2019年10月31日木曜日

腸内フローラ八ヶ月後、一日三十分以上ウオーキング

 十月はまた婿の出張に伴う娘宅の手伝いから始まりました。孫のお守りはそれなりに楽しいのですが、ボケ気味の夫を一人にしておくのも気がかりです。でも、まずは私がしっかりしなくてはです。 ウオーキングは夫と一緒に15分、あとはそれぞれ暇を見つけて15分予定です。週一くらいで、買い物ウオーク1時間もしています。
 一週間目、婿の出張。私の役目を遂行するためには、自分の体が大事です。そのための体操や食事だったのですから、頑張りました。体操も最低限でウオーキングだけ、睡眠不足、便秘、途中で胃に違和感もありましたが、無事やり遂げました。おかげで、体重は現状をしっかり維持。キープ、キープです。これって、秋口で暑くなかったので、ストレスもかからず、体調管理がしやすかったのでしょう。
 家に帰って、二週間目がスタート。食べ物をしっかり買い込んで、家の野菜の手入れもし、また、体操も、食事づくりも再スタートです。
 しかし、消費税が上がり、物価も上がり、家計費がどんどん膨らみます。買うものはどうしても最低限のものになってしまいます。貧乏生活を経験したとはいえ、あの頃は親もいて、いっぱい援助してもらっていました。これが、親も貧しく、子も貧しくといったら、すがるところがありません。政治家がセレブだと、わからないでしょうね。
 体重は変わりなし。
 三週間目、台風19号が東日本を襲いました。色々吹き飛ばされましたが、高台のために水の被害はありませんでした。最大級の台風ということで、テレビも一日中注意報を流し、わが家も呼応して金曜日から雨戸を閉めたり、買いだめをしたり、おかげでわが家は大した被害もありませんでしたが、あとから、日本中の被害がどんどん出てきて、大変な三連休でした。
 体重は変わりなし。
 四週間目、即位の礼の休日も終わり、みんなとワイワイ食事をしていた付けが回ってきましたが、週末までに何とか解消。甘いものはなかなか控えられないのですが、たんぱく質多めにまた戻しました。たんぱく質大目にすると、甘いものが食べたくなるというのは言い訳でしょうか。とにかくたんぱく質大目にしたら、体重が減らなくなりました。でも、力が出てきて、頭も含めて、動きが速くなった気がします。ウオーキングも速くなりました。もう二か月ですが、二か月目くらいで少しずつ効果が表れてくるのですね。
 で、体重は変わりなし。
 五週間目、今月は五週目までありました。今週も体重は変わり無し。結局、最初の3から4ヶ月で三キロ減って、夏に二キロ戻り、あとはほとんど変わりなく69キロ台維持です。ここから意地を見せないとなんですが、衣替えで冬物を出して見ると、結構緩くなっている気がします。身体はしまった気がします。
 体重は減らないのですが、身体が締まり、頭の働きが良くなって動きが良くなったとしたら、タンパク質多めは正解なのではないかと思います。この頃はタンパク質も一食二種類以上、例えば、納豆と卵、魚とアゲ、肉とチーズという風にあるものですが組み合わせて少しずつ食べるようにしています。あとは糖質、つまり甘いものをどれだけ減らせるかです。

