2014年12月31日水曜日


糖質、牛乳制限して一ヶ月

 本気になってからさらに一ヶ月経ちました。12月11日です。本気になったつもりでも、いろいろ雑事に追われていると、いつの間にかもとの習慣に戻ってしまうのです。何度も経験している事ですが、今回もまた同じでした。
 デモです。筋トレをしたり、ぬか漬けを食べたりしていたら、一キロは確実に痩せたのです。不思議です。糖質も牛乳も元に戻ってしまっているのに。
 何がよかったか、それは、夜早く寝る事でした。6時、7時に寝てしまえば、そのあと何も食べなくて済むのです。夜中に目が覚めたら、本を読む、明日の洋服を考えたり、そろえたり、時には思い出して洗濯もしてしまいました。とにかく台所と冷蔵庫には近づかないのです。
 これでもう少し、食事に興味が無くなってくれれば、あと一ヶ月で何キロか痩せられるかもしれません。またご報告します。

2014年12月26日金曜日


夫の居ぬ間に水泳

 結果報告をあと一週間に控えて,まあ、一キロは減ったのですが、寒さと肥満に加えて、漬け物の塩分とり過ぎのせいか、血圧が上がってしまいました。
 一キロ下がったのは、お菓子代わりにつまんでいる漬け物のおかげと思っているので、これは止められません。それでも、つける量を少しにしてとか、塩分を少なめにしてとか、工夫をしようと思いました。
 例えば、ぬか漬けの他に大根の酢漬けも間に食べているのですが、まず塩で水出しをしてから酢と砂糖と焼酎の液につけ込みます。この塩漬け大根を洗って塩出しをしようと思います。
 ぬか漬けはぬかの量を増やさずに,スポンジで水を吸い取りながら、塩分も吸い取り、野菜にマブす塩の量も加減し、腐敗防止には上面に薄く塩を降ろうと思います。等など、いろいろ考えています。
 今日は筋トレの他に,一人で水泳に行こうと思います。いつもは脳梗塞や糖尿のある夫の健康も考えて二人で行くのですが、水嫌いの夫の抵抗にあいながらの水泳行なのです。
 しかし、幸か不幸か、この数週間、夫は仕事があって友人と出かける事が増えてきましたので、ここは夫を友人に託して、一人で行こうと決心しました。私も太ったせいか、ウオーキングでは足腰が痛くなるのです。私も必死ですし、背水の陣です。
 あと、二、三回は一人で行けそうですので、おっくうがらずに頑張ってみようと思います。友人に感謝です。

2014年12月19日金曜日


筋トレと床張り

 先の見えない減量計画に不安を感じて、ついに人様の減量ブログを覗いてしまいました。そこに二ヶ月で十四キロ痩せた人の話があって、『嘘でしょう』と思いながら、読んでみると、『なるほど』と納得させられてしまいます。
 でも、要はストイックなのです。筋トレ、有酸素運動、食事制限を計算しながら確実に実行しているのです。食事制限だけでもオタオタしている私とは大分違います。有酸素運動はジョギングだと言いますから、これもウオーキングで足腰が痛くなる私とは大違いです。
 デモです。たくさんのツイッターが寄せられていまして、『ありがとう』という内容がほとんどでしたが、『やってみて痩せた』という報告は無いようでした。という事はこのストイックさは誰にでもできるという事ではないようです。
 確かに、『有酸素運動の前に筋トレをするといい』という話は前にも聞いた事があります。この三つの中で、今の私に欠けているのは筋トレです。これはやってみなければと思いました。
 幸い、彼女のブログに体操の絵が描かれていたので、印刷して,壁に貼り、毎朝、有酸素運動代わりの仕事、例えば、畑仕事とか、掃除とかの前にやり始めました。慣れないと紙を見ながらなので、30分くらいかかります。結構めんどうです。
 でもそのうちに、だんだん気持ちが積極的になってきたのか、長年、『大変だから』と抑えてきた床の張り替えをやってみようかという気持ちが、むくむくと湧いてきました。冬に向かってカーペット床よりも木の床の方が暖かいという話を聞いていたからです。
 『汗を流せば、気持ちが前向きになる』という言葉は『朝のドラマ』でも言われていました。私も、あまり家族に手伝いを頼まずにやろうと大変な独立心も湧いてきました。
 まず、朝一番に筋トレとストレッチをして、有酸素運動代わりの床の張り替えに挑みます。まず、生活に支障を来さないように、一番やり易い、一坪分のカーペットをはさみで切って、下のコンパネを出し、掃除をして、必要なところには断熱シートを敷き,床板を並べました。
 床板は少しずつ買いに行きます。最初は一坪分、それが終わったら、次は最後の一坪分を残して大まかな量を買い、荷物を動かしながら、掃除をしながら、半分を敷き、二日目が終わります。敷くと書きましたが、私のは貼るというのではなく、コンパネの上に寄せ木細工のように並べるだけなのです。こうすると再利用できるので、高い材料を買ってもあまり惜しいと思わなくって済みます。
 床の張り替えはこれで四室目ですが、学習した注意点はきっちりと並べない事です。夏になると木が暴れて膨らむのです。いい材料ほど隙間がたくさんある方が安心です。
 三日目には重い荷物の多い場所を家族の手伝いを受けながら、片付けます。片付けと言えば、切ったカーペットの片付け、床材の箱の片付けなど、片付け業務は工事の合間にたくさん出てきます。この際に捨てようと言う処分も含めて、ゴミ袋は何袋にもなります。
 四日目に最後の重い荷物を動かして,カーペットを取り去り、板を敷くのですが、その際、あと何枚いるかを計算して買いに行きます。今回の場合は,その板の厚みだと,出入り口のドアが開かなくなるので、そこだけ厚みのあるカーペット半畳分にしました。
 これを毎朝筋トレをしてからやりましたが、さすがに最後は腰が立たないと感じました。終わってからは,あとの掃除を夫に頼んで、二、三日ゴロゴロして過ごしてしまいました。
 で、食事はどうなったかというと、ご飯はあまり入らないのに、やたら、甘いものが欲しくなり、コーヒーをがぶ飲みして、制限どころではありませんでした。

2014年12月13日土曜日


昨年の日記から

 昨年の今頃の日記に、私の不定愁訴が列挙されていました。
 肥満によるのか、高血圧、便秘、飛蚊症二十八ヶ月。
 目薬の着け過ぎによるのか、鼻の奥の乾き、鼻の切れ。
 一年経って、飛蚊症は四十ヶ月目に突入ました。肥満が改善しないので高血圧も飛蚊症も改善しませんが、運動と野菜食のおかげか便秘は改善しました。
 『鼻が切れる』と毎日のように書いてあった鼻の乾きと切れは、やがてデキモノへと進化し、抗生物質を着けると嘘のように直ってしまいました。何だったのでしょう。
 夏には目の見え辛さと鼻、喉の異常でお医者さんにいきましたが、鼻喉は役に立ちませんでした。鼻はそういう訳で直ってしまいましたが、喉は、夜食の習慣があると、胃液が逆流して喉に違和感が出るという説を、例のためしてガッテンで耳拾いしました。これじゃないかとも思います。夜は早く寝るしか無いのです。
 風邪の原因となる『ドライノーズ』というのも耳学問で入ってきましたが、これも当てはまりそうです。何せ、ドライアイの治療をしているのですから。
 こういう風に不定愁訴を一年単位で見ると、努力次第で直るものも出ているのです。これはがんばらなければと思います。
 目の見えづらさ、『ドライアイ』、最初にムコスタ点眼薬を日に4回着けていた頃は、少し改善したかなと思いましたが、それが胃薬と同じ成分で、お腹がすく原因はこれかなと思えるほどよく食べて、体重が増えてしまったので、日に二回にしたら、またゾロ、まぶしさが戻ってきてしまいました。今度は量を少なくして、また、4回に戻してみようと思います。
 ぬか漬けの食べ過ぎか、血圧はちょっと上がり気味です。体重の先が見えない今、毎日風呂に入って、下げる工夫をしないとちょっとヤバそうです。

2014年12月3日水曜日


母の一年忌

 母の一年忌を少し早めにすると、弟から連絡があって、黒い服が着られるかしらと心配しながらその日を迎えました。
 その他にも思い煩う事はいっぱいありました。田舎の法事ですから、親戚や組内の人たちが大勢来ます。全く知らない人たちや年に一度か二度しか会わない親戚の人たちにどんな挨拶をしたらいいのか。人見知りの娘は更にいやがりました。知っている人なんてほんの数人だからです。
 葬式のときはもっと悲惨です。母は大往生だったとはいえ、葬式ですから、みんなと楽しいおしゃべりをするという訳にもいかず、無愛想な演技を一日続けて、みんなに悪い事をしたとずっと思っていました。
 あれ以来です、わが家では葬式はしない,お墓は作らないと常々申し合わせをしています。
 でも今度は法事で、実家でご招待したお客様達なので、おもてなしをしなければいけないのだから、楽しく過ごしてもいいのではないかと思いました。弟も、お客さんに、飲み物を注いで回れと、気の利かない姉に時々命令しにやってきます。
 そういう訳で、知り合いの人たちに目一杯話しかけて、お葬式のときの穴を埋めるように楽しくおしゃべりをしました。
 話題を探すのも大変です。同じように胆石の手術をした従妹には手術の話、叔母さんの旅行の話を聞いて、御健康を祈り、近所でお世話になった人たちには感謝の言葉を述べ、母の実家の従姉妹達には、気楽な日常を装っておもしろおかしく話し、向かい合いの席になった父方のハトコ達とは一生懸命話題を探して、ダイエットの話、放射能の話、それでも話題が途切れてしまうと、日常している好きなものを聞き出しました。
 その中の一つ、初めて会ったハトコのお婿さんの、「毎日ぬかみそをかき回しています」と言う言葉に感激しました。私達を見ると,遺伝的ではないにしろ、みんな太っていて、血糖値が高いの、高血圧だの、中性脂肪が異常値だなど、異常ばかりなのです。でも彼は、年齢的に私より上そうなのに、体系は普通、肌はすべすべ、食べ物に好き嫌いはあるようですが、甘いものはほとんど食べない。じゃあ、「何が好き」というところから,ぬかみその話が始まったのです。奥さんにしてもらうのではなく、自分でするというところにますます感激しました。
 その帰り、イオンによって、ぬかみそ漬けの材料一式を買ってきました。これがこの日の落ちです。一日のおしゃべりの大収穫になるかどうかは私のぬかみそ漬けが続くかどうかで決まります。

2014年11月29日土曜日


霞ヶ浦と放射能

 2011年の3・11地震の後、福島第一原発の爆発で3月15日頃に放射能があちこちに拡散して大騒ぎになりましたが、遥かに離れたわが霞ヶ浦の周辺ではまさかと思っていたのですが、それはどこも同じだったようです。
 あの当時でも、霞ヶ浦周辺で特に,自衛隊の施設がある阿見町の周辺が汚染されたと,飯館村のような特別な報道は無かったのですが、周りの人々が話していました。
 三年が過ぎて,データもそろったらしく、この間調べてみたら汚染地図が出来上がっていました。
 大まかに言うと放射能は三方に走ったようです。一番被害の大きかったのは、飯館村から多分谷筋を通って、山にぶつかりながら、那須、日光,群馬に抜けたコース。あのとき、テレビを見ながら、風が飯館村の方にふいているからと危惧していた私の勘が当たってしまったと思ったものです。
 もう一つは海上に走ったコースで、やはり風のせいか、北と南に分かれたのです。北コースは宮城をかすめて岩手辺りに、そうして南コースが、太平洋沿岸を下がってきて低地の霞ヶ浦に入り、阿見町にぶつかったようです。そこから更に東京の方まで、点々と跡がついていました。
 今朝とおくアメリカ西海岸でも,福島の放射能が発見されたという報道がありましたから、海上には更に何コースかあったのかもしれません。いやいや、もしかしたら、南と北に分かれたというのはモニタリングが陸上でしかできなかったから、出てきた現象なのかも知れません。もしかしたら、海上には伸び広がったのかもしれません。
 それで、わが霞ヶ浦周辺に目を戻して見ますと、阿見町周辺が真っ赤に、霞ヶ浦の周囲が黄色に、私達の住む高台とつくば市の一部が黄緑色に、筑波山の山並みで遮られた西側が、緑色に塗り分けられていました。
 これを,私の趣味の不動産情報に照らし合わせてみますと、なるほどと思ってしまいます。阿見町周辺には売り家が多いのです。それに比べて、筑波山の西側にはほとんどありません。もう三年すぎているのにです。みんな、この放射能の汚染情報を見ながら買っているのです。
 割り方少ないと見なされたわが家のある高台には、この頃新築のブームがやってきて、あちこちで建て売り住宅が売りに出されています。でも、前にも書きましたが、わが家の雨落ち付近の放射能値が高くって、私がシャベルで削って捨てた事を思えば、低いと言っても高いところもあるのです。
 もう一つ、PM2・5の話をすれば、霞ヶ浦周辺は太平洋に接している事もあってか、最後の頃に覆われます。つまり、PM2・5は,日本海側から埼玉,つくばを通って、そのまま消えて行く事もあり、霞ヶ浦を薄い色で覆う事も有りなのです。
 この両方から同時に逃れる事なんかできないのです。だからやっぱり、原発は縮小していただきたいですね。ものを大事に使って、生産も縮小して欲しいです。手に余るほどのお金を儲けなくってもいいじゃありませんか。人に優しくできて、楽しく一生を終われれば。仏教思想ではありませんが、身の丈に合わせて喜捨ができるという事は幸せな事のようにこの頃思えてきました。

2014年11月20日木曜日


花粉症によい食べ物悪い食べ物

 牛乳を少なくし、糖質も少しにしたつもりで一ヶ月ほど、忙しかったり、風邪を引いたりしていたら、いつの間にかまた元に戻っていました。
 牛乳の入らないコーヒーはやっぱり寂しいのです。糖質をたくさん食べないと、代わりに甘い物が食べたくなって、どか食いしてしまいました。それで、一度下がった体重がまた上を向き出して最悪です。
 加えて、目の異常がひどくなり、運転も怖くなって、くしゃみも出るので、またまたネットサーフィンをしてしまったのです。
 目の異常とは、目の周りのはれぼったさ、まぶしさ等。最初は『白内障』で調べていたのですが、『目が腫れる』というのは『緑内障の症状』と書いてあって、怖くなって、『葛根湯』を飲んで寝てしまいました。葛根湯を飲んで寝ると、翌日は落ち着くのです。だから、いつもその時点で、これは『花粉症』かなと思ってしまうのです。でも、花粉症にお決まりの鼻水、鼻づまりは無いので、『これはドライアイかな』と、またまた自己診断を変えてサーフィンしてしまうのです。
 そこで、この『花粉症によい食べ物悪い食べ物』に出会ったのです。メモに書き取った良くない食べ物は『油が多い物、揚げ物、天ぷら、カレー、グラタン、外食、洋食、イタリアン、パン、甘い物、卵料理、もち、せんべい、水分過多』でした。まさに私の大好きな物ばかり、これを抜いたら何を食べればいいのでしょう。
 では『よい食べ物』は? 私は何を食べたらいいのでしょう。
 炭水化物はご飯中心、パンなどは週一回程度。菓子パンなどはもってのほかだそうです。
 タンパク質は各種、一食50グラムまで。これはお肉意外にするとクリアです。お肉だとたくさん食べてしまうのはどうしてでしょう。
 甘い物は週一回。野菜たくさん。揚げ物は避けると書いてありましたから、全くと言っていいほど食べてはいけないようです。
 マヨネーズは避ける。これは醤油や酢や塩がありますから、できそうです。
 更に卵は三日に一度、できそうですが、料理の範囲が狭まります。
 できるだけ和食だそうです。
 私にはつらいおすすめですが、目の異常を我慢するくらいだったら、これをやるのも仕方ないかもしれないと思いました。
 だから、乳製品は牛乳100cc、チーズヨーグルトは一日一個。卵は三日に一度、タンパク質を主菜にして、野菜をたっぷり添えて、揚げ物は止め、これだと鍋物がいいですね。甘い物は週一度と書いてありますが、とても我慢できそうも無いので一日一度に変えます。これなら『また明日』と思って我慢できそうです。でも、自分で買ってきてはいけません。更に、パンやめん類は週に一度。これは減量ダイエットと同じです。
 ヨガは順調に一日おき程度に続きましたし、ドライアイの目薬もそれなりに続いています。後は食べ物だけ。ここで本気にならないと。

