2016年9月24日土曜日


Tシャツのリフォームーとと姉ちゃんを見ていて

 大正生まれで、戦争を町中で生き抜いた姑は、戦後のモノの無い時代を振り返って、あの頃はみんなが貧乏だったからと言っていました。つまり、バブルの時代になっても、貧乏でふがいない私達、息子や嫁を見ての事です。
 姑の時代はまさに、あのとと姉ちゃんの世界です。戦時中、東京から地方都市に四人の食べ盛りの息子達を連れて帰って来た姑は、それは大変だったろうと思われます。夫は栄養失調でお腹がふくれたと言っていました。
 姑はお金持ちの商家の生まれで、物持ちでした。着物や帯を次々と食べ物に買え、ある時、上の息子達に帯を託して、食べ物と換えて来るように頼んだようです。その帯を息子達は無くしたようでした。どうやったら無くせるのか疑問の湧くところではありますが。姑は怒り心頭に発したようですが、息子達は極楽とんぼです。後に成功した兄が、極上の帯を返したと言っていましたが、その時のわだかまりまでは消せなかったようです。
 そんな姑ですから、着道楽の始末屋でした。箪笥の肥やし寸前の着物を何竿も持っていて、洋服にリフォームしては華やかに出歩いていました。若い時や忙しい時は、体に合わせて買っていた洋服を、時間ができた事もあり、少しずつ直して着るという私のリフォームはそんな姑を見ていて始まったのです。
 バブルの時の借金をやっと返し終わった私達ですが、貧乏はずっと継続しています。貧富の格差が大きくなったといわれるこの時代、いくら少しずつと貯金に廻しても、モノの値段は先を行って上がって行きます。それが分かったのは、いつか中古の住宅を買いたいと思って、ずっと値段をチェックしていたからです。中古住宅が余る時代になると言われていたのに、これだけ新築の住宅が建てられているのに、中古の住宅の値段は下がらないのです。だから、ちょっと安いと思われる中古住宅はすぐに買い手がついてしまいます。
 そんな掘り出し物が出た時に、ぱっと手を挙げるためには、それだけのお金がなければできません。そのために節約しなければという事で今実践しているのが、着るもののリフォームです。今、洋服はほとんど買わないと、前にも書きましたが、母の遺品、今の私の体型に似ているので、ほとんど直さずに着られます。娘達のお上がりや姑の遺品はしばらくしまい込むか、少し広げて着ています。
 古くなったTシャツを、私はショーツにリフォームしています。娘は袋状にして、ひもを通し、もの入れにしていると言いました。もちろん汚れたモノは切って、あちこち拭くものにして、最後は洗わずに捨てます。靴や靴下以外は、直しながら着れば、ほとんど買わずに済むのではないかと思っています。

2016年9月20日火曜日


倉捕手の引退

 さあ、セリーグ優勝も決まった、とほっとする時期は、次々と引退も発表される時期でもあるんですね。
 広島でも、倉捕手と広瀬選手が引退と発表されました。私、黒田投手といつもバッテリーを組んでいた倉捕手が好きだったんです。捕手って、重要なポジションの割にあまり華やかではありませんよね。エースのように勝利数が数えられる訳ではありませんし、古田さんのような才能のある人は別にして、二千本なんてヒットもなかなか打てません。それほどハードなのだと思います。だって、立ったり座ったりしながら投手と同じだけ球を投げている訳ですから。ある意味準エースです。
 記事に倉捕手が、『黒田さんが帰って来るまでは現役でいようと思っていた』と書いてありましたが、それが倉捕手のモチベーションになっていて、一軍出場のできない過酷な辛い状況でも自分を鼓舞し、四十一歳まで選手を続けてこられたのだろうと思います。
 それが倉捕手の精神的な支えだったのだろうと思いましたが、反対にそうして待っていてくれる仲間がいたという事が、黒田投手が現役のまま広島に帰って来るモチベーションになったのだろうと思います。新井選手の復帰もそうかも知れませんが、倉捕手や鈴木本部長の信じて待ってる姿勢も、黒田投手の拠り所だったと思います。
 新井選手の記事に、『広島を去りたくはなかった。しかし、金本選手と一緒に野球がしたいという気持ちもあった。でも、黒田さんがメジャーに行かなければ、僕も行かなかっただろう』と、いうのがありました。
 私のようなあまり人と付き合わない人は、『なんて、自立心の無い』と思ってしまいそうですが、結局、人は自分を分かってくれる人と一緒にいたいのです。辛い事も一緒に頑張りたいのですね。私のような人は、頑張れないのです。すぐに諦めてしまいます。すぐに『どうせ』とか言ってしまいます。
 今年の広島はまさに『神って』ましたが、監督を始め選手みんなが『今年のチームは最高です』『チームが一丸となっています』というように、皆がお互いを信頼して、がんばりを認めあっているから、神懸かり的な勝利が次々と生まれたのでしょうね。小窪選手という絶妙なコーディネーターがいたようではありましたが。
 いよいよの十月決戦で、どうなるかは分かりませんが、悔いなく戦ってもらって、また、来年は新しい若いチームが生まれるのでしょうね。
 このところ、野球ブログのようになっていますが。

