2016年12月11日日曜日

オーストラリアの難民政策

 社会的に暗い面を描いたディケンズや松本清張氏の社会派小説が暗くて馴染めないと書きましたが、私にはというか、みんなそうだと思いますが、暗くて醜悪な面を見たくないという潜在意識が働くのですよね。楽しくて、心許せる風景や人間性や人間関係にほっとしてニコニコとドラマをみているのです。『ブラウン神父』なんてまさにその典型です。
 でも、現実は、違うのかもしれません。イギリスは遠いし、寒いので、中東の難民が押し寄せることもあまりないのでしょうが、この間イタリアの刑事ものを見ていたら、難民の船が来た話が出てきました。ドラマにさえ書き込まざるを得ないくらい日常茶飯事なのでしょう。まさに、ロンドンに流れ込んだ19世紀の貧民たちのようなのでしょう。
 そして、この間BS1でやっていたオーストラリアの『難民“絶望”収容所』というドキュメンタリーを見て、あの明るくって、豊かそうに見える『あのオーストラリアで』と目を疑ってしまいました。今、オーストラリアは船で来る難民を国内に入れず、南太平洋のナウル共和国とパプアニューギニアのアヌス島にお金を出して強制収容しているのだそうです。塀で囲まれた劣悪な環境の収容所に何年も収容されている人たちは、絶望のどん底で、自傷行為や自殺や暴動を繰り返していると内部告発されたのです。内部の映像はほとんど隠しカメラで撮られたもので、責任者のインタビューは取れず、「オーストラリアは船で来る難民を自国に入れない」という大臣のコメントが随所に流され、告発した人たちが口々に『怖かった』と言っていました。
 助けてほしいんですよね。歓迎はしてくれなくっても。差別はあっても、労働力としてでも生きる場所を与えてくれたらいいのにと思ってしまいます。
 このドキュメンタリーは1970年代ベトナム難民を9万人も受け入れた、『マルコム・フレーザー首相に捧げる』として作られています。でも、今でもオーストラリアは年に1万5千から2万5千人規模の難民移民を受け入れているという記事も目にしました。世界が小さくなってルートがたくさんでき、更により多くの人々がより良い場所を求めて動き出しているということなのでしょう。みんな住みづらいところは嫌なのです。
 無制限の受け入れをしていたドイツがナチの元収容所に受け入れ施設を作ったというニュースもありました。先進国は、押し寄せる難民に負けじと、自国第一主義に変わりつつあります。どうなってしまうのでしょう。