2014年11月13日木曜日


遅発型フードアレルギー

 花粉症アレルギーを調べていたら、こんな記事に行き当たりました。
『遅発型フードアレルギーでは、アレルゲンと抗体が結合することで免疫複合体というものができて、体の中で長期にわたり炎症が生じるため太りやすい体質になってしまう。
 炎症が起こると代謝が落ちるだけでなく、脂肪細胞の肥大化が起こる。肥大化した脂肪細胞は、また炎症性物質を産生し、肥満への近道になってしまう。
 この悪循環を断ち切るには、半年程度アレルゲンとなる食物を断つことと、腸内環境を改善することしかないという。』
 またまたこれかもしれないと思ってしまうのは、藁をもつかむ思いでいるからです。つまり、『書くだけダイエット』が行き詰まって、今年のプロジェクトの『体重』が全く減らない、どころか増えてしまったのです。
 『問題はその原因となる食べ物がわかりにくいことです。通常のアレルギーなら食べてすぐ反応が出るので何が原因かわかりやすいのですが、遅発の反応はわかりにくい。好きで食べているもの、健康によかれと思って欠かさず食べているものが、原因かもしれないのです』
 これも『なるほど』と思ってしまうのです。で、私がいつも惜しみなく食べている物と言えば、乳製品です。朝はコーヒーや紅茶に牛乳をたっぷり入れ、自家製、市販両方のヨーグルトを食べ、チーズやバターをパンに塗り、時々シチューを作り、パンを作り、わが家では牛乳は常備です。
 卵は原則一日一個ですから、そんなに影響は無いと思います。
 昔はお肉大好きで、朝から食べても平気でしたが、今はあまり食べていません。一食にタンパク質は一料理と決めています。それが納豆卵のときもありますし、魚一切れのときもあります。ナノで、これはそんなに影響していないかなと思います。
 油物は大好きです。胆石の痛み発症の誘因は天ぷらでしたから、今は衣を着けずに素あげにします。そうすると野菜がたくさん食べられるのです。炒め物やお好み焼きにも使います。これはそんなに変えられないのですが、これからは、油物も少なくするように心します。卵は目玉焼きではなく、ゆで卵にします。
 『遅発型フードアレルギー』のアレルゲンとして考えられるのは、やっぱり、牛乳ですね。コーヒーじゃないんです。そういう訳で、今朝は牛乳なしのブラックコーヒーにしましたが、味がよくわかっておいしいと思いました。紅茶もそうします。ヨーグルトは一日一個程度なので食べようと思います。チーズやバターは使わないで、パンのときは上にのせる物を工夫します。パンはフランスパンですね。つまり1日に乳製品は一個とします。そうすると、菓子やアイスを食べたときはヨーグルトは食べられない訳です。全く切る勇気はないんです。
 お米や糖質はどうでしょう。結構好きで、おなかがすいたときは大きなおにぎりを作って食べていました。『遅発型フードアレルギー』のアレルゲンである可能性は大です。でも、そうで有る無しに関わらず、主食ですから切ると食べる物が無くなってしまいます。ちまたでは『糖質ダイエットがやせる』とこの間もテレビで放送していましたし、レシピも多数紹介されていましたが、私には主食の無い食事が思いつきません。いつも、主食があって主菜があるのです。でも、糖質の少ない主菜のボリュームをアップして主食を半分にする事はできそうな気がします。
 『糖質ダイエット』は一ヶ月くらいで、『遅発型フードアレルギー』は半年ぐらいで、結果が出るそうですが、がんばって挑戦してみるしかありません。

2014年11月6日木曜日


自己診断、ブタクサかイネか

 花粉症というのは、杉とか檜に限った事ではないとは聞いていましたが、毎年毎年花粉症に苦しんでいる娘の指摘を受けて、『これも本当に花粉症かもしれない』と思い始めて、初めて、ブタクサの花粉症をネットで調べてしまいました。
 ブタクサって何だと思いますか。はじめはセイタカアワダチソウかと思っていたのです。娘に強烈に否定されて、もう一度調べ直して、ヨモギ科のブタクサ属の事だと知りました。ヨモギの背の高くなるやつのようです。これだと7月、8月、9月。イネは年間通して患者がいるのだそうです。
 目と鼻と喉の粘膜にくっついて悪さをすると言ったら、まさに私の症状です。目はドライアイのようにチカチカし、鼻は乾き(ドライノーズという言葉もあるそうです)、のどはひりひりと痛いのです。市販でそれ用の薬もあるらしいのですが、私は大量に買ったドライアイ用の目薬を着け、鼻は時々抗生薬を塗り、のども時々葛根湯を飲んでしのいでいます。でも、要は花粉を着けないようにするのが一番のようです。つまり、こまめに掃除機をかけ、マスクをし、眼鏡をかける。確かにどんな眼鏡でもかけていると楽です。洗濯物はやっぱり外に干してはいけません。幸い涼しくなってきましたので、窓は閉めておけますし、エアコンも着けなくていいので、湿度も保てます。
 この症状の起き始めは、やはり胆嚢摘出手術の後です。4月末に手術をして、5月、6月とほとんど動けない日々をソファに座ってテレビを見て過ごしました。7月、8月と目がチカチカして左目にも飛蚊症が出だしたときは、テレビがいけないんじゃないかと思って、画面の調整を何度もやりました。傷跡がしこりになっていたので、何か残っていて、それが悪さをしているのじゃないかとお医者さんを疑いもしました。コーヒーがいけないのじゃないかとも思いました。
 そうです、最初に眼科に行ったのはその8月でした。「飛蚊症は老化現象です」と言われて帰ってきたのです。
 鼻の中が切れると言い始めたのは、9月頃だと娘が言います。それ以来ずっと、切れていたのです。やがてのども痛くなって、ついに眼科と耳鼻咽喉科に行ったのが翌年の7月でした。ブタクサの花粉は7月、8月頃に飛び始めて、9月にピークになるのだそうです。イネもまた強くなったり弱くなったりしますが、秋は9月がピークになります。
 今までこんな憂鬱な不安を感じた事も無かったのに、やっぱり、手術のせいでしょうか。悪いところを取ったとは言っても、臓器を一つとって、体に大きな傷を作った事で体全体が弱くなったのでしょう。世に言う免疫力が落ちたという事でしょうか。飛蚊症は前から時々起こっていましたから、もちろん老化現象もあるのですが。
 今は目薬も半分の量にして付けながら、ついでに鼻にも塗りながら、毎日ヨガやストレッチをして体を温めています。コーヒーも一日一杯。体を元に戻す自助努力が花粉症に勝つ方法だと思っているのです。

2014年10月24日金曜日


心のさざ波

 若い頃、『随分と馬鹿だったな』と後悔で身震いすることがあります。
 「思っている事を何でも口に出して言う馬鹿がどこにありますか」とよく母に言われました。『でも、何でも口に出した方が、腹に一物が無くていい』とずっと思っていました。
 ついこの頃です、『痛いの苦しいのと言うと、家族が不安になる』という事を知ったのは。それと同時に、心に寄せ来るいろいろなさざ波を、例えば誰かに対する不満などを誰かに言うと、それが黒い不安となって人の心に定着してしまうのです。『気にしない、そうは思わない』と、はね返して言える人はそんなに多くはないと思います。言った本人は忘れてしまっても、聞いた方がずっと覚えているというのもよくある事です。
 だから、心にしまっておけるさざ波は口から先に出さない方が賢明なのです。そうすれば周りにさざ波を立てずに済むのです。目的を持って立てる人の場合は、また別で、そういう人は誰が見てもわかりますから、こちらがわざわざ、口から先に出さなくっても自然に浮いてきます。
 生活に対する不安でも、例えば、先日娘達に、「八月は電気量が多かった、昨年の八月よりずっと多い」と言いました。電気料金は値上がりしていますが、電気使用料が多かったのです。でも、後で何が原因だろうとしばらく考えていましたら、はたと気がついたのです。家の中がカビ臭くって、今年の夏は洗濯機を多いに廻したのです。多分あれが原因だったろうと思いました。その後、娘達に原因を説明するのに躍起になりました。よく考えて、自分の中で解決してから言えば、余分な労力を使わなくて済んだのにと思います。
 このところ戦争地域のニュースをよく見ますが、家を壊され荷物を抱えて出て行く人たちの映像を見ていると、人生は波のない方がよいと思いますね。飽き飽きするほど何も無くって、やる事を探しているというのは幸せな事なのかもしれません。この歳になれば、もうそういう状態でいいのかもしれません。わざわざ波風を起てなくっても、自然災害は選択の余地無くやってくるのですから。

2014年10月16日木曜日


あの手この手

 しばらくショップの話をしませんでしたが、いろいろ考えては試し、試しては考える試行錯誤を繰り返しながら、失敗したり、後悔したり、感謝したりと楽しく忙しい毎日を送らせていただいています。
 三年目の暑い夏を通り越して、アクセス数は大分減りましたが、ご注文は月に一冊くらいの割でいただけています。十分です。
 で、どんな試行錯誤をしているかというと、手持ちの商品を入れ終わった後、アクセスが激減した昨年、焦って、あちこちに問い合わせをした結果から、関連商品を入れる事と検索業社に頼まずに細々とでも自分で商品画面を開く事を実行していました。
 三年目の今年は、関連商品も思いつかなくなってしまいましたし、自分で商品画面を開けるのも空しくなってきてしまいましたので、商品の入れ替えを少しずつ始めました。つまり、結構お客さんのあった一年目は夢中で商品をスキャンしては並べていましたが、新しく並べる事が検索に引っかかりやすいのかなと思ったのです。
 それと、最近の売れ筋の傾向として、というか、前からそうでしたが、よそにない商品が売れるようです。つまり、よそにない商品は高くしてもいいようです。古本屋さんの値段も刻々変わっているようですし、よそでは品切れになっている商品も出てきていますから、値段のチェックもしながら、エブリカラーショップメイプルショップの商品を入れ替えているのです。
 関連商品のある物はエブリカラーショップに、ない物はメイプルショップにという分け方にしています。そうするといつもすぐに取り出せるようにしておくべき商品棚の移動が大変ですが、これも工夫で、大項目にして、つまり、文学は二階の本棚に入れてありますが、メープルのもエブリカラーのも一緒にしておくと、ネット上は移動させても、商品は移動しなくてすみます。いろいろ考えるとアイディアも浮かんできます。
 ところで、先日、夫の友人のことを書いた本の注文が来ました。幸い二冊ありましたから、一冊は送るとして、もう一冊は、画面から削除しました。まだ読んでいなかったのです。クセのある人でしたが、苦労人で味わい深い人でした。一読もしないで売ってしまうのはもったいなくなってしまったのです。
 もう故人ですが、この世では社長でしたから、生きている間は、あの手この手苦労しているようでした。

2014年10月9日木曜日


おなじみ

 私が癒されているテレビ番組は、今のところ、野球と英国ミステリーです。冬になると野球がマラソンと駅伝にかわります。夫はニュース番組と相撲。我々はほとんど一緒にテレビを見ないで、二台で別々に見ています。何か性格が垣間見えます。
 でも、負けてばかりいると見るのがおっくうになり、横目で見るようになります。勝ちだすと私も元気になるのですが。そういえば、今日は黒田投手の登板です。これも心配で横目ですね。亡くなった黒田投手のお母さんが一度も球場に行かなかったというのもよくわかります。
 英国ミステリーは、お好みがあって、ハードな物はだめです。そうすると必然的におなじみの物しか安心して見られなくなります。今のところは、クリスティー作品とバーナビー、オックスフォードミステリーのモースとルイス、フロスト警部と女警部ビエラくらいでしょうか。それに時々、アメリカンミステリーのモンクとジェシカおばさんが入る程度です。
 前はCSIも見ていましたが、ちょっと映像がきつくって現実離れがしてきてやめました。
 でも、これらのおなじみが、もうほとんど見てしまったのです。ケーブルテレビで毎日のようにやっていますから、そうですよね。モース役のジョン・ソーは疾っくに亡くなっていますし、ルイスも老けました。トム・バーナビーは退職し、フロストも引退しました。二、三ヶ月くらいで全シリーズを放送すると、出演者が目に見えて老けて行くのです。あれも悲しいですね。
 でも、楽しいこともあって、これらに出ているごひいきの俳優さんたちを他のドラマや映画で見つけたときです。例えばこの間は、バーナビーの奥さん役をしていた女優さんがクリスティー作品に出ていました。若くてとてもきれいでした。同じくバーナビーに出ていたトロイ役の俳優さんがポアロだったと思いますが、若い学生のちょい役で出ていました。若きバーナビーも端役で出ているのを見つけましたし、ビエラ役の女優さんの若いときの準主役級の映画も見ました。ビエラ役の女優さんは大変な芸達者でした。そういえば、ルイスもポアロに出ていましたね。
 フロストは有名でしたが、あまりハンサムではなかったので、最初は敬遠していましたが、見出すとはまりますね。人間て性格が変えられないのですよね。我々が二台でテレビを見ているのと同じです。どんなに苦労しても努力しても一徹は変えられないのです。フロスとにとって、それは悲哀ですが、それを楽しんでもいます。楽天家でもあるのです。
 こうして、まるで友人のようによく知ってしまったおなじみ達が、前に見たという落胆させる物になって、見られなくなると、どんどん寂しくなって行きますね。その後、新しいおなじみはなかなかでてきませんが、この頃、ブラウン神父ともう一人のバーナビーを見始めました。
 たとえ、急に歳取っても、飛び飛びでなく、まとめて一気に放送されたから、深く知ることができて親近感が湧いたのかもしれません。

2014年10月1日水曜日


今時、火の昔

 「これからの人は、生きづらくなって、大変だ」と娘にぽつりと言ってしまいましたが、考えてみれば、いろんなものが私の子供の頃と違ってきています。
 例えば、水。私の子供の頃は、井戸水でした。小都会に嫁いできて、長年住んでいますが、近くの湖水を飲料とした水は塩素消毒がきつくって、金魚も一日と持たずに死んでしまいました。それでも飲んでいました。子供たちの小さいときは、近くの山に水を汲みに通いましたが、ガソリン代を考えれば、買った方が安かったかもしれません。今はショッピングモールなどで、濾過した水を汲んできたり、買ったりしています。
 結構怖いのは火です。昔は神聖で、野焼きなど、有害虫を駆除し、何もかも清めてくれるイメージがありましたが、今は、野焼き禁止です。有害物質が出るらしいのです。建材だけではありません。雑草を燃すと、除草剤の残りが煙となって舞い上がるらしいのです。敏感な人はそれだけでも苦しがります。
 今はやりの薪ストーブ。遠赤外線が出て、暖かく、化石燃料特有のにおいもなく、憧れますよね。ところが、これも、松毛虫の消毒や、桜の木の消毒など、結構消毒された木があって、それにあたってしまうと、家中どころか、煙突の先の大気中まで、残留消毒薬の煙が流れ出てしまうのです。
 火は昔に比べてずいぶんと管理されてきていますが、もはや簡単に使えるものではなくなってきているようです。そうそう、家の近くに工業団地があるのですが、週に何遍か、ものすごい異臭があたりを襲います。風向きにもよるのでしょうが、広い工場の内部でやっていると、外に漏れ出ているとは気づかないのでしょうか。PM2・5に苦しんでいるのは中国人だけの話ではないのです。
 食べ物はどう注意していたらいいか、できるだけ、昔に近いと思われるものを探して買うしかありません。旅行に行ったとき、お土産の品質表示を細かく読んでいた私に、お店の人が、「そんなこと言ってるんだったら、食べないほうがいいでしょう」と、嫌みを言ったのは忘れられません。それほど、みんな保存料入りなのです。その方がお店にとっても安心なのです。
 我が家では畳を最初から使いませんが、抗菌作用のあるというのは要注意だと思ったのです。それでも時には、いくつか抗菌作用のあるというのを買って後悔したことがあります。例えば布団や枕なんかだめですよね。娘は何でも買ったら洗濯していますが、布団や枕は洗えません。これは多分、お店に何年もおいておけるようにするためなのかもしれません。ホワイトニング加工もお店のためですよね。
 更には、エボラ出血熱がアフリカで猛威を振るっていますが、パンデミックというのでしょうか、飛行機に乗る人が多くなって、多くの人が地球上を行き来するようになると、伝染病が広まりやすくなるのだそうです。

