2015年8月27日木曜日


英国ミステリー噂話、刑事フォイルのマイケル・キッチン

 フォイルもそうですが、マイケル・キッチンという役者さんもとても頭のいい人のようです。
 1948年10月31日生まれというと、私より二日遅いだけ、ほとんど同じ頃に生まれたのです。生まれはレセスターシャーのレセスター、イースト・ミッドランドと書いてありましたが、地図で見るとイギリスのど真ん中で、周りに湖が点在していました。
 職業は俳優の他にテレビジョン・プロデューサーと書いてありました。2002年54歳の時に始まったフォイル役で有名になったようですが、このドラマのプロデューサーをしたと聞いた事があります。アンソニー・ホロヴィッツの所に企画と書いてありますが、企画とプロデューサーってどこが違うんでしょう。解りませんね。
 役者は早い時期から始めたようです。つまり、そういう方面に才能があったらしいのです。子供の時から、教会の聖歌隊のヘッド・コリスターで、レギュラー・ソリストだったと書いてありました。
 市の男子校に通っている頃からシェイクスピア劇のシンベリンなどに出ていたようです。またロイヤル・アカデミー・ドラマチック・アートに入学前から、ウエスト・ミッドランドと書いてありましたがコベントリー市にある劇場で働いていたようです。そうしてロイヤル・アカデミー・ドラマチック・アートに入学してから、1969年、21歳の時ですか、たぐいまれなる才能に対する賞を受けたようです。
 卒業後はエイジェントによって才能を発見され、007などの映画やシェイクスピア劇など、もちろんテレビにも数多く出演していたようです。私も見た事がありますが、モースとかフロストにも出ていたようです。その他、ウキペディアにはたくさんの作品が書かれていました。
 ところが個人的な事はほとんど表に出さず、結婚は80年代後半、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの衣装係をしていたロウィーナ・ミラーと、二人の息子がいるとしかわかっていないそうです。まさにフォイルのような人格のようです。
 私としてはこれだけの才能がどこから来たのか知りたかったですけどね。つまり、ご両親は何をしていた人なのか。フォイルのお父さんも警官だったようですから、キッチンさんのご両親も演劇関係なのかもしれないと思われますけど、それでないとこれだけのチャンスにはなかなか恵まれないような気がします。

2015年8月20日木曜日


英国ミステリー噂話、フォイルの戦争、刑事フォイル

 五シリーズで終わるはずの『刑事フォイル』の続きが放送され始めました。辞表を叩き付けてから一年後の話です。
 最初は、あまりにも地味なタイトルと、宣伝の映像に、『戦争ものなんて嫌だな』と敬遠していたんです。意外とそう言う人が多かったんじゃないでしょうか。どうして原題通り『フォイルの戦争』にしなかったんでしょう。
 それがあるとき、読者批評で『フォイルの人間性に感動した』と書いてあったのを見て、一話くらい見ようかという気になって見て、やっぱり私も感動したのです。逃さず見るはめになってしまいました。
 歴史の中のストーリーもさることながら、『誰に対しても、無理強いしない、正しい評価をする、明晰な頭脳で事件を解決する』というフォイルのスタイルに、私も『見習わなければ』と思うくらい感動してしまったのです。
 フォイルの妻は二十代の一人息子とフォイルを残して亡くなっています。フォイルの動揺は大きいものだったらしいと私達にわかるような仕立てになっていますが、それを黙って受け止めて一人暮らしをしています。
 大げさにしない事で、人に何かを押し付けない事が友人関係も仕事関係もスムーズに行かせている理由なのかも知れません。人材の少ない時代によい部下とよいチームを組む事ができています。趣味は釣りで、孤独に楽しめます。どこかに英国紳士と書いてありましたが、どの国にいても理想像です。
 大きなお世話かもしれませんが、この役作りは、ポアロでもないし、フロストでもないし、モースでもありません。フォイルなのです。英国ドラマの歴史に残りそうです。
 ストーリーも、ちょっと異常さの感じられる事のあったバーナビー(ミッドサマー・マーダー)やルイス(オックスフォード・ミステリー)よりも、歴史の現実の中で、みんな賢明に生きている、フィクションとノンフィクションが混じりあった仕立てで共感できます。これがアンソニー・ホロヴィッツの真骨頂なのでしょうか。

