2020年6月24日水曜日

コロナ後の私

 好きなことだけする、過去は忘れると決めたのですが、過去の失敗を忘れるとまた同じことをしてしまいそうな気がして、ここは歴史学者の言う、歴史から学ぶことは残しておこうと思いなおしました。傷と思わずに歴史と思えばストレスも小さくなるような気がします。
 あとはどんな生き方をするか、考えると、あのプロジェクトⅩで見た、瀬戸大橋を作った男性のことを思い出しました。あの企画の時はすでに故人でしたが、元部下という人が証言していました。何か問題があるというと、自身で水中に潜って確かめに行ったそうです。「まさに男の中の男です」。ずっとその言葉が忘れられないのですが、それはたぶん仕事以外のことも含めてだと思います。
 その当時、彼の奥さんは多分癌だったと思いますが、入院していたのです。彼は奥さんの看病をしながら、現場の仕事をこなし、二人の幼い娘たちを育てていたようでした。奥さんも亡くなり、長い建設工事の終わりとともに、彼は現場を退き、内勤の仕事に就いて娘たちを育てたそうです。娘さんが証言していました。そして長生きすることもなく亡くなりました。まさにあの『地上の星』の歌詞の通りです。「名もなき星たちよ」。
 もう一つ、昔、インドネシアの近くの狭い海峡をタンカーが通るとき、海賊が襲い、乗組員を人質にした事件がありました。九州の船会社の所有だったらしく、すぐに社長が現地に飛んだという報道があり、乗組員の家族たちを取材したニュースもありました。家族たちは「社長が行ったんだから心配していません」と言ったそうです。
 『この信頼は何なんだろうな』と思ったことを覚えています。もちろん、海賊の危険は知っていて、それなりの保険はかけていたんだろうなとは思いましたが、社長は現地で交渉の前面に立って、無事に乗組員たちを解放させました。後日談は聞こえてきませんでしたが、仕事ができるということはこういうことだと思ったことを覚えています。
 で、コロナ後の72歳の私が、こんな仕事のできる人間になれるとは思いませんが、すべてに正面から向き合うという姿勢は学んで取り入れたいと思っています。家族や庭木や野菜や掃除や終活などなど、大なり小なり向き合う問題はたくさんあります。もちろん、できないことはやりません。できることだけまっしぐら。

2020年6月17日水曜日

マインドフルネス、正体見たり

 今までの知識で言えば、マインドフルネスって、無我の境地とか言われるもので、座禅を組んで心を無にするなんていまいちわからなかったのです。座禅を組んで身体が動かなかったら、心は過去に行ったり未来に行ったり、無なんてもんじゃないはずです。
 ある日、ストレス解消のテレビ番組を見ていた時に、このマインドフルネスが出てきたんです。つまり「思い煩うことなかれ」です。人間は過去のことを思い出してストレスを感じることがある。まさに私です。未来のことを心配してストレスを感じる。確かに。コロナ後の世界を心配しても、汚染された地球を心配しても仕方ないのです。
 今この時に全神経を注いでいれば、ストレスを軽減できるというものでした。これがマインドフルネスです。これ、私の「人生の正体見たり、暇つぶし」と同じです。今しなければならないこと数時間に集中して、時間を重ねていくだけのことです。これ、悟りでしょうか。
 これをしていてもストレスは生まれてくるものですから、さらにその上の過去のことなんか思い煩っているのはばかばかしいことです。
 このコロナの機会をとらえて、一度周りの関りを整理してみようかと思いました。まず、夫の活動には、あまり口出しせず、要所だけ押さえておく。季節の挨拶は相手に了承を取ってしないことにしました。同窓会や法事など、義理のものは、今までも出ないようにしていましたが、もう絶対に止めます。
 自分のしたいと思うことだけする。今のところは孫のお守りと服のリフォーム、英国ミステリー、必要に迫られてのヨガ、畑。
 先日、例の『イタリアの小さな村の物語』を見ていたら、『好きなことをする』と決めた男の人の話が出てきました。最初は奥さんと二人で店を運営していましたが、これは自分がしたいこととは違うという気がして、話し合って、自分は畑を耕すことを選びました。次に、海が好き、釣りが好きという嗜好を生かして漁師になりました。そうして今は半日畑を耕し、作物を売り、半日漁に出て魚を捕る生活をしているのだそうです。結構きつそうですが、見ているほうにも幸せが伝わります。後悔はないから、ストレスもないのでしょう。これがマインドフルネスな生活なのかもしれません。

2020年6月2日火曜日

正体見たり

 以前から葬式はいらないと公言していて、火葬して海にまいてくれと言っています。でも考えてみれば、我が家では私が一番元気ですから、みんなの後始末をしなければならないのは私かもしれません。
 お葬式などの正体は以前から見ていた気がしますが、今回のコロナ騒動で、さらにいろんなことを考えてしまいました。
 例えば、写真、昔は貴重で大事にとっておいたものです。今はいくらでも撮れるし、取っておいても結局誰も見ないのです。何十億分の一の人間など結局誰も知らないのです。
 そして、明日の未来もわからない難民を生むこの世の中、果たして生まれてくる価値があったのでしょうか。
 『百日で死ぬワニ』という漫画が今話題なのだそうですか。私は見ていないのですが、「あと何日だからこれをしよう」と優先順位を決めて生きられるらしいですよ。結局、人間も死に向かって生きているのですよね。死を回避することはできないのです。そう考えると自ずと優先順位が決まって来るような気がします。
 難民を救うことのような大きなことはできませんが、せめて周りの人たちや家族がやすらかに息をしていられるように、頭と体を使おうと思います。
 若いころからそうしていれば、そういうことが分かっていればと思いますが、若いころの自分を振り返ってみても、本当に分かっていなかったのです。だから、恥ずかしい、生きづらいのですね。
 あと何日あるかはわかりませんが、そんなに長くはないでしょう。
 それと、生きるということは暇つぶしだと言った人がいたような気がしますが、この頃、確かにそう思えてきました。好きな英国ミステリーを見ながら過ごすのも数時間、家族のために食事を整えるのも数時間、草を取るのも数時間。孫のお守りも数時間。一生懸命すればあっという間に過ぎてしまいます。そうして死に至るなら、未来など見据える必要はないのです。これが人生の正体だとこの頃特に思うのです。