2014年9月27日土曜日


「めんちょう」という自己診断

 鼻の中のただれが一向に改善しませんでした。家にあるもの、ほとんど着けたり塗ったりしてしていましたが、どれもいまいち、中には悪化するものもありました。いろいろ考えてしまいますよね、放射能も来たし、胆嚢もとってしまったし、傷跡も痛い。良性ですが、副腎腫瘍もあるんだそうですから。
 それやこれや一生懸命着けているうちに、どうも、傷やただれだけではなく、おできのようなしこりがあることに気がつきました。
 と、娘のところに行っていたときです、例の『ためしてガッテン』で『死に至るおできめんちょう』というのを偶然に見たのです。それはたいがい鼻の上にできるようですが、鼻を中心に手のひらの範囲にできるものを言うようです。
 そのとき、これだと思ったのです。なぜ死に至るかというと、鼻を中心にした手のひらの範囲は、血管が密なのだそうで、この原因菌である『黄色ブドウ球菌』が、血流に乗って、脳にまで行きやすいのだそうです。そして、脳炎が起こるのです。
 さすがに焦りました。耳鼻咽喉科の先生、ちゃんと調べもしないで『いじりすぎ』だなんて、薮だなどと思ってしまいましたが、皮膚科に行くべきだったのでしょう。早速行こうかと思いましたが、まずは番組で紹介されていた抗生物質の塗り薬を買って着けてみようと、帰り道に薬局によって買ってきました。
 着け始めて、一週間で、おできは治ってしまいました。でもつけないでいるとまた出てくるので、症状が出たときはすぐにつけるようにしています。この『黄色ブドウ球菌』というのは、老人の肺炎を起こす菌だったような気がして、ネットで調べてみましたが、結構怖そうなことがいっぱい書いてありました。
 もう一つの可能性は娘の言っていた花粉症です。九月はもう一つの花粉症の時期なのだそうです。そういえば、娘のところに行くと悪くなるような気がします。雑草の茂みがすぐ近くにあるのです。
 このブログ、百歳までの事業計画のはずでしたが、六十五歳を過ぎたら、とたんに、体調不良の愚痴ばかりになってしまいました。でも、体が元気でなかったら、事業は進められません。ある雑誌に、五年前に胆石の手術をしたという六十八歳の男性が、白内障っぽくなっていると言われて、「早く手術をした方がいいか」と質問している記事がありましたが、『私と同じ』と思って読みました。この年頃になると、みんな同じような体の衰えを感じるようです。明日は我が身なのです。

2014年9月18日木曜日


新しいマックミニ

 新しいのを買えば、何でもスムースにいくかと思っていましたが、これがとんでもない話です。
 友人が新しいオフィスを買ってきて入れてくれたとき、グーグルドライブというのを説明してくれました。グーグルドライブに入れておけば、ネット上に有る訳だから、他のコンピューターからも同じ書類にアクセスできるというのです。『これはいい』と思いました。つまり、マックミニが二台有るのですから、オフィスで作った書類をコピーで持っていかなくっても、両方で変更した書類が見られるということだと理解したのです。早速、新しいマックミニで、共有したい書類をグーグルドライブに入れて変更しました。
 ところがです、古いマックミニには、そもそグーグルドライブなるものが有りませんでした。クロームだって古くて何度トライしても入らなかったのですから。だから、もうしょうがありません、新しいマックミニで使う書類と古いマックミニで使う書類を分けました。印刷する必要のあるものは古い方です。
 画像はスキャナーが古い方でしか使えませんから、古い方でショップ管理をすることにしました。これがこの間やってみたら、修理した古いミニではスキャナーが使えなくなっていて、何度もトライした後に、ついに娘に聞いて、エプソンのホームページから新しいドライブをダウンロードしました。このドライブの意味がいまいち分からないのですよね。それから、調整をしてやっと使えるようになりました。もしかしたら、iPhotoというやつで、共有できるかもしれないと思いやってみましたが、やっぱりだめそうです。
 以前と同じではないというのは、新しいオフィスにも当てはまります。友人が、『アメリカから買うと安いのでアメリカからにした』と言っていましたが、漢字変換が古いものよりスムーズではないのです。まだよくわからない新しい機能もたくさんついています。
 動画制作は古いミニに戻しました。昨年、動画作成用にと買ったばかりのヘッドセットが、新しい方では機能しないということが何度目かのトライの後でわかりました。年金暮らしの老人には時間はあるとはいえ、大変な時間のロスです。
 新しいマックミニはテレビにつなげて、大きな画面で見られるようにして、画面変更は面倒ですが、これは大成功でした。でも今度は、コンピューター専用ではないので、自分の時間で使えません。それでまた、古い方にほとんどすべての機能を戻しました。ショップ管理もブログも動画作成もすべて古い方です。新しい方は、今のところ検索や登録してあるサイトや動画やショップを見たり、印刷する必要のない私的な家計簿をつけたりだけです。
 新しいマックにかまけていると、いくらでも時間が経ってしまって、ブログを書いている暇も、ショップを更新する暇もなくなって行きます。頭の体操にはなるのでしょうが、大問題です。

2014年9月10日水曜日


ついに病院へ

 もうアトデという訳にもいかずに行ってしまいました。
 一年前と同様に、眼底には異常はないと言われました。一年前と違うことは少し白内障の気はあるが、手術するほどでもないと言われたことです。何でもない、大したことはないと言ってくださるのはありがたいことです。
 結局ドライアイでした。忙しそうな先生は「市販薬でもいいですよ」と言われましたが、今まで市販薬をとっかえひっかえしていても、一向に直らなかった私は必死になって、「病院の薬を出してください」と頼みました。
 先生は三種類の薬を示されました。一段目は水分を補う目薬、二段目はヒアルロン酸の入った目薬、三段目は網膜のでこぼこを修復する目薬。三段目のは胃薬と同じで、粘膜を修復するのだそうです。そのため、目から口に入ると苦いのだそうです。一日四回、付け方もコツがいるし、難しいといわれましたが、もちろんこれにしました。
 ムコスタ点眼液というのです。これが最後の砦ですから、まじめに夜中にも起きて、着け続けて一週間、心なしか良くなっってきた気がします。
 ドライアイというのはコンピューターの画面でなると、世間では言われていますし、私もそう思っていましたが、それだけではなく、エアコンも影響するのだそうです。昨年の私は、手術をしましたから、病院にも一ヶ月近くいましたし、冬中エアコンを使っていました。
 「鼻の中も乾くのですが」と先生に言いましたが、眼科の先生は、「それは関係ないでしょう」と言われました。
 それで、続けて耳鼻科にも行ったのです。鼻の出口のところが爛れていると訴えると、「いじりすぎでしょう」といわれました。でも、ステロイド剤を進められたので、「あまりいじらないようにして直します」と言いました。
 次に、風邪のような喉の違和感、私はこれも目の乾きからくるのかと思っていたのですが、葛根湯を飲むと少し改善していたので、何か有るといけないと思って、訴えたら、耳鼻咽喉科の先生は早速、細いチューブ状のカメラのようなものを持ち出してきて、鼻の穴から麻酔をして、すぐに突っ込んで見てくれました。幸い、何も異常は無いようで、喉にいいという漢方薬を処方してくれました。その後数日、喉が痛い状態が続きましたが、これは、喉カメラのせいでしょう。
 今、漢方薬は大事にとってあります。喉カメラの痛みが取れた後に、まだ風邪のときのような喉いたが有ったら飲むとして、今はドライアイの薬に専念してみようと思います。これで、ドライアイの網膜と、鼻の乾きとただれ、喉いたが直ったら、万々歳です。何となく自分で治療の道筋が考えられる気がします。
 ムコスタ点眼薬は、だいたい二週間で、目の違和感が改善するのだそうです。その後、五十週くらいで、見えづらさも改善すると書いてありました。五十週って、およそ一年ですよね。一年かけてここまで悪くなったのですから、直すのに一年かかるのも仕方ないかと思い。これも今年度のプロジェクトに入れて、結果を出したいと思います。

2014年9月4日木曜日


冷えの話

 今回はNHKの朝イチでした。冷えの話を聞いていて、『これだ』と思ったのです。どこが『これだ』なのか、あまり正確ではありませんが、手術後一年にして次々に現れてくる不定愁訴、飛蚊症、ドライアイ、便秘、鼻の中の痛いただれ、風邪症状。
 私は昔から『手の温かい人』なので、冷え性であるとは思ったことがありませんでした。でも、『内臓の手術をした人』という項目でハタと思ったのです。『便秘は内臓に冷えがあるから、内臓の働きが悪いからなんじゃないか』と。そうすると、『夜よく眠れないのもそのせい?』とか、『咳が出て、喉が痛いのもそのせい』とか、『それが血流に影響して、血圧が高くなり、目に作用する?』とか、『そういえば、このごろ寒がりになった』とか。
 今までは『福島の原発の放射能のせいで、甲状腺の異常?』、『副腎にあるといわれた腫瘍のせい?』、『太ったせい?』と思っていたことが、『冷え』の一点に集約する感じでした。
 それで、お医者さんが教えてくれている足の運動プラス足のマッサージを二週間続けてみようと思いました。番組で実験に参加された女性が見事成功して冷えを改善されたからです。でも、これが私の症状にあっているかということではなく、一番手軽でやりやすかったからです。
 もうすぐ二週間目が来ようとしています。確かに足先はとても暖かくなりましたが、便秘も飛蚊症も鼻の中のただれにもほとんど変化が見られませんでした。
 多分、私のは内臓の冷えなんだと思います。手は温かいのですから。これからは内臓冷え用の運動をしなければいけないと思いましたが、これがなかなか面倒なのです。それで、運動はするとして、とりあえず、目の検査と鼻の診察を病院に予約してしまいました。お医者さんで直ればありがたいのですが、目が直らないとコンピューターいじりが辛いのです。
 鼻に市販薬は毎日つけていても鼻はいっこうに直る様子もなく痛いのです。

2014年8月28日木曜日


わからないことと『アトデ』と思うクセ

 何か思いついたとき、動くのが面倒だったり、疲れていたりすると、『アトデにしよう』と思いますが、すぐに忘れてしまいます。あとで思い出そうと一生懸命頭を巡らすのですが、脳の中のどこに隠れてしまったのか、影さえも見せません。
 老化で惚けたのかとも思いますが、昔からだったようにも思えます。若い頃は、忙しい毎日でゆとりもなく、忘れてしまっても気にならないような些細なことだったのでしょう。
 歳をとってきて時間もでき、一日、一アイディアが大事になってくると、このくせに気づかされました。頭に何かがひらめいたときはメモを取るようにしまして、この日記兼用のブログに書くか、行動を起こして処理するか(例えば収穫や水まきなど)、とにかく、『アトデ』はできる限りやめました。
 そうすると、毎日の生活が完成度の高いものになって行くような気がします。私はものぐさだったから、この歳になってやっとわかったということでもありますが。
 最近、Gメールに、どなたかが『グーグル+で共有しています』というお知らせが入っています。どういうシステムだか未だにわからなくって、何か返信をしなければならないのかとか、気になりますが、これは『アトデ』にしてあります。
 ところが先日、友人が家族の写真を送ってきてくれたとき、その写真に『共有』の文字が入っていました。私は写真を送るときは『貼付』にしてクリップマークで送るのですが、友人はその写真を遠くに住んでいる家族とGメール上で共有しているのだろうと思えました。そこまではわかったのですが、どうやって共有しているのか、コンピューターに関してはわからないことが多くって、『アトデにしよう』と思うことは多々あります。
 もう一つ、『アトデ』のエピソードがあります。アドセンスに申し込んだと書きましたが、「もう既に申し込みしてあるので再度はダメ」というお知らせがきました。しかも、最初の申し込みの際のIDもアカウントも無効と出ていまして、どこにIDがあり、どれがアカウントなのか探しまわって、処理するのに四苦八苦しています。原因はわかっています。最初の申し込みのとき、どうせ誰も見ないのだからと、申し込みを途中で止めてしまったのです。つまり、途中で『アトデ』にしてしまったのです。
 そうそう、もう一つ、アトデの弊害がありました。古い方のマックミニを初期化しているときに、違う方法があるのかもしれない、アトデやり直そうと思って、初期化を途中で止めてしまったのです。それで壊れてしまったのです。これらを考え合わせると、やり始めたら一気にやってしまわないと弊害が出るようです。アトデは、始める前のことだけにするべきのようです。

2014年8月23日土曜日


年金とはげたかショッピング

 この間、今年度の年金の算定書が送られてきました。見てびっくりです。千円も目減りしていました。デフレのときはそれでもよかったのですが、こう何もかも値上がりしてくると、だって、ガソリンだって、安かったときに比べたら1.5倍にはなっています。夫は60歳から年金の貰えた年代ですから、一万円以上は目減りしているでしょうか。
 それでも年金をいただけるのは、もちろんありがたいのですよ。
 こうなったら自己防衛です。毎日の生活はそんなに変えられませんから、電気代、光熱費、水道代、ガソリン代などは今まで通りに節約するしかありません。それでも元が値上がっているのですから、支払い金額はどんなに節約してもじわじわと上がってきています。これ以上使わなくってもいいものと言えば、夏は電子レンジですね。昔のように冷やご飯、冷やおかずでもいいのです。今まではパン焼き機で、パンを焼いて、更に、それをオーブンで焼いたりして食べていましたが、買った方が安上がりです。オーブンもつかわなってもサンドイッチにすればおいしく食べられます。毎回という訳ではなく、回数を減らしました。そのかわり、夏は冷房が必要なときもありますから。
 衣料費は極力買わないで、持っているものの着回し、リフォームです。着られない服、着ない服が、五箱もあるのですから、痩せれば、着られる服はいくらでもあります。この間、ズボンがないと思いましたが、箱を調べてみたら、夫の着られない、真新しいズボンが出てきました。男物だっていいんです。かっこ良く着るのは私のセンス次第です。もう服は買いません。
 一番融通が利きそうなのは食費です。昔、母が、「切り詰められるのは食費くらいだろう」と言って、作った野菜を持ってきてくれたことを思い出します。食費は気を緩めるといくらでも増えてしまいます。反対に気を配っていれば、特に、糖尿病患者と予備軍で、そんなに食べてはいけないはずですから、自家菜園の貧弱な野菜の天ぷらなどをすれば、ある程度は抑えられます。
 まず、特別なとき以外、外食はしないことにします。
 一時期、安い食材を買い出しにいっていたのですが、それはガソリン代がかかりますし、労働も身にこたえるので、やめにしました。その代わりに何がいいだろうと考えました。それがはげたかショッピングです。
 普通買い物には、人の少ない午前中に行っていましたが、何度か夕方の込む時間帯に行って、知人によく遭遇しました。五時、六時でしたから、みんな仕事帰りだったのだろうと思っていましたが、よく考えると、あの時間帯は、総菜や生鮮品が安くなるのです。品数は少なくなりますが、特別に買いたいものがある訳ではないので、安くなったものを買ってきても変わりはありません。幸い私も、週に二回くらいはその時間帯にその店の前を車で通るのです。
 そんなことを、しばらくして見ていると、安くなるのは夕方だけでないことがわかりました。商品のチェックは一日中されていて、賞味期限の迫ったものは次々に安くなって行きます。これならわざわざ夕方に行かなくっても安くなったものが買えます。これをはげたかショッピングと名付けたのです。
 きっとみんな同じことを考えているんですよね。私の二軒のネットショップにも、来訪者はめっきり減りました。

2014年8月7日木曜日


初夏の疲労

 『暖かくなると、体が楽に動けるようになるので、ついついやりすぎてしまうんだ』と亡き父がよく言っていました。
 今までは深刻に感じたことはありませんでしたが、『確かに季節の変わり目は疲れる』と昔から感じてはいました。私はそれが『季節の変わり目だから疲れるのだ』と思っていたのですが、真実は、父の言うように、五月になって、暖かい日が続くと、体の動きが楽になり、加えて草が伸びだしてきますので、庭仕事も、暑さに備えて家の中の衣類の整理も、やらなければならないことが山積みになるのです。
 それに加えて、我が家では五月末が会社の確定申告時期です。今までは『ごみゼロの日(5月30日)』の町内の草取りの時期と重ならないように連休中に計算をして連休あけに提出していました。それが今年は役員変更の法務局への書類提出が増え、コンピューターが壊れて、印刷ができない状態で、半分は手書き、コンピューターの修理とプリンターの復旧で、駆けずり回って労力を費やし、やっと法務局に送ったのが5月30日でした。
 その頃、暑い日が続き、夫が下痢で寝込んだのが31日、その後めまいで起き上がれないと訴え、私は6月1日の町内清掃のために家の周りの草取りを続け、無事、1日を終えると、翌2日は暑さ対策の遮光カーテンを例年通り。脚立を使って、西側一帯に張り巡らしました。
 残り物の種を蒔いたこかぶも、カブはまだ小さいのですが、今とらなければ虫に全部食べられてしまいます。イチゴも、いつの間にか白い花から赤い実に変わっていまして、今とらなければ朽ちてしまいます。時間にすれば、30分程度、周りの草をとりながら、収穫して台所で調理。
 暑い中、そんなことを繰り返して、遮光カーテンを張り終えた午後はマッサージ機から離れられなくなっていました。
 夫は相変わらずめまいが続いて起き上がれないというし、私は動けない、二人とも、食欲もなく、その後二日は食事もろくにせず昼も夜もよく寝ました。おかげであんなに減らなくて悩んでいた体重が一キロくらいドンと減りました。歳をとると、忙しいなんて喜んでいられません。
 梅雨の季節が近づき、雨で暑さが追いやられ、私たちも大分回復しましたが、体重だけはこのままでいてほしいと思います。

