2014年7月25日金曜日

母と弟の間

 コーヒーを飲みながら、通路を挟んで隣りに座ったご夫婦のはなしを聞くとも無しに聞いていると、「こんな所があったんだねえ、知らなかったわ。」という言葉が聞こえて来ました。それに吊れられて、「私はよく母を連れてここに来ていたんですよ」と言葉を挟んでしまいました。「ついこの間、亡くなったんですけど」
 そうすると、はす向かいに座っていたご主人の顔が、見る見るうちにこわばってしまいました。間を置かずに奥さんが、「家のおばあちゃんもこの間亡くなったんですよ。いい歳だったし、認知症もあったんですけど、お父さんにしてみれば親だから、なかなか忘れられないんですよね。」と弁護しました。
 「私の事は、怒ってばかりいると言ってたんだけど、次から次に忘れて行くから、大きな声を出さないわけにはいかなかったんですよ。危ないし。」とご主人が今にも泣き出しそうな怖い顔で、私に向って一生懸命弁解していました。
 「近くで面倒を見ていた人にしたら、大変な喪失感ですよね。私の弟夫婦は母の亡くなったあと、庭に小鳥のえさ台を作って、餌を乗せてやりながら、来た小鳥を数えていますよ」と慰めにもならない慰めを言いました。
 そうなんです。私はハタと気がつきました。母と弟の間には言葉にはならないようなやり取りがあったのだと。
 母は同居していても意のままにならない弟にイライラして愚痴ばかり言っていました。それに対して弟も不快をあらわにしていました。そんな仲の二人でしたから、認知症の介護は私が引き取ってやらなければならないのじゃないかと覚悟を決めていたのです。ところがそれを母に話しても、母は決して家を離れるとは言いませんでしたし,弟もいい顔はしませんでした。
 今になって、『そう言えば』と思い出すことがありました。孫たちが次々と独立して家を離れて行ってしまう中で、母がぽつりと言ったのです。「家に縛り付けてしまって、あの子には悪い事をしてしまった」。
 弟はハードなゼネコンに勤めていましたから、転勤が多かったのです。海外に行く可能性だってあったのですが、初任地名古屋から東京を経て、少しずつ故郷に近づき、遂に実家に帰り着きました。そこを離れられないと希望を出し、それには出世も犠牲にして来たに違いありません。
 母が亡くなったあと、弟に、母の言葉を伝えると、義妹が「長男なのに、家も親も見捨てて行くのか」と厳しく言われたと言っていました。私たちも弟が家にいるのは、当然のように思っていましたが、やっぱり、そんな事があったのかと納得しました。
 「今になってみれば」、と弟が言いました。「知った人の多い中に帰って来られて良かったかも知れないよ」。弟は昔から、何でも母の言う事をよく聞くやさしい息子だったのです。自己主張の多い私との差を母はよく知っていたのでしょう。