2016年12月24日土曜日

お金はどうやったら

 先日年末ジャンボ宝くじが発売になりましたが、テレビで、買いに来た私くらいの年配の女性が、インタビューに、「家が傾きだしたので、何とかしたいと思って」と言っていました。私とおんなじ。でも当たらないのですよね。
 だから、一枚だけ買って、夢を楽しむことにした話はしましたっけ。どうせ当たらないのだから、発表までのおよそ一か月、どうしようか、こうしようかと夢を転がせながら、気持ちを高揚させていると、幸せですが、当たらなかった時の失望もそれなりにあります。でもです、300円ですから、寄付したつもりになってもそれはそれで幸せですよね。腹はそんなに痛まないし、誰かのお役に立てた満足感を感じることができます。傾きだした家のことは見ないふりです。
 この間テレビで子供の貧困の議論をしていましたが、これは今に始まった問題ではありません。わが家の貧乏話は散々しましたが、人に乗せられやすい夫のためにどれだけのお金をバラまいたことでしょうか。散財の話を持ってくる人、陰で「馬鹿だなあ」と思いながら笑っている人、友達と思っていても誰も何も言ってくれません。最も誰が何を言っても、信じてしまっていい気分になっている夫は止められないのでしょう。私や娘たちでさえ止められなかったのです。といって,夫が善人だと言っている訳ではありません。策士策に溺れる。ペテン師は騙されやすいのです。
 そんな風でしたから、わが家は「子供の貧困」の先駆けのようなものでした。私ももちろん働いて返済していくのです。そうしている間に、また散財してくるのです。あの頃を思うと泥沼でしたね。仕方なく、私は自分の仕事を辞めて、夫の仕事を掌握してしまったのですが、それで、内情を分かったうえで親に借りたり、銀行に掛け合ったり、現場仕事を一緒にしたり、やっと全部返済できたときに、親は亡くなりました。迷惑をかけました。
 子供たちに近くでこの悪戦苦闘を見せたくなかったので、アメリカの大学に入れました。あの頃第二次ベビーブームマーでなかなか国公立には入れなくて,円高でドルが安かったのです。それで、何とか親の務めを果たして、そこまでとしてもらいました。
 もう一つ、「タクシードライバーの十年後」というドキュメンタリーも見ました。十年前、北海道根室市の小さな寒そうな借家で、タクシードライバーの女性が夫と子供二人と暮らしていました。二歳下の夫は遠洋漁業の漁師で、帰ってくるのは月に一度、心臓病を抱えながらの仕事でした。でも妻は行くなとは言えないのです。夫婦には望みがあって,新しい家を買って、娘はその家から嫁に出したいと思っていたのです。そのために二人で一生懸命働いていました。
 十年後、郊外に家を買った一家に不幸が訪れていました。二年前、夫が64歳で心臓発作で出稼ぎ先で亡くなっていました。息子は独立し、娘は十年前と同じバス会社に勤めていて、まだ独身、まだタクシードライバーをしている女性と一緒にローンの残る新しい家に住んでいました。二人はお父さんの遺影を見るたびに泣き、お父さんが研いでくれたという包丁を使えないと泣き、優しい心を思い出しては泣き、寒い根室で抱き合うように暮らしていました。
 でも、これ、普通の暮らしなんですよね。私の家も、女性タクシードライバーの家も、貧しくてもまだなんとか食べられたのです。
 今、子供食堂の活動が盛んになっていると言っていましたが、シングルマザーが多くなり、進学どころか食べるのがやっとという生活が増えているということなのでしょう。せめて食べることだけはと誰もが思うのでしょうね。
 「戦後はみんなが貧しかったから」と、お嬢さん育ちでプライドの高かった姑が言っていましたが、今は豊かな人もたくさんいるのに食べるものにも困るなんてと思えてしまうのです。そして,大人はなんとか食べ物を探すのですが,子供は探すすべをまだ知らないのです。

2016年12月20日火曜日

経済活動が無ければ

 人と接するのが苦手だと何度も書きましたが、昔はこんなことを言ったら、なんと思われるかしらとか、自分が言ってしまったことが後々まで頭の中に渦巻いていて、後悔したり、自己嫌悪になったり、人生の半分も外で活動できていないと感じていました。
 でも、この歳になってみると、割り方楽に人と接することができている自分に気が付くことがあります。つまり、どんなことを言っても、自分の賃金に反映されることはないのです。どんな風に思われても、自分の生活に影響することはないのです。
 後悔したり、自己嫌悪に陥ることはまゝありますが、忘れてしまおうと思ったり、もうその人に会わないようにしようと思えば、それで生活できるのです。
 経済活動をしていないというのは本当に気楽なものです。
 その気楽さの中で、人にも優しく寛容になれてきている自分に気が付きました。お金はあまりないですから、騙されると疑う必要もないですし、若くはないから、色恋沙汰になることもない。よく、年金暮らしのシニアがボランティア活動をしている話を耳にしますが、頷ける話です。
 でも、これも組織だったボランティアだと嫌ですね。気楽な優しさだけとはいかないですから。組織の中に入ると、経済活動というか、社会活動というか、責任感などという重荷が表に出てしまうのです。
 今、私は心の中で一生懸命周りの人にやさしく、できる限り人の役に立とうとしています。外に出たくない私が実行しているのですから、誰も気が付かないようなほんの少しのことです。他の人は、若い人も老人も、普通にやっていることなのでしょうが、私はこの歳になって初めてそれを人知れず、一生懸命実行しているのです。

2016年12月15日木曜日

佐治家、森家

 この間、世界の資産家ランキングというのがネットに出ていました。50くらいでしたか。その中に、入っていた日本の資産家はこのサントリーの佐治家、森ビルの森家のようでした。それでも下のほうで、上位には韓国の企業家が並んでいました。
 条件に制約があるランキングでしたが、私は下のほうでよかったなと思いました。
 昔弟が、『人に施してしまう人は金持ちになれない。金持ちというのはドケチなんだよ」と言っていましたが、そう考えると、貧乏人の私はほっとします。いっぱい持っているのに分けない後ろめたさを感じないで、気持ち的に楽だからです。まあ、佐治家でも森家でも、多くの人を養っているという誇りは感じているでしょう。みんなそれぞれ、自分を肯定して生きているのです。世界中の一人一人が。

2016年12月11日日曜日

オーストラリアの難民政策

 社会的に暗い面を描いたディケンズや松本清張氏の社会派小説が暗くて馴染めないと書きましたが、私にはというか、みんなそうだと思いますが、暗くて醜悪な面を見たくないという潜在意識が働くのですよね。楽しくて、心許せる風景や人間性や人間関係にほっとしてニコニコとドラマをみているのです。『ブラウン神父』なんてまさにその典型です。
 でも、現実は、違うのかもしれません。イギリスは遠いし、寒いので、中東の難民が押し寄せることもあまりないのでしょうが、この間イタリアの刑事ものを見ていたら、難民の船が来た話が出てきました。ドラマにさえ書き込まざるを得ないくらい日常茶飯事なのでしょう。まさに、ロンドンに流れ込んだ19世紀の貧民たちのようなのでしょう。
 そして、この間BS1でやっていたオーストラリアの『難民“絶望”収容所』というドキュメンタリーを見て、あの明るくって、豊かそうに見える『あのオーストラリアで』と目を疑ってしまいました。今、オーストラリアは船で来る難民を国内に入れず、南太平洋のナウル共和国とパプアニューギニアのアヌス島にお金を出して強制収容しているのだそうです。塀で囲まれた劣悪な環境の収容所に何年も収容されている人たちは、絶望のどん底で、自傷行為や自殺や暴動を繰り返していると内部告発されたのです。内部の映像はほとんど隠しカメラで撮られたもので、責任者のインタビューは取れず、「オーストラリアは船で来る難民を自国に入れない」という大臣のコメントが随所に流され、告発した人たちが口々に『怖かった』と言っていました。
 助けてほしいんですよね。歓迎はしてくれなくっても。差別はあっても、労働力としてでも生きる場所を与えてくれたらいいのにと思ってしまいます。
 このドキュメンタリーは1970年代ベトナム難民を9万人も受け入れた、『マルコム・フレーザー首相に捧げる』として作られています。でも、今でもオーストラリアは年に1万5千から2万5千人規模の難民移民を受け入れているという記事も目にしました。世界が小さくなってルートがたくさんでき、更により多くの人々がより良い場所を求めて動き出しているということなのでしょう。みんな住みづらいところは嫌なのです。
 無制限の受け入れをしていたドイツがナチの元収容所に受け入れ施設を作ったというニュースもありました。先進国は、押し寄せる難民に負けじと、自国第一主義に変わりつつあります。どうなってしまうのでしょう。

2016年12月10日土曜日

英国ミステリー噂話、19世紀のイギリス

 AXNのミステリードラマが面白くなくなったという話をしましたが、番宣をいくつか見ていると、19世紀のイギリスは貧しくて、食べられない人たちが、ロンドンへロンドンへと集まってきたようです。当然、ロンドンへ来ても食べられない。そこで犯罪が横行し、犯罪を取り締まる、刑事たちが募集されたということでした。
 それはディケンズが活躍した時代のようで、ディケンズは時代を取材するために、貧民街を歩き、取材し、そして、最初の刑事といわれるウイッチャーにも取材したということでした。(余談ですが、私の好きだった『ウイッチャーの事件簿』は四話で終わってしまったようですね。)
 代わりというわけでもないのでしょうが、このところ、ディケンズの作品がよく放映されています。ディケンズの作品のキャラクターを集めて登場させた『ディケンジアン』。そこに出てくるキャラクターたちが描かれた『オリバーツイスト』、『ブリ―クハウス』など。私は『ブリ―クハウス』を見たのですが、他のよりはいいという感じでした。
 暗いんです。それと人物が固定化されていて、おバカはおバカのような生き方をし、いい人はあくまでもいい人で、悪人は反省の色もなく悪人です。英文科でありながら、ディケンズを読んだこともない私がいうのもおこがましいのですが、あの時代、犯罪は蔓延し、題材には困らなかったようですので、当然そんな時代背景が出ているのでしょう。日本の戦後の時代に社会派小説を書いた松本清張氏に似ているような気がしました。題材に事欠かなかったのです。でも、時代が変われば、その時代の感覚は薄れてしまって、戦後生まれの私は社会派小説よりも、初期のころに書かれた『西郷札』のほうが好きです。
 今でも放映されているということで、古典化しているのでしょうが、現代人にはラムのシェークスピア物語のようなアレンジがほしいような気がします

2016年11月26日土曜日

英国ミステリー噂話、最新事情

 円安で、景気が良くなってきて、中古住宅も高いわりにいいものが無く、新築の建売がどんどん出ているという話をしたことがありましたが、いまだにその傾向はつづいています。
 そういえば、先日年末ジャンボ宝くじが発売になりましたが、買いに来た私くらいの女性が、インタビューに、「家が傾きだしたので、何とかしたいと思って」と言っていました。私とおんなじ。
 話がそれてしまいましたが、この頃、これはAXNの英国ミステリー放送にも影響しているのではないかと思い出しました。この頃、ポアロやマープルの再放送ばかりで、新しいのといえば、怪奇な恐ろしげなものばかりです。昔は『英国で大人気の』という大見出しがついていたのに、今はありません。
 オンデマンドで見ればいいと思いますが、そんな余裕も時間もありません。一日の中で、これとこれを見てというアクセントにしているのです。
 不景気といわれる英国で、重厚なドラマが作られなくなったという見方もできるかもしれません。でも、シェークスピアの国ですからねえ。ドラマは輸出品になっているはずです。ということはやはり、円安で、以前みたいに買えないんじゃないかと思ってしまいました。
 昔はチャンネル銀河やNHK、LaLaTVでも結構秀逸な欧米の海外ドラマ放送は盛んでした。今は韓国や中国のドラマが主流です。好きな人はそれでいいのですが、私みたいに英国ドラマを楽しみにしている人には寂しい現実です。仕方がないので、この頃放送される、フランスやスイスのドラマを時々見ています。どうせ字幕を見ているのですが、慣れた英語から受ける印象と違います。ちょっと寂しいです。
 円安で景気は良くなっているのでしょうが、モノが高くなって、一長一短ですね。

