ものわすれ
孫が『明太子パスタ』がどうしても食べたいというので、コンビニによって買ってあげたら、非常に食べづらそうな顔をして食べて、それでも最後はお皿まで舐めていたので、美味しいのだとはわかりましたが、よくよく考えてみれば、明太子だから辛かったのだろうと気が付きました。
じゃあ、同じようなので辛くないのは何だっけと思ったのですが、出てこないのです。
この頃よくこんなことがあります。そういう時はコンピューターをあけて調べるか、娘にそれとなく匂わせて、正解を引き出します。この間出て来なくってコンピューターで調べたのは竹中平蔵がありました。侍のような名前だったと思ったのですが出てこない。
今回は、娘に二回匂わせて正解を得たのですが、すぐに忘れてしまいました。
『これって認知症』とこわくなりました。
『でも』と言い訳を探します。この頃毎日何時間もウクライナの戦況を見ているので、カタカナの名前はよく出てくるのです。例えば、バフムト、ヤヒドネ、アゾム製鉄所、コルシェンスキー通り、コンスタンチノフカ、名前もゼレンスキー、レズニコフ、ダニロフ、ザルジニー、マリャル、クレバ、クリチコ、シルスキーと出てきますし、ほかの名前も自分からは出て来なくっても、言われれば、どこ、誰とわかります。
結局、毎日接していたり、聞いていたりしているものは頭の中に入って残っているのに、あまり聞いていない、接していないものは薄れていく、シナプスの接続が遠のいてしまっているということなのでしょう。
で、どうやって思い出したか、少しづつシナプスをたどって繋げたのです。『明太子』、あれも『子』が付いた。魚の卵のことだった。『すじこ』『とび子』。『魚は何だっけ』、『鮭じゃない、あれはタラだった』。『たら子だ、たら子スパゲッティ』。
私はタラもたら子もあまり食べないので、出てきづらかったのでしょう。結局、関心が向いたところはよく覚えているのに、関心が向かなくなったところはシナプスの回線が途切れがちになるということでしょうか。安心していいやら、不安視していいやら。