2023年3月29日水曜日

 ものわすれ

 孫が『明太子パスタ』がどうしても食べたいというので、コンビニによって買ってあげたら、非常に食べづらそうな顔をして食べて、それでも最後はお皿まで舐めていたので、美味しいのだとはわかりましたが、よくよく考えてみれば、明太子だから辛かったのだろうと気が付きました。

 じゃあ、同じようなので辛くないのは何だっけと思ったのですが、出てこないのです。

 この頃よくこんなことがあります。そういう時はコンピューターをあけて調べるか、娘にそれとなく匂わせて、正解を引き出します。この間出て来なくってコンピューターで調べたのは竹中平蔵がありました。侍のような名前だったと思ったのですが出てこない。

 今回は、娘に二回匂わせて正解を得たのですが、すぐに忘れてしまいました。

 『これって認知症』とこわくなりました。

 『でも』と言い訳を探します。この頃毎日何時間もウクライナの戦況を見ているので、カタカナの名前はよく出てくるのです。例えば、バフムト、ヤヒドネ、アゾム製鉄所、コルシェンスキー通り、コンスタンチノフカ、名前もゼレンスキー、レズニコフ、ダニロフ、ザルジニー、マリャル、クレバ、クリチコ、シルスキーと出てきますし、ほかの名前も自分からは出て来なくっても、言われれば、どこ、誰とわかります。

 結局、毎日接していたり、聞いていたりしているものは頭の中に入って残っているのに、あまり聞いていない、接していないものは薄れていく、シナプスの接続が遠のいてしまっているということなのでしょう。

 で、どうやって思い出したか、少しづつシナプスをたどって繋げたのです。『明太子』、あれも『子』が付いた。魚の卵のことだった。『すじこ』『とび子』。『魚は何だっけ』、『鮭じゃない、あれはタラだった』。『たら子だ、たら子スパゲッティ』。

 私はタラもたら子もあまり食べないので、出てきづらかったのでしょう。結局、関心が向いたところはよく覚えているのに、関心が向かなくなったところはシナプスの回線が途切れがちになるということでしょうか。安心していいやら、不安視していいやら。

 英国ミステリー噂話 検視法廷


 『イギリス、デヴォン州の小さな港町に母と自分の子供との三人で暮らすバツイチ女、ジェーン・ケネディ(クレア・グース)は元弁護士で、現在は検視官として働いています。

 イギリスでの検視官は、遺体の死因をしっかりと特定し、それを法廷にて報告するという重要な役職です。

 そんな仕事に誇りを持つジェーンは街で起こる不可解な事件を納得いくまで徹底的に調べ上げ、捜査に一切妥協はしません。

 そんな性格からか、元恋人のデイヴィー(マット・バーロック)と衝突することもしばしばありますが、ジェーンと仲間たちは数々の難事件を解決していきます。』

 GYAOがもうすぐ終了というので、もう一度見たいと思うドラマが続々放映されていて、ウクライナの戦況をチェックしながらも、能天気な私は一つも見逃したくないと忙しく見続けています。

 その中の一つがこの『検視法廷』シーズン1と2です。

 日本では聞きなれない名前なので調べてみると、『死因審問(しいんしんもん、英: inquest)、検死審問、又は、検死法廷とは、アメリカ合衆国やイギリスなどのコモン・ロー諸国における司法制度で、人が死亡した場合(特に変死体・不自然死・異状死の場合)に、検死官(検視官・coroner)が、その死因等を調査・特定(検死)するために、自殺か他殺か事故死か等を判定する、原則として公開で行われる審問・法廷である。』とウキペディアにありました。

 『結構面白かったのにシーズン2にて打ち止めのようですよ、残念。

元恋人だったジェーンとディヴィー、絶対まだ思い合ってるよねぇ、と思ったんだけど、ディヴィーはアネットという奥さんがいるのでどうにもならず。 結局二人は何で別れてしまったのか...が最終話で描かれてました。』と私と同じ思いをしている方の記事で『これはこれで終わり』と知りました。

 なんでこんなに残念なのか、このデヴォン州『コーンウォール半島の中部に位置し、』の港町は本当にきれいで素朴なところなのです。山に囲まれた田舎出の私には、いい故郷を持ったなあという羨望があります。

 で、この美人検視官と仕事熱心な警部補、高校の同級生で、卒業パーティの夜に、友達の仕掛けた嫉妬の罠にはまり、お互いに誤解したまま別の人生に歩み出してしまったようです。