2016年11月16日水曜日

眠れない夜は

 歳のせいか、このところ、眠くなくて、夜中の二時三時まで起きて、テレビを見たり、ネットを見たりしてしまう事がありました。そんな時は昼間に二十分程度の昼寝をしてしまいます。それで、五時間とか、七時間とかの睡眠を補っています。
 まあ、時間は自由なのですからそれでもいいのですが、眠れなくって起きていて、する事も無くテレビを見ていると食べてしまうのですよね。
 で、何とか早く寝る方法はと、十時頃には布団に潜り込むのですが、やはり、眠れない時は、また起き出して来ます。
 一時期、家に漢方の古い睡眠薬があったのを思い出して、飲もうかとさえ思いました。でも、そこは薬嫌いですから、我慢しています。
 寝る前に散歩をするといいというのを、昔、聞いた事がありまして、夕方、散歩に行った事がありましたが、夕方でさえ、暗くて怖いと思ったのですから、寝る前になんてとんでもありません。
 そんなあるとき、テレビを見ながらマッサージ機にかかっていたのです。昔は、マッサージチェアを買って使っていたのですが、処分が大変なのでもう買いません。そのかわり、小さな椅子に当てて使うマッサージ機です。それでも十分です。
 話がそれましたが、そのマッサージのあと、布団に入りましたら、すぐに寝られたのです。
 それ以来、私はこれを日課にしていますが、やはり、人によって違うでしょうね。便秘対策で、人がやって、いいというモノを私がやっても治らないのと同じです。でも一度試してみる価値はあると思います。

2016年11月10日木曜日

このひと月

 一ヶ月ぶりの更新となってしまいました。いったいどうしていたのでしょう。
 まず広島の優勝ですよね。そのあとのパレードと黒田選手の引退。数々のネット記事,選手達の手記やファンの皆さんが涙ながらに書いてるブログをたくさん読んで一緒に涙を流していました。
 結局,パレードはニュースでしか見られませんでしたが,そのあと数日して,動画があるよということをファンのブログで知って,全行程を見ることが出来ました。そのあとの.優勝報告会と黒田選手の引退セレモニーの動画もあるようでしたが,まだ見ていません。今度,もう少しゆっくりしたら,見ようと思ってブックマークに入れました。ニュースでは,何度も見たのです。
 その後,家族の体調不良が続き,元気な私は痛い足腰を引きずりながらも大忙し。
 そうそう,洗濯機が壊れて買い替えたので,一週間ほど足踏み洗濯をしていました。
 その後,ミシンが正常に動かなくなり,コンピューターも壊れました。誕生日がきたので,上の娘にミシンをねだり,下の娘にいらないコンピューターを貰いました。いよいよ68歳です。コンピューターなんか特に慣れるまで大変です。
 でも,こうも続けて機械が壊れるということは何かの前触れでしょうか。
 そして,世間の大ニュースが続きました。韓国大統領の不祥事。アメリカの大統領選挙で、やっと次の大統領が決まりました。テレビで見ている限りですが,皆さん不安そうですね。でも,この歳になるとわかりますが,世の中って,安定なんてないんですよね。そんな中で,戦争だけはしてはいけないというメッセージのドラマやドキュメンタリーがいかに多いか,このところ気づいています。
 そんな不安定な世の中を、どうやって生きて行くか,私は櫻井よしこさんが書いた,『何があっても大丈夫』という本をお薦めします。これは波瀾万丈の人生を生き抜いたお母さんの口癖だったのだそうです。桜井さんの人生も波瀾万丈だったようですが,この言葉を胸に、落ち着いて対処できたのでしょう。
 さてそんな中,私のダイエット計画は頓挫してしまいました。これは言い訳ですね。
 黒田選手が言っていました。いつも野球の神様がいると信じて,一生懸命やって来たと。
 私も,ヨガの神様がいると信じて,ここひと月ほど、出来なかった30分のヨガを再開しました。食事制限をして,体が弱くなっては,人を支えられないからと、食べ過ぎてもいましたが,心を入れ替えて、さあ,また今日からです。

2016年10月3日月曜日


人生は変えられる

 そんな言葉を何かで見たか聞いたかして、本当かなと自問自答していました。
 つらつら思うに、人生が変えられるとは、それによって、経済的によくなる事だと思いますよね。
 あるとき、しくじり先生で、先生役をした会社社長が、大損失を出してホームレスにまでなり、それまで、冷徹の虎と呼ばれていたくらい自分だけを信じて頑張って来たのが、間違いだったと反省し、人を信じるようになり、人に仕事を任せるようになって、V字回復を果たしたという人生を告白していましたが、まさにあれが、「人生は変えられる」だと思っていました。
 そんな事できるはず無いと思いました。人と関わりたくない対人恐怖症の私に。
 しかし、更に考えてみると、なぜ人が怖いんだろうというところに行き着きました。それは人を信じていないからなんですよね。社長と同じです。勘ぐるんです。あの人はああ言ったけど、裏では違う事を言っているんじゃないか、軽蔑しているんじゃないかとか。
 それは、何遍もそういう場面に出くわしたせいもありますが、きっと自分もそういう人間だからなのだろうと思います。何せ、小説家になりたかったくらいですから、きっとそうだという思い込みが激しいのです。疑心暗鬼になって、関わりたくないと思ってしまう、まさに人を信用していない状態です。
 でも、この頃、これを経済活動と切り離して考えてみると、人の好意を疑う必要がないという事に気がつきました。人の言った事、もちろん面と向かって悪い事をいう人は少ないのですが、それをそのまま受け止めていいんだと考えると、気が楽になりました。人を信じるという事ですね。
 実は「人生は変えられる」という言葉をどこで聞いたのだろうと、考えていたのです。二度同じ場面を見た気がしまして、ああ、ここで聞いたんだとその時は思いましたが、また忘れてしまいました。メモしておかないとダメですね。そんな歳になって、人生が変えられたとしてもあまり役には立たないような気もしますが。
 経済的に豊かで、お金のある人は、どうしても経済活動に関わってしまいそうなので、用心も大事ですが、幸いにも家には騙されるようなお金がありません。ちょっとした車検の払い過ぎでさえ引き締めているくらいですから。まあ、高い車検くらいなら、会社の方針程度で、悪意でもないのでしょう。経済活動って、それ自体が人から利益を得るという行為なのですから。

2016年9月24日土曜日


Tシャツのリフォームーとと姉ちゃんを見ていて

 大正生まれで、戦争を町中で生き抜いた姑は、戦後のモノの無い時代を振り返って、あの頃はみんなが貧乏だったからと言っていました。つまり、バブルの時代になっても、貧乏でふがいない私達、息子や嫁を見ての事です。
 姑の時代はまさに、あのとと姉ちゃんの世界です。戦時中、東京から地方都市に四人の食べ盛りの息子達を連れて帰って来た姑は、それは大変だったろうと思われます。夫は栄養失調でお腹がふくれたと言っていました。
 姑はお金持ちの商家の生まれで、物持ちでした。着物や帯を次々と食べ物に買え、ある時、上の息子達に帯を託して、食べ物と換えて来るように頼んだようです。その帯を息子達は無くしたようでした。どうやったら無くせるのか疑問の湧くところではありますが。姑は怒り心頭に発したようですが、息子達は極楽とんぼです。後に成功した兄が、極上の帯を返したと言っていましたが、その時のわだかまりまでは消せなかったようです。
 そんな姑ですから、着道楽の始末屋でした。箪笥の肥やし寸前の着物を何竿も持っていて、洋服にリフォームしては華やかに出歩いていました。若い時や忙しい時は、体に合わせて買っていた洋服を、時間ができた事もあり、少しずつ直して着るという私のリフォームはそんな姑を見ていて始まったのです。
 バブルの時の借金をやっと返し終わった私達ですが、貧乏はずっと継続しています。貧富の格差が大きくなったといわれるこの時代、いくら少しずつと貯金に廻しても、モノの値段は先を行って上がって行きます。それが分かったのは、いつか中古の住宅を買いたいと思って、ずっと値段をチェックしていたからです。中古住宅が余る時代になると言われていたのに、これだけ新築の住宅が建てられているのに、中古の住宅の値段は下がらないのです。だから、ちょっと安いと思われる中古住宅はすぐに買い手がついてしまいます。
 そんな掘り出し物が出た時に、ぱっと手を挙げるためには、それだけのお金がなければできません。そのために節約しなければという事で今実践しているのが、着るもののリフォームです。今、洋服はほとんど買わないと、前にも書きましたが、母の遺品、今の私の体型に似ているので、ほとんど直さずに着られます。娘達のお上がりや姑の遺品はしばらくしまい込むか、少し広げて着ています。
 古くなったTシャツを、私はショーツにリフォームしています。娘は袋状にして、ひもを通し、もの入れにしていると言いました。もちろん汚れたモノは切って、あちこち拭くものにして、最後は洗わずに捨てます。靴や靴下以外は、直しながら着れば、ほとんど買わずに済むのではないかと思っています。

2016年9月20日火曜日


倉捕手の引退

 さあ、セリーグ優勝も決まった、とほっとする時期は、次々と引退も発表される時期でもあるんですね。
 広島でも、倉捕手と広瀬選手が引退と発表されました。私、黒田投手といつもバッテリーを組んでいた倉捕手が好きだったんです。捕手って、重要なポジションの割にあまり華やかではありませんよね。エースのように勝利数が数えられる訳ではありませんし、古田さんのような才能のある人は別にして、二千本なんてヒットもなかなか打てません。それほどハードなのだと思います。だって、立ったり座ったりしながら投手と同じだけ球を投げている訳ですから。ある意味準エースです。
 記事に倉捕手が、『黒田さんが帰って来るまでは現役でいようと思っていた』と書いてありましたが、それが倉捕手のモチベーションになっていて、一軍出場のできない過酷な辛い状況でも自分を鼓舞し、四十一歳まで選手を続けてこられたのだろうと思います。
 それが倉捕手の精神的な支えだったのだろうと思いましたが、反対にそうして待っていてくれる仲間がいたという事が、黒田投手が現役のまま広島に帰って来るモチベーションになったのだろうと思います。新井選手の復帰もそうかも知れませんが、倉捕手や鈴木本部長の信じて待ってる姿勢も、黒田投手の拠り所だったと思います。
 新井選手の記事に、『広島を去りたくはなかった。しかし、金本選手と一緒に野球がしたいという気持ちもあった。でも、黒田さんがメジャーに行かなければ、僕も行かなかっただろう』と、いうのがありました。
 私のようなあまり人と付き合わない人は、『なんて、自立心の無い』と思ってしまいそうですが、結局、人は自分を分かってくれる人と一緒にいたいのです。辛い事も一緒に頑張りたいのですね。私のような人は、頑張れないのです。すぐに諦めてしまいます。すぐに『どうせ』とか言ってしまいます。
 今年の広島はまさに『神って』ましたが、監督を始め選手みんなが『今年のチームは最高です』『チームが一丸となっています』というように、皆がお互いを信頼して、がんばりを認めあっているから、神懸かり的な勝利が次々と生まれたのでしょうね。小窪選手という絶妙なコーディネーターがいたようではありましたが。
 いよいよの十月決戦で、どうなるかは分かりませんが、悔いなく戦ってもらって、また、来年は新しい若いチームが生まれるのでしょうね。
 このところ、野球ブログのようになっていますが。