2016年9月17日土曜日


弱気ー広島の優勝について思う事

 『消え入りたい』という言葉がありますが、この頃、よく意味が分かった気がします。気の弱い私ですが、若い頃はあまり考えた事が無かったのです。この頃、『いつか死んでしまえば消える事ができるのだ』と思います。だから多分若い頃は、死というものが身近にあるとは思っていなかったのでしょう。
 この度,広島の優勝の経過をつぶさに見聞きして、選手やスタッフの成長を目の当たりにして、皆、強気もあるだろうが、弱気もあるだろう、それを練習して、考えて、乗り越えて、あんな大人の考えや言葉が出てくるようになったんだなあとつくづく思いました。
 一番先に感じたのはジョンソン投手です。アメリカではあまり成功せず、二年前日本に来てすぐに、準完全試合をした時に、一番最初にキャッチャーの石原選手のおかげだと感謝の言葉を贈りました。以来くすみかけていた石原選手がみるみる輝き出しました。苦労人なんだなと思いました。今年シーズン中に広島とあと三年の契約を結びましたが、誰が見てもそうだったのだろうと思います。
 そして最多勝を争う今、『野村と一緒に取れたらいい』と言いました。それに呼応するように、野村投手が『ジョンソンが言ってくれましたが、本当に一緒に取れればいいと思います』と言いました。これだったらチーム内がまとまるはずです。頭もいいのです。
 最初の頃に活躍した天谷選手が言った言葉も心に残りました。『石原さんや新井さんが老体にむち打って頑張っている。若手は活躍している。俺たち中堅も頑張らないと』。そして赤松選手,『ベンチにいる者はみんながレギュラーだと思っている』。
 比嘉広報の『コマブロ』をいつも見ているのですが、試合に勝ったあともブルペンで素振りをしてからロッカールームに行くという若手選手達の写真が時々載ります。きっと、それをしなかったら、弱気になってしまうのでしょうね。これだけやったという自信が強気と余裕になるのでしょう。
 応援に行ってくださるファンの方々も含めて、ありがとう広島。

2016年9月15日木曜日


印刷機

 暑い夏がやっと終わりそうです。
今年の進化テーマにあげたグリーティングカードのアップがやっと完了しました。たった五種類だったのに、八月で半年と言っていたのですから、夏を通り越して、更に一ヶ月もかかってしまいました。
 確かに夏は忙しいのです。あの時、やっとコンピューターに取り込めたという話をしていたのですが、その間に広島カープの優勝騒ぎがあって、記事を読んだり、ブログを読んだり、試合を見たり。ダイエットはフルグラダイエットに移行したのですが、今のところ全く機能していなかったり。更にはびわの木に毛虫が大量発生して剪定をしたり、台風に痛めつけられながらも、葡萄が紫色になり出したり。
 この前、印刷をしようとしたらインクが無い、町で探しても古いので売っていなくって、ネットで安いインクを見つけて買って、まだ開けていないと書きましたが、開けて使ってみたら、これが大問題。全く、家の古いインクよりひどいのです。ネットショップも善し悪しですね。
 もう諦めかけていたら、たまたま行った量販店で、見つけたのです。思わず、カラーと黒を買って来てしまいました。これが八千八百円です。ちなみに家の印刷機は十年以上前に一万円で買ったのですが、インクが高いのです。もうこれで最後と思って買いました。使わないのにインクを入れっぱなしにしていた私も悪いと思って、今回はきれいに掃除もしました。そうしたら、トイレットペーパーが一巻き無くなるほどインクが漏れていました。
 きれいにして、新しいインクを入れて印刷してみたら、小さいですけれども、グリーティングカードが印刷できました。
 私の絵なんて、売れるはず無いのですから、やっぱり道楽ですよね。お金をかけて、グリーティングカードという商品にできた事がうれしいのです。売れない時は、私がグリーティングカードとして友人に送ります。