 「あなた以外の恋人など欲しくなかった」と横を向くジェーンとディヴィー、ドロドロにならなかったところがよかったのかもしれません。二回見てしまいました。

2023年3月21日火曜日

 芸のためなら 女房も泣かす

 亡夫の悪口を言ったついでにもう一つ。これは『歌:都はるみ・岡千秋、作詞:たかたかし、作曲:岡千秋、発売:2005-09-23 21:49:50』の『難波恋しぐれ』の出だしですが、思わずこの一説が頭に浮かんできた出来事がありました。

 遺品整理で、夫が『誰誰に貰った』と言っていた絵などはできるだけお返しするようにしていて、ある日、玄関を掃除していたら、そこにかけてあった絵を「あの人に貰った」と言っていたことを思い出して、「返さなきゃ」とすぐに電話しました。

 彼女は「覚えがないわ。あなたが怒るから言えなくって、私に貰ったって言って持って帰ったんじゃないの」というのです。そうかなと思って裏を返してみると、前にも見た名前が書いてありました。その名前は、他にももう一枚ありまして、きっと知り合いだったんだと気が付きました。

 『そういえば』と思い出しました。前に夫が誰誰に貰ったと言っていた絵を返す時に、当の本人は「覚えてないですけどね」と言いながら、嬉しそうに持って行きました。あれも、本当は自分で買ったのかもしれません。今となってはわかりませんが。

 で、彼女は、それよりも部屋に飾ってあった「阿修羅像の絵の方が好きだわ」というのです。「その絵は夫が気に入って、作者に借りていて、同じテーマでの水彩画を買ってあったことから、夫が亡くなる前に返したので、今は手元にない」というと、「水彩画でもいいわよ」というのです。形見分けという意味かなと思ったのですが、ちょっと知らん顔をしてしまいました。

 つまり、これは私が買ったのです。しかも、あまりいい思い出ではなく。

 つまり、昔、ある日、夫が珍しくお茶を飲みに行こうと誘うので、いそいそと付いて行ったのです。そこの喫茶店のオーナーは画商もしていたのか、阿修羅像の作者の方もいて、夫がその水彩画を買ったというのです。夫は私にお金を払ってくれと言いましたので、まだ世間知らずだった私はなけなしの4万円を支払いました。絵はきれいでしたし、夫も気にいっているようだったので、その後、恨みに思った事はありませんでしたが、ここに来ていろいろわかって来てみると、『欲のためなら 女房も騙す』人だったんだと分かってしまいました。

 今となれば、価値観の相違があったのだとわかります。夫は厳しい芸術家の家の4男、やりたいことをやるためにはあの手この手を使うことを覚えたのでしょう。方や私は田舎の農家の二人姉弟の姉、のほほんと堅実に育ち、後悔しやすい性格上、嘘などとは思いもつきませんでした。今思えば騙しやすかっただろうなとわかります。

 一人になって、静かに人生をいろいろ考えるようになると、『人生を舐めていたな』と反省します。『エイ、ヤ』と生きてきて後悔ばかり。『自分さえしっかりしていれば、どうとでもなる』と思っていました。しかし『相手のある世界』ではそうは行かないのです。『もっと慎重に、考えながら生きてきたら』と反省します。一生独身だったかもしれませんが。

 この間、ユーチューブの何かのコマーシャルでやっていましたので、正確かどうかはわかりませんが、『医者の自殺率は普通の人の三倍、その中で精神科医の自殺率は六倍』だそうです。きっとお医者さんは早くに現実を見てしまい、知ってしまうのだろうと納得してしまいました。

 で、あの絵ですが、今度彼女が欲しいと言ったら、もろもろの事は言わずに形見分けしようと思います。彼女には亡夫はもちろん私も本当にお世話になってしまったのですから。

 『芸のためなら 女房も泣かす

それがどうした 文句があるか

雨の横丁 法善寺

浪花しぐれか 寄席囃子

今日も呼んでる 今日も呼んでる

ど阿呆春団治』


2023年3月11日土曜日

 いいがかり

 ここひと月ほど、歯医者さんに通っています。折れてしまった被せた歯をもう一度再生してもらうためです。『もういいか』とも思ったのですが、ないと不自然で、落ち着きません。