2014年7月31日木曜日


マックミニ買替え騒動

 一年がかりでアップした動画、しばらくは覗く気もしませんでしたが、半月くらいすると気になり出して、ちょっと開いてみようと思いましたが、開けませんでした。娘が『古いからメモリーが少ないんだよ』と言って入れてくれようとしましたが、だめだったようです。
 『古いのが原因なんだ』と考えると、そういえばと思うことが多々出てきます。Gメールに「標準では対応不可能、新しいクロームにアップデイトしてください」と言われて何回も試みましたが、結局古くってアップデイトできなくって、ホットメールになっていました。
 ユーチューブのほかの動画も、出てこなかったり遅くなったりが多くなりました。画面をたくさん開くと、切れてしまったりも起こります。自分の動画が見られなくなったときは、『もうだめか』と思いまして、ついに買い替えを決断して、アップルのネットストアに申し込んでしまいました。
 これで一件落着のはずでした。ところが大変。いざ着いてみると、ディスプレイと繋げません。ケーブルの口が違うのです。近くの電気店に二日ほど通いましたが、だめで、結局電気店の方が、マック専門の店を教えてくれました。
 これでまた一件落着と思い、古いミニの機能を入れようとすると、入らないのです。おかげさまで動画は出るようになりました。動きも敏速です。ところが古いオフィスが入らないのです。これが入らないと、会計も商品管理も手紙さえ書けないのです。あわてて、友人に新しいオフィスを頼んでしまいました。
 次に、スキャナーが入らない。プリンターが入らない。フォトスタジオが入らない。しょうがないので、この三つは古いミニを使おうと思い、その前に娘がよくやっている初期化をしようとしました。で、始めたんです。ところが途中で、『違う方法の方がいいのではないか』とひらめいてしまい、『いったん終了を押して』と思ったのが大間違い、コンピューターが反応しなくなってしまいました。
 さあ、大変、直すか、スキャナー、プリンター、フォト用のソフトの三つを新しくするか。新しくすると、多分五万円くらいかかってしまうでしょう。それに、今までのがもったいない。思い悩んだ末に、再度、店に行って、修理を依頼しました。二万円と言われたのです。
 一日で修理を終えて帰ってきた古いミニは動きもさわやかになって、標準のGメールも出るようになりまして、動画も全く問題ありません。『新しいのを買わなくっても、メモリーさえ増やしてもらえばよかったかな』とさえ思えるくらいです。
 でも、これで終わりではなかったのです。プリンターを入れたはずなのに印刷ができないのです。それこそ、半日何回もやってみて、どうしてもだめで、古いミニより更に古いノートPCにプリンターを繋げてみましたが、それでも、出ない。さすがにおかしいと気づき、USBを調べると、それはスキャナーのUSBだったのです。
 これで新しいオフィスが来れば本当に一件落着です。動画用と印刷スキャナー用の二台がスムーズに使えるようになる訳です。
 『私も一人でこれだけのことができるようになった』と我ながら驚いています。

2014年7月25日金曜日

母と弟の間

 コーヒーを飲みながら、通路を挟んで隣りに座ったご夫婦のはなしを聞くとも無しに聞いていると、「こんな所があったんだねえ、知らなかったわ。」という言葉が聞こえて来ました。それに吊れられて、「私はよく母を連れてここに来ていたんですよ」と言葉を挟んでしまいました。「ついこの間、亡くなったんですけど」
 そうすると、はす向かいに座っていたご主人の顔が、見る見るうちにこわばってしまいました。間を置かずに奥さんが、「家のおばあちゃんもこの間亡くなったんですよ。いい歳だったし、認知症もあったんですけど、お父さんにしてみれば親だから、なかなか忘れられないんですよね。」と弁護しました。
 「私の事は、怒ってばかりいると言ってたんだけど、次から次に忘れて行くから、大きな声を出さないわけにはいかなかったんですよ。危ないし。」とご主人が今にも泣き出しそうな怖い顔で、私に向って一生懸命弁解していました。
 「近くで面倒を見ていた人にしたら、大変な喪失感ですよね。私の弟夫婦は母の亡くなったあと、庭に小鳥のえさ台を作って、餌を乗せてやりながら、来た小鳥を数えていますよ」と慰めにもならない慰めを言いました。
 そうなんです。私はハタと気がつきました。母と弟の間には言葉にはならないようなやり取りがあったのだと。
 母は同居していても意のままにならない弟にイライラして愚痴ばかり言っていました。それに対して弟も不快をあらわにしていました。そんな仲の二人でしたから、認知症の介護は私が引き取ってやらなければならないのじゃないかと覚悟を決めていたのです。ところがそれを母に話しても、母は決して家を離れるとは言いませんでしたし,弟もいい顔はしませんでした。
 今になって、『そう言えば』と思い出すことがありました。孫たちが次々と独立して家を離れて行ってしまう中で、母がぽつりと言ったのです。「家に縛り付けてしまって、あの子には悪い事をしてしまった」。
 弟はハードなゼネコンに勤めていましたから、転勤が多かったのです。海外に行く可能性だってあったのですが、初任地名古屋から東京を経て、少しずつ故郷に近づき、遂に実家に帰り着きました。そこを離れられないと希望を出し、それには出世も犠牲にして来たに違いありません。
 母が亡くなったあと、弟に、母の言葉を伝えると、義妹が「長男なのに、家も親も見捨てて行くのか」と厳しく言われたと言っていました。私たちも弟が家にいるのは、当然のように思っていましたが、やっぱり、そんな事があったのかと納得しました。
 「今になってみれば」、と弟が言いました。「知った人の多い中に帰って来られて良かったかも知れないよ」。弟は昔から、何でも母の言う事をよく聞くやさしい息子だったのです。自己主張の多い私との差を母はよく知っていたのでしょう。

2014年7月17日木曜日

ゼルカバショップを一日で閉めたわけ

 そうなんです、またまた閉めてしまいました。
 商品を並べてみると、とても貧弱で、全く売れそうにありません。まあ、これでちょっと恥ずかしくなったのは事実です。
 でも、商品のアップの先に進んで、支払の方法のところを見ると、クレジットカード払いというのがあって、私はそれはしたくないと思っていたのですが、消そうと思っても消えないのです。
 結局、クレジットカード払いというのは必須アイテムのようで、これはヤフーのときと同じでした。でも、難しいですよね。商品が売れたら、月に一度、送金してくれて、二百五十円の手数料を取り、更に、五パーセントの手数料を取るのだそうです。では、私の商品は二百五十円なのですから、月に一個しか売れなかった場合、赤字が出てしまう計算になります。慌てて、三百円に値上げしましたが、それでも同じです。
 一晩考えて、退会のキーを押しました。
 結局、クレジットカード払いというのは、お客さんにとっては振込手数料を払わなくていいわけで、お得になるのかもしれません。だから、ヤフーもユザワヤも必須アイテムに採用しているのかもしれません。でも、金融に詳しくない私のようなフルーイ人間には現金取引に近い方が、この上なく安心なのです。
 ゼルカバ(けやき)というのは、不運な名前なのかも知れないと思いましたが、考えようによっては、私を守ってくれている魔除けのような名前かも知れません。『手を広げても、お粗末になるし、忙しくなるだけだよ』と言っているようです。
 で、オリジナルのグリーティングカードはどうなったかと言いますと、まだ空きのあるメイプルショップに『グリーティングカード』というカテゴリーを作って並べようと思います。これは便利ですよね。注文が来てから、印刷して発送すれば良いわけですから。何枚でも作れます。売れなかったら自分でも使えばいいのです。
 テレビで放送していましたが、今こういうショップが増えているんだそうです。私のような高齢者でも、簡単に開けて、子育て中のママでも、時間に縛られずに手の空いたときに、商品を作って販売できるからです。

2014年7月12日土曜日

オリジナル商品

 気になっていたあのユザワヤに出店申込をしてしまいました。まだ商品はないのですが、無料だというし、どんな状況なのかと下見をしたくって、申し込んでしまったのです。名前はヤフーの出店申込の時に付けた『ゼルカバショップ』です。ヤフーのときは相手が大きすぎて、うまく行かなかったので、用心しながら、一歩前に進んだつもりでしたが、商品はまだないし、さあ大変です。どうしましょう。
 実はあのユザワヤの広告を見たときから、私が作る事の出来るオリジナル商品ってどんなものがあるだろうと考えてはいたのです。
 絵は好きでしたから、描いたものは少しはあります。娘たちの描いたものもあります。姑も描いていましたが、家にはありません。夫は書が上手です。これらで何とかグリーティングカードが作れないかと考えていました。
 先ずは私の描いた絵を写真に撮り、一部良さそうなところを切り取って、印刷したグリーティングカード。夫の肉筆の書のグリーティングカード。郵送料コミ封筒付きで四枚千円でいかがでしょうか。
 余り売れそうにもありませんが、行動する事に意味があります。知識が増えますし、新しい事を知るチャンスがもらえます。よく、皆さん『出会い』と言う言葉を使われますが、それはお金儲けだけの事ではなく、感動して心が大きく成長する事も意味しているのだと、この頃謙虚に考えるようになりました。私の対人恐怖症も少し治まって来たような気がします。
 さてさて、こんな事はしていられません、早速夫のお尻を叩いて、見本を書いてもらわなければなりません。それを写真に撮って、商品をアップしないと。
 チャレンジを初めて三年目の今年は、この『ダイエットと簡単リフォーム動画、そしてゼルカバショップ』の三つで手一杯でしょう。普通の生活をしながら、好きなサスペンスや野球を見て励まされながら、がんばって走り出しましょう。

2014年7月4日金曜日

制作動画と英語版

 せっかく、一個アップして、ハウツウが分かったのですから、他に、もっと簡単に動画を作れる方法はないかと考えたのです。
 『私に出来るものって何だろう』と考えたとき、私がいつもやっている事に思い至りました。古くなったTシャツからパンツ。もう着ない夫の大きなスエットから子どものズボン。袖を外すだけの簡単チョッキ。古い浴衣からジンベエ、果ては着ない羽織からドレス、喪服までロングに直しました。いつもいつも古着のリフォームをしているのです。
 これって、皆さんに教えてあげたいと思いますよね。余裕のある人はともかく、私のように『節約しなければ』と思う人、『もったいない』と思う人、『この工夫も楽しいと思う人』たちは喜んでくれるのではないかと思います。私の『フィクションムービーより、ファッションムビーの方がまし』と思ってくれるかもしれません。
 あとは、今まで作ったものの写真を少しずつ撮ろうと考えました。『節約リフォームコレクション』という動画ができます。
 動画に関しては、もう一つ、あのフィクションムービーの英語版を作ろうと思って、原稿を自動翻訳機にかけました。アメリカ人の友人がいて、お互い歳をとってしまって、励ましあっているのです。今回のフィクションムービーは彼女に作ると宣言して、やっと完成したのですが、日本語では理解されません。それで思いついたのです。この英語原稿を意味の通るものに直して、読み上げてアップするのです。
 でも、多分、英語版ができ上がっても、彼女には紹介しないだろうと思います。動画で十五分と言うのは相当の忍耐がいります。ましてや私の下手な英語のナレーションでは頭痛がして来てしまうでしょう。
 「やったよ」と言うだけで、きっとお互い励みになると思うのです。
    今年も忙しくなりそうです。

2014年6月26日木曜日

今年のプロジェクトは

 結構大変な一年間を送ったのに、ショップ動画という二つの結果がついてきて、六十五歳になった私は、もう、ゆっくり休む等と言う事が、寂しくって、もったいなくって出来なくなってしまいました。
 体は確かに老化しているのです。疲れるし、忘れるし。この間、運転していて、『私はどこを走っているのだろう』と思ったという危ないエピソードもありました。
 退院して以来、飛蚊症もますますひどくなりました。それにもまして、体重が10キロも増えてしまったのです。そうすると、血圧も上がります。体を動かすこともどんどんしんどくなって来ました。悪循環です。同じものを食べている夫も5キロほど増えてしまっていました。
 今年はこの一年間で10キロの減量をプロジェクトの中心に据えようと思い、冬頃から少しずつ情報を集めていました。
 まず、運動は手術でそれまでやっていたものを全部やめてしまいましたから、一から選べるわけです。まず、昔習った、『貯筋運動』を一月から始めました。これは五種類の簡単な足腰の運動をして、一日五百円貯金するのです。五分もかからずに出来ます。更に、ウオーキングや草取り等、他の運動はいくつやっても百円です。ですから、一日六百円。月に多くても一万八千円、実際に自分たちの年金の中から、小遣いとして使えるようにしました。お金が絡むと人間がんばれますね。夫も私も四ヶ月ほど続けていますが、歩くときの足さばきが楽になったような気がします。
 それでも体重は落ちません。
 それで、NHKの『ためしてガッテン』でやっていた体重を記録するダイエットを四月から一ヶ月やってみましたが、全く減る様子はありません。私たちは前から食事は抑え気味でしたから、改善の余地があまりないのです。
 でも、そのために新しい、もっと細かく測れる体重計を使うようになって気がついた事がありました。つまり、夫と私の差です。夫は私より、13キロも筋肉量があり、基礎代謝量が200キロカロリーも上なのです。つまり、同じものを食べ、同じくらいの運動をしていて、昨年一年で私は10キロ太ったのに、夫が5キロだったのはそのせいじゃないかと思いました。更に、私は体脂肪が多いのに反して、夫は内臓脂肪が多いのです。そうして、私たちの体内年齢は夫が六十七歳、私が七十二歳でまるっきり反対になっていました。
 『この辺に鍵があるのかな』と思いました。確かに、夫の方が体重は重いのに、動きは頭も含めて瞬発力、持久力があるのです。
 つまり、私は筋肉量を増やす運動(階段登りなど)をして、夫は内臓脂肪を減らす運動(腰回しなど)をすることにして。そうして五月がスタートしました。

2014年6月20日金曜日

ユーチューブに公開

 遂にユーチューブの指示に従ってアップロードしました。
 今まで作っていたIムービーと言うのは3ギガもメモリーを使う大容量だったのですが、それでは載せられないので、圧縮するところから始まりました。あとは簡単で、圧縮したものをユーチューブにドラッグするだけです。少し時間のあいた娘が相談に乗ってくれて、あれよあれよという間に終わってしまいました。これまでの一年間の試行錯誤は何だったのかと思いますよね。
 思えば、この動画プロジェクトが始まったのは、昨年4月の胆石開腹手術のあとでした。ネットショップの本もほとんど入れてしまって、痛いお腹を抑えて、病院のベッドでリハビリしながら、『生き残った、次は何をしよう』と考えていたのです。本屋さんを始めたからと言って、そんなにお金が入って来るわけでもないので、『お金のかからないもの、昔からやりたいと思っていたもの、そして、余り負担なく私にも出来るもの、出来れば収益に繋がるもの』と考えて、その前にテレビで見た事のある、『ネットで稼ぐ人々』に思い当たったのです。病気をすると、人間、現実的になるようです。
 ストーリーは退院間近になった病室で一気に出来てしまったのに、あれから一年です。絵を描かなければ動画にはなりませんから、暇を見つけては十何枚かの絵を描いて、それをスキャナーで撮って、Iムービーと言うソフトにストーリーに合わせて貼付けて行くのです。
 そして、ナレーション、今度は演技者としての私が問われるわけで、少しは役者さんのように練習もしました。そして、あっぷ。まさにあっぷあっぷしながらやっとここまでたどり着いたのです。
 これは映画の制作です。今や、素人が一人で映画を(私のは紙芝居ですが)作れる時代になったのです。
 思えば、個人の時代という言葉が出て来て久しいのですが、今頃になってやっとその意味が分かりました。シンガーソングライターと言う言葉も、カラオケと言う言葉も、随分前からありまして、自分で作った歌を自分で歌って聴いてもらったり、歌手にならなくってもカラオケで歌手のように歌ったり出来ていたのですが、今は、才能のない私でも、好きなようにフィクションの世界を作り上げて発表する事が出来るのです。
 私の作ったもの等、ゴミに等しいかも知れないと恐れながらも、『個性は発揮しなければ、生きている意味がないのじゃないか』とうそぶきながら、公開してしまいました。そして、今まで『誰も見てくれていないのだからやっても無駄』と思い込んでいたアドセンスという収益システムにも、遂に申し込んでしまいました。