2016年9月17日土曜日


弱気ー広島の優勝について思う事

 『消え入りたい』という言葉がありますが、この頃、よく意味が分かった気がします。気の弱い私ですが、若い頃はあまり考えた事が無かったのです。この頃、『いつか死んでしまえば消える事ができるのだ』と思います。だから多分若い頃は、死というものが身近にあるとは思っていなかったのでしょう。
 この度,広島の優勝の経過をつぶさに見聞きして、選手やスタッフの成長を目の当たりにして、皆、強気もあるだろうが、弱気もあるだろう、それを練習して、考えて、乗り越えて、あんな大人の考えや言葉が出てくるようになったんだなあとつくづく思いました。
 一番先に感じたのはジョンソン投手です。アメリカではあまり成功せず、二年前日本に来てすぐに、準完全試合をした時に、一番最初にキャッチャーの石原選手のおかげだと感謝の言葉を贈りました。以来くすみかけていた石原選手がみるみる輝き出しました。苦労人なんだなと思いました。今年シーズン中に広島とあと三年の契約を結びましたが、誰が見てもそうだったのだろうと思います。
 そして最多勝を争う今、『野村と一緒に取れたらいい』と言いました。それに呼応するように、野村投手が『ジョンソンが言ってくれましたが、本当に一緒に取れればいいと思います』と言いました。これだったらチーム内がまとまるはずです。頭もいいのです。
 最初の頃に活躍した天谷選手が言った言葉も心に残りました。『石原さんや新井さんが老体にむち打って頑張っている。若手は活躍している。俺たち中堅も頑張らないと』。そして赤松選手,『ベンチにいる者はみんながレギュラーだと思っている』。
 比嘉広報の『コマブロ』をいつも見ているのですが、試合に勝ったあともブルペンで素振りをしてからロッカールームに行くという若手選手達の写真が時々載ります。きっと、それをしなかったら、弱気になってしまうのでしょうね。これだけやったという自信が強気と余裕になるのでしょう。
 応援に行ってくださるファンの方々も含めて、ありがとう広島。

2016年9月15日木曜日


印刷機

 暑い夏がやっと終わりそうです。
今年の進化テーマにあげたグリーティングカードのアップがやっと完了しました。たった五種類だったのに、八月で半年と言っていたのですから、夏を通り越して、更に一ヶ月もかかってしまいました。
 確かに夏は忙しいのです。あの時、やっとコンピューターに取り込めたという話をしていたのですが、その間に広島カープの優勝騒ぎがあって、記事を読んだり、ブログを読んだり、試合を見たり。ダイエットはフルグラダイエットに移行したのですが、今のところ全く機能していなかったり。更にはびわの木に毛虫が大量発生して剪定をしたり、台風に痛めつけられながらも、葡萄が紫色になり出したり。
 この前、印刷をしようとしたらインクが無い、町で探しても古いので売っていなくって、ネットで安いインクを見つけて買って、まだ開けていないと書きましたが、開けて使ってみたら、これが大問題。全く、家の古いインクよりひどいのです。ネットショップも善し悪しですね。
 もう諦めかけていたら、たまたま行った量販店で、見つけたのです。思わず、カラーと黒を買って来てしまいました。これが八千八百円です。ちなみに家の印刷機は十年以上前に一万円で買ったのですが、インクが高いのです。もうこれで最後と思って買いました。使わないのにインクを入れっぱなしにしていた私も悪いと思って、今回はきれいに掃除もしました。そうしたら、トイレットペーパーが一巻き無くなるほどインクが漏れていました。
 きれいにして、新しいインクを入れて印刷してみたら、小さいですけれども、グリーティングカードが印刷できました。
 私の絵なんて、売れるはず無いのですから、やっぱり道楽ですよね。お金をかけて、グリーティングカードという商品にできた事がうれしいのです。売れない時は、私がグリーティングカードとして友人に送ります。

2016年8月23日火曜日


前向きに考える事

 お盆のせいで、考えた訳ではありませんが、昔、「人生意義なし」と叫んで華厳の滝に飛び込んだ東大生がいたそうです。確か中学生のとき、歴史の先生だったと思いますが、話してくれました。話してくれたという事は、先生自身もある程度のショックを受けてよく覚えていたのでしょうね。
 あれ以来、何か失敗をしたり、落ち込んだ時等によく思い出しました。何せ、対人恐怖症なのですから。私の思い込みかも知れませんが、対人恐怖症の恐怖とは、人と話をした直後から起こるのです。自分の言った言葉、相手の言った言葉が気になって頭から離れないのです。
 例えば、先日瓜をたくさん頂いたのですが、瓜は早くに弱ります。で、いつも野菜を頂くお隣に声をかけました。お隣はキュウリを作っているのでいらないと言いました。ちょうど、そこにいた道一つ向こうの家のご主人にも声をかけました。「今から仕事に行くんだよ」といわれました。
私は「ごめん」と言って、網戸を閉めました。その後からずっと気になったのです。あとで持って行くべきか、いや、野菜を作っているからあるのかもしれない。少しばかり持って行っても迷惑かもしれない。結局、持って行きませんでした。持って行かなかった事が、何か口先ばかりだったようで、更に頭に残りました。
 こんな気の小さな人間が社会で生きて行く事は、かなり難しいのです。会社に勤めていた時も、ああ思われているんじゃないか、こう思われているんじゃないか、と、いつも疑心暗鬼になっていて、そのくせ、できない人を軽蔑するのは人並みにやっていたのです。馬鹿みたいです。そんな風だから、仕事は長続きしません。同じ職場でしたが、辞めたり、また勤めたりと、何度か往復しました。
 それを考えると、収入は少なくっても今のネットショップは私に向いているかも知れません。内弁慶で家にいられるし、あまりリピーターのお客様がいないので、月に二、三度、一度きり後悔の無いように心を込めて応対すればそれで終わりです。
 人間ってこうして自分の居場所を見つけて行くのかも知れません。
 だから、人生に意義はないかも知れませんが、少しずつ,自分を知り、人を知り、人の役に立ち、自分の居場所を見つけ、平和な世界で、内面的に進んで行く事は、死にたいと思うほど不愉快な事ではありません。そういう世界をみんなが見つけられるようにできると、世の中が幸せに包まれるのかも知れません。つたない私見ですが。

2016年8月15日月曜日


ロシアからの便り

 私のブログが奇妙だという話は前にもしましたが、今回、また、四十一個ものロシアからの便りがありました。誰がロシアから日本語のブログを見に来るのでしょうか。
 このところ、英国ミステリー噂話が割り方読まれているらしく、一日に三、四個のページビューはあるのです。その記録がかすむくらい、一気に四十一個が突き出ているのです。
 何か不気味ですよね。私がグーグルでブルグを始める二年くらい前の閲覧記録が出てくるのですから、その人と、重なっているのかも知れません。まあ、毒にも薬にもならない内容ですから、害はないと思いますし、ネットバンキングはやっていないので、大丈夫だと思います。

2016年8月8日月曜日


仕事の時間

 このところ、仕事が滞っています。新規開発商品のグリーティングカードの印刷がなかなかできない話は前回しましたが、それだけではありません。
 絵を用意して、昔のカメラを捨てて、慣れないタブレットPCで写真を撮って、線が無くって、いつも使っているコンピューターに取り込めなくって、娘の助言で、メールでデスクトップPCに送ることができ、サイズを整えて、いざ印刷してみたら、色が出なくって、インクを買いに行ったら売っていなくって、ネットでやっと買っても、まだ開封していない。暖かくなる頃から始めて、今八月ですから、もうかれこれ半年になってしまうのではないでしょうか。
 これって、障害に出会ったからばかりではないのです。もちろん、私に進取の心構えが無い事も多いに関係しているのですが、暖かくなると忙しくもなって来たのです。
 草取り、ヨガ、運動、掃除、料理、買い物、これらは今最優先の私のボディケアの為に、どうしてもやらなければならない事です。足腰がいたくって、体重を減らさなければならないのです。ある程度、心との戦いで、気持ちがそっちに取られてしまっているのです。
 だから、午前中を全部仕事の時間として、コンピューターの前に座っている事ができないのです。そうそう、暑さ寒さの変動で夏物衣類の出し入れや修理もありました。
 でも、これでは、新規開発商品の仕事は進まないままに溜まってしまうばかりです。くわえて、エブリカラーショップの商品をメープルショップに移したので、展示商品が少なくなってしまって、まだ入れていない本を探して打ち込まなければという仕事も出て来ました。今年の夏は値段の改定をする時間がありません。
 そうなんです、どうしても、午前中は仕事時間と決めて、コンピューターの前で、思いつく限りの仕事をこなす時間を取らないと、仕事とフラストレーションが溜まって行くばかりです。
 で、今日から始めました。早起きしたら、朝ご飯は簡単なものにして、コンピューターの前に座ります。
 キーボードの台を一段高くして、今流行の立って仕事のできる態勢も整えました。やってみると、ちょっと脳の集中力が落ちるような気がしますが、これも馴れでしょうか。今のところは立ったり座ったり、どちらでもやっています。
 午前中、6時から10時くらいまで、四時間くらい、もちろん休みを取りながら、立ち仕事ができると、そんなに激しい運動ではないから、そんなに疲れもせず、でも、いい運動になりますよね。と期待しています。
 昼ご飯も簡単なものにして、後は今まで通りの家事や買い物をして、夜の野球観戦のためにちょっと昼寝の時間を取ると、体が楽のような気がします。
 このためには、家事の分業も大事ですよね。洗濯とゴミ捨ては夫に丸投げにしないと、彼の運動にもなりません。食事の支度も一食くらいは丸投げでいいかも知れません。
 それでも、仕事を始めて見ると、夏の野菜の水掛けなどに頭が行かなくなり、かわいそうな事をしてしまう事もあります。

2016年8月2日火曜日


HP

 これ、ホームページの事ではありません。ヒューレッド・パッカードというかっこいい名前のコンピューター会社の事なんです。この会社の印刷機が使い易いと思ったので、一台目が壊れた時に、迷う事なく買ったのです。もう十五年以上前になると思います。その時、とても安かったのです。一万円で、更に、コンピューターを買うと半分か全額かが引かれたような気がします。だから、実質、半額か、無料でした。
 所がです。これはカラー印刷機でインクのカートリッジが二ついります。それが驚くほど高いのです。コンピューター初心者の私には驚愕でしたが、買わないと印刷できません。二つで一万円弱でした。この十五年ほどの間にそれを何回買った事か。あまり使わないとは言え、一年に一ぺん買ったとしても十五万円ですよね。
 しかし、それも前途が危うくなって来ました。先日二個ずつ余分に買っておいた買い置きが無くなったので久しぶりに買いに行ったら、どこにもないのです。三軒くらいはあたりました。
 娘に相談すると、「ネットで買ったらどう」というので、藁にもすがる思いで調べました。だって、なかったら印刷できないのですから。
 いくつかありました。しかも半額くらいで売っているものもありました。その一番安いのを買おうと思ってよく見ると、未使用と書いてありましたが、使用期限が一年前でした。私は買い置きをするくらいですから、使用期限など気にした事もないので、すぐに飛びついて買いました。千五百円でした。最初からネットショップに買えばよかったと思いましたが、ネットショップでも高いものは高いのです。
 そこはそれ、何でも遅い私ですから、まだ開封もしていませんが、明日こそは印刷しようと思っています。