 後二回で終るという先日、痛い思いをして診察室を出てきた私に、待合室の男性が一生懸命声をかけていました。でもこちらは、マスクをどこにしまったか探しまくっていて、上の空でした。上の空でも声は聞こえます。どうも「奥さん、太いね。相撲取りみたいだよ」とかなんとか言っているようでした。上の空が幸いして、返した言葉も適当なもので、「マスクどこへやったっけ。そうですね。それが私も悩みなんですよ」とかなんとか。

 やがてマスクも見つかって、受付での支払いを待っているときも、性懲りもせずに話しかけてきます。「どうやったらそんなに太くなれるの」。その男性を見ると、確かに痩せていました。「20年も外国にいると、みんな珍しい」とかなんとか言っていました。

「どちらに行っていたんですか」と私も反射的に聞きました。「アメリカ」。

 やがてその男性は診察室に入っていきました。足元は老人らしくふらついているようでした。それを見て、少し、見ず知らずなのに『失礼な』と思う気持ちがわきました。そばに奥さんらしい人が待っているようで、「本当にハラハラしてしまう」と言っていました。

 「アメリカだったら平気かもしれないけど、日本だとケンカになっちゃいそうですね」と、別に腹立ち紛れでもなく言ってしまいました。歳を聞くと、79歳だと言っていました。「私と大してかわらないんですね」と奥さんに同情しながら言いました。

 それから、運動談議になり、季節談議になり、私は種を蒔いていることを話しました。「弟が植物が成長するのを見ることは精神的にいいと言っていました」と言うと、奥さんは「花が咲いたらキレイですしね」と言い、私は「食べられるものだけです」と言って笑いました。

 男性は診察を終えるとすぐに出て行ってしまいました。「行かないんですか」と奥さんに聞くと、お金を払ってからとジェスチャーで示しました。

 あとで考えてみると、私もあんなだったなと思いました。男性は少し認知症気味だったのでしょう。そういう人は相手にされない分、人恋しいのです。ちょっかい出しても話をしたいのです。亡夫も人恋しい性格で、友人に会いたがり、私はいつも申し訳ない思いをしていました。病気になるまで、お酒も飲みましたから、私もいつもハラハラしていました。

 そうそう、この頃、近所の家の車が、夜になると必ず駐車場に帰ってきているのを見て悲しくなりました。我が家では夜になってもなかなか帰ってこず、駐車場がいつも空いていたことを思い出したのです。これが亡夫と私の覇権争いの人生だったと認識させられました。

2023年3月9日木曜日

 種蒔き

 寒い寒い冬でしたが、3月半ばになって、花粉の襲来とともに、やっと暖かくなってきました。もこもこの暖かい服がいらなくなったと思ったら、今度は花粉対策のつるつるの服を探し出さなければなりません。もうちょっと痩せれば着られるのにと思える服に決意は新たになるのですが、1キロくらい落ちたかと思えるころにはいつもその季節は終わっていて、また来年となるのです。

 そしてまたうずうずとわきでてくるのが、雑草と種蒔きの誘惑です。これだけ雑草が我が物顔に出てくるのだから当然種を蒔けば芽も出てくるはずです。

 そこで、植木鉢をひっくり返して、土を入れなおし、種蒔きを始めました。

 この諸物価値上がりの中、種は当然野菜です。ユーチューブにも、いろいろな野菜の栽培の様子が頻繁に上がってくるようになりましたが、なかなか同じようにはできません。

 先ずは、年を越して残っていた、小松菜、二十日大根、ときなしニンジンを撒きました。小松菜はすぐに出てきてくれました。あとはどうかなです。我が家のような植木鉢園芸では、種はどうしても残ってしまうのです。

 で、今年は百円ショップで、二袋で百円という種を買ってきました。それが、無謀にもミニトマトとナスです。種を蒔いて、よく見たら、このミニトマトはまさに植木鉢用の小ぶりのもののようです。昔の大きくなって鈴なりになるやつではありませんでした。昨年は高価なハイブリッドの苗を買って、幹ばかり大きくなって、収穫はほんの少しでしたので、今年は種にしたのですが、また不安になってしまいました。

 二袋目は何にしようかと物色して、結局ナスにしました。これも昔、苗を買って植えて、結局ほとんどならなかった経験から、それ以来植えなかったのですが、今年は挑戦です。

 さあ、身体を動かして、食べられるもの、食物繊維を供給してくれるものを育てましょう。