2018年10月24日水曜日

ソビエト抑留

 昔、ソビエト抑留を経験した人から本を頂いたことがあります。
 若い頃だったので、世間知らずの私は金も力もなかったけれども若さという武器を持って突っ張っていました。いわゆる偉そうにしていたのです。
 その方は、地域で河川の清掃などのボランティアをしていると聞いていました。でも、歳とって、何もすることがないんだろうくらいに思っていました。
 今考えると、大変不遜な話です。でも、夫のお仲間は、そういう有閑紳士淑女が多かったのです。
 その本を読んだ時、私は、「この本は私の宝物になりました」という趣旨のファンレターを書いて出しました。
 農家の、いわゆる次、三男だった彼は、志願して、戦争真っただ中の陸軍に入り、中国戦線にいたために、ソビエトに抑留されてしまいました。誰に聞いても厳しい経験だったと言われるソビエト抑留、どうやって生き抜いたかという経験が書かれていました。
 短く言えば、分けあって生き延びたのです。
 例えば、一人が仕事先で、食糧を少しでも貰ったら、独り占めにしないで、必ず仲間で分けたと書いてありました。みんながそうすると、少しずつでも体に食糧を入れられたのです。そうして生き延びたようです。
 なんとか帰国して家にたどり着いた彼は、長兄の亡くなった家の後を継ぎ、農業をしながら、仲間を集めて、社会貢献をしてきたようでした。
 今の世の中、なかなか人と分けるなんかしませんよね。権利意識が強くなってきているのです。
 この間、野生のクルミを取りに他人の敷地に入り込んだと訴えられた人の話がニュースになっていましたが、田舎育ちの私はびっくりしました。だって、私の時代の田舎では野生のキノコやワラビを取りに、他人の山に入るのを、誰も見とがめる人はいませんでした。それを誰かが訴えたのだそうです。まさに『木靴の樹』の世界です。木一本だって地主のものです。
 そういえば、私は一度熟して道に落ちていた梅を拾ってきたことがありました。道に落ちているものは拾ってもいいんだよと聞いたことがあったからです。でも、誰か見ていた人があったのでしょう、それ以後、その道に梅が落ちていることはありませんでした。この話をすると、若い人には「当たり前」だと言われますが、私は、寒気を感じました。豊かな時代になって、人はますます欲深になったような気がします。
 弟が言っていましたが、『金持ちはケチなんだよ、人に分けられる人は決して金持ちにはならない』そのとおりだと思います。
 私は、お祭りの寄付さえケチるような生活ですが、食べ物などはできるだけ分けようと思います。それがソビエト抑留を経験した彼の教えだと思っています。

2018年10月19日金曜日

『木靴の樹』

 (きぐつのき、L'Albero degli zoccoli)は、1978年製作のイタリア映画で、原作・監督はエルマンノ・オルミである。』『映画の題材は20世紀前半の農夫の生活である。イタリア・ネオレアリズモ(新写実主義)の流れをひいて貧しいものの暮らしに焦点を当て、いろいろな場面で本物の農夫や素人を起用した。カンヌ国際映画祭のパルムドールやセザール賞の最優秀外国映画賞をはじめ14の賞を受賞した。原作は東ロンバルディア方言を使用している。』

 この映画を見てしまいました。40年も前の映画だったんですね。どうりで、白黒だったし、Jコムオンデマンドで無料だったんです。それでも、どこかでこれがカンヌ国際映画祭のパルムドールを取ったと聞いて、見る価値があるのかなと思っていたのです。
 暗いし、はじめは状況がわからないし、でも、ロンバルディアの田舎の話だと説明がありました。ロンバルディアはミラノから船で三時間くらいで行けるところらしいと後でわかります。そこに4組だか、5組だかの家族が長屋のようなところに住んでいるのです。みんな小作人で、広い土地を持っている地主は大きな家に住んでいて、土地を耕させ、高額な小作料を取っていて、逃げ出せないようにしているのです。
 やがて、それぞれの家族の問題がゆっくりと説明されていき、ああ、これが寡婦家族とか、これがダメ家族とか、わかってくるのですが、夜の娯楽のために家族たちは一か所に集まって祈ったり、話したり、お茶を飲んだり、あまりに悠長で、途中で私は洗濯しに行ってしまいました。
 その中でも、メインのストーリーになるのは小さな子供のいる家族です。学校に行かせなさいと神父様に言われるのです。赤ん坊も生まれるのにと言いますが、それでも行かせる事になり、子供は毎日田舎道を学校に通います。
 ある日の帰り、木靴が割れてしまいます。そのまま縛って履いて帰ってくるのですが、足が傷ついてしまいます。父親は、赤ん坊を生んだばかりの母親には言うなよと言って、その夜、川岸の木を切って息子に木靴を作ってやります。これが大問題だとは、現代の私たちには思いもよりません。でも、ここは川岸の木一本も地主のものなのです。やがてばれて、家族は追い出されてしまうのです。「赤ん坊もいるのに死ねと言うのと同じだ」と憤りながらも、他の家族はどうすることもできずに、息をひそめて、少年が泣きながら馬車に乗り、去っていく家族の気配を感じ取っています。
 神父様、どうにもできなかったのかなと思ってしまいましたが。
 パワハラって、昔からあったんですね。
 今、サウジの皇太子のパワハラがジャーナリストの殺害にまで行ってしまった話が取りざたされていますが、お金と力を持っている人たちは何でもできる、自分の意に従わなければ、死ねということだってできると思ってしまうのですね。
 みんな、一度は貧乏を経験すべきですね。私が言うのもおかしなものですが。