2014年6月12日木曜日


ナレーション

 さてさて、廻りも大分落ち着いて来ましたから、いよいよです。娘が言うには、iムービーの取り扱い動画があるんだそうです。それを見て、自分の画面を見てみると、どうも内容が違うような気がするのですが、それは私のコンピューターが古いせいなのか、説明例がビデオであり、私のが写真であるせいか、とにかく、一つ一つクリアして行くしかないのです。
 まず、ヘッドセットで声が入るかどうか、それが録音されるかどうか。一晩、ああでもないこうでもないとやりました。もうダメか、やっぱりコンピューターが古いのか、と思って諦めかけていた頃、前にいろいろやって入っていた音声を消去したら、私の声が、小さくですが、入りました。音声の波が出ました。二、三回やっても入りましたから、もう大丈夫とばかり,終わりにしました。さてこの次は、いつ出来る事やら。
 一週間くらい、お休みして、始まった14年シーズンの野球中継に励まされるように、また気力を奮い起こして、ナレーションに挑戦しました。さすがに、1回では出来なくって、これは練習が必要だなと感じました。役者さんだって、役になりきれるまで練習しますよね。
 その後で、やっと暇を見つけて再挑戦。完璧ではないものの、ナレーションが入りました。今度は、ナレーションに併せて絵の長さを調整します。ここまでやって、『もうこれでいいや、アップしちゃおう』と思い、アップの仕方を見るために、また、指導ノートを読み返しますと、足りないところ、もっと工夫できるところが、どんどん出て来てしまって、もう一度調整をやり直す事にしましたが、どうも手に着かない、何かに励まされないと、取りかかれないのです。本当にチャレンジです。歳のせい?、いやいや、多分性格です。没頭しきれない性格なのです。
 それでも、こう言うのって、やり出したらきりがないところがありますから、まあまあきれいにナレーションが入って、絵の長さも整えられたら、もう、それ以上はいじっても無理です。特に初めてで、器械も最低限のものなのですから、ここで『えいやっ』と諦めました。

2014年6月5日木曜日


手作り品を売る店

 ネットの画面を見ていると、時々『目から鱗もの』に引っかかります。
 前は、『古本屋』と言うサイトでしたが、今回、『手作り品だけを売る無料サイト』を見つけました。ユザワヤさんというのは大きな手芸品のお店で、昔から知っていましたが、そこが開いているサイトで、多分、手芸人口を広げたかったのかなと思いますが、載せられるのはオリジナルの手作り品だけです。
 これは、好きな人にはいいですよね。で、『私も何かあるかなー』と考えました。
 手芸は好きなんです。自分のものは作ったり直したりしていますが、人のものまでは、とても出来ません。
 絵は描いていますけど、売るような絵ではありません。
 そう言えば、昔、やはり、洋服等を作ったりして、イタリア系のちょっと芸術的センスのいい人でしたが、そのアメリカの知人が、自作のカードのお店を持って成功していると聞いたことがありました。アメリカはグリーティングカードが盛んなのです。とても気の効いたカードをもらう事も時々あります。
 『言葉を添えたグリーティングカード』、これなら、私にも出来るかなと思いました。でも、もう少し考えてみると、言葉は、写す事も出来るし、絵は印刷する事も出来ます。何もわざわざ買う事もない、見た人が自分の好きな絵を描くなり印刷するなりして、私のオリジナルの言葉を書込めば良いわけです。
 『それでもいいかな』と思いましたが、まあ、これはしばらく検討事項という事にしましょう。

2014年5月30日金曜日


鉄分のはなし

 NHKの『ためしてガッテン』で、鉄分不足の番組をしていました。
 『鉄分不足によって引き起こされるものと言えば「貧血」・・・と思いきや、それだけではありませんでした。実は、肌荒れ、睡眠障害、うつ、疲労感などのさまざまな症状を招く“新型鉄不足”の存在が明らかになってきたのです。』と言われたら、見ないわけにはいきません。
 それというのも、最近、私にも、様々な症状が出ているからです。挙げてみると、『飛蚊症』『目の廻りの腫れぼったさ』『鼻の内部の切れ』『睡眠障害』『疲労感』『むずむず足症候群に似た症状』『高血圧』『咳、のどの違和感』など等。『頭の働きが緩慢になった』というのは除けておいても、次々に増えて来るのです。
 勿論、老化かもしれません。見えざる放射能の影響かもしれません。一年前の手術の影響も考えられます。PM2.5?、それとも花粉症?。黄砂はまだ来ていないし。コーヒー好きの兄嫁さんが飛蚊症で、高血圧で、風邪をひきやすいと言うから、『コーヒーのせい』など等、いろんな事を考えました。
 そこへ来て、体調不良の上の娘がお医者さんに行って、『鉄分不足だと言われた』と言っていたのを思い出しました。その時は鼻で笑っていたのですが、私もこれかも知れないと、ハタと思ってしまいました。
 詳細は、ガッテンのホームページに委ねますが、『鉄分が食べ物から体内に吸収されると、体の中のさまざまな場所で(貯蔵倉庫の)フェリチンに貯蔵されます。フェリチンの鉄が不足していると、肌が荒れていても新しい細胞になかなか入れ替わらなかったり、病原菌から体を守る免疫細胞の数が減ってしまったり、脳の働きに欠かせないセロトニンやドーパミンなどの神経伝達物質が不足してしまったりするのです。』というところだけ引用させて下さい。
 そう言えば、下の娘の『肌荒れ』が、ちっとも治らないのです。『神経伝達物質が不足』というところは、私の『頭の働きが緩慢になった』に対応するでしょうか。
 自分がフェリチン不足かどうかをチェックする簡易的な方法、「あっかんべー」をして、下のまぶたの裏が白っぽい場合はフェリチン不足の疑いがあるというので、みんなでやってみました。家族の中では、私が一番赤い方でした。きっと『まぶたの裏が白くなくても、疲れやすい、根気が続かない、うつが治らないといった症状が続く場合、フェリチン不足の可能性があります。』にあたるのかもしれません。
 ディレクターさんのコメントに『実は地球は鉄の塊。「水の惑星」ならぬ「鉄の惑星」だったのです。』というのがありました。だから、畑で栽培する野菜にも、海で摂れる魚にも鉄はたくさん入っていたのです。それが、キノコはビンの中で作られ、青物は養分を水に溶かしたハウスで作られます。水は浄水を飲み、家畜にも、魚にも人工飼料が与えられ、加工食品は全盛で、食べ物に自然から入る鉄は少なくなります。
 下の娘はキノコ大好き、青魚大嫌いなのです。彼女の治らない肌荒れはこれが原因かと思ってしまいました。それで、鉄の吸収を助けるというレモンをいくらとってもダメですね。
 対策として、鉄分入りの乳製品を少しだけ買いました。これで口内炎を起こした人を知っていますので、取り過ぎても胃に悪いようです。一、二日に一杯にします。鉄の吸収を妨げるというコーヒー紅茶、お茶も一日一杯。あとは蛋白質を多めにして、ビタミンCを取る。これで目の違和感が治れば万々歳です。

2014年5月28日水曜日


物語を作る力

 再び、「生活の世界歴史」の話です。一年経ってもまだ読んでいるんです。世界史の基礎知識がないと本当に難しいのです。その中でも、簡単にページが進んで行く巻と、なかなかイメージが繋がらなくって、後戻りしながら読まなければならない巻がありました。
 基礎知識がない事に変わりはないのですが、なぜだろうと思いますよね。これが、筆力というものかと思いました。
 筆力という言葉は、昔から聞きますが、小説家の読者を虜にする力だと思います。『一気に読んでしまった』とか、『読んだあとも余韻が残る』とかいう現象を起こす力の事だと思いますが、じゃあ、どうしたら、そんな筆力は着くのでしょうか。
 昔は集中力だと思っていました。『私には集中力がないから、ダメだ』と思っていました。でも書いているのは、高名な学者さんですから、集中力はあるだろうと思います。
 今回は、空想力、というのもあるだろうと思いました。読む側にも、時代と場所の基礎知識から出て来る空想力が必要だと思いますが、書く側にも、説明しようとしている事象を、物語を作るように描き込んでゆく空想力が求められるのではないかと思いました。
 知識をつなげるだけでは、引き込まれないのです。
 ちょっと余談ですが、今、世の中が世界的に不安定になっていて、片隅に生きている私たちも不安を感じる毎日ですが、この『生活の世界歴史』を読んでいると、何時の世にも、不安定や不安はつきものだったのだと分かります。政治の表舞台に立てば、殺されたり、投獄されたりは当たり前の話で、最近世界を震撼させた、北朝鮮の粛正などよくあった話なのだと分かります。そう言えば、あの殺伐とした日本の戦国時代の有り様もこんなものだったのかと思いました。
 そんな中で、庶民はどう生きるのか、生きたのか、余り参考になる話も見当たらないのですが、『政治は嫌い』と言って離婚したロシア大統領夫人のような生き方になるのでしょうか。

2014年5月15日木曜日


メイプルショップに初注文

 これも一大ニュースなのです。一軒目のエブリカラーショップは、芸術、建築、歴史、文学と大項目で、本の量も大量にあるものが中心です。二軒目のメイプルショップは、そこからあぶれてしまったもの、つまり、まとめてもそんなに量のないものが、少しずつ多項目に渡って並べられています。ショップの限度の大きさも、本の量もエブリカラーショップの半分です。
 そこに初注文が来たんです。九月にエブリカラーショップに本を入れ過ぎて、限度を超えてしまってパンクしてしまって、慌てて十月に開いたものです。メインはノンフィクション、ハウツウ本、外国関係の本、旅の本、雑誌、等などで、目立つものも少ないので、余り期待はしていなかったのです。
 それが翌年三月の事です。開店してから五ヶ月目ですね。私が年に一度の『国宝建造物を巡る旅』に参加しているとき、何となく胸騒ぎがしていたのです。『もしかしたら』と気になっていました。
 案の定、帰って来てコンピューターを開けたら、注文が来ていたのです。またまた、『超能力かしら』と驚きましたが、それがメイプルショップのものだったので、更にビックリでした。
 四日間の旅の二日目ぐらいにメールが着いていたので、理由を書いて、遅れたお詫びをし、振込先のお知らせをしました。
 その返信の第一行に『お帰りなさい』と書かれていたのです。感激してしまいました。『世の中にはこんなふうに心のゆとりを示すような対応の出来る人もいるんだ』と思って、わが身を省みて、いつも戦々恐々としている自分が恥ずかしくなりました。
 本は、数学のノーベル賞と言われるフィールズ賞を受賞した広中平祐博士が、十数人の子どもを育てたお母さんの事を書いたドキュメントでした。家のショップの本は余り読まれていない本が多いのですが、その本は私が拝読してしまった中古本で、私は感想文を本の説明に長々と書いていました。私としては、感動を共有できる事がうれしかったのです。

2014年5月9日金曜日


母の遺衣類

 母の衣類を、体形の似ている私が全部貰う事になりました。今は形身分けなんかしないんだそうです。それで、実家に行って衣類の整理を弟夫婦と三人でしましたが、本当に一日仕事でした。
 「何であんなに服を買ったんだろう」と弟は言いましたが、半分は捨てる事が出来なくって、取っておいた古い服で、虫さんがなめたあとが、何カ所も見えていました。母は戦争を生き抜いた世代だったのです。
 そういう服や下着類を処分に回しても、私が貰う服は大きな袋に四つほどもありました。「入れるところがあるのか」とまた弟が言いました。「私の服を整理して捨てるよ」と、私。
 私も捨てられないで取ってある古い服が箱に詰まったままになっていたのです。それらを整理して、今は母の服も何とかわが家に収まっています。
 休憩でお茶を飲みながら、「何であんなに服を買ったんだろう」と弟がまた、言いました。『そう言えば』と、昔母に聞いた母の思い出話を教えました。
 母の姉である、まだ、しっかりしている伯母は、昔からきれいな人でした。農家の主婦でありながら、肌も白く、太りもせず痩せもせず、いつもきれいでした。母に言わせると子どもの時からそうだったのだそうです。母の実家は大きな農家で、戦争前の、母たちが子どもの頃は、それなりに裕福だったそうです。六人もいた子どもたちにも、それぞれに新しい着物を買ってあげる事が出来たようで、そういう時、伯母はひときわ輝いて見えたのでしょう。負けず嫌いの母は自分の着物を着てみて、それがどうしても納得できなくって、姉と同じ着物がいいとだだをこねたのだそうです。そうして買ってもらっても、同じにはいかなかったと言っていました。その時でも、母の着物は伯母の二倍になるわけです。
 また、母は洋裁も和裁も出来ましたから、服を作ったり、着たりするのは楽しみでもあったのでしょう。おしゃれだったのです。
 ある雨の日、病院の待合室で、古いリュックサックに布の袋を持った、私と同じ六十代くらいの女性を見かけました。もしかしてと思いますよね。病院の待合室は、冷暖房完備です。その時、母が言っていた言葉を思い出しました。「歳を取って、みすぼらしい服を着ていたら、本当に惨めに見えてしまうんだよ。」 だから、せっせせっせと、歳を取ってからは編み物もして、私にも一生分のセーターを編んでくれました。一冬で着るセーターは一、二枚ですし、それは翌年も着られるのです。死ぬまでに全部着られるだろうかと思うくらいあります。
 『ああ、ああいうことか』と思ってその女性の方を見ると、もうそこには女性の姿はありませんでした。
 母の遺衣類を貰って、私は一生惨めな思いをしなくてすむのかもしれません。大事に管理して使って行かないといけないと思いました。

2014年5月1日木曜日


またまた、住所間違い

 前にも、住所間違いで届かなくってキャンセルになった事がありました。今回ショップを始めて以来の二度目を引き起こしてしまいました。レターパックの追跡機能を使う事になったのも二度目です。
 今回は最初の注文を戴いたときから、何となく予感がしたのです。あとで『私、超能力があるのかな』と思ったほどです。
 で、用心して、注意深く見ていると、前回と同じで、配送先に指定されていた住所と振込表に書かれていた振込人の住所が違っていました。『やっぱり』と思いました。それで、用心深く「どちらの住所に送ったらいいですか」とメールを送って回答を待ちました。「指定した住所に」というメールが来て、その通りに送りました。送ったつもりでいたのです。
 これで一件落着と思い、安心していましたら、「もっときちんとした仕事をしてくれなければ困る。追跡機能を使って、やっと探し当てた。」という厳しいお叱りのメールが来ました。
 「えーっ」でした。だってあれほど用心したのに間違ったはずはないと思いましたが、一応謝りました。「でも、どちらに送るか、メールで聞きましたので、私が間違えるはずはないんですが、」と言う口答えをしました。更に厳しいメールが来て、「二つの住所は別の市にあるのに、そこを見ないで、ありもしない住所に送ってしまったんです。」というものでした。
 またまた「えーっ」でした。でも、相手はお客さんですし、市の名前をよく見なかったのは私の責任ですから、謝りました。でも、やっぱり、口答えはしてしまいました。書かれていた郵便番号が同じだったのです。私は郵便番号が同じだから、同じ市内の、違う住所だと思い込んでしまったのです。
 また怒りの反撃が来て、キャンセルされた本が返されて来るかとしばらく身構えていましたが、来ませんでした。
 今の私なら、謝りながら、自分の正当性も主張できて、それなりに心を落ち着かせる事ができますけれども、若いときでは、すぐに喧嘩になってしまうか、立場が弱かったなら、黙って、唇を噛んで、ストレスを内に溜めるかしかなかっただろうと思います。江戸時代に理不尽な地主に、理不尽な事を言われて泣き寝入りしている貧しい家の若い娘の姿が思い浮かばれて、心が重くなりました。少しでも、入って来るお金があるという事は、立場を強くしてくれるのです。年金を整えてくれている世の中の皆さんに感謝です。

