2019年10月25日金曜日

長崎の

 ある日、暇な時に、テレビでもみようかとチャンネルを変え続けていた時、たまたま目に留まったのが二ちゃんねんるでした。Eテレの『こころの時間』だったと思います。
 ここに、私の好きな『ブラウン神父』とは全く違いましたが、一目でキリスト教の神父だとわかるいで立ちと雰囲気の人がとつとつと話をして居ました。
 前にもこんなチャンネルサーフィンをしていて『こころの時間』を見たことがありましたが、その時もキリスト教の神父さんで大学の先生をしている人でした。
 今回のその人は、その時、お母さんの話をしていたのです。お父さんは早くに亡くなって、お母さんがドカタ仕事をしながら一人で育ててくれた様です。お母さんが帰ってくるとタールの匂いがしたと言っていました。
 ある時、お母さんと二人で、何か重いものを運んでいた様です。その時、彼は重さに耐え切れず、「疲れたからあとは明日にしよう」とお母さんに提案したようです。お母さんは「お前は神様のしもべになるのだから、やらなくていいよ」と言ったようです。お母さんを怒らせたと感じた彼が、聞くと、「疲れたとか、辛いとか言うと、周りの人に気をつかわせてしまう。そういう言葉は神様だけに言いなさい」と言われたようです。
 もう一つは、『みややん』という精神障害を抱えた天涯孤独の男性の話でした。彼を定期的に慰問していた神父さんがある時、疲れて怠けたくなってしまった。翌日にしてもらって行ったときに、「昨日はどうしても都合がつかなくってすみませんでした」というと、みややんは「いいですよ。私には都合はありませんから」と言ったそうです。『都合がある』とか『都合が悪い』とかいう言葉は、やはり、相手に忖度を要求している言葉なのでしょう。『都合』を無くして、言わなくしたら、生き易くなったと話したようです。
 ここで、『なるほどな』と思ったのです。
 これ、私がこんな老人になった今だからわかる事なのです。若い頃は私も泣き言ばかり言っていました。そうすると、そういう人は敬遠されますよね。遠ざかる人を感じて、私は対人恐怖症になって行ったのでしょう。
 同じように、自分の都合ばかり言っていたり、都合でばかり動いていたら、やっぱり、人とコミュニケーションの取れないADHDになってしまうでしょう。
 私もこの歳になって、やっとわかった気がします。今、私は体調の悪い娘の子育ての手伝いをしていますが、出来るだけ、「足が痛い」とは言わないようにしています。
 若い頃は、私にもなすべき何かがあって、『やらなければ』という思いが強かったのですが、今は出来るだけ『都合はつける』ようにしています。確かにそうすると、生きやすいような気がします。
 最後に長崎教会の司祭で、お名前が出たのですが、珍しいお名前で、忘れないだろうと思っていたら、見事に忘れてしまいました。それで、NHKのページを開いてみると、古巣馨さんという方のようでした。
 宗教・人生~「長崎の祈り―水がめを運ぶ人々に導かれて―」という表題のほかに『去年、250年にも及んだ禁教期の信仰を物語る12の資産が、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として世界文化遺産に登録された。カトリック長崎大司教区の司祭・古巣馨さん(64)は、五島列島・奈留島の出身。祖先は禁教期を生き抜いたキリシタンだ。激しい弾圧の下で多くの血が流された長崎で、人々はなぜ信仰を守り抜くことができたのか。この地に生きる司祭として、古巣さんは、自らに問い続けてきた。』という詳細まで手に入れることができました。
 確かに、番組の中で、「水瓶の水を飲ませてもらった」という表現もあったような気がしますが、そこのところはあまり覚えていません。