2015年8月14日金曜日


ブラなし

 歳を取ると、体も心もどんどん自然派に回帰して来るらしいですね。
 元々怠け者ではあったのですが、お腹の手術でちょうど胸の下あたりからおへそにかけての傷を持つ身となってからは特にです。手術の痕にあたるので、未だにブラジャーが着けられません。
 でも、昔から思っていましたが、ブラジャーって不自然ですよね。見栄えはいいかもしれませんが、決して気持ちのいい下着じゃありません。だから、公然とつけられないとなると、むしろほっとしています。
 でも、夏になると、「どうしたらいいものか」と、頭を悩ませるのも事実です。
 手術後すぐの夏と、一年目の夏は、内臓手術だったために痩せて、次女のお古のチューブ式のニットが着られて、その上に薄い綿シャツをはおっていました。でも二年を過ぎた今は、その時に比べると10キロも太って、去年のコーディネイトができなくなってしまいました。
 「さー大変」です。それで、昔着ていたTシャツを取り出して来て、その胸のところに布を貼付けました。いろいろな材質をやってみたのですが、薄手の柔かいものは形が浮いて来てしまってダメでした。かといって、二重にしても暑くってダメ。
 最後は天竺布というのか、木綿の固めの布に行き着きました。これは重いので、縦幅は細めにします。つまり、肝心なところが隠れればいいわけです。横幅も表地より小さめに切ります。そうすると、表地が少し浮きますので、表地にいわゆる「響かない」のです。両端は脇線に縫い付けるのですが、真ん中のところもいろいろ工夫して、上の方を留める事にしました。隠れた留める場所がある時はそこに留めますが、無い時は同じ色の糸でジグザグ縫いで目だたないように少しだけ留めます。
 これを何枚も作りました。最後はニットだけでなく布のシャツにまでつけました。
 先日、ショッピングモールを歩いていたら、同じような発想のニットシャツが並んでいましたが、胸部分がカップの形をしているのですよね。あれだと、胸の大きい、私のような人は収まりきれないで、動くとはみ出してしまうのです。だから、最初から形を与えないただの平布の方が正解のように思います。アイディアを商品にしたいような気もしますが、これって誰にでもできますよね。

2015年8月6日木曜日


定期健康診断

 手術以来という訳ではないが、前回は医療機関で受けたので、集団検診は久しぶりのような気がしました。でも、前回値も書いてあって、しかも、一時間くらいで済んでしまって、要領もよくわかっているので、何となく気が楽のような気がしました。
 まず身長体重。背丈が縮まないようにしっかりと背筋を伸ばしていたら、いつの間にか体重も量れていました。72・2キロ。家で量って行ったのと同じでした。前回値は67・4キロ。約5キロの増量。
 身長は1センチ弱伸びました。これって、量り方ですね。
 でも、手術の傷が癒え始めた一年後くらいから、毎日、三、四種類のストレッチとウオーキングをしているのですから、いろんな事に自信はあったのです。
 その一つ、いつも上腕で採れない血液が今回は採れました。看護師さんの腕もありますが、多分血管が少し太くなったのだと思います。痛くなくて助かりました。
 二つ目、腹囲が一センチ減りました。これも測り方があると思いますが、体重が五キロ増えたのにですから、明らかな改善です。
 バンザイと思って、看護師さんに、「でも、一センチなんですよね」と話したら、「きっと、血液検査で努力の結果が出て来るかもしれませんよ」と慰められました。一ヶ月後、結果が来るのが楽しみです。
 でもね、やっぱり体重が重くなって、重いまま運動をしていると、足腰が痛いのです。体重が改善してくれるともっとよかったのですが。これからの努力です。