2014年4月24日木曜日


古典文学大系と絵巻大成

 昔々私が買った岩波書店の日本古典文学大系、百二巻あるのです。若かりし頃は文学少女を気取っていましたから、読破するつもりでいました。でも、結局の所、人生の荒波に揉まれて、流されているうちに、読もうという気力も、遂には、本棚の下の方にある事さえ忘れていました。
 これ、古本のコーナーを開いて値段を調べてみると、たくさん出ているのです。つまり、ピンからキリまで数多く古本が出ているのです。古典の原文ですし,古いですから、ピンは書込み等もあるのかもしれませんが、一桁二桁の値段,キリは未使用に近いもので、それでも一割、二割引いた値段でした。
 毎年のように増刷されていたようでしたから、そうとうの量の本が出回っているのです。それに加えて読む人は限られているでしょうから。
 どうしようと思いますよね。で、どうせ売れないだろうからと、元の値段で出す事にしました。皆さんに眺めてもらうだけでも、本の存在した意味があるかなと思ったのです。
 もう一つ、夫が買った中央公論社の日本絵巻大成という大形本が二十七巻ありました。夫も買っただけでほとんど見ていないという代物で、元の値段がおおよそ一冊1万円くらいのもの(中の一冊は2万5千円)でした。
 これをセットに出来ないかなと思って、調べてみたのですが、古典文学大系と絵巻大成は、必ずしもリンクしていないのです。同じだったのは有名な物語だけで、絵巻は合戦図や縁起等が多かったし,文学大系は歌舞伎や連歌、随想集等もあります。
 それで、同じカテゴリーにこの二シリーズだけを並べて、決して安くない値段をつけました。
 絵巻大成は『続』が出ていますし、古典文学大系は『新』が出ています。いくら未使用でも、これだけたくさん出回っていると、それがみんな無くなってからしか、わが家のショップの本には出番が回って来ないでしょうから、まあ、売れないという前提で、高い方の値段をつけて置く事にしたのです。安いと、状態が悪いと思われるのもいやですし。
 本当に眺めて貰うだけでいいのです。いつか、そのうちには。

2014年4月16日水曜日


フィクションを売る国

 バーナビー警部やモース警部、フロスト警部等のオーソドックスな英国ミステリーが大好きになってしまって、再放送の度にチェックしてみています。
 他にも、ポアロやマープルは言うに及ばず、ヴェラ、ルイス警部。以前はCSI科学捜査班を好んで見ていたのですが、この頃はそのスピード感について行くのが難しくなりました。
 という事は、アメリカドラマからイギリスドラマに変わったという事でしょう。何が違うかと言うと、イギリスドラマは大抵二時間ドラマなのです。そのために登場人物が多くて複雑です。
 昔、アガサクリスティのマープル本を初めて読んだ時、出だしでつまずいて投げ出した事がありました。延々と状況説明が続くのです。バーナビー警部もしかり、関係あるんだかないんだか分からないような人たちが次々と登場します。考えてみれば、事件がおこって、刑事が事情聴取に行く人たちは、みんな初対面の人ばかりなはずですよね。しかし、それぞれ個性ある人たちが、連鎖的に現れて来て、その人生に苦しむ姿がいつの間にか憎めない存在になって来るのです。
 バーナビー警部の作者はキャロライン・グレアムという女性のようで、場所は、ミドサマーと言う架空の美しい田舎町、彼女はきっと、クリスティのように有名になるような気がします。
 ところで、主演のジョン・ネトルズという役者を調べようとしても日本語のサーチにはほとんど引っかかりません。他の出演者も然りです。英語のウキペディアはありました。14年間、200カ国で放映されているという割には静かな扱いです。モース警部もフロスト警部もしかり。英語のウキペディアではフロスト警部にはサーの称号が着いていました。モース警部にも着いていたような気がしますが、何せ英語でしたから。
 この国はシェークスピアの国だから、役者さんは多いのだろうし,優遇もされているのだろうと思いました。華やかにハリウッドに進出している人も多いですが、底辺が広いのだろうと思います。
 ジェシカ伯母さんを演じていたアンジェラ・ランズベリーさんもイギリス生まれです。ストーリーも美しい港町に住んで、事件を解決して行く所は一部似たところもあります。
 つまり、この国は演劇や小説や、ものがたりを売る国なのだと思いました。昔からケルト人は空想的と言われていますが、アーサー王伝説も有名でしたし、最近はハリー・ポターも世界的になり、観光も含めて外貨を稼ぎまくりました。
 フィクションで国を富ます事も出来るのだと気がつきました。

2014年4月9日水曜日


土地の話

 実家は農家でしたから、屋敷も広く、草取りが大変でした。でも、子供の頃の私はほとんど母を手伝う事も無く、怠け惚けていました。
 今、密集した住宅地の小さな土地の上に建てた古い家に住んでいますが、こんな小さな敷地の草取りだけでも大変な重労働で、草取りの季節が来るたびに、『なぜ母は私に手伝わせようとしなかったのだろうか』と、申し訳なさを通り越して恨めしささえ感じてきます。もう、あの頃の親不孝を取り返す事は出来ないのです。
 それと同時に父が亡くなって、弟がすべて相続してくれましたが、私では手に負えなかったろうという思いがありますから、心から感謝しています。世の中には遺産争いの話がよくありますが、とんでもありません。大きい農家と言うわけではないにしろ、あんなに広い屋敷や、草だらけになってしまった畑、人に作ってもらっている田んぼに、少ない脳みそを小突き廻すくらいなら、細々と猫の額ほどの敷地の草取りをしながら、好きな事に頭を廻している方がどんなに楽か知れません。そうでなかったら、二つのネットショップにこれだけの労力は注げません。
 昔、桜井さんという大家のご隠居さんがいました。その方は若い頃に政治も志した方でしたから、自分が大地主の家に生まれた事に、『これでいいのだろうか』という、若い人が当然のように持つ疑問を感じたようでした。やがて年を経て、お孫さん達に言ったそうです。『おじいちゃんはこれだけの土地を管理する力があったから、神様から預かっているのだよ』と。これが、桜井さんの辿り着いた結論だったのでしょう。政治の世界も退かれた後は、いつも野良着を来て、屋敷の草取りや山仕事に精出していました。
 そうなんです、それだけの土地を管理できる能力のない人間には、大きな労働を要求する土地は苦痛でしかないのです。土地に関してだけは、みんなが少しずつ持てるような、共産主義とまでは言いませんが、安さと平等さがあるといいなと思います。


母亡くなる

 そんなときでした、母が亡くなったのは。私にそんな時間が流れていたように、母の上にも同じだけの時間は流れていたのです。
 母の介護を一切見ていてくれていた弟から頻繁に電話が入るようになり、暇を見て、私も娘や夫と顔を出すようになりました。少しずつ痩せて行った母は、だんだん食べ物を食べなくなり、弟たちが注射器で水分を口にいれてやっていました。
 その朝は寒い朝でした。コンピューターが不具合を起こしてやっきになって直していた私は、夜中に寒くって身震いしていましたが、雪が降っていたのです。
 弟は雪の予報を聞いて、前日に母の車椅子用のスロープを解体したと言っていました。もう使わないだろうと思ったのです。
 それらがみんな前兆のように、後になると思えました。
 でも、もう仕方がないのです。お金がどんどん出て行って、止められない、どうしようもないという経験は何度かしましたが、時の流れも、体の衰弱も止められないのです。
 充分生きたろうと思いました。情けない娘や息子で心労ばかりかけて申し訳なかったのですが、もう、どうしようもない、取り返しも、お詫びのしようもないのです。
 それから、弟の先達で、田舎の葬式が執り行われ、老衰だった母はほんの少しのお骨になりました。見事な最後だと思いました。これなら、海に撒いても土に埋めてもそんなに長くこの世にとどまる事はないでしょう。
 この歳になると分かりますが、生きている事は、恥ずかしい、消え入りたいと思う事も随分多いのです。夢中で生きていると、人を傷つける事も、恨みを買う事も、恥をかく事も多いのです。母のように、気丈に生きて来た人は、きっと、後悔も多かったのではないかと思いました。それもみんな、父も含めて私たちを守るためだったと思いますが、早く忘れ去られて、消えてゆく事は却って安らぐ事ではないかと思いました。
 そんな事を言うと、体操万能で、負けず嫌いだった母におこられそうですが。

2014年4月2日水曜日


ゼルカバ

 ずっと準備していたんです,『ゼルカバ』という名前まで決めて。ヤフー側も大忙しだったようですが,私の方もいつも心にかかっていて,落ち着かない2、3ヶ月でした。
 でもですね。出店無料と書いてありましたけど、全く無料でもないってことが徐々に分かって行くと、何となく気が重くなって行った事は事実です。つまり、アフィリエイトを付けて下さり、振込等の代金の収受を間に立って一切して下さり、それに何パーセントかのお金がかかると言う新しいシステムのようでした。
 『ただだと思っていたのに』という気持ちがありますから、何となく『ちょっと違う』という気持ちになりました。それでも、多くの人の目に止まるようになり、本が売れればいいかなと思って、『出店をしよう』という気持ちではいたのです。
 やがて、ひと月待ちになっていた正式申込になり、審査も通って、『いざ開店準備』となったときに、わが家のサファリが古いバージョンで商品のアップに対応できないと分かりました。
 最初は『どうしよう』と焦りました。せっかくここまでやって来たのだから、この際新しいコンピューターを買おうかとか、娘のお古を中古で買おうかとか、でも、まだ使えるし、買うにはお金がいるし、と、いろいろ考えたんです。『ヤフーさんにも悪いし』とか、私も善人でありたいと思っていますから。
 でも、『やめた!』と思ったら、『スーッ』としました。慌ただしかった心が落ち着きました。すぐにその場で退店のフォームをダウンロードして、退店の文書を発送しました。
 コンピューターが古いのは重大な理由だから、私の背信ではないという自分正当化が出来た事が何よりの救いだったと思います。
 「やめたよ」と家族に宣言して、今までゼルカバショップに入れようと取っておいた建築雑誌類をエブリカラーショップにアップし、そこからはみ出しそうな旅ガイドや絵本児童書をメイプルショップに移してと、大変な勢いでショップの整理を始めました。

2014年3月29日土曜日


80歳になっても脳は発達する

 ヘッドセットを取り出してから、真冬の寒さの時期に入ってしまい、また一ヶ月ほど延びてしまいそうです。でもその間、暖かい寝床で読める本を読もうと、なん冊かまた枕元に置きました。
 中でも、成田奈緒子先生(お医者さんだそうです)の『脳の進化で子どもが育つ』という本は、薄い本なので夕べ一晩で一気に読んでしまいました。
 そこで、体の衰えとは反対に、『80歳でも脳は進化する』という項を読んで、何となく、実感したんです。確かに『私は随分利口になったような気がする』と思ったのです。
 物忘れは多いのです。でも、考えたり、工夫したり、人とのバランスをとったりが、昔はあんなに下手で、閉じこもり気味だったのが、今は大分のびのびと出来るような気がします。
 という事を、友人たちに書き送りました。
 これは、昔から『年の功』とよくいわれているものでしょう。でも、昔はこの年の功の知恵が全く働かずに、よくあちこちで衝突しては、後悔ばかりしていました。
 夫の操縦も然りです。今は人に自慢するほどうまく操縦していますが、昔は、思い通りに動かそうと、気を揉み、けんかをし、それでもうまく行かずに、お互い病気になりそうでした。
 もう一つ、この歳になって悟った事は、『人生はもう、今だけで良い』という事です。年上の人たちが少しずつ亡くなり、人間関係は収縮して行くばかりです。先輩たちの期待に添う必要も、成果を誇示する必要もなくなり、今は肌の触れ合うほど近くにいる廻りの人たちと、張り合う事もなく、誠実に付き合う事だけが幸福であると、自分の立ち位置が分かるようになって来ました。大変な進歩だと思います。


家の設計図

 読み上げは手直しが難しいとネットの記事で読んで、とにかくナレーションに挑戦する事にして、更にナレーションの吹き込みの記事を読むと、マックミニには内臓マイクが無いと知って、電気屋さんで、その記事を持って行って、調べてもらって、何とかヘッドセットのマイクを買ってきました。そこまでしたら、もう、心が折れそうになってしまいました。
 しばらくヘッドセットを箱から出すのも面倒になってしまって放ってしまいました。もう先に進めないんじゃないかと思っていた時、いつの間にか、久しぶりに家の図面を描いていました。これと不動産探しは私の逃げ込むところなのです。何か、夢を見られるのですよね。こんな家に住んだら、どんな生活が出来るだろうかと、どんな楽しみが待っているだろうかと。
 結局、夢は夢で、決して現実にはならないですが、でも、考えました。今チャレンジしている動画を完成させたら、少しでもお金が入って来たら、一歩でも図面の家に近づけるのではないだろうかと。これもまた夢の一部なのかも知れませんが。
 亡くなられたやなせたかしさんが言っておられました。「諦めないで続けて行く事だ」と。「続けていたから今の自分があるんだ」と。確かにその通りでしょう。例え成功しなくっても、私は好きな事をしているのだから、この他に道は無いのです。
 そう考え直して、図面描きをやめて、ヘッドセットを箱から取り出しました。
 若い人達のように、「ネットで遊んでいます」とは言えません。『夢を叶える為に』もっと端的に言えば、「お金を稼ぐために」というモチベーションが無ければ、前に進めない弱さが私にはあるのです。

2014年3月22日土曜日


動画アップへの道

 家にある本で、ショップに並べていいものは、だいたい出し切りました。あとは、三つのショップの特徴に沿って本を並べ替えたり、セットのものを一冊ずつにしたり、値段を調べ直したり、関連商品のお知らせを入れて行ったりという、お店の管理と、誰も見てくれないけれども楽しいブログの執筆と更新があるだけです。勿論これを一日二時間くらいずつ、毎日して行かないと、検索エンジンに怠け心を見透かされてしまうという事は、今年の夏に経験済みです。
 でも、売れないにしても売る為に並べる本が底を突くということは、何となく寂しく不安な思いがします。まだ、コレクターっぽい夫が隠れて集めた花瓶とか、絵とか、書とか、硯とか、得度した夫が買った仏具とか、『使わないでしまってあるものはあるんだけど』とか考えない事もありませんが、これらはカテゴリーが違ってしまうから、また、別の頭を使わなければならないだろうと思います。
 それよりは、やっぱり原点回帰です。人間は誰でも自己表現したいのです。私のような対人恐怖症気味の人間でも。
 そうして、頭はまた、次のターゲットと定めた動画に戻るのです。
 先ず、描いた紙芝居の絵をスキャナーで取りました。そしたら大変、縦方向と横方向があるのです。好き勝手にやっていて、規制を全く考えていませんでした。どうしましょう。
 ナレーションも私がするつもりでいましたが、「ナレーションは必要ないのだ」と娘が言います。どうした事でしょう。娘がアップした動画は自動音声でいれたのだそうです。だから、吹き込みの仕方は知らないというのです。こうなったら自分で調べるしかありません。やっぱり、あとは娘におまかせなんて、うまい事が出来るはずがないのです。
 でも、と考えました。打込んだ原稿を自動音声で入れられるなら、英語の紙芝居も出来るかもしれません。そうするとアメリカの友人にも見せられます。やってみる価値はありそうです。
 そうこうしているうちに、ヤフーの無料ショップの申込がひと月延びて年明けになってしまいました。準備が間に合わなかったのでしょうね。私の動画と同じです。なかなか予定通りには行かないのです。これで、十二月は動画にかかり切りになれそうです。
 加えて、娘の仕事が忙しくなって、余り、当てに出来なくなりましたので、全く、手探りで、一人でやってみようと思います。と言うと、娘に怒られそうですが。
 先ず、縦横バラバラな紙芝居の絵を、フォトスタジオを使って同じ方向に直しました。それをアイムービーにドラッグする所まで、アイムービーの説明書を印刷して読みながらやりました。さて、その次は。