2019年10月25日金曜日

長崎の

 ある日、暇な時に、テレビでもみようかとチャンネルを変え続けていた時、たまたま目に留まったのが二ちゃんねんるでした。Eテレの『こころの時間』だったと思います。
 ここに、私の好きな『ブラウン神父』とは全く違いましたが、一目でキリスト教の神父だとわかるいで立ちと雰囲気の人がとつとつと話をして居ました。
 前にもこんなチャンネルサーフィンをしていて『こころの時間』を見たことがありましたが、その時もキリスト教の神父さんで大学の先生をしている人でした。
 今回のその人は、その時、お母さんの話をしていたのです。お父さんは早くに亡くなって、お母さんがドカタ仕事をしながら一人で育ててくれた様です。お母さんが帰ってくるとタールの匂いがしたと言っていました。
 ある時、お母さんと二人で、何か重いものを運んでいた様です。その時、彼は重さに耐え切れず、「疲れたからあとは明日にしよう」とお母さんに提案したようです。お母さんは「お前は神様のしもべになるのだから、やらなくていいよ」と言ったようです。お母さんを怒らせたと感じた彼が、聞くと、「疲れたとか、辛いとか言うと、周りの人に気をつかわせてしまう。そういう言葉は神様だけに言いなさい」と言われたようです。
 もう一つは、『みややん』という精神障害を抱えた天涯孤独の男性の話でした。彼を定期的に慰問していた神父さんがある時、疲れて怠けたくなってしまった。翌日にしてもらって行ったときに、「昨日はどうしても都合がつかなくってすみませんでした」というと、みややんは「いいですよ。私には都合はありませんから」と言ったそうです。『都合がある』とか『都合が悪い』とかいう言葉は、やはり、相手に忖度を要求している言葉なのでしょう。『都合』を無くして、言わなくしたら、生き易くなったと話したようです。
 ここで、『なるほどな』と思ったのです。
 これ、私がこんな老人になった今だからわかる事なのです。若い頃は私も泣き言ばかり言っていました。そうすると、そういう人は敬遠されますよね。遠ざかる人を感じて、私は対人恐怖症になって行ったのでしょう。
 同じように、自分の都合ばかり言っていたり、都合でばかり動いていたら、やっぱり、人とコミュニケーションの取れないADHDになってしまうでしょう。
 私もこの歳になって、やっとわかった気がします。今、私は体調の悪い娘の子育ての手伝いをしていますが、出来るだけ、「足が痛い」とは言わないようにしています。
 若い頃は、私にもなすべき何かがあって、『やらなければ』という思いが強かったのですが、今は出来るだけ『都合はつける』ようにしています。確かにそうすると、生きやすいような気がします。
 最後に長崎教会の司祭で、お名前が出たのですが、珍しいお名前で、忘れないだろうと思っていたら、見事に忘れてしまいました。それで、NHKのページを開いてみると、古巣馨さんという方のようでした。
 宗教・人生~「長崎の祈り―水がめを運ぶ人々に導かれて―」という表題のほかに『去年、250年にも及んだ禁教期の信仰を物語る12の資産が、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として世界文化遺産に登録された。カトリック長崎大司教区の司祭・古巣馨さん(64)は、五島列島・奈留島の出身。祖先は禁教期を生き抜いたキリシタンだ。激しい弾圧の下で多くの血が流された長崎で、人々はなぜ信仰を守り抜くことができたのか。この地に生きる司祭として、古巣さんは、自らに問い続けてきた。』という詳細まで手に入れることができました。
 確かに、番組の中で、「水瓶の水を飲ませてもらった」という表現もあったような気がしますが、そこのところはあまり覚えていません。

2019年10月14日月曜日

楽しい人生

 幸せの国というとブータンのことが思い浮かびます。そんなに豊かな国でもないのに『なぜそうなんだろう』と、記事を読んでみたことがありました。
 あるお母さんが『家族がみんな元気で、近くに住んでいて、いつでも会えること』が幸せだと言っていたのを覚えています。
 このところ、世界のニュースが簡単に見聞きできるせいか、いいことも悪いことも入ってきて、世界がとても幸せとは言えない状態にあると心配になることがあります。世界の指導者たちが自分たちの意思を通そうと、一歩も引くまいと必死になっているのがよくわかるからです。
 でもね、みんなを幸せにするのでなければ、やっぱり指導者ではないような気がします。短い人生なんですから、みんなが楽しく生きられるようにしてあげないと。
 以前、知的障碍者は、生きている価値がないと言って十何人も殺してしまった介護職員の裁判のニュースがありましたが、まず、『仕事を辞めればよかったのに』と、彼のために思いました。そして、『この歳になると、自分だって何物でもない、何十億分の一粒なんだと気が付きます。そうしたら、生き方は自分の能力の範囲で人の手助けをすることだけです。そして、土に返るのです。』
 誰かに楽しい思いをさせて、喜んでもらって、生きていけたら、幸せじゃないですか。あまりにも当たり前なこの事が幸せの国ブータンの真実だったんでしょう。今はちょっと違うみたいですが。