2016年7月25日月曜日


毛細血管の話

 健康を保つのに必要なのは栄養ばかりではなかったという事がよく認識されたのは、先日のNHKの例の『ためしてガッテン』を見た時です。前から運動が大事というのは言われていましたし、実行しているつもりでしたが、なぜ大事なのか、カロリーを消費するためくらいにしか考えていませんでした。
 実はあの時間、野球放送があったのです。広島戸田投手の初完投初完封試合でしたか、だから、ガッテンの放送は所々しか見ていないのです。でも、確かにと、目から鱗のところが多かったのです。これなら自助努力でもできる事だと思えたのです。
 で、改めて、『ためしてガッテン』のホームページを見てみました。野球を見ながらでもだいたいのところは押さえて見ていたようです。
 つまり、私の便秘、目のかすみ、老眼、物忘れなどなどの老化現象が総て毛細血管が減ったために起こって来ているのだという事です。二十代より40パーセントも減るのだそうですか。私の場合、もっと減っているかも知れません。イオンで血管年齢の検査をすると、六十七歳にもかかわらず、血管年齢は七十七歳と出るのです。『あの機械壊れている』と何度も思いました。でも、昔から私の運動能力や肉体年齢は、八歳年上で病気持ちの夫よりずっと劣ってしたから、昔からの運動嫌いのつけが出ているという事かも知れません。
 改善するための方法がいくつか紹介されましたが、お酒はあんまりよくない、入浴、運動がいいというのはホームページには書いてありませんでしたが、テレビでは見たような気がします。
 運動はスキップがいいという事でした。大人運動にしたら縄跳びですかね。それから私達がしている貯金運動の中のかかと上げが紹介されました。
 で、もちろん、運動、更に熱心に始めました。夫も、今散歩に行きました。ほんの15分くらいですぐにかえって来ましたが、こまめにするのがいいのですよね。
 私の場合、母が認知症になりましたから、要素はありそうです。違うところは、母は若い頃から運動神経抜群でしたが、老年になってあまり動かなくなったという事、反対に私は若い頃はほとんど運動らしき事をせずに怠け者で、やっとこの頃、老いを感じ始めて運動をするようになったという事です。おかげで、昔よりお腹はヘッ込んだ気がしますし、筋肉も着きましたが、体重はなかなか減りません。もちろん、少し糖質を減らしていますが、せんべいやケーキなど、好きなものはなかなか減らせませんね。。その度にどんと元に戻るのです。

2016年7月16日土曜日


イギリスEU離脱の余波

 イギリスのEU離脱以来、テレビで余波が来ると大騒ぎしていました。
 私は全くと言っていいほどの経済音痴ですが、政治番組よりは気になりますので、横目でちらちらと見ていました。
 円高になって1ドルが100円くらいになりました。昔、民主党が政権を取った時、そんな時期がありましたよね。あのとき、円高で、ガソリンなど、物価が軒並み安くなりました。年金生活者にとってはうれしい時代でしたよね。目減りし続けていた年金でしたが、物価には連動せず据え置かれたのですから。
 でも、ものが売れませんでしたね。私のショップでも、あの時は売り上げが減ったのです。もちろん額が小さいので、微妙にしか出ませんが。
 アベノミクスが始まって、少しずつ円安になると、輸出が大きくなり、お金が回るようになったのでしょう、近くに新築の建て売り住宅が建ち始め、すぐに売れて行きました。十軒だった私達の班が十七軒になったのです。
 物価も上がりまして、年金は少しだけ物価に連動して上がりましたが、それでは足りなくって、低所得世帯に福祉給付金なるものも支給されました。ちょっと暗くなりますよね。でも、微妙でも、ショップの売り上げが上がりました。つまり確かに商業活動にはお金が回り始めたのです。
 そして、イギリスのEU離脱で、また円高になり、さてどうなりますか。値上がりし続けていたガソリンは安くなるでしょうか。
 経済って、諸刃の刃なんですね。景気のいい時は物価が上がり、悪くなると物価が下がる。景気がいいにこした事はありませんが、そんな時に高いものに手を出さないように、平常心で普段の生活を心がけていた方がいいかも知れません。
 さて、私がずっと気にしている中古住宅、景気の悪い時代に売りに出された結構手頃な住宅が、景気のいい時代、つまり今までにほとんど売れてしまいました。ドライブがてらさんざん見て歩いて、それでも手が出ないでいたのが、恨めしいくらい。もちろんそれだけの貯金がなく、買うのは二年後と決めてはあったのですが、果たして二年後に、また出て来るでしょうか。

2016年7月9日土曜日


再度減量の決心

 空梅雨と言われていても、この時期は、暑くなったり寒くなったりで、自律神経が大変な思いをしているのでしょう、なかなか体調万全という訳にはいきません。
 暑くなればなったで、夏の準備のあれもしなければ、荒れ出した庭の掃除もしなければ、もったいないから少しでも収穫して食料にしなければと、頭も体も一生懸命動いてくれます。翌日、今度は一挙に涼しくなってほっとしていると、体がだるくなって睡魔が襲います。それだけでなく、動きすぎた反動で、体中の筋肉が痛くなり、今、体中に膏薬を貼っています。
 昔はそんなに激しい変化を感じませんでしたから、年のせいとは思いますが、この間などは、運転免許を返上した夫を乗せて運転中に意識が飛ぶような恐怖を感じました。今多いですよね、旦那さんを乗せて奥さんが運転している車。
 それで、『これはなんとかしなくては』と思い、不調の原因をいろいろいろいろ考えてみたんです。
 先ず暑さ寒さに異常に反応するようになったことですね。これは歳を取るとそうらしいです。夏になったせいかと思っていましたが、ものすごく汗をかくのです。ちょっと運動をしただけでも、髪の毛から滴り落ちて、タオルで拭くとタオルがぬれるほどです。これって、よくコマーシャルで言われている、保湿成分のコラーゲンが年とともに減っているからでしょうか。反対に冬など夫より寒がりで、昔は真冬でなければ靴下など履かなかったのに、今は靴下二枚です。この体の変化が、梅雨どきの暑さ寒さに連動してしまうのでしょう。かといって、市販のサプリなんか買える身分でもありません。
  それと便秘。便秘は昔からあって、若い頃から時々は便秘薬のお世話になっていました。でも、考えてみると、便秘薬のお世話になる生活って、本当は異常なんですよね。ちゃんと食べて、体がちゃんと機能していれば薬にお世話になる必要はないのです。で、止めまして、今は運動とマッサージで二、三日に一度は出すようにしています。もちろん食べ物にも気をつけています。
 血圧は高いんです。朝、上が160くらいあります。でも下が、80くらいなので、弟も友人も、『血管が柔らかい証拠だから大丈夫』だというので安心しています。
 でもね、ドライアイから出始めた目のまぶしさが治らないのです。二年前の胆嚢除去の手術以来、さらに不便を抱えて、いつもすどうしのサングラスをかけています。これって、血圧の高さに関係していないでしょうか。つまり動脈硬化です。
 不眠もありまして、ちょっと前に、亡くなった父のまねをして寝酒を舐めた話はしましたっけ。寝酒は効くように思いますが、お酒はあまり好きになれませんで、クセにならずに済みました。これも血圧でしょうか。なぜなら、少しのお酒を飲むと血行が良くなると言いますから、血圧も下がるはずです。
 それと、この頃、精神的なこだわりが強くなったような気がします。昔からあるのですよ、私は。でも、この頃、ネットでいつも同じサイトを何遍も、何遍も見ていて、他の事がおろそかになっているような気がしています。つまり、時間が無くなって、商品開発をしようと言いながら写真の勉強も始められないのです。つまり、先に進めない状態。
 これって、お医者様でも治せない、私の体の異常の問題なのです。 
 それで、また体重の減量をしようと思ったのです。血圧は体重が下がれば連動して下がるのです。そうすると、血管にぶつかる血液の量も下がると考えたのです。もっとスムーズに流れれば、いろいろな異常が軽減されるかもしれないと考えたのです。
 私の体重は、今72キロです。二年前の手術の前は65キロまで下がっていて、手術後は62キロまで行ったのですが、体をいたわりすぎた為に、72キロまで戻ってしまいました。これを少なくとも手術前の体重に戻したいと思います。
 傷跡は、のばしすぎると今でも痛い事はありますが、リハビリ代わりに、ヨガやストレッチ、ウオーキング、庭仕事でも家の修理でも何でもやってきましたので、昔より姿勢がよくなりましたし、体が柔らかくなり、筋肉も着きました。これだけ元気なら、手術をしたからなんて言っていられません。
 後は今流行の糖質制限です。食事は一食にタンパク質と野菜は必ず入れるようにして、糖質は。一食160キロカロリーくらいに抑えられればいいらしいです。抑えすぎてもいけないらしく、お腹がすいたら他のものを食べてもいいようです。頑張ってみようと思います。
 でも、糖質以外でお腹がすいた時に食べるものって何でしょう。お菓子は糖質ですからね。私の場合だと、ヨーグルト、砂糖なしミルクコーヒー、自家製鶏肉ソーセージなどでしょうか。野菜のスティックを作っておくといいかも知れません。野菜の天ぷら、衣は糖質ですが、油分はいいらしいので、食べてもいいみたいです。素上げのできるものは素あげにして、大量にできてしまいますものね。後は菜もののおひたし、香の物など、苦手なんです。

2016年7月5日火曜日


五年目の新しい試み イライラする機械との格闘

 一種のガレージセールネットショップ、いよいよ五年目に突入です。過去四年間の総売り上げは、約五十万円ほど。多い月も、少ない月もありましたが、一ヶ月平均にしたら約一万円。
 当初のもくろみの家のリフォームができるくらいの稼ぎにはなりませんでしたが、少ない年金と合わせても税金にも引っかからず、私のガソリン代をまかなってくれました。まあ、十分でしょうか。
 でもね、このままではいけないと思うんですよ。何か新しい商品を考えなくては。先に進まなくっては。
 で、いろいろとやったんです、この四年の間には。
 例えば、ブログを書いて広告収入を得るとか。でも、機械の操作に失敗して、広告は載せられなくなってしまいました。見方によってはそれもよかったかもと思います。画面に広告が入るのはそんなに楽しいものではありません。
 二年目には動画を作って広告収入を得るというのもトライしました。この動画、作ってアップロードするのに二年かかりました。で、アップロードして、広告は載せていただいたのですが、誰も見てくれませんでした。あれから一年、私だけが何回か開いていましたが、怠けていたら、いつの間にか無くなっていました。もう一度アップロードする勇気は今のところ起きません。それに、もっと簡単に作れる動画でなければダメですね。才能もいります。
 四年目には、商品としてグリーティングカードを作って、メイプルショップに並べました。たった四枚で種切れです。
 さて五年目はどうしましょうか。
 今までのカメラが使いづらかったので、娘が動画も作れる、写真も撮れるというアンドロイド、(タブレットPCというのですか)、なるものを買ってくれました。で、写真を撮る練習をしたのですが、撮った写真をコンピューターに取り込めませんでした。線がいるようですが、家にあるものでは合わなかったのです。メールで送るという手もあるようなので、やってみなければいけません。動画も撮れるという事ですから、これも、きれいな景色など撮ってみて、アップロードできるかどうか、機械苦手の私の学習と練習、新しい分野の開拓ですね。何か小学生になったような気分もしますし、大人の商業活動をしているような気分もします。暇を見つけて少しずつやってみようと思います。
 五年目の商品開発です。

2016年6月29日水曜日


貧しくても豊かな時代とは

 私も歳を取ったせいか、昔はよかったなと思うことが多々あります。
 例えば農薬。わが家では娘と孫が化学物質過敏症なのです。ナノで、いつか中古住宅が安くなったら買おうかと予備知識を入れている私としては、ああ、これもダメだと思う事が多いのです。
 例えば、山が見えると書いてあった築17年のきれいなお家が結構安く売り出されていました。田舎なせいか敷地も広く、菜園なんか何枚でもできそうでしたが、ネットの地図で見ると、前に田んぼが広がっていました。田んぼには今は草取りをしなくていいように、一発除草剤というのを蒔くのだそうですか。それを蒔いたと思われる6月頃、近くの公園に行った孫が火がついたように泣き叫んだのを思い出します。だから、田んぼの近くはダメなんです。その家はもう売れてしまいましたが。
 また、田舎の方に、広い敷地で、築41年と書かれた和風の堅牢な住宅がフルリフォームでそれでも割り方安く売りに出されていました。庭に菜園も作られていて他はあまり草取りなどしなくていいように砂とか蒔かれているようでした。築41年というと、今のわが家より古いのですが、その頃にしては、二階にトイレがあるのです。後付けのようではありましたが。とにかく、堅牢で、赤いレンガの塀などもうつっていました。良さそうですよね。でも、やっぱりネットの地図で見ると前に畑のような土地が広がっていました。そう言えばと思いました。あの辺りは芝畑が多いのです。あの辺りの道を車で通った時に孫が突然泣き出しました。そこは見渡す限り芝畑でした。ゴルフ場の芝には強い除草剤を使うので健康に悪いと昔、何かで読んだような気がします。それが、パワーウインドウのボタンのわずかな隙間から入って来たようでした。で、あの辺りもダメ。
 昔は田畑の風景は、心癒すものと思われていましたが、今は空気汚染されていると思われます。カエルもドジョウも蛍もいつの間にかいなくなってしまいました。
 昔もあったのですよ。私は田舎育ちでしたから、子供の頃、白い布を立てたところは農薬の空中散布をするから近づかないように言われました。あれはイナゴ対策だったと思います。夫が昔食べたというイナゴもいなくなりましたが、蚊もいなくなったと喜んでいました。田の草取りは大変でした。母が苦労していたのを馬鹿な私は横目で見ていました。広い屋敷の草取りをする母を気遣って、父が蒔いた除草剤が台風の雨で池に入って食用の鯉が何匹も浮いていた話はしましたし、農薬自殺をする人の話もしました。
 ちょうどあの頃が境目だったのですよね。大変な生活を助けるために農薬が使われ出したのです。環境的には昔はよかったと思いますが、母達の苦労を考えると、どちらがとも言えません。
 どちらにもいいように、大々的にお金をかけるということではなく、工夫して行く事が大事という事でしょうか。