2018年10月12日金曜日

選ばなかった道

 この間、『ブラウン神父』を見ていたら、もちろん前に見たやつでしたが、久しぶりにローデシアから帰ってきたという設定で、シドとレディ・フェリシアが出ていたので、ついつい最後まで見てしまいました。以前にも出てきたМI5のウィティカ氏に追いかけられるという設定です。
 その中でいつものように、お騒がせなレディ・フェリシアが何度目かの道ならぬ恋をして、それでも最後は「一緒に行こう」という男性と駅で涙ながらの別れをするというドタバタ物で、いつもと何も変わらないと思わせる悲喜劇でした。
 でも、その最後に、レディ・フェリシアがいうのです。「あなたは私が選ばなかった道なのよ。あなたと一緒に行ったら、きっと二人とも後悔するわ。」と。
 『ああ、これだ』といつものように思いました。
 人生長く生きていて、困難が降りかかってくると、私だけじゃないと思いますが、『ああ、あの時違う道を選んでおけばよかった。』『違う人と結婚するという選択もあったはず。』『劇団の募集に応募したのに行かなかった。あの時、ちょっと勇気を出して行ってみてもよかったはず。』とか。
 でも、みんな『私の選ばなかった道』だったんですね。考えてみれば、私はいつでも一番安全な道を選んできたのです。
 わがままで気が小さく、もてない私がやっとたどり着いた結婚。その時代一番安全と言われていて、親も望んでいた家庭と主婦業。それが波乱万丈で全く予想と違っていたとしても、私が選んだ道だったのです。
 そのあとは推して知るべし。流されながらもここまでたどりついて、やっと『人生とは』と考える時間ができて考えると、『私って本当にばかだったな』と思います。『考えなしにここまで生きてきてしまった。』
 やっぱり、『ゆとりの時間』て大切です。考える時間なのですから。これからは、常に『どう生きたいか』を考えながら、適切な選択をして生きていきたいと思います。

2018年10月5日金曜日

庭のなす

 娘が安い種を買ってきてほっぽっておいたナスを、種から育てて植えておいたのですが、この夏の暑さの中、ほとんど実がなりませんでした。ここにきて、涼しくなり、やっと実がなりだしたら、どうも細い長ナスでした。それでも、漬物にしたりして、この野菜高騰の中、重宝しています。
 で、草取りをして、少しはきれいになった空き庭に、また種を買ってきて一部に蒔きました。何度か育てたことのある水菜と春菊、これならずぼらの私でも、水さえやっていれば食べられると思うのです。
 今年の暑さと災害、それとインフレ傾向により、すべてが高騰している中、庭ともいえない空地の野菜は重宝しました。ほとんどが細いニラと小葱ですが、雑草のごときシソ、桑の葉や植えっぱなしのアスパラ、ハーブのミントまで天ぷらにしてみました。結構食べられました。
 こんなに野菜やモノが高騰して、家計が追い上げられているのは我が家だけでしょうか。よそ様は、株価の高騰とか、給与の上昇とかで恩恵があったのでしょうか。我が家の近くの空き地にもどんどん建売住宅が建っています。結構売れていくみたいです。安い金利でお金を借りているのでしょうかとバブルショックを体験している私としては心配です。
 特に、金持ち国に牛耳られて、破綻している国や、新しい植民地のように扱われている国をニュースで見ると、戦争ってこうして起こったんだなあと思われてきます。
 戦後の民主主義の高まりの中で育ってきた私たちには、その世代の人たちが亡くなりつつあるということで、世界が変わりつつあると感じられるのですが、変わりつつあるのは地球の気候だけでしょうか。
 気候の変動と戦うだけでも風水害や噴火、地震、津波と、こんなに大変なのに、これに人為的なものが加わったら、今度こそ消滅です。人は人がいなかったら、助け合わなかったら生活できないと、孤独趣味の私でさえわかるようになったのですから、みんなさんわかっているのでしょうね。
 地球の皆さんはいったい、どこに向かっているのでしょう。