2019年10月9日水曜日

綿入りねんねこ半纏

 ミニマリストと名乗る男性をテレビで紹介していました。最低限のものしか持たない生活をしていて、それをブログやYouTubeで発信して高収入を得ているのだそうです。
 このものを捨てるという発想は終活でよく言われています。後に残る人の迷惑にならないようにと家事評論家の故吉沢久子さんも言っていました。
 弟も写真をほとんど捨てたと言っていました。
 でもです。昔、『思い出ぐさ』というものは人生を豊かにし、ものを書く際には鍵となると聞いた事があって、私はなかなか整理が出来ないのです。夫は私よりずっと執着心が強いのでなおさらです。何度も言いますが、我が家はがらくた倉庫の中で暮らしているようなものなのです。
 いろんなものを創造している方々は、書籍を始め、衣装等いろんなものを残して亡くなりますよね。寄付されて学芸員が整理している話をよく聞きます。
 まあ、私のは誰もいらないでしょうが。
 で、表題の『綿入りねんねこ半纏』です。今まで『いらないのに』と思いながら何としても捨てられなかったのです。母が最初の子を産んだときに作ってくれたものです。昔は孫のものは自分たちで準備するのではなく、全部実家でするものだという暗黙の了解があったようです。ぼんやりの私はそんな事さえ知りませんでした。
 二人目が生まれた時はもう一つ貰いました。それは捨てたのですが、一枚目は小さかったので室内の防寒着にも着られるかなと思ってずっととってあったのですが、もちろん孫達は使いません。今はダウンのコートが全盛で、洗う事も出来ない『綿入りねんねこ半纏』は誰も使わないのです。私が着てもいいのですが、アレルギーの人のいる我が家では防虫剤のにおいのするものはタブーです。
 でも、これ、嫌な事しか思い出さない脳の持ち主の私にとっては亡き両親と幼稚な自分との愛情の思い出の絆だったのです。
 でも、今回捨てました。一度にミニマリストにはなれませんが、終活は進めなければなりません。一つ一つ、いらないもの,使わないものから捨てて行こうと思います。

2019年10月4日金曜日

脳の発達

 足の裏のバランスで、右足の左側、つまり内側を使うように意識している話しはしましたが、車の運転の時、私はどうもいつもは外側を使っていたようです。意識して内側を使おうとすると、違和感があるのです。何か、脳が驚いているような、新鮮に感じて学んでいるような。これって、以前にも書いた何か違う動きが出来るようになると、脳の回線が動き始めるという事でしょうね。
 この感覚、もう一つの事でも感じました。最近机の向きを変えたのです。そうすると、今まで何十年も左手でマウスを操作していたのですが、向きによっては右手でも操作できるようになったのです。そうすると違和感がありました。つまり、左手で無意識のうちにやっていた操作が、右手だとちょっと意識して一瞬考えないと出来ないという事に気がつきました。左手での操作はまるっきりの回線通行、右手での操作は新しい道を造っての通行という事ですよね。
 私は昔から新しい事を学ぶ事が苦手でした。環境もほとんど変えませんし、人間関係も特に気を許した人以外は苦手です。でも、こういう風に環境を少しだけでも変える事で脳が発達してくれるかもしれません。つまり、環境を変えて、人は成長して来るのかもしれません。もちろん、私に出来るのはほんの少し変えるだけですが。