2016年6月19日日曜日


中古住宅

 地震に強い掘建て小屋のわが家ですが、古くなって、リフォームできないものかと思い、ガレージセールもどきのネットショップを始めたのです。もちろん、私のぼけ防止もありますが。
 でもね、テレビのビフォーアフターを見ていると、ものすごいお金がかかるのですよね。更にリフォームした友人んが言うには、とてもあの値段ではできないという事でした。それに比べてネットショップの売り上げは微々たるもの。
 そこで、二千十九年には家が余ると言われている、今話題の中古住宅のサイトを見てみました。デモです。結構高いのです。時々新築の家も混じるのですが、そっちの方が安いくらいです。今、材料も工法も新しくなって、昔のように時間をかけずに一棟建てられるという事でしょうか。同じ図面で何棟か建てられたなら、材料が大量に安く調達できるという事でしょうか。
 と言う事で、昔の家は結構高いのです。
 それに、昔の家は土地が広いのです。今の家は駐車場と家だけ。それで十分のようです。ずっと家にいる年寄りは庭が欲しいとか言いますが、忙しい共働きの夫婦は、草取りなんかしていられません。
 だから、昔の家は元が高いのです。
 中に、再生住宅というのがあります。古い家をリフォームして不動産屋さんが売る訳ですが、結構安く、結構売れているようで、サイトに出たと思ったらすぐに売れてしまうようです。
 そんなとき、チバリーヒルズと呼ばれた高級住宅地の中の一軒が、競売で一千万円で売れたというニュースが流れまして、今度は競売というのを調べてみました。確かに安いんです。中古住宅のサイトに四千万円台で出ていた同じものが、競売のサイトに二千万円台で出ているのを発見しました。これはオークションなので二千万円台で買えるという事ではありませんが、少し安くは買えるのでしょう。
 しかし、難問があるのです。競売物件は事故物件と呼ばれ、抵当流れな訳で、占有者と呼ばれる元の所有者がまだ住んでいるのです。競売で落としたら、元の所有者に出て行ってもらわなければ、住めないのです。ここがネックなのでしょう、競売物件を買う人は、ほとんどが不動産屋さんのようです。
 これでわかりました。不動産屋さんはこの競売物件を安く買って、リフォームして売るのです。だから安く売れるのです。
 あのチバリーヒルズと呼ばれた高級住宅地の中の一軒が安かったのは、本当の事故物件、一人暮らしの老人の殺人現場だったからのようです。普通に買ったら五千万円くらいと書いてありました。でも、少なくとも占有者を追い出す必要はない訳ですから、その意味では安い買い物、心安らぐ物件と言えるのではないでしょうか。
 後、二年くらい,わが家も保たせて、その間にいろいろ調べてみようと思います。

2016年6月13日月曜日


運動で汗をかく事

 前回、風邪が長引いたと書きましたが、花粉の季節の頃の話です。
 花粉も終わり、野球も始まり、テレビでヨガ講座も始まりましたら、俄然元気になりました。
 まるで嘘のようにすごく動けるのです。例えばヨガ講座、昨年までは毎日あっても、週に、二、三回しか参加できませんでした。気持ちが乗らないのです。その時間になっても『今日はいいや』と、無視する日が多かったのです。今は週に五日、十一時半になるとヨガマットを敷いて待っています。これを逃すと一時半にも放送されるので、どちらかには必ず参加しています。もちろん慣れたせいもあると思います。
 その他にも、今別の局で流している、ピラティスヨガや、ダイエット王子、以前は八の字体操とかバランスボールを使ったものとか、見て、自分ができそうなものには参加しています。
 いずれも30分の体操なのですが、びっしり汗をかきます。この頃特に頭に汗をかいて髪の毛を伝わってしたたって来ますので、後ろを刈り上げにしました。終わったら着替えもします。一日二回参加する事もあるので、二回着替えます。若い頃、運動苦手の私は、汗をかくのが嫌いで、汗は夏にかくものだと思っていましたが、今は体を動かすとかくものだと思い始めました。
 それで、今回、なぜこんなに動けるようになったのか考えてみました。前にもお話ししましたが、冬の間と花粉の季節は体調が悪くって、市の福祉センターのマッサージ機とヘルストロンに一日おきくらいに通っていました。でも、花粉もなくなり、季節もよくなり、庭仕事も忙しくなって来たので、止めて、散歩や庭仕事やお家体操に切り替えたのです。そうしたら、体が結構動いて、体操も億劫にならずにできるようになったのです。
 これって、冬の間のマッサージ機がよかったのか、それとも、亡き父が言っていたように、暖かくなって農作業の季節になると、動きすぎて病気になるほど体が動くようになるという現象なのでしょうか。
 今、家中が体調を崩していますが、私だけは大丈夫のようです。これって、毎日汗をかくほど体を動かしているせいでしょうか。

2016年6月1日水曜日


老人の生活

 齢六十七歳になると、さすがにやる事が無くなります。
 苦手な家事は、エイヤッと気合いをかけなければ動き出せないし、苦手な運動も、テレビの番組にリードされなければやる気になれない。
 私の場合は、二つネットショップを張っているのですが、注文が月平均一、二件ですから、全く忙しくない。それはそれで幸せなのですが。
 持て余した時間でブログを書いているのですが、この頃ネタ切れで、週一を飛ばしてしまったりしています。そうして時間があまり出すと、いろいろな物忘れが気になり出し、更にはこの間のように、風邪が長引き体調も不良になると、運転していて、大丈夫なんだろうかとか、不安になって来ます。
 人間て、あまり考えずに夢中で走っていないとダメなのかも知れませんね。
 一応、毎日の予定は書いてあるのです。
 午前中、朝食を食べて、朝ドラを見、ネットのチェックをし、その日にしなければならない仕事、これには庭仕事も入ります。それからテレビのヨガ講座。
 午後は、家事をして昼と夜の食事の用意、番組があればテレビの体操講座、買い物とかの外回り。外回りがない時はテレビか昼寝。
 そうして夜はテレビの前に陣取って、広島カープを応援しながら、ストレッチをしたり買い物リストをつくったり。野球のない冬はこれが英国ミステリーに変わります。でもこれって、カープの試合がなかった日とか、カープが負けた日とかは悲惨なのです。次の日一日落ち込んでしまいます。軽い鬱ですね。他の人の野球ブログを見ながら立て直すのに必死です。
 この生活、それなりに自由で楽しいからやっていられるのですが、時々、体調不良とかが出て来ると、物忘れの恐怖なんかも感じてしまうのですよね。
 肉体的にも精神的にも健康でないと、毎日楽しく、主体性を持って生活するというのは難しい事のように思います。これは、老人だけでなく、若い人にもいえる事かも知れません。

2016年5月26日木曜日


ハクビシン

 ここ数日、わが家の天井裏に大きな物音がしていました。
 近くにハクビシンがいるという噂があったので、「すわ、はくびしん」とネットで調べまして、業者さんに『数日前から天井裏で音がしだしました。そのひと月くらい前から、庭で異常なにおいがしていました。
出来れば駆除をおねがいしたいのですが。』とメールを送ってしまいました。
 即、頼もうかというところまで行ったのですが、ネットに業者さんに頼むと、一、二週間罠を仕掛けて、捕まった後には家中消毒をしないといけないと書いてあったので、これも嫌だなと考えて、物音に対抗するくらい大きな音を立てて天井を小突いてみました。少しすると、どこかへ出て行ったようで静かになりました。朝方、また、今度は小さな音でしたが、しましたので、ほうきの先でたたきましたら、また静かになりました。
 意外とこれで追い出せるかもしれないと少し自信が出て来て、『ちょっと一週間ほど,この戦いをしてみたいと思います』と業者さんには断りを入れておきました。
 本当に、二日ぐらいで天井の音がしなくなったのです。と思ったら、朝の四時頃に台所で音がしたのです。起きて見にいったら鍋が下に落ちていました。
 次に音がした時には洗剤が落ちていて、ちょっと上を見ると調理台にハクビシンがいたのです。前足が不自由のようで、丸めて、不安がって小鳥のように泣いている様子がとてもかわいくて、同じように掴まえたという人が『えさをやって、元気にしてやろうとしているが、ますます弱って行く』とネットに書いていましたが、そんな気持ちにさせられました。どうやら、大きな音を出していた親は逃げて、一匹だけ逃げ遅れて、弱っているようでした。
 下の娘が起きて来て、えさをやって、箱に追い込もうとしましたが、なかなか思い通りに動いてくれません。やっと箱に入れて、えさや水を持って山に向かって出発したのは六時頃、娘と二人、明るくなった山中をさまよう事一時間、やっと脇道に入ったところで彼女が納得して水とえさをおいて、さよならして来ました。
 帰り道、他に方法はなかったのだと彼女は自分に言い聞かせていましたが、ミステリーばかり見ている私は、殺人犯は、きっとこんなところに死体を捨てるんだわとか考えていました。
 ものすごい事件だったと思いませんか。
 ちなみに、中国で流行ったサーズの病原菌はハクビシンのものではなかったようだとネットに書いてありました。駆除しなくてもいいのです。かといって、野生のものは私達がかえるものでもありません。これが一番いい方法だとネットにも書いてありました。
 今は困った事があったらすぐネットに相談ですね。知恵を授けてくれます。

2016年5月12日木曜日


今年の風邪

 今年のインフルエンザ、強力でした。
 いつもかからないので、今年は予防注射をしなかったのです。そしたら、夫が病院替えで行った個人のクリニックで、行ったその日にうつってきました。それが家中に蔓延してしまったのです。お医者さんってよくうつらないですね。
 その後、熱は治まったのに、咳が治まらない日々がずっと続いていました。薬で菌は抑えられても、死滅はしないで、じくじくと芽を出し続けているのじゃないかなと想像したりしていました。
 そして、二度目のインフルエンザ。今度はB型だそうですか。どこが違うんでしょう。春になってもインフルエンザがはやっていると、ニュースで取り上げられてすぐでした。連休でお疲れ気味の娘達一家がかかり、次に私。父がよくしていたように、酒飲んで寝ました。何となく、これ良さそうです。よく眠れますし、いらない酒の処分もできます。
 笑い事ではありませんが、その後、娘の解熱剤を貰って、一、二回飲んだら熱が下がりました。
 それでもやっぱり咳はとれないのです。
 今年の風邪、しつこいですね。いい加減すっきりしたいです。

