログの登録管理、大変そうです。それだったら、このブログでやればいいのですよね。今度暇があったら、一つやってみましょう。自分の好きなものだけですけど。

2015年3月18日水曜日


半分すぎてしまったけれど

 今年度(7月から翌6月まで)のプロジェクト、欲張っていっぱい書きました。何を書いたか、確認のために前をめくってみるまで自信がありません。確か、体重ダウンは一番最初だったような気がします。
 その他に、リフォームの動画、あとは、商売もののグリーティングカードの作成があったような気がします。今見てみましたら、もう一つ、昨年作った動画の英語版というのがありました。
 こんなに欲張ってはだめですね。
 結局、毎日は趣味も家事も庭掃除も運動も含めて予定一杯で、そこへ来て、夫が免許証を放棄して運転をしなくなり、ますます忙しくなったのですから、気持ちばかりが焦って、何もできていません。
 友人からプロジェクトとして絶賛された床張りもしましたが、あれは当初のプロジェクトではありません。
 半年すぎたのですから、もう、すべてあきらめて一つにしぼって、心してやらねばなりません。一つにしぼるとしたら、ダイエットです。
 半年で、ここへ来て、やっと二キロ減。
 ここはもう少し、勢いをつけなければ間に合いません。寒くて体がこわばって、なかなか激しい運動もできませんので、食事にもう少し気をつけて、まさに、ダイエットをしなければならないのですが、筋トレやヨガをして、体も動かすとなると、お腹もすきます。で、なかなかといい訳ばかり。でも、
 二月から始めたインターバル・ウオーキング、メガスーパーの中で歩くと、変化があって楽しいし、汗もかきます。
 三月からは、ついに止めていたカロリー計算を始めました。
約束の六月が楽しみです。
 ところで、ネット本屋さんの繁忙期っていつ頃だと思いますか、今までの経験だと、休み明けです。この一月は五件のお買い上げがありました。ありがとうございました。

2015年3月12日木曜日


黒田選手が帰ってきました

 まさにフィーバーです。ほとんど病気ですね。
 皆さんのブログをはしごして見ているのですが、『黒田選手が何を言っても何をしても、泣くだろうな』と多くの人が書いています。私はそれに『賛成』のマークを入れるのです。
 入団会見もJスポーツで見ましたし(それも二回も)、もちろん広島空港に着いた様子も、那覇空港に着いた様子も、翌日の練習風景も、RCCのニュース動画で見ました。関東地方だとニュースでもそんなに出ないのですが、さすが広島のテレビは違うようです。
 『謙虚に自分の言葉でとつとつと話す』とどこかのニュースに書いてありましたが、本当に決して後ろ向きな事は言わず、『自分の決断だった』と言っていました。
 でもね、FAで自由契約になったとはいえ、若いマー君をとったヤンキースからは戦力外と同じ扱いだったじゃないかというブログもあって、私もそう思いました。私、松井君のときから、ヤンキースには不信感があるのです。自分の囲い込んだ選手しか大事にしない。あれだけ活躍したロビンソン・カノが他に行ったのもうなづけます。
 また、黒田選手の最終登板、勝ち投手だったのに、抑えのロバートソンが打たれて、その裏にジーターのヒットで逆転勝ちした。黒田選手の12勝目と200登板回が失われたのです。あれ、やらせにしてはできすぎていますが、そのオフ、抑えを失敗する事の多かったロバートソンにクオリファイイング・オファーを出し、ただ一人頑張った黒田選手には出さなかった。あれって、ロバートソンに対する成功報酬じゃなかったかと勘ぐっているのは私だけでしょうか。結局ロバートソンも他に行きましたが。
 とにかく、あんなところに行かなくってよかったと思います。
 『マー君には悪いけど』と書いた人がいました。彼は今年のヤンキースの補強についての意見でしたが、私も『正体見たり』の感があって、もうメジャー野球は見ません、『マー君には悪いけど』。八百長はサッカーだけとは限りません。
 今年は広島だけで十分忙しいです。

2015年3月5日木曜日


英国ミステリー噂話ーモースの死

 いつもの英国ミステリーの話です。フロスト警部は退官間近で、いつ終わったとも知れずに終わってしまいました。バーナビー警部は退官して、従兄弟のバーナビー警部に変わりました。主任警部モースは心臓病で亡くなって、今は相棒だったルイス警部が活躍しています。
 この違いは、フロスト警部の原題が『タッチ オブ フロスト』と言うので、『霜の手触り』とでも訳しましょうか。かつ、特異な性格なので、親戚も親しくなさそうでしたし、相棒は毎回のように変わっていましたから、跡継ぎはできなかったのかもしれません。
 それに比べて、バーナビー警部は、日本題は『バーナビー警部』ですが、原題は『ミッドサマー マーダーズ』というので、誰が警部でもいい訳です。
 同じく、『主任警部モース』も原題は『オックスフォード ミステリー』というので、その中のモースであり、ルイスですので、継続できる訳です。
 皆さんまだ引退しなくてもと思ってしまいますが、フロスト警部役のデビット・ジェイソンさんは七十代らしいですし、初代バーナビーのジョン・ネトルズも六十代、モース役のジョン・ソーは六十歳で既に亡くなっています。ルイス警部になってからも既に十シーズンくらいになっているでしょう。
 だからと言う訳ではないんですが、モース警部は物語の中でも死んでしまったのです。この死に方が、バランスがとれていて、ファンをいかにもと納得させるのです。独身でしたから、不節制で、いつもビールを飲んでいましたし、夜も遅くまで音楽を聴いたり、推理をしたり、クロスワードをしたり、毎回女の人を追っかけて、ストレスもたまったでしょう。だから退職間近で心臓病だったと言われたら納得します。
 幸い、愛する女性には巡り会ったのです。でも彼女は、母親の看病でオーストラリアに行ってしまいました。近くにあるのは手紙だけ。
 退職という寂しさを紛らわせるように、ルイスの事件にちょっかいを出し、怒られながらも一緒に解決する、そして死んでしまうのです。
 途中、弁護士に遺産の相談をする場面がありましたが、遺産は三等分、若き音楽家への奨学金、オーストラリアにいる女性に、そして長年の相棒、ルイスに。これが妙にほっとするのです。最後はルイスが付き添うのですから。
 こういう、見る人をほっとさせるようなバランス感覚が作者には必要なのでしょうね。今もモース人気はすごくって、メイキングの放送の中では、今は亡きジョン・ソーが「モースは悲哀を込めて演じた」と言っていたり、ルイス役のケビン・ウイットリーが「もう、これ以上の作品には出会えないでしょう」と言っていたり、『オックスフォード ミステリーツアー』なるものもあるらしいのです。