2014年3月21日金曜日


妄想

 一人暮らしの知人が、博士号を授与されたと言うお知らせをくれました。彼はもう、いくつか博士号を持っているはずです。そんなにいくつも取れるものかしらと気になっていた私は、彼の事とは別に、自分のある秘密を思い出しました。
 それは、ついこの間、気がついたのです。それまでは、人には言いませんでしたが、『私はあそこと、あそこに土地を買って持っているはずだ、あれはどうしたんだろう』と、ずっと思っていたのです。
 一つ目は田舎で小川のながれる林の中の土地でした。もう一つは神社の境内の中の小さな貸家のような古い家で、すぐにそこを知人に買ってもらって、やはり川のほとりにモダンな建て売り住宅を買ったはずでした。
 田舎の緑の木漏れ陽があふれる林の中は、土地でしたから、そのままになっているとずっと思っていましたが、場所が特定できないのが不思議でした。
 モダンな建て売り住宅は、売った記憶もないのに、今そこに住んでいないのはどうしてだろうと不思議でした。四十年が経つ間に、少しずつではありましたが、あれは夢だったのだろうかと少しは思いました。それでも、最近になって、暇ができて、物事を冷静に考えられるようになるまでは、全否定するにはあまりにリアルでした。
 最初の林の中を買ったときは、結婚して、病気の舅と個性の強い姑と同居し、毎日泣いて暮らしていた頃でした。ある日、心配した夫が近くの建て売り住宅を見せてくれて、『ここを買って別居しようかと考えてもいたんだが、お父さんがいるからね』と言った頃だったと思います。
 その頃長女を妊娠していたのかもしれません。私が買ったと思っていたのはその建て売り住宅ではなくて、光あふれる希望の土地でした。その後、次女を妊娠し、家を飛び出した私は、夫が近くに建てた家に別居しましたが、まだ、私の土地は所有している気分でした。
 二つ目の建て売り住宅は、仕事を始めた私がストレスに耐えかねて、うつ状態になり、どこかに引っ越したいと思っていた頃だったと思います。
 どちらも二十代の終わりの頃でした。あれは妄想だったのでしょう。まるっきり現実と区別がつかなくって、ずっと現実だと思っていたのです。それにしては実体がないと不思議だったのです。ストレスがかかりすぎると、人間はどこかに希望の逃げ道を造ろうとするのでしょう。もしこれが起こらなかったら、うつか過労死かで死んでしまうのかもしれません。フィクションではよく見ていましたが、私にも起こったのですから、誰にでも起こりうる事なのでしょう。
 あとで知ったところによると、名誉博士号ならいくつでも貰えるらしいのですが、知人の、他人にはどうでもいいお知らせのおかげで、私は自分の妄想の事実を、はっきりと事実として認識することができました。本当にあの頃は、廻りを見る事もせずに、ただがむしゃらに夢中で生きていた気がします。廻りに多大な迷惑もかけたような思いもあります。今は少しでも廻りに気を配りながら生きて行けるのは、わずかでも入る年金のおかげだと思います。心にもゆとりができるのです。それに頼りながらも甘えないで、人として誰かのお役に立って、少しでも社会参加しながら、働いて行きたいと思います。

2014年3月16日日曜日


三ヶ月ぶりに注文が来ました

 小さな文庫本でしたが、思わず叫んで、家族に知らせてしまいました。一安心です。
 何が原因だったのでしょう。ブログのアクセス数を見ると、入院していた四月と、退院して家で養生していた五月はアクセスが減って行き、多分、四月の中頃から公開しなくなったのだと思いますが、六月はアクセス数ゼロでした。
 七月も、エッセイは少しずつ書いていたのですが、ブログにアップはしませんで、『ショップへのアクセスが減って行く』と嘆いていました。
 ショップの本棚はほとんどいっぱいでしたが、それでも本を見つけると、ショップには少しずつ入れてはいました。そのせいか、七月も八月も、ブログの方にも月に、二、三個のアクセスがありました。
 八月、大きな本が一つ売れて、その後ショップへはアクセスは殆ど無くなってしまいました。それで、自分で検索をしてみても引っかからないことを発見し、『何とかしてくれ』と慌ててゼロショップに泣きを入れたのです。その時は、セロショップが六月に何かの攻撃を受けて、システムが壊れたというニュースがあったので、そのせいかと思ったのです。ゼロショップのせいだとばかり思っていたのです。
 そこで教わったのは、頻繁に手入れをする事でした。前にも書いたように、ほとんど本を入れ終わっていたので、手を抜いていたのです。半信半疑で教わった『関連のある書籍』を探し出しては『関連書籍』の項に数字で入れて行きました。そんな事を続けていたら、制限以上に本を入れてしまって、ゼロショップモールへの出店が消えてしまいました。一週間待たないと直らないようで、慌ててFC2という別の無料のショッピングモールに『メイプル』というショップを登録して、本を少しずつ移しました。まるで泥縄です。
 FC2に登録するとすぐに、知らない所から電話がありました。その会社は、有料でアクセス数をあげる手伝いをしてくれる会社のようでした。ちょっとだけ教えてくれましたが、器械で商品すべてに一気にアクセスをかけるようです。そうすると頻繁にアクセスされる事によって、検索の上位に上がって来るらしいのです。友人も言っていましたが、そういう仕事をしている会社があるらしいのです。それを聞いて、それなら細々とでも自分でやってみようと思いました。お金をかけるほど売れないですし、細々とやるのがちょうどいいのです。
 コンピューターに詳しい友人が、『ブログには検索エンジンの回って来る率が高いので、ブログにリンクを張って、まめに更新するといい』と教えてくれましたので、九月中旬頃から。書きためていたものをまた順々にアップし始めました。本当に、ブログを読んでくれる方など数えるほどしかいなかったのです。それでも、今思うと、外国のスパイかと思われるようなトラフィックが来ているだけで違うようです。トラフィックとはもしかしたら、検索エンジンの事なのではないでしょうか。それならそうと言ってくれれば、素人でも分かるのにと思います。
 十月一日に、ゼロショップモールへの出店が表示されるようになって、再スタートを切りました。昨年の今頃はゼロショップのエブリカラーショップをいっぱいにするために必死になって毎日たくさんの本をアップして並べていましたが、そんなに必死になる事はないんですね。糠どこみたいに毎日少しずつでいいみたいです。実は私は、これが苦手で、糠どこは何度やっても続いた試しがありません。でもショップだけはそうはいきません。毎日少しずついじり回さなければ、ネットの闇に葬られてしまうようです。
 そうして、三ヶ月、やっと検索されるようになったのでしょう。実は昨年も、本格的に本を入れ始めたのは九月からで、本格的にお客様が来るようになったのは十二月の末、やっぱり三ヶ月。対策を始めて、三ヶ月しないと、検索エンジンに認めてもらえないという事でしょう。
 季節的なもの、ブログの停止、ゼロショップ側の問題、制限までいれ終わってしまった事などのどれが原因かと考えても、分かりませんが、ブログの再開と、自己検索とサイトの手入れ、複数サイトのリンクなどの対策をとった事が回復に繋がったのかと思います。さて、十二月にはヤフーにもリンクできますし,動画にももしかしたらリンク出来るかもしれません。楽しみです。

2014年3月13日木曜日


絵を描く事

 ネットショップの管理と準備をしながら、家事をしながら、健康管理をしながら、絵を書く事はなかなか時間の配分がうまく行かなくって、紙芝居の絵が、一応出来上がったのが、十一月中旬になってしまいました。
 その過程で気がついたのです。
 私の姑は個性の強い、芸術家肌の完璧主義の人で、実際身近に芸術家が多かったのですが、その上に、お嬢様でわがままに育った人でした。だから、出来る事ならすべてを自分のコントロールの下に置きたい性格で、息子たちの家庭の一挙手一投足に口出ししては、どこに行ってもトラブルを起こしていました。
 その姑が、舅の死後、本格的に絵を描くようになりました。舅の生前にも私たちに舅の面倒を頼んだり、舅を一人留守番させたりしては絵の教室に参加していましたから、元々好きだったのでしょう。
 舅が亡くなって一人になると、寂しくもあるようで、何をしてくれ、かにをしてくれと、近くに住む夫へのお呼出は頻繁でした。私は子育てに、仕事に、夫の手伝いにと忙しい毎日を送っていましたから、少しは子育てでも手伝って貰いたい等と甘い期待も抱いていたのです。
 とんでもありません。近くなので、娘たちが遊びに行くと、すぐに送って来てくれてしまいました。『絵を描いていて忙しいから』という理由で、お呼出以外の訪問は断られました。姑の晩年、近くに帰って来て面倒を見てくれた義兄に対しても同じです。
 姑の絵は九十五歳で亡くなるまで続けられ、かなり上手になっていました。
 そうなんです。絵を描いていると、それに没頭していられて、息子たちの家庭に接触しない分、関係は悪化しないのです。接触は展覧会に来てもらうときと、手伝ってほしい時だけですから。
 今になれば、私も分かりますが、歳を取れば、廻りの親しい人たちもどんどんこの世から消えてしまって、自分に愛情と注意を向けてくれる人たちがいなくなりますから、何か没頭する事を持っていなかったら、寂しさも一入でしょう。
 絵を描く事は、姑が考え出した自己管理法ではなかったかと、今は思います。誰でもそうだと思いますが、自分の気質に悩まない人はいないと思うのです。姑とて、『あんなに意地悪を言って』、と私たちが恨むほど,言いたい放題を言って、人を傷つけ、人に拒否されて、それでも抑える事の出来ない気質に悩まなかったはずはありません。私もその気があって、時々反省と後悔に悩まされますから。
 二度とかかわり合いになりたくないと思いますが、そんなわがままな私とよく似ている分、いろいろと考えさせてくれる存在でした。私もそう思われているのでしょうね。
 さて、これからナレーションを入れて、娘に登録の仕方を教わって、動画を完成させます。これが私にとっての自己管理法、自己発散法になるのかもしれません。『あなたは娘たちばかりでしあわせよ』と姑はよく言っていました。

2014年3月6日木曜日


商品が検索の上位に来る方法を教えてくれるそうです

 三つ目のネットショップの申込をヤフーにして、最初のメールに、『次は商品が検索の上位に来る方法をお教えします』というような内容が書かれていたので、ついつい期待してしまいました。
 読んでみると、先ず第一にヤフーの集客力を挙げていました。お客様が主にヤフーショッピングモール内で検索をするのだそうです。そうして注文するのだそうです。目的の商品の検索のときに、他の商品の宣伝も混ぜて下さるようで、そうすると、検索率が上がるのでしょうか。素人にはいまいち仕組みが分かりませんが。
 三通目のメールは成功しているショップオーナーへのインタビュー記事でした。
 これはちょっとだけ頷ける所がありました。彼のショップオーナーは『複数サイト戦略』を取っているのだそうです。つまり、自社ショップサイト、他のモール、ヤフーのモールにも数店、専門化したショップを同時進行で運営しているのだそうです。
 つまり、リンクを縦横に張り巡らしているという事ではないでしょうか。これは、私が最近気づいた事と同じではないでしょうか。違いますかね。
 彼のショップは時代にマッチした最新の商品を大々的に取り扱っている本物の商いをしているので、私の『所蔵本売り』とは違いますけれども、『リンクを縦横に張る』のがいいというのは一緒だと、妙に納得しました。
 やっぱり、自分のネットショップとブログをリンクさせる事は検索を上位に持って来るために必要なのではないかと思いました。
 十一月に入って、様々な努力と試行錯誤の末、アクセス数は少しずつ戻ってきましたが、注文メールはこの約三ヶ月ほど全く来ていません。さて、どうなりますことやら。

2014年2月28日金曜日


百円ショップのメガネ

 最初のショップをオープンする時、初期投資として目のためのブルーライト遮断メガネを、ネットショップで三千五百円で買った話はしましたよね。今考えてみると、ばかな事をしたと思います。
 その時も、『百円メガネよりもちゃちいもので』、と説明しましたが、まるで子どものメガネのようで、左右のツルの高さはますます違って来ています。
 さらにばかだった事には、ブルーライトと言うのはLEDのブルーライトだったようです。わが家の新しいテレビも、液晶で、大きくって目に悪そうですが、LEDとは書いてありません。
 コンピューターのモニターに至っては、古いものが壊れて、今は娘の更に古いお下がりを使っています。LEDどころではありません。つまり、やっぱりサングラスで良かったのです。
 で、この間しばらくぶりに百円ショップに行きました。以前にも行って百円老眼鏡を買った事がありまして、それが、ちょっと掛けづらかったものですから、しばらくご無沙汰していたのです。今回行ってビックリです。ブルーライト遮断メガネは勿論、目のトレーニング用のメガネまで売っていました。しかも、見栄えは三千五百円のメガネよりも格段によくって、かけてみても差があるようには分かりません。サングラスも、お店で買う千円くらいのUVカットのサングラスと差を感じません。
 老眼鏡は今回はフレームがいいので大いに期待したのですが、前回買ったちゃちい方がみえはいいようです。というか、私は左右の視力が違うので、これは無しかなと思います。それでも、電話の前において必要の時、ちょっと掛けたり、バッグの中に入れておいて、出先で必要の時ちょっと掛けたり、コンピューターの前において、と、おいておくメガネには使えます。本を読むときだけ、ちゃんとしたメガネがあればいいのですから、それなりに使えます。
 と言うわけで、三千五百円のブルーライト遮断メガネは、テレビの前において、コンピューターは百円メガネか、うすいサングラスにしていたのですが、やっぱり元にもどしました。やっぱり、私には善し悪しは分かりませんが、もう、しばらくメガネを買う必要は無いようです。
 ショップをしていて思いますが、失敗の時は学習と思わなければなりません。

2014年2月20日木曜日


廻りがどんどん変わって行く

 古本の値段がどんどん変わっていて、チェックが間に合わない話は何度もしていますが、この一年で環境も随分と変わりました。
 私の少ないアクセス数でしか分かりませんが、携帯サイトの閲覧者が格段に多くなったような気がします。
 後は、ゼロショップのエブリカラーが100㎆いっぱいになってしまって、FC2の50㎆の無料サイトにメイプルをオープンさせた話はしましたが、他に、ヤフーが、十二月からショップサイトを無料にするようです。
 さて『どうしたものか』と思いました。ゼロショップは満杯までいれてあります。FC2は確かにまだなじみがないのですが、始めたばかりです。わが家にまだ本はありますが、果たして三軒のショップ分あるでしょうか。でも、ヤフーの集客力は魅力です。
 一日悩んだ末に、「三軒やる事にした」と娘に宣言しました。「管理できるの」と娘に不安がられましたが、それぞれのショップを特徴づければ、管理も楽にできるのではないかと思います。例えば、今まで入り切らなくって、セットで並べていたものをバラ売りにしたり、たくさんある新刊を全部に並べたりすれば、売れる売れない、お客さんが来る来ないは別にしてですが、量的には結構三軒分、並べきれるのではないかと思いました。
 それで、まあ、一応ヤフーに、説明書をお願いしました。十二月ですから、まだ時間はあります。それまでに三軒をどう特徴づけるか、考えて見ます。
 ネットショップはいつもいじっていなければならないようですから、並べたり、分類したりという作業も役に立つのではないかと思います。
 止めるのはいつでも出来ますから、チャレンジしてみます。

2014年2月13日木曜日


やっぱりお客さんが来ない

 十月も終わりに近づきました。やっぱり注文のメールは全く来なくなりました。昨年の今頃も来客はなかったから、季節的なものなのかとか慰めたり、安くないからなのかとか、めぼしいものが無くなったからかとか、ゼロショップ側のミスなのかとか疑ったり、いろいろ考えてしまいました。
 でも、ブログにはほとんど閲覧者が無い事を考えると、今まであんなにお客さんが来てくれていたのが不思議なくらいなのです。ゼロショップ側で随分ヘルプをしていてくれていたのではないかと思いました。つまり、いつも検索の上位に来るように、すべての項目を一気に閲覧する、そういう作業があるようですが、それを内緒で付けていてくれたのではないでしょうか。それが一年経って、終わってしまったのかもしれません。だから、後は自助努力なのでしょうか。
 この自助努力、やっていると結構おもしろいのです。元々本が好きな方でしたから、一度並べた本でも、再会すると楽しいのです。一つ一つ引っ張り出して関連づけて行くわけですから、気の遠くなるような作業ですが、それぞれの本に会うと、『ああ、こんな本もあったっけ』とか、『あんな本も関係ありそう』とか、時間が経つのを忘れてしまいそうです。
 酷使される目の方が心配になって、この間、飛蚊症を見てもらいに眼科に行きましたが、老化現象で異常ではありませんと、また言われてしまいました。これで二度目です。やっぱりこれも自助努力で直すしかありません。
 なかなか取りかかれない『絵』の方も、気にはなっているのですが、この作業と、季節がらの洋服の出し入れに伴う縫物に多くの時間が取られてしまいます。そうそう、庭の手入れもあります。夏に繁茂した植物の片付けや、収穫。今年はぶどうはほとんどダメでした。収穫できたのは紫蘇とカボチャくらいです。みょうがも遅い台風であっという間に姿が無くなってしまいました。
 加えて、余り無理は出来ません。まだ病み上がりなのです。寒くなって来て、時々傷がうずきます。
 でも、自助努力のこの作業、昨年の『本を探して来て並べる』のと同じくらい楽しんでやっています。