2016年5月8日日曜日


制服のこと

 NHKの特報首都圏で、埼玉県川口市の自主夜間中学の4ヶ月にわたる密着取材を放送しました。元々は、この夜間中学は基礎学力をつけるチャンスのなかった大人に、少しでも世の中を生きて行くのに必要な基礎となる学力をつけてもらうためのボランティアによる自主講座だったそうです。
 ところが今、母子家庭、父子家庭が多くなり、子供を進学させるのも大変になり、お金がない、お金がないと親が言う事が子供達のプレッシャーになり、不登校になり、受験のための基礎学力がなくて、高校を受験できないという子供達も通っているという事でした。
 中でも父子家庭の達也くんと母子家庭の庸介くんに、より多くカメラが引かれていましたが、達也くんはフィリピン育ち、フィリピン人のお母さんは借金を残したまま蒸発。お父さんは肺がんを患って、年金生活。
お母さんの借金を返済しているというお父さんは、15歳になって引き取った息子に、高校の費用を出せないと言ったようです。
 もちろん、言葉と学力の問題もあったのだろうと思いましたが、達也くんはアルバイトをしながら、一年間この夜間中学に通ったのです。そして希望通りの工業高校に合格。ボランティアの元小学校教諭の金子さんが、『どうしても入学時に20万円はかかってしまうんですよね』といいながら、就学支援金や返済の必要のない奨学金の存在を丁寧に教えて行きます。『三年なんてすぐに経ってしまいます。高校までは親の責任で、それからは子供の責任ですよ』と親も教育しながら。
 金子さんが帰った後に、二人は費用の計算を頭と電卓と現金を付き合わせながらします。制服は中学の制服のボタンを付け替えて、校章をつければいいし、鞄は家にあるもので間に合うとか。
 『食費を削らないと行けない』と言っていたお父さんは、ついに『今ここで頑張らないと、後で子供が困るので』と言うようになりました。
 ほとんどしゃべる事のなかった母子家庭の庸介くんは少しずつ自分の希望を言えるようになり、夜間高校に入る事になりました。そして将来は大学にも行って将来はプログラミングの仕事をしたいと希望を口にできるようになります。
 二人とも、やっと将来が見えるようになったのです。
 で、何が言いたいかというと、制服の事です。夜間高校は制服がいらないようでした。
 わが家は母子家庭ではありませんでしたが、どんどん借金をして来るお父さんは母子家庭よりひどい状態でした。その話は前にもしましたが、幸い、私の親が働いていて収入があったので、随分助けてもらいました。が、それとて限度があります。下の娘の入学説明会のとき、高校指定の水着とか、『買わなくてはダメですか』と私は聞きました。隣に座ったお母さんが、『ダメに決まってるでしょ。みんな一緒なんだから』と、困ってしまうだろう先生や一人だけ浮いてしまうだろう娘を慮ったように言われました。私はこの皆一緒が嫌いなのです。私は同じ高校の卒業生ですが、胸にパットの入っていない競泳選手と同じ水着は、太っていた私には何ともいやで、結局一度しかプールに入りませんでした。それも男の先生は横目で見て笑っていました。でも、費用は同じだけかかっているのです。
 シルバーリハビリボランティアの時と同じです。同じ事をしていても、見かけが同じでなくってはダメなのです。
 この皆同じが無くなれば、必要でないものは買わなくってもいいのです。今まであるもので間に合わせる事もできるし、本人に合ったもの、それ以降何回も使えるものをかう事ができるのです。そうすれば、大気汚染にもつながる、大量消費をしなくてもいいのです。
 この制服の問題、何とかならないでしょうか。

2016年4月21日木曜日


古くなった羽毛布団

 私の服は、お下がりかお上がり、着なくなったワンピースで作ったロングスカート、端切れで作ったシャツやスカートを直したチョッキ、男物のズボンのウエストをゴムに直して履いています。だからほとんど衣料費はかかりません。
 そんな私にも直せないものがあったのです。嫁入りの時に持って来た大量の綿布団。お仲人さんの親戚が呉服屋さんだったのです。四十年以上経てばたいていのものは直しますが、お客布団はほとんど使わないので、直しようがないのです。だから、まだ直していないものが半分はあります。年に一度くらいは日に当てたいと思うのですが、花粉や汚染物質、黄砂などいつ干したらいいのやら。
 直したものは、一枚打ち直して仕立てて、一万円でした。何枚かやりましたが、今は綿の布団は流行じゃないんですね。娘達はほとんど使いません。私達も上がけは羽毛布団にしています。
 ところが、この羽毛布団も、何十年と使っていると、いろいろ支障が出て来ます。暖かくないのです。歳を取って寒がりになったのかと思っていましたが、たまに干している時に気がつきました。羽毛がよれてしまっているのです。つまり、一番肝心な真ん中あたりの羽毛が薄くなって、日にかざすと、明るさが違います。代わりに端っこの方は分厚くなって膨らんでいました。
 いつものように『こりゃダメだ』と思いました。夫は寒くないと言いましたが、彼のは値段が高かったのです。私のは安物だったから、買い直してもいいかなと思いましたが、長年使っていると捨てたくもないのです。それで、直そうと思いました。
 先ず、できるだけ羽毛を真ん中に寄せるようにして(実際には仕切りがあってなかなか動かないのですが)、四辺に薄い部分を作って縫い詰めました。つまり、四辺は布だけの縁のようになったのです。次に真ん中の縦線のあたりを薄くしてつまんで一直線に縫い縮めました。次に、横の線、二本ほど縫い縮めると、面積が小さくなった分、羽毛がふっくらとしっかりとして来ました。これで十分です。カバーをすれば、後何十年か保つでしょう。
 この後、夫の羽毛布団も同じような処理をしまいした。夫のはちょっと形式が違いましたので、横の線は一本にして、他に上下のどちらかを余分に縫い縮めました。ともに、破れるまで使えるはずです。

2016年4月14日木曜日


ムヒカ大統領

 遠いウルグアイから奥さんとともに、今、日本に来ています。八十歳だそうです。地球の反対側からですよ。お元気です。
 池上彰氏の特番を見たんですが、二十代までゲリラ活動をしていたんだそうです。十三年の獄中生活の後、四十歳で釈放され、やっと普通に政治活動を始めたらしい。それもこれも貧しさを無くするために。
 顔も体型もそうですが、柔らかい人かと思っていたら、とんでもありません。お話には一本筋が通っていますし、決して宗教には逃げ込まないようでした。現実世界で、幸せを求める方法を教えてくれているのです。足るを知ると言う事だけではなく。
 別の局でしたが、心に残ったエピソードは、いつも、友人がくれたという青い車に乗っているそうです。それをアラブの大富豪の息子が欲しいと言い、父親が巨額のお金を提示したというのですが、売らなかったと言っていました。『売ってしまったら、車をくれた友人の心を傷つけてしまう』からだという事でした。いつも辛口のコメンテーターが、『僕なら売って、そのお金を寄付する』と言っていました。はじめは私もその方が合理的かなと思いましたが、大統領の話を聞くたびに、考えが変わって行きました。この友情の持つ幸せはお金には換えられないのです。この幸せの感情の塊が総てなのです。いくら多額でも傷ついた友情は一瞬のお金では買い戻せないのです。
 私が今までに感じた事は、私がこの年齢になっていたから感じられた事なのかも知れないとも思います。
 別な番組でしたが、永平寺で沢庵を切るボランティアをしている同年代の女性が話していました。この沢庵は種を蒔き大根を育ててくれた人がいて、干してつけてくれた人がいて、ここまで持って来てくれた人がいて、多くの人が関わって来てくれて、初めて自分がここで切らせていただいている。そう思うとありがたくって涙が出ると言っていました。人は人がいなくっては生きて行けないのです。
 爆弾を作るよりも、もっと貧しい人々のためになる事はあるのではないでしょうか。世界の情勢を見ていてもわかるように戦争が貧しい人々を作り出しているという事もあるんですよね。
 そんな大それた事はできないですけれども、私は一人でも二人でも幸せになってもらえるように、できるだけニコニコと挨拶し、できるだけ文句を言わずに家族の役に立つようにしています。それもこれも、愚かな私は若い頃には気づかなくって、大それた事などできないとわかったこの歳になって理解できたのです。
 ムヒカ大統領が言うように、金持ちが豊かとは限らないのです。見渡せば家族や友人に囲まれている私は豊かなのです。

2016年4月8日金曜日


今、ある大きな大学病院で起こっている事

 後期高齢者になった夫は普通に生活をおくっていますが、普通の人に比べたら病人です。
 いわゆる成人病(糖尿、高血圧、カリウム障害など)で内科、脳梗塞で脳外科、それと精神科。ある国立の医療センターに通っていたのですが、そこの脳外科と精神科が経営難で閉鎖になって、その大きな大学病院に紹介されて、やって来ました。
 医療センターに通っていた頃は私も若くて忙しく、『自分の病院くらい自分で行ってよ、だって食べて飲んでしまうんだからどうしようもない』という感じで、協力的でなかったので、医療センターの内科の先生にも諦められ加減で、一緒に移動したのです。
 そこに通い始めてすぐ、十月でしたから、もう八年前になりますか、夫67歳、私59歳のとき、二度目の脳梗塞の発作が起こったのです。通い始めた大学病院の救急センターに駆け込んで、即入院になりました。一ヶ月以上入院させていただいて、やっと退院、そうなると、いくら私でも、知らん顔はできずに、送り迎えしながら一緒に診察に付き合いました。
 そうして8年、脳外科の先生からは何度か、転院の打診はありました。でも、その度に、「何かの時に、同じ病院にかかっている方が安心だから」と、続けての診療をお願いして来たのです。実際、副鼻腔炎の手術をしていただいた時は、あちこちに連絡を取っていただいて、無事に手術する事ができました。
 いよいよダメかなと覚悟ができたのは内科の若い先生が、先鞭を切って、家の近くのクリニックに夫を紹介してくれてしまった時です。もちろん、知り合いのクリニックだったので夫は喜んでいましたし、それよりも若い先生とはあまりしっくりいっていなかったのです。
 でも、脳外科の先生とは八年間のお付き合いでしたし、精神科の先生とは七年間、新しく変わった先生もとてもいい方でした。だから、国立の大学病院の経営が赤字になったというニュースは知っていたのですが、「お薬だけ内科のクリニックで貰って、年に一度検査をしに大学病院に来たらどうですか」という脳外科の先生には続けて診療をお願いしたいと無理を言っていたのです。
 そのとき、です、三月になって突然に「転勤で、他の大学病院に行く事になった」と言われました。同じく、精神科の先生にも、「転勤で」、と言われました。どうしたんだろうと思っていましたら、四月に最初に会った精神科の若いお医者さんが、言いづらそうにそれでも半ば強圧的に「転院を考えてくれ」と言いました。『ああこういう事だったのか』と初めて理解しました。精神科の前の前のお医者さんは、いかにも精神科のお医者さんらしく、こちらが面倒になるくらいこまめに患者さんを診察する先生で、いつも大勢の患者さんを抱えていました。一年前の転勤とは、『患者さんに転院を勧められないで、自分が転勤して行ったのだなあ』と思いました。一年だけお世話になった先生も、やはり精神科の先生らしく患者さんの転院の話はいっさいしないで、自分が転勤して行った訳です。若い新しい先生はポストの変わりに、苦しい役回りを引き受けたのでしょう。
 新しい脳外科の先生にも同じ話をされ、前の先生の勧めてくれたお薬だけ内科のクリニックで貰って、年に一度検査をしに大学病院に来るということで合意しました。さて、精神科はどうしましょう、難問です。

2016年3月28日月曜日

テロについて思うこと

 この頃、テロのニュースがひっきりなしです。ISやタリバン、その他、あちこちの武装勢力、富の分配がうまくいっていないとは言え、彼らもそれなりの資金を稼いでいるのに、やはり、うまく分配できないのですね。
 昔の日本の特攻があんなに批判されて、私達、戦後育ちはしてはいけないことと教えられました。
 そうなんです、小学校で習いました。人は人に支えられて生きているんだって。世の中にたくさんの人がいて、働いてくれて、みんなのおかげさまで今の生活が出来ているんだと。その時は理論的にはわかった気がしていましたが、実感ではあまりわかっていなかったと思います。
 今、歳を取って、年金生活になり、今まで人を支えてきたとはいえ、我が身が人に支えられるようになって見ると、よくわかります。おかげさまでなのです。
 そして、これも平和で、世の中が安定しているからなのだと、戦場の映像を見るたびに思います。
 私は、守りに入ることは悪いことではないと思います。攻めはスポーツの世界だけでいいと思います。昔、皇后様のテニスは守りのテニスだと聞いたことがありましたが、リターンを繰り返し、相手がミスをするまで、待つのです。こういうことをわかっていらしたのかなと今になって思います。

2016年3月18日金曜日

英国ミステリー噂話、最後のフロストを見てしまいました

 あんなに繰り返してフロスト警部を見ていたのに、最終話は初めて見ました。前編後編四時間の大作で、すばらしかったです。
 最終話ともなると、みんなそれぞれ歳を取るのですよね。悲しくなります。でもです。英国ミステリーは皆さんそれぞれがんばっていて、特徴が有ってすばらしいと思いますが、私はこのフロストが物語的に一番好きです。原作者のR・D・ウイングフィールドはテレビのフロストは自分の書いたフロストではないと言ったそうですが、原作のフロストも見たい気分にさせてくれます。
 第一話は、奥さんが死の病で、看病しながら、事件に向き合っているところから始まるのです。別れようとしていたのに、病気になって別れられなくなってしまったのです。
 パートナーの最後を看取ったというデビッド•ジェイソンの現実に似ているのでしょうか。でも、彼は名優です。
 そうして、独り身になり、恋人達とも出会ったり別れたり、家が火事になり、あっちに住んだり、こっちに住んだり、保険で立て直したり。そうして、災難にもめげず、いろいろな種類の人たちと出会って行くのです。それが事件の解決につながったりしますが、そんなフロストがいつも逃げ込むのは警察なのです。自分でも最後にそう認識していました。警察が自分の居場所だったと。何があっても帰る場所がそこだと思っていたと。
 この四時間のドラマには、たくさんの人々の違うドラマが内包されています。最後にそんなフロストを哀れがっていたという相棒のジョージが亡くなり、果たしてフロストは、とハラハラ心配のしどうしでした。
 これ以上は言わないことにします。見る楽しみを奪ってしまうでしょうから。
 でもこれは、個々の殺人事件の解決の物語だけではなく、フロストの人生の物語だったのです

2016年3月9日水曜日


支出見直しパート2、車の話

 前に支出見直しで自動車保険を安いのにした話をしましたが、そのパート2です。
 ガソリン代は、一時期に比べ月に3000円も安くなって随分と助かっていますが、税金は動きません。わが家のは1300CCですので、年に34500円の税金がかかります。それが、11年目になりますので、従来の計算だと一割(3450円)増の、37950円になる予定で、戦々恐々です。
 それで考えたのです、「軽自動車ならば10000円くらいじゃないか」と。
 中古車を買う予算はうちの場合、50万円です。それで、6年乗る計画で、まだ、4年なので、支出は痛いですけれども、二年毎の車検代、15万円、この税金の二年分の差額、5万円を合わせて、20万円はどうせかかる費用です。「軽自動車ならば、ガソリン代も保険料ももっと安くなるはず。あと30万円は私のへそくりから」などと頭を回転させていました。
 で、今の車を買ったディーラーさんにメールをして軽自動車を探してくださいと頼んでおきました。
 所がです、予算に合う出物があったと知らされたのは、家の1300CCと近い年式で、走行距離もほとんど変わらない軽自動車でした。そこで初めて、軽自動車は高いんだと認識しました。みなさん、同じ事を考えていたんですね。
 同時期に、ほとんど毎日通っているイオンモールの駐車場にガレージなるものがオープンしました。中古車部門もあるようなので、覗いてみましたら、「今は無いけど探してあげますよ」と言われ、「もうすぐ車検なので時間がない」と言ったら、車検コーナーを紹介され、それが、今までの車検より5万円も安いのです。
 で、故障箇所は直してあるし、タイヤも取り替えたし、エンジンもまあまあだし、当初の予定通り、6年乗ってもいいのじゃないかと考えを変えて、軽自動車は二年先に延ばすことにしました。
 騒ぎ回って、皆さんにご迷惑をおかけしましたが、それでも、少なくとも、5万円は節約できました。ちょっと騒いで調べてみるものですね。
 二年後、はたして軽自動車は安くなっているでしょうか。高いようなら、1300CCでも、今まで気になっていた車種があるので、それにしようかな等と、楽しみが増え、ちょっと調べてみましたが、これも高かったです。デフレの頃が懐かしい。

2016年3月3日木曜日

なぜ野球を見るのか

 朝の連続テレビ小説、『あさが来た』のあささんが、『あきないをしていると、汚いことも見なければならない。それに比べたら、教育はひたすらに高い人間性を追求できる』というようなことを言っていたと思います。
 これよくわかります。商いだけでは有りません、人生だって、70近くまで生きて来ると、いくらかまととぶって見ないふりをしているつもりでも、いくら死んだふりをして知らないような顔をしていても、見るものは見、やらなければ生きて行けないようなことはやってしまっているのです。
 毎朝、あささんの見識にうなずきながら、この人は本当に頭のいい人だったんだと思わずにはいられません。
 で、表題と何の関係があるのかと思われるでしょうが、私は今まで、私が野球を見るのは現実逃避なんだとネガティブに考えていました。でも、彼女の生き方の理論でいけば、野球選手は最高のパフォーマンスを追求し、ジャッジはあくまでも公平に、勝負は終わってしまったら取り返しの利かない、崇高な芸術作品のようなものなのだと思えてきました。それを見ることで、自分の心が洗われるのです。
 大好きな黒田選手が、命をかけてということをいいますが、あささんもこの間言っていました。『いつも命がけでお商売に取り組んでいる』と。
 私には、そういう覚悟が無いから、いつも中途半端で、のんびりしたい、ゆっくりしたいと思いながら逃れるように生きているような気がします。
 命がけとは言いませんが、何かを、それがちいさいことでも、成し遂げるという気持ちでやると、人生、もっと違って来るかもしれません。
 70近くになって、それがわかるなんて、私はなんて愚か者なんだろうと思います。

2016年2月29日月曜日


今年(2016)のインフルエンザ

 いつもは素通りしていたインフルエンザが、今年はわが家に舞い降りてしまったのです。
 今まで毎年、予防接種を受けていても、インフルエンザが近づく気配もなかったので、今年は受けなかったのです。隣人が「受けたけどかかった」と言っていた事もありました。
 それがです。最初に夫が具合が悪くなり、脳梗塞持ちの夫ですので、私と娘は大慌ててかかりつけの救急病院に連れて行きました。診断は脳梗塞ではなく、熱があり、菌も陽性なのでインフルエンザだと言われました。付き添っているうちに、私も怪しくなってきました。咳が出て、体もだるくなって来たのです。
 やがて、別に暮らしている上の娘の一家にも波及し、娘婿は予防接種を受けたにもかかわらず、罹患したと言っていました。だいたい一週間で熱が出たりという症状は治まるのですが、歳のせいか、寒さのせいか、咳がなかなか収まりませんで、夫も私もその後、二、三週間は、重い体調を抱えたままの毎日になってしまいました。
 当然、ブログを書くのも億劫で、ついつい間が伸びてしまいました。
 やっと今日、雨が降って南風が吹くらしく、気温も上がって来て、血管が開いたのか、書く気になりましたが、文章がなかなか先に進みません。その間にも運動はしていたし、ヘルストロンにも座っていたのですが、やっぱり寒さのせいですかね。
 その間、お医者さんには行きませんでした。考えてみれば、夫がうつって来たのは、内科のお医者さんに行った時です。今までうつった事も無いので無防備に、マスクもせずに長時間待合室で座っていたのです。せっかく治りかけたのに、またうつってしまっては大変です。
 今日、夫は内科受診の日でお医者に行きましたが、厳重に防備をして行きました。これって、免疫ができているのでしょうか。
 とにかく、今年のインフルエンザは強烈でした。
 今見たら、天皇陛下のインフルエンザのニュースが出ていました。

2016年2月18日木曜日


英国ミステリー噂話、ブレンダ・ブレッシン

 女警部ベェラ役の女優さんです。女警部ベェラでは貫禄のある、熟年女性というイメージですが、ある時、彼女が比較的若い頃の映画を見たのです。歌の物まねが上手な、大人しい娘をなんとか売り出そうとしている、芸達者な売れない女芸人役を、それこそ芸達者に演じていました。その動きが本当に見事だったのです。女警部ベェラでは、ほとんど動きませんが、彼女は踊って歌えるのです。
 日本語のウキペディアもあって、それが、『リトル・ヴォイス』というタイトルだと知りました。『高慢と偏見』も見たのですが、それは気がつきませんでした。「ブレンダ・ブレッシン,OBE(Brenda Blethyn, 本名: Brenda Ann Bottle, 1946年2月20日 - )は、イギリスの女優。ケント州ラムズゲート出身。イギリスで演技派と称される女優の一人。」と書いてありました。
 英語の方は大変詳しくて、長そうです。
 代表作は『秘密と嘘』というドラマのようです。賞取りレースにはたくさん参加していて受けているようです。
 労働者階級の家に生まれて、三十代前半までは管理職を目指していたようです。1973年、離婚でごたごたしたのを機に、演劇学校に入り、劇団に参加し、頭角を現して行ったようです。1980年に、テレビデビューを果たし、(34歳ですね)、小さい役をやりながら、80年代の中頃に、主要な役につき、その頃、映画でも小さい役をやりながら、1996年、先に書いた代表作に巡り会ったようです。
 励まされますね。これと思った事をまじめにやり通せばって。いくつになっても。
 ブレッシンはそれ以来、ずっと活躍しているようです。
 生い立ちはイギリスの南部、ケント州の海沿いの町、ラムズゲイト、家はローマンカソリックの労働者階級で9人兄弟の末っ子だったと書いてあります。だから離婚でごたごたしたんですね。
 お母さんはメイドをしていて、同じ家で働いていたお父さんと知り合ったようです。まるでダウントン・アビーの世界です。お父さんは軍隊でインドに行っていた後、その家で運転手をしていて、後に第二次世界大戦の前に自動車工場の技術者になったようです。あまり、豊かな生活とは書いてありませんでした。
 ブレッシンは専門学校で学び、銀行で働いていましたが、離婚の前に趣味の演劇を仕事にしようと決心したようです。こうして快進撃が始まったのです。
 その辺は英語のウキペディアに表になって載っています。
 個人の生活では、1964年、英国鉄道会社で働いていた時に知り合った、グラフィックデザイナーのアラン・ジェイムズ・ブレッシンと結婚しました。結婚は1973年に破綻しましたが、彼女は夫の名前をそのまま芸名にしたようです。英国人のアートディレクター、マイケル・メイヒューとは、30年間、一緒に暮らして来て、2010年の6月に結婚したようです。
 現在は南ロンドンでの生活とケント州での生活を分けて楽しんでいて、映画を見たり、料理をしたり、クロスワードなども楽しんでいるようです。例のOBEにも2003年の新年に選ばれているようです。
 頑張りましたね。