2014年2月5日水曜日


各商品に関連商品を設定

 ゼロショップモールの質問回答に書いてあったアドバイスの一つですが,この『各商品に関連商品を設定』というのは,出来るかも知れないと思いました。
 つまり,アマゾンで商品を調べると,必ず関連商品が出て来ます。頻繁に画面に引っ張り出す事で,検索エンジンンに引っかかり易くなるとしたら,やらない手はありません。
 エブリカラーには千五百冊ほどの本が入っていますから,一つ一つ引き出して関連商品を付けて行くのは大変な作業になると思いますが,どうせ,毎日商品を見回らなければならないのですから,そのついでにすればいいのです。
 早速一つやってみました。うまく行きました。これで明日からの2時間のコンピューター仕事が無作為でなく,目的を持ってできるわけです。
 でも,これは大変な作業です。商品をアップするのと同じくらい時間を取りそうです。しかし,今度は諸般の事情も分かりましたから,毎日少しずつゆっくりやります。コンピューターは一気にやっても,目を悪くするぐらいで,余りメリットは無いようです。
 この関連商品はある程度商品が入った状態で,その関連性を探して行くわけですから,商品を入れながらでは出来ないでしょう。今それに気づきましたが、入れ終わってからの仕事なのです。いい仕事を教えてもらいました。
 因みにこの機能はFC2ショッピングカートにはついていないようです,メイプルショップにもう少し商品をアップして、いっぱいに近づいたら質問してみようかと思います。
 非表示になってしまっていたゼロショップモールも一週間待ちましたが、待ちきれなくなって問い合わせをしたら、ほどなく表示してもらえました。まさに首(ネット)が繋がったという事です。これで、十月の自助努力に向けて準備が整いました。

2014年1月31日金曜日


エブリカラーショップがパンクしてしまいました

 検索回数を多くするために、毎日、自分でショップの商品を開いてみる時間を取ったりしていると、時々新たに入れたい本も出て来たりして、売れそうも無い本を外して、入れたりしていました。
 そんなある日、フと気がつくと、制限の100㎆をオーバーしてしまったらしく、ゼロショップモールの私の商品が全部表示されなくなってしまいました。慌てて四十冊ぐらいを外しましたが、数日、『公開リクエスト中』と言う表示が続き、焦りました。
 暇な間に,今年のアクセス記録を解析してみたら、商品をアップしていた二月三月は,六千くらい,入院手術後で怠けていた,四,五,六月は四千くらいで,アクセスが減ったと嘆いていました。七月は商品を少しアップした事もあって,アクセス数も五千くらいに戻り,注文もけっこう来たのです。八月も四千くらいに達していました。九月はこのままで行くと二千ほどです。
 七月の注文は,商品をアップした事もあると思いますが,六月末にゼロショップモールが妨害に会い、表示が途切れたという事が、影響しているのかも知れないとも思いました。素人考えですが,表示が途切れて,再表示されたときに,検索エンジンが『これは珍しい』という事で,頻繁に来てくれたのでしょうか。だとすると,今回,エブリカラーの表示が途切れて,再表示されるのは,検索エンジンに出会えるいいチャンスなのかも知れないと,期待してしまいました。ちょっと,的外れな期待でしょうか。
 何はともあれ,それで、外した本をどうしたものかと考えて、『確か、もう一つ無料のショッピングモールがあったっけ』と,一年前の教科書を引っ張り出して来て,FC2ショッピングカートを探し当て,『メイプルショップ』という名前で登録してしまいました。
 こちらは少しでも怠けて,90日間,商品をいじらないと,自動的に『メンテナンス中』にされてしまうようです。そうなると,メイプルショップにはちびちびと本を入れて行くしかない。つまり、やっぱり毎日二時間はコンピューターに向かい合っていなければならないわけです。『100㎆入れたからもう安心、少しはゆっくりしよう』なんていう怠け心は許されなかったのです。
 とても忙しくなって、絵を書いている時間が取れない状態でしたが、慣れてくれば大丈夫,『四月までには,動画を一つアップするぞ』と,目標を先延ばししました。

2014年1月24日金曜日

でもやっぱりアクセスが無い

  九月に入っても、アクセス数はどんどん落ちて行きました。二桁前半なんていう日もざらでした。いくら私でもおかしいと思ってしまいますよね。
  六月末に、ゼロショップが『妨害』にあって、サービスが一時中断されたという事が内部のニュースに載っていましたので、これかなと思いました。
  試しに家のショップ、エブリカラーの商品の一部をグーグルとヤフーで検索してみました。大変です。何枚目をめくってもうちの商品は全く出て来ないのです。以前は、一枚目の上の方に、ゼロショップとエブリカラーの分と二つ並んで出ていたのです。これではお客さんが来ないのも当たり前です。アクセス数が落ちた上に,検索もされないとなったら,踏んだり蹴ったりです。
  こういう時、やっぱりショップ運営者を疑ってしまいますよね。それまでも何度も『有料ページにしないか』と言うお誘いが来ていたのですが、月に一万円売れるか売れないかというお店に来るメールではないと思って、いつも捨てていたのです。それに、SEOという、私にはよく分からない集客対策も取ってくれているはずだったのです。
  このままの状態で座していても仕方が無いので、『ヤフーとグーグルに出て来ない』と管理会社に質問メールを出しました。答えはすぐ来ましたが、『アクセスを集めて、ページランクを上昇させるために、SNSサイトを活用されたり、各商品に関連商品を設定したり、トップにキーワードを表示させたりして、アクセス数のアップに努めてみてください。』というものでした。これ、何の事か、私にはさっぱり分かりませんでした。
  SNSとはソーシャル・ネットワーク・サービスの事らしいです。そう言えば、「フェイスブックに『いいね』とクリックして下さい」というのが載っていましたっけ。『あれだったんだな』と思いますが、怖いから分からない人は押さないですよね。
  私の方は、半分諦めかけていたのですが、管理会社の方は諦めずに相手をしてくれていましたので、少しずつ,ぼんやりと分かるものがありました。その後、コンピューターに詳しい友人にも聞いて大分分かりました。
  つまり、検索エンジンというのは、変化の無いページは通り過ぎてしまうようです。なので、本をアップするために頻繁にページを開いたり、検索したりして、常に存在を誇示していないといけないのだそうです。今は機械的にページを見てくれるお商売もあるそうです。
  友人はブログページにリンクを張っておくのがいいと教えてくれました。ブログは検索に引っかかり易いのだそうです。そこから、リンクで商品ページに検索エンジンが来てくれるので、検索される回数が増えたと認識され、上位に載せられるらしいのです。
  そう言えば、私がブログを止めたのは、手術を受けた4月頃で、その頃から、確かにアクセス数が減って行った気がします。ブログには『誰も来てくれない』と思っていたのですが、検索エンジンだけは、そっと内緒で来てくれていて、リンクでエブリカラーの方につなげていてくれたのでしょうか。
  そう言うわけで、また、ブログのページを整理して、週一くらいで載せ始めました。相変わらず来てくれるのは韓国とロシアとアメリカとドイツのトラフィックだけですけれども。

2014年1月16日木曜日

『日本の古本屋』というサイトを見つけてしまいました

  どういう経緯で見つけたのか、今となっては思い出せません。でも、アマゾンの他に、もう一つ値段比較のサイトを見つけてしまったのです。
  そのサイトはアマゾンより品数があって、値段は物にもよりますが、そこそこ安いのです。例えば、アマゾンでは売っていなかった例の『三愚集』が数点出されていて、しかも、定価の半額でした。それでも12万円ほどでしたが。でも、うちのショップのは未使用です。
  そして、八月の末の暑い中、夜中まで作業をして、再び値段の見直しをやり直してしまいました。
  やっていると、『どうしてこうなってしまうのか』、『どういう値段をつけたらいいんだろう』と、次々に疑問がわいて来ました。中には両者で大変な差があったのです。
  勿論両方に出品している古本屋さんもいますし、大抵のお店がそうなんでしょうが、アマゾンには個人で出している人も多いのではないかと思います。そうすると、私のように、どういう値段にしていいか分からずに、例えば出品が少ないと、希少本だと思ってしまって高い値段にしてしまうのでしょう。それに加えて、『わが家の本』という身びいきがあります。
  でも、古本屋さんは、安く仕入れた本なので、定価以上にはなかなかならないという事を、経験で知っているのです。だから、内容のいい本でも、けっこう少ない出品の本でも、定価以下で、売れる事を第一に考えているようです。
  そんな狭間で、わが家の本はどういう値段をつけたらいいのか迷いました。わが家の本は、半分以上が、未使用で、それを買った人はコレクターっぽい夫で、いわゆる新古本です。これ以上は比べようもないので、本の状態にもよってですが、出ている本の中では、中より高い値段をつけました。
  結局、お客さんは、アマゾンや古本屋さんの大きいサイトを見て、そこになかったら、わが家のサイトにたどり着くわけですから、安くしておいても、「状態が悪いからだろう」と思われるだけで、つまり、最初からあまり勝ち目はないのです。ですから、他のサイトのがみんな売れてしまってから、家のを買って頂ければいいのだと考えました。
  そうして、曲がりなりにも値段の設定を整えて、九月からの商戦に備えが出来たのです。
術後四ヶ月

  八月の末で、やっと術後四ヶ月に達したのです。やっと、少し運動が出来るようになりました。人並みではなくっても、家事はそれなりにこなすようになっていたのですが、猛暑もあって、散歩は大形ショッピングモール内の買物程度、ストレッチはテレビ体操程度でした。が、ここに来て少し体重が増えた事もあって、週一くらいで、テレビのヨガに参加し、昨日はリュックを背負って買物ウオーキングにも行きました。これらの運動の後は、いつもちょっと痛い感じがするので、少しおとなしくしています。
  でもです、手術を受けたときは、これで治ったと思ったのです。後は良くなるだけ、悪い所を取ったのだから、前よりもずっと元気になると思っていたのです。
  それが四ヶ月経って、初めて分かった事ですが、何しろ、お腹を切って胆のうを取るという、大けがをしたのです。この大けがの後遺症が無い方がおかしかったのです。
  そうなんです。ここに来ていろんな異常を感じます。オッパイのちょっと下の間あたりからお臍まで長く延びた傷の廻りが、あっちが痛くなったり、こっちが痛くなったり、お臍の左横は便秘になると痛くなるようです。そんなに痛いわけではなく、どれも鈍痛程度で、仕方ないと思えばいくらでも我慢できる痛さなので支障はないのですが、時々、『先生、もっと上手にできなかったのかしら』と恨めしくなります。
  そう言えば、と思い出しました。なぜ、内視鏡手術から開腹手術に切り替えたか、先生は、「胆のう管が二本あったんです」と説明されました。「ええ、普通の人は一本なんですか」と半信半疑で聞きました。一本なんだそうです。
  なんとなく腑に落ちる所がありました。胆のうが調整している胆汁は脂肪の消化に関係しているという事だそうですから、胆のう管が二本あった私は脂肪の消化が極めて上手だったのでしょう。つまり、八十キロ、九十キロと異常に太ったのは、はとこ同士の両親の『劣性遺伝だ』等とうそぶいていましたが、本当にそうだったようです。親戚にも太った人が多かったのです。それが取ってしまってなくなったわけですから、痩せても良さそうなのに、食べ物の好みも変わらず、のんびりしているとまた太って来ました。
  もう一つ、この頃感じる事は、眼と鼻の乾きです。眼はコンピューター使い過ぎのドライアイかと思って、ブルーベリーのサプリを飲み、目薬を頻繁に付けていましたが、飛蚊症はますます酷くなりました。これは最初の胆嚢炎のときに左目にも出て来たものですので、胆嚢炎、胆石が解決されれば治るかなと思っていたのですが、今は両目とも数匹の蚊が飛んでいる状態です。加えて、鼻の中も乾燥して鼻水が固まり、はがすと血が出るほどになって、今はオロナインを鼻の中に付けています。
  これって、胆のう除去の後遺症でしょうか。目と鼻の廻りの、油分が足りなくなったのでしょうか。娘は冷房のせいと言いますが、これも様子見ですね。でも、自助努力としては、少し油の多い魚を食べてみようと思っています。コラーゲンですね。
値段の再チェックは八月が良い

  あれやこれや、値段はめまぐるしく動くものですから、とても動画を作っている時間が取れません。それでも何とか、暑くなる前までは細々とでもやっていたのです。ところが突然のショックな失敗、その後、伊勢神宮の高い大きな本を買って下さった方もいたりして、それに、猛暑、もう動画どころではなくなってしまいました。
  この猛暑の時期、お盆とも重なって、ショップへのアクセス数は愕然と減りました。昨年はまだ本を三冊しか並べていませんでしたから、比べようもありませんが、毎年この時期は減るのでしょうか。世の中では、『ニッパチ』と言って、二月、八月は売上が下がると言われていますけど。
  お客さんが来ない事をいい事に、涼しい時間を見計らって、値段の再チェックをしました。再チェックはこの時期がいいですね。お客さんが頻繁に来ている時、見た直後に突然値段変更してしまったら、気を悪くするでしょうから。『ニッパチ』はショップアレンジのチャンスかもしれません。
  そう言えば、例の二十二万円の本、ネットの広告ページで見つけたのです。と思ったら、本ではありませんで、掛け軸でした。つまり、あの本の二ページくらいを印刷して、掛け軸に装丁し、なんと、毎日新聞社が十六万円ほどで売っていました。もうこうなったら、本の世界ではなく、『鑑定団』の世界のようです。
  そうこうしているうちに、子どもさんたちの夏休みも終わりに近づき、猛暑もやっと下火になり、絵巻物とふるさと文庫の値段再チェックも終わり、いよいよ動画の絵付けに入れそうです。
  九月末までには何とか一編アップしたいものです。

2014年1月10日金曜日

希少本をガレージセールで売ってしまった時

  最初の頃に、並べた本だったのです。その頃、アマゾンで調べても並んでいなかったし、不勉強だったせいか、作者の名前も、『ん、聞いたような気はするけど』と思う程度だったのです。それで、新設したガレージセールの所に、元の値段の三分の一、四分の一を基本としているガレージセールなので、まじめに四分の一の六百円で並べたのです。
  でも今回注文が来て、もう一度アマゾンで調べてみてビックリです。その本自体は無かったのですが、その作者の他の本が最低値でも三千円くらいで売っていたのです。この本はアマゾンにも出ていませんでしたから、更に希少本で、そういう時、大抵は五千円から八千円の値段をつけていたのです。しかも、昔夫が買って未使用の本だったのです。『全くもう』という感じです。無知とは損なものです。
  けれども、注文が来たからには、売らなければなりません。
  お客様は速攻で、銀行振込をしてくれ、『あれよあれよ』という間、その日のうちに発送まで済んでしまいました。
  確かに、ちょっとマニアックな本で、私は読む気にもならなくって、価値が分かりませんでしたが、こういう本が好きな人には掘り出し物の逸品だったのでしょう。
  今はお客様が、そういうマニアックな本の好きな人で、本当に喜んでもらえる事を願うのみです。間違っても古本屋さんの仕入れにならなかった事を期待します。

2014年1月2日木曜日

値段は日々変化しています。

  ついに、最大100メガバイト中の99・99メガバイトを達成しました。
  喜んでいたのもつかの間、このところ、お客さんが少なくなったと思って、値段の再チェックをしてみた所、三十冊近くある、元値一冊一万円ほどの絵巻物集成や美術全集の値段が全く違っていました。値下がりしていたのです。
  最初に入れたとき、アマゾンで調べて、およそ中間の値段を入れました。その時点では、アマゾンに対して勝ち目はありませんが、アマゾンの在庫が無くなった時、家の商品に眼が向いてくれればいいかなと思ったのです。
  それが成功したものもなん冊かありました。注文が来た時、アマゾンの値段も参考にして、もし、そっちの方が安かったら、一応、商品説明をして、「他には安いものもありますが、よろしいでしょうか」と書く事にしていました。ところがイザ来た時、アマゾンを見てみると、家のショップのが一番安くなっていました。これにはためらいも無く出荷できました。
  ところが、今度はゾゾです。家の絵巻物集成は、アマゾンの中間値どころか、遥か雲の上を行っているようでした。
  再度、調べ直して、30冊、修正しなければなりません。一、二冊、はじめましたが、止めました。冊数もあり、同じような新しい本も出ているようでしたので、複雑怪奇になってしまいそうです。99・99メガバイト達成で、ちょっと疲れてもいました。
  値段は変わると言っても、この本が値上がりするとは思えませんが、やっぱり、二、三年、このままにしておいて、修正するときは、時期を決めて一気にしようと思います。でないと、いつも値段に右往左往させられそうです。