2016年2月6日土曜日


英国ミステリー噂話、アン・クリーブス

 このところ、ペレス警部の出て来る『シェトランド』の荒涼とした景色にインパクトを受けて、そう言えば、前にもこんな景色を見たなと思い出したら、それが、『女警部ベェラ』でした。それがアン・クリーブスという同じ作者だったのです。という事は作者はこの景色を日常的に見ていてとても愛しているのだなあと思って、アン・クリーブスをウキペディアを見たのです。日本語のウキペディアもあり、作品リストが載っていましたが、日本語に翻訳されたのも多いみたいです。
 「アン・クリーヴス(Ann Cleeves、1954年 - )は、イギリスの小説家。イングランド西部ヘレフォードシャー、ヘレフォード生まれ。」これは日本語のウキペディアからですが、英語の方にはこの場所は載っていませんでした。つまり彼女が生まれたのは、イギリスの真ん中頃の西海岸あたりです。スコットランドの更に北に石ころのように横たわるシェトランド諸島とは、この記述を信じるならばあまり縁がなさそうです。
 でも、英語の方には彼女の厳しい作家人生が書いてありました。彼女はサセックス大学で英語を学びましたが、落ちこぼれたんだそうです。ちなみにサセックスは南東部の州です。それからいろんな職業を経験したようです。コックや沿岸警備隊の助手(この時、シェトランドに行ったのかも知れません)、保護観察官、図書館の出先機関の仕事、児童福祉の仕事など。
 彼女は今、現在形でしたので、元々はノースアンバーランドランドに属していたウエイトリー・ベイに住んでいるらしいのですが、そこはあのケビン・ウエイトリーが生まれたあのスコットランドのすぐ下のあたりです。地名を名前にしているなんて、ウエイトリーさんは名家の出なんですね。と、ここで関心。
 で、アン・クリーブスはそれ以上の事は書いてありませんでした。以下は日本語のウキペディアに書いてあった事です。
 「1986年、『A BIRD IN THE HAND』でデビュー。2002年、「運転代行人」が英国推理作家協会主催のCWA賞で最優秀短編賞の候補となる。2006年、『大鴉の啼く冬』で同賞ゴールド・ダガー賞(最優秀長編賞)を受賞。」
 英語のウキペディアではダンカン・ローリー・ダガーと書いてあって、世界で最も権威ある推理作家賞だと書いてありました。
 これが今から10年ほど前ですから、彼女は私より6歳ほど若いので、50歳頃ですかね。皆さんそのくらいに努力が報われるのでしょうね。
 2014年には文学の名誉博士号も得て、ますますご活躍のようです。落ちこぼれていろんな職業を経験した事は作品に生かされているのでしょうし、人生に無駄な事なんて無いんだなと改めて思います。
 作品リストは日本語のウキペディアからです。
ジョージ&モリー シリーズ
A Bird in the Hand (1986)
Come Death and High Water (1987)
Murder in Paradise (1988)
A Prey to Murder (1989)
Another Man's Poison (1992)
Sea Fever (1993)
The Mill on the Shore (1994)
High Island Blues (1996)
ラムゼイ捜査官シリーズ
A Lesson in Dying (1990)
Murder in My Backyard (1991)
A Day in the Death of Dorothea Cassidy (1992)
Killjoy (1993)
The Healers (1995)
The Baby Snatcher (1997)
ヴェラ・スタンホープ シリーズ
The Crow Trap (1999)
Telling Tales (2005)
Hidden Depths (2007)
Silent Voices (2011)
The Glass Room (2012)
Harbour Street (2014)
The Moth Catcher (2015)
シェットランド島シリーズ(創元推理文庫より玉木亨の訳で刊行)
Raven Black (2006)
大鴉の啼く冬(2007年7月、ISBN 978-4-488-24505-4)
White Nights (2008)
白夜に惑う夏(2009年7月、ISBN 978-4-488-24506-1)
Red Bones (2009)
野兎を悼む春(2011年7月、ISBN 978-4-488-24507-8)
Blue Lightning (2010)
青雷の光る秋(2013年3月、ISBN 978-4-488-24508-5)
Dead Water (2013)
水の葬送(2015年7月、ISBN 978-4-488-24509-2)
Thin Air (2014)
その他
The Sleeping and the Dead (2001)
Burial of Ghosts (2003)

2016年1月28日木曜日


英国ミステリー噂話、フォイルの事、BSとCSの違い

 『刑事フォイル』が惜しまれつつ終わった』と番宣で言っていましたが、このところ、ちょっと驚いている事があります。私のブログに100くらいのページビューがあったのです。今でも毎日2、3個は来ています。
 みんな、『刑事フォイルのマイケル・キッチン』です。
 で、何が原因かと考えてみましたら、あの頃、NHKのBS3で、毎週日曜日に『刑事フォイル』の放送が始まったのです。あの頃からどんどん増えて行きまして、一刻に八件とかいうのもありました。
 NHKのBSって、みんな見てるんですね。
 私はケーブルテレビで一足先に見ていて、人に無理強いをしない、趣味もあって、一人でも静かに生きて行ける、それでいて、人にも優しく、穏やかに接する事ができる、理想的な人間性に『見習わなくては』と感動して、これは役者さんの人柄でもあるなあと思って、マイケル・キッチンと作者のアンソニー・ホロヴィッツを調べたのですが、それはずっと前の事でした。
 改めてBSとCS(ケーブルテレビ)の影響力の違いに驚きました。
 ところで、ちょっとした発見です。最後の字幕にキャスティング・ディレクターという職業が割と大きく表示されるのですが、ジョイス・ネットルズと言う方です。この方、初代バーナビー警部を演じた、ジョン・ネトルズの前の奥さんですよね。多分。初代バーナビー警部の時にもそうでしたし、アンソニー・ホロヴィッツはバーナビー警部の脚本も書いていたみたいですから。みんな、コネというか、チームというか、いわゆる、人脈を持って仕事をしているみたいですね。
 対人恐怖症の私には、なかなか考えられない、できない事のように思われますが。

2016年1月21日木曜日


英国ミステリー噂話、バーナビー警部の原作者、キャロライン・グレアム

 同じくバナーナビー警部に触発されて、原作者のキャロライン・グレアムの事を調べてみました。ウキペディアにも、ウイングフィールドのようには書いてありません。生きている人と死んでしまった人では書いていい事の違いがあるのでしょう。それとも、大きな仕事は『バーナビー警部』だけという感じだからでしょうか。
 1931年7月17日生まれの84歳だそうです。ナニートンというイギリスのど真ん中あたりの小さな町生まれだそうですが、その郊外あたりでジョージ・エリオットも生まれたらしいですよ。
 大学はオープンユニバーシティと書いてありましたが、通信教育のようです。それからバーミンガム大学で劇作の学位を受けたようです。MAと書いてありましたから、修士号でしょうか。
 最初(1982)に出版された本は『ファイアーダンス』というロマンス小説だそうです。その後、テレビのバーナビー警部シリーズで有名になりましたが、彼女が書いたのは7作品だったようです。
 最初に書いた、1987年とも88年とも書いてありましたが、『バッジャーズドリフトの殺人』以来書いた最初の5作品がテレビシリーズのベースになったようです。後6作品ですから、書いてしまいますが、1989年の『うつろな男の死』、1992年の『装われた死』、1994年の『血文字』、1996年の『実り多き死』、1999年の『安全な場所』、そして2004年の『機械の中の幽霊』です。60代から70代にかけてでしょうか。
 その後も活躍はしているようですし、若い頃は賞も貰っているようです。
 やはり、私的な事は書かれていませんでした。

2016年1月14日木曜日


英国ミステリー噂話、トロイ、バーナビー警部の最初の相棒

 バナーナビー警部が出て来たところで、やっぱりお気に入りのトロイの事を書いておこうと思います。つまり、ずっと前に調べたのですが、あまり書いてなかったので、止めておいたのです。
 デモなんです。バナーナビー警部の中で誰が好もしいかを投票するAXNの人気投票では、バーナビーの次がギャビン・トロイなんです。ちょっとおっちょこちょいで気がよくってかわいいというのが理由のようです。これって、『相棒』でどの相棒がと投票したら、きっと一番は寺脇康文と出るだろう(私の私見ですが)のと同じではないかと思います。つまり、最初の相棒とうまく行ったからドラマが有名になった訳ですから。
 それで、トロイ役のダニエル・ケーシーがどんな役者さんなのかを調べてみました。
 1972年6月1日、ストックトンーオンーティーズというイギリス北東部の町生まれ、現在43歳、一度離婚をしているみたいです。
 お父さんのルークさんはジャーナリストでテレビの司会者のようです。誰かさんに似た環境みたいですね。大学で文学士を得て卒業、それから役者になったようです。
 もちろん、バーナビー警部で有名になり、それからいろいろな役をしているようです。なじみのあるのではジョージ・ジェントリーに出ていたそうです。
 昔、アガサ・クリスディの作品に若いチンピラ役みたいので出ていたような気がします。本当に若い頃でしょう。
 別れた奥さんとの間に息子がいるそうです。
 これからですね、頑張ってください。

2016年1月7日木曜日


英国ミステリー噂話、コナン・ドイルの事件簿のイアン・リチャードソン

 今やシャーロック・ホームズは何回もドラマになり、皆さん誰のシャーロックが好きとか、好みまで出て来たように思いますが、実は私はあまり好きではなかったのです。だから今まで、あんなにシャーロックが出ているのに噂話をしようとは思いませんでした。ただ一つ見ていたのはNHKでやっていた『シャーロック・ホームズの冒険』ジェレミー・ブレッド主演でした。それも、ちょっとイマイチだったのです。
 でもこの『シャーロック・ホームズ誕生秘史』を見て、ちょっと傾いた感じです。ホームズのモデルと言われるベル教授を演じるイアン・リチャードソン、どこかで見た顔だなと思いましたが、大変有名な俳優さんのようで、日本語の簡単なウキペディアもありました。シャーロック・ホームズ役もした事があると書いてありましたが、その辺りで見たのでしょうか。確かに私のイメージとしてはジェレミーよりイアンの方が合っている気がします。
 しかし、残念な事に2007年に亡くなっているのです。そのせいか、このシリーズは2001年までに作られた五話だけのようです。確かにね、第二話に、オックスフォードミステリー、ルイス警部でドクター・ホブソン役のクレア・ホールマンが霊媒役で出ているのに気づいたのですが、あまりに若かったので、この作品は古いんだなと思いました。
 前置きが長くなってしまいましたが、イアン・リチャードソンは1989年大英帝国勲章の第三位を授与されている、1934年4月7日エジンバラ生まれのスコットランドの俳優で2007年2月9日、72歳で就寝中に亡くなったようです。特に病気はなく、翌週にはいわゆる、ミッドサマー・マーダーズ(バーナビー警部)の『チョコレートボックスの死』にホルム卿役で出演予定だったのだそうです。
 『野望の階段』と言う1990年のBBC作品が有名だそうですし、すばらしいと書いてあったブログもありましたが、残念ながらまだ見ていません。ララTVで再放送したと書いてありましたのでいつかまたやってくれるかなと期待しています。
 彼の両親の職業は書いてありませんでしたが、14歳のとき、二都物語で初めてステージに立ち、才能を励まされてこの道に入ったようです。陸軍に入った時も、アナウンサーとかドラマディレクターとかをしていたようです。その後、グラスゴーの演劇大学に入り、バーミンガム・レパートリ劇場を経てロイヤル・シェークスピア劇団の創立メンバーになったようです。(1960−1975)
 多くの舞台での活躍がウキペディアに書かれていますが、シェイクスピア劇に多く出演し、やがて、アメリカのブロードウエイでも活躍し、マイ・フェアレディではヒギンズ役でトニー賞にもノミネートされたようです。
 テレビや映画での活躍もウキペディアにたくさん書かれていますが、私的な事はほとんど書かれていません。息子さんのマイルズも俳優さんだと言う事はちらっと垣間見えました。それで、息子さんのウキペディアを見てみましたら、彼もシェイクスピア俳優で、父のイアンと母のマルーシャ・フランクは二人ともロイヤル・シェークスピア劇団の創立メンバーだったという事が判明、(母方の祖母はダンサーで評論家だったようです。)よって、息子はロンドン、ストラットフォード・アポン・エイボン、ニューヨークで育ったと書いてありました。父の行ったところに家族で着いて行ったのでしょう。2009年、マイルズは父の遺灰を新装なったストラットフォード・アポン・エイボンのロイヤル・シェークスピア劇場に設置したと書かれてありました。
 失礼、最後に書いてありました。こちらには2008年、未亡人と息子が設置とあります。なお、息子さんは二人です。多くの俳優仲間に惜しまれたと書いてありました。
 昨日、『コナン・ドイルの事件簿』の最終話、第五話を初めて見ました。泣けました。シャーロック・ホームズ関連で泣けるなんて初めてじゃないですか。